【湖西】 旅の途中 大谷山で見た「源流への旅」

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sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【湖西】 旅の途中 大谷山で見た「源流への旅」

投稿記事 by sato »

【日 付】 2022年12月29日(木)
【山 域】 湖西
【天 候】 晴れのち曇り時々雪舞う、最後に大粒の雨
【コース】 マキノ石庭貯水タンク下~・749~大谷山~白石平~・704~△680・3原山~原山峠~辻集落~P

時計を見ると9時過ぎ。
見上げた空は青く澄み渡り、目の前のふわりと雪を纏った山は、降り注ぐ太陽の光で、やわらかに輝いていた。
明日、実家に帰る前の最後のお山は、やっぱりここだったのだと思う。

前日、大谷山と奥美濃の山、どちらに行こうかと迷っていた。起床して、天気予報を見ると、揖斐川町の方がよさそう。
よし奥美濃だ、と車を走らせた。ところが県境の八草トンネル手前から雨に。
坂内の道の駅に駐車して、朝ごはんを食べながら様子を見るが止む気配がない。スマホを開き雨雲レーダーを確認すると、
目指す山の周りは、一時間後ぐらいに一旦消えるが、またすぐ次の雨雲に覆われてしまう。
えっ?と動揺が走ったが、大谷山周辺を見てみると大丈夫のよう。ぱっと頭を切り替えマキノまで戻ったのだった。

登るのは、・749から東、南東に延びる尾根。ちょっと急だけど道跡に出会えるかもしれない。
スノーシューをリュックに括り付け、うっすらと雪の積もった林道を進み、
谷を越えたところから植林の斜面に取りついて適当に登っていく。尾根の形が出た辺りで雑木林となり道が現れた。
塞ぐように飛び出したソヨゴの青あおとした葉が、この道の光と陰を物語る。
振り返ると、穏やかに光るうみが目に飛び込んだ。この山と共に生きた人々の確かな痕跡と、
むかしむかしから変わらぬ母なるうみの輝きを見て、トクンと胸が鳴る。
やっぱり大谷山だったのだ、とあらためて思う。


1か月半前のヤンゲン谷沢山旅以来、
谷を遡り、若狭と近江の国境の稜線に立った時、目に映った、うみと里と山が織りなすしみじみとした光景が、
大谷山寒風と進み、割谷の頭からトチノキ谷の源流へと向かう時に出会った見事な堀割の道の佇まいが、
そして、その日の夜に見た父との散歩の夢が、わたしの中で静かに光を放ち続けていた。
その光に導かれるように、2週間後にまた大谷山寒風を訪れていた。

今度は近江側のマキノ辻集落から。△680・3原山南の鞍部原山峠を越えて、
辻、森西集落と、百瀬川上流の川原谷源流域に存在した水無という集落とを繋いだ道の跡を、寄り道をしながら辿っていき、
川原谷出合の少し手前から、上半分しか歩いたことがなかったイモジャ谷と川原谷の間の尾根を、国境の稜線に向かい登っていった。
寒風からは、あのうつくしい堀割の道を確かめに、石庭嶽先の標高750m地点まで往復し、
同じくうつくしい堀割の道が残る寒風登山道を下り、大谷川に降り立ち石庭集落に出た。

歩きながら、山中に網の目のように張り巡らされている道が、木立の中の光と陰が、わたしの意識、無意識に呼びかけてくるのを感じた。
こころの中に仕舞われていた旅で出会った風景や、本で知った山人の暮らしの風景が、ふっと浮かび上がっては、
目の前の折り重なる風景の中にさらに重なっていくのを感じた。

その後も、光は放たれていた。そして、その光は、ゆらゆらと揺れ、輪郭をなくしていき、
ひとつの灯になっていくような、そんな感じがしていた。


少し辿ると道は埋もれてしまい、ゴロンゴロンと石の出た急斜面になった。中途半端な積雪で、ズルズルと滑る。
木の幹を掴みながら、よいしょと登っていくと、標高550メートルくらい、尾根が広くなった辺りから急に雪が増えた。
わぁ、銀世界に入った、とドキドキしたその時、青空が消えてしまっているのに気が付いた。

今にも泣きだしそうな重い色の空。ええっ?大谷山もダメなのか。
雪ならいいけれど雨は嫌だなぁ。立ち止まり、暫しの間、空を見上げていたが、この尾根を味わいたい。
登山道とぶつかる・749まで行ってから決めようと、パーカーを羽織り、スノーシューを履き、
ひょろひょろとした木々の間を縫いながら歩みを進める。
ばらっと雪が舞い始めた。とうとう雪降りか。ザックカバーをつける。暫くすると、ぱぁっと雲が流れていき青空が広がっていった。
よかった、と思っていると、またどんより雲に覆われてしまう。

・749に着いた時には、曇天雪降りのお山もまたよろし。このお天気ならではの趣きを味わおう。国境稜線、山頂まで行こう。
という気持ちになっていた。
踏み跡のないツルリとした雪面に、脛まで潜りながら足跡を刻んでいく。

辿り着いた山頂は、すべてを突き放し、一方で、すべてを包容するような不思議な空気に満ちていた。
薄霧がかかった鉛色の空の下に浮かぶ、ギザギザとススキの茎の出た雪の稜線は、寂寞とし、ぶるっと身震いする冷たさで、
でもその中に、何とも言えない、包み込まれるようなぬくもりを感じた。

黄褐色のススキの色に目が吸い込まれていきそうになりながら、稜線を南へと進む。
どこかから吹いてきた風が、ごうごう、と低く重く耳元で鳴り響く。粒つぶの冷たく痛い雪が頬に当たる。
風が、雪が、過ぎし日のお山と人との物語の欠片を運んでくる。
わたしは、今、馬も通ったという山上の道、古代から近江と若狭を繋いできた長いながい歴史の道を歩いているのだ。
頬の上で融けた雪を、手袋をはめた手で拭いながら、予期せぬ風雪に出遭い、寒さに震え歩いた人の頬の痛みは、
どれほどだったのだろう、胸に去来した思いはどんなものだったのだろう、と考えてしまう。
防寒防風の装備を身に着け、遊びで歩いているわたしには計り知れない。

風の中でしんと佇むヤンゲン谷の源頭を覗き、この下で、今日もさらさらと、どこかに暮らす誰かの元へと流れていく水を想い、
灌木の間を通り抜けていくと、ちょこっと若狭側に入った白石平に出た。
s-DSC_0068.jpg
風をよけ、近江側に一段下がり、灌木の間に腰を下ろしてお昼ご飯にする。
鈍色の雲間から差し込んだ薄絹のような光で、黄みを帯びた鉛白色に淡く煌めくうみを眺めながら、
歩き始めは、青い空と青いうみを期待していたけれど、こころをより震わされる、
いのちの源、意識の源、というものを無意識が感じる、この空とこのうみの色に、わたしは出会いたかったのだなぁ、
と感慨深い気持ちに包まれる。

一旦止んだ雪がまた舞ってきた。さぁ下ろう。石庭から白石平への登山道にも、うつくしい堀割の道が続いている。
この道も寒風、赤坂山への登山道と同じく、マキノと粟柄の集落を繋ぐ道。尾根、谷、山腹に、絶妙な線を描きながら続いている。
ブナ林の小尾根を下っていき、すっぽりと雪で覆われた炭焼き窯跡が眠るイモジャ谷右俣に降り立った。
大谷山のこころ、大谷山と共に生きた人々のこころを感じる地。
道や炭焼き窯は人間の意思で作られたものだけど、自然と調和する中で、このような妙なる風景となるのだと、訪れる度に感動してしまう。

谷を渡り、・749の尾根に乗り、・704からは、登山道を外れ、△680・1原山へと向かっていた。
ふたつの尾根からイモジャ谷に降りて彷徨うことに一時、魅了されていたが、その先の谷が入り組んだ広い尾根は初めてだ。
原山周辺はヤブがうるさいので、雪のない季節、足が向かわなかったのだが、くねくねと曲がっていく尾根には、
山仕事に入った人々の匂いが漂い、ヤブっぽくなっても、枝をどけると通り抜ける空間があり、
すんなりと裸の木々に囲まれた山頂に着いた。

ここからは、原山峠道にぶつかる尾根を下った方が楽だったが、雪の峠を見たくなり、木々の枝をかき分け、鞍部を目指し下っていく。
曇天の雪の積もった峠は、ひっそりさみしさが充満し、ゆっくりするのがためらわれた。

急ぎ足になり谷を下っていった。道は雪で覆われどこなのか分からず、ズボズボと何度も踏み抜いてしまう。
足を引っ張り出す度に、この道を歩いた人びとのご苦労を思いしんみりとなる。谷を離れると雪道は歩きやすくなった。
森西への道を見送り、辻へと向かい、ひと月まえ植林を登ってぶつかった道を下っていき、集落の少し北にぽんと出た。
そうかぁ。前回分からなかった道の始まりを知り、ほくそ笑む。

辻の春日神社から石庭の八幡神社へと、雑木林の中の道を、前回は逆に歩いたなぁ、と思いながら、
どこかからどこかへ行って、また戻ってきたような不思議な気持ちで歩いていると、
ぽつぽつと雨が降り出し、瞬く間に本降りとなり、全身ずぶ濡れとなってしまった。
あぁ、最後の最後に、と思いつつ、この展開を楽しんでいるわたしがいた。雨は嫌だったはずなのに。

冬の冷たい雨に打たれ、わたしのこころは、よりじんわりあたたかな光を感じていた。
頭の中では、今日出会った風景、記憶の風景がクルクルとまわっていた。
わたしは、何故山に惹かれるのだろう。わたしの中の何が山に向かわせるのだろう。
わたしは何を知りたいのだろう。何を感じたいのだろう。
クルクルとまわる風景がひとつに繋がっていき、わたしの中の光と重なるのを感じた。

その光に、わたしの「源流への旅」を感じた。

sato
アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【湖西】 旅の途中 大谷山で見た「源流への旅」

投稿記事 by アオバ*ト »

 satoさん、こんにちは。

>見上げた空は青く澄み渡り、目の前のふわりと雪を纏った山は、降り注ぐ太陽の光で、やわらかに輝いていた。
明日、実家に帰る前の最後のお山は、やっぱりここだったのだと思う。

satoさんの一年の最後のお山、
大谷山だったのですね。
私も大谷山、大好きです。湖西の山の中で、乗鞍岳と並んでいちばん好きかもしれないです。
春夏秋冬、とりわけエゴの木の季節とかススキの季節とか、すてきです。
雪の季節も格別ですね。

>登るのは、・749から東、南東に延びる尾根。ちょっと急だけど道跡に出会えるかもしれない。
スノーシューをリュックに括り付け、うっすらと雪の積もった林道を進み、
谷を越えたところから植林の斜面に取りついて適当に登っていく。尾根の形が出た辺りで雑木林となり道が現れた。
塞ぐように飛び出したソヨゴの青あおとした葉が、この道の光と陰を物語る。

それにしても、satoさん、すごいところ登られますね。・749南東の尾根?
こんな急なところ登るって思いもつかないです。
でも、道型があるんですね。

>振り返ると、穏やかに光るうみが目に飛び込んだ。この山と共に生きた人々の確かな痕跡と、
むかしむかしから変わらぬ母なるうみの輝きを見て、トクンと胸が鳴る。
やっぱり大谷山だったのだ、とあらためて思う。

このうみ(湖)の輝きを求めて、このうみ(湖)の輝きをずっと背中に感じていたくて、
私も遠くても大谷山に向かっていました。

>谷を遡り、若狭と近江の国境の稜線に立った時、目に映った、うみと里と山が織りなすしみじみとした光景が、
大谷山寒風と進み、割谷の頭からトチノキ谷の源流へと向かう時に出会った見事な堀割の道の佇まいが、
そして、その日の夜に見た父との散歩の夢が、わたしの中で静かに光を放ち続けていた。

大谷山のすばらしいところその②、うみと里と山と源流と掘割の道。

>辿り着いた山頂は、すべてを突き放し、一方で、すべてを包容するような不思議な空気に満ちていた。
薄霧がかかった鉛色の空の下に浮かぶ、ギザギザとススキの茎の出た雪の稜線は、寂寞とし、ぶるっと身震いする冷たさで、
でもその中に、何とも言えない、包み込まれるようなぬくもりを感じた。

痛いほど、情景が浮かびます。
荒涼とした風景の中にも、satoさんには、違うものも見えているのですね。
satoさんの感じたもの、わたしもなんとなくわかるような気がします。

>どこかから吹いてきた風が、ごうごう、と低く重く耳元で鳴り響く。粒つぶの冷たく痛い雪が頬に当たる。
風が、雪が、過ぎし日のお山と人との物語の欠片を運んでくる。
わたしは、今、馬も通ったという山上の道、古代から近江と若狭を繋いできた長いながい歴史の道を歩いているのだ。
頬の上で融けた雪を、手袋をはめた手で拭いながら、予期せぬ風雪に出遭い、寒さに震え歩いた人の頬の痛みは、
どれほどだったのだろう、胸に去来した思いはどんなものだったのだろう、と考えてしまう。

昔の道を辿る時、私もこんな風に感じることがあります。そしてすごく切なくなるときがある。

>鈍色の雲間から差し込んだ薄絹のような光で、黄みを帯びた鉛白色に淡く煌めくうみを眺めながら、
歩き始めは、青い空と青いうみを期待していたけれど、こころをより震わされる、
いのちの源、意識の源、というものを無意識が感じる、この空とこのうみの色に、わたしは出会いたかったのだなぁ、
と感慨深い気持ちに包まれる。

これもなんとなくわかるような気がします。
青い空の下では見えない何か。抜けるような青い空の下では感じることのできない何か。
空はいつも青いわけじゃなくて、
鉛色の鈍い光を放つ重苦しい空にも何か美しさがあって、ひとりボーっと見上げてしまうことあります。
同行者にはあまり理解してもらえないのですが。

>谷を渡り、・749の尾根に乗り、・704からは、登山道を外れ、△680・1原山へと向かっていた。
ふたつの尾根からイモジャ谷に降りて彷徨うことに一時、魅了されていたが、その先の谷が入り組んだ広い尾根は初めてだ。
原山周辺はヤブがうるさいので、雪のない季節、足が向かわなかったのだが、くねくねと曲がっていく尾根には、
山仕事に入った人々の匂いが漂い、ヤブっぽくなっても、枝をどけると通り抜ける空間があり、
すんなりと裸の木々に囲まれた山頂に着いた。

satoさんの帰り道もまたすごい。・704から原山峠!私ひとりでは、絶対こんな冒険できないです。
でもスノーシューでこの二つの尾根とイモジャ谷の源流をくるりと遊んでみたい気持ちにかられました。
原山峠から辻の集落へ降りるっていうのもすごいです。
雪の無いとき辻から原山峠経由で一度だけ登ったことあります。長くて長くて、ヤブの中で彷徨って疲れ果てました。

>そうかぁ。前回分からなかった道の始まりを知り、ほくそ笑む。
ほんの些細なことだけど、自分にはこの上もない発見ですごく嬉しくなることあります。
これも周りのひとにはそんなことかって思われるのですが。

>ぽつぽつと雨が降り出し、瞬く間に本降りとなり、全身ずぶ濡れとなってしまった。
あぁ、最後の最後に、と思いつつ、この展開を楽しんでいるわたしがいた。雨は嫌だったはずなのに。
冬の冷たい雨に打たれ、わたしのこころは、よりじんわりあたたかな光を感じていた。

山の中で雨で、降りてきたら晴れ。山の中でだんだん下り坂で降りてきたらずぶ濡れ。
これもみんなに理解されないですが、どっちも好きです。
一日中ずっと晴れ、もちろんそれはそれで大歓迎なんですが。

>頭の中では、今日出会った風景、記憶の風景がクルクルとまわっていた。
わたしは、何故山に惹かれるのだろう。わたしの中の何が山に向かわせるのだろう。
わたしは何を知りたいのだろう。何を感じたいのだろう。
クルクルとまわる風景がひとつに繋がっていき、わたしの中の光と重なるのを感じた。
その光に、わたしの「源流への旅」を感じた。

大谷山は、satoさんの源流ってことなのかな。

・704から原山峠間、無性に行ってみたくなりました。
   

  アオバ*ト
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【湖西】 旅の途中 大谷山で見た「源流への旅」

投稿記事 by sato »

アオバトさま

こんばんは。
今冬最強の寒波が襲来しましたね。明日の朝が心配です。

自己完結、自己満足の世界に、思いを巡らせてくださり、さらに、まっすぐなお言葉で伝えてくださり、ありがとうございます。
この日、こう感じたわたしを、言葉にしたいという思いが募り、紡いでいました。
私も、アオバトさんのレポを楽しませていただきながら、そう、そう、と共感したり、そうかぁ、と思ったりしています。

アオバトさんタイラさんの、一昨年の山納めのお山が大谷山でしたね。覚えています。
第三展望台に着いた時、絶叫するアオバトさんの姿が浮かびましたよ。ほんとうです(笑)。
この日は、薄霧に包まれ、あぁ、と息を吐き、物思いにふけってしまう情景でしたが。

アオバトさんは、湖西のお山の中で、大谷山と乗鞍岳が大好きなのですね。
たおやかに広がる稜線を、海とうみを感じながら旅するしあわせ、せつなさ、わたしも感じます。
自由に歩ける雪の季節は格別ですが、四季折々、しみじみとした情景に出会えますね。
私は、ススキの穂がさわさわと揺れる頃になると、ソワソワ落ち着かなくなり、
仕事の前後、午前中だったり午後だったり、突然大谷山に向かっています。あのうつくしい堀割の道を通って。

大谷山寒風は地形も面白く、歴史も興味深いです。
イモジャ谷、粟柄谷源頭の尾根と谷が織りなすやわらか地形、東面の急峻な地形を見ていると、あちこち彷徨いたくなります。
大谷川沿いでは、古代から鉄鉱石が取られていたそうです。渡来人の屋敷跡といわれる場所もあります。
石庭の人たちは、大谷山の堀割道や、大谷川を遡り、寒風の堀割道を通って、若狭の粟柄へと向かっていました。
歴史に思いを馳せながら地図を眺めていると、この尾根、あの谷が呼びかけてくるのを感じます。

・704から、イモジャ谷に延びるふたつの尾根は、それはそれは素敵、と、私は感じます。
どう素敵かは内緒。アオバトさんも素敵と思うはず。絶叫しますよ(笑)。その南、原山への尾根も味わい深いです。
雪がたっぷり降り積もった時、是非味わってください!

原山峠道は、森西からは田屋城跡を通るので、取りつきが分かりますが、辻からは、どこが道の始まりか分からず、
植林の斜面を適当に登っていました。数年来の疑問が解けうれしかったです。

「ほんの些細なことだけど、自分にはこの上もない発見」
私も、そう思う瞬間、多々あります。そして、そんな時、そのよろこびを言葉にしたい衝動に駆られます。
駆られるだけで終わってしまうことが大半なのですが。
ちいさな輝きとの出会い、ちいさな発見って、何故、こんなにも、こころを揺すぶられるのでしょうね。

それから、旅って、うつくしい思い出より、こっけいな思い出が、より鮮明に、よりいとおしく記憶に刻まれていたりもします。

突然の雨は、旅を印象づけてくれますね。
家を出る時は、雨降りになりませんように、と願っていても、楽しんでいるわたしがいる。
雷で怖い思いをしたこともありますが。
白いお花が咲く頃や、紅葉の頃の、しとしと雨の日の山歩きも、趣深いなぁと感じます。

「源流」とは?
大谷山に、ではなく、大谷山で、私は、「わたしの源流」というものを感じたのかな?

そう、2022年最後のお山は、こころの友と登った榛名山の相馬山でした。
大切な大切な宝物となった一日でした。

sato
アバター
わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【湖西】 旅の途中 大谷山で見た「源流への旅」

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、satoさん。

この山と共に生きた人々の確かな痕跡と、
むかしむかしから変わらぬ母なるうみの輝きを見て、トクンと胸が鳴る。

satoさんの源流への旅ですね。
ちなみにオジヤンに聞き取りをしていて、野田でアスレチックを整備したのは、千秋社が管理運営している
清水公園でした。今でもアスレチックはあるんですねえ。
:o

辻、森西集落と、百瀬川上流の川原谷源流域に存在した水無という集落とを繋いだ道の跡を、寄り道をしながら辿っていき、
川原谷出合の少し手前から、上半分しか歩いたことがなかったイモジャ谷と川原谷の間の尾根を、国境の稜線に向かい登っていった。
寒風からは、あのうつくしい堀割の道を確かめに、石庭嶽先の標高750m地点まで往復し、
同じくうつくしい堀割の道が残る寒風登山道を下り、大谷川に降り立ち石庭集落に出た。
歩きながら、山中に網の目のように張り巡らされている道が、木立の中の光と陰が、わたしの意識、無意識に呼びかけてくるのを感じた。
こころの中に仕舞われていた旅で出会った風景や、本で知った山人の暮らしの風景が、ふっと浮かび上がっては、
目の前の折り重なる風景の中にさらに重なっていくのを感じた。

satoさんが歩いてきた距離が思いにつながるのでしょう。
すぎたものを捨て去ってしまう時代の中で
人類が歩んできたありように戻る作業のように思います。


わたしは、今、馬も通ったという山上の道、古代から近江と若狭を繋いできた長いながい歴史の道を歩いているのだ。
頬の上で融けた雪を、手袋をはめた手で拭いながら、予期せぬ風雪に出遭い、寒さに震え歩いた人の頬の痛みは、
どれほどだったのだろう、胸に去来した思いはどんなものだったのだろう、と考えてしまう。
防寒防風の装備を身に着け、遊びで歩いているわたしには計り知れない。

最近、水上勉の小説を読んでいます。
若狭の貧農の家に生まれた水上勉
同じような出自の小説の主人公が故郷を去る時に歩いた峠道
草川さんと山日和さんの「若狭の山」を読んでいてふと思い起こしました。


風をよけ、近江側に一段下がり、灌木の間に腰を下ろしてお昼ご飯にする。
鈍色の雲間から差し込んだ薄絹のような光で、黄みを帯びた鉛白色に淡く煌めくうみを眺めながら、
歩き始めは、青い空と青いうみを期待していたけれど、こころをより震わされる、
いのちの源、意識の源、というものを無意識が感じる、この空とこのうみの色に、わたしは出会いたかったのだなぁ、
と感慨深い気持ちに包まれる。

鈴鹿から見る伊勢湾よりも
ここからみる琵琶湖は近いせいか
あたたかく包まれている気がします。


冬の冷たい雨に打たれ、わたしのこころは、よりじんわりあたたかな光を感じていた。
頭の中では、今日出会った風景、記憶の風景がクルクルとまわっていた。
わたしは、何故山に惹かれるのだろう。わたしの中の何が山に向かわせるのだろう。
わたしは何を知りたいのだろう。何を感じたいのだろう。
クルクルとまわる風景がひとつに繋がっていき、わたしの中の光と重なるのを感じた。

その光に、わたしの「源流への旅」を感じた。

satoさんの源流・・いいですね。
私の源流はどこへ行くのやら。

                    わりばし
バーチャリ
記事: 547
登録日時: 2011年3月12日(土) 20:58

Re: 【湖西】 旅の途中 大谷山で見た「源流への旅」

投稿記事 by バーチャリ »

satoさん 今晩は

大寒波できようは寒いですね。
こちらは雪がちらつたいただけで済みました。

素敵な山の近く住んで見えるSotoさんが
羨ましいです。
大谷山は赤坂山の隣りなんですね。
赤坂山は花の時期に2回ほど行ってますが、
大谷山は未踏です。

堀割が気になり調べましたよ。
749の分岐を左の方なんですね。
見て引き返し749の尾根に方に行かれたのですね。
春の時期の堀割の写真出てましたが、
凄い雰囲気のいい堀割なんですね。
花の時期に行けるかどうか分かりません是非行って見たいです。
山頂はどんより曇っていたのですね。

(今、馬、通ったという山道、古代から近江と若狭を
繋いでできた長い長い歴史の道を歩いた)
凄く親近感が有ります。
今ちょうど鎌倉時代の○○○をかかわっています。
スノー衆の時教えて下さいね。

スマホでのレスです。

バーチャリ
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【湖西】 旅の途中 大谷山で見た「源流への旅」

投稿記事 by sato »

わりばしさま

引き続き、こんにちは。
コメントありがとうございます。
年末年始、三日間だけでしたが、野田に帰っていました。
小学6年生の途中まで社宅住まい、両親がたまたま見つけた野田市内の土地に家を建て、暮らし始めただけですので、
ふるさとでもなく、愛着もなかったのですが、最近はいいところだな、と思うようになりました。
千秋社は、わりばしさんからお聞きして、興味が湧き、一昨年、野田の町のお散歩に出かけ、建物も見に行きました。
清水公園のアスレチックは、越してきた頃、家族で行きましたよ。この公園も千秋社が運営しているのですね。

私は、山には登らない旅も好きで(高島に越してきてからは腰が重くなってしまいましたが)、
特に、集落に興味があり、学生のころから、ふらふらあちこち出かけていました。
山を歩きながら、不意に浮かび上がっては、目の前の風景と重なり合う、国も自然環境も異なる旅先で出会った風景や、
私の知らないむかしの風景・・・
「歩いてきた距離が思いに繋がる」そうなのでしょうね。
土地は、あらゆるところに物語を秘めている。それぞれの土地にはそれぞれの物語がある。
私が、あるいてみてきいて、掬いあげた物語の欠片は、色様々。
でも、その中に、言葉では言い表せない普遍的なものを感じます。
普遍的なものへと繋がるものを感じます。

すぎたものは、なかったものではないですよね。先ほど「須賀利をめぐる・・・」にも書きましたが、
私たちの暮らしは、えんえんと積み重ねられてきた、おおきなちいさな歴史の上にあるのだなぁ、と。
歩いて出会った風景からは、頭ではなく、わたしという存在そのものが、すっと感じます。

わりばしさんは、若狭の山から、水上勉を思い起しましたか。
私も、ふっとした時、思い起します。村上勉の描いた情景を思い浮かべながら歩いたりしています。
山に囲まれた田んぼを見ると、胸までつかる泥の田とか。
粟柄越えは、『湖の琴』で、粟柄村の貧農の娘が、余呉の西山の蚕の糸取りの家に奉公に行く時に越えた峠ですね。
峠を越えて奉公へ、という話は、若狭の、日本の、世界のあちこちにあるのだなぁ、と思いが広がっていったりします。
水上勉は、父がよく読んでいて、高島に越してきてから、無口な父と会った時、話題に上がりました。
遊びに来てくれた時、大音と西山を車で案内しました。生誕地のおおい町にも行きました。
若州一滴文庫を訪れたのですが休館日でした。
次回のお楽しみと言っていたのですが、叶わぬ夢となってしまいました。
昨年、お山の帰りに寄ったのですが、なんかかなしくなり建物の前を通り越してしまいました。
話がそれていってしまいました。失礼いたしました。

「源流への旅」と書きましたが、「源流」とは何なのでしょうね。
「何」と表現できるものではないのかもしれません。感じるものでしょうか。
そう、どこに行くのやら、と思い、あぁ、と感じるもの。

sato
sato
記事: 417
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【湖西】 旅の途中 大谷山で見た「源流への旅」

投稿記事 by sato »

バーチャリさま

こんにちは。
スマホからコメントくださったのですね。
私は出来ません(汗)。
昨晩?からの雪ですが、朝起きた時、10センチくらい積もっていて、お昼前には20センチ弱ぐらいに。
先ほど、雪かきが終わりました。
我が家の前の道は除雪車が入らず、10メートルくらい雪かきしなければなりません。
積もった日は、夫は必ずと言ってもいいほど留守。今日はお仕事で明神岳に行っています。
やり始めるまでは、面倒くさいなぁ、と思うのですが、スコップを持つとスイッチが入ります。
今日も1時間半、無心状態でかいていました。今、腰が痛いです・・・。

うみと比良のやまなみに導かれるように暮らし始めた高島の地。
日々、やまとうみを近くに感じることが出来しあわせです。
雪景色を味わえるのもしあわせですね。雪かきも面倒くさいといいつつ、楽しんでいるのだなぁ、と。

野坂山地の山は、高島に来てから、すっかり魅了されています。
バーチャリさんは、赤坂山に2回登られたのですね。大谷山も四季を通じて味わい深いお山です。
登山道になっている堀割の道はほんとうに素晴らしいです。春にはトクワカソウ(イワウチワ)、イワカガミが道を彩ります。
この道は、荒れていたのを、地元の方と、北山クラブの方々が整備してくださり、多くの方が楽しまれるようになりました。
カタクリのお花にも出会えます!
まっ白な雪で覆いつくされた大谷山も感動的です。今日の雪で、ススキは完全に埋まったと思います。
バーチャリさん、大谷山にいらっしゃる時は、教えてくださいね。お日にちが合いましたら、是非ご一緒させてください。

鎌倉時代の〇〇〇。興味津々です!
明日、お会いできますね。楽しみにしています。

sato
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