【高見山地】軍用路(庄司越)の九十九折と参拝道(若宮越)の九十九折
Posted: 2023年6月11日(日) 12:26
【日 付】2023年6月10日(土)
【山 域】高見山地
【コース】荒滝不動駐車場7:10---8:40庄司峠---10:00若宮峠---11:45荒滝不動駐車地
【メンバー】単独
北畠氏は伊勢国司となってから天正4年(1576)織田信長に滅ぼされるまで240年にわたり南伊勢、宇陀、熊野を治め美杉に霧山城をかまえていた。南伊勢地内を結ぶ山越えの道が整備されその一つが庄司越になる。
北畠氏は南朝の中心武将であり、美杉から庄司峠を越えて和歌山街道に出、高見越の道で南朝のあった吉野につないでいた。赤桶より庄司谷川を上り荒滝不動の駐車地に向かい、荒滝不動に立ち寄る。荒滝不動尊は庄司峠鎮護のために北畠氏により建立されており、霧山城を守る重要拠点であったことがわかる。荒滝不動からの破線道は堰堤だらけで残っているはずもなく林道を進む。林道の下にわずかに昔の道が残っている。
林道終点から破線道に入りテープに沿って進んでいくと上の林道に出た。新しい堰堤を越え植林地の中に道は続く。登山道は真っすぐに登っていく所も、できるだけ九十九折の道をひろいながら進む。植林地に入りようやく昔の道が出始めてきた。ゆるやかに上れるように道はつけられており、埋もれてしまっているが石積みの跡や石畳の跡もある。
植林を抜け自然林に入ると道は息を吹き返したかのように昔の姿を見せだした。山肌を行く九十九折の道は長くゆるやかに上って行く。こうでなくっちゃ馬で越えることはできないだろう。この痕跡が昔の道のようだ。明るい広葉樹の森に続く道は歩くだけで気持ちがウキウキする。北畠氏の軍用路として整備された道もその後は飯高と美杉を結ぶ行商の道や茶摘み作業に向かう仕事道として使われてきた。登りきると風が心地よく抜ける庄司峠で、お地蔵さんが祀られている。峠を越えた美杉側は植林になっており下りきると林道がきている。
稜線上には国有林の石柱がある。下部は赤桶区の共有地で、稜線上には飯高町有林の石柱もあったので所有者は入り組んでいるようだ。稜線からは局ヶ岳の山容と飯高の町並みが見える。稜線は痩せた岩尾根になってきた、美杉の若宮八幡宮は修験道の中心地だったので修行の場として使われたのかもしれない。通常の山道は急な場所はトラバースして道をつけるのだが、ここは忠実に稜線づたいを歩くことになる。栗ノ木岳の山容が近づいてくると若宮峠に着いた。
飯高からと美杉の丹生俣から若宮八幡宮への参拝道として使われた峠になる。丹生俣から庄司峠を使い歩いてきた稜線づたいに若宮峠まできてここから下ったようだ。同じ美杉内でもこちらの方が近かったようだ。八幡社ということで、戦争のあるごとに、武運長久を祈って参拝者が通った道になる。
若宮峠を赤桶登山口方面に下る。最初は普通の登山道と思ったが、急な斜面は九十九折になり、トラバースもまじえて上手に作ってある道だ。九十九折と言っても庄司峠と違い人しか通らない参拝道なので小刻みに切ってある。驚いたのは、林道に出る小峠まで参拝道が崩れずにそのまま残り、登山道として使われている。途中の開けた場所には窯跡がありかたわらにお地蔵さんが祀ってあった。その先に石積みがあったが何に使われていたのだろう。若宮峠から小峠までは自然林なので明るくすばらしい峠道だ。昔の参拝道が無傷で残っているとは思いもよらなかった。
駐車地にもどり、帰りに飯高JAZZCAFEに寄った。たまたま来ていた常連さんが波瀬の人でお母さんも御杖村から嫁いできたそうで、私たちが想像する以上に山越えのつながりは深い。
【山 域】高見山地
【コース】荒滝不動駐車場7:10---8:40庄司峠---10:00若宮峠---11:45荒滝不動駐車地
【メンバー】単独
北畠氏は伊勢国司となってから天正4年(1576)織田信長に滅ぼされるまで240年にわたり南伊勢、宇陀、熊野を治め美杉に霧山城をかまえていた。南伊勢地内を結ぶ山越えの道が整備されその一つが庄司越になる。
北畠氏は南朝の中心武将であり、美杉から庄司峠を越えて和歌山街道に出、高見越の道で南朝のあった吉野につないでいた。赤桶より庄司谷川を上り荒滝不動の駐車地に向かい、荒滝不動に立ち寄る。荒滝不動尊は庄司峠鎮護のために北畠氏により建立されており、霧山城を守る重要拠点であったことがわかる。荒滝不動からの破線道は堰堤だらけで残っているはずもなく林道を進む。林道の下にわずかに昔の道が残っている。
林道終点から破線道に入りテープに沿って進んでいくと上の林道に出た。新しい堰堤を越え植林地の中に道は続く。登山道は真っすぐに登っていく所も、できるだけ九十九折の道をひろいながら進む。植林地に入りようやく昔の道が出始めてきた。ゆるやかに上れるように道はつけられており、埋もれてしまっているが石積みの跡や石畳の跡もある。
植林を抜け自然林に入ると道は息を吹き返したかのように昔の姿を見せだした。山肌を行く九十九折の道は長くゆるやかに上って行く。こうでなくっちゃ馬で越えることはできないだろう。この痕跡が昔の道のようだ。明るい広葉樹の森に続く道は歩くだけで気持ちがウキウキする。北畠氏の軍用路として整備された道もその後は飯高と美杉を結ぶ行商の道や茶摘み作業に向かう仕事道として使われてきた。登りきると風が心地よく抜ける庄司峠で、お地蔵さんが祀られている。峠を越えた美杉側は植林になっており下りきると林道がきている。
稜線上には国有林の石柱がある。下部は赤桶区の共有地で、稜線上には飯高町有林の石柱もあったので所有者は入り組んでいるようだ。稜線からは局ヶ岳の山容と飯高の町並みが見える。稜線は痩せた岩尾根になってきた、美杉の若宮八幡宮は修験道の中心地だったので修行の場として使われたのかもしれない。通常の山道は急な場所はトラバースして道をつけるのだが、ここは忠実に稜線づたいを歩くことになる。栗ノ木岳の山容が近づいてくると若宮峠に着いた。
飯高からと美杉の丹生俣から若宮八幡宮への参拝道として使われた峠になる。丹生俣から庄司峠を使い歩いてきた稜線づたいに若宮峠まできてここから下ったようだ。同じ美杉内でもこちらの方が近かったようだ。八幡社ということで、戦争のあるごとに、武運長久を祈って参拝者が通った道になる。
若宮峠を赤桶登山口方面に下る。最初は普通の登山道と思ったが、急な斜面は九十九折になり、トラバースもまじえて上手に作ってある道だ。九十九折と言っても庄司峠と違い人しか通らない参拝道なので小刻みに切ってある。驚いたのは、林道に出る小峠まで参拝道が崩れずにそのまま残り、登山道として使われている。途中の開けた場所には窯跡がありかたわらにお地蔵さんが祀ってあった。その先に石積みがあったが何に使われていたのだろう。若宮峠から小峠までは自然林なので明るくすばらしい峠道だ。昔の参拝道が無傷で残っているとは思いもよらなかった。
駐車地にもどり、帰りに飯高JAZZCAFEに寄った。たまたま来ていた常連さんが波瀬の人でお母さんも御杖村から嫁いできたそうで、私たちが想像する以上に山越えのつながりは深い。
【高見山地】軍事路(庄司越)の九十九折と参拝道(若宮越)の九十九折