【鈴鹿】茨川から御池 ~ 廃村から川を歩いて亀尾を登る ~
【日時】2019/11/4
【天 候】晴れ
【コース】茨川P 7:43-三筋の滝上9:35-亀尾取付き10:47-東のボタンブチ12:40/13:40-ノタノ坂分岐15:25-P 16:10
釣りを愛し、渓を愛した同郷の(甲賀市内)山本素石は文学者でもあり、渓流や廃村についても興味深い作品を残している。
そのなかで、「廃村の夜」「山家獨居の記」「奇遇」は茨川を題材としている。
同氏はその作品によると、ひとりタクシーで茨川林道分岐(京の水あたり)まで乗り付け後は茨川まで約4時間歩いてその廃屋に泊まっている。
廃村のしかも他人の先祖代々の霊が宿った廃屋へわざわざ出向いて一夜を明かす気持ちは何度読んでも郷愁と言うだけでは理解しがたい。
だからと言う訳でもないが、不肖Sは20年前の3月、この茨川から山本素石よろしく、林道を4時間、国道を1時間歩いたこともあったような
おぼろげな記憶が残っている。
小又谷に車を置いて、T字尾根から御池テーブルランドへ登り着き、ノタノ坂を下ってきて、小又谷と茨川への分岐でなぜか、吸い寄せられるように茨川に降り立ってしまったのである。ヤミ下で薄い踏み跡の山中を辿るのを避け、長い林道歩きとタクシーでの周遊を選択したのだった。
http://shigeki.ryu-unso-kyu.jp/tjione2.htm
それ以来、ノタノ坂分岐から茨川への山道へ足を踏み入れてはいなかった。
昔は車で茶屋川を渡って、八幡工業高校の小屋前まで乗り付けたもんだが、今は当然、川の手前に止めて強風の中、沢支度をする。
ヘルメット姿の女性がひとり先行する。行政からの委託で鹿の調査に入るとのこと。
思わず「エエ仕事でんなぁ~やってみたいね~」と言いつつ、「調査って、ひょっとしてウンコを調べて回るとか??」
と聞くと「その通りです。」とのこと・・・・
川を渡ると今度は、焚火をしている男女がいた。
少し話して廃村を通らせて頂く。
先の八幡工業高校の小屋の他は、名古屋大学の小屋と神社の鳥居が残るばかりである。
茶屋川は、砂利の中を流れる全くの平流だ。
蛇谷を右に分ける辺りは、渓流らしい雰囲気になってきて目の前には、藤原西尾根へと何度か歩いた尾根が張り出している。
三筋の滝は、やはり一筋だった。右岸のロープを頼りに巻き登る。
しばらくで、今年3月に登ったゴジラの尾根を右に見て、真の谷と土倉谷の分岐に着いた。
ここで最近頼り切っているチェーンスパイクを履いてHマオさんが勝手に名付けた亀尾に取り付いた。
かなりの急登とツゲのヤブを乗り越えると檜の林に出てその先は明るい自然林となった。
この尾根については同氏の
http://www.cty-net.ne.jp/~toyo-k/sanko/ ... /kameo.htm
に詳しい。
振り向くと天狗岩、藤原岳の錦の斜面が陽光を受けて煌めいている。
と言うのは大げさで心なしかくすんだ紅葉が光のせいでそれなりの色合いを保っていた。
柔らかな落ち葉絨毯のウェーブから石灰岩のゴロつく急登を登り切ると展望が開けた。
カレンフェルトの隙間に風を避けてランチとする。
テーブルランドを少し散歩して土倉へと降る。
ちょうど西陽があたり小又谷側の色づいた木々が透過光に煌めく。
植林のトラバースから小又谷、茨川分岐を「正気」で茨川へと歩を進めた。
本来、峠からの降りのはずが、道は美しいがほとんど高度を下げない。
こんなルートならヤミ下でも十分歩けたはずだと思ったのも束の間、暗い植林の谷への急下降となった。
20年前の不肖Sは、この辺りのヤミ歩行を避けるべく長い林道歩きを選択したのだろうか?
最近ではめずらしく明るいうちに車に到着した。
帰路についたが、車でも長~い茨川林道だった。
ではまた、そこ抜けに明るくてなぜか寂しい鈴鹿の陽だまりで
(最近つとに長いなぁ~)
SHIGEKI
【鈴鹿】茨川から御池 ~ 廃村から川を歩いて亀尾を登る ~
フォーラムルール
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
新規トピックは文頭に以下のテンプレートをなるべく使ってください。
【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
【 天 候 】
【 ルート 】
※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
Re: 【鈴鹿】茨川から御池 ~ 廃村から川を歩いて亀尾を登る ~
こんばんは、SHIGEKIさん。
釣りを愛し、渓を愛した同郷の(甲賀市内)山本素石は文学者でもあり、渓流や廃村についても興味深い作品を残している。
そのなかで、「廃村の夜」「山家獨居の記」「奇遇」は茨川を題材としている。
同氏はその作品によると、ひとりタクシーで茨川林道分岐(京の水あたり)まで乗り付け後は茨川まで約4時間歩いてその廃屋に泊まっている。
廃村のしかも他人の先祖代々の霊が宿った廃屋へわざわざ出向いて一夜を明かす気持ちは何度読んでも郷愁と言うだけでは理解しがたい。
山本素石ですか。私もたくさん持っていますよ。
焼尾の炭焼き窯でツチノコを捕獲したという記録からツチノコブームになったんですよね。
だからと言う訳でもないが、不肖Sは20年前の3月、この茨川から山本素石よろしく、林道を4時間、国道を1時間歩いたこともあったような
おぼろげな記憶が残っている。
小又谷に車を置いて、T字尾根から御池テーブルランドへ登り着き、ノタノ坂を下ってきて、小又谷と茨川への分岐でなぜか、吸い寄せられるように茨川に降り立ってしまったのである。ヤミ下で薄い踏み跡の山中を辿るのを避け、長い林道歩きとタクシーでの周遊を選択したのだった。
若いからか・・
なんとも味のある選択をしましたね。
長かったでしょう。
昔は車で茶屋川を渡って、八幡工業高校の小屋前まで乗り付けたもんだが、今は当然、川の手前に止めて強風の中、沢支度をする。
ヘルメット姿の女性がひとり先行する。行政からの委託で鹿の調査に入るとのこと。
思わず「エエ仕事でんなぁ~やってみたいね~」と言いつつ、「調査って、ひょっとしてウンコを調べて回るとか??」
と聞くと「その通りです。」とのこと・・・・
川を渡ると今度は、焚火をしている男女がいた。
少し話して廃村を通らせて頂く。
茨川も微妙に華やいでいますね。
ある意味有名だし、車でいけますもんね。
三筋の滝は、やはり一筋だった。右岸のロープを頼りに巻き登る。
昔は切れそうなロープでしたが・・新調されましたか?
しばらくで、今年3月に登ったゴジラの尾根を右に見て、真の谷と土倉谷の分岐に着いた。
ここで最近頼り切っているチェーンスパイクを履いてHマオさんが勝手に名付けた亀尾に取り付いた。
かなりの急登とツゲのヤブを乗り越えると檜の林に出てその先は明るい自然林となった。
この尾根については同氏の
http://www.cty-net.ne.jp/~toyo-k/sanko/ ... /kameo.htm
に詳しい。
久々に亀尾の名前を聞きました。
私は行けずじまいです。
本来、峠からの降りのはずが、道は美しいがほとんど高度を下げない。
こんなルートならヤミ下でも十分歩けたはずだと思ったのも束の間、暗い植林の谷への急下降となった。
20年前の不肖Sは、この辺りのヤミ歩行を避けるべく長い林道歩きを選択したのだろうか?
分校の子どもたちは政所の本校の運動会に行くのにこの道を歩いたんですね。
最近ではめずらしく明るいうちに車に到着した。
帰路についたが、車でも長~い茨川林道だった。
お疲れさまでした。
ヤブ華やかかりしころのルートって感じです。
懐かしい感じを抱きながら読ませてもらいました。
わりばし
釣りを愛し、渓を愛した同郷の(甲賀市内)山本素石は文学者でもあり、渓流や廃村についても興味深い作品を残している。
そのなかで、「廃村の夜」「山家獨居の記」「奇遇」は茨川を題材としている。
同氏はその作品によると、ひとりタクシーで茨川林道分岐(京の水あたり)まで乗り付け後は茨川まで約4時間歩いてその廃屋に泊まっている。
廃村のしかも他人の先祖代々の霊が宿った廃屋へわざわざ出向いて一夜を明かす気持ちは何度読んでも郷愁と言うだけでは理解しがたい。
山本素石ですか。私もたくさん持っていますよ。
焼尾の炭焼き窯でツチノコを捕獲したという記録からツチノコブームになったんですよね。
だからと言う訳でもないが、不肖Sは20年前の3月、この茨川から山本素石よろしく、林道を4時間、国道を1時間歩いたこともあったような
おぼろげな記憶が残っている。
小又谷に車を置いて、T字尾根から御池テーブルランドへ登り着き、ノタノ坂を下ってきて、小又谷と茨川への分岐でなぜか、吸い寄せられるように茨川に降り立ってしまったのである。ヤミ下で薄い踏み跡の山中を辿るのを避け、長い林道歩きとタクシーでの周遊を選択したのだった。
若いからか・・
なんとも味のある選択をしましたね。
長かったでしょう。
昔は車で茶屋川を渡って、八幡工業高校の小屋前まで乗り付けたもんだが、今は当然、川の手前に止めて強風の中、沢支度をする。
ヘルメット姿の女性がひとり先行する。行政からの委託で鹿の調査に入るとのこと。
思わず「エエ仕事でんなぁ~やってみたいね~」と言いつつ、「調査って、ひょっとしてウンコを調べて回るとか??」
と聞くと「その通りです。」とのこと・・・・
川を渡ると今度は、焚火をしている男女がいた。
少し話して廃村を通らせて頂く。
茨川も微妙に華やいでいますね。
ある意味有名だし、車でいけますもんね。
三筋の滝は、やはり一筋だった。右岸のロープを頼りに巻き登る。
昔は切れそうなロープでしたが・・新調されましたか?
しばらくで、今年3月に登ったゴジラの尾根を右に見て、真の谷と土倉谷の分岐に着いた。
ここで最近頼り切っているチェーンスパイクを履いてHマオさんが勝手に名付けた亀尾に取り付いた。
かなりの急登とツゲのヤブを乗り越えると檜の林に出てその先は明るい自然林となった。
この尾根については同氏の
http://www.cty-net.ne.jp/~toyo-k/sanko/ ... /kameo.htm
に詳しい。
久々に亀尾の名前を聞きました。
私は行けずじまいです。
本来、峠からの降りのはずが、道は美しいがほとんど高度を下げない。
こんなルートならヤミ下でも十分歩けたはずだと思ったのも束の間、暗い植林の谷への急下降となった。
20年前の不肖Sは、この辺りのヤミ歩行を避けるべく長い林道歩きを選択したのだろうか?
分校の子どもたちは政所の本校の運動会に行くのにこの道を歩いたんですね。
最近ではめずらしく明るいうちに車に到着した。
帰路についたが、車でも長~い茨川林道だった。
お疲れさまでした。
ヤブ華やかかりしころのルートって感じです。
懐かしい感じを抱きながら読ませてもらいました。
わりばし
Re: 【鈴鹿】茨川から御池 ~ 廃村から川を歩いて亀尾を登る ~
鈴鹿】茨川から御池 ~ 廃村から川を歩いて亀尾を登る ~
茨川P 7:43-三筋の滝上9:35-亀尾取付き10:47-東のボタンブチ12:40/13:40-ノタノ坂分岐15:25-P 16:10
SHIGEKIさんおはようございます。亀尾、ある花を探して2回登ったことがあります。この日は私も亀尾を考えていました。
コースは、小又谷ー旧ヘリポート分岐ー土倉谷出合ー亀尾ーテーブルランドーT字尾根ー小又谷でした。前の晩ゴロ谷の紅葉か迷いましたが、
亀尾に決めて準備をしっかり済ませました。朝3:00にタイマーが鳴り目が覚めたとたん、あ、御池かしんどいな、三日間連荘で近場を歩いて
疲れているし、やっぱり近場で済まそうかと弱気に負けてしまいました。行っていればどこかでお会いできたのですね。
釣りを愛し、渓を愛した同郷の(甲賀市内)山本素石は文学者でもあり、渓流や廃村についても興味深い作品を残している。
そのなかで「廃村の夜」「山家獨居の記」「奇遇」は茨川を題材としている。
文学青年いや文学アラ還なのですね。私はノンフィクションが好きで文学系はあまり読んでおりません。
そのせいかベテランの方のように山毛欅の林の良さに感応する感受性を持ち合わせておりません。
小又谷に車を置いて、T字尾根から御池テーブルランドへ登り着き、ノタノ坂を下ってきて、小又谷と茨川へ
の分岐でなぜか、吸い寄せられるように茨川に降り立ってしまったのである。ヤミ下で薄い踏み跡の山中を
辿るのを避け、長い林道歩きとタクシーでの周遊を選択したのだった。
小俣谷に駐車されていたので、茶屋川へ下り茶屋川林道を国道421まで歩き、そこでタクシーを呼ばれたのですね。
ヤミ下でもノタノ坂経由なら問題なかったのではないですか。
それ以来、ノタノ坂分岐から茨川への山道へ足を踏み入れてはいなかった。
羹に懲りてなますを吹くですか。今のスタイルからは想像がつきませんが。
しばらくで、今年3月に登ったゴジラの尾根を右に見て、真の谷と土倉谷の分岐に着いた。
ここで最近頼り切っているチェーンスパイクを履いてHマオさんが勝手に名付けた亀尾に取り付いた。
亀尾は個人的ニックネームですか。テーブルランドを亀の胴体とすると亀尾はピッタリと思いましたが。
植林のトラバースから小又谷、茨川分岐を「正気」で茨川へと歩を進めた。
本来、峠からの降りのはずが、道は美しいがほとんど高度を下げない。
こんなルートならヤミ下でも十分歩けたはずだと思ったのも束の間、暗い植林の谷への急下降となった。
20年前の不肖Sは、この辺りのヤミ歩行を避けるべく長い林道歩きを選択したのだろうか?
現場で直面してとっさに判断したことを、後から振り返るのはのは難しいですね。人間はほとんどは無意識の判断で
意識に上るのはそのほんの一部を説明するためだけだそうです。後から振り返るのは意識ですから。
最近ではめずらしく明るいうちに車に到着した。帰路についたが、車でも長~い茨川林道だった。
あれ、駐車されたのは小俣谷ですから茶屋川林道ですね。
サンデー毎日を満喫されているようで裏山!
茨川P 7:43-三筋の滝上9:35-亀尾取付き10:47-東のボタンブチ12:40/13:40-ノタノ坂分岐15:25-P 16:10
SHIGEKIさんおはようございます。亀尾、ある花を探して2回登ったことがあります。この日は私も亀尾を考えていました。
コースは、小又谷ー旧ヘリポート分岐ー土倉谷出合ー亀尾ーテーブルランドーT字尾根ー小又谷でした。前の晩ゴロ谷の紅葉か迷いましたが、
亀尾に決めて準備をしっかり済ませました。朝3:00にタイマーが鳴り目が覚めたとたん、あ、御池かしんどいな、三日間連荘で近場を歩いて
疲れているし、やっぱり近場で済まそうかと弱気に負けてしまいました。行っていればどこかでお会いできたのですね。
釣りを愛し、渓を愛した同郷の(甲賀市内)山本素石は文学者でもあり、渓流や廃村についても興味深い作品を残している。
そのなかで「廃村の夜」「山家獨居の記」「奇遇」は茨川を題材としている。
文学青年いや文学アラ還なのですね。私はノンフィクションが好きで文学系はあまり読んでおりません。
そのせいかベテランの方のように山毛欅の林の良さに感応する感受性を持ち合わせておりません。
小又谷に車を置いて、T字尾根から御池テーブルランドへ登り着き、ノタノ坂を下ってきて、小又谷と茨川へ
の分岐でなぜか、吸い寄せられるように茨川に降り立ってしまったのである。ヤミ下で薄い踏み跡の山中を
辿るのを避け、長い林道歩きとタクシーでの周遊を選択したのだった。
小俣谷に駐車されていたので、茶屋川へ下り茶屋川林道を国道421まで歩き、そこでタクシーを呼ばれたのですね。
ヤミ下でもノタノ坂経由なら問題なかったのではないですか。
それ以来、ノタノ坂分岐から茨川への山道へ足を踏み入れてはいなかった。
羹に懲りてなますを吹くですか。今のスタイルからは想像がつきませんが。
しばらくで、今年3月に登ったゴジラの尾根を右に見て、真の谷と土倉谷の分岐に着いた。
ここで最近頼り切っているチェーンスパイクを履いてHマオさんが勝手に名付けた亀尾に取り付いた。
亀尾は個人的ニックネームですか。テーブルランドを亀の胴体とすると亀尾はピッタリと思いましたが。
植林のトラバースから小又谷、茨川分岐を「正気」で茨川へと歩を進めた。
本来、峠からの降りのはずが、道は美しいがほとんど高度を下げない。
こんなルートならヤミ下でも十分歩けたはずだと思ったのも束の間、暗い植林の谷への急下降となった。
20年前の不肖Sは、この辺りのヤミ歩行を避けるべく長い林道歩きを選択したのだろうか?
現場で直面してとっさに判断したことを、後から振り返るのはのは難しいですね。人間はほとんどは無意識の判断で
意識に上るのはそのほんの一部を説明するためだけだそうです。後から振り返るのは意識ですから。
最近ではめずらしく明るいうちに車に到着した。帰路についたが、車でも長~い茨川林道だった。
あれ、駐車されたのは小俣谷ですから茶屋川林道ですね。
サンデー毎日を満喫されているようで裏山!
Re: 【鈴鹿】茨川から御池 ~ 廃村から川を歩いて亀尾を登る ~
わりばしさん こんばんは。
resをありがとうございます。
山本素石ですか。私もたくさん持っていますよ。
焼尾の炭焼き窯でツチノコを捕獲したという記録からツチノコブームになったんですよね。
ブームは山本素石の本がきっかけのようで、その中にこの焼野の話があります。
焼尾の話は有名ですね。
名古屋の人が買ったそうですが、写真も発見できてないようです。
渓語り、釣り語り、釣り放浪でのいろんな体験などこの人の話は面白いです。
そうそう!!餌釣りからテンカラに変遷した理由なども名文ですよ。
素石と高桑さんを勝手に師匠にしています。
だからと言う訳でもないが、不肖Sは20年前の3月、この茨川から山本素石よろしく、林道を4時間、国道を1時間歩いたこともあったような
おぼろげな記憶が残っている。
小又谷に車を置いて、T字尾根から御池テーブルランドへ登り着き、ノタノ坂を下ってきて、小又谷と茨川への分岐でなぜか、吸い寄せられるように茨川に降り立ってしまったのである。ヤミ下で薄い踏み跡の山中を辿るのを避け、長い林道歩きとタクシーでの周遊を選択したのだった。
若いからか・・
なんとも味のある選択をしましたね。
長かったでしょう。
味は メッチャ苦かったですわ~
暗い山道が嫌だったんだと思います。
今では考えられない・・・・!!
茨川も微妙に華やいでいますね。
ある意味有名だし、車でいけますもんね。
その車での林道走行が一番大変・・・みたいな
三筋の滝は、やはり一筋だった。右岸のロープを頼りに巻き登る。
昔は切れそうなロープでしたが・・新調されましたか?
今年の三月も切れそうでした。
今回は新しい白いロープが追加されてました。
誰がやってるんだろう?
久々に亀尾の名前を聞きました。
私は行けずじまいです。
当時、ハリさんのrepを見て、うまい名前付けたな と思って、ん十年?やっと歩けました。
分校の子どもたちは政所の本校の運動会に行くのにこの道を歩いたんですね。[/color]
知り合いのお婆さんは嫁入りで蛭谷まで歩いたそうです。
お疲れさまでした。
ヤブ華やかかりしころのルートって感じです。
懐かしい感じを抱きながら読ませてもらいました。
いつもは前しか見ない!!たまに、郷愁って感じですかね~
SHIGEKI
resをありがとうございます。
山本素石ですか。私もたくさん持っていますよ。
焼尾の炭焼き窯でツチノコを捕獲したという記録からツチノコブームになったんですよね。
ブームは山本素石の本がきっかけのようで、その中にこの焼野の話があります。
焼尾の話は有名ですね。
名古屋の人が買ったそうですが、写真も発見できてないようです。
渓語り、釣り語り、釣り放浪でのいろんな体験などこの人の話は面白いです。
そうそう!!餌釣りからテンカラに変遷した理由なども名文ですよ。
素石と高桑さんを勝手に師匠にしています。
だからと言う訳でもないが、不肖Sは20年前の3月、この茨川から山本素石よろしく、林道を4時間、国道を1時間歩いたこともあったような
おぼろげな記憶が残っている。
小又谷に車を置いて、T字尾根から御池テーブルランドへ登り着き、ノタノ坂を下ってきて、小又谷と茨川への分岐でなぜか、吸い寄せられるように茨川に降り立ってしまったのである。ヤミ下で薄い踏み跡の山中を辿るのを避け、長い林道歩きとタクシーでの周遊を選択したのだった。
若いからか・・
なんとも味のある選択をしましたね。
長かったでしょう。
味は メッチャ苦かったですわ~
暗い山道が嫌だったんだと思います。
今では考えられない・・・・!!
茨川も微妙に華やいでいますね。
ある意味有名だし、車でいけますもんね。
その車での林道走行が一番大変・・・みたいな
三筋の滝は、やはり一筋だった。右岸のロープを頼りに巻き登る。
昔は切れそうなロープでしたが・・新調されましたか?
今年の三月も切れそうでした。
今回は新しい白いロープが追加されてました。
誰がやってるんだろう?
久々に亀尾の名前を聞きました。
私は行けずじまいです。
当時、ハリさんのrepを見て、うまい名前付けたな と思って、ん十年?やっと歩けました。
分校の子どもたちは政所の本校の運動会に行くのにこの道を歩いたんですね。[/color]
知り合いのお婆さんは嫁入りで蛭谷まで歩いたそうです。
お疲れさまでした。
ヤブ華やかかりしころのルートって感じです。
懐かしい感じを抱きながら読ませてもらいました。
いつもは前しか見ない!!たまに、郷愁って感じですかね~
SHIGEKI
Re: 【鈴鹿】茨川から御池 ~ 廃村から川を歩いて亀尾を登る ~
kandoさん こんばんは。
resをありがとうございます。
SHIGEKIさんおはようございます。亀尾、ある花を探して2回登ったことがあります。
不肖Sは初めてでした。
2回も歩かれていたんですね!!
この日は私も亀尾を考えていました。
コースは、小又谷ー旧ヘリポート分岐ー土倉谷出合ー亀尾ーテーブルランドーT字尾根ー小又谷でした。前の晩ゴロ谷の紅葉か迷いましたが、
亀尾に決めて準備をしっかり済ませました。朝3:00にタイマーが鳴り目が覚めたとたん、あ、御池かしんどいな、三日間連荘で近場を歩いて
疲れているし、やっぱり近場で済まそうかと弱気に負けてしまいました。行っていればどこかでお会いできたのですね。
お~ そうでしたか~
何で四日目も近場にしたんですか~
亀尾で遭遇できたでしょうに
文学青年いや文学アラ還なのですね。私はノンフィクションが好きで文学系はあまり読んでおりません。
そのせいかベテランの方のように山毛欅の林の良さに感応する感受性を持ち合わせておりません。
素石はたぶん、経験談でエッセイ風です。
渓、魚、廃村 特に茨川、徳山 炭焼き小屋 など 興味深いものばかりです。
小俣谷に駐車されていたので、茶屋川へ下り茶屋川林道を国道421まで歩き、そこでタクシーを呼ばれたのですね。
ヤミ下でもノタノ坂経由なら問題なかったのではないですか。
流石のご明察!! 若気の至りでした
それ以来、ノタノ坂分岐から茨川への山道へ足を踏み入れてはいなかった。
羹に懲りてなますを吹くですか。今のスタイルからは想像がつきませんが。
懲りたのではなく、たまたま、歩くルートになかっただけでした。
今は ボケが回って 行程管理ができないまま歩き出して、後戻りはしない みたいな・・・
亀尾は個人的ニックネームですか。テーブルランドを亀の胴体とすると亀尾はピッタリと思いましたが。
Hマオさんがお喜びになります。
HPに今思いついた(亀尾の名前を)とあります。
現場で直面してとっさに判断したことを、後から振り返るのはのは難しいですね。人間はほとんどは無意識の判断で
意識に上るのはそのほんの一部を説明するためだけだそうです。後から振り返るのは意識ですから。
このころから、アルツを発症、ボケていたようです。
長い年月を経た割には、重症化していない??
残念ながら、順調に?!進行はしている。
サンデー毎日を満喫されているようで裏山
あの・・フルタイム稼働です。
あと2年もつかなぁ~
SHIGEKI
resをありがとうございます。
SHIGEKIさんおはようございます。亀尾、ある花を探して2回登ったことがあります。
不肖Sは初めてでした。
2回も歩かれていたんですね!!
この日は私も亀尾を考えていました。
コースは、小又谷ー旧ヘリポート分岐ー土倉谷出合ー亀尾ーテーブルランドーT字尾根ー小又谷でした。前の晩ゴロ谷の紅葉か迷いましたが、
亀尾に決めて準備をしっかり済ませました。朝3:00にタイマーが鳴り目が覚めたとたん、あ、御池かしんどいな、三日間連荘で近場を歩いて
疲れているし、やっぱり近場で済まそうかと弱気に負けてしまいました。行っていればどこかでお会いできたのですね。
お~ そうでしたか~
何で四日目も近場にしたんですか~
亀尾で遭遇できたでしょうに
文学青年いや文学アラ還なのですね。私はノンフィクションが好きで文学系はあまり読んでおりません。
そのせいかベテランの方のように山毛欅の林の良さに感応する感受性を持ち合わせておりません。
素石はたぶん、経験談でエッセイ風です。
渓、魚、廃村 特に茨川、徳山 炭焼き小屋 など 興味深いものばかりです。
小俣谷に駐車されていたので、茶屋川へ下り茶屋川林道を国道421まで歩き、そこでタクシーを呼ばれたのですね。
ヤミ下でもノタノ坂経由なら問題なかったのではないですか。
流石のご明察!! 若気の至りでした
それ以来、ノタノ坂分岐から茨川への山道へ足を踏み入れてはいなかった。
羹に懲りてなますを吹くですか。今のスタイルからは想像がつきませんが。
懲りたのではなく、たまたま、歩くルートになかっただけでした。
今は ボケが回って 行程管理ができないまま歩き出して、後戻りはしない みたいな・・・
亀尾は個人的ニックネームですか。テーブルランドを亀の胴体とすると亀尾はピッタリと思いましたが。
Hマオさんがお喜びになります。
HPに今思いついた(亀尾の名前を)とあります。
現場で直面してとっさに判断したことを、後から振り返るのはのは難しいですね。人間はほとんどは無意識の判断で
意識に上るのはそのほんの一部を説明するためだけだそうです。後から振り返るのは意識ですから。
このころから、アルツを発症、ボケていたようです。
長い年月を経た割には、重症化していない??
残念ながら、順調に?!進行はしている。
サンデー毎日を満喫されているようで裏山
あの・・フルタイム稼働です。
あと2年もつかなぁ~
SHIGEKI