マリベさん ご丁寧なレス、どうも有難うございます。
お腹の大きな姿はすぐに目につきましたが、ご挨拶できず仕舞いで失礼いたしました。
>このところの山のフォーラムのにぎわいは、satoさんとyamanekoさんの登場が光っているからですね
satoさんの素敵な文章が宝石のように散りばめられた文章に比肩されるものではありません。私のものは駄文を書き連ねた備忘録です。
>お子さん連れの登山もすてきです。
私は中学に入るともっぱらワンゲルの友人達と山に登るようになり、父親とはほとんど登らなくなってしまったので、果たして次男と登山するのもいつまで続くかと思いながら登っています。長男、次男共に山には興味を抱いてくれているのですが、なかなか一緒に行く機会も得られないので、一つ一つの山行がとても大切に思われます。
>音楽や忍耐のいらないスポーツなどは教育が早ければ早いほどいいと言いますが、忍耐のいるマラソンとか登山とかは、早期教育難しいみたいで・・・
仰ることは実に当を得ていることだと思います。
というのは音楽が楽しいものだという感覚をある年齢までに体感すると一生、音楽に対して興味を抱くのに対して、そうでなければ音楽に対して強い興味を示さない可能性が高くなると云われるのと同様、自然に対しても同じように幼少の頃にその美しさ、自然の中に浸る愉しさを感じなければ、成人しても自然の中に出掛けることに価値を見出さない大人になる可能性が高い・・・という説があることを最近、知りました。興味深いことにその年齢は10歳だそうです。関係があるかどうかわかりませんが、音楽を始めて絶対音感を会得する可能性がある年齢の限界、nativeの言語を習得する年齢の限界も10歳だそうです。
一方、音楽でも習得のための練習が苦痛、忍耐を伴うものになってしまうと、音楽を愉しむことが出来なくなってしまうのも往々にしてありますよね。プロの音楽家でもピアノやヴァイオリンといった長時間の練習を幼少から積み重ねてきた人にはしばしばこの傾向が見られように思います。
マリベさんはお嬢様をもう既にいろいろと魅力的なところに連れていかれているようですが、幼少の頃のこの自然の体験というのはとても大きな意義があるのだと思います。
もう一つ、母胎の中で母親の好き嫌いを胎児も知ることが出来るらしいですね。母親が嫌だと思ったものを子供は嫌うらしいです。当然、その逆も真なりでしょう。今回の山行の愉しさを赤ちゃんも母胎の中で堪能しているかもしれません。
>こっそりレポ見ておりましたが、これからもこっそり拝見しています。
山日和師匠の声が聞こえてきそうです。「まあ、そうこっそりなどと仰らず 」
【鈴鹿】オフ会への道草山行記
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- 記事: 539
- 登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
- お住まい: 京都市左京区
Re: 【鈴鹿】オフ会への道草山行記
yamanekoさん、こちらこそお返事ありがとうございます。
自然に対しても同じように幼少の頃にその美しさ、自然の中に浸る愉しさを感じなければ、成人しても自然の中に出掛けることに価値を見出さない大人になる可能性が高い・・・という説があることを最近、知りました。興味深いことにその年齢は10歳だそうです。
そういったお話、初めて聞きました! 芸術やスポーツは聞いたことがありましたが・・
音楽、英語、自然体験、きっと様々な活動において、いずれも10歳程度をタイムリミットに感受性などが固まっていくのでしょうか。興味深いです。そういえば最近脳の神経細胞について研究している科学者から、脳の発達は環境、周囲からの刺激だとはっきり聞きました。それは胎児の時から始まっていて、そもそも心とは最初は本人の中にないと考えている、と言われました。外からの刺激によって本人の心が確立されていく、つまり心ははじめは外にあると考えているそうです。
与える刺激は人の会話(つまり人の心)、自然物、人工物、すべてだとおっしゃってました。
この子どもの心がまだエスタブリッシュされていない期間が、さまざまな体験をして感受性を育む重要な時期なのですね。
今回の山行の愉しさを赤ちゃんも母胎の中で堪能しているかもしれません。
いい環境、いいものに触れさせるのが正解だとして、そこまでのことを考えて子育てを続ける気概はありませんが、自分が好きなことを子どもと一緒に体験するというのは、親も楽しくて子どももいいものに触れられる機会になると思います。母ちゃんが楽しくてニコニコしていることが子どもにも幸せ、それでいいじゃないかと思うことにしたいですね。
マリベさんはお嬢様をもう既にいろいろと魅力的なところに連れていかれているようですが、幼少の頃のこの自然の体験というのはとても大きな意義があるのだと思います。
お話を聞いていて、幼少期に親に郊外の自然によく連れていってもらったことを思い出しました。田舎の風景やローカル電車、植物採集、虫取り、キャンプ、そういうのに行くのは楽しかったです。今は都会の中の自然が昔より減っていますし、TVなどデジタルメディアの影響が大きいので、昔と同じというわけにもいかず、行き当たりばったりですが、自分の好きなことは自信を持っていいぞ!と言えますよね。
先日幼い頃によく行ったアスレチック広場に娘と行ってみたら、私の記憶とあまりにかけ離れた敷地の狭さに驚きました。私の脳内ワールドでは、そのアスレチック広場は広大な森だったのです。ところが今見ると、ちょっと歩けば道路に出てしまうくらいのコンパクトな森でした。子どもの目線と大人の目線はいかほどか違うということですねぇ!
またレポを楽しみにしています。
マリベ
自然に対しても同じように幼少の頃にその美しさ、自然の中に浸る愉しさを感じなければ、成人しても自然の中に出掛けることに価値を見出さない大人になる可能性が高い・・・という説があることを最近、知りました。興味深いことにその年齢は10歳だそうです。
そういったお話、初めて聞きました! 芸術やスポーツは聞いたことがありましたが・・
音楽、英語、自然体験、きっと様々な活動において、いずれも10歳程度をタイムリミットに感受性などが固まっていくのでしょうか。興味深いです。そういえば最近脳の神経細胞について研究している科学者から、脳の発達は環境、周囲からの刺激だとはっきり聞きました。それは胎児の時から始まっていて、そもそも心とは最初は本人の中にないと考えている、と言われました。外からの刺激によって本人の心が確立されていく、つまり心ははじめは外にあると考えているそうです。
与える刺激は人の会話(つまり人の心)、自然物、人工物、すべてだとおっしゃってました。
この子どもの心がまだエスタブリッシュされていない期間が、さまざまな体験をして感受性を育む重要な時期なのですね。
今回の山行の愉しさを赤ちゃんも母胎の中で堪能しているかもしれません。
いい環境、いいものに触れさせるのが正解だとして、そこまでのことを考えて子育てを続ける気概はありませんが、自分が好きなことを子どもと一緒に体験するというのは、親も楽しくて子どももいいものに触れられる機会になると思います。母ちゃんが楽しくてニコニコしていることが子どもにも幸せ、それでいいじゃないかと思うことにしたいですね。
マリベさんはお嬢様をもう既にいろいろと魅力的なところに連れていかれているようですが、幼少の頃のこの自然の体験というのはとても大きな意義があるのだと思います。
お話を聞いていて、幼少期に親に郊外の自然によく連れていってもらったことを思い出しました。田舎の風景やローカル電車、植物採集、虫取り、キャンプ、そういうのに行くのは楽しかったです。今は都会の中の自然が昔より減っていますし、TVなどデジタルメディアの影響が大きいので、昔と同じというわけにもいかず、行き当たりばったりですが、自分の好きなことは自信を持っていいぞ!と言えますよね。
先日幼い頃によく行ったアスレチック広場に娘と行ってみたら、私の記憶とあまりにかけ離れた敷地の狭さに驚きました。私の脳内ワールドでは、そのアスレチック広場は広大な森だったのです。ところが今見ると、ちょっと歩けば道路に出てしまうくらいのコンパクトな森でした。子どもの目線と大人の目線はいかほどか違うということですねぇ!
またレポを楽しみにしています。
マリベ
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- 記事: 539
- 登録日時: 2018年11月20日(火) 06:39
- お住まい: 京都市左京区
Re: 【鈴鹿】オフ会への道草山行記
マリベさん こちらこそ、ご丁寧な返信、有難うございます。
昨今のこの掲示板の賑わいはまりべさんのご登場も大きいですね。
山に行かれなくても、コメントを期待している人は多いことと思います。
>音楽、英語、自然体験、きっと様々な活動において、いずれも10歳程度をタイムリミットに感受性などが固まっていくのでしょうか
なぜ10歳がタイムリミットになるのかわかりませんが、おそらくほぼすべての分野に共通している事象なのでしょう。
>脳の発達は環境、周囲からの刺激だとはっきり聞きました。
そうでしょうね。脳と云わず、人と換言してもいいかと思いますが。
全く視点を変えて、神経生理学的に考えると、人間の脳の組織は他の身体の組織とは違って10歳頃に完成し、10台後半からは後は神経細胞は失われていくばかり・・・その数は一日数千とも。発達から減退への折返しは我々が思うよりもかなり早いのかもしれません。
>それは胎児の時から始まっていて、そもそも心とは最初は本人の中にないと考えている
心が最初から本人の中にないかどうかは私はわかりませんが、胎児は相当に母胎の外の様々な刺激に対して鋭敏に反応するのは確かなようですね。ところで、興味深いのは赤ちゃんの外的な刺激に対する喜怒哀楽の反応は非常に我儘、エゴイスティックだそうです。我慢や遠慮という概念はないでしょうから、当然なのでしょうね。
>この子どもの心がまだエスタブリッシュされていない期間が、さまざまな体験をして感受性を育む重要な時期なのですね。
間違いないでしょう。
>自分の好きなことは自信を持っていいぞ!と言えますよね。
それが本質的に重要なことと思います。
>先日幼い頃によく行ったアスレチック広場に娘と行ってみたら、私の記憶とあまりにかけ離れた敷地の狭さに驚きました。私の脳内ワールドでは、そのアスレチック広場は広大な森だったのです。ところが今見ると、ちょっと歩けば道路に出てしまうくらいのコンパクトな森でした。子どもの目線と大人の目線はいかほどか違うということですねぇ!
全く同様の経験が思い出されます。子供の目線と大人の目線の違いなのでしょう。同時に子供の時には未知なるものに対する憧憬と畏怖が多かれ少なかれ入り混じっていて、それが幼少のマリベさんにアスレチック広場をファンタジックな印象を与えていたのではないでしょうか。残念ながら大人になって無機的に思えてしまうのも視線の高さだけではないように思います。
山に対する畏怖と憧憬は抱き続けていたいものだと思うのですが・・・
またお会い出来ますこと、楽しみにしております。
その前にまずは出産のご無事を祈念しています。
昨今のこの掲示板の賑わいはまりべさんのご登場も大きいですね。
山に行かれなくても、コメントを期待している人は多いことと思います。
>音楽、英語、自然体験、きっと様々な活動において、いずれも10歳程度をタイムリミットに感受性などが固まっていくのでしょうか
なぜ10歳がタイムリミットになるのかわかりませんが、おそらくほぼすべての分野に共通している事象なのでしょう。
>脳の発達は環境、周囲からの刺激だとはっきり聞きました。
そうでしょうね。脳と云わず、人と換言してもいいかと思いますが。
全く視点を変えて、神経生理学的に考えると、人間の脳の組織は他の身体の組織とは違って10歳頃に完成し、10台後半からは後は神経細胞は失われていくばかり・・・その数は一日数千とも。発達から減退への折返しは我々が思うよりもかなり早いのかもしれません。
>それは胎児の時から始まっていて、そもそも心とは最初は本人の中にないと考えている
心が最初から本人の中にないかどうかは私はわかりませんが、胎児は相当に母胎の外の様々な刺激に対して鋭敏に反応するのは確かなようですね。ところで、興味深いのは赤ちゃんの外的な刺激に対する喜怒哀楽の反応は非常に我儘、エゴイスティックだそうです。我慢や遠慮という概念はないでしょうから、当然なのでしょうね。
>この子どもの心がまだエスタブリッシュされていない期間が、さまざまな体験をして感受性を育む重要な時期なのですね。
間違いないでしょう。
>自分の好きなことは自信を持っていいぞ!と言えますよね。
それが本質的に重要なことと思います。
>先日幼い頃によく行ったアスレチック広場に娘と行ってみたら、私の記憶とあまりにかけ離れた敷地の狭さに驚きました。私の脳内ワールドでは、そのアスレチック広場は広大な森だったのです。ところが今見ると、ちょっと歩けば道路に出てしまうくらいのコンパクトな森でした。子どもの目線と大人の目線はいかほどか違うということですねぇ!
全く同様の経験が思い出されます。子供の目線と大人の目線の違いなのでしょう。同時に子供の時には未知なるものに対する憧憬と畏怖が多かれ少なかれ入り混じっていて、それが幼少のマリベさんにアスレチック広場をファンタジックな印象を与えていたのではないでしょうか。残念ながら大人になって無機的に思えてしまうのも視線の高さだけではないように思います。
山に対する畏怖と憧憬は抱き続けていたいものだと思うのですが・・・
またお会い出来ますこと、楽しみにしております。
その前にまずは出産のご無事を祈念しています。
山猫