【奥越】雪稜の冠山に登る
Posted: 2023年3月21日(火) 19:10
【日 付】2023年3月19日(日)
【山 域】奥越
【コース】田代第3トンネル駐車場6:30---10:20県境稜線---11:35冠山---12:45県境稜線---15:15田代第3トンネル駐車場
【メンバー】単独
徳山村の西谷は近江の玄関口で、東谷は越前とのつながりが深い。徳山村からの越前越の峠のひとつが冠越で、現在の冠山峠と違って冠山の東肩の標高1100m付近にある。この峠を見たくて冠山に向かった。
田代第3トンネルから続く尾根に雪は無く、トンネルから取り付くのは厳しそうだ。尾根の末端に植林地があるので橋を渡り向かう。植林地は整備された石垣で分けられており集落跡だった。田代の看板と墓もあり、田代の集落で間違いない。昭和25年には木地師の家がありトチノキの原木からお椀を挽いていたそうだが、その面影はない。田代尾根に取りつくとヤブっぽいものの昔の杣道があり尾根芯を外して道がつけられている。アガリコの木があり里山だったことがわかる。人の手の入った山の特徴と思っているミズナラの木も多い。P602やP852付近にはワイヤーや滑車などが残されており木材搬出の中継点として使われたようだった。
先行者がいるような雰囲気があるのだがはっきりしない。人間の歩き方と違う気がする。雪がつきだしてはっきりした。数頭の鹿が歩いた跡が尾根道に続いている。これが冠山手前までつながっており、不思議だ。雪の苦手な鹿が登山道を歩くことはあるが、何のために山頂付近まで足を運んだのだろう。
あらくら山の三角形の山容が目を引き付ける。尾根も雪におわれだし青空のもといい山行になりそうだ。林道を横切る所でアイゼンをつけ取り付きの急斜面を登っていく。雪庇の急な斜面を登っているとアイゼンの跡がある。先行者がいるようだ。ただ早い時間帯に通過したようで雪面に刃の跡があるだけだ。白山の白い輝きと金草岳が見えてきた。県境稜線には青空に白く映える霧氷の森が光り。目指す冠山のドームと連なる稜線がくっきりと見える。
P1058の頂上部あたりで雪が途切れヤブが出ている。ヤブの下りなので体重をあずければどうにかなるかと進む。雪の重みに耐えたシャクナゲのヤブは強く、前のめりのまま体ごと持っていかれた。苦労して体を立て替えて、ちょっとずつヤブをこいで切り抜けた。強烈な場所はここだけで、後はたいしたことなかったが、雪解けが進むと苦労するだろう。
獣のトレースにはげまされながら進むと県境稜線は近い。霧氷の輝く県境まで来るとグンと雪の量が増え雪稜が続く。ナイフリッジになった所も何カ所かあるが、雪が適度にゆるんでいるので問題はない。近づくにつれて冠山はジョーズのようにとがってきた。オイオイと思う急斜面である。
源頭部で休憩をし、急斜面を右へ最短トラバースして主稜線を目指す。微妙にゆるんだ雪の斜面をアイゼンとピッケルを使いながら一歩一歩慎重に進む。主稜線に出ると徳山側がスパッと切れ落ちた山頂が見えた。冠山は見る方向によって山容を変化させて楽しませてくれる。また、雪の状態次第でアプローチの方法を考えさせてくれる山でもある。
山頂は狭く三角点の標石が顔を出していた。美濃俣丸に三周ヶ岳、金草岳、銀杏峯に部子山、千両役者の白山に、能郷白山の山々と徳山湖が見える。越前と徳山を結ぶ冠越は田代から足羽川源流を進み尾根に取りつき冠平からヒン谷の支流、中ノ又とシタ谷の間の尾根を下るルートになる。徳山村に下る尾根がよく見えている。
徳山村の正月はお寿司ではじまり、鯖とにしんを使う。東谷から冠山を越え真っすぐに行くと越前鯖江で、毎年福井から大量に鯖を売りに来ていた。また、東谷の塚や櫨原には鯖江の誠照寺派西福寺の檀家も多かった。寛文2年(1662年)より年1回「美濃檀家廻り」として鯖江の誠照寺本山が根尾、徳山を巡回して田代を経て鯖江に帰山する慣習が続いていた。こうした事に思いをはせながら冠越をながめると生活の場としての山を感じずにはいられない。
【山 域】奥越
【コース】田代第3トンネル駐車場6:30---10:20県境稜線---11:35冠山---12:45県境稜線---15:15田代第3トンネル駐車場
【メンバー】単独
徳山村の西谷は近江の玄関口で、東谷は越前とのつながりが深い。徳山村からの越前越の峠のひとつが冠越で、現在の冠山峠と違って冠山の東肩の標高1100m付近にある。この峠を見たくて冠山に向かった。
田代第3トンネルから続く尾根に雪は無く、トンネルから取り付くのは厳しそうだ。尾根の末端に植林地があるので橋を渡り向かう。植林地は整備された石垣で分けられており集落跡だった。田代の看板と墓もあり、田代の集落で間違いない。昭和25年には木地師の家がありトチノキの原木からお椀を挽いていたそうだが、その面影はない。田代尾根に取りつくとヤブっぽいものの昔の杣道があり尾根芯を外して道がつけられている。アガリコの木があり里山だったことがわかる。人の手の入った山の特徴と思っているミズナラの木も多い。P602やP852付近にはワイヤーや滑車などが残されており木材搬出の中継点として使われたようだった。
先行者がいるような雰囲気があるのだがはっきりしない。人間の歩き方と違う気がする。雪がつきだしてはっきりした。数頭の鹿が歩いた跡が尾根道に続いている。これが冠山手前までつながっており、不思議だ。雪の苦手な鹿が登山道を歩くことはあるが、何のために山頂付近まで足を運んだのだろう。
あらくら山の三角形の山容が目を引き付ける。尾根も雪におわれだし青空のもといい山行になりそうだ。林道を横切る所でアイゼンをつけ取り付きの急斜面を登っていく。雪庇の急な斜面を登っているとアイゼンの跡がある。先行者がいるようだ。ただ早い時間帯に通過したようで雪面に刃の跡があるだけだ。白山の白い輝きと金草岳が見えてきた。県境稜線には青空に白く映える霧氷の森が光り。目指す冠山のドームと連なる稜線がくっきりと見える。
P1058の頂上部あたりで雪が途切れヤブが出ている。ヤブの下りなので体重をあずければどうにかなるかと進む。雪の重みに耐えたシャクナゲのヤブは強く、前のめりのまま体ごと持っていかれた。苦労して体を立て替えて、ちょっとずつヤブをこいで切り抜けた。強烈な場所はここだけで、後はたいしたことなかったが、雪解けが進むと苦労するだろう。
獣のトレースにはげまされながら進むと県境稜線は近い。霧氷の輝く県境まで来るとグンと雪の量が増え雪稜が続く。ナイフリッジになった所も何カ所かあるが、雪が適度にゆるんでいるので問題はない。近づくにつれて冠山はジョーズのようにとがってきた。オイオイと思う急斜面である。
源頭部で休憩をし、急斜面を右へ最短トラバースして主稜線を目指す。微妙にゆるんだ雪の斜面をアイゼンとピッケルを使いながら一歩一歩慎重に進む。主稜線に出ると徳山側がスパッと切れ落ちた山頂が見えた。冠山は見る方向によって山容を変化させて楽しませてくれる。また、雪の状態次第でアプローチの方法を考えさせてくれる山でもある。
山頂は狭く三角点の標石が顔を出していた。美濃俣丸に三周ヶ岳、金草岳、銀杏峯に部子山、千両役者の白山に、能郷白山の山々と徳山湖が見える。越前と徳山を結ぶ冠越は田代から足羽川源流を進み尾根に取りつき冠平からヒン谷の支流、中ノ又とシタ谷の間の尾根を下るルートになる。徳山村に下る尾根がよく見えている。
徳山村の正月はお寿司ではじまり、鯖とにしんを使う。東谷から冠山を越え真っすぐに行くと越前鯖江で、毎年福井から大量に鯖を売りに来ていた。また、東谷の塚や櫨原には鯖江の誠照寺派西福寺の檀家も多かった。寛文2年(1662年)より年1回「美濃檀家廻り」として鯖江の誠照寺本山が根尾、徳山を巡回して田代を経て鯖江に帰山する慣習が続いていた。こうした事に思いをはせながら冠越をながめると生活の場としての山を感じずにはいられない。