【日 付】2023年6月10日(土)
【山 域】高見山地
【コース】荒滝不動駐車場7:10---8:40庄司峠---10:00若宮峠---11:45荒滝不動駐車地
【メンバー】単独
北畠氏は伊勢国司となってから天正4年(1576)織田信長に滅ぼされるまで240年にわたり南伊勢、宇陀、熊野を治め美杉に霧山城をかまえていた。南伊勢地内を結ぶ山越えの道が整備されその一つが庄司越になる。
北畠氏は南朝の中心武将であり、美杉から庄司峠を越えて和歌山街道に出、高見越の道で南朝のあった吉野につないでいた。赤桶より庄司谷川を上り荒滝不動の駐車地に向かい、荒滝不動に立ち寄る。荒滝不動尊は庄司峠鎮護のために北畠氏により建立されており、霧山城を守る重要拠点であったことがわかる。荒滝不動からの破線道は堰堤だらけで残っているはずもなく林道を進む。林道の下にわずかに昔の道が残っている。
林道終点から破線道に入りテープに沿って進んでいくと上の林道に出た。新しい堰堤を越え植林地の中に道は続く。登山道は真っすぐに登っていく所も、できるだけ九十九折の道をひろいながら進む。植林地に入りようやく昔の道が出始めてきた。ゆるやかに上れるように道はつけられており、埋もれてしまっているが石積みの跡や石畳の跡もある。
植林を抜け自然林に入ると道は息を吹き返したかのように昔の姿を見せだした。山肌を行く九十九折の道は長くゆるやかに上って行く。こうでなくっちゃ馬で越えることはできないだろう。この痕跡が昔の道のようだ。明るい広葉樹の森に続く道は歩くだけで気持ちがウキウキする。北畠氏の軍用路として整備された道もその後は飯高と美杉を結ぶ行商の道や茶摘み作業に向かう仕事道として使われてきた。登りきると風が心地よく抜ける庄司峠で、お地蔵さんが祀られている。峠を越えた美杉側は植林になっており下りきると林道がきている。
稜線上には国有林の石柱がある。下部は赤桶区の共有地で、稜線上には飯高町有林の石柱もあったので所有者は入り組んでいるようだ。稜線からは局ヶ岳の山容と飯高の町並みが見える。稜線は痩せた岩尾根になってきた、美杉の若宮八幡宮は修験道の中心地だったので修行の場として使われたのかもしれない。通常の山道は急な場所はトラバースして道をつけるのだが、ここは忠実に稜線づたいを歩くことになる。栗ノ木岳の山容が近づいてくると若宮峠に着いた。
飯高からと美杉の丹生俣から若宮八幡宮への参拝道として使われた峠になる。丹生俣から庄司峠を使い歩いてきた稜線づたいに若宮峠まできてここから下ったようだ。同じ美杉内でもこちらの方が近かったようだ。八幡社ということで、戦争のあるごとに、武運長久を祈って参拝者が通った道になる。
若宮峠を赤桶登山口方面に下る。最初は普通の登山道と思ったが、急な斜面は九十九折になり、トラバースもまじえて上手に作ってある道だ。九十九折と言っても庄司峠と違い人しか通らない参拝道なので小刻みに切ってある。驚いたのは、林道に出る小峠まで参拝道が崩れずにそのまま残り、登山道として使われている。途中の開けた場所には窯跡がありかたわらにお地蔵さんが祀ってあった。その先に石積みがあったが何に使われていたのだろう。若宮峠から小峠までは自然林なので明るくすばらしい峠道だ。昔の参拝道が無傷で残っているとは思いもよらなかった。
駐車地にもどり、帰りに飯高JAZZCAFEに寄った。たまたま来ていた常連さんが波瀬の人でお母さんも御杖村から嫁いできたそうで、私たちが想像する以上に山越えのつながりは深い。
【高見山地】軍用路(庄司越)の九十九折と参拝道(若宮越)の九十九折
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【高見山地】軍用路(庄司越)の九十九折と参拝道(若宮越)の九十九折
最後に編集したユーザー わりばし [ 2023年6月11日(日) 16:32 ], 累計 1 回
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- 記事: 2227
- 登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
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Re: 【高見山地】軍用路(庄司越)の九十九折と参拝道(若宮越)の九十九折
わりばしさん、こんにちは。
峠シリーズが続いていますね。
【高見山地】軍事路(庄司越)の九十九折と参拝道(若宮越)の九十九折
今回の峠はグーも2回ほど歩いています。
おふくろが小学生のころ遠足で、わらじ履きで越えた峠と聞いています。
赤樽より庄司谷川を上り荒滝不動
ドコだ? 赤桶のタイプミスですね。
明るい広葉樹の森に続く道は歩くだけで気持ちがウキウキする。
この庄司峠の直前が紅葉の美しい穏やかな雰囲気だった記憶です。
稜線上には国有林の石柱がある。所有者は入り組んでいるようだ。
国有林地図を見ると △879.3から修験業山△1093.6の稜線から北側が国有林でした。
丹生俣から庄司峠を使い歩いてきた稜線づたいに若宮峠まできてここから下ったようだ。
そうだろうか?
丹生俣がCa370 庄司峠がCa720 さらに最高地点Ca880 500mの登りになります。
丹生俣から西の杉峠Ca540を越えるなら標高差170mの登りで済みますよ。
驚いたのは、林道に出る小峠まで参拝道が崩れずにそのまま残り、登山道として使われている。
近頃はまた歩かれだしたのではっきりしてきたのかな?
かなり昔、奥山天神から登った時は難儀したような記憶です。
帰りに飯高JAZZCAFEに寄った。
赤桶からだったら「帰り」にならないような。
旺盛な探求心に拍手を送ります。
グー(伊勢山上住人)
Re: 【高見山地】軍用路(庄司越)の九十九折と参拝道(若宮越)の九十九折
おはようございます、グーさん。
わりばしさん、こんにちは。
峠シリーズが続いていますね。
もう少し続きます。
最初思っていた以上にこのあたりの峠はおもしろいです。
【高見山地】軍事路(庄司越)の九十九折と参拝道(若宮越)の九十九折
今回の峠はグーも2回ほど歩いています。
おふくろが小学生のころ遠足で、わらじ履きで越えた峠と聞いています。
お母さんの遠足は美杉方面でしたか。
当時はもっと道が良かったんでしょうが歩きますねえ。
私の頃までは遠足と言えば結構歩いていましたが・・
今はほんの軽い歩き遠足に変わってしまいました。
明るい広葉樹の森に続く道は歩くだけで気持ちがウキウキする。
この庄司峠の直前が紅葉の美しい穏やかな雰囲気だった記憶です。
まさしく庄司峠の飯高側はそんな感じです。
秋も良さそうだな
植林の中の峠と自然林の峠では明るさといい四季の移ろいといい
雰囲気がかなり違います。
稜線上には国有林の石柱がある。所有者は入り組んでいるようだ。
国有林地図を見ると △879.3から修験業山△1093.6の稜線から北側が国有林でした。
そういうことか。
南側が飯高町有林だったり赤桶区共有林だったりしているんだ。
丹生俣から庄司峠を使い歩いてきた稜線づたいに若宮峠まできてここから下ったようだ。
そうだろうか?
丹生俣がCa370 庄司峠がCa720 さらに最高地点Ca880 500mの登りになります。
丹生俣から西の杉峠Ca540を越えるなら標高差170mの登りで済みますよ。
この記述は飯高町郷土史に書かれています。
この本は地域の聞き取りをこまめにしているので
間違いないと思いますが・・
驚いたのは、林道に出る小峠まで参拝道が崩れずにそのまま残り、登山道として使われている。
近頃はまた歩かれだしたのではっきりしてきたのかな?
かなり昔、奥山天神から登った時は難儀したような記憶です。
奥山からの破線道はわかりませんが
今回下った赤桶登山口につながる道はテープや標識もあり歩かれています。
昔の道を知っているひとがテープをつけた感じで
いい道です。
帰りに飯高JAZZCAFEに寄った。
赤桶からだったら「帰り」にならないような。
旺盛な探求心に拍手を送ります。
「森のしずく」を置かせてもらっているのでちょくちょく寄っています。
飯高の地元の人も何冊か買ってくれていて
嬉しい限りです。
飯高JAZZCAFEのマスターのおかげなんですが・・
わりばしさん、こんにちは。
峠シリーズが続いていますね。
もう少し続きます。
最初思っていた以上にこのあたりの峠はおもしろいです。
【高見山地】軍事路(庄司越)の九十九折と参拝道(若宮越)の九十九折
今回の峠はグーも2回ほど歩いています。
おふくろが小学生のころ遠足で、わらじ履きで越えた峠と聞いています。
お母さんの遠足は美杉方面でしたか。
当時はもっと道が良かったんでしょうが歩きますねえ。
私の頃までは遠足と言えば結構歩いていましたが・・
今はほんの軽い歩き遠足に変わってしまいました。
明るい広葉樹の森に続く道は歩くだけで気持ちがウキウキする。
この庄司峠の直前が紅葉の美しい穏やかな雰囲気だった記憶です。
まさしく庄司峠の飯高側はそんな感じです。
秋も良さそうだな
植林の中の峠と自然林の峠では明るさといい四季の移ろいといい
雰囲気がかなり違います。
稜線上には国有林の石柱がある。所有者は入り組んでいるようだ。
国有林地図を見ると △879.3から修験業山△1093.6の稜線から北側が国有林でした。
そういうことか。
南側が飯高町有林だったり赤桶区共有林だったりしているんだ。
丹生俣から庄司峠を使い歩いてきた稜線づたいに若宮峠まできてここから下ったようだ。
そうだろうか?
丹生俣がCa370 庄司峠がCa720 さらに最高地点Ca880 500mの登りになります。
丹生俣から西の杉峠Ca540を越えるなら標高差170mの登りで済みますよ。
この記述は飯高町郷土史に書かれています。
この本は地域の聞き取りをこまめにしているので
間違いないと思いますが・・
驚いたのは、林道に出る小峠まで参拝道が崩れずにそのまま残り、登山道として使われている。
近頃はまた歩かれだしたのではっきりしてきたのかな?
かなり昔、奥山天神から登った時は難儀したような記憶です。
奥山からの破線道はわかりませんが
今回下った赤桶登山口につながる道はテープや標識もあり歩かれています。
昔の道を知っているひとがテープをつけた感じで
いい道です。
帰りに飯高JAZZCAFEに寄った。
赤桶からだったら「帰り」にならないような。
旺盛な探求心に拍手を送ります。
「森のしずく」を置かせてもらっているのでちょくちょく寄っています。
飯高の地元の人も何冊か買ってくれていて
嬉しい限りです。
飯高JAZZCAFEのマスターのおかげなんですが・・
Re: 【高見山地】軍用路(庄司越)の九十九折と参拝道(若宮越)の九十九折
わりばしさん、こんばんは。
峠シリーズは続きますね。トンネルができ車が普及するまで峠は村と村を結び人々の生活を支えた重要な交易拠点として守られてきたのでしょうね。今回は軍用路ということでその重要性はさらに高かったようで。しかし、その要衝も現在では杣人と物好きな登山者くらいしか利用者はいない。
荒滝から若宮峠には庄司谷川と奥山川を結ぶ破線ルートで歩いたことがありますが、ヤブっぽくて奥山川に出るまでは破線ルートは、はっきりしませんでした。
荒滝不動尊は庄司峠鎮護のために北畠氏により建立されており、霧山城を守る重要拠点であったことがわかる
へぇ~由緒正しき歴史があるんですね。
植林地に入りようやく昔の道が出始めてきた。ゆるやかに上れるように道はつけられており、埋もれてしまっているが石積みの跡や石畳の跡もある。
歴史ロマンにイメージは膨らむ。ちゃんと残っていて良かったですね。
北畠氏の軍用路として整備された道もその後は飯高と美杉を結ぶ行商の道や茶摘み作業に向かう仕事道として使われてきた。登りきると風が心地よく抜ける庄司峠で、お地蔵さんが祀られている。
生活路としても重宝されたでしょう。行きかう人々をお地蔵さんは見てきたわけだ。
美杉の若宮八幡宮は修験道の中心地だったので修行の場として使われたのかもしれない。
若宮八幡は昨年初めて行きましたが、車道のどん詰まりに立派な社があるのでびっくりしました。北畠氏が武運長久を願って守護してきたからなんですね。
駐車地にもどり、帰りに飯高JAZZCAFEに寄った。
わりばし先生のウンチクもとうとう本になったのね。これからはウンチク先生などと茶化さないで心して拝聴せねばなるまい。
峠シリーズは続きますね。トンネルができ車が普及するまで峠は村と村を結び人々の生活を支えた重要な交易拠点として守られてきたのでしょうね。今回は軍用路ということでその重要性はさらに高かったようで。しかし、その要衝も現在では杣人と物好きな登山者くらいしか利用者はいない。
荒滝から若宮峠には庄司谷川と奥山川を結ぶ破線ルートで歩いたことがありますが、ヤブっぽくて奥山川に出るまでは破線ルートは、はっきりしませんでした。
荒滝不動尊は庄司峠鎮護のために北畠氏により建立されており、霧山城を守る重要拠点であったことがわかる
へぇ~由緒正しき歴史があるんですね。
植林地に入りようやく昔の道が出始めてきた。ゆるやかに上れるように道はつけられており、埋もれてしまっているが石積みの跡や石畳の跡もある。
歴史ロマンにイメージは膨らむ。ちゃんと残っていて良かったですね。
北畠氏の軍用路として整備された道もその後は飯高と美杉を結ぶ行商の道や茶摘み作業に向かう仕事道として使われてきた。登りきると風が心地よく抜ける庄司峠で、お地蔵さんが祀られている。
生活路としても重宝されたでしょう。行きかう人々をお地蔵さんは見てきたわけだ。
美杉の若宮八幡宮は修験道の中心地だったので修行の場として使われたのかもしれない。
若宮八幡は昨年初めて行きましたが、車道のどん詰まりに立派な社があるのでびっくりしました。北畠氏が武運長久を願って守護してきたからなんですね。
駐車地にもどり、帰りに飯高JAZZCAFEに寄った。
わりばし先生のウンチクもとうとう本になったのね。これからはウンチク先生などと茶化さないで心して拝聴せねばなるまい。
Re: 【高見山地】軍用路(庄司越)の九十九折と参拝道(若宮越)の九十九折
おはようございます、skywaikeさん。
峠シリーズは続きますね。トンネルができ車が普及するまで峠は村と村を結び人々の生活を支えた重要な交易拠点として守られてきたのでしょうね。今回は軍用路ということでその重要性はさらに高かったようで。しかし、その要衝も現在では杣人と物好きな登山者くらいしか利用者はいない。
荒滝から若宮峠には庄司谷川と奥山川を結ぶ破線ルートで歩いたことがありますが、ヤブっぽくて奥山川に出るまでは破線ルートは、はっきりしませんでした。
この破線道を使って下山しましたが、今は整備されています。
林道が入り込んでいるので一時期は放置されたのかな。
荒滝不動尊は庄司峠鎮護のために北畠氏により建立されており、霧山城を守る重要拠点であったことがわかる
へぇ~由緒正しき歴史があるんですね。
北畠氏は修験道とのつながりが深かったので拠点には寺社を配置しています。
グーさんの伊勢山上もそのひとつです。
植林地に入りようやく昔の道が出始めてきた。ゆるやかに上れるように道はつけられており、埋もれてしまっているが石積みの跡や石畳の跡もある。
歴史ロマンにイメージは膨らむ。ちゃんと残っていて良かったですね。
鈴鹿に比べて人の入り込みが少ないので、昔の痕跡がたどれます。
戦時中までは歩かれていた道ですし。
北畠氏の軍用路として整備された道もその後は飯高と美杉を結ぶ行商の道や茶摘み作業に向かう仕事道として使われてきた。登りきると風が心地よく抜ける庄司峠で、お地蔵さんが祀られている。
生活路としても重宝されたでしょう。行きかう人々をお地蔵さんは見てきたわけだ。
お地蔵さんや大日如来などそこかしこに残っています。
草川さんじゃないですが
峠道にはほとけさまは良くにあいます。
美杉の若宮八幡宮は修験道の中心地だったので修行の場として使われたのかもしれない。
若宮八幡は昨年初めて行きましたが、車道のどん詰まりに立派な社があるのでびっくりしました。北畠氏が武運長久を願って守護してきたからなんですね。
全国の若宮八幡宮の中で最も古い神社で
たくさんの有名人が参拝しています。
八幡は武士の神社なので武運長久を願ったのでしょう。
最近では戦前の出兵の際に参拝されたようです。
駐車地にもどり、帰りに飯高JAZZCAFEに寄った。
わりばし先生のウンチクもとうとう本になったのね。これからはウンチク先生などと茶化さないで心して拝聴せねばなるまい。
オジヤンへの聞き取りを続けていて
内容をどうにか残さなきゃと思っていました。
そんな時のおはなしだったので、ありがたかったです。
峠シリーズは続きますね。トンネルができ車が普及するまで峠は村と村を結び人々の生活を支えた重要な交易拠点として守られてきたのでしょうね。今回は軍用路ということでその重要性はさらに高かったようで。しかし、その要衝も現在では杣人と物好きな登山者くらいしか利用者はいない。
荒滝から若宮峠には庄司谷川と奥山川を結ぶ破線ルートで歩いたことがありますが、ヤブっぽくて奥山川に出るまでは破線ルートは、はっきりしませんでした。
この破線道を使って下山しましたが、今は整備されています。
林道が入り込んでいるので一時期は放置されたのかな。
荒滝不動尊は庄司峠鎮護のために北畠氏により建立されており、霧山城を守る重要拠点であったことがわかる
へぇ~由緒正しき歴史があるんですね。
北畠氏は修験道とのつながりが深かったので拠点には寺社を配置しています。
グーさんの伊勢山上もそのひとつです。
植林地に入りようやく昔の道が出始めてきた。ゆるやかに上れるように道はつけられており、埋もれてしまっているが石積みの跡や石畳の跡もある。
歴史ロマンにイメージは膨らむ。ちゃんと残っていて良かったですね。
鈴鹿に比べて人の入り込みが少ないので、昔の痕跡がたどれます。
戦時中までは歩かれていた道ですし。
北畠氏の軍用路として整備された道もその後は飯高と美杉を結ぶ行商の道や茶摘み作業に向かう仕事道として使われてきた。登りきると風が心地よく抜ける庄司峠で、お地蔵さんが祀られている。
生活路としても重宝されたでしょう。行きかう人々をお地蔵さんは見てきたわけだ。
お地蔵さんや大日如来などそこかしこに残っています。
草川さんじゃないですが
峠道にはほとけさまは良くにあいます。
美杉の若宮八幡宮は修験道の中心地だったので修行の場として使われたのかもしれない。
若宮八幡は昨年初めて行きましたが、車道のどん詰まりに立派な社があるのでびっくりしました。北畠氏が武運長久を願って守護してきたからなんですね。
全国の若宮八幡宮の中で最も古い神社で
たくさんの有名人が参拝しています。
八幡は武士の神社なので武運長久を願ったのでしょう。
最近では戦前の出兵の際に参拝されたようです。
駐車地にもどり、帰りに飯高JAZZCAFEに寄った。
わりばし先生のウンチクもとうとう本になったのね。これからはウンチク先生などと茶化さないで心して拝聴せねばなるまい。
オジヤンへの聞き取りを続けていて
内容をどうにか残さなきゃと思っていました。
そんな時のおはなしだったので、ありがたかったです。