【越美国境】美濃俣丸から笹ヶ峰へ 天空の縦走路II
Posted: 2019年3月14日(木) 13:41
【 日 付 】2019年3月9日(土曜日)
【 山 域 】 越美国境
【メンバー】山猫、家内
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】二ツ屋導水施設6:54~10:37美濃俣丸10:45~12:05大河内山~12:15大河内山北側のコル(ランチ)12:45~12:58ロボットピーク~13:17夏小屋丸~13:36笹ヶ峰13:41~14:04夏小屋丸~17:04二ツ屋導水施設
この山域の雪山というのは中毒性が高いかもしれない。先週に引き続き、今週も土曜日は快晴に恵まれそうだ。再び雪の山を求めて、出張先の東京から急遽、新幹線で夜分遅くに京都に戻ることにした。山行先はいろいろと迷った挙げ句、最終的に越美国境の美濃俣丸~笹ヶ峰を選択する。山の上には間違いなく雪が残っているだろうが、今年の寡雪のお陰で二ツ屋導水施設までは確実に車で入ることが出来るのと、さらに笹ヶ峰の登山口まで続く林道にもほとんど雪がないので雪の片斜面を心配する必要がなさそうだというのが選択の大きな理由だ。
この山を最初に目にしたのは1月に登った上谷山の山頂からであった。大黒山の北尾根を登ろうとしていたわしたかさんと偶然にも出遭い、上谷山の登山口となる針川まで入ることが出来たお陰であったのだが、山頂にたどり着いた瞬間、三国岳、三周ヶ岳、美濃俣丸そしてその奥に連綿と連なってゆく銀嶺が視界に飛び込み、この越美国境の山々への憧憬が一気に膨れ上がることになる。山頂でこれらの山々を眺めながら、わしたかさんから笹ヶ峰に登るのは容易ではないということをお伺いしたのだが、どうやらその困難さはまずは登山口へのアプローチにあるようだ。
広野ダムの畔のトイレに到着すると丁度、3人組のパーティーが一台の車に乗りこんで出発しようとされているところだった。「どちらへ?」とお伺いすると「この先の林道に入るつもりです」と仰る。ということは・・・
「笹ヶ峰でしょうか?」
「いいえ、その先に」
「なんと不動山ですか?」と聞くとにっこりと微笑んで答えられた。
「そのつもりです。笹ヶ峰は稜線に上がってから考えます」
ほとんど人と遭遇することが期待出来ない山域でいきなり登山口で人と出遭うとは多少の驚きであるが、これだけ雪の少ない季節であれば、この時期に確実に雪が期待できる山ということになると同様の思考過程を踏んでこの山に向かう人がいるのは不思議ではない。
広野ダムを後するとダム湖の湖岸をゆっくり走っている車がある。車が道の脇に寄ってくれたところで、運転席の窓が開いたので「登山ですか?」とお伺いすると、こちらは釣りの方だった。二ツ屋導水施設に到着すると、丁度、先程の3人組の車が林道の奥へと入ってゆくところであった。導水施設のダムの上を渡り、林道を歩き始める。杉の植林地を抜けると林道は無数の灌木で藪と化している。林道の曲がり角には小さな石の祠がある。中を除くと厳(いかめ)しい顔つきの不動明王が鎮座しておられた。
林道が大きく折り返すところで林道脇の樹にテープがつけられている。ここから右手の斜面を登って尾根に出るのだが、少なくとも明瞭な踏み跡はない。いきなり藪漕ぎである。樹の枝を掴みながら這い上がるようにして急斜面を登る。ほどなくして尾根に出ると、それまでの藪が嘘のように下藪の少ない自然林となる。稜線から朝日が顔を出し、樹林を照らし始めると、薄暗かった樹林は一気に光で満ち溢れる。楓や小楢の目立つ樹林は間もなく山毛欅の林に変わる。
標高点912m峰の手前で、北から延びる尾根と合流する地点に上がると尾根上には一気に雪が増え、早速にもスノーシューの出番となる。前回の左千方ではSHIGEKIさんに指摘された通り、スノーシューを履くまで3時間ほど要したのだが、今回は歩き始めて1時間程でスノーシューを履けるとは有り難い。
山毛欅の林の切れ目からは美濃俣丸の威容が現れる。朝日を背景したその姿は左の1115m峰、右手のピークと共に屹立する三尊仏のように神々しく思える。
尾根から右手に視線を転じると三周ヶ岳、その右手には広野ダムの方に向かって長い尾根を延ばす上谷山を大きく望む。
一昨夜の降雪のせいだろう、本来は樹の根元にはツリーホールが見られる筈であるが、新雪で埋まっている。高度が上がるに連れ締まった雪の上に積もった新雪が増えるが、新雪の柔らかい感触が程よく心地よい。
ヤセ尾根になっても雪は途切れる気配はない。雪の上にはよく見るとおよそ1週間ほど前のものと思われるスノーシューの跡が微かに残っている。尾根上は山毛欅の樹の間から終始、左右に好展望が広がる。高度が上がるにつれ、右手には三周ヶ岳の肩から三国岳が顔を覗かせ始めた。一方、左手にはこれから辿る笹ヶ峰への長い稜線が姿を現す。1115m峰のピークに上がると尾根上の小さな雪原からはいよいよ間近に美濃俣丸のピークを望むようになる。
山頂が近づくにつれ、遠目にもわずかに霧氷を纏う樹々が陽光が目につくようになる。前日の好天のせいで霧氷が融けたのだろう。霧氷の付着部が透明になり、恰もガラス細工のように煌めいているのだった。
霧氷の名残りを楽しむうちに山頂へと到着すると、一気に南側の奥美濃の重畳たる山々の展望が目に入る。すぐ目の前には三周ヶ岳から高丸、烏帽子岳へと続く稜線。斜面にはほぼ等間隔で生える山毛欅の樹々が落とシルエットが雪の上に幾何学的な筋模様を呈する。三周ヶ岳の肩から覗く伊吹山の平らな山頂台地が意外にも大きく感じられるのだった。
美濃俣丸からの下りはそれなりの急斜面であるが、アイゼンを装着するほどのことはない。私は途中で拾った樹の枝が長さといい重さといい程よい感じなので、トレッキング・ポールを出すまでもない。
美濃俣丸からは終始、好展望の雪稜を行くことになる。優美な円弧を描く雪庇が縁取る純白の尾根・・・トレースを刻みこんでゆくのが申し訳ないような気すらしてしまうが、人気(ひとけ)のない無垢の雪稜を歩く歓びは格別であり、この奥深い山に期待していた魅力でもある。
大河内山のあたりに来ると、白山が山々の彼方によく見えるようになる。この日は先週よりも遥かに空気が澄んでいるようだ。左千方からは三周ヶ岳の右肩に目を凝らすと幻影のように白山がみえるばかりであったのを思い出す。
このあたりから、稜線上では風が強くなり始める。大河内山の北側のコルに下るとピークがほどよく風を遮ってくれているようだ。湯を沸かして煮込みハンバーグを温める間、蒸し鶏とスナックエンドウをパンに挟み込んで頬張る。
食事を終えてコルから上がった稜線上で今朝方、広野ダムで出遭った3人組のパーティーと擦れ違う。不動山、千回沢山は諦めて、笹ヶ峰~美濃俣丸の逆周回に予定を変更したらしい。リーダー格と思しき先頭をゆく男性によると「ノーマル・ペースであればヘッデンを必要とすることなく千回沢までピストン往復出来たでしょう・・・」とのことだった。言外に込められた意味は私には判らなかった。
すぐにロボットピークに達すると、ここからは笹ヶ峰までは既に先の3人が往復されているので十分過ぎるほどにトレースがついている。今度は夏小屋丸から下ってくる単独の人影が目に入った。間もなく12本爪のアイゼンで歩かれている初老の男性と擦れ違う。我々と擦れ違う際にも頻繁に踏み抜いておられるようだ。午後になって雪が急に柔らかくなってきたようなので、この先も踏み抜きに苦労されるのではないかと心配する。
なだらかな夏小屋丸の辺りに来ると白山の手前に金草岳を大きく望むようになる。その奥で存在感を見せているのは銀杏峰から部子山の稜線、その右手の荒島岳であろう。南東の方角にはアップダウンのある尾根の先に不動山~千回沢山の稜線が連なる。
笹ヶ峰の山頂にたどり着くと急に風が強い。風衝草原が広がる笹ヶ峰とあってはやはり風の通り道なのだろう。
ロボットピークの山頂には寄らずに斜面をトラバースして、下山路につく。斜面にはツボ足のトレースしか見当たらない。ということは先程の三人組もツボ足で登って来られたということか。
最初は緩やかな下りが続き、標高1060mあたりの小さな雪原にまですぐにたどり着く。トレースは源平谷山へと続く尾根と訣れて右手の尾根を下ってゆく。頻繁にテープも出現するので夏道があるのかもしれない。しかし、急に尾根の斜度がきつくなる。左手に見える源平谷山を見ると、その北東を下る尾根は相当な傾斜なので、こちらの尾根を選んでよかったと思うのだった。
山毛欅の林が終わる辺りで突然、雪が切れる。標高でおよそ750mのあたりだろうか。登りでスノーシューを履いたのとほぼ同じ高度だ。後は落ち葉が堆積してはいるものの、明瞭な夏道が現れた。
大河内川が見えてくると林道の手前に木橋が懸けられているのが目に入る。橋を渡って林道に上がると黒いバンが停まっており、一人の男性が帰り支度を整えておられるところだった。少し上流で釣りをされておられたらしい。「釣れました?」と聞くと「ぼちぼち・・・一匹は尺超え」。なんのことか判らず、怪訝な顔をしていたのだろう「一尺、つまり30cmより大きい奴や」と手を広げて見せる。男性に挨拶を交わし、林道を歩き始めると早朝に見た3人組の車が停められていた。
ふと大河内川の対岸を見るとかつての畑のような石組みがある。右手にはトタンの掘っ立て小屋が現れるが、いくつもの古い石垣が現れる。どうやらかつてはここにも集落が存在したようだ。林道脇に建てられた古い石碑には日露戦争記念と読める。なるほど、この集落の男手が徴兵されたのは明治時代であったか。少し歩くと、今度は対岸の高いところに立派な鳥居が見える。しかし、対岸に渡る橋は見当たらず、雪解けの水が流れる川の渡渉は容易ではなさそうだ。後で確認するとこの地には大河内と呼ばれる集落があったが昭和40年に10戸がこの地を離れ、廃村となったそうだ。奥川並が廃村になったのと同じ年のことだ。
林道を歩いて二ツ屋導水施設も近づいた頃、道端に咲いている白いたおやかな花に家内が気がつく。イチリンソウだ。多くの花が既に花を閉じ、下を向いてしまっている。日中には花を大きく開いていたのだろう。その先では、今度は多数の蕗の薹が芽吹いている。既に花開いているものもあるが、多くのものが花開く前だ。摘み取ってみると、なんともいい香りが漂う。
二ツ屋導水施設が近づき、林道が舗装路へと変わるあたりで先程の3人組とみたび出遭う。ペースからすると林道の中間地点で出遭うことを予想していたが、尾根から最後、林道に下る地点がわからず苦労されたようだ。リーダー格の男性は昨年、同じルートを歩いておられるそうだが、昨年は雪の上に足跡があり、道が明瞭であったとのこと。GPSを頼って下ることが出来たとのことだが、目印も何もないので、GPSがなければ林道に出るのが至難だろう。
二ツ屋導水施設に帰り着き、広野ダムの畔を走らせていると丁度、夕陽が山の影に隠れようとするところだった。広野ダムに戻り、残照の映える美濃俣丸、笹ヶ峰の山の写真を撮っていると、ダムのところに停められた白い車が目に入る。一瞬、見覚えのある車のような気がしたが、気のせいだろうと思い、京都への帰路につく。
帰宅後、林道の路傍で摘んだ蕗の薹は台高からの帰りに手に入れたとっとき味噌とで、早速にも蕗味噌をこしらえてみる。香りが高い蕗味噌の味は、これも中毒性がありそうだ。
【 山 域 】 越美国境
【メンバー】山猫、家内
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】二ツ屋導水施設6:54~10:37美濃俣丸10:45~12:05大河内山~12:15大河内山北側のコル(ランチ)12:45~12:58ロボットピーク~13:17夏小屋丸~13:36笹ヶ峰13:41~14:04夏小屋丸~17:04二ツ屋導水施設
この山域の雪山というのは中毒性が高いかもしれない。先週に引き続き、今週も土曜日は快晴に恵まれそうだ。再び雪の山を求めて、出張先の東京から急遽、新幹線で夜分遅くに京都に戻ることにした。山行先はいろいろと迷った挙げ句、最終的に越美国境の美濃俣丸~笹ヶ峰を選択する。山の上には間違いなく雪が残っているだろうが、今年の寡雪のお陰で二ツ屋導水施設までは確実に車で入ることが出来るのと、さらに笹ヶ峰の登山口まで続く林道にもほとんど雪がないので雪の片斜面を心配する必要がなさそうだというのが選択の大きな理由だ。
この山を最初に目にしたのは1月に登った上谷山の山頂からであった。大黒山の北尾根を登ろうとしていたわしたかさんと偶然にも出遭い、上谷山の登山口となる針川まで入ることが出来たお陰であったのだが、山頂にたどり着いた瞬間、三国岳、三周ヶ岳、美濃俣丸そしてその奥に連綿と連なってゆく銀嶺が視界に飛び込み、この越美国境の山々への憧憬が一気に膨れ上がることになる。山頂でこれらの山々を眺めながら、わしたかさんから笹ヶ峰に登るのは容易ではないということをお伺いしたのだが、どうやらその困難さはまずは登山口へのアプローチにあるようだ。
広野ダムの畔のトイレに到着すると丁度、3人組のパーティーが一台の車に乗りこんで出発しようとされているところだった。「どちらへ?」とお伺いすると「この先の林道に入るつもりです」と仰る。ということは・・・
「笹ヶ峰でしょうか?」
「いいえ、その先に」
「なんと不動山ですか?」と聞くとにっこりと微笑んで答えられた。
「そのつもりです。笹ヶ峰は稜線に上がってから考えます」
ほとんど人と遭遇することが期待出来ない山域でいきなり登山口で人と出遭うとは多少の驚きであるが、これだけ雪の少ない季節であれば、この時期に確実に雪が期待できる山ということになると同様の思考過程を踏んでこの山に向かう人がいるのは不思議ではない。
広野ダムを後するとダム湖の湖岸をゆっくり走っている車がある。車が道の脇に寄ってくれたところで、運転席の窓が開いたので「登山ですか?」とお伺いすると、こちらは釣りの方だった。二ツ屋導水施設に到着すると、丁度、先程の3人組の車が林道の奥へと入ってゆくところであった。導水施設のダムの上を渡り、林道を歩き始める。杉の植林地を抜けると林道は無数の灌木で藪と化している。林道の曲がり角には小さな石の祠がある。中を除くと厳(いかめ)しい顔つきの不動明王が鎮座しておられた。
林道が大きく折り返すところで林道脇の樹にテープがつけられている。ここから右手の斜面を登って尾根に出るのだが、少なくとも明瞭な踏み跡はない。いきなり藪漕ぎである。樹の枝を掴みながら這い上がるようにして急斜面を登る。ほどなくして尾根に出ると、それまでの藪が嘘のように下藪の少ない自然林となる。稜線から朝日が顔を出し、樹林を照らし始めると、薄暗かった樹林は一気に光で満ち溢れる。楓や小楢の目立つ樹林は間もなく山毛欅の林に変わる。
標高点912m峰の手前で、北から延びる尾根と合流する地点に上がると尾根上には一気に雪が増え、早速にもスノーシューの出番となる。前回の左千方ではSHIGEKIさんに指摘された通り、スノーシューを履くまで3時間ほど要したのだが、今回は歩き始めて1時間程でスノーシューを履けるとは有り難い。
山毛欅の林の切れ目からは美濃俣丸の威容が現れる。朝日を背景したその姿は左の1115m峰、右手のピークと共に屹立する三尊仏のように神々しく思える。
尾根から右手に視線を転じると三周ヶ岳、その右手には広野ダムの方に向かって長い尾根を延ばす上谷山を大きく望む。
一昨夜の降雪のせいだろう、本来は樹の根元にはツリーホールが見られる筈であるが、新雪で埋まっている。高度が上がるに連れ締まった雪の上に積もった新雪が増えるが、新雪の柔らかい感触が程よく心地よい。
ヤセ尾根になっても雪は途切れる気配はない。雪の上にはよく見るとおよそ1週間ほど前のものと思われるスノーシューの跡が微かに残っている。尾根上は山毛欅の樹の間から終始、左右に好展望が広がる。高度が上がるにつれ、右手には三周ヶ岳の肩から三国岳が顔を覗かせ始めた。一方、左手にはこれから辿る笹ヶ峰への長い稜線が姿を現す。1115m峰のピークに上がると尾根上の小さな雪原からはいよいよ間近に美濃俣丸のピークを望むようになる。
山頂が近づくにつれ、遠目にもわずかに霧氷を纏う樹々が陽光が目につくようになる。前日の好天のせいで霧氷が融けたのだろう。霧氷の付着部が透明になり、恰もガラス細工のように煌めいているのだった。
霧氷の名残りを楽しむうちに山頂へと到着すると、一気に南側の奥美濃の重畳たる山々の展望が目に入る。すぐ目の前には三周ヶ岳から高丸、烏帽子岳へと続く稜線。斜面にはほぼ等間隔で生える山毛欅の樹々が落とシルエットが雪の上に幾何学的な筋模様を呈する。三周ヶ岳の肩から覗く伊吹山の平らな山頂台地が意外にも大きく感じられるのだった。
美濃俣丸からの下りはそれなりの急斜面であるが、アイゼンを装着するほどのことはない。私は途中で拾った樹の枝が長さといい重さといい程よい感じなので、トレッキング・ポールを出すまでもない。
美濃俣丸からは終始、好展望の雪稜を行くことになる。優美な円弧を描く雪庇が縁取る純白の尾根・・・トレースを刻みこんでゆくのが申し訳ないような気すらしてしまうが、人気(ひとけ)のない無垢の雪稜を歩く歓びは格別であり、この奥深い山に期待していた魅力でもある。
大河内山のあたりに来ると、白山が山々の彼方によく見えるようになる。この日は先週よりも遥かに空気が澄んでいるようだ。左千方からは三周ヶ岳の右肩に目を凝らすと幻影のように白山がみえるばかりであったのを思い出す。
このあたりから、稜線上では風が強くなり始める。大河内山の北側のコルに下るとピークがほどよく風を遮ってくれているようだ。湯を沸かして煮込みハンバーグを温める間、蒸し鶏とスナックエンドウをパンに挟み込んで頬張る。
食事を終えてコルから上がった稜線上で今朝方、広野ダムで出遭った3人組のパーティーと擦れ違う。不動山、千回沢山は諦めて、笹ヶ峰~美濃俣丸の逆周回に予定を変更したらしい。リーダー格と思しき先頭をゆく男性によると「ノーマル・ペースであればヘッデンを必要とすることなく千回沢までピストン往復出来たでしょう・・・」とのことだった。言外に込められた意味は私には判らなかった。
すぐにロボットピークに達すると、ここからは笹ヶ峰までは既に先の3人が往復されているので十分過ぎるほどにトレースがついている。今度は夏小屋丸から下ってくる単独の人影が目に入った。間もなく12本爪のアイゼンで歩かれている初老の男性と擦れ違う。我々と擦れ違う際にも頻繁に踏み抜いておられるようだ。午後になって雪が急に柔らかくなってきたようなので、この先も踏み抜きに苦労されるのではないかと心配する。
なだらかな夏小屋丸の辺りに来ると白山の手前に金草岳を大きく望むようになる。その奥で存在感を見せているのは銀杏峰から部子山の稜線、その右手の荒島岳であろう。南東の方角にはアップダウンのある尾根の先に不動山~千回沢山の稜線が連なる。
笹ヶ峰の山頂にたどり着くと急に風が強い。風衝草原が広がる笹ヶ峰とあってはやはり風の通り道なのだろう。
ロボットピークの山頂には寄らずに斜面をトラバースして、下山路につく。斜面にはツボ足のトレースしか見当たらない。ということは先程の三人組もツボ足で登って来られたということか。
最初は緩やかな下りが続き、標高1060mあたりの小さな雪原にまですぐにたどり着く。トレースは源平谷山へと続く尾根と訣れて右手の尾根を下ってゆく。頻繁にテープも出現するので夏道があるのかもしれない。しかし、急に尾根の斜度がきつくなる。左手に見える源平谷山を見ると、その北東を下る尾根は相当な傾斜なので、こちらの尾根を選んでよかったと思うのだった。
山毛欅の林が終わる辺りで突然、雪が切れる。標高でおよそ750mのあたりだろうか。登りでスノーシューを履いたのとほぼ同じ高度だ。後は落ち葉が堆積してはいるものの、明瞭な夏道が現れた。
大河内川が見えてくると林道の手前に木橋が懸けられているのが目に入る。橋を渡って林道に上がると黒いバンが停まっており、一人の男性が帰り支度を整えておられるところだった。少し上流で釣りをされておられたらしい。「釣れました?」と聞くと「ぼちぼち・・・一匹は尺超え」。なんのことか判らず、怪訝な顔をしていたのだろう「一尺、つまり30cmより大きい奴や」と手を広げて見せる。男性に挨拶を交わし、林道を歩き始めると早朝に見た3人組の車が停められていた。
ふと大河内川の対岸を見るとかつての畑のような石組みがある。右手にはトタンの掘っ立て小屋が現れるが、いくつもの古い石垣が現れる。どうやらかつてはここにも集落が存在したようだ。林道脇に建てられた古い石碑には日露戦争記念と読める。なるほど、この集落の男手が徴兵されたのは明治時代であったか。少し歩くと、今度は対岸の高いところに立派な鳥居が見える。しかし、対岸に渡る橋は見当たらず、雪解けの水が流れる川の渡渉は容易ではなさそうだ。後で確認するとこの地には大河内と呼ばれる集落があったが昭和40年に10戸がこの地を離れ、廃村となったそうだ。奥川並が廃村になったのと同じ年のことだ。
林道を歩いて二ツ屋導水施設も近づいた頃、道端に咲いている白いたおやかな花に家内が気がつく。イチリンソウだ。多くの花が既に花を閉じ、下を向いてしまっている。日中には花を大きく開いていたのだろう。その先では、今度は多数の蕗の薹が芽吹いている。既に花開いているものもあるが、多くのものが花開く前だ。摘み取ってみると、なんともいい香りが漂う。
二ツ屋導水施設が近づき、林道が舗装路へと変わるあたりで先程の3人組とみたび出遭う。ペースからすると林道の中間地点で出遭うことを予想していたが、尾根から最後、林道に下る地点がわからず苦労されたようだ。リーダー格の男性は昨年、同じルートを歩いておられるそうだが、昨年は雪の上に足跡があり、道が明瞭であったとのこと。GPSを頼って下ることが出来たとのことだが、目印も何もないので、GPSがなければ林道に出るのが至難だろう。
二ツ屋導水施設に帰り着き、広野ダムの畔を走らせていると丁度、夕陽が山の影に隠れようとするところだった。広野ダムに戻り、残照の映える美濃俣丸、笹ヶ峰の山の写真を撮っていると、ダムのところに停められた白い車が目に入る。一瞬、見覚えのある車のような気がしたが、気のせいだろうと思い、京都への帰路につく。
帰宅後、林道の路傍で摘んだ蕗の薹は台高からの帰りに手に入れたとっとき味噌とで、早速にも蕗味噌をこしらえてみる。香りが高い蕗味噌の味は、これも中毒性がありそうだ。