【台高】大熊木材乾留会社と石垣道

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わりばし
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登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
住所: 三重県津市

【台高】大熊木材乾留会社と石垣道

投稿記事 by わりばし » 2019年9月02日(月) 18:26


【日 付】2019年9月1日(日)
【山 域】台高
【コース】悪谷駐車場---大熊木材乾留工場---悪谷駐車場
【メンバー】単独

 新資料が見つかり、内容の検証もかねて大熊谷の乾留工場跡に出かけた。大熊谷林道は悪谷出合付近までしか車で行けないので、手前の看板のある広場に駐車する。歩いて林道終点に向かう。この周辺に大熊木材乾留会社の産業遺跡が残っており探索を行った。

【歴史的背景】
 乾留工場の歴史的背景については、「飯高町郷土誌」と当時の新聞記事等により類推できるもののこれまでまとまった資料が見つけられないでいた。

 当時、酢酸は飲料や染め物剤として使われていた。最初はイギリス・ドイツから輸入していたが第1次世界大戦により輸出停止となる。アメリカから原料の酢酸石灰を輸入していたが、最新兵器無煙火薬の材料アセトンの抽出の原料でもあるために輸出が制限され価格が高騰した。瞬く間に全国で木炭噴煙利用の酢酸石灰製造が広まりその工場が木材乾留工場になる。
(大正5年 中外商業新報「酢酸工業盛況」による)

 軍事関連の産業遺産という事で、戦後は歴史から抹消された感がある。「飯高郷土誌」のように郷土史に記述があるのはまれで、きわめて貴重だと思う。そこで、戦前の資料は無いかと調べていると、昭和5年発行の「木材乾留工業」という本が三重大図書館にあった。津の空襲をまぬがれた三重高等農林学校の所蔵品だった。

 本文には「無煙火薬の材料のアセトンが海外から入らなくなったので、海軍からの需要が高まり当時全国各地に乾留工場が出来た。」と受注先も含めて正直に書いてあった。

【三重の乾留工場】
 最盛期には全国で31ヶ所の工場が稼働していた。樺太、北海道、秋田、岩手、福島、栃木、静岡、三重、島根にあり、その中でも三重には大規模な乾留工場が集中していた。三重には、三重木材乾留会社、伊勢木材乾留会社、宮川木材乾留会社、大熊木材乾留会社があった。当初は飯高を中心に炭窯を改良して木酸液を採取する小規模のものであったようだ。それが戦争特需で状況は大きく変わり、宮川木材乾留会社には2窯1火床を1基とする岩本式木材乾留炭化装置が設置され、三重木材乾留会社、伊勢木材乾留会社には2窯3火床を1基とする岩本式木材乾留炭化装置が設置された。飯高の青田・蓮の乾留工場は、三重木材乾留会社になる。この岩本式木材乾留炭化装置は、窯底と窯腰のみ耐火レンガで作られておりそれ以外は土石もしくは赤レンガで作られていた。最も新しい大熊木材乾留会社は、4窯並列の大正5年式岩本式木材乾留炭化装置を採用している。4つの木材乾留会社を持った三重県においても郷土史に記述のあるのは三重木材乾留会社のあった「飯高町郷土誌」のみでそれ以外の市町村史には何の記述も無く、意図的に除外されたようだ。稼働期間は短いとは言え、山間部の近代工場が地域に大きな影響を与えたはずなのだが。

三重の乾留窯は4種類
① 炭窯を改良した小規模なもの
② 2窯1火床の岩本式木材乾留炭化装置(宮川木材乾留会社)
③ 2窯3火床の岩本式木材乾留炭化装置(三重木材乾留会社、伊勢木材乾留会社、大熊木材乾留会社)
④ 4窯並列の大正5年式岩本式木材乾留炭化装置(大熊木材乾留会社)


 林道終点の広場には耐熱レンガが積み上げられている。広場の山側には石積みが2段あり掘り返すとここからは戦前のサクラビールや大日本ビールのビンに皿や茶わんなどの陶磁器が出て来た。ただ、このあたりは最近まで木材の集積場として使われていたようでウインチのワイヤー等が残されており終点広場のあたりは戦後のビールやジュースビン等が多い。生活痕からして大正時代の飯場は右岸の石積みの上にあったようだ。


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大正5年式岩本式木材乾留炭化装置

 そのまま道を進むと左手にレンガの構造物が見えてくる。4窯並列の大正5年式岩本式木材乾留炭化装置で、火床は耐熱レンガで作られ上部は赤レンガで作られている。4窯4火床の構造のようだが1窯の火床は埋もれたようで3火床しか確認できなかったが前部は大部分残っている。大正5年式は木材の仕込み口が後方についており大きくレンガが開いている構造のせいか前方に比べて後方は大きく崩れていた。この後方に煙突がありここから土管をつないで冷却していた。最初は8寸土管15間(24cm×1m80cm)を使い次に6寸(18cm)最後に3寸3分(9.9cm)の銅管につなぎ桶に木酸液をためる構造で、土管の幅が寸法どおりなのには驚いた。煙突から出て来た水分や熱気は土管で冷やされるのだが、土管はすぐに熱をおびるので冷水をかけた。このために乾留工場は水場の近くに設置されたようだ。ここの土管は割れてしまっていて土の中にほとんど埋もれていた。

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大正5年式岩本式木材乾留炭化装置 概略図

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岩本式木材乾留炭化装置

 次に左岸の乾留工場を見に行く。対岸からは木に包まれて存在すらわからないが、谷を渡り上っていくと石垣が見え、その上に工場はある。右岸の工場は比較的広い場所にあるが、ここは山が迫り上部にも石垣を作り土砂の流入を防いでいる。この窯の前部は口を開けているが上部は残っている。窯の中の下部には煙突につながる空気穴もわかる。よく見ると火床が窯の下ではなく、窯と窯の間にあり乾留窯の作りが違う。木材の仕込み口は前方になっていて2窯3火床の岩本式木材乾留炭化装置のようだ。しっかり残っている上部の煙突の口から土管が並んでいる。割れている土管も多いが、残された土管は一定方向に向かっており右手に3寸3分(9.9cm)の銅管につなげる大きさの土管があったので、ここに木酸液をためる桶があったのだろう。

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岩本式木材乾留炭化装置 概略図

 大正5年9月に「木材乾留工業」著者の小林久平は三重木材乾留会社、伊勢木材乾留会社、大熊木材乾留会社の視察を行っている。その際、右岸の最新の4窯並列の大正5年式岩本式木材乾留炭化装置だけを見て左岸の2窯3火床の岩本式木材乾留炭化装置を見なかったのか、左岸の乾留窯の記述は無かった。とはいえ、100年前の視察記録を見ながら今なお残る乾留窯の探索が出来るなんてなんて贅沢な時間なのだろう。

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上部の煙突口と土管

 木材乾留をするには大量の木材が必要になる。支流の東俣谷には石垣道があり、悪谷にもゴルジュを避けるように左岸に石垣のある杣道が続いている。大熊谷には乾留工場の上流部の左岸に石垣道が残っている。また右岸工場の植林を上った標高700m地点から水平な杣道が上流部に向かって伸びている。こうしたルートを使って大量の木材を乾留工場まで運んできたのだろう。


グー(伊勢山上住人)
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登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
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Re: 【台高】大熊木材乾留会社と石垣道

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) » 2019年9月04日(水) 21:40

P9010198-1.jpg


わりばしさん、こんばんは。大気が不安定ですね。

 新資料が見つかり、内容の検証もかねて大熊谷の乾留工場跡に出かけた。
 軍事関連の産業遺産という事で、戦後は歴史から抹消された感がある。


どこかに資料が埋もれていないのか探し出すのも楽しいですね。
「新発見や~」

昭和5年発行の「木材乾留工業」という本が三重大図書館にあった。
津の空襲をまぬがれた三重高等農林学校の所蔵品だった。


三重大が図書館ネットワークに加入しているとは驚きでした。
一般市民が出入りするところじゃないのに。

100年前の視察記録を見ながら今なお残る乾留窯の探索が出来るなんてなんて贅沢な時間なのだろう。

100年前の産業遺産を探索できて、わりばしさんには贅沢で至福な時間なんでしょうね。

グーは奥の平谷を挟んだ山域に放置されたウィンチが気になります。
どうやってウィンチを運び込んで、架線がどう張り巡らされていたのか?

乾溜工場検証が一段落したら、奥の平谷を挟んだ山域の「摂津林業」の資料を探し出して欲しいな。


                     グー(伊勢山上住人)

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わりばし
記事: 1360
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
住所: 三重県津市

Re: 【台高】大熊木材乾留会社と石垣道

投稿記事 by わりばし » 2019年9月05日(木) 18:54

こんばんは、グーさん。
本来は雑談コーナーのネタなんですが
あえてこちらに載せました。


 新資料が見つかり、内容の検証もかねて大熊谷の乾留工場跡に出かけた。
 軍事関連の産業遺産という事で、戦後は歴史から抹消された感がある。


どこかに資料が埋もれていないのか探し出すのも楽しいですね。
「新発見や~」

マニアックなネタなんでなかなかレスは無いだろうとは思いつつ
貴重な情報を何らかの形で残したいと思いレポしました。
ヤブコギネットは大切な情報発信の場だと思います。


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岩本式木材乾留窯 

昭和5年発行の「木材乾留工業」という本が三重大図書館にあった。
津の空襲をまぬがれた三重高等農林学校の所蔵品だった。


三重大が図書館ネットワークに加入しているとは驚きでした。
一般市民が出入りするところじゃないのに。

よくぞ津の空襲で燃えなかった事。
灯台下暗しって感じですが・・
折り込みに「皇軍、ザンボアンガでも勇戦」という見出しの戦前の新聞がそのままはさまっていて
戦後に借りたのは私が初めてなような・・
:lol:

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岩本式木材乾留窯の空気穴

100年前の視察記録を見ながら今なお残る乾留窯の探索が出来るなんてなんて贅沢な時間なのだろう。

100年前の産業遺産を探索できて、わりばしさんには贅沢で至福な時間なんでしょうね。

楽しかったです。

グーは奥の平谷を挟んだ山域に放置されたウィンチが気になります。
どうやってウィンチを運び込んで、架線がどう張り巡らされていたのか?
乾溜工場検証が一段落したら、奥の平谷を挟んだ山域の「摂津林業」の資料を探し出して欲しいな。

昭和16年版「近畿の山と谷」の奥の平谷の記述には、右岸の破線道を歩いてサスケ滝まで行っていて、摂津林道は載っていませんね。
気になるのは「トヨダ系の某製材会社が伐材に着手している」という文があり、この会社が摂津林道を通したようです。


                   

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