【鈴鹿】霊仙の隠れ山郷を古道でつなぐ イワス・高取山

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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【鈴鹿】霊仙の隠れ山郷を古道でつなぐ イワス・高取山

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2020年1月6日(月)
【山 域】鈴鹿
【コース】後谷8:00---8:45イワス---10:00高取山---10:45下谷---12:10甲頭倉---13:20後谷
【メンバー】単独

 霊仙山の麓にはいくつかの隠れ山郷がある。歴史は長く、霊仙寺が672年に建立されその別院七ヶ寺が霊仙山の周辺に置かれた時代にさかのぼる。戦国時代には京極氏が城や砦を築き、江戸時代には彦根藩の財政、軍事の両面からの必要性から山郷は維持されたようだ。
こうした山郷を古道でつなげないかと調べていると、ありました。しのやんがイワス・高取山を登ったレポで、帰路に使った道がそれで、西尾本とにらめっこしてルートがほぼ特定できたので後追いをすることにした。

 後谷に向かい、堰堤手前に駐車すると山肌に採石場の建物が見える。ジープが1台置いてあるが、人はいないようだ。堰堤を越えて大谷を行き、集落の取水場跡で水を入れる。コンクリートの橋のある堰堤を越えると左岸に苔むした巨大な石積みが見える。上っていくと石積みは何段にもわたって作られており、鉄製の滑車も落ちている。石積みは採石場まで続いており、落石防止の堰堤で水抜きも作られていた。

イワス鉱山の堰堤群
イワス鉱山の堰堤群

 上りきると採石場で、岩肌が削られた壁が立ちふさがる広場には建物が立っている。ふと気づくと登山靴のビブラムがはがれかけている。1年前のスノーシューと同じ場所だ、どうするかな?前回はここまできて雨に降られて猫峠経由で帰ったので、今回はどうにかしたい。雪は無いがアイゼンを持ってきているので、これで登山靴とアイゼンを固定した。

 採石場を奥に進むとテープがあり後谷から見えた巨大なサイロがある。上の採石場につながる車道が続いているので進むと上段の建物がありその先が採石場だった。戦前の昭和10年にできて昭和39年に閉鎖された住友セメントの採石場で、後谷、屏風、甲頭倉を中心に芹谷一円から働きにきていたそうだ。

 上段の砕石場は砕石の途中で中断したような状態だが、眺めは抜群だ。近江盆地に琵琶湖と雪をまとった湖西の山々まで見渡せる。ほんの少し歩くとイワスの山頂で、白い伊吹山の巨体がどっしりかまえている。


イワスより
イワスより

 イワスを下ると奥甲頭倉が上がってきており屏風や甲頭倉の人たちがセメント鉱山まで通勤に使った谷だ。鉄塔をすぎると比婆之山で、比婆神社に向かう。尾根を下ると突然現れた。磐座を御神体として祀ってあるようだ。地元の人たちが祀ってきたものではなく、戦前に「近江高天原」説をとなえる人たちによって建立されたもので、国家神道のにおいがする。

 比婆之山までもどりカレンフェルトの尾根を進むと高取山城で戦国時代の城跡だが、なぜか男鬼入谷城跡と看板には書かれていた。南尾根には入谷に向かうルートも示されており途中で入谷から甲頭倉に乗越す古道を使うようだ。この先が男鬼越の峠で直接男鬼の集落に下りるだけに規模も大きく感じた。高取の頂上をすぎると霊仙山が正面に構え、風も心なしが冷たくなり霊仙の世界に入った気持ちになる。自然林の気持ちの良い道が昔にタイムスリップさせてくれるようだ。

 下り切ると男鬼峠で入谷に下る地点だが、分岐点○注のテープがあるのみで下谷という文字は無い。右の植林の谷を下って行くと石垣道が出てきて導いてくれる。集落手前の乗越には地蔵さんが祀ってあった。下った分岐には「男鬼入谷城跡→」という看板がありここに高取山城南尾根の道はつながっているようだ。そのまま入谷集落に入り、道路わきの新しいしめ縄の掛けられた鳥居から神社の参道を上る。

 さて、ここからが今日の本番になる。道のりは長いが駐車地の後谷まで二山こえなければならない。地形図には神社のあたりから破線道が描いてあるので杭のある獣道のような道を追うが谷沿いのトラバースで消えてしまう。左岸の尾根を上っていくと石積みに守られた立派な道が上がってきており、地蔵下の分岐の道がきていた。谷沿いの道は流れやすいので上流部からの取りつきにかえたのだろう。


カワタニ越の道
カワタニ越の道

 カワタニ越の道で、476独標の西の乗越をカワタニ越と呼んだようだ。破線道の通っているP608とP639のコルがミヤマ峠だが、甲頭倉への急降下の斜面は西尾本が書かれた時点ですでに厳しく破線道はたどれない。カワタニ越の道はミヤマ峠道と分かれて北西に延びて途中で無くなっている破線道を進み平坦な植林の谷が続きこのまま詰めあがると男鬼越に至る。この道はたくさんの石垣で守られ岩を削って道幅を確保している所もあり立派な道だ。男鬼集落の中心と入谷集落の中心を結ぶ道だけに利用度は高かったのだろう。植林のあたりで男鬼越の道とは分かれて目の前にあるP639の北西のコルに向かう。コルは高取山城南尾根にあり、ここから男鬼入谷城跡への登山道は尾根を上って行く。コルの甲頭倉側には溝道が続いており20分で甲頭倉の寺のあたりに下りて来た。

甲頭倉周辺図
甲頭倉周辺図

 寺には太鼓が掛けてあったので、人の気配は無いがだれか帰ってきているのだろう。集落の地蔵さんの新調された前掛けを見て暖かい気持ちになった。

甲頭倉の地蔵さん
甲頭倉の地蔵さん

 集落のはずれの堰堤のある谷がサンボノ谷で看板には甲頭倉谷と書いてある。堰堤を越え左岸の尾根で巻いて上流部に下りた。現在は植林の谷だが、炭窯跡やそれをつなぐ石垣道もあり生活に根差した谷だとわかる。稜線が見えて来たので上ると鉄塔だった。後谷に下るには隣のP631の北尾根に乗らなければならない。ゆるやかにトラバースしながら歩いていくとここにも炭窯跡があった。北尾根から後谷側の子尾根に沿って下って行くと溝道状になりすぐに立派な溝道に合流した。これがホリベタからの古道で、快適に下っていくと後谷集落の中心部に下りた。

後谷付近図
後谷付近図

 廃村寸前の隠れ山郷をつなぐ道をたどるにつれ霊仙周辺域の歴史の深さを改めて感じさせてもらった山行だった。初登りが自分らしい山登りでよかった。

SHIGEKI
記事: 1028
登録日時: 2011年7月25日(月) 18:30

Re: 【鈴鹿】霊仙の隠れ山郷を古道でつなぐ イワス・高取山

投稿記事 by SHIGEKI »

わりばしさん おはようございます?。

日 付】2020年1月6日(月)
【山 域】鈴鹿
【コース】後谷8:00---8:45イワス---10:00高取山---10:45下谷---12:10甲頭倉---13:20後谷
【メンバー】単独

懐かしい山域ですね~


 霊仙山の麓にはいくつかの隠れ山郷がある。歴史は長く、霊仙寺が672年に建立されその別院七ヶ寺が霊仙山の周辺に置かれた時代にさかのぼる。戦国時代には京極氏が城や砦を築き、江戸時代には彦根藩の財政、軍事の両面からの必要性から山郷は維持されたようだ。

流石の山域時代考証、いつもながら感心させられます。


こうした山郷を古道でつなげないかと調べていると、ありました。しのやんがイワス・高取山を登ったレポで、帰路に使った道がそれで、西尾本とにらめっこしてルートがほぼ特定できたので後追いをすることにした。


何を隠そう!! 不肖Sも2002/03/30 廃校広場から後谷、イブキ、イワス、比婆神社を周遊しておりました。

当時、新ハイ 岩野氏のrepをそのままトレースしただけで、ボーと歩き回っただけです。

チコちゃんに○○と生きてんじゃねぇよ と叱られるくらいなにも考えずに歩いてました。

ただ、この山域、低山ですが、里山とはひと味違った独特な雰囲気が感じられたものです。

20020330-03300045.jpg
この小屋まだありましたか?

この辺から掘り返された断崖を登った記憶があります。


 
 上段の砕石場は砕石の途中で中断したような状態だが、眺めは抜群だ。近江盆地に琵琶湖と雪をまとった湖西の山々まで見渡せる。ほんの少し歩くとイワスの山頂で、白い伊吹山の巨体がどっしりかまえている。

時、同じくして不肖Sは横山から金糞の稜線に少しだけ顔を出した伊吹を見ておりました。

20020330-03300060.jpg
神社の辺りでゆっくりしたのを想い出します。

西尾氏はインタビューで「鈴鹿の山と谷」について 実はどの山域でも良かった と肩透かしのようなお話をしておられますが、

鈴鹿で再訪したいところはとの問いに、「男鬼」と仰っています。



廃村寸前の隠れ山郷をつなぐ道をたどるにつれ霊仙周辺域の歴史の深さを改めて感じさせてもらった山行だった。初登りが自分らしい山登りでよかった。

 味わいのある山行ですね。

    では また 近江高天原の神域で

         SHIGEKI


しのやん
記事: 119
登録日時: 2017年11月28日(火) 21:27
お住まい: 三重県四日市市

Re: 【鈴鹿】霊仙の隠れ山郷を古道でつなぐ イワス・高取山

投稿記事 by しのやん »

わりばしさん、こんばんは

【日 付】2020年1月6日(月)
【山 域】鈴鹿
【コース】後谷8:00---8:45イワス---10:00高取山---10:45下谷---12:10甲頭倉---13:20後谷
【メンバー】単独

後谷、イワスで かなり反応してしまいました。

 霊仙山の麓にはいくつかの隠れ山郷がある。歴史は長く、霊仙寺が672年に建立されその別院七ヶ寺が霊仙山の周辺に置かれた時代にさかのぼる。戦国時代には京極氏が城や砦を築き、江戸時代には彦根藩の財政、軍事の両面からの必要性から山郷は維持されたようだ。
こうした山郷を古道でつなげないかと調べていると、ありました。しのやんがイワス・高取山を登ったレポで、帰路に使った道がそれで、西尾本とにらめっこしてルートがほぼ特定できたので後追いをすることにした。

ありがたき幸せ、光栄でごさいます。

 後谷に向かい、堰堤手前に駐車すると山肌に採石場の建物が見える。ジープが1台置いてあるが、人はいないようだ。堰堤を越えて大谷を行き、集落の取水場跡で水を入れる。コンクリートの橋のある堰堤を越えると左岸に苔むした巨大な石積みが見える。上っていくと石積みは何段にもわたって作られており、鉄製の滑車も落ちている。石積みは採石場まで続いており、落石防止の堰堤で水抜きも作られていた。

休日だったら、私の父親と遭遇してたでしょう(笑) 今年はまだ雪積もってないですから…

あのジープの現役時代を知ってる私にとっては、あの姿は…哀れです。

原石山へ直に登られたのですね、私も かなり前に同じ様に父親に連れられて 登りました。



 上りきると採石場で、岩肌が削られた壁が立ちふさがる広場には建物が立っている。ふと気づくと登山靴のビブラムがはがれかけている。1年前のスノーシューと同じ場所だ、どうするかな?前回はここまできて雨に降られて猫峠経由で帰ったので、今回はどうにかしたい。雪は無いがアイゼンを持ってきているので、これで登山靴とアイゼンを固定した。

ありゃ、靴用ロックタイトも限界でしたか…

 採石場を奥に進むとテープがあり後谷から見えた巨大なサイロがある。上の採石場につながる車道が続いているので進むと上段の建物がありその先が採石場だった。戦前の昭和10年にできて昭和39年に閉鎖された住友セメントの採石場で、後谷、屏風、甲頭倉を中心に芹谷一円から働きにきていたそうだ。

私の祖母も 後谷から通ってたそうです。

 上段の砕石場は砕石の途中で中断したような状態だが、眺めは抜群だ。近江盆地に琵琶湖と雪をまとった湖西の山々まで見渡せる。ほんの少し歩くとイワスの山頂で、白い伊吹山の巨体がどっしりかまえている。

眺めいいですよね~(*^。^*)

イワスを下ると奥甲頭倉が上がってきており屏風や甲頭倉の人たちがセメント鉱山まで通勤に使った谷だ。鉄塔をすぎると比婆之山で、比婆神社に向かう。尾根を下ると突然現れた。磐座を御神体として祀ってあるようだ。地元の人たちが祀ってきたものではなく、戦前に「近江高天原」説をとなえる人たちによって建立されたもので、国家神道のにおいがする。

比婆神社、秘境感漂う神社ですね。

 比婆之山までもどりカレンフェルトの尾根を進むと高取山城で戦国時代の城跡だが、なぜか男鬼入谷城跡と看板には書かれていた。南尾根には入谷に向かうルートも示されており途中で入谷から甲頭倉に乗越す古道を使うようだ。この先が男鬼越の峠で直接男鬼の集落に下りるだけに規模も大きく感じた。高取の頂上をすぎると霊仙山が正面に構え、風も心なしが冷たくなり霊仙の世界に入った気持ちになる。自然林の気持ちの良い道が昔にタイムスリップさせてくれるようだ。

私もその辺は気持ちよく歩きました(^^)

 下り切ると男鬼峠で入谷に下る地点だが、分岐点○注のテープがあるのみで下谷という文字は無い。右の植林の谷を下って行くと石垣道が出てきて導いてくれる。集落手前の乗越には地蔵さんが祀ってあった。下った分岐には「男鬼入谷城跡→」という看板がありここに高取山城南尾根の道はつながっているようだ。そのまま入谷集落に入り、道路わきの新しいしめ縄の掛けられた鳥居から神社の参道を上る。

入谷に下りられたのですね、私は霊仙に登ろうかなと無謀な事を考えてて、そのまま尾根をまっすぐ行きました(^^;;行きませんでしたが(笑)

 さて、ここからが今日の本番になる。道のりは長いが駐車地の後谷まで二山こえなければならない。地形図には神社のあたりから破線道が描いてあるので杭のある獣道のような道を追うが谷沿いのトラバースで消えてしまう。左岸の尾根を上っていくと石積みに守られた立派な道が上がってきており、地蔵下の分岐の道がきていた。谷沿いの道は流れやすいので上流部からの取りつきにかえたのだろう。

そうですね、ここからが本番でした。

カワタニ越の道で、476独標の西の乗越をカワタニ越と呼んだようだ。破線道の通っているP608とP639のコルがミヤマ峠だが、甲頭倉への急降下の斜面は西尾本が書かれた時点ですでに厳しく破線道はたどれない。カワタニ越の道はミヤマ峠道と分かれて北西に延びて途中で無くなっている破線道を進み平坦な植林の谷が続きこのまま詰めあがると男鬼越に至る。この道はたくさんの石垣で守られ岩を削って道幅を確保している所もあり立派な道だ。男鬼集落の中心と入谷集落の中心を結ぶ道だけに利用度は高かったのだろう。植林のあたりで男鬼越の道とは分かれて目の前にあるP639の北西のコルに向かう。コルは高取山城南尾根にあり、ここから男鬼入谷城跡への登山道は尾根を上って行く。コルの甲頭倉側には溝道が続いており20分で甲頭倉の寺のあたりに下りて来た。

カワタニ越と言うんですね、勉強になります。

寺には太鼓が掛けてあったので、人の気配は無いがだれか帰ってきているのだろう。集落の地蔵さんの新調された前掛けを見て暖かい気持ちになった。

集落に1人は 手入れをして下さる方がいるんですよね。

集落のはずれの堰堤のある谷がサンボノ谷で看板には甲頭倉谷と書いてある。堰堤を越え左岸の尾根で巻いて上流部に下りた。現在は植林の谷だが、炭窯跡やそれをつなぐ石垣道もあり生活に根差した谷だとわかる。稜線が見えて来たので上ると鉄塔だった。後谷に下るには隣のP631の北尾根に乗らなければならない。ゆるやかにトラバースしながら歩いていくとここにも炭窯跡があった。北尾根から後谷側の子尾根に沿って下って行くと溝道状になりすぐに立派な溝道に合流した。これがホリベタからの古道で、快適に下っていくと後谷集落の中心部に下りた。

溝道を見つけた時は やれやれと思いました(笑)

廃村寸前の隠れ山郷をつなぐ道をたどるにつれ霊仙周辺域の歴史の深さを改めて感じさせてもらった山行だった。初登りが自分らしい山登りでよかった。

興味深いレポ ありがとうございます。地図の張り付けが嬉しいです 細かい地名がわかるのは助かります。

いい初登りですね(*^。^*)

またスノー衆でお話聞きたいです。

しのやん

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わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】霊仙の隠れ山郷を古道でつなぐ イワス・高取山

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、SHIGEKIさん。

 霊仙山の麓にはいくつかの隠れ山郷がある。歴史は長く、霊仙寺が672年に建立されその別院七ヶ寺が霊仙山の周辺に置かれた時代にさかのぼる。戦国時代には京極氏が城や砦を築き、江戸時代には彦根藩の財政、軍事の両面からの必要性から山郷は維持されたようだ。

流石の山域時代考証、いつもながら感心させられます。

鈴鹿のバイブル「鈴鹿の山と谷」のおかげで・・
この本があったから再度山に登り始めた感じです。
:ugeek:

こうした山郷を古道でつなげないかと調べていると、ありました。しのやんがイワス・高取山を登ったレポで、帰路に使った道がそれで、西尾本とにらめっこしてルートがほぼ特定できたので後追いをすることにした。

何を隠そう!! 不肖Sも2002/03/30 廃校広場から後谷、イブキ、イワス、比婆神社を周遊しておりました。
当時、新ハイ 岩野氏のrepをそのままトレースしただけで、ボーと歩き回っただけです。
チコちゃんに○○と生きてんじゃねぇよ と叱られるくらいなにも考えずに歩いてました。
ただ、この山域、低山ですが、里山とはひと味違った独特な雰囲気が感じられたものです。


確かに歴史の深さというか
人の営みの跡がそこかしこに残っていて
貴重な所です。
それが開発されずにそのまま残っているなんてすごいです。


この小屋まだありましたか?
この辺から掘り返された断崖を登った記憶があります。


小屋ありました。
よく断崖を登りましたね。
車道があるのに・・
:mrgreen:
 
イワス鉱山のサイロ
イワス鉱山のサイロ

 上段の砕石場は砕石の途中で中断したような状態だが、眺めは抜群だ。近江盆地に琵琶湖と雪をまとった湖西の山々まで見渡せる。ほんの少し歩くとイワスの山頂で、白い伊吹山の巨体がどっしりかまえている。

時、同じくして不肖Sは横山から金糞の稜線に少しだけ顔を出した伊吹を見ておりました。


雪は少ないですが、滋賀県の山は白いですね。
三重県側はまったくです。


伊吹
伊吹

神社の辺りでゆっくりしたのを想い出します。
西尾氏はインタビューで「鈴鹿の山と谷」について 実はどの山域でも良かった と肩透かしのようなお話をしておられますが、
鈴鹿で再訪したいところはとの問いに、「男鬼」と仰っています。


そうでしたか、男鬼は行っていないので
また行かせてもらいます。


比婆神社と磐座
比婆神社と磐座

廃村寸前の隠れ山郷をつなぐ道をたどるにつれ霊仙周辺域の歴史の深さを改めて感じさせてもらった山行だった。初登りが自分らしい山登りでよかった。

 味わいのある山行ですね。
    では また 近江高天原の神域で


植林も少なく楽しめるいい山域でした。
いつになるか・・スノー衆でお会いしましょう。


アバター
わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】霊仙の隠れ山郷を古道でつなぐ イワス・高取山

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、しのやん。

 後谷に向かい、堰堤手前に駐車すると山肌に採石場の建物が見える。ジープが1台置いてあるが、人はいないようだ。堰堤を越えて大谷を行き、集落の取水場跡で水を入れる。コンクリートの橋のある堰堤を越えると左岸に苔むした巨大な石積みが見える。上っていくと石積みは何段にもわたって作られており、鉄製の滑車も落ちている。石積みは採石場まで続いており、落石防止の堰堤で水抜きも作られていた。

休日だったら、私の父親と遭遇してたでしょう(笑) 今年はまだ雪積もってないですから…
あのジープの現役時代を知ってる私にとっては、あの姿は…哀れです。
原石山へ直に登られたのですね、私も かなり前に同じ様に父親に連れられて 登りました。


あらまあこのあたりに詳しいと思ったら
後谷の出身でしたか。
お父さんとお会いしたらいろいろ聞きたいですね。
地元では採掘場は「原石山」って言うんだ。
ジープはまだ動きそうな感じでしたが・・


後谷より鉱山のサイロ
後谷より鉱山のサイロ

 上りきると採石場で、岩肌が削られた壁が立ちふさがる広場には建物が立っている。ふと気づくと登山靴のビブラムがはがれかけている。1年前のスノーシューと同じ場所だ、どうするかな?前回はここまできて雨に降られて猫峠経由で帰ったので、今回はどうにかしたい。雪は無いがアイゼンを持ってきているので、これで登山靴とアイゼンを固定した。

ありゃ、靴用ロックタイトも限界でしたか…

家に帰って残りのロックタイトで再度接着して
予備のロックタイトも購入しました。 :mrgreen:

 採石場を奥に進むとテープがあり後谷から見えた巨大なサイロがある。上の採石場につながる車道が続いているので進むと上段の建物がありその先が採石場だった。戦前の昭和10年にできて昭和39年に閉鎖された住友セメントの採石場で、後谷、屏風、甲頭倉を中心に芹谷一円から働きにきていたそうだ。

私の祖母も 後谷から通ってたそうです。

そうですかおばあさんも通勤されていましたか。
しのやんも鉱山の操業時は知っているのかな?


鉱山の滑車
鉱山の滑車

 イワスを下ると奥甲頭倉が上がってきており屏風や甲頭倉の人たちがセメント鉱山まで通勤に使った谷だ。鉄塔をすぎると比婆之山で、比婆神社に向かう。尾根を下ると突然現れた。磐座を御神体として祀ってあるようだ。地元の人たちが祀ってきたものではなく、戦前に「近江高天原」説をとなえる人たちによって建立されたもので、国家神道のにおいがする。

比婆神社、秘境感漂う神社ですね。

尾根を下ったら突然現れたので驚きました。
しのやんの小さい頃、ここに参りに行くことはあったのかな?


 比婆之山までもどりカレンフェルトの尾根を進むと高取山城で戦国時代の城跡だが、なぜか男鬼入谷城跡と看板には書かれていた。南尾根には入谷に向かうルートも示されており途中で入谷から甲頭倉に乗越す古道を使うようだ。この先が男鬼越の峠で直接男鬼の集落に下りるだけに規模も大きく感じた。高取の頂上をすぎると霊仙山が正面に構え、風も心なしが冷たくなり霊仙の世界に入った気持ちになる。自然林の気持ちの良い道が昔にタイムスリップさせてくれるようだ。

私もその辺は気持ちよく歩きました(^^)

霊仙寺の末寺があった山域に入ったようで・・
イメージ的にもっと植林が多いのかと思っていましたが
自然林の多い山道で癒されました。


 下り切ると男鬼峠で入谷に下る地点だが、分岐点○注のテープがあるのみで下谷という文字は無い。右の植林の谷を下って行くと石垣道が出てきて導いてくれる。集落手前の乗越には地蔵さんが祀ってあった。下った分岐には「男鬼入谷城跡→」という看板がありここに高取山城南尾根の道はつながっているようだ。そのまま入谷集落に入り、道路わきの新しいしめ縄の掛けられた鳥居から神社の参道を上る。

入谷に下りられたのですね、私は霊仙に登ろうかなと無謀な事を考えてて、そのまま尾根をまっすぐ行きました(^^;;行きませんでしたが(笑)

なんで落合に向かったのかわからなかったのですが、これで納得しました。 :mrgreen:

 
カワタニ越の道で、476独標の西の乗越をカワタニ越と呼んだようだ。破線道の通っているP608とP639のコルがミヤマ峠だが、甲頭倉への急降下の斜面は西尾本が書かれた時点ですでに厳しく破線道はたどれない。カワタニ越の道はミヤマ峠道と分かれて北西に延びて途中で無くなっている破線道を進み平坦な植林の谷が続きこのまま詰めあがると男鬼越に至る。この道はたくさんの石垣で守られ岩を削って道幅を確保している所もあり立派な道だ。男鬼集落の中心と入谷集落の中心を結ぶ道だけに利用度は高かったのだろう。植林のあたりで男鬼越の道とは分かれて目の前にあるP639の北西のコルに向かう。コルは高取山城南尾根にあり、ここから男鬼入谷城跡への登山道は尾根を上って行く。コルの甲頭倉側には溝道が続いており20分で甲頭倉の寺のあたりに下りて来た。

カワタニ越と言うんですね、勉強になります。

カワタニ越、ミヤマ峠、男鬼越は甲頭倉の呼び名です。

後谷に向かうサンボノ谷、ヤマゴエも甲頭倉の呼び名なので
こちらは後谷では別の呼び名かもしれません。
お父さんに聞いておいてください。


寺には太鼓が掛けてあったので、人の気配は無いがだれか帰ってきているのだろう。集落の地蔵さんの新調された前掛けを見て暖かい気持ちになった。

集落に1人は 手入れをして下さる方がいるんですよね。


集落の手入れとは頭が下がります
しのやんのお父さんもそうなのかな?
帰りに立ち寄った屏風には何人か来てみえました。


太鼓のかかった甲頭倉の寺
太鼓のかかった甲頭倉の寺

集落のはずれの堰堤のある谷がサンボノ谷で看板には甲頭倉谷と書いてある。堰堤を越え左岸の尾根で巻いて上流部に下りた。現在は植林の谷だが、炭窯跡やそれをつなぐ石垣道もあり生活に根差した谷だとわかる。稜線が見えて来たので上ると鉄塔だった。後谷に下るには隣のP631の北尾根に乗らなければならない。ゆるやかにトラバースしながら歩いていくとここにも炭窯跡があった。北尾根から後谷側の子尾根に沿って下って行くと溝道状になりすぐに立派な溝道に合流した。これがホリベタからの古道で、快適に下っていくと後谷集落の中心部に下りた。

溝道を見つけた時は やれやれと思いました(笑)

屏風の上部の谷をトラバースするあたりで道が消えるので
後谷側の溝道を見てほっとしました。


廃村寸前の隠れ山郷をつなぐ道をたどるにつれ霊仙周辺域の歴史の深さを改めて感じさせてもらった山行だった。初登りが自分らしい山登りでよかった。

興味深いレポ ありがとうございます。地図の張り付けが嬉しいです 細かい地名がわかるのは助かります。
いい初登りですね(*^。^*)
またスノー衆でお話聞きたいです。


ありがとうございます。
またお父さんに聞いておいてくださいね。

biwaco
記事: 1422
登録日時: 2011年2月22日(火) 16:56
お住まい: 滋賀県近江八幡市

Re: 【鈴鹿】霊仙の隠れ山郷を古道でつなぐ イワス・高取山

投稿記事 by biwaco »

わりばしさん、アケオメでございます(^^♪
さっそくレトロな山域(というより山郷か)レポをありがとうです。
あまりの隠れ里で、地名もサッパリ分らず、古文書を読み解くヨロコピに震えながらのお昼時であります。

「甲頭倉」さえ多賀町のHPひらいてやっと「コウヅクラ」と判明いたしました。
後谷(ウシロダニ?)からの足跡、添付の地図を地形図に置き換えて地名を辿ってみました。
実際に歩くよりルーファイに難儀します。イワス(岩巣?)、ハナシ(端無?)…、漢字を適当に充ててみたりして想像をめぐらせます。
それでもなんとか闇下にならず、ミヤマ峠やホリベタを越えて、後谷へ戻って来られました。

あらためて市販図をみると、比婆山や男鬼山などが載っていますね。バーチャルトレッキングではもったいない。100年前辺りは賑やかだった(かもしれない)この一帯、暖かくなったら一度訪ねてみたくなりました。(もちろん、ヒル様のお出ましになる前に)

また、biwa爺の食指をそそるレポ、お待ちしております。

       ~biwa爺
アバター
わりばし
記事: 1753
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【鈴鹿】霊仙の隠れ山郷を古道でつなぐ イワス・高取山

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、biwacoさん。

「甲頭倉」さえ多賀町のHPひらいてやっと「コウヅクラ」と判明いたしました。
後谷(ウシロダニ?)からの足跡、添付の地図を地形図に置き換えて地名を辿ってみました。
実際に歩くよりルーファイに難儀します。イワス(岩巣?)、ハナシ(端無?)…、漢字を適当に充ててみたりして想像をめぐらせます。
それでもなんとか闇下にならず、ミヤマ峠やホリベタを越えて、後谷へ戻って来られました。

イワス
イワス
入谷神社
入谷神社
甲頭倉
甲頭倉

あらためて市販図をみると、比婆山や男鬼山などが載っていますね。バーチャルトレッキングではもったいない。100年前辺りは賑やかだった(かもしれない)この一帯、暖かくなったら一度訪ねてみたくなりました。(もちろん、ヒル様のお出ましになる前に)

自然林の多い明るい山域で・・
カワタニ越はB峠を越えてサンボノ谷(甲頭倉谷)がみそです。
いいところですので、また行ってください。

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