【奥美濃】「樹林の山旅」の世界を歩く 神又谷から中ツ又谷へ
Posted: 2019年9月17日(火) 22:53
【日 付】2019年9月14日(土)~15日(日)
【山 域】奥美濃 神又峰周辺
【天 候】2日とも晴れ
【コース】9/14 神又谷出合---神又谷遡行---Ca800m付近(泊)
9/15 幕営地---神又峰---中ツ又谷下降---神又谷出合
思い起こしてみると、最後に山でテント泊したのはもう7年前だ。ふ~さんと二人で大峰の前鬼川を遡行し
て、孔雀岳へ抜けて以来である。
「山に登るということは、山の水を飲むことでなければならない。山で寝ることでなければならない。」とい
うような意味の言葉を書いたのは田部重治だったか。
そういう意味ではこの7年間、山を登ってるいようで登っていなかったのかもしれない。
あまりにも久し振り過ぎてテン泊装備を担いで歩く自信もなくなっていたので、楽で簡単、それでいて深い
森を味わおうと選んだのが奥美濃の坂内川神又谷である。これを詰め上がって江美国境稜線の神又峰に上がり、
北側を並行して流れる中ツ又谷を下るという計画だ。
頑張れば日帰りできるコースだが、これを2日かけて奥美濃の沢をたっぷりと堪能しよう。
神又谷の出合には1台の車があった。まさか先行者がいるのか。
準備をしていると車の主が戻ってきた。どうやら釣り人のようだ。これで今日の神又谷は貸切り確定だろう。
地形図では出合から次の支流まで林道が描かれているが、これはまったくの廃道でほぼ跡形もない状態であ
る。たまに残る石垣の残骸が辛うじて林道があったことを想像させる。
神又谷の流れは見事なほどの平流が続く。何かが起きそうな予感もなく、Ca750m近辺に小規模な連瀑がある
だけで、後は穏やかな流れがトチやサワグルミ、カツラの森をゆったりと蛇行しながら悠然と流れている。
いわゆる「沢登り」の世界とは最も遠い沢歩き。自分が沢を行く旅人になったような感覚に捉われた。
谷の作りと雰囲気は、奥美濃を代表する金ヶ丸谷や根洞谷を髣髴させるものがあるが、一度伐採を受けてい
るのか、目を瞠るような大木は少ない。伐採跡の潅木の河原がところどころに現われ、前述の谷のような幽邃
さに欠けるところが残念と言えば残念だが、それでも奥美濃の原風景の一端を覗くことはできるだろう。
Ca700mの二俣を左に取れば、猫ヶ洞と県境1000mJPの間の素晴らしい森に出ることができる。積雪期に歩い
た時、なんとも言えない心満たされる時間を味わったものだ。
左俣にこころ惹かれるが、今日は右の本流を行く。谷の幅が狭くなると流倒木が目立って美観を損ねている。
どこの谷でも同じだが、近年の風水害には暗澹たる気持ちにさせられてしまう。
件の連瀑帯は簡単に通過。それが終わればまたもとの平流帯に戻ってしまった。
泊りの沢で一番重要なポイントはテン場のロケーションである。いい場所を見つけても、先に進めばもっと
いいテン場があるのではないかと期待して前進してしまい、結果的にみすぼらしい場所で泊まる羽目になった
経験は一度ならずある。
まず最初の候補地を決め、ザックを降ろして偵察に出た。Ca850mの二俣の台地は林相も素晴らしく、申し分の
ない場所だったが、やや傾斜があるのとやや暗い(日暮れが早く、朝の光が届くのも遅そう)ので、結局一発目の
候補地に戻った。
流倒木をたっぷり集めて焚き火の準備にかかる。7年前に焚き火でスパッツを乾かそうとして全焼させてしま
った記憶が蘇る。
今夜は満月だが、狭い谷間から見る限られた空にはどこに月があるのかわからない。と思っていると、斜面の
ブナの隙間から月が上がり始めた。幹と枝が邪魔でまん丸のお月さんというわけにはいかないが、テン泊で満月
を愛でるというのもオツなものだ。
沢泊の朝でなにが嫌かと聞かれると、濡れた靴下とズボンを履くことだと即答できるだろう。どうせ濡れるん
だし、履いてしまえばすぐに慣れるのだが、最初の冷たい感触は好きにはなれない。
昨日偵察した二俣を左に取って、神又峰ダイレクトを目指す。ほぼ源頭部に近い、谷の奥まった場所にもかか
わらず、谷はほとんど傾斜もなくゆったりとした広がりを見せていた。
両岸の斜面は一面のブナ林に変わり、遅い朝の光が差し込んで煌めいている。その光と影のコントラストが美し
く、斜面を見上げて足を止めてしまう。
ここまでまったく見ることのなかった炭焼窯跡が唐突に現れたと思うと、5つも連続していたのには驚いた。
もうほとんど原型を留めていないほど古い窯はいつ頃まで現役だったのだろう。
稜線の向こうの奥川並集落(今は廃村)は、岐阜県側から移り住んでできたらしい。ならば、ここで焼いた炭は長
い神又谷を担いで歩いたのではなく、尾根を越えて奥川並へ運んだのだろうか。
この緩やかな谷がそのまま国境稜線へ続いていれば素晴らしいのだが、そんなわけにはいかない。
最後は溝の中の急登となって、神又峰の東支尾根に飛び出した。ヤブが薄いのが助かる。
山頂へは一投足。まったく展望のないヤブの中に三角点はある。4度目の神又峰。頭上3mほどの高みに掛けられ
た山名標識に冬の豪雪を思い知らされる。
下山は稜線を北に進んで、次のピークを下り切った鞍部から中ツ又谷へ下降する。稜線上は薄い踏み跡がある
ところもあれば、両手を駆使してヤブをかき分けるところもある。
西側に展望が開けた場所では、横山岳のどっしりとした姿や谷山から安蔵山、その向こうの妙理山や野坂岳を望
むことができる。
中ツ又谷へは簡単に下りることができた。標高差150mも下れば神又谷同様、長閑な谷歩きが始まる。
神又谷との間の尾根でミラー反転したような渓相が延々と続くが、神又谷と違うのは滝と呼べる落差が皆無だと
いうことだ。1mの落差すらない流れは、5キロの間にわずか250mしか標高を下げないという事実でその穏やかさ
を証明している。
最後の最後で滝の代わりに堰堤が5連発で現れた。ここが中ツ又谷一番の核心部かもしれない。
鈴鹿のゴロ谷のような河原を歩いて、そろそろ河原歩きも飽きてきた頃、前方に赤い橋が見えた。
やっと終わった。しかし神又谷の出合まで、長い車道歩きが残っている。
左足の踵が痛み出したところで愛車の姿が視界に入った。
山日和
【山 域】奥美濃 神又峰周辺
【天 候】2日とも晴れ
【コース】9/14 神又谷出合---神又谷遡行---Ca800m付近(泊)
9/15 幕営地---神又峰---中ツ又谷下降---神又谷出合
思い起こしてみると、最後に山でテント泊したのはもう7年前だ。ふ~さんと二人で大峰の前鬼川を遡行し
て、孔雀岳へ抜けて以来である。
「山に登るということは、山の水を飲むことでなければならない。山で寝ることでなければならない。」とい
うような意味の言葉を書いたのは田部重治だったか。
そういう意味ではこの7年間、山を登ってるいようで登っていなかったのかもしれない。
あまりにも久し振り過ぎてテン泊装備を担いで歩く自信もなくなっていたので、楽で簡単、それでいて深い
森を味わおうと選んだのが奥美濃の坂内川神又谷である。これを詰め上がって江美国境稜線の神又峰に上がり、
北側を並行して流れる中ツ又谷を下るという計画だ。
頑張れば日帰りできるコースだが、これを2日かけて奥美濃の沢をたっぷりと堪能しよう。
神又谷の出合には1台の車があった。まさか先行者がいるのか。
準備をしていると車の主が戻ってきた。どうやら釣り人のようだ。これで今日の神又谷は貸切り確定だろう。
地形図では出合から次の支流まで林道が描かれているが、これはまったくの廃道でほぼ跡形もない状態であ
る。たまに残る石垣の残骸が辛うじて林道があったことを想像させる。
神又谷の流れは見事なほどの平流が続く。何かが起きそうな予感もなく、Ca750m近辺に小規模な連瀑がある
だけで、後は穏やかな流れがトチやサワグルミ、カツラの森をゆったりと蛇行しながら悠然と流れている。
いわゆる「沢登り」の世界とは最も遠い沢歩き。自分が沢を行く旅人になったような感覚に捉われた。
谷の作りと雰囲気は、奥美濃を代表する金ヶ丸谷や根洞谷を髣髴させるものがあるが、一度伐採を受けてい
るのか、目を瞠るような大木は少ない。伐採跡の潅木の河原がところどころに現われ、前述の谷のような幽邃
さに欠けるところが残念と言えば残念だが、それでも奥美濃の原風景の一端を覗くことはできるだろう。
Ca700mの二俣を左に取れば、猫ヶ洞と県境1000mJPの間の素晴らしい森に出ることができる。積雪期に歩い
た時、なんとも言えない心満たされる時間を味わったものだ。
左俣にこころ惹かれるが、今日は右の本流を行く。谷の幅が狭くなると流倒木が目立って美観を損ねている。
どこの谷でも同じだが、近年の風水害には暗澹たる気持ちにさせられてしまう。
件の連瀑帯は簡単に通過。それが終わればまたもとの平流帯に戻ってしまった。
泊りの沢で一番重要なポイントはテン場のロケーションである。いい場所を見つけても、先に進めばもっと
いいテン場があるのではないかと期待して前進してしまい、結果的にみすぼらしい場所で泊まる羽目になった
経験は一度ならずある。
まず最初の候補地を決め、ザックを降ろして偵察に出た。Ca850mの二俣の台地は林相も素晴らしく、申し分の
ない場所だったが、やや傾斜があるのとやや暗い(日暮れが早く、朝の光が届くのも遅そう)ので、結局一発目の
候補地に戻った。
流倒木をたっぷり集めて焚き火の準備にかかる。7年前に焚き火でスパッツを乾かそうとして全焼させてしま
った記憶が蘇る。
今夜は満月だが、狭い谷間から見る限られた空にはどこに月があるのかわからない。と思っていると、斜面の
ブナの隙間から月が上がり始めた。幹と枝が邪魔でまん丸のお月さんというわけにはいかないが、テン泊で満月
を愛でるというのもオツなものだ。
沢泊の朝でなにが嫌かと聞かれると、濡れた靴下とズボンを履くことだと即答できるだろう。どうせ濡れるん
だし、履いてしまえばすぐに慣れるのだが、最初の冷たい感触は好きにはなれない。
昨日偵察した二俣を左に取って、神又峰ダイレクトを目指す。ほぼ源頭部に近い、谷の奥まった場所にもかか
わらず、谷はほとんど傾斜もなくゆったりとした広がりを見せていた。
両岸の斜面は一面のブナ林に変わり、遅い朝の光が差し込んで煌めいている。その光と影のコントラストが美し
く、斜面を見上げて足を止めてしまう。
ここまでまったく見ることのなかった炭焼窯跡が唐突に現れたと思うと、5つも連続していたのには驚いた。
もうほとんど原型を留めていないほど古い窯はいつ頃まで現役だったのだろう。
稜線の向こうの奥川並集落(今は廃村)は、岐阜県側から移り住んでできたらしい。ならば、ここで焼いた炭は長
い神又谷を担いで歩いたのではなく、尾根を越えて奥川並へ運んだのだろうか。
この緩やかな谷がそのまま国境稜線へ続いていれば素晴らしいのだが、そんなわけにはいかない。
最後は溝の中の急登となって、神又峰の東支尾根に飛び出した。ヤブが薄いのが助かる。
山頂へは一投足。まったく展望のないヤブの中に三角点はある。4度目の神又峰。頭上3mほどの高みに掛けられ
た山名標識に冬の豪雪を思い知らされる。
下山は稜線を北に進んで、次のピークを下り切った鞍部から中ツ又谷へ下降する。稜線上は薄い踏み跡がある
ところもあれば、両手を駆使してヤブをかき分けるところもある。
西側に展望が開けた場所では、横山岳のどっしりとした姿や谷山から安蔵山、その向こうの妙理山や野坂岳を望
むことができる。
中ツ又谷へは簡単に下りることができた。標高差150mも下れば神又谷同様、長閑な谷歩きが始まる。
神又谷との間の尾根でミラー反転したような渓相が延々と続くが、神又谷と違うのは滝と呼べる落差が皆無だと
いうことだ。1mの落差すらない流れは、5キロの間にわずか250mしか標高を下げないという事実でその穏やかさ
を証明している。
最後の最後で滝の代わりに堰堤が5連発で現れた。ここが中ツ又谷一番の核心部かもしれない。
鈴鹿のゴロ谷のような河原を歩いて、そろそろ河原歩きも飽きてきた頃、前方に赤い橋が見えた。
やっと終わった。しかし神又谷の出合まで、長い車道歩きが残っている。
左足の踵が痛み出したところで愛車の姿が視界に入った。
山日和