【比良】透明な秋と熱い冬のかけらを拾った日 牛山、滝山

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sato
記事: 421
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

【比良】透明な秋と熱い冬のかけらを拾った日 牛山、滝山

投稿記事 by sato »

【日付】  2019年11月29日(金曜日)
【山域】  比良
【天候】  晴れ
【コース】 鵜川~・566牛山~滝山~嘉嶺ヶ岳~鵜川

ふっと空いた金曜日、ゆっくりと朝ご飯を食べ、洗濯機を回し、洗い終えた服を干していると、きりりと澄んだ空気が頬を撫でた。
見上げた空はどこまでも青く透明で、その向こうから逃げゆく秋と訪れた冬の囁く声が聞こえた。
月曜日に大津に出かけた時の、バイパスから見た晩秋の比良の情景が甦ってきた。
私がまだ見ぬ、出会うであろう輝きが呼びかけてきた。
出かけよう。部屋に戻り荷物をリュックに詰め込み、車に乗り込む。
走り始めてすぐに、山頂付近が白く光る蓬莱山と武奈ヶ岳の姿が目に飛び込む。
思わず武奈ヶ岳の方に向かいそうになるが、私に呼びかけてきた輝きに出会うのだと、ハンドルを握る手に力を入れる。

林道鵜川村井線を少し進んだ路肩に駐車する。ここから牛山、滝山、嘉嶺ヶ岳と彷徨い、下りは高島市と大津市の境の尾根を辿る旅。
その中に私が出会うであろう輝きが息を潜めている。そう予感する。

さぁ始まると、胸を躍らせて堰堤に立つと、見下ろした鵜川の痛々しさに呆然となる。最後に訪れたのは一昨年の初夏。
堰堤の下をくぐり、爽やかな水の心地よさにうっとりとしながらこの川を遡っていったのに。その後の台風の爪痕なのだろうか。
取り付いた尾根も以前より荒れた感じがする。無言になって常緑樹の目立つ尾根を登っていく。

標高500mを過ぎた辺りで、木立ちの向こうにうみへと延びる尾根の形をとらえ、そちらに向かう。
数十メートル下ると大きな岩が現れた。忍び足で岩の上に立ち、ふぅと息を吐きながら首を反らす。
目を見開くと、朝と変わらぬ透き通った青空が広がっていた。
空の向こうでは茶色くなった鈴鹿の山やまが、私が聞いた秋と冬の囁きに耳を澄ませていた。
裾野に目をやると、赤茶けた紅葉の木々が旅立ちを前にまどろんでいた。
平坦地の田んぼは静かに眠りにつき、集落の屋根からは冬支度をするおばあちゃんの笑い声がもれていた。
そして目に映る世界の真ん中にあるうみは、すべての感情を超え、ただただそこに佇んでいた。

どれくらいの時間が経ったのだろう。ぼおっと突っ立っていた私の中でかたりと何かが音を立てた。
逃げゆく秋の透明なかけらをこころに感じた。
先に進もう。滝山はまだ先だ。

牛山の下の岩からの眺め
牛山の下の岩からの眺め

566mの牛山からは倒木の多い雑然とした二次林のだだっ広い尾根が続く。目を見張るような紅葉は見当たらない。
木々の葉の大半は落ち、
冬の囁きに負けず、今日一日は秋の光を思いきり浴びようと、細い枝にしがみついている葉も、もはや鮮やかさは失われている。
ふと、足元のくすんだシロモジの黄葉に目が吸い寄せられる。
しゃがんで眺めると、一枚の葉には逃げていった秋の一つの真実が映っていた。

690mのこぶを下ると池だ。落ち葉の広場に出る。池はどこにいったのかしら。
ふいに地中に足が引きずり込まれる。あぁやってしまったと思ったら、すねまで潜り止まってくれた。
長靴を履いて来てよかったと、ほっとする。
数メートル先の落ち葉の中から、冬眠の準備中のような、水たまりほどの大きさになってしまった池が覗いていた。

適当に登った小さな尾根で出会った岩
適当に登った小さな尾根で出会った岩

今日もここで遊ぼう。この一帯はでこぼこと入り組んだ地形が広がる。
取り立てて美しい景色でもなく、やぶっぽい箇所もあるけれど、地図を眺めていると彷徨いたくなる。
足の向くまま、小さな流れや、やぶっぽい窪地と遊び、目に留まった尾根を登る。頭上に岩が見えた。
そして、岩の近くの一本の木には可愛らしいなめこがついていた。
片手に納まるくらいの数しかなかったけれど、なめことの出会いに恵まれなかった私に、逃げゆく秋が落としていってくれたのかしら。
木立の中にでんと佇む大岩の、何ということもない景色が輝きを見せる。
私だけが出会った、小さな秋の情景にうれしくなる。

歩きやすかった記憶の残る滝山の南東の尾根も、訪れる度に倒木が多くなり、すたすたと進めない。
脇にそれると、落ち葉としシダの中に白い倒木が浮き上がっていた。
「雪!」と心臓が波打ち、頬が熱くなる。目の前の冬にそっと触れる。
指先から飛び込んだ、ぴりっと冷たく熱い冬がこころに突き刺さる。

裸の木々の向こうに見える武奈ヶ岳のてっぺんは昼になってもまだ白い。
きれいだなぁと落ち着いて眺めている私がいる。
小さな小さな冬の衝撃は、雪化粧した山に負けないくらいに大きかったりする。

尾根が落ち着いてきたと思ったら滝山の三角点に着いていた。
陽光が降り注ぐ、葉が落ちきった冬枯れの山頂は、あけっぴろげでからりと明るい。
少し遅めのお昼ご飯をとり、嘉嶺ヶ岳に向かう。

市境尾根からの眺め
市境尾根からの眺め

ここから市境の尾根を下っていく。
目の前のうみに飛び込んでいくような、この爽快な尾根を下る度、うみを感じる暮らしに幸せを覚える。
それにしても、今日はなんて空気が澄んでいるのだろう。
伊吹山が最後の秋を味わうかのように気持ちよさ気に佇んでいる。
そして、午後の温かな陽射しを浴びた柔らかな山肌の上に、私が待ち焦がれる白く冷たく熱い雪面を感じる。

うみの向こうの景色に見とれて歩いていたら、何かが足をつかまえた。
山帰来だった。
艶やかなべっこう飴色の、丸みを帯びたハート形の鏡のような葉には、
私が掬い上げた秋と冬の小さなかけらが煌めいていた。
すうっと音がして、煌めきは透明な風となり、私の中に戻っていった。

山帰来(サルトリイバラ)
山帰来(サルトリイバラ)

林道に出ると、山ほどの緑の葉の束を背負ったおばあちゃんが木立の中から現れ、話しかけてきた。
「何を拾ってきたの?」
「透明な秋と熱い冬のかけらを拾いました。」と言いたかったのに、恥ずかしく、山登りに出かけただけ、と答えてしまう。
「そうかぁ。山は楽しいよねぇ。」
「とっても楽しいです。」
「わたしはもう少しうろうろするわ。あっちの方にいいシキミがありそうだ。」
鵜川ファームマートにお野菜などを置いていて、何もない時期は山からシキミやサカキを採ってくるという。
「気いつけて帰りや。」と朗らかに笑いながらおばあちゃんは去って行った。

土と共に生きる女性はたくましい。冬への覚悟と愉しみを、おばあちゃんの後ろ姿は語っていた。
牛山の岩の上で聞いた笑い声はおばあちゃんだったのね、とひとり頷く。

日常から続く小さな山で出会った輝きは私の中で熟成されていく。
秋から冬へ、こころに灯った輝きを、ふと言葉に紡ぎたくなった。

sato
最後に編集したユーザー sato [ 2019年12月07日(土) 13:27 ], 累計 1 回
アオバ*ト
記事: 283
登録日時: 2019年9月23日(月) 08:40

Re: 【比良】透明な秋と熱い冬のかけらを拾った日 牛山、滝山

投稿記事 by アオバ*ト »

 satoさん、こんにちは。

 美しい琵琶湖の写真に心を奪われました。
牛山の下の岩からの眺め、鏡のようにひかる湖面が美しすぎです。
こんなにすばらしい眺めに、出会えたら、
歩くのなんかどうでもよくなって、ずっとここにすわって眺めていたいです。

>小さな小さな冬の衝撃は、雪化粧した山に負けないくらいに大きかったりする。

 ほんとうですね。わたしも先週末、今年初めての雪の赤ちゃんに出会って、そう思いました。

>ここから市境の尾根を下っていく。目の前のうみに飛び込んでいくような、この爽快な尾根を下る度、うみを感じる暮らしに幸せを覚える。

 いつも「うみ」の近くにいられるsatoさんが、時々うらやましくなります
わたしも、また「うみ」に会いに行きたくなりました。

 いつか「うみ」の見える雪稜でお会いできることを楽しみにしています。

  アオバ*ト
biwaco
記事: 1423
登録日時: 2011年2月22日(火) 16:56
お住まい: 滋賀県近江八幡市

Re: 【比良】透明な秋と熱い冬のかけらを拾った日 牛山、滝山

投稿記事 by biwaco »

朝の冷え込みも明日あたりまでらしい。12月に入っても人里に雪は来ない。そんな年が続いています。それでもちょっと山に入ると、小さな谷筋に白いカケラが隠れている。先週の土曜日、朝日に輝く冠雪した伊吹山に目を奪われました。冬の山、もうすぐかな…?

satoさん、おはようございます。冬のかけらのおすそ分け、ありがとう。朝食の後のマッタリ時間、レポ読を楽しませていただいてます。
リトル比良。何年前だったか、やはり晩秋の一日、北小松から高島へ抜けた時のことを思い出しました。
鵜川にも牛山にも寄っていないけれど、嘉嶺ヶ峰、岩阿沙利山といった魅力ある山名や、名の通り花崗岩の崩れたジャリジャリの登山路が印象に残っています。

月曜日に大津に出かけた時の、バイパスから見た晩秋の比良の情景が甦ってきた。
私がまだ見ぬ、出会うであろう輝きが呼びかけてきた。
「まだ見ぬ、輝き」
ひととおり読んで見た後、このwordが気になりました。比良の雪稜? 晩秋の鄙びたブナの森? 赤茶けた裾野の紅葉たち…?
いや、ちょっと違うなあ…。と思っていたら記述を見つけました。
そして目に映る世界の真ん中にあるうみは、すべての感情を超え、ただただそこに佇んでいた。
そうか、「うみ」なんや!
ビックリマークはちょっと違うかもしれないけど、「うん、うん…」と2,3回の頷きを伴った「!」です。
琵琶湖は北西から眺めるのがいい。南や東からの琵琶湖を見飽きているからかもしれないけれど、鈴鹿の山々のシルエットを背景に、逆光の朝日に輝く湖面は「荘厳」そのもので、宗教心のカケラも持たない私でも手を合わせてみたくなるから不思議です。
ただ、人それぞれの「うみ」がある。私にとっての「うみ」は日本海。子どもの頃に泳いだり釣りをして遊んだ丹後半島の私の「うみ」は、やはり「海」でしょうね。そう言いながらも、今では琵琶湖がわが「うみ」になっているのですが。
今日もここで遊ぼう。この一帯はでこぼこと入り組んだ地形が広がる。
取り立てて美しい景色でもなく、やぶっぽい箇所もあるけれど、地図を眺めていると彷徨いたくなる。
「山で遊ぶ」――それも、人それぞれですね。整備された登山路を歩くのも楽しい。でも、ちょっと違った遊び方を見つけると、山はもっと楽しくなる。新雪を踏む初めての雪山、沢の水の中を強引に進む自由さ、ガイドマップにない道へ入り込むワクワク感、ロープに身を預けて急斜面を下降するドキドキ感…。
いずれも初体験の時の記憶は今も脳内から消えません。思い出し、書いているだけで、このまま山へ出かけたくなってくる自分に気付いて可笑しくなります。
うみの向こうの景色に見とれて歩いていたら、何かが足をつかまえた。
山帰来だった。
艶やかなべっこう飴色の、丸みを帯びたハート形の鏡のような葉には、
私が掬い上げた秋と冬の小さなかけらが煌めいていた。
「山帰来」―なんだろう?と思ったら、キャプションが付いている。サルトリイバラ。生け花の素材にもなる知られた野草だけど、漢字を当てればそうなるのか…。以前耳にしたことがあったような気もするけれど、すっかり記憶倉庫から消えていた。
枯れた葉と赤い実という風雅なイメージとは裏腹に、足元に纏わりつく刺棘のつるはヤブを歩く者には大敵です。「山キライ」の当て字じゃないかと思うくらい。

「透明な秋と熱い冬のかけらを拾いました。」と言いたかったのに、恥ずかしく、山登りに出かけただけ、と答えてしまう。
前者(秋)の形容は何となくわかる気がします。後者(冬)は難解。「熱い」のはsatoさんの冬への思いなのか? それとも、もっとしっかりした冬の代名詞になりたい「かけら」の願いの熱さなのか…?
小さな対象に強い意味を持たせる文学のマジック。satoさんのレポは読み飛ばしてはいけない、たとえば、2時間に1本しか列車が来ない駅のベンチで時間待ちしているときのような、ゆっくりと時間が流れるときに、もう冷めてしまったコーヒーを入れ替えてみたりしながら、ワンフレーズを何度も繰り返しながら読んでみたくなる―そんなテイスティを味われるレポ。

紡がれた輝き…。私も見つけに行きたい衝動に駆られるレポでした。
朝書き始めたレスが今になりました。朝の挨拶はそのまんまにしときます。

             ~びわ爺
sato
記事: 421
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【比良】透明な秋と熱い冬のかけらを拾った日 牛山、滝山

投稿記事 by sato »

アオバトさま

こんばんは。
オフ会では、声をかけてくださり、うれしかったです。
アオバトさんも山に遊び、アオバトさんにしか見えない輝きを、
たくさん拾って帰っているんだなぁと感じています。

この日は、とても空気が澄んでいて、穏やかな陽気でした。
「うみ」すべての感情を包容し、すべての感情を超えた存在ですね。
わたしは、ぽかんと、ただ眺め、そして我に返る(笑)。

ふいに出会った小さな真実は、小さければ小さいほど、こころに真っ直線に、突き刺さったりします。
でも翌朝、「うみ」に繋がる山やまが白く輝いているのを見て、道端で、ひとりこころ震えていました(笑)。

この地に来て、あともう少しで丸8年です。
10年前までは、滋賀で暮らすとは夢にも思いませんでした。
ここでの暮らしを重ねていく中で、それまで見ていた琵琶湖が、「うみ」へと変わっていきました。

雪の湖西の山で、いつか、ばったりと、アオバトさんにお会い出来ますように。

sato
sato
記事: 421
登録日時: 2019年2月13日(水) 12:55

Re: 【比良】透明な秋と熱い冬のかけらを拾った日 牛山、滝山

投稿記事 by sato »

びわ爺さま

こんばんは。
日常から繋がる山の、逃げていく秋と冬の訪れの声を聞き、
衝動に駆られ向かった先で、出会った小さな輝きが、言葉となって、こころに灯りました。
生まれた言葉が、記憶となって熟成する前に、書き留めたくなりました。
自己完結、自己満足の世界を、こころで読んでくださり、びっくり、うれしく、ちょっと恥ずかしいです。

私も、土曜日にアルバイト先から帰る途中、冬枯れの田んぼの向こうの空に屹立する、
白く輝く伊吹山の神々しさに、ぽかんと口を開け、呆然と立ち尽くしてしまいました。
湖西や湖北の山も一斉に白くなっていました。冬が来た!とぞくぞくしました。
でも、今日は暖かな一日で、武奈ヶ岳の雪もだいぶ融けた感じがしました。今週は暖かな日が続くようですね。

「まだ見ぬ、出会うであろう輝き」の、言葉の奥にあるものを想像してくださったのですね。
私の目に映った輝きの、いくつかは言葉になりましたが、
家を出る前に感じた輝きは、その輝きが何なのか、どこに潜んでいるのかは分かりませんでした。
ただ、冬に支配される前の比良の山が、呼びかけているような感じがしたのです。

私の感じる「うみ」を、びわ爺さん(と書くと、なんだか失礼な感じが・・・)は感じてくださったのですね。
それぞれの人に、それぞれの「うみ」があるのだと私も感じます。
琵琶湖を眺める私の目には、私の記憶、私の知らない誰かの記憶、風景の持つ記憶が幾重にも重なり、
こころが呼応し「うみ」と感じるのでしょう。

山の遊びも、無限の広がりを感じます。年を重ねると、出来ることが少なくなると思いがちですが、
年を重ねて、私の山の世界は広がったような気がします。
小さな山を自由に歩き、予期せぬ風景、輝きと出会った歓びは、小さな子供の頃の忘れてしまった出会いの記憶、初めての記憶・・・
初めて食べた雪の冷たさ、太陽にかざした手に伝わった温かさ、
お昼寝をしている時にさらさらとからだを通り抜けた風の心地よさ・・が形を変え、甦ったのかもしれないと、ふと思いました。

あの日は、サルトリイバラの黄葉の煌めきが、こころに何かを訴えてきました。
私は山帰来という響きに魅かれます。とげとげを突破しなければならない時は、眉間にしわを寄せているのかもしれませんが(笑)。

「熱い冬」とは、私のこころが感じる熱さでしょうか。
私の春のオフ会のレポへの、びわ爺さんのコメントを思い出しました。
その時も、私の言葉をこういう風に感じてくださったのだと、うれしく、面白く感じました。
私のつたない言葉に、振り返ってくださったのは、びわ爺さんの記憶の中の、小さなちいさな輝くかけらが、
私の拾ったかけらの輝きと、同じ色をしていたからなのかもしれませんね。

sato
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