【 日 付 】2023年5月2日(火)〜4日(木)
【 山 域 】熊野
【メンバー】山猫単独
【 天 候 】三日いずれも晴れ
【 ルート 】(一日目)極楽橋8:36〜9:10女人堂〜9:26弁天岳〜9:39大門〜9:59根本大塔〜10:07金剛峯寺〜10:51薄峠11:36大滝〜12:30水ヶ峰分岐〜13:54大股登山口〜14:34萱小屋〜16:26伯母子岳〜18:17三田谷バス停〜18:45船渡橋〜19:00 三浦の廃集落
(二日目)宿泊地3:40〜4:45三浦峠5:10〜6:17西中バス停〜8:00十津川温泉 昴の郷〜8:36果無集落〜9:33観音堂9:55〜10:15果無峠1〜11:34八木尾バス停〜12:00道の駅 奥熊野古道ほんぐう12:05〜12:22三軒茶屋跡〜13:00熊野本宮大社13:10〜13:20茶房珍重庵13:40〜13:50大斎原14:10〜14:50川湯温泉15:30〜16:00請川16:16〜17:35百間ぐら〜18:26桜峠〜18:34桜茶屋跡〜19:00小和瀬の渡し場跡
(三日目)小和瀬の渡し場跡4:20〜6:32越前峠〜7:01石倉峠〜7:10地蔵茶屋跡〜8:27舟見茶屋跡〜9:06那智高原公園〜9:24青岸渡寺〜950飛瀧神社(那智大滝)〜10:00大門坂入口〜11:21補陀洛山寺〜11:30那智駅
今年の連休は当初は4日は雨の予報であったが、日が近づくにつれて雨の降り出しの時間が遅くなる。2日に休暇を取得することが出来たので、かねてより念願であった小辺路の縦走に三日間で挑戦することにする。山行計画は前々から周到に練ってあった。一日目は極楽橋から高野山に登り、折角の機会なので高野山を観光してから伯母子峠に向かう。二日目は十津川温泉で入浴した後に果無峠の下にある観音堂まで登り返すという計画だ。
【一日目】
始発の京都市営地下鉄に乗り、南海電鉄に乗り継いで高野山に向かう。橋本から極楽橋に向かう車内にはかなりの数の登山者を見かける。ハイキング・スタイルの方が多いが、大きなリュックにシュラフマットを括り付けた方は明らかに私と同じく小辺路の縦走をされる方だろう。九度山を過ぎると色鮮やかな新緑の山間部に入ってゆく。同時に列車は強烈なフランジ音を立てて、急カーブの連続する山間部を進んでゆく。
車内で前日の京都の北山での山行記をスマホを使って書いていたのだが、結果的にはこれがとんだ蛇足であった。登山の前にスマホを充電しようとモバイル・バッテリーを接続したところ、十分に充電されていると思い込んでいたバッテリーがほとんど残量がないことに気が付く。スマホは到底、三日は持たないであろうから、地図のみが頼りだ。
極楽橋の駅でホームに降り立つと全ての乗客は急いでケーブルカーの駅に向かう。この駅で降りるのは私一人のみのようだ。改札口は見窄らしい裏口のようのところであり、駅員に確認すると「駅の出口はここしかありません」と言う。駅員の対応からしても、そもそもこの駅で降りる乗客は滅多にいない感じだ。
駅の外に出ると、前には谷川が流れているだけで道のようなものは見あたらない。スマホでG GPSを確認すると、高野山に向かうには南海電鉄に沿って少し戻ったところにある橋を対岸に渡る必要があるようだ。駅の下を潜り抜けると、すぐに鮮やかな朱色の極楽橋が目に入った。
まずは舗装された不動坂を登ってゆく。すぐに谷奥に静かなひっそりと佇む瀧不動堂に到着する。ここからは山道となる。弁天岳に到着すると、山頂の小さなお堂の前では行者姿の一人の男性が念仏を唱えておられた。その傍らにはハイキング姿の若い女性が佇み、景色を眺めるでもなく、みじろぎもせずに樹々の新緑を見つめておられる。念仏を唱えていた男性が立ち去ると今度はその女性がお堂の前に立ち、真言を唱え始めた。その若い女性の格好と真言を唱える姿との乖離に大きな驚きを禁じ得なかった。
弁天岳から南に降るとすぐにも右手に大きく展望が広がる。遠くに紀伊水道と思われる蒼い海が見えるのが意外だった。緩やかに尾根を降るとすぐに大門に到着する。門の前ではまだ八重桜が咲いていた。大門はその名の通り、かなりの大きさだ。大門をくぐり新緑の参道に入ると、その脇では多くの石楠花が満開だ。
高野山の街並みに入るとまずはファミリーマートで今夜のビールを求め、既に凍らせたジュースを入れてある保冷袋にしまいこむ。高野山の金堂や根本大塔のあたりは当然ながら多くの観光客で賑わっており、外国人の姿も目立つ。
金剛峯寺にお参りを済ませるといよいよ小辺路に出発である。ところが早速にも小さな失敗をやらかす。小辺路に向かうためには金剛三昧院の手前を右に分岐する小道に入る必要があったのだが直進して金剛三昧院の前に出てしまう。ここで大人しく引き返せば良かったものを、金剛三昧院の南で合流することが出来るだろうと先に進むが、道はトンネルでろくろ峠の下をくぐり抜けてしまう。トンネルの南側から植林の急斜面を登り、ようやく小辺路のルートに乗ることが出来る。
少し歩くと前を行く単独行の男性に追いつく。徳島から来られたそうで、登山の経験はほとんど無いがyoutubeにアップされている小辺路歩きをみて来られたとのこと。伯母子岳の山頂でテン泊を考えておられるらしい。
男性と話をしながら歩いているうちに電波塔にたどり着く。どうやら薄峠の分岐を見過ごしてしまったようだ。左手の植林の尾根を降ると林道に着地することが出来る。ルート・ロスに関しては私の責任もあるのだが、一般登山道でないところを歩かれたご経験はないようで、ルートへの復帰を感謝される。男性とお別れして先に行かせて頂く。
御殿川の流れる谷まで下降すると、川沿いには多くのクリンソウが咲いていた。小さな橋で川を渡り、対岸の尾根に登り返すとすぐにも舗装路が現れる。道路を進むと忽然と小さな集落が現れる。舗装路はこの集落にたどり着くための道であった。
集落に入ったところで小さな東屋があった。ご夫婦と思われる二人が休憩しておられた。今日は大股の集落までで、野迫川温泉のホテルが迎えに来て下さるそうだ。集落には人の気配がなかったが猫がいるところからすると人が住んでおられるのだろう。
緩やかに新緑の斜面をトラバースしながら登ってゆくと突然、賑やかな車道に出る。頻繁にオートバイがエンジンの爆音を立てながら通過してゆく。高野龍神スカイラインだ。運転者たちに「小辺路、歩行者あり」と注意を喚起する標識はあるものの、歩道などはない。道路からの展望は良いが、この区間を少しでも早く通過しようと黙々と先を急ぐ。
1.5kmほど歩いたところで水ヶ峰への分岐が見えるとようやく一安心する。登り始めるとすぐに数組の女性パーティーに追いつく。一人の女性が「この先に熊がいるんですって」と仰る。熊を見たというテン泊装備の若い男性が戻って来られ、スマホの写真で教えてくださる。熊は樹の上にいるようなので「それは心配ないでしょう」と申し上げて通過することにする。
近づくと樹の上にいる熊はまだ若い個体のように見える。熊が樹の下に降りるまでは時間を要するであろうから、襲われる可能性はまずないだろう。そう思えるからかもしれないが、樹の上で寛ぐ熊の仕草は可愛らしく思えるのだった。私が無事通過したのを見て安心したのか、後ろから女性達のパーティーもやってくる。
少し進むと尾根上の舗装道と合流する。こんなところに車道が・・・と驚くが先ほどの高野龍神スカイラインと野迫川ホテルのあるあたりを結んでいる道路だ。尾根が下りに差し掛かると車道から大股の集落へと下降する山道が分岐する。斜面を下降してゆくと前をゆくテン泊装備の単独行の女性がおられる。やはり今日は伯母子峠でテン泊の予定だそうだ。
大股の道路に出ると橋の手前に自動販売機がある。自動販売機の前には数本の缶やペットボトルが置いてあるのは、なかなかゴミを回収しに来ないからだろう。
萱小屋は実に雰囲気の良い広場となっている。薪ストーブのある小屋の中には一人の男性がおられる。小屋には13時半頃に到着されたらしいが、今日はここで泊まるとのこと。小屋の裏に水が引かれた水槽の中ではビールとジュースが冷やされている。ビールはひと缶¥300だが、残っているのはキリンののどごし生のみであった。
萱小屋から先に進むとおそらくは朝に十津川を出発して来られたものと思われる登山者達と続々とすれ違う。最後にすれ違った男性が「こんなに人が多いのは初めてや」と仰るので「先に何人か歩いているんですか」と聞くと「この先で7〜8人すれ違ったで」とのこと。伯母子峠はテン泊の人達で相当に多そうだ。
伯母子岳の山頂が近づくと樹々はまだ芽吹き始めたばかりのようだ。三葉躑躅の花が目立つ。山頂に到着したのは16時過ぎであった。樹木のない山頂から広がる360度の好展望を眺めながら一息つく。東には大らかな山容の八経ヶ岳とその右手に釈迦ヶ岳が鋭いピークを見せている。南に見えるのは牛廻山とその彼方に延々と連なる山並みは果無山脈だろう。どこまでも重畳と連なる山並みに紀伊半島の最も奥深い山の一つに来たという感慨を感じる。
山頂にはテントひと張り分の平坦なスペースがある。この日は空には雲がほとんどなく、この山上からは相当に綺麗な夕方の景色が期待できそうだ。しかし問題は風がそれなりにあり、しかもかなり冷たく感じられることだ。この時間でこれだけ風が冷たいのであれば夜は相当に冷え込むことになるだろう。山頂でしばらく逡巡したが、当初の計画を変更して先に進むことにする。同時に小辺路に加えて中辺路を縦走して那智まで足を伸ばすことを決めるのだった。
尾根を下がると風も弱まり、急に温度も温かく感じられるようになる。尾根上には次々とブナの大樹が現れる。上西旅籠跡は広々と草地が広がりテント適地だ。小辺路の縦走であればここにテントを張るのもいいだろうが、既に頭の中の計画は中辺路までの縦走にリセットされている。
ここで先を歩かれる男性に追いつく。男性は三浦峠まで行きたいと思っているが、まずは五百瀬まで下降してビールを飲みたいという。なんと五百瀬には酒屋があるらしい。男性の話ではコロナ禍で店を閉めていたようだから、果たして再開していないかどうかが心配ではあるが・・・とのことだった。男性のリュックはかなりコンパクであるが、自立式のツェルトを携行しているという。
上西旅籠跡の先にあるca1070mのピークも樹林の間に平坦な広地があり、ここもテン泊適地に思われた。ca1070mを過ぎると道は尾根の東側斜面をトラバースしながら三浦口に下降してゆく。左手に見える対岸の斜面の新緑が夕陽に照らされて黄金色に輝いている。尾根が末端に近づくと深い谷間に向かって急下降してゆくことになる。
三浦口が近づくと道の真ん中でテントを張っている方がおられた。この時間には通過する登山者がいないと考えてのことなのかもしれないが、こういうメジャーな登山道は真夜中でも歩かれる登山者がいてもおかしくないだろう。
三田谷のバス停のある県道に着地したのは18時過ぎ。バスは下流の川津から少し上流にある杉清まで平日は昼と夕の二本のみ、土日は夕方のみ十津川村営バスが運行されている。下山後に確認してみたが平日のバスはいずれも五条から十津川に向かうバスにギリギリで接続しない。
ここから三浦口まで800mの車道歩きとなる。すぐに五百瀬の集落に着くが、酒屋の看板はあるものの店の周囲は雨戸で囲われており、既に廃屋となって久しいようだった。三浦口に到着すると船渡橋と呼ばれる吊橋の前の茂みの中に小さな蛇口があり、不規則に水が出ていた。橋の右手の大きな建物にはコカコーラの自動販売機と原木栽培の椎茸の無人販売所があるが、椎茸は全く売られていなかった。
橋を渡ると西の空にかかる雲が茜色に輝いたかと思うと、急速に色褪せていった。少し歩くとすぐに平坦な草地が現れる。その奥で生えている植物があるので、何か栽培されているのかと思って近づいてみると一面に蕨が生えているのだった。これはテントを張るのに格好の場所だと思い、リュックから荷物を広げたところでテントのペグがないことに気が付く。今回、携行したテントはワンポール・テントなのでペグがないと使えないのである。茫然自失している私の傍を先ほどの男性が傍を通り過ぎてゆく。
竹箸が最低4本あれば箸をペグの代わりにしてテントを張ることを思いつくが、生憎、箸は4本しかない。この箸を使ってしまうと夕食を食べることが難しい。三浦峠まで上がれば東屋があるので、そこで寝ることが出来るかと考え、荷物をしまい再び歩き始める。しかし、すぐにも登山道沿いの廃屋に格好の縁側のある廃屋が現れるので、ここで野宿させてもらうことにした。
深夜に熊鈴の音で目が醒める。もののけでも出たかと思ってびっくりしたが、この時間に歩いている人がいるようだ。時間を確認すると22時すぎであった。煌々と月があたりを照らしていた。
【二日目】
目が覚めるとあたりはすっかり明るくなっていた。驚いたことに家の庭には多くの人がいる。老夫婦の傍らには若夫婦、そして孫と思われる多くの子供達もいる。慌てて飛び起きると、無断で縁側で寝ていた私に対して「よくいらした」とにこやかな笑みを浮かべておられる・・・夢だった。再び目が覚めて時間を確認すると3時前だ。庭先を明るく照らしていた月の光は消え、暗闇が広がっている。
湯を沸かし、インスタント・コーヒーとパンで朝食を済ますと三浦峠への登りに取り掛かる。すぐにも登山道沿いには立派な杉の大木が現れる。案内板によると吉村家の防風林とのことだ。林の中は上の方から熊鈴の音にも似た規則的な反復音が聞こえる。アオバズクの鳴き声のようだ。
暗闇の中からは確かにもう一つ、金属的な音が聞こえる。まさか・・と思ったが、まもなく先を歩いている男性の姿が目に入るとようやく安心する。昨日の夕方に出遭った方だった。私が泊まった廃屋のすぐ上で、やはり廃屋の庭先でツェルトを張られたらしい。
三浦峠に到着すると、東屋の近くにはテントが多く張られている。多くのテントの主が外に出て朝食を摂られているところのようだった。三浦峠には林道が続いている。林道を辿ると登り坂が続いている。これはおかしいと思って地図を見直すと、熊野古道は三浦峠からすぐに南下することになっている。
再び峠に戻ると峠の手前に左手に下降する道が目に入る。15分ほどのタイムロスだ。丁度、先ほどの男性が峠に到着されたところだった。空がかなり明るくなり、正面に伯母子岳を望むことが出来る。ここで落ち着いて歯磨きをしてから再び出発することにする。
トイレには4/10に三浦口の民宿から十津川温泉に向かって出発するも行方不明になってしまった外国人女性の張り紙が出ていた。道に迷うような場所はあまりないように思われたが、私と同様に林道を先に進んでしまったのではないだろうか。
三浦峠からは最初は谷筋を九十九折りに下降して行くが、次第に尾根の西側斜面をトラバースしならが下るようになる。尾根の上を歩くようになると随所で東側に展望が広がり、朝陽が東側の尾根の上に昇ってゆくのが見える。
西中のバス停に到着したのは6時半前、ここから果無峠への登山口まではおよそ8km、コースタイム上は2時間を要する。50分待てば十津川温泉行きの村営バスが7時17分あるようだが、急ぐ旅ではない。この小辺路はすべて自分の脚で踏破したいところだ。
道路沿いの民家では外に出ている人が多く、驚くほど愛想よく「お早うございます」と声をかけて下さる。道路沿いには水場が頻繁に現れる。朝の空気は清々しく、長い舗装路歩きには丁度よい。
串崎の集落を過ぎると道路の上では猿の群れが体を温めていた。遠くに私の姿を認めると慌てて法面に貼られた金網のフェンスを攀じ登って山の中に逃げ込んでいく。すぐ後ろから村営バスが追い越していった。
昴の郷に到着すると、日帰り入浴は12時〜15時と案内が出ている。伯母子峠で泊まった場合には丁度良い頃合いにここにここに到着することが出来るかもしれない。温泉の前には広々とした広場に休憩所、トイレがあり、幾つもの自動販売機がある。
果無集落への吊橋に向かうと向こうからテント泊装備の外国人のパーティーがやってくる。果無集落に向かうと朝に十津川温泉を出発したものと思われる登山者が多く歩いている。果無集落の中の水場に到着すると「中に小さなカエルがいる」と若い女性三人のパーティーが歓声を上げていた。
前回、果無山脈を延々と縦走してこの集落に到着した時は梅雨明けであり、暑さに辟易した憶えがあるが、この日は集落の中には涼しい微風が吹いている。それでも集落を過ぎて果無峠への登りにかかると早速にも汗が噴き出す。路傍には三十三観音の石仏が安置されているが、石仏達の愛くるしい表情には思わずこちらも笑顔になる。
観音堂に到着したのは9時半過ぎ、丁度、先行する白装束の男性が到着されたところだった。男性はまずお堂の前で真言を唱えてお祈りされる。お堂の上では石楠花の花が満開であった。観音堂の前から湧き出す清冽な水を補給し、行動食でしばし休憩する。
行者姿の男性は前日は伯母子峠を出発し、十津川温泉の民宿に予約なしで訪れたとのことだったが運よく空室があったらしい。宿は今日からは満室とのこと。伯母子峠でのテン泊は夜は非常に寒かったとのことだった。男性によると小辺路を縦走する人たちの間ではこの観音堂もテン泊地として人気の場所らしい。以前に小辺路を縦走されたアオバトさんがここにテントを張られたとお伺いしていたので、私も当初、その計画だったのだが、今回は計画を変更して良かったのだろう。というのも、ここにを張ることが出来るテントはせいぜい4張り程に過ぎないだろうから。
観音堂を過ぎると果無峠まではもう一息だ。峠からの下りを進むと登山道沿いには満開のシャクナゲを多く見かけるようになる。尾根は長く感じられるが、途中の展望台から熊野川とその広々とした河原が視界に入ると遂に熊野本宮の地に来たかという感慨が湧きおこる。
八木尾に出るとすぐ後ろから続いて単独行の男性が降りて来られる。バス停の隣に公衆電話があるので自宅に電話をかけ、電話口に出た娘に行程の変更を伝える。前を歩く男性はほぼ私と同様の歩調のようだ。道の駅に到着したところで、12時の時報がなる。ここで男性と共に少し休憩する。昨夜は三浦峠にテン泊だったらしい。
あとは本宮まではわずかな距離だ。三軒茶屋跡に至ると多くの人がいる。多くはハイキングのスタイルではなく、普通の格好だ。発心門王子から中辺路を歩いて来られた観光客なのだろう。再び山道となるが広く緩やかな道が続いており、歩きやす靴であれば問題なく歩くことが出来るだろう。
途中の展望台に立ち寄ると眼下に大斎原の巨大な鳥居が見える。休憩しておられた男性の若者三人が丁度、立ち去るところであった。「ここは気持ち良いのでなかなか去り難い」という声で聞こえてくる。
緩やかに坂を下ってゆくと本宮に裏門から入ることになる。本宮の境内に入るとここが辺鄙な山奥であるということを忘れそうになるほどに大勢の人を見かける。ここでもかなりの多くの外国人の姿を見かけるのだった。
上四社と呼ばれる四つの社殿があるが、お参りをするのにもそれぞれに二十人ほどずつの行列が出来ている。列の後ろから簡単にお参りを済ませると授与所で娘の合格祈願のお守りを買って引き上げる。参詣のあとは本宮の門前の珍重庵でとろろそばにありつく。
食後は大斎原にお参りをする。元来はこの地に中下四社が祀られていたが、明治22年の大水害により社殿が倒壊してしまったらしい。かつては壮麗な社殿が立ち並んでいたであろう広大な敷地は一面に緑の芝生の草原が広がっているが、いかにも神聖な雰囲気が漂っていた。
本宮前に戻ると観光案内所で中辺路のガイドマップの冊子を頂く。かなり詳細に説明が付け加えられた地図が載っており、GPSが使えない不安が一気に解消する。小辺路とは異なり、中辺路には頻繁に休憩所があることは知ってはいたが、休憩所のポイントが記されているので、今夜の宿泊地を探すのに格好だ。ついでに小辺路の冊子も頂戴する。これがあったら昨日のルート・ロスもなかったかもしれない。
中辺路に出発する前にひと汗流したかったので、川湯温泉に寄り道する。川湯温泉の公衆浴場は温泉であることを疑うほどに古びた建物であり、狭い階段を登ったところに入口がある。いかにも昭和の雰囲気であるが、料金も昭和のスタイルだ。つい最近になって大人は¥300に値上がりしたというが、それまではいくらだったのだろう。
以前、長男と共に奥駈道を辿って本宮にたどり着いた時には渡瀬温泉の大露店風呂に浸かったのだが、温泉はほぼ同様の泉質であり、微かに硫黄臭のする柔らかな温泉であった。お湯の温度が高く長くは入っていられないが、ひと汗を流す分には程よいところであった、それにしても温泉の効能は偉大だと思う。ここまで既にに70kmほど歩いたところでさすがに足に疲労を感じていたのだが、わずかな入浴ですっかり回復したような気がする。
川湯温泉から歩き始めるとすぐに対岸に大きなキャンプ場が現れる。流石に大勢のキャンパー達で賑わっていた。人が少なければかなりいいキャンプ地だろう。およそ20分ほど歩いて請川に到着すると、嬉しいことに国道沿いにデイリーヤマザキのコンビニがある。
既に本宮前のコンビニでビールを一本入手してはいたのだが、冷凍のペットボトルが売られていたので熊野古道ビールと共に購入する。ついでにもう一本。中辺路に出発する前にまず店の横のベンチで一本を開ける。請川の中辺路の登山口には小さな店がある。鳥そばなるものが売られているので気になるところではあるが、残念ながら時間が中途半端だ。
小雲取越と呼ばれる標高400m代の山越えの道に入ると新緑の自然林の中を緩やかに登る快適な道が続いている。ただ登山道にはシイの花の濃厚な匂いが漂う。果たしてこの匂いを心地よいと感じる人がいるのだろうか。標高が上がるにつれてシイの匂いは感じられなくなり、尾根上には涼しい風が吹き渡るようになる。
百間ぐらと呼ばれる展望地に辿り着くと、西の空に傾いてゆく太陽が重畳と連なる山々のシルエットを浮かび上がらせていた。
林道と交差し、小雲取山の小ピークを過ぎると道は尾根の東側をトラバースするようになると、それまでの夕陽が照らされた明るい樹林とはうってかわって、急に薄暗くなる。石堂茶屋跡には長いテーブルがあるが、なぜか陰鬱な場所に思われた。次の桜茶屋跡の休憩所は正面が開けており、明るい雰囲気ではあるが、風が吹き込みそうな気がしたので、小和瀬まで降りることにする。小和瀬にかけては石段や石畳が頻繁に現れる。急速に夜の帳が下りくる中を急ぎ足で下る。
小和瀬は街灯はあるものの民家が見当たらない。川を渡ると空にはわずかに残照の名残りが見られる。ガイドマップの記載の通り小さな東屋があるので、ここで泊まることにする。有難いことに道路は達る車もほとんどなく、静かな雰囲気だ。まずはビールの供にソーセージを温める。ついで牛肉と供にキノコ、パプリカをソテーし、後半は塩おにぎりを投入してリゾット風にする。夜は風も寒さも感じられず、朝までよく眠ることが出来た。
【三日目】
出発する前に橋のたもとにある案内板を読むと、小口が歴史に初めて登場する文献として西行法師歌が紹介されている。「雲取や志古の山路はさておきて小口が原のさびしからぬか」。山家集に収められた歌で、那智から熊野本宮に戻る道中にて詠んだものらしい。その情報による先入観のせいか朝の黎明の中に浮かび上がる小口の集落はなんとも寂しげな場所に思われるのだった。
小口から大雲取越の道に入るとすぐにも苔むした石畳の道となる。驚いたのはその道が延々と続くことだ。果たしてどれくらいの年月をかけて作られたものだろう。この石を敷き詰めた人々を動かした熊野への篤い信仰の心に今さらながらに感服せざるを得ない。ここまで歩いてきた中で最も熊野古道らしい趣があるのがこの区間と言えるだろう。この熊野古道歩きを魅力的にしているのが道程の長さではなく、道そのものの魅力にあることに思い至る。
円座石を過ぎたあたりで古道を写真に撮ることが出来るほどに明るくなる。道の両側には古い旅籠か住居の跡と思われる苔むした石垣がいくつも現れる。中辺路を往来する人々によるかつての賑わいが偲ばれる。
やがて植林の中の登り坂になっても苔むした石段が延々と続く。胴切坂という不吉な名称の坂は中辺路における最大の難所らしい。最高地点となる越前峠は標高860mであり、小口から標高差800mほどを一気に登ることになる。峠から先に進むと見慣れない赤紫色の小さなツツジ系の花が多く咲いている。この山域によく咲く雲仙躑躅の花らしい。紀州米躑躅と呼ばれることもあるようだ。
小さな鞍部を挟んで再び石段を登り返すと石倉峠に到着する。峠から降ったところにある地蔵茶屋跡の休憩舎はそれまでの東屋ではなく、中には水道も台所もあり電気もつく立派な小屋だ。小屋の前には2台の車が停められており、小屋の前では四人の男性が談笑しておられた。
ここからはしばらく舗装路の登りとなる。この大雲取越における最高地点となる舟見茶屋跡に到着するトレラン・スタイルの男性が休憩しておられた。茶屋跡からは芒洋と広がる海に突き出した小さな半島が視界に入る。紀伊勝浦のあたりだろう。私が海に見入っていると、後ろからトレランの男性が「ここからの景色は感動的ですよね」と仰るが御意である。ましてや遥々と高野山から縦走して来た者にとってはなおさらだ。
あとは那智大社を目指してひたすら下ることになる。この中辺路は小辺路と違って歩く人が少ないものと思っていたが、豈図らんや、途端に多くの登山者とすれ違うことになる。那智大社の直前で先を歩かれる一人の男性に追いつく。高野山から四泊五日で縦走して来られたらしく、前日は地蔵茶屋跡で泊まられたようだ。先ほどの人達は地元の高校の山岳部のOBで昨夜は宴会だったらしい。
那智大社に入るとやはり多くの参詣客で賑わっている。大社の前には簡単にお参りを済ませて那智の滝に向かう。ここでは自転車乗りの外国人の大集団が訪れていた。
観光客で賑わう那智の山からは杉の大樹が立ち並ぶ大門坂を降り、那智の海を目指す。熊野古道は長閑な田園風景の中を海辺の補陀落寺を目指して続いている。普段はここを歩く人は少ないのだろうが、後ろから自転車に乗った外国人達が次々と追い越していく。
補陀落寺は小さな堂宇の静かな寺であった。寺守の男性が「ようこそお参り下さいました」とお声がけ下さる。寺の内陣は自由に拝観できるようになっている。寺の隣にある浜の王子の参道では大きなクスノキが枝を涼しげに広げていた。
那智の駅前にある道の駅には温泉があるが、営業はなんと15時からとなっている。国道の手前には酒屋があり、店は空いていなかったが店の前の自動販売機で熊野古道麦酒を一缶手に入れる。紀勢線の線路の下をく潜ると途端に目の前には広々とした砂浜と紺碧の海が広がる。砂浜を洗う波はそれが太平洋のものであるということが信じられないほどに穏やかであった。海岸のベンチで聞こえてくる穏やかな波の音を聴きながら麦酒を傾ける。至福の瞬間だった。
次の各駅停車で紀伊勝浦で途中下車をすると丁度、ランチの時間と重なったせいか食事の出来る店の前はどこも行列している。行列が少なかった店に並ぶことにする。私の後で列に並んだ男性達の会話から人気店であることを知るが、この店を選んだのは店の前に掲げられていた紀州の日本酒のメニューに惹かれたからだ。客はおしなべて鮪丼を注文するようだったが、躊躇なくイルカの刺身と日本酒「熊野三山」を注文する。
店でのんびりと舌鼓を打つ間に気がつくと特急の時間が近づいていた。近くの酒屋で「南方」「超久」「黒牛」を入手し、リュックに詰め込むと、パンダの絵柄の特急に乗り込む。車窓に現れる次々と小さな入江を眺めながら、紀州の山路への憧憬の念を強く感じるのだった。
【熊野】熊野古道(小辺路+中辺路)☆高野山より那智の海を目指して
フォーラムルール
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
-
- 記事: 539
- 登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
- お住まい: 京都市左京区
Re: 【熊野】熊野古道(小辺路+中辺路)☆高野山より那智の海を目指して
山猫さん、こんにちは。ようこそ熊野へ!
車内で前日の京都の北山での山行記をスマホを使って書いていたのだが、結果的にはこれがとんだ蛇足であった。登山の前にスマホを充電しようとモバイル・バッテリーを接続したところ、十分に充電されていると思い込んでいたバッテリーがほとんど残量がないことに気が付く。スマホは到底、三日は持たないであろうから、地図のみが頼りだ。
スマホで山行記を書く、私はスマホで長文を書くなんてできません。それだけですごいなあと思ってしまいます。
山中では何があるかわからないからできるだけスマホは温存しています。
まずは舗装された不動坂を登ってゆく。すぐに谷奥に静かなひっそりと佇む瀧不動堂に到着する。ここからは山道となる。弁天岳に到着すると、山頂の小さなお堂の前では行者姿の一人の男性が念仏を唱えておられた。その傍らにはハイキング姿の若い女性が佇み、景色を眺めるでもなく、みじろぎもせずに樹々の新緑を見つめておられる。念仏を唱えていた男性が立ち去ると今度はその女性がお堂の前に立ち、真言を唱え始めた。その若い女性の格好と真言を唱える姿との乖離に大きな驚きを禁じ得なかった。
人は見かけによらないってことですね。
高野山の街並みに入るとまずはファミリーマートで今夜のビールを求め、既に凍らせたジュースを入れてある保冷袋にしまいこむ。高野山の金堂や根本大塔のあたりは当然ながら多くの観光客で賑わっており、外国人の姿も目立つ。
なるほど!凍らせたジュースが保冷剤になるんですね。私も今度試してみます。
私も4月に高野山に行きましたが、欧米系の観光客が増えましたね。
金剛峯寺にお参りを済ませるといよいよ小辺路に出発である。ところが早速にも小さな失敗をやらかす。小辺路に向かうためには金剛三昧院の手前を右に分岐する小道に入る必要があったのだが直進して金剛三昧院の前に出てしまう。ここで大人しく引き返せば良かったものを、金剛三昧院の南で合流することが出来るだろうと先に進むが、道はトンネルでろくろ峠の下をくぐり抜けてしまう。トンネルの南側から植林の急斜面を登り、ようやく小辺路のルートに乗ることが出来る。
熊野古道のような人気ルートはつい地図での確認をしないで思い込みで行ってしまうことがありそうですね。
緩やかに新緑の斜面をトラバースしながら登ってゆくと突然、賑やかな車道に出る。頻繁にオートバイがエンジンの爆音を立てながら通過してゆく。高野龍神スカイラインだ。運転者たちに「小辺路、歩行者あり」と注意を喚起する標識はあるものの、歩道などはない。道路からの展望は良いが、この区間を少しでも早く通過しようと黙々と先を急ぐ。
私はスカイラインを車で走っているときにハイカーを目にしたことがよくあります。
こんな所歩きたくないなあと思ってしまいます。しかたないですが。
1.5kmほど歩いたところで水ヶ峰への分岐が見えるとようやく一安心する。登り始めるとすぐに数組の女性パーティーに追いつく。一人の女性が「この先に熊がいるんですって」と仰る。熊を見たというテン泊装備の若い男性が戻って来られ、スマホの写真で教えてくださる。熊は樹の上にいるようなので「それは心配ないでしょう」と申し上げて通過することにする。
熊.JPG
近づくと樹の上にいる熊はまだ若い個体のように見える。熊が樹の下に降りるまでは時間を要するであろうから、襲われる可能性はまずないだろう。そう思えるからかもしれないが、樹の上で寛ぐ熊の仕草は可愛らしく思えるのだった。私が無事通過したのを見て安心したのか、後ろから女性達のパーティーもやってくる。
いやあ、樹の上に熊がいたら怖くて通過できません。女性たちは山猫さんに出会ってよかったですね。
伯母子岳の山頂が近づくと樹々はまだ芽吹き始めたばかりのようだ。三葉躑躅の花が目立つ。山頂に到着したのは16時過ぎであった。樹木のない山頂から広がる360度の好展望を眺めながら一息つく。東には大らかな山容の八経ヶ岳とその右手に釈迦ヶ岳が鋭いピークを見せている。南に見えるのは牛廻山とその彼方に延々と連なる山並みは果無山脈だろう。どこまでも重畳と連なる山並みに紀伊半島の最も奥深い山の一つに来たという感慨を感じる。
伯母子岳より.JPG
伯母子岳は20年くらい前に大股から往復で登ったことがあります。本当に展望のいい山ですね。
山頂にはテントひと張り分の平坦なスペースがある。この日は空には雲がほとんどなく、この山上からは相当に綺麗な夕方の景色が期待できそうだ。しかし問題は風がそれなりにあり、しかもかなり冷たく感じられることだ。この時間でこれだけ風が冷たいのであれば夜は相当に冷え込むことになるだろう。山頂でしばらく逡巡したが、当初の計画を変更して先に進むことにする。同時に小辺路に加えて中辺路を縦走して那智まで足を伸ばすことを決めるのだった。
すごい!
橋を渡ると西の空にかかる雲が茜色に輝いたかと思うと、急速に色褪せていった。少し歩くとすぐに平坦な草地が現れる。その奥で生えている植物があるので、何か栽培されているのかと思って近づいてみると一面に蕨が生えているのだった。これはテントを張るのに格好の場所だと思い、リュックから荷物を広げたところでテントのペグがないことに気が付く。今回、携行したテントはワンポール・テントなのでペグがないと使えないのである。茫然自失している私の傍を先ほどの男性が傍を通り過ぎてゆく。
私は以前中央アルプスを縦走した時に、持って行ったテントとは別のテントのポールを持って行ったことがあります。しかたなく小屋泊りにしましたが・・・
ポールを忘れたという人もいます。
それ以来テント装備の確認は大事だと思いました。
深夜に熊鈴の音で目が醒める。もののけでも出たかと思ってびっくりしたが、この時間に歩いている人がいるようだ。時間を確認すると22時すぎであった。煌々と月があたりを照らしていた。
たまに真夜中でも歩いているレコを見ます。
熊野古道ならなおさら整備された道だからいるかもしれませんね。
目が覚めるとあたりはすっかり明るくなっていた。驚いたことに家の庭には多くの人がいる。老夫婦の傍らには若夫婦、そして孫と思われる多くの子供達もいる。慌てて飛び起きると、無断で縁側で寝ていた私に対して「よくいらした」とにこやかな笑みを浮かべておられる・・・夢だった。再び目が覚めて時間を確認すると3時前だ。庭先を明るく照らしていた月の光は消え、暗闇が広がっている。
夢でしたか。実際に昔あった光景かもしれませんね。
三浦峠に到着すると、東屋の近くにはテントが多く張られている。多くのテントの主が外に出て朝食を摂られているところのようだった。三浦峠には林道が続いている。林道を辿ると登り坂が続いている。これはおかしいと思って地図を見直すと、熊野古道は三浦峠からすぐに南下することになっている。
以前歩いた中辺路では二股の道のところに「ここは熊野古道ではありません。」という立て札を見たことがあります。
トイレには4/10に三浦口の民宿から十津川温泉に向かって出発するも行方不明になってしまった外国人女性の張り紙が出ていた。道に迷うような場所はあまりないように思われたが、私と同様に林道を先に進んでしまったのではないだろうか。
この方、もう10日もたっているのに見つかっていないようですね。
単なる道迷いなんでしょうか。心配ですね。
八木尾に出るとすぐ後ろから続いて単独行の男性が降りて来られる。バス停の隣に公衆電話があるので自宅に電話をかけ、電話口に出た娘に行程の変更を伝える。前を歩く男性はほぼ私と同様の歩調のようだ。道の駅に到着したところで、12時の時報がなる。ここで男性と共に少し休憩する。昨夜は三浦峠にテン泊だったらしい。
最近、公衆電話がめっきり減りましたね。ラッキーでしたね。
大峰では家族に連絡がないと遭難騒ぎになったようです。
食後は大斎原にお参りをする。元来はこの地に中下四社が祀られていたが、明治22年の大水害により社殿が倒壊してしまったらしい。かつては壮麗な社殿が立ち並んでいたであろう広大な敷地は一面に緑の芝生の草原が広がっているが、いかにも神聖な雰囲気が漂っていた。
大斎原、凛とした空気が流れていて大好きな場所です。
小和瀬は街灯はあるものの民家が見当たらない。川を渡ると空にはわずかに残照の名残りが見られる。ガイドマップの記載の通り小さな東屋があるので、ここで泊まることにする。有難いことに道路は達る車もほとんどなく、静かな雰囲気だ。まずはビールの供にソーセージを温める。ついで牛肉と供にキノコ、パプリカをソテーし、後半は塩おにぎりを投入してリゾット風にする。夜は風も寒さも感じられず、朝までよく眠ることが出来た。
すごいごちそうですね!
小口から大雲取越の道に入るとすぐにも苔むした石畳の道となる。驚いたのはその道が延々と続くことだ。果たしてどれくらいの年月をかけて作られたものだろう。この石を敷き詰めた人々を動かした熊野への篤い信仰の心に今さらながらに感服せざるを得ない。ここまで歩いてきた中で最も熊野古道らしい趣があるのがこの区間と言えるだろう。この熊野古道歩きを魅力的にしているのが道程の長さではなく、道そのものの魅力にあることに思い至る。
道は歩かれてこそ道ですね。
昔は小口の人たちはお正月に歩いて那智山まで行ったそうです。生活道でもあったんですね。
あとは那智大社を目指してひたすら下ることになる。この中辺路は小辺路と違って歩く人が少ないものと思っていたが、豈図らんや、途端に多くの登山者とすれ違うことになる。那智大社の直前で先を歩かれる一人の男性に追いつく。高野山から四泊五日で縦走して来られたらしく、前日は地蔵茶屋跡で泊まられたようだ。先ほどの人達は地元の高校の山岳部のOBで昨夜は宴会だったらしい。
熊野古道で一番歩かれるのが中辺路だと思います。
観光客で賑わう那智の山からは杉の大樹が立ち並ぶ大門坂を降り、那智の海を目指す。熊野古道は長閑な田園風景の中を海辺の補陀落寺を目指して続いている。普段はここを歩く人は少ないのだろうが、後ろから自転車に乗った外国人達が次々と追い越していく。
この県道、熊野古道が世界遺産になってから歩く人が増えました。
地元の私は歩いたことありませんが・・・
那智の駅前にある道の駅には温泉があるが、営業はなんと15時からとなっている。国道の手前には酒屋があり、店は空いていなかったが店の前の自動販売機で熊野古道麦酒を一缶手に入れる。紀勢線の線路の下をく潜ると途端に目の前には広々とした砂浜と紺碧の海が広がる。砂浜を洗う波はそれが太平洋のものであるということが信じられないほどに穏やかであった。海岸のベンチで聞こえてくる穏やかな波の音を聴きながら麦酒を傾ける。至福の瞬間だった。
海.JPG
那智浜はいい所ですね。
友人はここでお寿司を食べていたらトンビに食い逃げされたそうです。
次の各駅停車で紀伊勝浦で途中下車をすると丁度、ランチの時間と重なったせいか食事の出来る店の前はどこも行列している。行列が少なかった店に並ぶことにする。私の後で列に並んだ男性達の会話から人気店であることを知るが、この店を選んだのは店の前に掲げられていた紀州の日本酒のメニューに惹かれたからだ。客はおしなべて鮪丼を注文するようだったが、躊躇なくイルカの刺身と日本酒「熊野三山」を注文する。
店でのんびりと舌鼓を打つ間に気がつくと特急の時間が近づいていた。近くの酒屋で「南方」「超久」「黒牛」を入手し、リュックに詰め込むと、パンダの絵柄の特急に乗り込む。車窓に現れる次々と小さな入江を眺めながら、紀州の山路への憧憬の念を強く感じるのだった。
私は和歌山の日本酒では黒牛が一番好きです。
小辺路から一気に那智までなんてすごいなあ。
私は小辺路は部分的にちょっと歩いただけです。
高野山まで電車を使って行くのが面倒で・・・
中辺路は滝尻から本宮まで何回か歩いたし、特にここの大雲取小雲取越えは10回以上歩いています。
昔の人が祈りながら歩いた巡礼の道。
いろいろな人の想いがあちらこちらに漂っているようにも感じられます。
私の地元がレコに上がってうれしいです。
また機会がありましたら熊野にいらしてくださいね。
tsubo
車内で前日の京都の北山での山行記をスマホを使って書いていたのだが、結果的にはこれがとんだ蛇足であった。登山の前にスマホを充電しようとモバイル・バッテリーを接続したところ、十分に充電されていると思い込んでいたバッテリーがほとんど残量がないことに気が付く。スマホは到底、三日は持たないであろうから、地図のみが頼りだ。
スマホで山行記を書く、私はスマホで長文を書くなんてできません。それだけですごいなあと思ってしまいます。
山中では何があるかわからないからできるだけスマホは温存しています。
まずは舗装された不動坂を登ってゆく。すぐに谷奥に静かなひっそりと佇む瀧不動堂に到着する。ここからは山道となる。弁天岳に到着すると、山頂の小さなお堂の前では行者姿の一人の男性が念仏を唱えておられた。その傍らにはハイキング姿の若い女性が佇み、景色を眺めるでもなく、みじろぎもせずに樹々の新緑を見つめておられる。念仏を唱えていた男性が立ち去ると今度はその女性がお堂の前に立ち、真言を唱え始めた。その若い女性の格好と真言を唱える姿との乖離に大きな驚きを禁じ得なかった。
人は見かけによらないってことですね。
高野山の街並みに入るとまずはファミリーマートで今夜のビールを求め、既に凍らせたジュースを入れてある保冷袋にしまいこむ。高野山の金堂や根本大塔のあたりは当然ながら多くの観光客で賑わっており、外国人の姿も目立つ。
なるほど!凍らせたジュースが保冷剤になるんですね。私も今度試してみます。
私も4月に高野山に行きましたが、欧米系の観光客が増えましたね。
金剛峯寺にお参りを済ませるといよいよ小辺路に出発である。ところが早速にも小さな失敗をやらかす。小辺路に向かうためには金剛三昧院の手前を右に分岐する小道に入る必要があったのだが直進して金剛三昧院の前に出てしまう。ここで大人しく引き返せば良かったものを、金剛三昧院の南で合流することが出来るだろうと先に進むが、道はトンネルでろくろ峠の下をくぐり抜けてしまう。トンネルの南側から植林の急斜面を登り、ようやく小辺路のルートに乗ることが出来る。
熊野古道のような人気ルートはつい地図での確認をしないで思い込みで行ってしまうことがありそうですね。
緩やかに新緑の斜面をトラバースしながら登ってゆくと突然、賑やかな車道に出る。頻繁にオートバイがエンジンの爆音を立てながら通過してゆく。高野龍神スカイラインだ。運転者たちに「小辺路、歩行者あり」と注意を喚起する標識はあるものの、歩道などはない。道路からの展望は良いが、この区間を少しでも早く通過しようと黙々と先を急ぐ。
私はスカイラインを車で走っているときにハイカーを目にしたことがよくあります。
こんな所歩きたくないなあと思ってしまいます。しかたないですが。
1.5kmほど歩いたところで水ヶ峰への分岐が見えるとようやく一安心する。登り始めるとすぐに数組の女性パーティーに追いつく。一人の女性が「この先に熊がいるんですって」と仰る。熊を見たというテン泊装備の若い男性が戻って来られ、スマホの写真で教えてくださる。熊は樹の上にいるようなので「それは心配ないでしょう」と申し上げて通過することにする。
熊.JPG
近づくと樹の上にいる熊はまだ若い個体のように見える。熊が樹の下に降りるまでは時間を要するであろうから、襲われる可能性はまずないだろう。そう思えるからかもしれないが、樹の上で寛ぐ熊の仕草は可愛らしく思えるのだった。私が無事通過したのを見て安心したのか、後ろから女性達のパーティーもやってくる。
いやあ、樹の上に熊がいたら怖くて通過できません。女性たちは山猫さんに出会ってよかったですね。
伯母子岳の山頂が近づくと樹々はまだ芽吹き始めたばかりのようだ。三葉躑躅の花が目立つ。山頂に到着したのは16時過ぎであった。樹木のない山頂から広がる360度の好展望を眺めながら一息つく。東には大らかな山容の八経ヶ岳とその右手に釈迦ヶ岳が鋭いピークを見せている。南に見えるのは牛廻山とその彼方に延々と連なる山並みは果無山脈だろう。どこまでも重畳と連なる山並みに紀伊半島の最も奥深い山の一つに来たという感慨を感じる。
伯母子岳より.JPG
伯母子岳は20年くらい前に大股から往復で登ったことがあります。本当に展望のいい山ですね。
山頂にはテントひと張り分の平坦なスペースがある。この日は空には雲がほとんどなく、この山上からは相当に綺麗な夕方の景色が期待できそうだ。しかし問題は風がそれなりにあり、しかもかなり冷たく感じられることだ。この時間でこれだけ風が冷たいのであれば夜は相当に冷え込むことになるだろう。山頂でしばらく逡巡したが、当初の計画を変更して先に進むことにする。同時に小辺路に加えて中辺路を縦走して那智まで足を伸ばすことを決めるのだった。
すごい!
橋を渡ると西の空にかかる雲が茜色に輝いたかと思うと、急速に色褪せていった。少し歩くとすぐに平坦な草地が現れる。その奥で生えている植物があるので、何か栽培されているのかと思って近づいてみると一面に蕨が生えているのだった。これはテントを張るのに格好の場所だと思い、リュックから荷物を広げたところでテントのペグがないことに気が付く。今回、携行したテントはワンポール・テントなのでペグがないと使えないのである。茫然自失している私の傍を先ほどの男性が傍を通り過ぎてゆく。
私は以前中央アルプスを縦走した時に、持って行ったテントとは別のテントのポールを持って行ったことがあります。しかたなく小屋泊りにしましたが・・・
ポールを忘れたという人もいます。
それ以来テント装備の確認は大事だと思いました。
深夜に熊鈴の音で目が醒める。もののけでも出たかと思ってびっくりしたが、この時間に歩いている人がいるようだ。時間を確認すると22時すぎであった。煌々と月があたりを照らしていた。
たまに真夜中でも歩いているレコを見ます。
熊野古道ならなおさら整備された道だからいるかもしれませんね。
目が覚めるとあたりはすっかり明るくなっていた。驚いたことに家の庭には多くの人がいる。老夫婦の傍らには若夫婦、そして孫と思われる多くの子供達もいる。慌てて飛び起きると、無断で縁側で寝ていた私に対して「よくいらした」とにこやかな笑みを浮かべておられる・・・夢だった。再び目が覚めて時間を確認すると3時前だ。庭先を明るく照らしていた月の光は消え、暗闇が広がっている。
夢でしたか。実際に昔あった光景かもしれませんね。
三浦峠に到着すると、東屋の近くにはテントが多く張られている。多くのテントの主が外に出て朝食を摂られているところのようだった。三浦峠には林道が続いている。林道を辿ると登り坂が続いている。これはおかしいと思って地図を見直すと、熊野古道は三浦峠からすぐに南下することになっている。
以前歩いた中辺路では二股の道のところに「ここは熊野古道ではありません。」という立て札を見たことがあります。
トイレには4/10に三浦口の民宿から十津川温泉に向かって出発するも行方不明になってしまった外国人女性の張り紙が出ていた。道に迷うような場所はあまりないように思われたが、私と同様に林道を先に進んでしまったのではないだろうか。
この方、もう10日もたっているのに見つかっていないようですね。
単なる道迷いなんでしょうか。心配ですね。
八木尾に出るとすぐ後ろから続いて単独行の男性が降りて来られる。バス停の隣に公衆電話があるので自宅に電話をかけ、電話口に出た娘に行程の変更を伝える。前を歩く男性はほぼ私と同様の歩調のようだ。道の駅に到着したところで、12時の時報がなる。ここで男性と共に少し休憩する。昨夜は三浦峠にテン泊だったらしい。
最近、公衆電話がめっきり減りましたね。ラッキーでしたね。
大峰では家族に連絡がないと遭難騒ぎになったようです。
食後は大斎原にお参りをする。元来はこの地に中下四社が祀られていたが、明治22年の大水害により社殿が倒壊してしまったらしい。かつては壮麗な社殿が立ち並んでいたであろう広大な敷地は一面に緑の芝生の草原が広がっているが、いかにも神聖な雰囲気が漂っていた。
大斎原、凛とした空気が流れていて大好きな場所です。
小和瀬は街灯はあるものの民家が見当たらない。川を渡ると空にはわずかに残照の名残りが見られる。ガイドマップの記載の通り小さな東屋があるので、ここで泊まることにする。有難いことに道路は達る車もほとんどなく、静かな雰囲気だ。まずはビールの供にソーセージを温める。ついで牛肉と供にキノコ、パプリカをソテーし、後半は塩おにぎりを投入してリゾット風にする。夜は風も寒さも感じられず、朝までよく眠ることが出来た。
すごいごちそうですね!
小口から大雲取越の道に入るとすぐにも苔むした石畳の道となる。驚いたのはその道が延々と続くことだ。果たしてどれくらいの年月をかけて作られたものだろう。この石を敷き詰めた人々を動かした熊野への篤い信仰の心に今さらながらに感服せざるを得ない。ここまで歩いてきた中で最も熊野古道らしい趣があるのがこの区間と言えるだろう。この熊野古道歩きを魅力的にしているのが道程の長さではなく、道そのものの魅力にあることに思い至る。
道は歩かれてこそ道ですね。
昔は小口の人たちはお正月に歩いて那智山まで行ったそうです。生活道でもあったんですね。
あとは那智大社を目指してひたすら下ることになる。この中辺路は小辺路と違って歩く人が少ないものと思っていたが、豈図らんや、途端に多くの登山者とすれ違うことになる。那智大社の直前で先を歩かれる一人の男性に追いつく。高野山から四泊五日で縦走して来られたらしく、前日は地蔵茶屋跡で泊まられたようだ。先ほどの人達は地元の高校の山岳部のOBで昨夜は宴会だったらしい。
熊野古道で一番歩かれるのが中辺路だと思います。
観光客で賑わう那智の山からは杉の大樹が立ち並ぶ大門坂を降り、那智の海を目指す。熊野古道は長閑な田園風景の中を海辺の補陀落寺を目指して続いている。普段はここを歩く人は少ないのだろうが、後ろから自転車に乗った外国人達が次々と追い越していく。
この県道、熊野古道が世界遺産になってから歩く人が増えました。
地元の私は歩いたことありませんが・・・
那智の駅前にある道の駅には温泉があるが、営業はなんと15時からとなっている。国道の手前には酒屋があり、店は空いていなかったが店の前の自動販売機で熊野古道麦酒を一缶手に入れる。紀勢線の線路の下をく潜ると途端に目の前には広々とした砂浜と紺碧の海が広がる。砂浜を洗う波はそれが太平洋のものであるということが信じられないほどに穏やかであった。海岸のベンチで聞こえてくる穏やかな波の音を聴きながら麦酒を傾ける。至福の瞬間だった。
海.JPG
那智浜はいい所ですね。
友人はここでお寿司を食べていたらトンビに食い逃げされたそうです。
次の各駅停車で紀伊勝浦で途中下車をすると丁度、ランチの時間と重なったせいか食事の出来る店の前はどこも行列している。行列が少なかった店に並ぶことにする。私の後で列に並んだ男性達の会話から人気店であることを知るが、この店を選んだのは店の前に掲げられていた紀州の日本酒のメニューに惹かれたからだ。客はおしなべて鮪丼を注文するようだったが、躊躇なくイルカの刺身と日本酒「熊野三山」を注文する。
店でのんびりと舌鼓を打つ間に気がつくと特急の時間が近づいていた。近くの酒屋で「南方」「超久」「黒牛」を入手し、リュックに詰め込むと、パンダの絵柄の特急に乗り込む。車窓に現れる次々と小さな入江を眺めながら、紀州の山路への憧憬の念を強く感じるのだった。
私は和歌山の日本酒では黒牛が一番好きです。
小辺路から一気に那智までなんてすごいなあ。
私は小辺路は部分的にちょっと歩いただけです。
高野山まで電車を使って行くのが面倒で・・・
中辺路は滝尻から本宮まで何回か歩いたし、特にここの大雲取小雲取越えは10回以上歩いています。
昔の人が祈りながら歩いた巡礼の道。
いろいろな人の想いがあちらこちらに漂っているようにも感じられます。
私の地元がレコに上がってうれしいです。
また機会がありましたら熊野にいらしてくださいね。
tsubo
-
- 記事: 539
- 登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
- お住まい: 京都市左京区
Re: 【熊野】熊野古道(小辺路+中辺路)☆高野山より那智の海を目指して
tsuboさん こんばんは
コメントどうも有難うございます。
少なくともtsuboさんにはコメントを頂けるものと秘かに期待しておりました。
>スマホで山行記を書く、私はスマホで長文を書くなんてできません。それだけですごいなあと思ってしまいます。
山中では何があるかわからないからできるだけスマホは温存しています。
私もスマホで文章を書くのは苦手ですが、この熊野の山行の後では前の山行の印象は消えてしまうだろう・・と思って。
しかし、結果的にはいたずらにスマホのバッテリーの残量を減らすことになってしまいました。
「山と高原地図」の熊野古道の地図があるからいいや・・・と思ったのですが、これが肝心なところが実に見にくくて困りました。
>なるほど!凍らせたジュースが保冷剤になるんですね。私も今度試してみます。
紙パックの小さいジュース(Dollなど)で半日は十分に持ちます。
肉類などを携行する場合にも重宝します。
>私も4月に高野山に行きましたが、欧米系の観光客が増えましたね。
6日の土曜日は比叡山を周回したのですが、この日に山中で出会った10人以上の人は全て外国人でした。
>熊野古道のような人気ルートはつい地図での確認をしないで思い込みで行ってしまうことがありそうですね。
山中で出会った人たちは最初の右折の分岐はとても分かりにくいと仰っていました。
他は案内があるのに、ここは古い案内標しかないらしいです。
>いやあ、樹の上に熊がいたら怖くて通過できません。女性たちは山猫さんに出会ってよかったですね。
私でも役に立つことがあれば良かったです。 >伯母子岳は20年くらい前に大股から往復で登ったことがあります。本当に展望のいい山ですね。
確かにいいところでした。
この日の風がもう少し暖かければ、山頂でテントをと考えたことでしょうが、どのみち張ることは出来なかった訳です。
今度は護摩壇山から縦走してみたいものだと思います。
>私は以前中央アルプスを縦走した時に、持って行ったテントとは別のテントのポールを持って行ったことがあります。しかたなく小屋泊りにしましたが・・・
ポールを忘れたという人もいます。
それ以来テント装備の確認は大事だと思いました。
すぐに小屋泊まりに変更出来るところで良かったですね。
雪山や下山できない場所だったら・・・などと考えるとゾッとします。
言い訳にもならないのですが、前日に仕事から帰ってきてすぐにweb(オンライン)の会議が始まり、なんと夜10時過ぎまで。
テントは私の寝室にあったのですが、翌朝の早朝に家内を起こすのが躊躇われて電気をつけずにテントを取り出したのが仇になりました。
>夢でしたか。実際に昔あった光景かもしれませんね。
そうなのではないか、と思います。
家に染みついた記憶が私に見せた幻か・・・とも思いました。
>以前歩いた中辺路では二股の道のところに「ここは熊野古道ではありません。」という立て札を見たことがあります。
確かにその立て札はよくありました。
>最近、公衆電話がめっきり減りましたね。ラッキーでしたね。
確かに。滅多にありませんね。
>大斎原、凛とした空気が流れていて大好きな場所です。
スピリチュアルな雰囲気を感じますね。 バリ島で訪れた霊廟を思い出しました。
>すごいごちそうですね!
前日はこれのトントロ・バージョンだったのですが、食欲がなくて肉以外の食材がかなり残ってしまっていたのでした。 >道は歩かれてこそ道ですね。
昔は小口の人たちはお正月に歩いて那智山まで行ったそうです。生活道でもあったんですね。
>熊野古道で一番歩かれるのが中辺路だと思います。
道の魅力という点では中辺路が予想以上に素晴らしいものがありました。
中辺路の方が遥かに生活道という側面も強くありますね。
それにして大雲取越の往復は35km近くあるでしょうから容易な行程ではありませんね。
>那智浜はいい所ですね。
友人はここでお寿司を食べていたらトンビに食い逃げされたそうです。
素晴らしいところでした。ランチの際は上空に要注意ですね。 でも、このベンチなら大丈夫かも。
>中辺路は滝尻から本宮まで何回か歩いたし、特にここの大雲取小雲取越えは10回以上歩いています。
昔の人が祈りながら歩いた巡礼の道。
いろいろな人の想いがあちらこちらに漂っているようにも感じられます。
今回、中辺路にはすっかり魅了されました。「昔の人の想いが漂っている」という点では確かに小辺路よりも中辺路ですね。 次は中辺路の踏破かあるいは大辺路か・・・と思案しているところです。
コメントどうも有難うございます。
少なくともtsuboさんにはコメントを頂けるものと秘かに期待しておりました。
>スマホで山行記を書く、私はスマホで長文を書くなんてできません。それだけですごいなあと思ってしまいます。
山中では何があるかわからないからできるだけスマホは温存しています。
私もスマホで文章を書くのは苦手ですが、この熊野の山行の後では前の山行の印象は消えてしまうだろう・・と思って。
しかし、結果的にはいたずらにスマホのバッテリーの残量を減らすことになってしまいました。
「山と高原地図」の熊野古道の地図があるからいいや・・・と思ったのですが、これが肝心なところが実に見にくくて困りました。
>なるほど!凍らせたジュースが保冷剤になるんですね。私も今度試してみます。
紙パックの小さいジュース(Dollなど)で半日は十分に持ちます。
肉類などを携行する場合にも重宝します。
>私も4月に高野山に行きましたが、欧米系の観光客が増えましたね。
6日の土曜日は比叡山を周回したのですが、この日に山中で出会った10人以上の人は全て外国人でした。
>熊野古道のような人気ルートはつい地図での確認をしないで思い込みで行ってしまうことがありそうですね。
山中で出会った人たちは最初の右折の分岐はとても分かりにくいと仰っていました。
他は案内があるのに、ここは古い案内標しかないらしいです。
>いやあ、樹の上に熊がいたら怖くて通過できません。女性たちは山猫さんに出会ってよかったですね。
私でも役に立つことがあれば良かったです。 >伯母子岳は20年くらい前に大股から往復で登ったことがあります。本当に展望のいい山ですね。
確かにいいところでした。
この日の風がもう少し暖かければ、山頂でテントをと考えたことでしょうが、どのみち張ることは出来なかった訳です。
今度は護摩壇山から縦走してみたいものだと思います。
>私は以前中央アルプスを縦走した時に、持って行ったテントとは別のテントのポールを持って行ったことがあります。しかたなく小屋泊りにしましたが・・・
ポールを忘れたという人もいます。
それ以来テント装備の確認は大事だと思いました。
すぐに小屋泊まりに変更出来るところで良かったですね。
雪山や下山できない場所だったら・・・などと考えるとゾッとします。
言い訳にもならないのですが、前日に仕事から帰ってきてすぐにweb(オンライン)の会議が始まり、なんと夜10時過ぎまで。
テントは私の寝室にあったのですが、翌朝の早朝に家内を起こすのが躊躇われて電気をつけずにテントを取り出したのが仇になりました。
>夢でしたか。実際に昔あった光景かもしれませんね。
そうなのではないか、と思います。
家に染みついた記憶が私に見せた幻か・・・とも思いました。
>以前歩いた中辺路では二股の道のところに「ここは熊野古道ではありません。」という立て札を見たことがあります。
確かにその立て札はよくありました。
>最近、公衆電話がめっきり減りましたね。ラッキーでしたね。
確かに。滅多にありませんね。
>大斎原、凛とした空気が流れていて大好きな場所です。
スピリチュアルな雰囲気を感じますね。 バリ島で訪れた霊廟を思い出しました。
>すごいごちそうですね!
前日はこれのトントロ・バージョンだったのですが、食欲がなくて肉以外の食材がかなり残ってしまっていたのでした。 >道は歩かれてこそ道ですね。
昔は小口の人たちはお正月に歩いて那智山まで行ったそうです。生活道でもあったんですね。
>熊野古道で一番歩かれるのが中辺路だと思います。
道の魅力という点では中辺路が予想以上に素晴らしいものがありました。
中辺路の方が遥かに生活道という側面も強くありますね。
それにして大雲取越の往復は35km近くあるでしょうから容易な行程ではありませんね。
>那智浜はいい所ですね。
友人はここでお寿司を食べていたらトンビに食い逃げされたそうです。
素晴らしいところでした。ランチの際は上空に要注意ですね。 でも、このベンチなら大丈夫かも。
>中辺路は滝尻から本宮まで何回か歩いたし、特にここの大雲取小雲取越えは10回以上歩いています。
昔の人が祈りながら歩いた巡礼の道。
いろいろな人の想いがあちらこちらに漂っているようにも感じられます。
今回、中辺路にはすっかり魅了されました。「昔の人の想いが漂っている」という点では確かに小辺路よりも中辺路ですね。 次は中辺路の踏破かあるいは大辺路か・・・と思案しているところです。
最後に編集したユーザー yamaneko0922 [ 2023年5月14日(日) 13:30 ], 累計 1 回
山猫
Re: 【熊野】熊野古道(小辺路+中辺路)☆高野山より那智の海を目指して
山猫さん、こんにちは。ご無沙汰しております。
>今年の連休は当初は4日は雨の予報であったが、日が近づくにつれて雨の降り出しの時間が遅くなる。
2日に休暇を取得することが出来たので、かねてより念願であった小辺路の縦走に三日間で挑戦することにする。
山行計画は前々から周到に練ってあった。一日目は極楽橋から高野山に登り、折角の機会なので高野山を観光してから伯母子峠に向かう。
二日目は十津川温泉で入浴した後に果無峠の下にある観音堂まで登り返すという計画だ。
先にヤマレコを拝読させて頂いていました。紀伊半島を斜めに大きく縦断するように記された軌跡。
片方はなんと海まで届いているではないですか。
これをたったの3日間で歩くなんて、すごいです。
私は、九度山から町石道は丸1日。高野山から熊野本宮大社まで4日間。
那智大社から大雲取越小雲取越、湯の峯温泉までは2日間かかりました。
それぞれ帰途日を入れたら、さらに3日間。全部で10日間かかったものを、
山猫さんはたったの3日間!
それも途中で予定変更、小辺路だけじゃ物足りなかったのですね。
>小辺路に向かうためには金剛三昧院の手前を右に分岐する小道に入る必要があったのだが直進して金剛三昧院の前に出てしまう。ここで大人しく引き返せば良かったものを、金剛三昧院の南で合流することが出来るだろうと先に進むが、金剛三昧院の前に出てしまう。ここで大人しく引き返せば良かったものを、金剛三昧院の南で合流することが出来るだろうと先に進むが、道はトンネルでろくろ峠の下をくぐり抜けてしまう。トンネルの南側から植林の急斜面を登り、ようやく小辺路のルートに乗ることが出来る。
高野山から小辺路に入る入り口はひっそりしていて目立たないですね。前もってここを曲がると下調べしておかないとウロウロしてしまいますね。
>水ヶ峰への分岐が見えるとようやく一安心する。
登り始めるとすぐに数組の女性パーティーに追いつく。一人の女性が「この先に熊がいるんですって」と仰る。
熊を見たというテン泊装備の若い男性が戻って来られ、スマホの写真で教えてくださる。
熊は樹の上にいるようなので「それは心配ないでしょう」と申し上げて通過することにする。
近づくと樹の上にいる熊はまだ若い個体のように見える。
熊が樹の下に降りるまでは時間を要するであろうから、襲われる可能性はまずないだろう。
そう思えるからかもしれないが、樹の上で寛ぐ熊の仕草は可愛らしく思えるのだった。
最初に木の上のクマを発見された方は相当驚かれたでしょうね。
クマのほうも人に気がついたのでしょうか。
きっとクマのほうがかわいそうに降りるに降りられず、怖かったでしょうね。
でも写真のクマさん、ほんと可愛いですね。
>尾根が下りに差し掛かると車道から大股の集落へと下降する山道が分岐する。
大股の道路に出ると橋の手前に自動販売機がある。
私が2014年に縦走したときは、小辺路には指定されたテント場がないので、
民宿で泊まりながら縦走してる人たちがほとんどのように思いました。
大股には、最初の民宿がありました。
>萱小屋は実に雰囲気の良い広場となっている。薪ストーブのある小屋の中には一人の男性がおられる。
小屋には13時半頃に到着されたらしいが、今日はここで泊まるとのこと。
小屋の裏に水が引かれた水槽の中ではビールとジュースが冷やされている。
私たちは、一泊目、萱小屋の広場でテント張りました。ここはほんとに気持ちの良い広場でした。
小屋も食事するのにお借りしました。水槽まであるとは知らず、大股で汲んだ水を背負って登りました。
>萱小屋から先に進むとおそらくは朝に十津川を出発して来られたものと思われる登山者達と続々とすれ違う。
最後にすれ違った男性が「こんなに人が多いのは初めてや」と仰るので「先に何人か歩いているんですか」と聞くと
「この先で7〜8人すれ違ったで」とのこと。伯母子峠はテン泊の人達で相当に多そうだ。
ゴールデンウィークは、縦走される人たち多いのですね。
私が歩いたのは真夏でしたので、静かなものでした。
>伯母子岳の山頂が近づくと樹々はまだ芽吹き始めたばかりのようだ。
三葉躑躅の花が目立つ。山頂に到着したのは16時過ぎであった。
樹木のない山頂から広がる360度の好展望を眺めながら一息つく。
東には大らかな山容の八経ヶ岳とその右手に釈迦ヶ岳が鋭いピークを見せている。
山猫さんが最終日、小口からスタートされた日、私は、
深仙の宿のテント場から釈迦ヶ岳を越えて弥山を目指していました。
>山頂でしばらく逡巡したが、当初の計画を変更して先に進むことにする。
同時に小辺路に加えて中辺路を縦走して那智まで足を伸ばすことを決めるのだった。
確かにここで一泊目は、山猫さんには物足りないでしょう。
それにしても、なんて壮大なプラン!
>尾根上には次々とブナの大樹が現れる。上西旅籠跡は広々と草地が広がりテント適地だ。
伯母子峠からの古道は短い区間ですが美しいですね。
近くに夏虫山というステキな山もあるようで、寄り道したかったですが叶いませんでした。
>三田谷のバス停のある県道に着地したのは18時過ぎ。
バスは下流の川津から少し上流にある杉清まで平日は昼と夕の二本のみ、土日は夕方のみ十津川村営バスが運行されている。
下山後に確認してみたが平日のバスはいずれも五条から十津川に向かうバスにギリギリで接続しない。
ここから三浦口まで800mの車道歩きとなる。すぐに五百瀬の集落に着くが、
酒屋の看板はあるものの店の周囲は雨戸で囲われており、既に廃屋となって久しいようだった。
私たちが縦走した頃は、三田谷のバス停の前の民家で飲み物を売っていて、
そこでビールを買って三浦峠で2泊目のテント張ろうと思っていましたが、
民家の方よりうちに泊まってお風呂に入って行きませんかと嬉しいお申し出があり、
お言葉に甘えてお風呂を使わせて頂き、お庭にテント張らせてもらいました。
真夏でしたので、とてもありがたかったです。
この話は以前にもお話ししさせてもらったかもしれませんね。
>三浦口に到着すると船渡橋と呼ばれる吊橋の前の茂みの中に小さな蛇口があり、不規則に水が出ていた。
橋の右手の大きな建物にはコカコーラの自動販売機と原木栽培の椎茸の無人販売所があるが、椎茸は全く売られていなかった。
私が歩いた時は、三浦口の橋を渡って山道に入るところに、
地元の小学生の作った道標が立っていて、
「いまからがんばれ」と幼い字で大きく書かれていました。
すごく印象に残りましたが、この道標もうなくなっちゃったかな。
>リュックから荷物を広げたところでテントのペグがないことに気が付く。
今回、携行したテントはワンポール・テントなのでペグがないと使えないのである。
茫然自失している私の傍を先ほどの男性が傍を通り過ぎてゆく。
竹箸が最低4本あれば箸をペグの代わりにしてテントを張ることを思いつくが、生憎、箸は4本しかない。
この箸を使ってしまうと夕食を食べることが難しい。
三浦峠まで上がれば東屋があるので、そこで寝ることが出来るかと考え、荷物をしまい再び歩き始める。
しかし、すぐにも登山道沿いの廃屋に格好の縁側のある廃屋が現れるので、ここで野宿させてもらうことにした。
ポールを忘れる話はよく聞きますが・・・。
雨も降らず、気候の良い時期で良かったですね。
>目が覚めるとあたりはすっかり明るくなっていた。驚いたことに家の庭には多くの人がいる。
老夫婦の傍らには若夫婦、そして孫と思われる多くの子供達もいる。
慌てて飛び起きると、無断で縁側で寝ていた私に対して「よくいらした」とにこやかな笑みを浮かべておられる・・・夢だった。
再び目が覚めて時間を確認すると3時前だ。庭先を明るく照らしていた月の光は消え、暗闇が広がっている。
きっとかつてここに住まれていた人たちが山猫さんが来てくれたことが嬉しくて、歓迎に出てきて下さったのですね。
>西中のバス停に到着したのは6時半前、ここから果無峠への登山口まではおよそ8km、
コースタイム上は2時間を要する。50分待てば十津川温泉行きの村営バスが7時17分あるようだが、急ぐ旅ではない。
この小辺路はすべて自分の脚で踏破したいところだ。
山猫さんのようにすべて自分の足でと思われる人が多いと思いますが、
私たちは2日目予定より早くテント張ってしまったので、3日目は時間足りなくなり、
西中から十津川温泉までバスに乗ることを余儀なくされたというか、
真夏だったので、舗装路を歩いていたら熱中症で行き倒れになっていたかもです。
>果無峠への登りにかかると早速にも汗が噴き出す。
路傍には三十三観音の石仏が安置されているが、石仏達の愛くるしい表情には思わずこちらも笑顔になる。
果無越えは、小辺路のハイライト区間ですね。
三十三体の観音さまには、本当に心洗われました。
この三十三体の観音さまに会いたくて、この区間は、縦走したとき以外にも3回歩きました。
>小辺路を縦走する人たちの間ではこの観音堂もテン泊地として人気の場所らしい。
以前に小辺路を縦走されたアオバトさんがここにテントを張られたとお伺いしていたので、
私も当初、その計画だったのだが、今回は計画を変更して良かったのだろう。
というのも、ここにを張ることが出来るテントはせいぜい4張り程に過ぎないだろうから。
そうですね。水が豊富にありますが、何パーティも押し寄せると、確かに手狭ですね。
>食後は大斎原にお参りをする。元来はこの地に中下四社が祀られていたが、明治22年の大水害により社殿が倒壊してしまったらしい。
かつては壮麗な社殿が立ち並んでいたであろう広大な敷地は一面に緑の芝生の草原が広がっているが、
いかにも神聖な雰囲気が漂っていた。
大斎原、黄泉がえりの地。ここに来ると本当に何回でもリセットできるような気がします。
>中辺路に出発する前にひと汗流したかったので、川湯温泉に寄り道する。
川湯温泉の公衆浴場は温泉であることを疑うほどに古びた建物であり、狭い階段を登ったところに入口がある。
いかにも昭和の雰囲気であるが、料金も昭和のスタイルだ。
以前、長男と共に奥駈道を辿って本宮にたどり着いた時には渡瀬温泉の大露店風呂に浸かったのだが、温泉はほぼ同様の泉質であり、微かに硫黄臭のする柔らかな温泉であった。お湯の温度が高く長くは入っていられないが、ひと汗を流す分には程よいところであった、それにしても温泉の効能は偉大だと思う。ここまで既にに70kmほど歩いたところでさすがに足に疲労を感じていたのだが、わずかな入浴ですっかり回復したような気がする。
川湯温泉に立ち寄られたのですね。いいなぁ。わたしは、川湯温泉もわたらせ温泉も、バスで横を通り過ぎただけで。いつか立ち寄ってみたいです。
>小雲取越と呼ばれる標高400m代の山越えの道に入ると新緑の自然林の中を緩やかに登る快適な道が続いている。
この区間は、山猫さんとは、逆コースで歩きました。
那智の滝スタートで大雲取越、小雲取越、大斎原、湯の峯温泉、と歩きました。
このルートはシュークリームさんのレポで知りました。
中辺路を歩いて本宮大社へ辿り着いた巡礼者がさらに舟で速玉大社へお参りした後に、
もう一度本宮大社へ戻るための道らしいですね。
この区間、欧米の人たちがが多くて、英語が堪能だったらもっと楽しみを分かち合えたのになぁと思いました。
>百間ぐらと呼ばれる展望地に辿り着くと、西の空に傾いてゆく太陽が重畳と連なる山々のシルエットを浮かび上がらせていた。
百間ぐら、すばらしい展望地ですね。
大雲取越と小雲取越、とてもすばらしい道程でしたが、ここは飛び抜けてすばらしかったですね。
>小口から大雲取越の道に入るとすぐにも苔むした石畳の道となる。驚いたのはその道が延々と続くことだ。
果たしてどれくらいの年月をかけて作られたものだろう。
この石を敷き詰めた人々を動かした熊野への篤い信仰の心に今さらながらに感服せざるを得ない。
ここまで歩いてきた中で最も熊野古道らしい趣があるのがこの区間と言えるだろう。
この熊野古道歩きを魅力的にしているのが道程の長さではなく、道そのものの魅力にあることに思い至る。
はい、本当に、わたしもそう思います。
>紀勢線の線路の下をく潜ると途端に目の前には広々とした砂浜と紺碧の海が広がる。
砂浜を洗う波はそれが太平洋のものであるということが信じられないほどに穏やかであった。
海岸のベンチで聞こえてくる穏やかな波の音を聴きながら麦酒を傾ける。至福の瞬間だった。
砂浜がと海が見えた瞬間の気持ち、静かにしみじみと伝わって来ました。レポ読ませて頂き、本当にに感動しました。
私も小辺路の帰り、海を眺めたくて各駅停車の紀勢線で帰りました。
山猫さんとは逆方向。熊野の花火の日、どこまでも続く七里御浜を眺めながら私も紀州への憧れをいだきました。
お疲れさまでした。そしてすてきなレポ、ありがとうございました。
アオバ*ト
>今年の連休は当初は4日は雨の予報であったが、日が近づくにつれて雨の降り出しの時間が遅くなる。
2日に休暇を取得することが出来たので、かねてより念願であった小辺路の縦走に三日間で挑戦することにする。
山行計画は前々から周到に練ってあった。一日目は極楽橋から高野山に登り、折角の機会なので高野山を観光してから伯母子峠に向かう。
二日目は十津川温泉で入浴した後に果無峠の下にある観音堂まで登り返すという計画だ。
先にヤマレコを拝読させて頂いていました。紀伊半島を斜めに大きく縦断するように記された軌跡。
片方はなんと海まで届いているではないですか。
これをたったの3日間で歩くなんて、すごいです。
私は、九度山から町石道は丸1日。高野山から熊野本宮大社まで4日間。
那智大社から大雲取越小雲取越、湯の峯温泉までは2日間かかりました。
それぞれ帰途日を入れたら、さらに3日間。全部で10日間かかったものを、
山猫さんはたったの3日間!
それも途中で予定変更、小辺路だけじゃ物足りなかったのですね。
>小辺路に向かうためには金剛三昧院の手前を右に分岐する小道に入る必要があったのだが直進して金剛三昧院の前に出てしまう。ここで大人しく引き返せば良かったものを、金剛三昧院の南で合流することが出来るだろうと先に進むが、金剛三昧院の前に出てしまう。ここで大人しく引き返せば良かったものを、金剛三昧院の南で合流することが出来るだろうと先に進むが、道はトンネルでろくろ峠の下をくぐり抜けてしまう。トンネルの南側から植林の急斜面を登り、ようやく小辺路のルートに乗ることが出来る。
高野山から小辺路に入る入り口はひっそりしていて目立たないですね。前もってここを曲がると下調べしておかないとウロウロしてしまいますね。
>水ヶ峰への分岐が見えるとようやく一安心する。
登り始めるとすぐに数組の女性パーティーに追いつく。一人の女性が「この先に熊がいるんですって」と仰る。
熊を見たというテン泊装備の若い男性が戻って来られ、スマホの写真で教えてくださる。
熊は樹の上にいるようなので「それは心配ないでしょう」と申し上げて通過することにする。
近づくと樹の上にいる熊はまだ若い個体のように見える。
熊が樹の下に降りるまでは時間を要するであろうから、襲われる可能性はまずないだろう。
そう思えるからかもしれないが、樹の上で寛ぐ熊の仕草は可愛らしく思えるのだった。
最初に木の上のクマを発見された方は相当驚かれたでしょうね。
クマのほうも人に気がついたのでしょうか。
きっとクマのほうがかわいそうに降りるに降りられず、怖かったでしょうね。
でも写真のクマさん、ほんと可愛いですね。
>尾根が下りに差し掛かると車道から大股の集落へと下降する山道が分岐する。
大股の道路に出ると橋の手前に自動販売機がある。
私が2014年に縦走したときは、小辺路には指定されたテント場がないので、
民宿で泊まりながら縦走してる人たちがほとんどのように思いました。
大股には、最初の民宿がありました。
>萱小屋は実に雰囲気の良い広場となっている。薪ストーブのある小屋の中には一人の男性がおられる。
小屋には13時半頃に到着されたらしいが、今日はここで泊まるとのこと。
小屋の裏に水が引かれた水槽の中ではビールとジュースが冷やされている。
私たちは、一泊目、萱小屋の広場でテント張りました。ここはほんとに気持ちの良い広場でした。
小屋も食事するのにお借りしました。水槽まであるとは知らず、大股で汲んだ水を背負って登りました。
>萱小屋から先に進むとおそらくは朝に十津川を出発して来られたものと思われる登山者達と続々とすれ違う。
最後にすれ違った男性が「こんなに人が多いのは初めてや」と仰るので「先に何人か歩いているんですか」と聞くと
「この先で7〜8人すれ違ったで」とのこと。伯母子峠はテン泊の人達で相当に多そうだ。
ゴールデンウィークは、縦走される人たち多いのですね。
私が歩いたのは真夏でしたので、静かなものでした。
>伯母子岳の山頂が近づくと樹々はまだ芽吹き始めたばかりのようだ。
三葉躑躅の花が目立つ。山頂に到着したのは16時過ぎであった。
樹木のない山頂から広がる360度の好展望を眺めながら一息つく。
東には大らかな山容の八経ヶ岳とその右手に釈迦ヶ岳が鋭いピークを見せている。
山猫さんが最終日、小口からスタートされた日、私は、
深仙の宿のテント場から釈迦ヶ岳を越えて弥山を目指していました。
>山頂でしばらく逡巡したが、当初の計画を変更して先に進むことにする。
同時に小辺路に加えて中辺路を縦走して那智まで足を伸ばすことを決めるのだった。
確かにここで一泊目は、山猫さんには物足りないでしょう。
それにしても、なんて壮大なプラン!
>尾根上には次々とブナの大樹が現れる。上西旅籠跡は広々と草地が広がりテント適地だ。
伯母子峠からの古道は短い区間ですが美しいですね。
近くに夏虫山というステキな山もあるようで、寄り道したかったですが叶いませんでした。
>三田谷のバス停のある県道に着地したのは18時過ぎ。
バスは下流の川津から少し上流にある杉清まで平日は昼と夕の二本のみ、土日は夕方のみ十津川村営バスが運行されている。
下山後に確認してみたが平日のバスはいずれも五条から十津川に向かうバスにギリギリで接続しない。
ここから三浦口まで800mの車道歩きとなる。すぐに五百瀬の集落に着くが、
酒屋の看板はあるものの店の周囲は雨戸で囲われており、既に廃屋となって久しいようだった。
私たちが縦走した頃は、三田谷のバス停の前の民家で飲み物を売っていて、
そこでビールを買って三浦峠で2泊目のテント張ろうと思っていましたが、
民家の方よりうちに泊まってお風呂に入って行きませんかと嬉しいお申し出があり、
お言葉に甘えてお風呂を使わせて頂き、お庭にテント張らせてもらいました。
真夏でしたので、とてもありがたかったです。
この話は以前にもお話ししさせてもらったかもしれませんね。
>三浦口に到着すると船渡橋と呼ばれる吊橋の前の茂みの中に小さな蛇口があり、不規則に水が出ていた。
橋の右手の大きな建物にはコカコーラの自動販売機と原木栽培の椎茸の無人販売所があるが、椎茸は全く売られていなかった。
私が歩いた時は、三浦口の橋を渡って山道に入るところに、
地元の小学生の作った道標が立っていて、
「いまからがんばれ」と幼い字で大きく書かれていました。
すごく印象に残りましたが、この道標もうなくなっちゃったかな。
>リュックから荷物を広げたところでテントのペグがないことに気が付く。
今回、携行したテントはワンポール・テントなのでペグがないと使えないのである。
茫然自失している私の傍を先ほどの男性が傍を通り過ぎてゆく。
竹箸が最低4本あれば箸をペグの代わりにしてテントを張ることを思いつくが、生憎、箸は4本しかない。
この箸を使ってしまうと夕食を食べることが難しい。
三浦峠まで上がれば東屋があるので、そこで寝ることが出来るかと考え、荷物をしまい再び歩き始める。
しかし、すぐにも登山道沿いの廃屋に格好の縁側のある廃屋が現れるので、ここで野宿させてもらうことにした。
ポールを忘れる話はよく聞きますが・・・。
雨も降らず、気候の良い時期で良かったですね。
>目が覚めるとあたりはすっかり明るくなっていた。驚いたことに家の庭には多くの人がいる。
老夫婦の傍らには若夫婦、そして孫と思われる多くの子供達もいる。
慌てて飛び起きると、無断で縁側で寝ていた私に対して「よくいらした」とにこやかな笑みを浮かべておられる・・・夢だった。
再び目が覚めて時間を確認すると3時前だ。庭先を明るく照らしていた月の光は消え、暗闇が広がっている。
きっとかつてここに住まれていた人たちが山猫さんが来てくれたことが嬉しくて、歓迎に出てきて下さったのですね。
>西中のバス停に到着したのは6時半前、ここから果無峠への登山口まではおよそ8km、
コースタイム上は2時間を要する。50分待てば十津川温泉行きの村営バスが7時17分あるようだが、急ぐ旅ではない。
この小辺路はすべて自分の脚で踏破したいところだ。
山猫さんのようにすべて自分の足でと思われる人が多いと思いますが、
私たちは2日目予定より早くテント張ってしまったので、3日目は時間足りなくなり、
西中から十津川温泉までバスに乗ることを余儀なくされたというか、
真夏だったので、舗装路を歩いていたら熱中症で行き倒れになっていたかもです。
>果無峠への登りにかかると早速にも汗が噴き出す。
路傍には三十三観音の石仏が安置されているが、石仏達の愛くるしい表情には思わずこちらも笑顔になる。
果無越えは、小辺路のハイライト区間ですね。
三十三体の観音さまには、本当に心洗われました。
この三十三体の観音さまに会いたくて、この区間は、縦走したとき以外にも3回歩きました。
>小辺路を縦走する人たちの間ではこの観音堂もテン泊地として人気の場所らしい。
以前に小辺路を縦走されたアオバトさんがここにテントを張られたとお伺いしていたので、
私も当初、その計画だったのだが、今回は計画を変更して良かったのだろう。
というのも、ここにを張ることが出来るテントはせいぜい4張り程に過ぎないだろうから。
そうですね。水が豊富にありますが、何パーティも押し寄せると、確かに手狭ですね。
>食後は大斎原にお参りをする。元来はこの地に中下四社が祀られていたが、明治22年の大水害により社殿が倒壊してしまったらしい。
かつては壮麗な社殿が立ち並んでいたであろう広大な敷地は一面に緑の芝生の草原が広がっているが、
いかにも神聖な雰囲気が漂っていた。
大斎原、黄泉がえりの地。ここに来ると本当に何回でもリセットできるような気がします。
>中辺路に出発する前にひと汗流したかったので、川湯温泉に寄り道する。
川湯温泉の公衆浴場は温泉であることを疑うほどに古びた建物であり、狭い階段を登ったところに入口がある。
いかにも昭和の雰囲気であるが、料金も昭和のスタイルだ。
以前、長男と共に奥駈道を辿って本宮にたどり着いた時には渡瀬温泉の大露店風呂に浸かったのだが、温泉はほぼ同様の泉質であり、微かに硫黄臭のする柔らかな温泉であった。お湯の温度が高く長くは入っていられないが、ひと汗を流す分には程よいところであった、それにしても温泉の効能は偉大だと思う。ここまで既にに70kmほど歩いたところでさすがに足に疲労を感じていたのだが、わずかな入浴ですっかり回復したような気がする。
川湯温泉に立ち寄られたのですね。いいなぁ。わたしは、川湯温泉もわたらせ温泉も、バスで横を通り過ぎただけで。いつか立ち寄ってみたいです。
>小雲取越と呼ばれる標高400m代の山越えの道に入ると新緑の自然林の中を緩やかに登る快適な道が続いている。
この区間は、山猫さんとは、逆コースで歩きました。
那智の滝スタートで大雲取越、小雲取越、大斎原、湯の峯温泉、と歩きました。
このルートはシュークリームさんのレポで知りました。
中辺路を歩いて本宮大社へ辿り着いた巡礼者がさらに舟で速玉大社へお参りした後に、
もう一度本宮大社へ戻るための道らしいですね。
この区間、欧米の人たちがが多くて、英語が堪能だったらもっと楽しみを分かち合えたのになぁと思いました。
>百間ぐらと呼ばれる展望地に辿り着くと、西の空に傾いてゆく太陽が重畳と連なる山々のシルエットを浮かび上がらせていた。
百間ぐら、すばらしい展望地ですね。
大雲取越と小雲取越、とてもすばらしい道程でしたが、ここは飛び抜けてすばらしかったですね。
>小口から大雲取越の道に入るとすぐにも苔むした石畳の道となる。驚いたのはその道が延々と続くことだ。
果たしてどれくらいの年月をかけて作られたものだろう。
この石を敷き詰めた人々を動かした熊野への篤い信仰の心に今さらながらに感服せざるを得ない。
ここまで歩いてきた中で最も熊野古道らしい趣があるのがこの区間と言えるだろう。
この熊野古道歩きを魅力的にしているのが道程の長さではなく、道そのものの魅力にあることに思い至る。
はい、本当に、わたしもそう思います。
>紀勢線の線路の下をく潜ると途端に目の前には広々とした砂浜と紺碧の海が広がる。
砂浜を洗う波はそれが太平洋のものであるということが信じられないほどに穏やかであった。
海岸のベンチで聞こえてくる穏やかな波の音を聴きながら麦酒を傾ける。至福の瞬間だった。
砂浜がと海が見えた瞬間の気持ち、静かにしみじみと伝わって来ました。レポ読ませて頂き、本当にに感動しました。
私も小辺路の帰り、海を眺めたくて各駅停車の紀勢線で帰りました。
山猫さんとは逆方向。熊野の花火の日、どこまでも続く七里御浜を眺めながら私も紀州への憧れをいだきました。
お疲れさまでした。そしてすてきなレポ、ありがとうございました。
アオバ*ト
-
- 記事: 539
- 登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
- お住まい: 京都市左京区
Re: 【熊野】熊野古道(小辺路+中辺路)☆高野山より那智の海を目指して
アオバトさん コメント頂けるのを期待しておりました。
以前、果無山脈重曹のrepにアオバトさんにレスを頂いた際に小辺路の宿泊地を教えて頂いたのでした。その時のrepを再掲させて頂きます。
https://yabukogi.net/viewtopic.php?f=4&t=4503
山行の充足感はスピードは全く関係ないどころか、あまりにあくせくして時間や食料などに余裕のない山行になると却ってそれが損なわれるのではないかと思います。自分がもう少し歳をとったら、小辺路も三泊かけて民宿に泊まりながら
歩いてみたいと思うところです。
>高野山から小辺路に入る入り口はひっそりしていて目立たないですね。前もってここを曲がると下調べしておかないとウロウロしてしまいますね。
GPSか地図で注意深く確認すれば良かったのですが
>私たちは、一泊目、萱小屋の広場でテント張りました。ここはほんとに気持ちの良い広場でした。
小屋も食事するのにお借りしました。水槽まであるとは知らず、大股で汲んだ水を背負って登りました。
ここは実にいいところで、テン泊適地ですね。改めて泊まりに来たいと思いました。
>ゴールデンウィークは、縦走される人たち多いのですね。
私が歩いたのは真夏でしたので、静かなものでした。
小辺路を縦走するにはまとまった休みが必要なのと、夏は暑さが厳しいところがあるでしょうから、必然的にGWに重曹を試みる人が多いのでしょうね。
以前、果無山脈を縦走して十津川に降った時は観音堂でわずかに人とすれ違ったのみでしたが、果無越だけでもかなりの人が歩いているようでした。
>山猫さんが最終日、小口からスタートされた日、私は、
深仙の宿のテント場から釈迦ヶ岳を越えて弥山を目指していました。
余程、このGWはアオバトさん御一行はどこにいらっしゃるのかお伺いしようかと思ったのですが・・・もちろん奥駈道の縦走も山行の候補だったので、そうと知っていれば私も奥駈道にして二日目の夜を深仙の宿を目指したかも
>伯母子峠からの古道は短い区間ですが美しいですね。
近くに夏虫山というステキな山もあるようで、寄り道したかったですが叶いませんでした。
御意です。まず上西茶屋跡が魅力的でした。 それから三田谷へ降る前には石畳もところどころに現れますね。
夏虫山に寄るかどうか逡巡したのですが・・・この時点では急ぐ必要もなかったので、寄り道すれば良かったと後悔です。
>私たちが縦走した頃は、三田谷のバス停の前の民家で飲み物を売っていて、
そこでビールを買って三浦峠で2泊目のテント張ろうと思っていましたが、
民家の方よりうちに泊まってお風呂に入って行きませんかと嬉しいお申し出があり、お言葉に甘えてお風呂を使わせて頂き、お庭にテント張らせてもらいました。真夏でしたので、とてもありがたかったです。
この話は以前にもお話ししさせてもらったかもしれませんね。
そうなのです。よく覚えておられますね。
・・・前回の果無山脈のrepの際に教えて頂きました。
このあたりの民家にひと気がなかったように思うのですが、そのご親切な方がどうしておられるか気になるところですね。
>私が歩いた時は、三浦口の橋を渡って山道に入るところに、
地元の小学生の作った道標が立っていて、
「いまからがんばれ」と幼い字で大きく書かれていました。
すごく印象に残りましたが、この道標もうなくなっちゃったかな。
既に薄暗くなっていたので見落としてしまったのか・・・気になるところです。
>ポールを忘れる話はよく聞きますが・・・。
雨も降らず、気候の良い時期で良かったですね。
仰る通りです。
>私たちは2日目予定より早くテント張ってしまったので、3日目は時間足りなくなり、西中から十津川温泉までバスに乗ることを余儀なくされたというか、真夏だったので、舗装路を歩いていたら熱中症で行き倒れになっていたかもです。
ここの区間を歩く時間帯が問題だと思っておりました。
真夏の炎天下だとかなり厳しいものがありますね。
>果無越えは、小辺路のハイライト区間ですね。
三十三体の観音さまには、本当に心洗われました。
この三十三体の観音さまに会いたくて、この区間は、縦走したとき以外にも3回歩きました。
三回も・・・それは凄い!
でも確かに非常に魅力的な表情をされておられますよね。 アオバトさんのそのコメントをお伺いして、私も観音様に会いに改めて訪れたいという意志を固くしました。
>水が豊富にありますが、何パーティも押し寄せると、確かに手狭ですね。
GWだけはここは難しいということが判りました。
>大斎原、黄泉がえりの地。ここに来ると本当に何回でもリセットできるような気がします。
確かに。 真夏で、観光客も少ない時だと感動もひとしおでしょう。
>川湯温泉に立ち寄られたのですね。いいなぁ。わたしは、川湯温泉もわたらせ温泉も、バスで横を通り過ぎただけで。いつか立ち寄ってみたいです。
その代わり・・・と云ってはなんですが、日本最古の温泉、湯ノ峰温泉に行かれたのですね。おそらくはそこで留まられたのではないでしょうか。
湯上がりに中辺路に向かう・・・ということがなければ私も湯ノ峰温泉に行きたかったです。
>百間ぐら、すばらしい展望地ですね。
大雲取越と小雲取越、とてもすばらしい道程でしたが、ここは飛び抜けてすばらしかったですね。
案内板には紀州三千六百峰・・・とありましたが、ここからの重畳と連なる山々の展望は紀州の山の奥深さを改めて菅んじますね。 repには描き損ねましたが、夕陽を浴びて立つお地蔵様の石仏がこの場所を通った人々の感動を静かに伝えていたと思います。
>砂浜がと海が見えた瞬間の気持ち、静かにしみじみと伝わって来ました。
多少あくせくした山行ではあったのですが、山行後に海や湖を眺める機会があると、感無量になります。
浜辺は常に陸の果てでもあり、終着点にたどり着いた・・・という感覚が普段何気無く眺める海を違ったものにするのでしょう。
以前、果無山脈重曹のrepにアオバトさんにレスを頂いた際に小辺路の宿泊地を教えて頂いたのでした。その時のrepを再掲させて頂きます。
https://yabukogi.net/viewtopic.php?f=4&t=4503
山行の充足感はスピードは全く関係ないどころか、あまりにあくせくして時間や食料などに余裕のない山行になると却ってそれが損なわれるのではないかと思います。自分がもう少し歳をとったら、小辺路も三泊かけて民宿に泊まりながら
歩いてみたいと思うところです。
>高野山から小辺路に入る入り口はひっそりしていて目立たないですね。前もってここを曲がると下調べしておかないとウロウロしてしまいますね。
GPSか地図で注意深く確認すれば良かったのですが
>私たちは、一泊目、萱小屋の広場でテント張りました。ここはほんとに気持ちの良い広場でした。
小屋も食事するのにお借りしました。水槽まであるとは知らず、大股で汲んだ水を背負って登りました。
ここは実にいいところで、テン泊適地ですね。改めて泊まりに来たいと思いました。
>ゴールデンウィークは、縦走される人たち多いのですね。
私が歩いたのは真夏でしたので、静かなものでした。
小辺路を縦走するにはまとまった休みが必要なのと、夏は暑さが厳しいところがあるでしょうから、必然的にGWに重曹を試みる人が多いのでしょうね。
以前、果無山脈を縦走して十津川に降った時は観音堂でわずかに人とすれ違ったのみでしたが、果無越だけでもかなりの人が歩いているようでした。
>山猫さんが最終日、小口からスタートされた日、私は、
深仙の宿のテント場から釈迦ヶ岳を越えて弥山を目指していました。
余程、このGWはアオバトさん御一行はどこにいらっしゃるのかお伺いしようかと思ったのですが・・・もちろん奥駈道の縦走も山行の候補だったので、そうと知っていれば私も奥駈道にして二日目の夜を深仙の宿を目指したかも
>伯母子峠からの古道は短い区間ですが美しいですね。
近くに夏虫山というステキな山もあるようで、寄り道したかったですが叶いませんでした。
御意です。まず上西茶屋跡が魅力的でした。 それから三田谷へ降る前には石畳もところどころに現れますね。
夏虫山に寄るかどうか逡巡したのですが・・・この時点では急ぐ必要もなかったので、寄り道すれば良かったと後悔です。
>私たちが縦走した頃は、三田谷のバス停の前の民家で飲み物を売っていて、
そこでビールを買って三浦峠で2泊目のテント張ろうと思っていましたが、
民家の方よりうちに泊まってお風呂に入って行きませんかと嬉しいお申し出があり、お言葉に甘えてお風呂を使わせて頂き、お庭にテント張らせてもらいました。真夏でしたので、とてもありがたかったです。
この話は以前にもお話ししさせてもらったかもしれませんね。
そうなのです。よく覚えておられますね。
・・・前回の果無山脈のrepの際に教えて頂きました。
このあたりの民家にひと気がなかったように思うのですが、そのご親切な方がどうしておられるか気になるところですね。
>私が歩いた時は、三浦口の橋を渡って山道に入るところに、
地元の小学生の作った道標が立っていて、
「いまからがんばれ」と幼い字で大きく書かれていました。
すごく印象に残りましたが、この道標もうなくなっちゃったかな。
既に薄暗くなっていたので見落としてしまったのか・・・気になるところです。
>ポールを忘れる話はよく聞きますが・・・。
雨も降らず、気候の良い時期で良かったですね。
仰る通りです。
>私たちは2日目予定より早くテント張ってしまったので、3日目は時間足りなくなり、西中から十津川温泉までバスに乗ることを余儀なくされたというか、真夏だったので、舗装路を歩いていたら熱中症で行き倒れになっていたかもです。
ここの区間を歩く時間帯が問題だと思っておりました。
真夏の炎天下だとかなり厳しいものがありますね。
>果無越えは、小辺路のハイライト区間ですね。
三十三体の観音さまには、本当に心洗われました。
この三十三体の観音さまに会いたくて、この区間は、縦走したとき以外にも3回歩きました。
三回も・・・それは凄い!
でも確かに非常に魅力的な表情をされておられますよね。 アオバトさんのそのコメントをお伺いして、私も観音様に会いに改めて訪れたいという意志を固くしました。
>水が豊富にありますが、何パーティも押し寄せると、確かに手狭ですね。
GWだけはここは難しいということが判りました。
>大斎原、黄泉がえりの地。ここに来ると本当に何回でもリセットできるような気がします。
確かに。 真夏で、観光客も少ない時だと感動もひとしおでしょう。
>川湯温泉に立ち寄られたのですね。いいなぁ。わたしは、川湯温泉もわたらせ温泉も、バスで横を通り過ぎただけで。いつか立ち寄ってみたいです。
その代わり・・・と云ってはなんですが、日本最古の温泉、湯ノ峰温泉に行かれたのですね。おそらくはそこで留まられたのではないでしょうか。
湯上がりに中辺路に向かう・・・ということがなければ私も湯ノ峰温泉に行きたかったです。
>百間ぐら、すばらしい展望地ですね。
大雲取越と小雲取越、とてもすばらしい道程でしたが、ここは飛び抜けてすばらしかったですね。
案内板には紀州三千六百峰・・・とありましたが、ここからの重畳と連なる山々の展望は紀州の山の奥深さを改めて菅んじますね。 repには描き損ねましたが、夕陽を浴びて立つお地蔵様の石仏がこの場所を通った人々の感動を静かに伝えていたと思います。
>砂浜がと海が見えた瞬間の気持ち、静かにしみじみと伝わって来ました。
多少あくせくした山行ではあったのですが、山行後に海や湖を眺める機会があると、感無量になります。
浜辺は常に陸の果てでもあり、終着点にたどり着いた・・・という感覚が普段何気無く眺める海を違ったものにするのでしょう。
山猫