【台高】銚子川森林鉄道二ノ俣線と木馬道
Posted: 2020年1月27日(月) 05:22
【日 付】2020年1月25日(土)
【山 域】台高
【コース】駐車地8:10---9:20小谷小屋谷---10:29二ノ俣線索道場---12:07小谷小屋谷---12:27南尾根石垣道---13:50駐車地
【メンバー】単独
奇跡の清流と呼ばれる銚子川の上流部は樫山で岩井谷と本流にあたる不動谷に分かれる。山は切り立っておりどこもかしこも厳しい。大台ケ原の原生林を運び出した際もここだけは木馬道や軌道で運び出すことができずに架線でつないで運び出した所だ。銚子川森林鉄道の二ノ俣線があったのは知っていたが、落ちていて辿れないだろうと思っていた。調べてみると索道で運び出す地点まで行けるようなので探索することにした。
白倉林道が通っているので登山口までのアクセスは簡単だったのだが。紀北町便ノ山から銚子川沿いに進み木津で林道に入ると、銚子川橋の老朽化にともない通行できませんとの看板が立っている。この先には銚子川第2発電所があり、電力関係施設があるのに通行止なんてあるのかなと思いつつもバリケード前の広場に駐車する。林道が左岸から右岸に渡る所に銚子川橋があり、ここにもバリケードがあるが、橋自体は問題なさそうに見える。橋を渡った所に車2台に油圧ショベルが置いてある。車には電源開発会社緊急車両車と書かれたボードが置かれており、発電所までここからピストンするための車だ。当分は、林道歩き覚悟で入山するしかないようだ。
林道を歩き第2発電所を過ぎると谷は厳しさを増し、林道も岩盤に発破をかけて作った場所も多くなる。しばらくするとかなり下に橋が見え、これが二ノ俣橋跡になる。銚子川森林鉄道のトロッコが通過した橋で、その先の左岸には石積の軌道跡が見えている。登山口は樫山南尾根が下りて来ている堰堤上なので、尾根を見ながら行くと林道わきに樫山入口と書かれた板が掛かっていた。
小谷小屋谷から大量の土砂が流れ込んでおり機能していない堰堤もいくつか見える。この谷の左岸から森林鉄道の軌道は来ているが、谷で寸断されているので右岸に取りついた。少し上ると石積みに守られた軌道道で切通しを通ると岩盤を削った道が続いている。1回に10~15両を機関車が牽引した道だけにしっかりしている。しばらく行くとコンクリートの二本橋が出て来た。トロッコの車輪の幅にそって設置されており問題なさそうだが、落ちるとただではすまないので慎重に通過した。こんな橋が3か所あるが1ヶ所は埋まっていて問題ないので、あとの2ヶ所は注意が必要だ。3か所目の先に大岩が落ちてきているので、これをくぐる。
岩盤を掘削した立派な軌道が続く、銚子川からかなり高い位置に作られており黒部渓谷の下ノ廊下のような感じだ。問題なく歩けるが、場所が場所だけに落ちたら終わりだろう。高い石積に守られた所もたくさんあるが、ほとんど崩れていない。ここ数年の集中豪雨でこのあたりの石積もたくさん崩れているが、作りが違うのか奇跡というしかない。昭和26年に開通し昭和38年ごろまで使われていただけあって、岩盤にガイシがあったりアルミの電柱が残っている。
谷を渡る所で道は途切れるが、コンクリートに大きめの丸い穴が開いており木の橋脚跡で木製の橋が架かっていたようだ。この先には4個のカマド跡にたくさんの焼酎瓶が残されており飯場があったようだ。目の前が隧道で、電線のガイシが入口にありまったく崩れることなく当時のまま残っている。隧道を抜けると軌道を通す築堤がきれいに残っている。この先の谷にも金属を刺した穴や金棒が刺さったまま状態で残り、レールもあった。
軌道はここで一旦終わり、コンクリートの溝のあるインクライン(ケーブルカー)の坂が出て来た。石積で作られた70mの複線式で、横に人間が歩く石段がつけられている。ここを上ると再び石積に守られた軌道が続く。トロッコの金属部分の残骸や車輪があり、当時に思いをはせることが出来る。ここから索道場まで当初は手押トロッコだったようだが、結構距離がある。後に木製改造機関車が導入されたようだ。戦後まもなくの時代とはいえ手押しは大変だったと思う。立派な石積と岩盤を掘削した道を楽しみながら進むと吊り橋の跡と思われるワイヤーと土台がある。
電気メーターの残骸が目に留まると索道場だった。開通当時はここから370m索道(ロープウェイ)で釣り上げその先に二ノ俣支線がつながっていた。昭和30年には周辺の伐採が終わり索道を744mにし本谷と光谷の出合を飛び越えて今の白倉林道のあたりまで伸ばしたようだ。その先に白倉林道をなぞるように第2二ノ俣線を設置した。
索道場にはウインチの跡とその先にレールが残っている。下部にも索道の土台があるので、これが開業当時の索道跡だったのかもしれない。ここからは辿れないので吊り橋跡まで戻ると、上部になにかありそうだ。上ると吊り橋の上部の土台で、そこから石積の飯場跡が広がっていた。酒のビンだらけで特に焼酎ビンがすごい。摂津酒造やサントリーにキリンビール等のビンもある。山仕事には焼酎が似合うのかもしれない。
インクラインの上部に着くと、ここから石積道が続いている。そのうちに軌道につながると思いこの道を進む。炭焼き窯を通過しても合流しそうな気配が無いが、とりあえず道を追っていくと谷に突き当たりわからなくなった。しかたがないので谷を下ると少しで軌道に合流する。どうやら隧道や飯場を通り越した地点に着いたようだ。インクライン上部からつながる石積道は軌道が出来る以前からあった木馬道のようで、しっかり作ってある。以前樫山南尾根を下った時に400m地点で横切った石垣道とこの木馬道がつながっているのではと思った。確認したくなり、軌道を戻り小谷小屋谷から樫山南尾根を上り石垣道を追った。こちらは荒れてはいるものの小谷小屋谷まで続いていた。インクラインから続く石積道と南尾根の石垣道は軌道が出来る前からあった「発電所から奥(二ノ俣方面)は木馬道がありました。」とされる道だろう。
厳しい地形の中にあって銚子川森林鉄道二ノ俣線が辿れる状態で残っていたことには驚いた。おまけに思いがけず軌道以前からあった木馬道の探索もついてきて、ラッキーな山行だった。
【山 域】台高
【コース】駐車地8:10---9:20小谷小屋谷---10:29二ノ俣線索道場---12:07小谷小屋谷---12:27南尾根石垣道---13:50駐車地
【メンバー】単独
奇跡の清流と呼ばれる銚子川の上流部は樫山で岩井谷と本流にあたる不動谷に分かれる。山は切り立っておりどこもかしこも厳しい。大台ケ原の原生林を運び出した際もここだけは木馬道や軌道で運び出すことができずに架線でつないで運び出した所だ。銚子川森林鉄道の二ノ俣線があったのは知っていたが、落ちていて辿れないだろうと思っていた。調べてみると索道で運び出す地点まで行けるようなので探索することにした。
白倉林道が通っているので登山口までのアクセスは簡単だったのだが。紀北町便ノ山から銚子川沿いに進み木津で林道に入ると、銚子川橋の老朽化にともない通行できませんとの看板が立っている。この先には銚子川第2発電所があり、電力関係施設があるのに通行止なんてあるのかなと思いつつもバリケード前の広場に駐車する。林道が左岸から右岸に渡る所に銚子川橋があり、ここにもバリケードがあるが、橋自体は問題なさそうに見える。橋を渡った所に車2台に油圧ショベルが置いてある。車には電源開発会社緊急車両車と書かれたボードが置かれており、発電所までここからピストンするための車だ。当分は、林道歩き覚悟で入山するしかないようだ。
林道を歩き第2発電所を過ぎると谷は厳しさを増し、林道も岩盤に発破をかけて作った場所も多くなる。しばらくするとかなり下に橋が見え、これが二ノ俣橋跡になる。銚子川森林鉄道のトロッコが通過した橋で、その先の左岸には石積の軌道跡が見えている。登山口は樫山南尾根が下りて来ている堰堤上なので、尾根を見ながら行くと林道わきに樫山入口と書かれた板が掛かっていた。
小谷小屋谷から大量の土砂が流れ込んでおり機能していない堰堤もいくつか見える。この谷の左岸から森林鉄道の軌道は来ているが、谷で寸断されているので右岸に取りついた。少し上ると石積みに守られた軌道道で切通しを通ると岩盤を削った道が続いている。1回に10~15両を機関車が牽引した道だけにしっかりしている。しばらく行くとコンクリートの二本橋が出て来た。トロッコの車輪の幅にそって設置されており問題なさそうだが、落ちるとただではすまないので慎重に通過した。こんな橋が3か所あるが1ヶ所は埋まっていて問題ないので、あとの2ヶ所は注意が必要だ。3か所目の先に大岩が落ちてきているので、これをくぐる。
岩盤を掘削した立派な軌道が続く、銚子川からかなり高い位置に作られており黒部渓谷の下ノ廊下のような感じだ。問題なく歩けるが、場所が場所だけに落ちたら終わりだろう。高い石積に守られた所もたくさんあるが、ほとんど崩れていない。ここ数年の集中豪雨でこのあたりの石積もたくさん崩れているが、作りが違うのか奇跡というしかない。昭和26年に開通し昭和38年ごろまで使われていただけあって、岩盤にガイシがあったりアルミの電柱が残っている。
谷を渡る所で道は途切れるが、コンクリートに大きめの丸い穴が開いており木の橋脚跡で木製の橋が架かっていたようだ。この先には4個のカマド跡にたくさんの焼酎瓶が残されており飯場があったようだ。目の前が隧道で、電線のガイシが入口にありまったく崩れることなく当時のまま残っている。隧道を抜けると軌道を通す築堤がきれいに残っている。この先の谷にも金属を刺した穴や金棒が刺さったまま状態で残り、レールもあった。
軌道はここで一旦終わり、コンクリートの溝のあるインクライン(ケーブルカー)の坂が出て来た。石積で作られた70mの複線式で、横に人間が歩く石段がつけられている。ここを上ると再び石積に守られた軌道が続く。トロッコの金属部分の残骸や車輪があり、当時に思いをはせることが出来る。ここから索道場まで当初は手押トロッコだったようだが、結構距離がある。後に木製改造機関車が導入されたようだ。戦後まもなくの時代とはいえ手押しは大変だったと思う。立派な石積と岩盤を掘削した道を楽しみながら進むと吊り橋の跡と思われるワイヤーと土台がある。
電気メーターの残骸が目に留まると索道場だった。開通当時はここから370m索道(ロープウェイ)で釣り上げその先に二ノ俣支線がつながっていた。昭和30年には周辺の伐採が終わり索道を744mにし本谷と光谷の出合を飛び越えて今の白倉林道のあたりまで伸ばしたようだ。その先に白倉林道をなぞるように第2二ノ俣線を設置した。
索道場にはウインチの跡とその先にレールが残っている。下部にも索道の土台があるので、これが開業当時の索道跡だったのかもしれない。ここからは辿れないので吊り橋跡まで戻ると、上部になにかありそうだ。上ると吊り橋の上部の土台で、そこから石積の飯場跡が広がっていた。酒のビンだらけで特に焼酎ビンがすごい。摂津酒造やサントリーにキリンビール等のビンもある。山仕事には焼酎が似合うのかもしれない。
インクラインの上部に着くと、ここから石積道が続いている。そのうちに軌道につながると思いこの道を進む。炭焼き窯を通過しても合流しそうな気配が無いが、とりあえず道を追っていくと谷に突き当たりわからなくなった。しかたがないので谷を下ると少しで軌道に合流する。どうやら隧道や飯場を通り越した地点に着いたようだ。インクライン上部からつながる石積道は軌道が出来る以前からあった木馬道のようで、しっかり作ってある。以前樫山南尾根を下った時に400m地点で横切った石垣道とこの木馬道がつながっているのではと思った。確認したくなり、軌道を戻り小谷小屋谷から樫山南尾根を上り石垣道を追った。こちらは荒れてはいるものの小谷小屋谷まで続いていた。インクラインから続く石積道と南尾根の石垣道は軌道が出来る前からあった「発電所から奥(二ノ俣方面)は木馬道がありました。」とされる道だろう。
厳しい地形の中にあって銚子川森林鉄道二ノ俣線が辿れる状態で残っていたことには驚いた。おまけに思いがけず軌道以前からあった木馬道の探索もついてきて、ラッキーな山行だった。