【鈴鹿】霊仙の隠れ山郷を古道でつなぐ イワス・高取山
Posted: 2020年1月07日(火) 20:19
【日 付】2020年1月6日(月)
【山 域】鈴鹿
【コース】後谷8:00---8:45イワス---10:00高取山---10:45下谷---12:10甲頭倉---13:20後谷
【メンバー】単独
霊仙山の麓にはいくつかの隠れ山郷がある。歴史は長く、霊仙寺が672年に建立されその別院七ヶ寺が霊仙山の周辺に置かれた時代にさかのぼる。戦国時代には京極氏が城や砦を築き、江戸時代には彦根藩の財政、軍事の両面からの必要性から山郷は維持されたようだ。
こうした山郷を古道でつなげないかと調べていると、ありました。しのやんがイワス・高取山を登ったレポで、帰路に使った道がそれで、西尾本とにらめっこしてルートがほぼ特定できたので後追いをすることにした。
後谷に向かい、堰堤手前に駐車すると山肌に採石場の建物が見える。ジープが1台置いてあるが、人はいないようだ。堰堤を越えて大谷を行き、集落の取水場跡で水を入れる。コンクリートの橋のある堰堤を越えると左岸に苔むした巨大な石積みが見える。上っていくと石積みは何段にもわたって作られており、鉄製の滑車も落ちている。石積みは採石場まで続いており、落石防止の堰堤で水抜きも作られていた。
上りきると採石場で、岩肌が削られた壁が立ちふさがる広場には建物が立っている。ふと気づくと登山靴のビブラムがはがれかけている。1年前のスノーシューと同じ場所だ、どうするかな?前回はここまできて雨に降られて猫峠経由で帰ったので、今回はどうにかしたい。雪は無いがアイゼンを持ってきているので、これで登山靴とアイゼンを固定した。
採石場を奥に進むとテープがあり後谷から見えた巨大なサイロがある。上の採石場につながる車道が続いているので進むと上段の建物がありその先が採石場だった。戦前の昭和10年にできて昭和39年に閉鎖された住友セメントの採石場で、後谷、屏風、甲頭倉を中心に芹谷一円から働きにきていたそうだ。
上段の砕石場は砕石の途中で中断したような状態だが、眺めは抜群だ。近江盆地に琵琶湖と雪をまとった湖西の山々まで見渡せる。ほんの少し歩くとイワスの山頂で、白い伊吹山の巨体がどっしりかまえている。
イワスを下ると奥甲頭倉が上がってきており屏風や甲頭倉の人たちがセメント鉱山まで通勤に使った谷だ。鉄塔をすぎると比婆之山で、比婆神社に向かう。尾根を下ると突然現れた。磐座を御神体として祀ってあるようだ。地元の人たちが祀ってきたものではなく、戦前に「近江高天原」説をとなえる人たちによって建立されたもので、国家神道のにおいがする。
比婆之山までもどりカレンフェルトの尾根を進むと高取山城で戦国時代の城跡だが、なぜか男鬼入谷城跡と看板には書かれていた。南尾根には入谷に向かうルートも示されており途中で入谷から甲頭倉に乗越す古道を使うようだ。この先が男鬼越の峠で直接男鬼の集落に下りるだけに規模も大きく感じた。高取の頂上をすぎると霊仙山が正面に構え、風も心なしが冷たくなり霊仙の世界に入った気持ちになる。自然林の気持ちの良い道が昔にタイムスリップさせてくれるようだ。
下り切ると男鬼峠で入谷に下る地点だが、分岐点○注のテープがあるのみで下谷という文字は無い。右の植林の谷を下って行くと石垣道が出てきて導いてくれる。集落手前の乗越には地蔵さんが祀ってあった。下った分岐には「男鬼入谷城跡→」という看板がありここに高取山城南尾根の道はつながっているようだ。そのまま入谷集落に入り、道路わきの新しいしめ縄の掛けられた鳥居から神社の参道を上る。
さて、ここからが今日の本番になる。道のりは長いが駐車地の後谷まで二山こえなければならない。地形図には神社のあたりから破線道が描いてあるので杭のある獣道のような道を追うが谷沿いのトラバースで消えてしまう。左岸の尾根を上っていくと石積みに守られた立派な道が上がってきており、地蔵下の分岐の道がきていた。谷沿いの道は流れやすいので上流部からの取りつきにかえたのだろう。
カワタニ越の道で、476独標の西の乗越をカワタニ越と呼んだようだ。破線道の通っているP608とP639のコルがミヤマ峠だが、甲頭倉への急降下の斜面は西尾本が書かれた時点ですでに厳しく破線道はたどれない。カワタニ越の道はミヤマ峠道と分かれて北西に延びて途中で無くなっている破線道を進み平坦な植林の谷が続きこのまま詰めあがると男鬼越に至る。この道はたくさんの石垣で守られ岩を削って道幅を確保している所もあり立派な道だ。男鬼集落の中心と入谷集落の中心を結ぶ道だけに利用度は高かったのだろう。植林のあたりで男鬼越の道とは分かれて目の前にあるP639の北西のコルに向かう。コルは高取山城南尾根にあり、ここから男鬼入谷城跡への登山道は尾根を上って行く。コルの甲頭倉側には溝道が続いており20分で甲頭倉の寺のあたりに下りて来た。
寺には太鼓が掛けてあったので、人の気配は無いがだれか帰ってきているのだろう。集落の地蔵さんの新調された前掛けを見て暖かい気持ちになった。
集落のはずれの堰堤のある谷がサンボノ谷で看板には甲頭倉谷と書いてある。堰堤を越え左岸の尾根で巻いて上流部に下りた。現在は植林の谷だが、炭窯跡やそれをつなぐ石垣道もあり生活に根差した谷だとわかる。稜線が見えて来たので上ると鉄塔だった。後谷に下るには隣のP631の北尾根に乗らなければならない。ゆるやかにトラバースしながら歩いていくとここにも炭窯跡があった。北尾根から後谷側の子尾根に沿って下って行くと溝道状になりすぐに立派な溝道に合流した。これがホリベタからの古道で、快適に下っていくと後谷集落の中心部に下りた。
廃村寸前の隠れ山郷をつなぐ道をたどるにつれ霊仙周辺域の歴史の深さを改めて感じさせてもらった山行だった。初登りが自分らしい山登りでよかった。
【山 域】鈴鹿
【コース】後谷8:00---8:45イワス---10:00高取山---10:45下谷---12:10甲頭倉---13:20後谷
【メンバー】単独
霊仙山の麓にはいくつかの隠れ山郷がある。歴史は長く、霊仙寺が672年に建立されその別院七ヶ寺が霊仙山の周辺に置かれた時代にさかのぼる。戦国時代には京極氏が城や砦を築き、江戸時代には彦根藩の財政、軍事の両面からの必要性から山郷は維持されたようだ。
こうした山郷を古道でつなげないかと調べていると、ありました。しのやんがイワス・高取山を登ったレポで、帰路に使った道がそれで、西尾本とにらめっこしてルートがほぼ特定できたので後追いをすることにした。
後谷に向かい、堰堤手前に駐車すると山肌に採石場の建物が見える。ジープが1台置いてあるが、人はいないようだ。堰堤を越えて大谷を行き、集落の取水場跡で水を入れる。コンクリートの橋のある堰堤を越えると左岸に苔むした巨大な石積みが見える。上っていくと石積みは何段にもわたって作られており、鉄製の滑車も落ちている。石積みは採石場まで続いており、落石防止の堰堤で水抜きも作られていた。
上りきると採石場で、岩肌が削られた壁が立ちふさがる広場には建物が立っている。ふと気づくと登山靴のビブラムがはがれかけている。1年前のスノーシューと同じ場所だ、どうするかな?前回はここまできて雨に降られて猫峠経由で帰ったので、今回はどうにかしたい。雪は無いがアイゼンを持ってきているので、これで登山靴とアイゼンを固定した。
採石場を奥に進むとテープがあり後谷から見えた巨大なサイロがある。上の採石場につながる車道が続いているので進むと上段の建物がありその先が採石場だった。戦前の昭和10年にできて昭和39年に閉鎖された住友セメントの採石場で、後谷、屏風、甲頭倉を中心に芹谷一円から働きにきていたそうだ。
上段の砕石場は砕石の途中で中断したような状態だが、眺めは抜群だ。近江盆地に琵琶湖と雪をまとった湖西の山々まで見渡せる。ほんの少し歩くとイワスの山頂で、白い伊吹山の巨体がどっしりかまえている。
イワスを下ると奥甲頭倉が上がってきており屏風や甲頭倉の人たちがセメント鉱山まで通勤に使った谷だ。鉄塔をすぎると比婆之山で、比婆神社に向かう。尾根を下ると突然現れた。磐座を御神体として祀ってあるようだ。地元の人たちが祀ってきたものではなく、戦前に「近江高天原」説をとなえる人たちによって建立されたもので、国家神道のにおいがする。
比婆之山までもどりカレンフェルトの尾根を進むと高取山城で戦国時代の城跡だが、なぜか男鬼入谷城跡と看板には書かれていた。南尾根には入谷に向かうルートも示されており途中で入谷から甲頭倉に乗越す古道を使うようだ。この先が男鬼越の峠で直接男鬼の集落に下りるだけに規模も大きく感じた。高取の頂上をすぎると霊仙山が正面に構え、風も心なしが冷たくなり霊仙の世界に入った気持ちになる。自然林の気持ちの良い道が昔にタイムスリップさせてくれるようだ。
下り切ると男鬼峠で入谷に下る地点だが、分岐点○注のテープがあるのみで下谷という文字は無い。右の植林の谷を下って行くと石垣道が出てきて導いてくれる。集落手前の乗越には地蔵さんが祀ってあった。下った分岐には「男鬼入谷城跡→」という看板がありここに高取山城南尾根の道はつながっているようだ。そのまま入谷集落に入り、道路わきの新しいしめ縄の掛けられた鳥居から神社の参道を上る。
さて、ここからが今日の本番になる。道のりは長いが駐車地の後谷まで二山こえなければならない。地形図には神社のあたりから破線道が描いてあるので杭のある獣道のような道を追うが谷沿いのトラバースで消えてしまう。左岸の尾根を上っていくと石積みに守られた立派な道が上がってきており、地蔵下の分岐の道がきていた。谷沿いの道は流れやすいので上流部からの取りつきにかえたのだろう。
カワタニ越の道で、476独標の西の乗越をカワタニ越と呼んだようだ。破線道の通っているP608とP639のコルがミヤマ峠だが、甲頭倉への急降下の斜面は西尾本が書かれた時点ですでに厳しく破線道はたどれない。カワタニ越の道はミヤマ峠道と分かれて北西に延びて途中で無くなっている破線道を進み平坦な植林の谷が続きこのまま詰めあがると男鬼越に至る。この道はたくさんの石垣で守られ岩を削って道幅を確保している所もあり立派な道だ。男鬼集落の中心と入谷集落の中心を結ぶ道だけに利用度は高かったのだろう。植林のあたりで男鬼越の道とは分かれて目の前にあるP639の北西のコルに向かう。コルは高取山城南尾根にあり、ここから男鬼入谷城跡への登山道は尾根を上って行く。コルの甲頭倉側には溝道が続いており20分で甲頭倉の寺のあたりに下りて来た。
寺には太鼓が掛けてあったので、人の気配は無いがだれか帰ってきているのだろう。集落の地蔵さんの新調された前掛けを見て暖かい気持ちになった。
集落のはずれの堰堤のある谷がサンボノ谷で看板には甲頭倉谷と書いてある。堰堤を越え左岸の尾根で巻いて上流部に下りた。現在は植林の谷だが、炭窯跡やそれをつなぐ石垣道もあり生活に根差した谷だとわかる。稜線が見えて来たので上ると鉄塔だった。後谷に下るには隣のP631の北尾根に乗らなければならない。ゆるやかにトラバースしながら歩いていくとここにも炭窯跡があった。北尾根から後谷側の子尾根に沿って下って行くと溝道状になりすぐに立派な溝道に合流した。これがホリベタからの古道で、快適に下っていくと後谷集落の中心部に下りた。
廃村寸前の隠れ山郷をつなぐ道をたどるにつれ霊仙周辺域の歴史の深さを改めて感じさせてもらった山行だった。初登りが自分らしい山登りでよかった。