【加賀】般若ヶ窟探訪と滝だらけの簾滝谷から富士写ヶ岳

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山日和
記事: 3585
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
お住まい: 大阪府箕面市

【加賀】般若ヶ窟探訪と滝だらけの簾滝谷から富士写ヶ岳

投稿記事 by 山日和 »

【日 付】2023年6月17日(土)
【山 域】加賀 富士写ヶ岳周辺
【天 候】晴れ
【メンバー】sato、山日和
【コース】国道364号簾滝前8:15---9:35簾滝谷二俣---10:05般若ヶ窟10:25---14:15簾滝谷右俣源流15:00
     ---15:25富士写ヶ岳16:00---17:20駐車地

 福井県坂井市から石川県の山中温泉に抜ける国道364号線。
山中峠の下を潜るトンネルを出たところに簾滝(みすだき)があり、車窓からも見ることができる。この滝の上
から富士写ヶ岳へ突き上げる谷(仮称簾滝谷)が本日の目的だ。正確にはもうひとつ目的があった。
この谷の左俣にある「般若ヶ窟」(はんにゃがいわや)の探索である。この岩屋はその昔、豊原寺の天台宗徒に
追われた蓮如が隠れ棲んだと言われており、国道脇の案内板によると、蓮如を慕うおさよ婆さんという人が、
日に三度食事を届けたという言い伝えがあるらしい。

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 大内谷川には立派な橋がかかっており、正面には「般若が窟登り口」と書かれた看板があるが、道は草に
覆われて判然としない。
 簾滝の上から入渓する。しばらくはところどころに小さなナメ滝が現われる程度の穏やかな流れが続く。
下流部は植林くさいのかと思っていたが、意外にも自然林の中の美しい谷だ。
小さいながらも直登の難しい滝が多く、できるだけ小巻きで通過する。もちろん登れる滝は積極的にトライ
するが、今の自分の力の範囲内で無理することはない。安全第一である。

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 ほどなく二俣に到着。本流は右俣だが、まずは左俣へ入って般若ヶ窟を拝もう。
左俣も穏やかな渓相だが、舗装路のようなやや傾斜のあるナメ滝から空気が変わった。
ナメ滝の先、はるか高いところから水が落ちており、水流の奥に空間が見えた。あれか。
 右岸の踏み跡を辿って般若ヶ窟の前に立った。これは凄い。岩壁を大きくくり抜いたような半洞窟の左端に
一体の石像があった。蓮如上人の像である。
洞窟の大きさは高さ6m、幅27m、奥行10mと言われており、かなりの大きさだ。頭上から覆い被さるような
洞窟の中はひんやりとして、右端に落ちる滝を裏側から眺めることができる。なにか厳粛な気分にさせられる
空間である。

P6170076_1.JPG
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 二俣までの帰路はテープのある踏み跡を辿るが、とても普通の登山道とは呼べない悪路だ。
この道を日に三度食事を届けたというおさよ婆さんは凄い。

 右俣に入ると美しい12m滝が出迎えてくれた。優美なアーチを描く滝は八草川の大滝や松永川の三番滝を思
い起こさせる。登れないので左岸から巻きにかかるが、この斜面には見事なケヤキの巨樹が何本もあって驚か
された。

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 滝の落ち口のラインを進むとその上にもさらに直登不能に思える滝が二つかかっていた。全部で三段30mとい
うところだろうか。
 まとめて巻いて谷に復帰。この滝が簾滝谷の本領発揮のサインだったようで、上流には次から次へと滝が現
われて、応接に暇がないとはこのことである。

P6170137_1.JPG

 美しい3段15m滝は下段をクリアすれば問題なさそうだったが無理せず右岸巻き。なかなかの急斜面で、ヤブ
漕ぎプラスモンキー状態だ。
 大きい滝はないものの、5~10mの滝が連続して息も付かせぬという状態が続く。巻きもやや渋いところが多
く、時間だけが過ぎて行った。

 谷が少し落ち着いたところで遅いランチタイムとする。山頂まではまだ150mの標高差を残しているが、滝は
もうお腹いっぱいである。右岸の斜面を30mも登れば登山道に合流する。
時間が押していることもあり、ここからエスケープするとしよう。
 ランチタイムが短かったので、酒気帯び運転の急登はフラフラで足が出ない。ヤブがほとんどないのが救い
だった。

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 我谷ダムからの登山道に飛び出した。あたりは一面のブナ林だ。富士写ヶ岳のメインルートだけあって幅広
の完璧に整備された登山道は、人さえ少なければ気持ち良く歩ける素晴らしい道だ。
 午後3時半ともなると、人気の富士写ヶ岳と言えど人影はない。下界では今日は猛暑日。日陰のない山頂は暑い。
空気はあまり澄んでおらず、残念ながら白山遥拝は叶わなかった。
ヤマボウシとヤマツツジの色の取り合わせが美しい。


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 登山靴に履き替えて下山開始すると、なんと登ってくる登山者がいたのにはびっくり。
習慣的に登っている地元の人だろう。
 大内への道は今年の春先に歩いたばかりだが、雪山との違いにあたりまえながら驚く。
途中の展望地から見る小倉谷山方面とその奥の丈競山の姿に、ほんの4月ほど前の記憶なのに懐かしさを覚えた。
この道は富士写ヶ岳の登山道の中でもブナが少ないところが好みからは外れるのだが、途中で一輪だけ咲いてい
たササユリが慰めてくれた。

                     山日和
sato
記事: 422
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【加賀】般若ヶ窟探訪と滝だらけの簾滝谷から富士写ヶ岳

投稿記事 by sato »

山日和さま

こんにちは。
一昨年、ハンノキ谷から丈競山浄法寺山を訪れて以来、竹田川、大聖寺川流域のお山に、どんどんと魅了されています。
お山も歴史もとても興味深いです。私たち(失礼しました。私ですね)が登れる谷をいろいろ調べてくださっている山日和さん。
今回も、素晴らしい谷を見つけてくださいました。

富士写ケ岳に突き上げる簾滝谷。左俣を100m登ったところには、蓮如がお隠れになった言い伝えのある般若ケ窟という名の岩屋があるとか。
地図を見ると、距離は長くない。帰りはこの冬に歩いた登山道。是非是非訪れたい気持ちになりました。

簾滝谷は、最後に滝となって大内谷川に注いでいるのですね。名前の如く簾のような涼しげな滝ですね。
草で埋もれていましたが、般若ケ窟への道があり、簡単に滝の上に出ることが出来ました。
初っ端から、五感を楽しませてくれる谷でした。しっとり苔むした岩、躍動感ある流れ、緑滴る森、岩を飾るいろいろな形をした葉っぱ・・・
すべてが生き生きとしてうつくしく、よろこんでいるうちに二俣に着きました。

左俣も趣がありました。ナメの横をソロソロと登っていると、はるか上の緑の隙間に、水が流れ落ちる岩の壁が見えて息を呑みました。
般若ケ窟は、想像を絶する岩屋でした。確かに等高線は混んでいますが、こんな風になっていたとは。
岩屋の大きさといい、景観といい、ほんとうにびっくりしました。
いつの時代か、山仕事に入った大内村の人が、険しい道のりの末、この岩屋を仰ぎ見た時の胸の鼓動を感じました。

大内村の人びとが、豊原寺の天台宗徒に追われた蓮如を、この足のすくむような崖にある般若ケ窟に匿い、おさよさんというお婆さんが、
長く険しい道を歩き、一日に三度食事を届けたという言い伝え。大内村の人びとの信仰心の厚さを、きりきりと感じました。
延暦寺からの迫害を受け、北陸に辿り着いた蓮如。大聖寺川が海に注ぐ地、越前と加賀の国境の地に、活動の拠点となる吉崎御坊を建立し、
布教活動を始めると、蓮如の教えは、あらゆる階層に受け入れられ、勢力を拡大し、一向一揆へと繋がっていったのですね。
歴史のうねりというものを考えさせられました。

祀られている蓮如の石像とその横の石碑は、運ぶのは不可能だろうと思わせるくらい大きくて立派でした。
石碑には昭和3年建立と書かれていました。
大内村が存在した昭和の時代は、村から般若ケ窟へは、しっかりとした山道があり、村人がお参りしていたのですね。
高度成長という時代の波に呑まれ、村から人が去り、生きた村の歴史を知る人もほとんどいなくなり、
かつての祈りの道は、崩れ落ち、ヤブに覆われてしまった。
般若ケ窟の中に立ち、感動に包まれながらも、いろいろな思いが渦巻いていました。

右俣の始まりの、優美なアーチを描く滝は、ほれぼれするうつくしさでしたね。
でも、弓のような滝は、切り立った両岸から流れ落ちていることがほとんどですね。
木を掴みながら手前のズルズル滑る斜面を登って行くと、巨木が現れびっくりしました。
トチかなと思いましたが、葉っぱを見てケヤキだと。足元が不安定で、ゆっくり落ちついて見られませんでしたが、
高巻きの斜面は、ケヤキの大木が並ぶ地でした。

谷に復帰すると、この先も滝は続いていきましたね。滝が現れる度、わぁ、きれい、と感激するのですが、
直登は、私には難しく、ヤブの急斜面の高巻きもすんなりとは進まない。
距離が短いということは、それだけ急こう配で、滝も多い、ということなのだ、と実感。
お昼の時間が過ぎても、まだ上に滝がありそう、と思い、休憩できませんでしたね。
ここまで来たら大丈夫と思ったのは、標高800m二俣。14時を回り、やっとお昼ご飯にありつけました。
山日和さんは、ご飯よりビールでしたね。

ここからは、3つの選択肢が。ふたりとも迷うことなく、我谷登山道へ、でした。
この先、谷はヤブっぽくなっていましたし。
我谷ダムの登山道のブナ林は素晴らしかったですね。ここまで頑張ってお昼にしたらよかったと、ちょっと後悔(笑)。

山頂に着いた時は、感慨無量でした。白山は雲にお隠れになっていましたが、
この冬訪れた富士写ケ岳に、緑の季節、谷を遡り、ふたたび訪れることが出来、しあわせな気持ち、感謝の気持ちでいっぱいでした。
広々とした雪原の山頂でしたが、深田久弥さんの石碑が立っていたのですね。
山頂を出たのは16時になってしまいましたが、整備された登山道で、真冬にラッセルしながら登った道でもあるので、落ち着いて下れました。
でも、こんなに急だったっけ?と思う箇所がいくつかありました。粘土質の土で滑りやすかったから、急に感じたのかもしれませんが。
木々の間から眺めた、きりりとした雪稜の小倉谷山への尾根は、緑のやわらかな尾根に。同じお山とは思えなかったですね。

ササユリに出会えるかなぁ、とお話していたら、一輪だけ咲いていました。
一輪だけというのが、なんだか不思議で、うれしかったです。

富士写ケ岳の魅力をからだいっぱい感じた一日でした。ありがとうございました。
訪れると、また訪れたくなる山域ですね。次は、どの谷でしょう。楽しみにしております。

sato
アバター
山日和
記事: 3585
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
お住まい: 大阪府箕面市

Re: 【加賀】般若ヶ窟探訪と滝だらけの簾滝谷から富士写ヶ岳

投稿記事 by 山日和 »

satoさん、どうもです。お疲れでした。

一昨年、ハンノキ谷から丈競山浄法寺山を訪れて以来、竹田川、大聖寺川流域のお山に、どんどんと魅了されています。
お山も歴史もとても興味深いです。私たち(失礼しました。私ですね)が登れる谷をいろいろ調べてくださっている山日和さん。
今回も、素晴らしい谷を見つけてくださいました。

標高は低いけど、沢も雪山も変化があって面白い山域ですね。
結構ハマってしまいました。

P6170007_1.JPG

簾滝谷は、最後に滝となって大内谷川に注いでいるのですね。名前の如く簾のような涼しげな滝ですね。

水量が少ないと見逃してしまいそうな滝です。

初っ端から、五感を楽しませてくれる谷でした。しっとり苔むした岩、躍動感ある流れ、緑滴る森、岩を飾るいろいろな形をした葉っぱ・・・
すべてが生き生きとしてうつくしく、よろこんでいるうちに二俣に着きました。

大内谷川本流と違って、植林帯なしで自然林の中を遡行できる谷でしたね。
二俣までにロープを出す滝もあったんだけど、忘れましたか? :mrgreen:

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般若ケ窟は、想像を絶する岩屋でした。確かに等高線は混んでいますが、こんな風になっていたとは。
岩屋の大きさといい、景観といい、ほんとうにびっくりしました。
いつの時代か、山仕事に入った大内村の人が、険しい道のりの末、この岩屋を仰ぎ見た時の胸の鼓動を感じました。


写真では見てたけど、実物を目にした時にはその空間に圧倒されましたね。
岩屋を飛び越えて落ちる滝の流れにも感動しました。

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大内村の人びとが、豊原寺の天台宗徒に追われた蓮如を、この足のすくむような崖にある般若ケ窟に匿い、おさよさんというお婆さんが、
長く険しい道を歩き、一日に三度食事を届けたという言い伝え。大内村の人びとの信仰心の厚さを、きりきりと感じました。


おさよ婆さん、すごーい。 :lol:

延暦寺からの迫害を受け、北陸に辿り着いた蓮如。大聖寺川が海に注ぐ地、越前と加賀の国境の地に、活動の拠点となる吉崎御坊を建立し、布教活動を始めると、蓮如の教えは、あらゆる階層に受け入れられ、勢力を拡大し、一向一揆へと繋がっていったのですね。
歴史のうねりというものを考えさせられました。


これまで宗教関係の歴史に目を留めることもなかったんですが、「越前若狭 山々のルーツ」を読んでから惹かれ出しました。
蓮如は北陸のスーパースターですね。

P6170085_1.JPG

祀られている蓮如の石像とその横の石碑は、運ぶのは不可能だろうと思わせるくらい大きくて立派でした。
石碑には昭和3年建立と書かれていました。
大内村が存在した昭和の時代は、村から般若ケ窟へは、しっかりとした山道があり、村人がお参りしていたのですね。


あの石像を運ぶのはさぞ大変だったでしょう。
昭和になってから持ち上げられた石碑の立派さに、大内の村の人々の思いを感じられますね。

高度成長という時代の波に呑まれ、村から人が去り、生きた村の歴史を知る人もほとんどいなくなり、かつての祈りの道は、崩れ落ち、ヤブに覆われてしまった。
般若ケ窟の中に立ち、感動に包まれながらも、いろいろな思いが渦巻いていました。


これも時代の流れ。日本全国にこんな事象があるのでしょう。

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右俣の始まりの、優美なアーチを描く滝は、ほれぼれするうつくしさでしたね。
でも、弓のような滝は、切り立った両岸から流れ落ちていることがほとんどですね。
木を掴みながら手前のズルズル滑る斜面を登って行くと、巨木が現れびっくりしました。

美しい滝と見事なケヤキでした。続く連瀑をまとめて巻かざるを得なかったのがちょっと残念。

谷に復帰すると、この先も滝は続いていきましたね。滝が現れる度、わぁ、きれい、と感激するのですが、
直登は、私には難しく、ヤブの急斜面の高巻きもすんなりとは進まない。
距離が短いということは、それだけ急こう配で、滝も多い、ということなのだ、と実感。

そうそう、あの距離で750m稼ごうと思ったらそうなりますよね。
序盤が平流だからなおさらです。
滝はもうお腹いっぱいという感じでした。 :mrgreen:


P6170159_1.JPG

お昼の時間が過ぎても、まだ上に滝がありそう、と思い、休憩できませんでしたね。
ここまで来たら大丈夫と思ったのは、標高800m二俣。14時を回り、やっとお昼ご飯にありつけました。
山日和さんは、ご飯よりビールでしたね。


山頂まであと150m。やっとメドが付いたので食べる気になりました。
何はともあれビールです。 :lol:

ここからは、3つの選択肢が。ふたりとも迷うことなく、我谷登山道へ、でした。
この先、谷はヤブっぽくなっていましたし。
我谷ダムの登山道のブナ林は素晴らしかったですね。ここまで頑張ってお昼にしたらよかったと、ちょっと後悔(笑)。


もうこれ以上滝を見たくなかったですわ。 :oops:
ランチ場としてはあのブナ林の方がよかったかな。

P6170190_1.JPG

山頂に着いた時は、感慨無量でした。白山は雲にお隠れになっていましたが、
この冬訪れた富士写ケ岳に、緑の季節、谷を遡り、ふたたび訪れることが出来、しあわせな気持ち、感謝の気持ちでいっぱいでした。


この山域では必ず白山を遥拝してきたけど、この日は残念でしたね。

山頂を出たのは16時になってしまいましたが、整備された登山道で、真冬にラッセルしながら登った道でもあるので、落ち着いて下れました。

登山道を下れるというのは安心感が違います。これが下りもバリ尾根だったりヤブ漕ぎがあったりしたら焦ります。

ササユリに出会えるかなぁ、とお話していたら、一輪だけ咲いていました。
一輪だけというのが、なんだか不思議で、うれしかったです。

あのササユリには癒されましたね。 :D


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富士写ケ岳の魅力をからだいっぱい感じた一日でした。ありがとうございました。
訪れると、また訪れたくなる山域ですね。次は、どの谷でしょう。楽しみにしております。


石川県のあの一帯を「江沼アルプス」と名付けたのは深田久弥だそうです。
大日山、富士写ヶ岳、鞍掛山の3つを江沼三山と呼ぶらしいですね。
小松市の鞍掛山ではちょうどこの日に遭難がありました。500m足らずの低山ですが、死亡事故になってしまいました。70代の女性が谷に滑落したということです。

               山日和
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