【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

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honma1957
記事: 13
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

投稿記事 by honma1957 »

わりばしさん、はじめまして。

>開墾地が左岸にあったのか。
>ということは蓮の第5工場に左岸からつながる道もあったのかもしれません。
>説明が長くなりそうなのでレポを読んでおいてください。

レポ拝読しました。
10年ぐらい前のことですけど、開墾地跡と思われる所を通っていく道がありました。
開墾地跡からほぼ水平に上流に続いていました。次の尾根の出っ張りあたりまで確認しました。

>青田に6つの乾留工場、蓮(千石)に5つの乾留工場を持っていた。当時無尽蔵といわれた豊富な原生林を使い木材乾留し、出てきた溶液に石灰を入れ酢酸石灰として出荷した。蓮には千石谷右岸に本社がありここに第1工場、喜平小屋谷出合に第3工場、赤嵓滝谷の赤嵓滝上に第4工場、赤嵓滝谷奥の三俣に第5工場があり第5工場が最大だと思われる。
>とレポ書いたのですが勘違いで
>蓮の第2工場が喜平小屋谷出合で第3工場が喜平小屋谷二俣付近の植林の中です。

私の知っているのは、第2工場と第3工場だけです。
第2工場には石積みがあって炭の欠片が大量にあったので炭焼き小屋跡と思っていました。
第3工場は左岸を30m登った植林の中に在りました。

>第1工場 取水ダム右岸、第2工場 千秋社事務所のあったあたり、第3工場 万歳橋、第4工場 ワサビ谷手前、第5工場 奥山谷出合、第6工場 奥山谷奥の二俣です。 

第2工場、第3工場、第4工場、第5工場は、なんとなく解ります。

>いい刺激になりました。
>今後ともよろしくお願いします。

こちらこそよろしくお願いします。

honma1957
雨子庵
記事: 491
登録日時: 2011年10月12日(水) 19:40
お住まい: 名古屋(ときどき青田(飯高))

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

投稿記事 by 雨子庵 »

honma1957さん まいど
あめちゃんです

「オジヤン」さんて千秋社の方で猟友会の会長さんでしたか?
たぶん二度ほどお会いしたことがあるかもしれません。
もう10年以上前のことだと思うけど、蓮ダムの赤橋から池杉山に登ってアマゴ養殖場に降りてきたとき、トラックの荷台に猟銃をのせて、アマゴ養殖場で買い物をしていた人に赤橋まで乗せてもらったことがありました。
だぶんそれは1月か2月の頃で(アマゴの産卵期だった)、その年の4月にダム湖の桜祭りでお会いしたときお礼を言った覚えがあります。猟友会の会長さんて何人もいないですよね、Oさん?


そのヒトはオジヤンではありません(つまりO東さんではないということです)。私もOさんとは、オジヤンと奥山歩くとき、一度だけオジヤンが連れてきたことがあって、同行したことがあります。オジヤンは猟銃を荷台に置くことが無いのでなんとなく違うなとわかりました。
桜祭りの会場では、オジヤンと私はアメゴを焼きながらそれをつまみ食いしながら酩酊していました

それと千秋社の関係者でもう一人お世話になった方がいます。
私はこの桧塚あたりには最初奈良県の大又から入っていました。
月に3回ぐらい明神平、笹ヶ峰、桧塚あたりに来ていました。
そのうち三重県側からも登れることを聞き、マナコ谷の下のコンクリートの林道から登っていました。
どこかに楽に登れる道はあることは聞いていましたが分かりませんでした。
ある時千秋橋の近くに止めていた軽トラックの人に登山道を聞くと、親切にマナコ谷まで案内して下さいました。
たぶん千秋社の人ではないのかなと思いました。痩せ身のかたでした。

山のヒト、皆さん痩躯(スタイルがいい)なので、特定は難しいですが、この人柄から、何人かに絞ることはできそうですね。
まだあのコンクリートの道を千秋社の車が普通に通勤路として使ってた頃かなぁ・・・

そもそもその当時は笹がすごくて、踏跡をはずしてヤブに入ることは出来ませんでした。
オジヤンもかき分けかき分け進んだそうです・・・今はムカシ・・・

口桧ですか? P1186でしょうか?
千秋峯はっきりして、すっきりしました。

おととい会ったとき、口桧聞く前に酔っ払ってしまいました
千秋峰はなによりです・・・
ただ最近はやはりエリアを指す単語として使っていますね
『千秋』『千秋』と

木屋谷の登山道に乾留の跡地みたいなのがありますね。
千石谷上流、キヘイ小屋谷の植林の中に大量の土管がありました。

乾留の跡地を、千秋社が宿舎として利用したところもあります。
山の中の平坦地は貴重ですからね・・・ワサビ谷手前の平坦地(服部さんの慰霊碑あります)

それと省略しましたが、大西さんの山行記録の前半に桧塚奥峯に登るいきさつが書かれていまして、
要約すると、その年の9月に今西錦司氏を池小屋山に案内した夜の談話で、来年の春一緒に桧塚奥峯に登ろうということになったが、大西さんは我慢できず、その年に登ったと書かれています。そのときの談話で地元蓮の人から道や地名を聞いたのではないかと思います。

ああ、読んでみたい。機会がありましたら読ませてください。
そこに案内人のオジヤンがいたらすごい楽しい世界が広がったんだろうなぁ、タブン

まだまだ教えていただきたいことがありますので、こちらこそよろしくお願いします。
時間との勝負の部分もありますので・・・

ところで、千秋社の事務所横のご神木(トチ)ではなく、奥山の千秋社のご神木(ヒノキ)はご存じですか?
ヒントは国見山山腹、鉄砲谷源流ですが・・・
その立て看板『千秋社 ご神木』の文字を書いたのがオジヤンです。

あめちゃん
honma1957
記事: 13
登録日時: 2019年5月23日(木) 19:02

Re: 【台高】桧塚奥峯界隈 地名考察 「ヒキウス平」は無かった。その1

投稿記事 by honma1957 »

雨子庵さん、こんばんは。

>そのヒトはオジヤンではありません(つまりO東さんではないということです)。

そのようですね、私がお世話になった方は○Tさんで、オジヤンさんはもっと年配の方みたいですね。

>桜祭りの会場では、オジヤンと私はアメゴを焼きながらそれをつまみ食いしながら酩酊していました

私も焼きアマゴをいただきました。どうもニアミスしていたみたいですね。

>山のヒト、皆さん痩躯(スタイルがいい)なので、特定は難しいですが、>この人柄から、何人かに絞ることはできそうですね。
>まだあのコンクリートの道を千秋社の車が普通に通勤路として使ってた頃かなぁ・・・

その林道は急坂でしたがしっかりした道で植林小屋まで車で入れるようでした。

>オジヤンもかき分けかき分け進んだそうです・・・今はムカシ・・・

 大西さんが書かれた山行記録によると、J.赤ぐら山(1400米峯)(10.10-11.00)- M.桧塚奥峯(12.00-12.15)を60分かかっています。
深い笹で困難したのだろうと思います。
 今でしたら35分から40分ぐらいではないでしょうか。

>おととい会ったとき、口桧聞く前に酔っ払ってしまいました
 飯高へは頻繁に行かれているのですか?

>乾留の跡地を、千秋社が宿舎として利用したところもあります。
>山の中の平坦地は貴重ですからね・・・ワサビ谷手前の平坦地(服部さんの慰霊碑あります)
 そのあたり解ります。千秋社跡地にある碑の「服部鑛一」さんのでしょうか?

>ああ、読んでみたい。機会がありましたら読ませてください。
>そこに案内人のオジヤンがいたらすごい楽しい世界が広がったんだろうなぁ、タブン
 この山行記は、大西さんの未知の山に対する探究心が、ものすごく感じられます。
 
>ところで、千秋社の事務所横のご神木(トチ)ではなく、奥山の千秋社の>ご神木(ヒノキ)はご存じですか?
>ヒントは国見山山腹、鉄砲谷源流ですが・・・
>その立て看板『千秋社 ご神木』の文字を書いたのがオジヤンです。

 国見山東側下の巻き道は、何度か通ったことがありますが、ご神木には出会っていません。
 ぜひ拝見したいですね。

色々な情報ありがとうございました。

honma1957
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