【比良】ちいさくなったおおきな背中を追いながら 母と山登り 蛇谷ヶ峰
Posted: 2022年6月27日(月) 17:47
【日 付】 2022年6月10日(金)
【山 域】 比良
【天 候】 曇り
【メンバー】 母 sato
【コース】 朽木スキー場~さわらび草原コース~蛇谷ヶ峰~817m地点~スキー場上~P
「あっ、お母さん」
下車客のいちばん最後にゆっくり歩いてくるのだろう、と思っていたら、すっとした足取りで、
いち早く改札口に向かってきたので、変に上擦った声になってしまった。
レモン色と若草色のチェックのシャツにオリーブ色のパンツ姿。昨年と今年に送った母の日のプレゼント。
必ず着て来ると思ったが、わぁ、着て来てくれたのね、とうれしくなる。
シャツもパンツもカタログの写真よりも軽やかな色。ピンク色の帽子とマスクで髪と顔が隠れ、
お正月に帰省した時に感じた、またひとまわりちいさくなった白髪の母と同一人物に見えない。
出て来て並ぶと背丈はまだわたしより高かった。
「似合っているね。81歳には見えないよ」
「そぉ?」何気ない返事ながら、母の声も少し上擦っていた。
「じゃぁ、行こうか」時間は限られている。ゆったりお山を味わいたい。
車に乗り込み、朽木スキー場へと向かう。
「先週は霧降高原に行ってきたのよ。そうしたらなんとハクサンイチゲが咲いていて。びっくりよ。
うれしかった。もうハクサンイチゲの咲く山には登ることはないと思っていたから」
「ハクサンイチゲかぁ。いいなぁ。よかったね」
「そういえば、私、朽木の山に登ったこともあるのよ。どこの山か思い出せないけれど。
朽木という地名ははっきりと覚えているの」
「そうなんだぁ」
最近、母との会話は母の山の話が多い。3年前までは、お互いの山歩きには興味を示さなかったのに。
いや、気にはなっていても無関心を装っていたのに。
滔々と話す母に相槌を打ちながら、最後に一緒に山登りに出かけたのは何時だったっけ、何処だったっけ、
と記憶を振り返っていた。あぁ、28年前の秋の涸沢だったと思い出す。
北穂に登る予定が雪になり涸沢小屋に泊まって翌日引き返したのだった。
小屋で数人の宿泊者から「姉妹?」と聞かれ「やだわぁ。母娘よ」とうれしそうに答えた母の顔が甦る。
そして、あの時の母は、今のわたしの年齢だったことに気づき、胸の奥がきゅっとなる。
11時。駅から30分でスキー場に着いた。
「ご飯を食べてから歩く?」
「頂上でいいわよ」
歩く気満々の母。
登山靴を履き、リュックを背負い、スキー場の脇を通り、緑の森の中へ、母、わたしと吸い込まれていった。
「わたしのこころのお山だよ。お母さん」
澱みなく一歩を重ねていく母の足元を見ながら、今、ふたたび一緒にお山に登っているのだという感慨に包まれる。
3年前、母はひとりで出かけた山の下り道で転倒し、左肘を粉砕骨折した。
入院手術したのよと事後報告され、びっくりして帰省した。一気に老けたような顔を見てかなしくなったが、
またお山に戻るはずと信じた。その時から、また一緒に登る日を夢見ていたのだった。
10日ほど前にかかってきた電話で、28年ぶりに急きょ実現となった母娘の山登り。
蛇谷ヶ峰を母は指定した。一緒に登りたいと思っていた山は、母もわたしも同じだった。
緑の海の中に浮かぶ真っ白なお花に、ふたりの目が留まった。
「ヤマボウシね」
「うん。わたしこのお花好き」
「私も。この山域ではこの時期に咲くのね」
少し進むとエゴの花が。
「きれいねぇ。エゴの花もいいわよね。私は白い花が好き。中でもシロヤシオが好き」
そうかぁ。母も白い花に惹かれていたのだ。ふたりともシロヤシオが大好きなのだ、と知る。
緑の海の中を道は続いていく。
「ちょっと休憩する?」
「大丈夫。ひとりの時はめったに休まないのよ」
そうだった、そうだった。ふたりで出かけた時も、どんなに暑くても、いつもすたすたと登っていた。
「わたしもひとりの時はあんまり休まないよ」
競うように言い返してしまい、あっ、そういうところが母と似ているのだなぁ、としみじみとなる。
「母とわたしは全く違う」と周りの人には言い続けているけれど。
休憩なしで12時20分少し前に山頂に到着した。
「お母さん、すごいね」
「私は、若い頃からあなたの心肺機能はずば抜けている、と言われてきたのよ。
今でも、登りはコースタイムで歩けるわよ。下りは皆に追い抜かれてしまうけれど」
昭文社の地図に書かれた1時間40分のコースタイムより、20分も短い時間で登れてご満悦だ。
‘わたしの場所’にシートを敷き、ふたり並んで座った。
「あぁ。いい景色。来てよかった」
やわらかな母の声が耳をくすぐる。
母が学生時代に登った鈴鹿の山やま、伊吹山は、残念ながら靄の中だけど、
わたしの感じる、山と里とうみと空が織り成すうつくしくいとおしい世界を、母も感じているのだ。
今日のふたりの山登りによろこびを感じているのだ、と思う。勝手に、でも、そのはず、と。
「ご飯にしようか」
道の駅で買った鯖寿司と巻き寿司を差し出す。
ツナのサラダ巻をほおばりながら、
「不機嫌真っ盛りの高校2年生の時、尾瀬に連れて行ってくれたよね。
お昼の時、お母さん、バケットを切ってツナとキューリとトマトを挟んでサンドイッチ作ってくれたね。覚えている?」
聞きたい気持ちに駆られたが、お友達の話を始めた母の横顔を見て、出かかった言葉をご飯と一緒に、ごくりと飲みこんだ。
涼しい風がさわさわと母とわたしの間を流れていく。
「年を取るとさみしい話ばかり」と言いながら、風に乗って髪の毛がわたしの顔にかかるを見ては、さっと払いのけてくれる。
眼の上をシワシワになった細い指が何度も横切る。
懐かしい母の指先の感触が、もはや瑞々しさを失ってしまったわたしのおでこが記憶しているぬくもりと重なり合う。
いくつになっても、お母さんにとって、わたしは子供なのだなぁ、と、涙が出そうになり、
上を向くと、水色の空が、ゆらゆらゆらりと揺れていた。
時間はあっという間に過ぎ去っていく。13時20分。そろそろ下らなければならない。
「帰りはちょっと急だけどいい?」
「いいわよ」
見せたいものがあり、行きと違う道を下ることにした。
817m地点からの最初の下りはよかった。でも次の急傾斜で、母の弱音を聞いてしまう。
「74,5歳までは大丈夫だったのだけど」
「急傾斜でも登りの尾根のように、きちんとした道がついていたらいいのだけれど」
頼もしかった背中が、お正月に見たちいさな背中になってしまった。
「そうだね。わたしも歩きにくい」
木に掴まりながら、ゆっくりゆっくりと下っていく。
スキー場上からは、東側の尾根を辿り、入部谷越に祀られている馬頭観音さまを一緒に見たかったのだが取り止めた。
石仏に興味があるのは父だった。
ゲレンデ脇のヤブには、コアジサイが咲いていた。わぁっと気持ちが華やぐ。
母と是非味わいたかった花。わたしの好きな6月の蛇谷ヶ峰の、淡藤色のコアジサイに彩られた風景を母と味わいたかった。
でも、カツラの谷道や秘密のコアジサイ尾根は無理。スキー場からのコースに咲いていたらいいな、と思っていた。
山中では出会えなかったけれど、こんなところで。
「お母さん、コアジサイ!」
「ほんと。きれいな色ねぇ。関東の山のコアジサイはもっと白っぽいのよ。
あら、ウツギもたくさん咲いている。ウツギはねぇ・・・」
ぱぁっと母の顔も華やぐ。
「へぇ。そうなんだぁ」
ふたりそろって軽やかになった足並みで斜面を下っていく。
15時。16時16分安曇川駅発の電車には、まだ時間がある。
グリーンパーク想い出の森に寄り、トイレを借りて、木陰でおやつにする。
頂き物のくずもちを渡したものの、母は封を開けるのに手こずっていた。
「年を取るとこういうことが苦手になるのよねぇ」
ちいさな頃、大好物のチーズのセロハンをいつも剥いてくれた母。
「はい」とわたしのくずもちと交換する。おおきくなったわたしは、母にセロハンを剥いてあげることが出来る。
16時過ぎ。とうとう駅に戻ってきてしまった。
「プラットホームのベンチに座って待っているから」
「うん。また電話するね」
お別れの言葉は素っ気ない。素っ気ない言葉しか言えない。
「じゃぁ」
にこりと笑い、手を振って、母は改札口を通り抜けていった。
「お母さん、わたし3歳の時、詩を口ずさんでいたんだって。
ゆらゆらゆらり おそらがゆらり・・・お父さんの『むかし むかし』に書いてあったよ。
お母さん、赤ちゃんのわたしを背負ってお山に連れて行ってくれたね。
お母さんの背中から見上げたおそらを思い出して口ずさんでいたんだね。今日も思い出していたよ」
母のちいさくておおきな背中を見送りながら、言いたくて言えなかったことを胸の内で呟いていた。
この先も伝えることはないだろう。
汗でおでこに張り付いた髪の毛を、母と同じ形と気づいた指で払いのけながら、
見えなくなった背中に「ねぇ、お母さん」もう一度呟いた。
sato
【山 域】 比良
【天 候】 曇り
【メンバー】 母 sato
【コース】 朽木スキー場~さわらび草原コース~蛇谷ヶ峰~817m地点~スキー場上~P
「あっ、お母さん」
下車客のいちばん最後にゆっくり歩いてくるのだろう、と思っていたら、すっとした足取りで、
いち早く改札口に向かってきたので、変に上擦った声になってしまった。
レモン色と若草色のチェックのシャツにオリーブ色のパンツ姿。昨年と今年に送った母の日のプレゼント。
必ず着て来ると思ったが、わぁ、着て来てくれたのね、とうれしくなる。
シャツもパンツもカタログの写真よりも軽やかな色。ピンク色の帽子とマスクで髪と顔が隠れ、
お正月に帰省した時に感じた、またひとまわりちいさくなった白髪の母と同一人物に見えない。
出て来て並ぶと背丈はまだわたしより高かった。
「似合っているね。81歳には見えないよ」
「そぉ?」何気ない返事ながら、母の声も少し上擦っていた。
「じゃぁ、行こうか」時間は限られている。ゆったりお山を味わいたい。
車に乗り込み、朽木スキー場へと向かう。
「先週は霧降高原に行ってきたのよ。そうしたらなんとハクサンイチゲが咲いていて。びっくりよ。
うれしかった。もうハクサンイチゲの咲く山には登ることはないと思っていたから」
「ハクサンイチゲかぁ。いいなぁ。よかったね」
「そういえば、私、朽木の山に登ったこともあるのよ。どこの山か思い出せないけれど。
朽木という地名ははっきりと覚えているの」
「そうなんだぁ」
最近、母との会話は母の山の話が多い。3年前までは、お互いの山歩きには興味を示さなかったのに。
いや、気にはなっていても無関心を装っていたのに。
滔々と話す母に相槌を打ちながら、最後に一緒に山登りに出かけたのは何時だったっけ、何処だったっけ、
と記憶を振り返っていた。あぁ、28年前の秋の涸沢だったと思い出す。
北穂に登る予定が雪になり涸沢小屋に泊まって翌日引き返したのだった。
小屋で数人の宿泊者から「姉妹?」と聞かれ「やだわぁ。母娘よ」とうれしそうに答えた母の顔が甦る。
そして、あの時の母は、今のわたしの年齢だったことに気づき、胸の奥がきゅっとなる。
11時。駅から30分でスキー場に着いた。
「ご飯を食べてから歩く?」
「頂上でいいわよ」
歩く気満々の母。
登山靴を履き、リュックを背負い、スキー場の脇を通り、緑の森の中へ、母、わたしと吸い込まれていった。
「わたしのこころのお山だよ。お母さん」
澱みなく一歩を重ねていく母の足元を見ながら、今、ふたたび一緒にお山に登っているのだという感慨に包まれる。
3年前、母はひとりで出かけた山の下り道で転倒し、左肘を粉砕骨折した。
入院手術したのよと事後報告され、びっくりして帰省した。一気に老けたような顔を見てかなしくなったが、
またお山に戻るはずと信じた。その時から、また一緒に登る日を夢見ていたのだった。
10日ほど前にかかってきた電話で、28年ぶりに急きょ実現となった母娘の山登り。
蛇谷ヶ峰を母は指定した。一緒に登りたいと思っていた山は、母もわたしも同じだった。
緑の海の中に浮かぶ真っ白なお花に、ふたりの目が留まった。
「ヤマボウシね」
「うん。わたしこのお花好き」
「私も。この山域ではこの時期に咲くのね」
少し進むとエゴの花が。
「きれいねぇ。エゴの花もいいわよね。私は白い花が好き。中でもシロヤシオが好き」
そうかぁ。母も白い花に惹かれていたのだ。ふたりともシロヤシオが大好きなのだ、と知る。
緑の海の中を道は続いていく。
「ちょっと休憩する?」
「大丈夫。ひとりの時はめったに休まないのよ」
そうだった、そうだった。ふたりで出かけた時も、どんなに暑くても、いつもすたすたと登っていた。
「わたしもひとりの時はあんまり休まないよ」
競うように言い返してしまい、あっ、そういうところが母と似ているのだなぁ、としみじみとなる。
「母とわたしは全く違う」と周りの人には言い続けているけれど。
休憩なしで12時20分少し前に山頂に到着した。
「お母さん、すごいね」
「私は、若い頃からあなたの心肺機能はずば抜けている、と言われてきたのよ。
今でも、登りはコースタイムで歩けるわよ。下りは皆に追い抜かれてしまうけれど」
昭文社の地図に書かれた1時間40分のコースタイムより、20分も短い時間で登れてご満悦だ。
‘わたしの場所’にシートを敷き、ふたり並んで座った。
「あぁ。いい景色。来てよかった」
やわらかな母の声が耳をくすぐる。
母が学生時代に登った鈴鹿の山やま、伊吹山は、残念ながら靄の中だけど、
わたしの感じる、山と里とうみと空が織り成すうつくしくいとおしい世界を、母も感じているのだ。
今日のふたりの山登りによろこびを感じているのだ、と思う。勝手に、でも、そのはず、と。
「ご飯にしようか」
道の駅で買った鯖寿司と巻き寿司を差し出す。
ツナのサラダ巻をほおばりながら、
「不機嫌真っ盛りの高校2年生の時、尾瀬に連れて行ってくれたよね。
お昼の時、お母さん、バケットを切ってツナとキューリとトマトを挟んでサンドイッチ作ってくれたね。覚えている?」
聞きたい気持ちに駆られたが、お友達の話を始めた母の横顔を見て、出かかった言葉をご飯と一緒に、ごくりと飲みこんだ。
涼しい風がさわさわと母とわたしの間を流れていく。
「年を取るとさみしい話ばかり」と言いながら、風に乗って髪の毛がわたしの顔にかかるを見ては、さっと払いのけてくれる。
眼の上をシワシワになった細い指が何度も横切る。
懐かしい母の指先の感触が、もはや瑞々しさを失ってしまったわたしのおでこが記憶しているぬくもりと重なり合う。
いくつになっても、お母さんにとって、わたしは子供なのだなぁ、と、涙が出そうになり、
上を向くと、水色の空が、ゆらゆらゆらりと揺れていた。
時間はあっという間に過ぎ去っていく。13時20分。そろそろ下らなければならない。
「帰りはちょっと急だけどいい?」
「いいわよ」
見せたいものがあり、行きと違う道を下ることにした。
817m地点からの最初の下りはよかった。でも次の急傾斜で、母の弱音を聞いてしまう。
「74,5歳までは大丈夫だったのだけど」
「急傾斜でも登りの尾根のように、きちんとした道がついていたらいいのだけれど」
頼もしかった背中が、お正月に見たちいさな背中になってしまった。
「そうだね。わたしも歩きにくい」
木に掴まりながら、ゆっくりゆっくりと下っていく。
スキー場上からは、東側の尾根を辿り、入部谷越に祀られている馬頭観音さまを一緒に見たかったのだが取り止めた。
石仏に興味があるのは父だった。
ゲレンデ脇のヤブには、コアジサイが咲いていた。わぁっと気持ちが華やぐ。
母と是非味わいたかった花。わたしの好きな6月の蛇谷ヶ峰の、淡藤色のコアジサイに彩られた風景を母と味わいたかった。
でも、カツラの谷道や秘密のコアジサイ尾根は無理。スキー場からのコースに咲いていたらいいな、と思っていた。
山中では出会えなかったけれど、こんなところで。
「お母さん、コアジサイ!」
「ほんと。きれいな色ねぇ。関東の山のコアジサイはもっと白っぽいのよ。
あら、ウツギもたくさん咲いている。ウツギはねぇ・・・」
ぱぁっと母の顔も華やぐ。
「へぇ。そうなんだぁ」
ふたりそろって軽やかになった足並みで斜面を下っていく。
15時。16時16分安曇川駅発の電車には、まだ時間がある。
グリーンパーク想い出の森に寄り、トイレを借りて、木陰でおやつにする。
頂き物のくずもちを渡したものの、母は封を開けるのに手こずっていた。
「年を取るとこういうことが苦手になるのよねぇ」
ちいさな頃、大好物のチーズのセロハンをいつも剥いてくれた母。
「はい」とわたしのくずもちと交換する。おおきくなったわたしは、母にセロハンを剥いてあげることが出来る。
16時過ぎ。とうとう駅に戻ってきてしまった。
「プラットホームのベンチに座って待っているから」
「うん。また電話するね」
お別れの言葉は素っ気ない。素っ気ない言葉しか言えない。
「じゃぁ」
にこりと笑い、手を振って、母は改札口を通り抜けていった。
「お母さん、わたし3歳の時、詩を口ずさんでいたんだって。
ゆらゆらゆらり おそらがゆらり・・・お父さんの『むかし むかし』に書いてあったよ。
お母さん、赤ちゃんのわたしを背負ってお山に連れて行ってくれたね。
お母さんの背中から見上げたおそらを思い出して口ずさんでいたんだね。今日も思い出していたよ」
母のちいさくておおきな背中を見送りながら、言いたくて言えなかったことを胸の内で呟いていた。
この先も伝えることはないだろう。
汗でおでこに張り付いた髪の毛を、母と同じ形と気づいた指で払いのけながら、
見えなくなった背中に「ねぇ、お母さん」もう一度呟いた。
sato