【中国山地】烏谷から烏ヶ山へ
Posted: 2020年10月13日(火) 20:45
【日 付】2020年10月11日(日)
【山 域】大山山塊 烏ヶ山周辺
【天 候】曇り時々雨
【コース】健康の森登山口6:45---7:40鳥越峠---8:10地獄谷8:35---9:15烏谷出合---11:20稜線11:40---
12:25烏ヶ山13:40---14:40鳥越峠---15:25登山口
健康の森の登山口から一歩踏み出すと、いきなり深い森に放り出されたような感覚にとらわれた。目の前に
は見渡す限りのブナ林が広がっている。世代交代したのだろう、白っぽくて若いブナたちが天を衝くようにス
ックと立ち並んでいる。
歩みを進めるにつれ、やがて親の世代の森に変わったのか、大木と言える立派なブナが目立ち始める。
体の健康もさることながら、心の健康に極めて効能あらたかな森である。
道は緩やかに高度を上げて、文殊堂からの道と合流する。ここから先はブナの純林ではないものの、ササの
林床に風格のある巨木がポツポツと現れた。
14年前に槍ヶ峰から大山剣ヶ峰へ辿った道を鳥越峠へ。ここの標識には烏ヶ山方面と駒鳥小屋への表示はあ
るが、槍ヶ峰への表示はない。崩壊の激しい登山道はだいぶ前から通行禁止になっている。休むこともなく駒
鳥小屋へ下る。
下の方からエンジン音が聞こえてきた。と思うと、小屋の屋根が目に入る。
駒鳥小屋は石造りの雰囲気のある小屋だが、老朽化が進んだため改修工事の真っ最中だった。
木造の屋根部分が、木の香りが漂うような真新しい木材になっていた。
何十年も前、ガイドブックに載っていた写真を見て、一度泊まってみたいと思っていたのだが、未だ果たせて
いないのである。
地獄谷の荒れた河原に下り立って、初めての休憩を取る。食欲がなく、起きてから何も食べていなかったので
シャリバテ気味だ。あんぱんを齧ってエネルギーを補給。
これから進む地獄谷の下流方向も、上流の振子沢方向も、すべてガスで覆われて陰鬱なムードを醸し出している。
それだけならまだしも、空からは冷たいものが落ちてくるありさまだ。終日曇りの天気予報を見て、時折晴れ間
が覗けば御の字だと思っていたが、これは予想以上(以下?)の状況である。
ここまでの笹ヤブくぐりでズボンもビショビショになってしまったが、今さらながらレインパンツを着用。
こんなことなら最初から履いておけばよかった。
2年前にも歩いた地獄谷本流は、一応登山コースということになっているが、道と呼べるものは見当たらない。
渓流シューズに履き替えて、何度も渡渉しながら下流へ向かった。
あまり見栄えのしない夫婦滝を過ぎてしばらく進むと、本日の目的の烏谷出合である。上流の殺伐とした風景が、
このあたりまで来ると豊かな森に包まれるようになる。
出合にかかる小滝と、その左側に立つカツラの大木が、何とも言えない落ち着いた風景を作り出していた。2年前
にここを訪れた時から、烏ヶ山に登るなら烏谷からと決めていた。
烏谷自体は小滝がいくつか現れるぐらいで、とりたてて美点を上げるのが難しい程度の沢である。出合の滝で
期待を膨らませると拍子抜けしてしまう。ましてやこの天気。紅葉の時期の快晴の日を選べば、さぞ楽しい沢歩き
だっただろうと後悔の念が頭を掠めた。
モチベーションだだ下がりのはずの状況でも、なぜか心は折れず、前に進もうと言う気力だけは切れなかった。
もっともここまで来れば進むしかないのだが。
地形図で見ると、標高950mあたりから1050mぐらいまで、谷は広々としているように見える。実際広いのだが、
このあたりまで来ると樹林が発達して、喬木に視界を遮られるのであまり広々とした印象がないのである。
完全な平流地帯なのだが、足元の流れは早々と消えてしまい、伏流となっているようだ。
慌てて昼飯のラーメン用の水を汲む。前方のガスの中に浮かび上がるシルエットは烏ヶ山の北壁あたりだろうか。
右の谷へ入らないように注意していたつもりが、いつの間にか崩壊壁のど真ん中に突っ込んでいく谷に入って
いて軌道修正。引き返して左の谷へ入り直した。
いくつもの谷が分岐しているのだが、入口がわかりにくい谷もあり、樹林で視界が遮られているせいで目標を
定めにくいのである。
目的の谷へ入ると、左手の尾根に踏み跡があるという情報を得ていたので上り口を探す。
一瞬、このまま谷を進んで鞍部へ突き上げようかとも思ったが、何が待っているかわからないので自重。尾根に
乗ってみるとヤブもなく、フェルト底でもズルズル滑ることもない快適なルートで助かった。
何度も呼吸を整えながら稜線に到着。ここは新小屋峠からのよく整備された登山道があり、メドが立ったこと
もあってホッとひと息である。再び登山靴に履き替えて、烏ヶ山を目指す。
まわりは豊かなブナ林で、展望皆無のこの状況でも楽しめるのがありがたい。
こんな天気だから誰も登っていないのかと思えばあにはからんや。山頂から次々と下山してくる登山者とすれ
違った。
鏡ヶ成からの道を合わせると、稜線上はちょっとした岩場が続いて退屈しのぎになる。晴れていればさぞ見事
な眺望が得られるのだろう想像するしかない。
ジョーズのような大岩が鎮座する山頂は意外に平凡な印象だった。景色が見えればまた違った印象なのだろう
が。
さて、ランチタイムというところで重大な事実に気が付いて愕然とした。ビールを車に忘れてきたのだ。
なんたる失態。念願のコースを登り切った充実感が、シュルシュルと音を立ててしぼんでいく・・・というのは
些か大げさか。まあ、無い物ねだりをしても始まらない。ラーメンを食べる気もせず、パンとコーヒーだけのラ
ンチを済ませた。
止んでいた雨がまた降り始めた。後は鳥越峠へのんびり下りるだけ、と思っていたら思わぬ伏兵が待っていた。
標識もテープもない、道らしき踏み跡を辿るが、強烈な急傾斜である。道のようであるが、水か流れた跡のよう
な感じもする。しかも方向は稜線と90度近く離れている。少し下ったところでもう一度山頂へ登り返して、他に
道がないか確認した。やっぱり道はここだけだ。覚悟を決めて下って行くと、水平方向にトラバースするうっす
らとした踏み跡が見えた。それを辿ると稜線に戻り、そこからは明瞭な踏み跡が続いていた。
山頂方向を振り返ると、とんでもなくハングした大岩が突き出している。これでは尾根芯を進めないはずだ。
踏み跡は明瞭なものの、かなりのヤセ尾根が続き、ガスの中から岩塔がいくつも浮かび上がっている。
やがて普通の尾根道になると、突然ササが刈り払われていた。結構最近の仕事のようである。
鳥越峠から烏ヶ山方面の道を見た時刈り払われていたので、もしやと思っていたのだがその通りだった。
但し、刈ったササはそのままで、雨水が乗っているので滑りやすいことこの上ない。ここまで整備したのなら、
山頂直下のあれはなんなのだろうと思ってしまう。
どうしても道が見つからなければ、元来たコースを戻ろうかと一瞬思ったほどである。
途中からは美しいブナ林の中を気持ちよく進むようになる。
敬愛する増永廸男氏の著書の中に、「ブナノキは霧の中で行列することがあった」という言葉がある。ガスの中
に浮かび上がったブナの写真のキャプションとして使われていた言葉だが、それを見た時「したり」と思った。
自分の感覚をそのまま表現してくれている言葉だったからである。
烏ヶ山のブナも確かに行列していた。そして、この感覚は晴れた日には絶対に味わえないものだ。
ふと気が付くと、朝見た鳥越峠の標識が目の前にあった。
往路では先の長さにゆっくり味わえなかった豊潤なブナの森を、心ゆくまで愛でながら歩こう。
いつの間にか雨は上がっていた。
山日和
【山 域】大山山塊 烏ヶ山周辺
【天 候】曇り時々雨
【コース】健康の森登山口6:45---7:40鳥越峠---8:10地獄谷8:35---9:15烏谷出合---11:20稜線11:40---
12:25烏ヶ山13:40---14:40鳥越峠---15:25登山口
健康の森の登山口から一歩踏み出すと、いきなり深い森に放り出されたような感覚にとらわれた。目の前に
は見渡す限りのブナ林が広がっている。世代交代したのだろう、白っぽくて若いブナたちが天を衝くようにス
ックと立ち並んでいる。
歩みを進めるにつれ、やがて親の世代の森に変わったのか、大木と言える立派なブナが目立ち始める。
体の健康もさることながら、心の健康に極めて効能あらたかな森である。
道は緩やかに高度を上げて、文殊堂からの道と合流する。ここから先はブナの純林ではないものの、ササの
林床に風格のある巨木がポツポツと現れた。
14年前に槍ヶ峰から大山剣ヶ峰へ辿った道を鳥越峠へ。ここの標識には烏ヶ山方面と駒鳥小屋への表示はあ
るが、槍ヶ峰への表示はない。崩壊の激しい登山道はだいぶ前から通行禁止になっている。休むこともなく駒
鳥小屋へ下る。
下の方からエンジン音が聞こえてきた。と思うと、小屋の屋根が目に入る。
駒鳥小屋は石造りの雰囲気のある小屋だが、老朽化が進んだため改修工事の真っ最中だった。
木造の屋根部分が、木の香りが漂うような真新しい木材になっていた。
何十年も前、ガイドブックに載っていた写真を見て、一度泊まってみたいと思っていたのだが、未だ果たせて
いないのである。
地獄谷の荒れた河原に下り立って、初めての休憩を取る。食欲がなく、起きてから何も食べていなかったので
シャリバテ気味だ。あんぱんを齧ってエネルギーを補給。
これから進む地獄谷の下流方向も、上流の振子沢方向も、すべてガスで覆われて陰鬱なムードを醸し出している。
それだけならまだしも、空からは冷たいものが落ちてくるありさまだ。終日曇りの天気予報を見て、時折晴れ間
が覗けば御の字だと思っていたが、これは予想以上(以下?)の状況である。
ここまでの笹ヤブくぐりでズボンもビショビショになってしまったが、今さらながらレインパンツを着用。
こんなことなら最初から履いておけばよかった。
2年前にも歩いた地獄谷本流は、一応登山コースということになっているが、道と呼べるものは見当たらない。
渓流シューズに履き替えて、何度も渡渉しながら下流へ向かった。
あまり見栄えのしない夫婦滝を過ぎてしばらく進むと、本日の目的の烏谷出合である。上流の殺伐とした風景が、
このあたりまで来ると豊かな森に包まれるようになる。
出合にかかる小滝と、その左側に立つカツラの大木が、何とも言えない落ち着いた風景を作り出していた。2年前
にここを訪れた時から、烏ヶ山に登るなら烏谷からと決めていた。
烏谷自体は小滝がいくつか現れるぐらいで、とりたてて美点を上げるのが難しい程度の沢である。出合の滝で
期待を膨らませると拍子抜けしてしまう。ましてやこの天気。紅葉の時期の快晴の日を選べば、さぞ楽しい沢歩き
だっただろうと後悔の念が頭を掠めた。
モチベーションだだ下がりのはずの状況でも、なぜか心は折れず、前に進もうと言う気力だけは切れなかった。
もっともここまで来れば進むしかないのだが。
地形図で見ると、標高950mあたりから1050mぐらいまで、谷は広々としているように見える。実際広いのだが、
このあたりまで来ると樹林が発達して、喬木に視界を遮られるのであまり広々とした印象がないのである。
完全な平流地帯なのだが、足元の流れは早々と消えてしまい、伏流となっているようだ。
慌てて昼飯のラーメン用の水を汲む。前方のガスの中に浮かび上がるシルエットは烏ヶ山の北壁あたりだろうか。
右の谷へ入らないように注意していたつもりが、いつの間にか崩壊壁のど真ん中に突っ込んでいく谷に入って
いて軌道修正。引き返して左の谷へ入り直した。
いくつもの谷が分岐しているのだが、入口がわかりにくい谷もあり、樹林で視界が遮られているせいで目標を
定めにくいのである。
目的の谷へ入ると、左手の尾根に踏み跡があるという情報を得ていたので上り口を探す。
一瞬、このまま谷を進んで鞍部へ突き上げようかとも思ったが、何が待っているかわからないので自重。尾根に
乗ってみるとヤブもなく、フェルト底でもズルズル滑ることもない快適なルートで助かった。
何度も呼吸を整えながら稜線に到着。ここは新小屋峠からのよく整備された登山道があり、メドが立ったこと
もあってホッとひと息である。再び登山靴に履き替えて、烏ヶ山を目指す。
まわりは豊かなブナ林で、展望皆無のこの状況でも楽しめるのがありがたい。
こんな天気だから誰も登っていないのかと思えばあにはからんや。山頂から次々と下山してくる登山者とすれ
違った。
鏡ヶ成からの道を合わせると、稜線上はちょっとした岩場が続いて退屈しのぎになる。晴れていればさぞ見事
な眺望が得られるのだろう想像するしかない。
ジョーズのような大岩が鎮座する山頂は意外に平凡な印象だった。景色が見えればまた違った印象なのだろう
が。
さて、ランチタイムというところで重大な事実に気が付いて愕然とした。ビールを車に忘れてきたのだ。
なんたる失態。念願のコースを登り切った充実感が、シュルシュルと音を立ててしぼんでいく・・・というのは
些か大げさか。まあ、無い物ねだりをしても始まらない。ラーメンを食べる気もせず、パンとコーヒーだけのラ
ンチを済ませた。
止んでいた雨がまた降り始めた。後は鳥越峠へのんびり下りるだけ、と思っていたら思わぬ伏兵が待っていた。
標識もテープもない、道らしき踏み跡を辿るが、強烈な急傾斜である。道のようであるが、水か流れた跡のよう
な感じもする。しかも方向は稜線と90度近く離れている。少し下ったところでもう一度山頂へ登り返して、他に
道がないか確認した。やっぱり道はここだけだ。覚悟を決めて下って行くと、水平方向にトラバースするうっす
らとした踏み跡が見えた。それを辿ると稜線に戻り、そこからは明瞭な踏み跡が続いていた。
山頂方向を振り返ると、とんでもなくハングした大岩が突き出している。これでは尾根芯を進めないはずだ。
踏み跡は明瞭なものの、かなりのヤセ尾根が続き、ガスの中から岩塔がいくつも浮かび上がっている。
やがて普通の尾根道になると、突然ササが刈り払われていた。結構最近の仕事のようである。
鳥越峠から烏ヶ山方面の道を見た時刈り払われていたので、もしやと思っていたのだがその通りだった。
但し、刈ったササはそのままで、雨水が乗っているので滑りやすいことこの上ない。ここまで整備したのなら、
山頂直下のあれはなんなのだろうと思ってしまう。
どうしても道が見つからなければ、元来たコースを戻ろうかと一瞬思ったほどである。
途中からは美しいブナ林の中を気持ちよく進むようになる。
敬愛する増永廸男氏の著書の中に、「ブナノキは霧の中で行列することがあった」という言葉がある。ガスの中
に浮かび上がったブナの写真のキャプションとして使われていた言葉だが、それを見た時「したり」と思った。
自分の感覚をそのまま表現してくれている言葉だったからである。
烏ヶ山のブナも確かに行列していた。そして、この感覚は晴れた日には絶対に味わえないものだ。
ふと気が付くと、朝見た鳥越峠の標識が目の前にあった。
往路では先の長さにゆっくり味わえなかった豊潤なブナの森を、心ゆくまで愛でながら歩こう。
いつの間にか雨は上がっていた。
山日和