【台高】桧塚奥峯界隈 「ヒキウス平」は在った。

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honma1957
記事: 13
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

【台高】桧塚奥峯界隈 「ヒキウス平」は在った。

投稿記事 by honma1957 »

【山域】台高北部

以前、【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。2019年6月06日
と投稿しましたが、最近「松阪山岳会 会報2 1952.12.21発行」を読む機会が有り、その会報に掲載されている「奥香肌渓略図(最近通過セル路筋)」という地図に、「ひきうす平」と記入されていることを発見しました。
松阪山岳会 会報2より
松阪山岳会 会報2より
千石谷近くの千石平の上に、ひきうす平と記入されています。
この地図のガリ版刷りの部分は会報発行時点(1952年)のもので、会報発行時点で不明だった地名がその後明らかになり、サインペンで追加記入されたものと思われます。
このように千石平の近くにひきうす平と記入されているので、「ヒキウス平は在った」と訂正しお詫びします。
最後に編集したユーザー honma1957 [ 2022年8月16日(火) 09:41 ], 累計 1 回
アバター
わりばし
記事: 1589
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 「ヒキウス平」は在った。

投稿記事 by わりばし »

こんにちは、honmaさん。

ひきうす平は開墾地と同じかもしれませんね。
開墾地には乾留工場にある土管が石垣の上に残っています。

開墾地から蓮第4工場・第5工場へ続く赤嵓滝谷左岸道も含めて「三重木材乾留会社と第1次世界大戦」としてまとめました。

飯高JAZZCAFEに行くとこの文章を投稿したΩ(オメガ)第5号があります。
また、読んでみてください。

              わりばし
最後に編集したユーザー わりばし [ 2022年8月09日(火) 05:21 ], 累計 1 回
honma1957
記事: 13
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 「ヒキウス平」は在った。

投稿記事 by honma1957 »

わりばしさんコメント有難うございます。
ひきうす平は開墾地と同じかもしれませんね。
そうかも知れませんね。
開墾地には乾留工場にある土管が石垣の上に残っています。
私も見ています。何でこんなものが有るのかと思いました。
上流のほうに道が繋がっていることは解りましたが、乾留工場があるとは思ってもいませんでした。
開墾地から蓮第4工場・第5工場へ続く赤嵓滝谷左岸道も含めて「三重木材乾留会社と第1次世界大戦」としてまとめました。

飯高JAZZCAFEに行くとこの文章を投稿したΩ(オメガ)第5号があります。
また、読んでみてください。
毎週この辺りを花見鳥見でうろついているので、帰りに寄って読ませてもらいます。
              
グー(伊勢山上住人)
記事: 2084
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
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Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 「ヒキウス平」は在った。

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

honma1957 さん、こんばんは。

【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。2019年6月06日
https://yabukogi.net/viewtopic.php?f=4&t=4252


この投稿をされてからもう3年経ったのですね。
その後も資料を読み込まれて、レポに手を入れられていたとは気付かずにいました。

「松阪山岳会 会報2 1952.12.21発行」に、「ひきうす平」と記入されていることを発見しました。

前回は

「松阪山岳会 会報 ⑦ ALPINIST 発行1962.12.21」のトップ記事として掲載されていて、題名は「桧塚奥峯 大西保夫 記」である。
1957年11月3日の登頂記録と思われる。


を元にしての投稿でしたから、その10年前の資料になりますね。
「ひきす平」は「ひきうす平」の転記ミスだったのですね。

千石平の近くにひきうす平と記入されているので、「ヒキウス平は在った」と訂正しお詫びします。

お詫びすることではないと思います。先の投稿の時に確定していたことです。
確かに現地には周りより窪んだ場所があり「碾き臼」形状と言われればそう見えます。

その名前を知っている人が、現在「ヒキウス平」と呼ばれている場所を間違って使い、
それが定着して現在に至っているのでしょう。
「桧塚」も誰かが使い始めて定着したのでしょう。

台高にこだわってくれている人がみえるのはとても嬉しいことです。
また新しい資料が見つかったらレポを上げて下さい。
楽しみに待っています。


                 グー(伊勢山上住人)
honma1957
記事: 13
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 「ヒキウス平」は在った。

投稿記事 by honma1957 »

グー(伊勢山上住人)さん、こんばんは。

この地図の手書きの部分は1952-1962年の間に書き加えられ、1962年の檜塚奥峯概念図に集約されたのではないかと思っています。
そして「ひきす平」「ピキウス平」は間違いで、「ひきうす平」が正しいようです。
間違いは正すべきだと思い訂正しました。

私は池木屋山に興味がありまして、以前から色々と調べていました。
たまたま会報14に掲載されていた「ある一夜」という記事を読みこれは面白いなと思いました。
内容は山岳会創設まもないころ、馬駆け場から尾根沿いに池木屋山を目指したが、マヨイ(千石山)で方向を間違え千石谷へ下ってしまったというものでした。
私は当の本人に「千石山なら日帰りで行けるのに何故」と聞くと、当時の稜線は背丈を超えるほどの笹が密集していて、道はなく笹薮に突っ込んで行くしかなかったそうで、又当日の天気は霧で見通しがきかなかったそうです。
なるほどそうだったのかと思いました。

そんなことに興味をもち古い会報を読んでいくうちに「桧塚奥峯 大西保夫 記」が「桧塚奥峯」を最初に紹介したものではないのかと気づき、檜塚奥峯概念図の地名を調べているうちに「ひきうす平」に疑問を持ち調べたのが前回の投稿です。
そして実は疑問点がもう一つ有りまして、ヌタハラ谷の夫婦滝(国土地理院の地図)が松阪山岳会の地図では何れも不動滝になっているのです。??? です。

今回読んだ「松阪山岳会 会報2 1952.12.21発行」には、私がもっとも知りたかった山岳会の池木屋山初登頂の様子が詳細に書かれていました。
大発見でした。

また機会があれば投稿します。
グー(伊勢山上住人)
記事: 2084
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
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Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 「ヒキウス平」は在った。

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

honma1957さん、こんにちは。

そして「ひきす平」「ピキウス平」は間違いで、「ひきうす平」が正しいようです。
間違いは正すべきだと思い訂正しました。


honma1957さんの人柄がよく表れています。
清い。潔い。堅い。潔癖。たぶん頑固。

台高の微に入り細を穿つ極めてマニアックな話題に盛り上がるのは
ごく少数のメンバーだけで、門外漢には「・・・」なのでしょうが、
台高を盛り上げたいのでちょっかいを出ささせて下さい。

メインテーマの「ひきうす平の位置」については結論が出ていますので
横道にそれますがご容赦ください。

会報発行時点(1952年)のもので、会報発行時点で不明だった地名がその後明らかになり、
サインペンで追加記入されたものと思われます。
この地図の手書きの部分は1952-1962年の間に書き加えられ


これはちょっと疑問に感じます。

※「松阪山岳会 会報 ⑦」は三重県立図書館で閲覧できます。(2020/06/28 追記)

「松阪山岳会 会報2 1952.12.21発行」も三重県立図書館で閲覧できるのでしょうか?
グーは「松阪山岳会 会報」を読んだことはありませんが、
図書館への会報の寄贈は通常発行するたびに届けるのではないのでしょうか?
印刷が終わり、見直してみると手直しの必要があり、寄贈するまでの間に手書き修正した。
そのようにグーは感じます。

松阪山岳会に長年保管されていたものを何年分もまとめて寄贈されたのかもしれませんが、
発行から何年も経ってから手を入れる時は赤ペンで書くのじゃないかな?と思ったりもして。

そもそもその当時は笹がすごくて、踏跡をはずしてヤブに入ることは出来ませんでした。

honma1957さんはそんな頃からこの山域に入られていたのですね。
グーが歩き始めた頃にはすでに笹は無かったです。
(くるぶしぐらいはあったかな?アルツです)

そして実は疑問点がもう一つ有りまして、ヌタハラ谷の夫婦滝(国土地理院の地図)が
松阪山岳会の地図では何れも不動滝になっているのです。??? です。


そう言えばzippさんも夫婦滝と不動滝の呼び名にはこだわりを持っていましたね。
夫婦滝は会報2に記載はありませんが、会報7には記載されています。
位置については概念図ですから正確とは言えないですよね。
夫婦滝・不動滝・コウセン滝・ネコ滝・アザミ滝の順に当てはめてグーは使っています。

径らしいものもない広々とした二峯程を廻つて、1440米A峯即ち桧塚奥峯とも云うべき目的の山頂に遂に到達する。
山頂は殆んど平で大樹が茂つていて眺望は殆んどきかない。


グーが気になっているのはここなんですよ。

「桧塚奥峯 大西保夫 記」1957年11月3日の登頂記録と思われる。

昭和32年の桧塚奥峰は大樹の森だったという記述に驚いています。
鈴木ヨネの乾溜工場は大正時代だから、その時はまだ切られていない。
桧塚奥峰から南、シャッポ尾根北斜面まで千石平国有林なんですよね。
昭和30年代に林野庁が大樹を切り出したのか?
皆伐して天然更新に任せたが樹木は育たず笹原になり、
その笹も枯れて表土流出の危機に国は放置しているのか?

桧の古木の茂り合うた所謂「桧塚」に至る。
桧塚は地図で見ると前述の桧塚奥峯の真東に添う1400米線の出張り位の所である。
桧塚から東方の枝谷に即ち1402.3米峯(三角点あり)のほんの下の谷間に達す。
此所から桧塚を見上げると三角錐の頂点に青緑の花冠つけた山少女と見立つべく、塚というべきか、冠と云うべきか姿よく見える。
是によつて見れば、桧塚と云うは蓮側にある名称で、青田側では全々考えられぬ名称であつて、1440米A峯は桧塚又は「桧塚奥峯」と称すべきものである。
1402.3米の三角点ある峯は無名にして、千秋社で名付けている「千秋峯」と云うは結構であると思われる。
其後に青田側で千秋峯の東尾根の塊を桧塚と称うのを知つた。

訂正 2019/08/08
桧塚GEの画像で、「桧塚 千秋峯」の桧塚の文字を削除しました。

訂正 2019/08/08
「ピンポイントでいえば桧塚(1402.2m)=千秋峯なのである。
広義でいえば、桧塚から桧塚奥峯あたりまで入るかもしれない。
P1186(位置R)方向は、・・・」と記述したが、
「桧塚(1402.2m)=千秋峯」を、「1402.2mの三角点=千秋峯」と訂正し、
「広義でいえば、桧塚から桧塚奥峯あたりまで入るかもしれない。」の部分を削除しました。
削除理由は、松阪山岳会の複数の会報を調べてみたら、1402.2mの三角点のある所が、ほとんど「千秋峯」と記載されていることが解った為。
「1402.2mの三角点=千秋峯」以外は有り得ないから。
最後に編集したユーザー honma1957 [ 2019年8月08日(木) 20:41 ], 累計 2 回

●千秋峰とはどこのこと?
三角点のある桧塚のこと。
ムカシ、千秋社初代所長の服部こういちさんが、千秋社事務所から見えた山(桧塚)に名づけた。

正直、地名は、それを引き継ぐ人がいないと廃れてしまいます。 :(
ただ最近はやはりエリアを指す単語として使っていますね
『千秋』『千秋』と


グーにしては引用が長くなってしまいました。
グーが何を言いたいか分かりますか?
honma1957さんは松阪山岳会の会報を絶対視し過ぎています。
「千秋峯」は千秋社初代所長の服部こういちさんが個人的に名付け、
それを松阪山岳会の会報が採用しただけじゃないのですか?
千秋社が山主になってから半世紀程度の歴史の浅すぎる「名称」だとグーは感じます。
それを信奉して桧塚の文字を削除されたということですよね。

「キリギリス」と「こおろぎ」の名前の変遷のように、今後どの名前が後世に残ってゆくのかグーには分かりませんが。


                  グー(伊勢山上住人)
honma1957
記事: 13
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 「ヒキウス平」は在った。

投稿記事 by honma1957 »

グー(伊勢山上住人)さん、こんばんは。

ご質問の項目が多いので簡単に答えさせていただきます。
舌足らずになるかもしれません。

清い。潔い。堅い。潔癖。たぶん頑固。
いやいや間違ったら直さなければならんでしょう。
間違いが解っていても意地でも押し通す人もいますが。(政治屋さんなど)


会報発行時点(1952年)のもので、会報発行時点で不明だった地名がその後明らかになり、
サインペンで追加記入されたものと思われます。
この地図の手書きの部分は1952-1962年の間に書き加えられ


これはちょっと疑問に感じます。

※「松阪山岳会 会報 ⑦」は三重県立図書館で閲覧できます。(2020/06/28 追記)

「松阪山岳会 会報2 1952.12.21発行」も三重県立図書館で閲覧できるのでしょうか?
この会報は個人の所有です。図書館には無いと思います。
グーは「松阪山岳会 会報」を読んだことはありませんが、
図書館への会報の寄贈は通常発行するたびに届けるのではないのでしょうか?
印刷が終わり、見直してみると手直しの必要があり、寄贈するまでの間に手書き修正した。
そのようにグーは感じます。

松阪山岳会に長年保管されていたものを何年分もまとめて寄贈されたのかもしれませんが、
発行から何年も経ってから手を入れる時は赤ペンで書くのじゃないかな?と思ったりもして。
個人の所有ですので会報発行直後か、しばらく経ってからか、個々に記入したのか、一気に記入したのか解らないので1952-1962年としました。


honma1957さんはそんな頃からこの山域に入られていたのですね。
グーが歩き始めた頃にはすでに笹は無かったです。
判官平あたりの登山道は薄いふみ跡が有りましたが、ワサビ谷側は背丈ぐらいの笹薮でした。
明神平の小屋から東の水場までは、沢状の所が道で回りはすべて笹薮でした。
明神平の上部、最近ソリ遊びをしている所も、すべて背丈を超える密集した笹薮でした。
そう言えばzippさんも夫婦滝と不動滝の呼び名にはこだわりを持っていましたね。
夫婦滝は会報2に記載はありませんが、会報7には記載されています。
位置については概念図ですから正確とは言えないですよね。
夫婦滝・不動滝・コウセン滝・ネコ滝・アザミ滝の順に当てはめてグーは使っています。
会報7の記述に、ヌタハラ谷沿いに蓮へ帰る道中、「・・・やがて叶山に出て、そのヌタハラの左岸唯一の大きい枝沢をよぎる頃から、その出合上のヌタハラ本流に不動滝が見えてくる。」
とあります。
桧塚奥峯概念図の「ヌタハラ谷」の文字の「タハ」の辺り、植林小屋又は木材集積場の上辺りからの眺めでは無いでしょうか?
そしてこの滝は現在夫婦滝と呼ばれている滝ではないでしょうか。
桧塚奥峯概念図の夫婦滝は、もっと下流の二条の滝が夫婦滝ではないかという説もあるみたいです。私はこの滝を知りません。
昭和32年の桧塚奥峰は大樹の森だったという記述に驚いています。
鈴木ヨネの乾溜工場は大正時代だから、その時はまだ切られていない。
桧塚奥峰から南、シャッポ尾根北斜面まで千石平国有林なんですよね。
昭和30年代に林野庁が大樹を切り出したのか?
皆伐して天然更新に任せたが樹木は育たず笹原になり、
その笹も枯れて表土流出の危機に国は放置しているのか?
大西さんが言っておられる桧塚奥峰と云うのは1420m付近のことだと思います。
奥峰からの眺めでは無いと思います。
以前この辺り巨木の倒木が有りましたよ。
honma1957さんは松阪山岳会の会報を絶対視し過ぎています。
「千秋峯」は千秋社初代所長の服部こういちさんが個人的に名付け、
それを松阪山岳会の会報が採用しただけじゃないのですか?
千秋社が山主になってから半世紀程度の歴史の浅すぎる「名称」だとグーは感じます。
それを信奉して桧塚の文字を削除されたということですよね。
うーん こう言われれば、ああ云えばこう的な話になりますね。
確かに千秋峯は千秋社が名付けたものだと思います。
それを大西さんは採用した。それは無名の山だったからです。
P1186が千秋峰と云っておられる方がいますが、1402.2mの方がよっぽどまともだと思います。
桧塚は無かったわけではなく、青田の桧塚、蓮の桧塚として記述されています。
私は30年近く前、1402.2mの東の平へ様子を見に行ったとき、ヌタハラ谷方面から登って来た方に話を聞き、この平の上の桧の古木のある所が桧塚だと教えていただきました。何度も確認し1402.2mでは無く、桧の古木のある所と言っていました。この人のいう事が信用できるのかと言われればそれまでですが。
たぶん地元の人は、桧の古木のある辺りから奥峰辺りまで桧塚と呼んでいたのではないかと思っています。それはそれでいいのではないかと思います。
グー(伊勢山上住人)
記事: 2084
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
連絡する:

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 「ヒキウス平」は在った。

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

6明治地形図.jpg



honma1957さん、こんばんは。
ああ云えばこう的な話をもう少し続けさせて下さい。
しつこい。くどい。うざい。・・・
今回でグーの言いたいことは全て言い尽くします。

清い。潔い。堅い。潔癖。たぶん頑固。
いやいや間違ったら直さなければならんでしょう。
間違いが解っていても意地でも押し通す人もいますが。(政治屋さんなど)


スゴイ!!
グーは黙ってスルーする性格です。「そのうち世間も忘れるだろう」と。
honma1957さんを「見習いたい」と宣言したい所ですが、自信がありません。

「・・・やがて叶山に出て、そのヌタハラの左岸唯一の大きい枝沢をよぎる頃から、その出合上のヌタハラ本流に不動滝が見えてくる。」

明らかにグーが夫婦滝と呼んでいる滝を不動滝と表記していますね。
zippさんもこれを言っていたのかな?
「大西さんが勘違いをして、間違えて書いたのでは?」とグーは言いたい所です。

大西さんが言っておられる桧塚奥峰と云うのは1420m付近のことだと思います。
奥峰からの眺めでは無いと思います。


??

径らしいものもない広々とした二峯程を廻つて、1440米A峯即ち桧塚奥峯とも云うべき目的の山頂に遂に到達する。
今日は或は駄目かと思うた此の嶺に辿り得た此の喜び。
山頂は殆んど平で大樹が茂つていて眺望は殆んどきかない。
幸い南面に少し桧生い茂り、その内に桧の枯木あり、枯木に登つて素晴らしい眺めをほしいままにする。


あきらかに1440m山頂の描写でしょう。


確かに千秋峯は千秋社が名付けたものだと思います。
それを大西さんは採用した。それは無名の山だったからです。


honma1957さんは「無名の山」だったと心底思っていますか?
大西さんが「1402.3米の三角点ある峯は無名にして」と言ってるから
それを前提として話を進めているのではないですか?
三角点が設置されていて、ただの通過点としては存在感のある「山」だとグーは思います。
何らかの名前があってしかる場所だと思います。
「1402.3米の三角点ある峯は無名にして」は大西さんの情報収集不足もしくは解釈間違いと思います。

少し南方に降りかけて直ぐ東方に向う。
十分もせぬ内に桧の古木の茂り合うた所謂「桧塚」に至る。
桧塚は地図で見ると前述の桧塚奥峯の真東に添う1400米線の出張り位の所である。


「桧塚奥峯の真東に添う1400米線の出張り」
大西さんが収集した「桧塚」の情報ですよね。
この情報をどのように解釈するかです。
大西さんはレポのように解釈されました。
グーの解釈はちょっと違うのです。

「桧塚」の「桧」はそのまま桧でしょう。
「塚」は山の名前としては特殊ですよね。
「塚」は「その周囲の地面より、こんもりと丸く盛り上がった場所」を指しますよね。
「桧塚」の名付け親はなかなかの博学の人だと感服します。

桧塚奥峯の真東に添う1400米線の出張りで、こんもりと丸く盛り上がった場所が「桧塚」

大西さんは1400mの等高線が閉じた所で「出張り」の終わりと解釈しています。
グーは1400mからいったん下がり、次の1400mの等高線が回り込む所まで「出張り」と考えます。
だって大西さんの示す場所は「その周囲の地面より、こんもりと丸く盛り上がった場所」ではないですから。
大西さんの示す場所は「桧塚奥峯の東の肩」にグーは思えてなりません。

訂正 2019/08/08
「ピンポイントでいえば桧塚(1402.2m)=千秋峯なのである。
広義でいえば、桧塚から桧塚奥峯あたりまで入るかもしれない。
P1186(位置R)方向は、・・・」と記述したが、
「桧塚(1402.2m)=千秋峯」を、「1402.2mの三角点=千秋峯」と訂正し、
「広義でいえば、桧塚から桧塚奥峯あたりまで入るかもしれない。」の部分を削除しました。
削除理由は、松阪山岳会の複数の会報を調べてみたら、1402.2mの三角点のある所が、ほとんど「千秋峯」と記載されていることが解った為。
「1402.2mの三角点=千秋峯」以外は有り得ないから。


グーは訂正される前の「桧塚(1402.2m)=千秋峯」を支持します。


                      グー(伊勢山上住人)
honma1957
記事: 13
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 「ヒキウス平」は在った。

投稿記事 by honma1957 »

グー(伊勢山上住人)さん、こんばんは。

大西さんの記述が正確だと思われる情報をいくつか持っていますが、
説明しても
---------------------------------------------------
「大西さんが勘違いをして、間違えて書いたのでは?」
何らかの名前があってしかる場所だと思います。
---------------------------------------------------
このような議論をされたら、すべてを否定をすることが可能です。
充分説明すればいいのでしょうが、あほらしいのでやめます。
よってこの議論は意味がないのでこれで終わりにします。
お付き合い有難うございました。
アバター
わりばし
記事: 1589
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 「ヒキウス平」は在った。

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、honmaさん。

松阪市図書館で、松阪山岳会会報7の大西さんの山行記をあらためて読んできました。
今西錦司氏が櫛田川の源流域でのイワナの有無を調査した時の会話がきっかけだったんですね。

しっかり読み込むと以前の投稿の時には気づかなかった乾留工場とのかかわりが見えてきました。
「登り口の左に営林署の山林事務所がある。」と書かれている場所は蓮の乾留第1工場ですね。
この付近に索道の搬器が落ちていたので不思議に思っていたんです。
「檜塚奥峯概念図」の本谷小屋は青田の乾留第4工場の場所です。
沢沿いの貴重な平坦地を使わない手はないですよね。

奥峯の帰りに通った道は、現在の山腹道ですね。
乾留工場の木材搬入のための木馬道に使われていた道です。

「神戸鈴木の乾留工場があった頃の開墾地」といい乾留工場関連の場所を通っており貴重な情報でした。

                         わりばし

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