【湖北】山本山〜賎ヶ岳☆山を歩いて湖辺を辿る
Posted: 2022年1月28日(金) 18:58
【 日 付 】2022年1月15日(土曜日)
【 山 域 】湖北
【メンバー】山猫、家内、Hさん、Nさん、Uさん
【 天 候 】曇りのち晴れ
【 ルート 】
朝日山神社登山口9:05〜9:35山本山9:45〜11:27西野山〜11:59湖北丸山〜12:43賤ヶ岳13:47〜山梨子14:27〜14:49有漏神社15:01〜16:11西野水道〜16:39片山〜17:14山本山登山口
琵琶湖の湖畔には道がない箇所が少なくとも3箇所あるが、飯浦湾の東岸はそのうちの一つだ。湖辺の秘境とも呼ばれる有漏神社である。西野山を越えてこの有漏神社を訪れたのは昨年の晩秋、紅葉の季節であった。その時は湖辺を北上してみるが、山梨子まで意外にも簡単に歩くことが出来てしまうが、おだやかな漣を聴きながら湖辺(うみべ)を歩くのは別世界に紛れ込んだような愉しさがあるのだった。
この時の琵琶湖の水位がマイナス60cm以下と記録的に低かったことを後で知る。この湖辺(うみべ)の道は水位が少ない時に現れる幻の道ともいえるだろう。昨年の冬の降雪が少なかったことと、その後も年間を通じて滋賀の降水量が少なかったことが影響しているようだ。この琵琶湖の水位が少ないうちに今度は山梨子から南の片山集落まで歩けないものかと計画する。
まずは前半は山本山から賎ヶ岳まで尾根を縦走する。この尾根伝いの道は「湖の辺(うみのべ)の道」として整備されているところだ。山本山の登山口となる朝日山神社のあたりは意外なほど積雪は少ないが、登山道に入るとすぐにも積雪が増える。雪の上には数人分のトレースがあるようだ。神社の上にある忠魂碑からはすぐにも好展望が広がり、積雪した白い平野の左手には伊吹山、南には霊仙岳と御池岳がが見える。
山本山の山頂まで登ると西側の琵琶湖の景色が広がる。空には雲が多いが、雲の切れ目からは青空が覗く。予報では午後からは晴天が広がることになっているが、予報が正しいことを期待したい。
トレースがあるのはこの山本山の山頂広場までであり、ここでスノーシューを装着する。山頂から下るとしばらくは標高100m台が続く。積雪も少なくなり、スノーシューは全く不要の状態となる。尾根は松の混じる雑木林が続き、秋にはタカノツメの黄葉が目立つところだ。
西野山への登りとなり再び標高が300mを越えると、積雪も増え、ようやくスノーシューの足裏の感覚も心地良くなってくる。西野山を越えると樹高の高い広葉樹の樹々が多くなり、途端に林相が良くなる。
湖北丸山にかけて緩やかな尾根道が続く。丸山の山頂部はなだらかな台地状であり、山名標に気がつかなればピークを認識することなく通り過ぎてしまいそうな地味なところだ。賤ヶ岳との鞍部にかけての北側斜面に差し掛かると伐採斜面となり、目の前に大きく賎ヶ岳の眺望が飛び込んでくる。
賎ヶ岳のリフトは勿論のこと営業はしていないが、リフトからは多くの足跡がある。ツボ足が多いようだが、所々で深く踏み抜いた形跡がある。このあたりでは積雪は50cmほどはあるだろう。
賎ヶ岳の山頂は驚くほど風がない。予報通り晴れ空が広がっている。山頂の北側からは余呉湖の彼方に上谷山から横山岳に至る湖北の山々の展望が広がる。
横山岳の右手には土蔵岳と大ダワ、さらにその右手には蕎麦粒の特徴的な鋭鋒も目に入る。山頂の展望台で目の前に琵琶湖の飯浦湾を眺めながら、キムチ鍋を調理してランチ休憩をとる。
賎ヶ岳山頂からは一旦、鞍部まで下がり、山梨子への古道を下る。古道を降り始めるとすぐにも首切り地蔵があり、お地蔵様には首のあたりを横断する切れ目がある。かつて、この地蔵の前で二人の追い剝ぎが盗品の分配をしているうちに争いとなり、一人がもう一方を殺してしまったらしい。殺した者が地蔵に向かって「誰にも言うな」と言ったところ地蔵が「お前が言うな」と言ったとので怒った盗人が地蔵に切りつけたというのが石仏の傷痕の云われである。その後、盗賊は捕らえられたが改心して出家したという顛末がある。かつての北国街道が通っていた木の芽峠の言奈(いうな)地蔵にも顛末は異なるものの似たような話が伝わっているのが興味深い。
九十九折の古い峠道を下るにつれ急速に積雪は薄くなってゆく。トンネルの脇に着地したところでスノーシューやワカンを脱ぐことになる。
トンネルから集落に降りる車道に入ると雪かきしている男性がおられる。集落からトンネルに至るこの道は除雪車が来ないそうだが、男性以外に除雪される方がいないらしい。今回は雪はあまり積もらなかったようだが、年末年始の大雪の時には70cmほど積もったとのこと。
昔はこのトンネルは無かったので集落から木之本に出るには我々が降ってきた峠道を越えるしか無かったようだ。この山梨子の集落は港があり、大津から届く物資を背負子で運んでこの峠を越えたとのこと。また当時はガスも無かったので、男性が子供の頃はこの道を通って山からよく薪を運んだという話をされる。男性は背筋も伸びておりそれほどのご高齢には見えなかったが80歳らしい。
集落に降りるといよいよここからが湖辺歩きだ。残念ながら湖辺には雪は少ない。この日の琵琶湖の水位はマイナス10cm。前回、歩いた11月の下旬に比べると相当に水位が高くなっている。そう簡単には水位は回復しないものだろうと思っていたが、急に水位が回復した原因は年末年始の滋賀県における記録的な大雪のために他ならない。
いつの間にか空には急速に雲が広がり太陽はすっかり雲の影に入ってしまったようだ。有漏神社にかけては小さな岩礁帯を通過する。岩をへつって岩礁帯を通過することになるが、あと数cm水位が高ければ靴を浸水させなければ通過出来ないところであった。岩礁帯を通過すると小さな岬の手前に鳥居が見える。
この湖岸からは琵琶湖と山しか目に入らないまさに隔絶された場所である。漣を聞きながら湖岸を歩いて湖辺を歩く。鳥居の手前では立派な石垣が現れる。ここもかつての港の跡であり、石垣はここに立ち並んでいた倉庫の跡らしい。
ここから尾根まで段差のない木馬道が続いており、前回はこの道を辿って尾根から下ってきたのであった。意外にもこの道の歴史は浅く、明治時代になってから作られたものらしい。
有漏神社にたどり着くと、社殿はやはり冬囲いがされていた。ここは湖上の船の航行の安全を祈念すべく堅田の漁師が氏子となって管理しているらしい。周辺の集落ではなく堅田の漁師というのが意外にも思われるが、琵琶湖の北湖のあたりの水運を担ってきたのはかなり古い時代から堅田の漁師達であったようだ。
神社の下は現在の水位では通過が困難な可能性があるので、神社の手前から伸びる細い踏み跡を辿って山中をトラバースする。まもなくしっかりした道が現れ、再び湖岸に降ることが出来る。岸辺には二人の釣り人が糸を垂れていた。西野水道から歩いて来られたらしい。
海岸から植林の中に足を踏み入れると小さな祠と何段にもわたって築かれた立派な石垣がある。石垣はあくまでも近代的であり、有漏神社の手前のものと同様、かつての倉庫の跡なのだろう。この湖辺にこれだけの建物が立ち並んでいたとは想像するべくもない。しかし、この現代にあってこの場所が周囲から隔絶されているが故に、このような遺構を目にすることが出来るという現実にささやかな悦びを感じるのだった。
このあたりは阿曽津千軒の集落のあった場所とされるが、この集落にまつわる次のような伝説がある。かつてこの集落には阿曽津婆と呼ばれる高利貸しの老婆がいた。村人達が働いて得た金は阿曽津婆の元へと流れてしまうので村人の手元には残らず、村人達は貧困に喘いでいたという。ある時、村の若者達が阿曽津婆を簀の子に巻いて湖へ放り込んだが彼女は堅田の漁師に救いあげられが、阿曽津婆は村人達を呪いながら死んでいったという。老婆の死後、数年して琵琶湖に地震が起こり、集落は押し寄せた津波により湖の底に沈んでしまったとのことである。
その後も糸を垂れている釣り人を数人見かけることになる。釣った魚を入れるクーラーボックスを持って湖岸を歩くのは大変だろうと思っていたが、誰一人としてクーラーボックスは携行していないように見えることからすると、皆ブラック・バスが目当てで、キャッチ・アンド・リリースをされるからなのだろう。
湖辺には所々で倒木や小さな岩礁をまくことになるが、大きな支障はなく湖岸を歩くことが出来る。西野水道が近づくと、琵琶湖には水道による長い砂嘴が形成されている。砂嘴を歩くとまさに湖上を歩く感覚だ。湾の奥を振り返ると北の方角淡い灰色の雲がかかり、湖面も灰色がかった藍色に染まっていた。
西野水道を果たしてうまく乗り越えられるかと懸念していたが、水道の上を越える道が通じていた。折しも太陽が雲の下から黄金色の光を放ち始める。
西野水道を過ぎると途端に釣り人の人影は見当たらなくなる。湖岸の先には黒ヶ崎と呼ばれる岩礁地帯があるが、難なく岩場を乗り越えることが出来る。湖辺の終点となる片山集落まではあとわずかだ。
再び空からは雲の下から顔を出した太陽が黄金色の夕陽で湖岸を照らす。湖面には傾いた夕陽が黄金色の長い光の帯を落としていた。考えてみると刻々と変化する空と湖の色を眺めながら歩くことが出来るというのはこの湖辺歩きの醍醐味の一つだろう。
片山集落に到着し、湖辺を離れると太陽は急速に落ちてゆく。
宇賀神社を回り込んで出発地の朝日山神社に向かうと道路の右手に見える伊吹山がローズ・ピンクに染まっているのだった。
駐車場に帰還すると雪がかなり少なくなっているようだった。米原に向かうと急速に夜のとばりが降りてくる。山歩きに湖辺歩きを充足した一日だった。
【 山 域 】湖北
【メンバー】山猫、家内、Hさん、Nさん、Uさん
【 天 候 】曇りのち晴れ
【 ルート 】
朝日山神社登山口9:05〜9:35山本山9:45〜11:27西野山〜11:59湖北丸山〜12:43賤ヶ岳13:47〜山梨子14:27〜14:49有漏神社15:01〜16:11西野水道〜16:39片山〜17:14山本山登山口
琵琶湖の湖畔には道がない箇所が少なくとも3箇所あるが、飯浦湾の東岸はそのうちの一つだ。湖辺の秘境とも呼ばれる有漏神社である。西野山を越えてこの有漏神社を訪れたのは昨年の晩秋、紅葉の季節であった。その時は湖辺を北上してみるが、山梨子まで意外にも簡単に歩くことが出来てしまうが、おだやかな漣を聴きながら湖辺(うみべ)を歩くのは別世界に紛れ込んだような愉しさがあるのだった。
この時の琵琶湖の水位がマイナス60cm以下と記録的に低かったことを後で知る。この湖辺(うみべ)の道は水位が少ない時に現れる幻の道ともいえるだろう。昨年の冬の降雪が少なかったことと、その後も年間を通じて滋賀の降水量が少なかったことが影響しているようだ。この琵琶湖の水位が少ないうちに今度は山梨子から南の片山集落まで歩けないものかと計画する。
まずは前半は山本山から賎ヶ岳まで尾根を縦走する。この尾根伝いの道は「湖の辺(うみのべ)の道」として整備されているところだ。山本山の登山口となる朝日山神社のあたりは意外なほど積雪は少ないが、登山道に入るとすぐにも積雪が増える。雪の上には数人分のトレースがあるようだ。神社の上にある忠魂碑からはすぐにも好展望が広がり、積雪した白い平野の左手には伊吹山、南には霊仙岳と御池岳がが見える。
山本山の山頂まで登ると西側の琵琶湖の景色が広がる。空には雲が多いが、雲の切れ目からは青空が覗く。予報では午後からは晴天が広がることになっているが、予報が正しいことを期待したい。
トレースがあるのはこの山本山の山頂広場までであり、ここでスノーシューを装着する。山頂から下るとしばらくは標高100m台が続く。積雪も少なくなり、スノーシューは全く不要の状態となる。尾根は松の混じる雑木林が続き、秋にはタカノツメの黄葉が目立つところだ。
西野山への登りとなり再び標高が300mを越えると、積雪も増え、ようやくスノーシューの足裏の感覚も心地良くなってくる。西野山を越えると樹高の高い広葉樹の樹々が多くなり、途端に林相が良くなる。
湖北丸山にかけて緩やかな尾根道が続く。丸山の山頂部はなだらかな台地状であり、山名標に気がつかなればピークを認識することなく通り過ぎてしまいそうな地味なところだ。賤ヶ岳との鞍部にかけての北側斜面に差し掛かると伐採斜面となり、目の前に大きく賎ヶ岳の眺望が飛び込んでくる。
賎ヶ岳のリフトは勿論のこと営業はしていないが、リフトからは多くの足跡がある。ツボ足が多いようだが、所々で深く踏み抜いた形跡がある。このあたりでは積雪は50cmほどはあるだろう。
賎ヶ岳の山頂は驚くほど風がない。予報通り晴れ空が広がっている。山頂の北側からは余呉湖の彼方に上谷山から横山岳に至る湖北の山々の展望が広がる。
横山岳の右手には土蔵岳と大ダワ、さらにその右手には蕎麦粒の特徴的な鋭鋒も目に入る。山頂の展望台で目の前に琵琶湖の飯浦湾を眺めながら、キムチ鍋を調理してランチ休憩をとる。
賎ヶ岳山頂からは一旦、鞍部まで下がり、山梨子への古道を下る。古道を降り始めるとすぐにも首切り地蔵があり、お地蔵様には首のあたりを横断する切れ目がある。かつて、この地蔵の前で二人の追い剝ぎが盗品の分配をしているうちに争いとなり、一人がもう一方を殺してしまったらしい。殺した者が地蔵に向かって「誰にも言うな」と言ったところ地蔵が「お前が言うな」と言ったとので怒った盗人が地蔵に切りつけたというのが石仏の傷痕の云われである。その後、盗賊は捕らえられたが改心して出家したという顛末がある。かつての北国街道が通っていた木の芽峠の言奈(いうな)地蔵にも顛末は異なるものの似たような話が伝わっているのが興味深い。
九十九折の古い峠道を下るにつれ急速に積雪は薄くなってゆく。トンネルの脇に着地したところでスノーシューやワカンを脱ぐことになる。
トンネルから集落に降りる車道に入ると雪かきしている男性がおられる。集落からトンネルに至るこの道は除雪車が来ないそうだが、男性以外に除雪される方がいないらしい。今回は雪はあまり積もらなかったようだが、年末年始の大雪の時には70cmほど積もったとのこと。
昔はこのトンネルは無かったので集落から木之本に出るには我々が降ってきた峠道を越えるしか無かったようだ。この山梨子の集落は港があり、大津から届く物資を背負子で運んでこの峠を越えたとのこと。また当時はガスも無かったので、男性が子供の頃はこの道を通って山からよく薪を運んだという話をされる。男性は背筋も伸びておりそれほどのご高齢には見えなかったが80歳らしい。
集落に降りるといよいよここからが湖辺歩きだ。残念ながら湖辺には雪は少ない。この日の琵琶湖の水位はマイナス10cm。前回、歩いた11月の下旬に比べると相当に水位が高くなっている。そう簡単には水位は回復しないものだろうと思っていたが、急に水位が回復した原因は年末年始の滋賀県における記録的な大雪のために他ならない。
いつの間にか空には急速に雲が広がり太陽はすっかり雲の影に入ってしまったようだ。有漏神社にかけては小さな岩礁帯を通過する。岩をへつって岩礁帯を通過することになるが、あと数cm水位が高ければ靴を浸水させなければ通過出来ないところであった。岩礁帯を通過すると小さな岬の手前に鳥居が見える。
この湖岸からは琵琶湖と山しか目に入らないまさに隔絶された場所である。漣を聞きながら湖岸を歩いて湖辺を歩く。鳥居の手前では立派な石垣が現れる。ここもかつての港の跡であり、石垣はここに立ち並んでいた倉庫の跡らしい。
ここから尾根まで段差のない木馬道が続いており、前回はこの道を辿って尾根から下ってきたのであった。意外にもこの道の歴史は浅く、明治時代になってから作られたものらしい。
有漏神社にたどり着くと、社殿はやはり冬囲いがされていた。ここは湖上の船の航行の安全を祈念すべく堅田の漁師が氏子となって管理しているらしい。周辺の集落ではなく堅田の漁師というのが意外にも思われるが、琵琶湖の北湖のあたりの水運を担ってきたのはかなり古い時代から堅田の漁師達であったようだ。
神社の下は現在の水位では通過が困難な可能性があるので、神社の手前から伸びる細い踏み跡を辿って山中をトラバースする。まもなくしっかりした道が現れ、再び湖岸に降ることが出来る。岸辺には二人の釣り人が糸を垂れていた。西野水道から歩いて来られたらしい。
海岸から植林の中に足を踏み入れると小さな祠と何段にもわたって築かれた立派な石垣がある。石垣はあくまでも近代的であり、有漏神社の手前のものと同様、かつての倉庫の跡なのだろう。この湖辺にこれだけの建物が立ち並んでいたとは想像するべくもない。しかし、この現代にあってこの場所が周囲から隔絶されているが故に、このような遺構を目にすることが出来るという現実にささやかな悦びを感じるのだった。
このあたりは阿曽津千軒の集落のあった場所とされるが、この集落にまつわる次のような伝説がある。かつてこの集落には阿曽津婆と呼ばれる高利貸しの老婆がいた。村人達が働いて得た金は阿曽津婆の元へと流れてしまうので村人の手元には残らず、村人達は貧困に喘いでいたという。ある時、村の若者達が阿曽津婆を簀の子に巻いて湖へ放り込んだが彼女は堅田の漁師に救いあげられが、阿曽津婆は村人達を呪いながら死んでいったという。老婆の死後、数年して琵琶湖に地震が起こり、集落は押し寄せた津波により湖の底に沈んでしまったとのことである。
その後も糸を垂れている釣り人を数人見かけることになる。釣った魚を入れるクーラーボックスを持って湖岸を歩くのは大変だろうと思っていたが、誰一人としてクーラーボックスは携行していないように見えることからすると、皆ブラック・バスが目当てで、キャッチ・アンド・リリースをされるからなのだろう。
湖辺には所々で倒木や小さな岩礁をまくことになるが、大きな支障はなく湖岸を歩くことが出来る。西野水道が近づくと、琵琶湖には水道による長い砂嘴が形成されている。砂嘴を歩くとまさに湖上を歩く感覚だ。湾の奥を振り返ると北の方角淡い灰色の雲がかかり、湖面も灰色がかった藍色に染まっていた。
西野水道を果たしてうまく乗り越えられるかと懸念していたが、水道の上を越える道が通じていた。折しも太陽が雲の下から黄金色の光を放ち始める。
西野水道を過ぎると途端に釣り人の人影は見当たらなくなる。湖岸の先には黒ヶ崎と呼ばれる岩礁地帯があるが、難なく岩場を乗り越えることが出来る。湖辺の終点となる片山集落まではあとわずかだ。
再び空からは雲の下から顔を出した太陽が黄金色の夕陽で湖岸を照らす。湖面には傾いた夕陽が黄金色の長い光の帯を落としていた。考えてみると刻々と変化する空と湖の色を眺めながら歩くことが出来るというのはこの湖辺歩きの醍醐味の一つだろう。
片山集落に到着し、湖辺を離れると太陽は急速に落ちてゆく。
宇賀神社を回り込んで出発地の朝日山神社に向かうと道路の右手に見える伊吹山がローズ・ピンクに染まっているのだった。
駐車場に帰還すると雪がかなり少なくなっているようだった。米原に向かうと急速に夜のとばりが降りてくる。山歩きに湖辺歩きを充足した一日だった。
琵琶湖の湖畔には道がない箇所が少なくとも3箇所あるが、飯浦湾の東岸はそのうちの一つだ。湖辺の秘境とも呼ばれる有漏神社である。西野山を越えてこの有漏神社を訪れたのは昨年の晩秋、紅葉の季節であった。その時は湖辺を北上してみるが、山梨子まで意外にも簡単に歩くことが出来てしまうが、おだやかな漣を聴きながら湖辺(うみべ)を歩くのは別世界に紛れ込んだような愉しさがあるのだった。