【台高】いにしえの又口道と北山索道古和谷駅経由の破線道
Posted: 2016年2月08日(月) 20:33
【日 付】2017年2月7日(日)
【山 域】台高
【コース】橡山林道ゲートP7:22---10:26古和谷駅---12:18県境乗越の大杉---15:05橡山林道ゲートP
【メンバー】単独
例年だと雪山に向かう時期だが、今年はいかんせん雪が少ない。雪の少ない今シーズンなら古道を辿れるだろうと思いzippさんお勧めの又口道に行くことにした。
海山ICで下りて、相賀から銚子川沿いに進み木津。工事で通行止になっている県道760号線のゲート前から橡山林道に入る。水無峠までは、舗装された道で朝日が上って行く熊野灘がきれいに見えた。峠から林道ゲートまでのなんとも言えない荒れた道を通りゲート前に駐車した。外は意外に寒く雪が舞っており、樫山には薄ら雪がついている。地蔵峠まで林道を歩き、登山口から尾鷲道に向かう。この尾根には栂の大木が残り、道には山マークの石柱がいくつか見られる。風の冷たさにたまらずネックウォーマーまで出した。古和谷から上ってくる尾鷲道に合流し、しばらく登ると又口辻に着いた。
又口辻より破線道の又口道に入ると、風がやんでそればかりか陽の光で暖かい。稜線が風よけになって雪雲から吹く風をシャットアウトしてくれており、気候の安定している三重県側に道をつけるのは理にかなっている。この道は小谷を横切る箇所がいくつかあるが、こうした所には決まって石積みがあり道を守っている。枯れたスズタケをポキポキ折りながら水平道を進む。
[attachment=5]IMG_0717.jpg[/attachment]
植林地内の崩落を越えれば県境稜線P1170南東尾根を乗越す峠につく。ここは古和谷源頭部のブナの森で視界が広がり気持ちがいい。破線道はここを下るのだが稜線下の道を辿る。稜線に出てしまったので進むと尾根上にプーリーが落ちておりこの上を北山索道は通っていたようだ。
索道とは、架線を張ったワイヤーにリフトを掛け物資を空中運搬する交通手段で、紀伊半島は全国の索道の43%が集中する索道のメッカみたいな所だ。紀伊半島にあった20索道の中でも、北山索道は、尾鷲索道(62年)高野索道(58年)についで長い43年間営業されていた索道で、大正7年に開業している。
尾根の古和谷側にも柳ノ谷側にも搬器が落ちていた。稜線付近にはガイシもいくつかころがっていた。古和谷側のワイヤーは小尾根を越えているが、回り込むように谷沿いに下って行く。左岸に炭焼窯跡がありその先の右岸に大きなトチノキがあるので向かうとミズナラの大木も二本残されている。目印の木だろうと思い近づいていくと古和谷駅の上部に着いた。
[attachment=4]IMG_0732.jpg[/attachment]
右岸の石積みの台地の上には巨大なプーリーやドラム状の物が当時のセットされた状態で残っている。他には発電機と思われる物や耐熱レンガで組まれた構造物の土台もあり大規模な施設だ。北山索道8駅の内3駅(尾鷲・古和谷・風折)に動力が設置されており、古和谷駅は京良谷駅から平谷駅までの運転を担っていた。動力は開業時の大正7年から昭和23年までの30年間は蒸気で動かしていたので、古和谷駅の耐熱レンガはその際に使われた窯の名残だろう。蒸気で動かすのだから動力駅には水場が必要条件だったということか。そして、昭和23年以降は電力に動力が変わるので、窯は撤去され発電機が設置されたのかもしれない。これだけの規模で残っている可能性のあるのは風折駅だか、kzoさんの調査では動力に関係する機械等は残っていなかったようだ。索道の動力駅が当時の面影をこれだけ残している場所は全国的にも少ないんじゃないかな。
[attachment=3]IMG_0752.jpg[/attachment]
来た谷を上りかえし、炭焼窯跡でGPSを見ると古和谷駅近くに県境稜線を破線道が柳ノ谷側に乗越す地点につけたマーキングがある。ということは、古和谷駅をトラバースしながら進めばすぐに乗越という訳で、破線道が谷筋を通っている意味がわかった。県境稜線P1170南東尾根を乗り越す峠からなだらかな谷を下り炭焼窯で、そこから谷沿いに古和谷駅まで下りそこから県境の乗越に向かう破線道は古和谷駅を経由するためにわざわざ作られた道だったのだ。残されたブナ林や炭焼窯も古和谷駅の動力である蒸気機関とのつながりがあったように思った。
[attachment=2]IMG_0743.jpg[/attachment]
1170南東尾根を乗越す峠以降の破線道は古道の道のつけ方ではないので、県境稜線近くまで上り水平道を探すことにした。獣道のような感じだが確かに水平道はあった。ここも以前はヤブにつつまれていたようだが、結局県境の乗越手前まで辿れた。その先には古和谷側に大杉が残されていた。又口道は又口辻から1170南東尾根を乗越す峠を通過し稜線下を辿りながら大杉の所まできていたのだろう。それが、古和谷駅が出来たために途中から現在の破線道に塗り替えられたのではないだろうか。とはいうものの1170南東尾根を乗越す峠までとそれ以降では道の作り方が違うので、又口道の石積みは古和谷駅とからめて整備されたように思う。
そして、破線道も大松に至っており、長きに渡って人々を見つめ続けてきた目印の木だ。
[attachment=1]IMG_0756.jpg[/attachment]
その先の植林にはしっかりした杣道が柳ノ谷に向かって下っていた。帰りは県境稜線を歩く、展望が良く雪におおわれた大峰に尾鷲湾と熊野灘が良く見える。この稜線は思った以上にアップダウンがあり、又口道をつけた意味がよくわかった。二山越えて龍辻まで上りかえし一服。後は、来た道をもどるだけだが、林道に下りてから道分地蔵さんにあいさつをして帰った。
【山 域】台高
【コース】橡山林道ゲートP7:22---10:26古和谷駅---12:18県境乗越の大杉---15:05橡山林道ゲートP
【メンバー】単独
例年だと雪山に向かう時期だが、今年はいかんせん雪が少ない。雪の少ない今シーズンなら古道を辿れるだろうと思いzippさんお勧めの又口道に行くことにした。
海山ICで下りて、相賀から銚子川沿いに進み木津。工事で通行止になっている県道760号線のゲート前から橡山林道に入る。水無峠までは、舗装された道で朝日が上って行く熊野灘がきれいに見えた。峠から林道ゲートまでのなんとも言えない荒れた道を通りゲート前に駐車した。外は意外に寒く雪が舞っており、樫山には薄ら雪がついている。地蔵峠まで林道を歩き、登山口から尾鷲道に向かう。この尾根には栂の大木が残り、道には山マークの石柱がいくつか見られる。風の冷たさにたまらずネックウォーマーまで出した。古和谷から上ってくる尾鷲道に合流し、しばらく登ると又口辻に着いた。
又口辻より破線道の又口道に入ると、風がやんでそればかりか陽の光で暖かい。稜線が風よけになって雪雲から吹く風をシャットアウトしてくれており、気候の安定している三重県側に道をつけるのは理にかなっている。この道は小谷を横切る箇所がいくつかあるが、こうした所には決まって石積みがあり道を守っている。枯れたスズタケをポキポキ折りながら水平道を進む。
[attachment=5]IMG_0717.jpg[/attachment]
植林地内の崩落を越えれば県境稜線P1170南東尾根を乗越す峠につく。ここは古和谷源頭部のブナの森で視界が広がり気持ちがいい。破線道はここを下るのだが稜線下の道を辿る。稜線に出てしまったので進むと尾根上にプーリーが落ちておりこの上を北山索道は通っていたようだ。
索道とは、架線を張ったワイヤーにリフトを掛け物資を空中運搬する交通手段で、紀伊半島は全国の索道の43%が集中する索道のメッカみたいな所だ。紀伊半島にあった20索道の中でも、北山索道は、尾鷲索道(62年)高野索道(58年)についで長い43年間営業されていた索道で、大正7年に開業している。
尾根の古和谷側にも柳ノ谷側にも搬器が落ちていた。稜線付近にはガイシもいくつかころがっていた。古和谷側のワイヤーは小尾根を越えているが、回り込むように谷沿いに下って行く。左岸に炭焼窯跡がありその先の右岸に大きなトチノキがあるので向かうとミズナラの大木も二本残されている。目印の木だろうと思い近づいていくと古和谷駅の上部に着いた。
[attachment=4]IMG_0732.jpg[/attachment]
右岸の石積みの台地の上には巨大なプーリーやドラム状の物が当時のセットされた状態で残っている。他には発電機と思われる物や耐熱レンガで組まれた構造物の土台もあり大規模な施設だ。北山索道8駅の内3駅(尾鷲・古和谷・風折)に動力が設置されており、古和谷駅は京良谷駅から平谷駅までの運転を担っていた。動力は開業時の大正7年から昭和23年までの30年間は蒸気で動かしていたので、古和谷駅の耐熱レンガはその際に使われた窯の名残だろう。蒸気で動かすのだから動力駅には水場が必要条件だったということか。そして、昭和23年以降は電力に動力が変わるので、窯は撤去され発電機が設置されたのかもしれない。これだけの規模で残っている可能性のあるのは風折駅だか、kzoさんの調査では動力に関係する機械等は残っていなかったようだ。索道の動力駅が当時の面影をこれだけ残している場所は全国的にも少ないんじゃないかな。
[attachment=3]IMG_0752.jpg[/attachment]
来た谷を上りかえし、炭焼窯跡でGPSを見ると古和谷駅近くに県境稜線を破線道が柳ノ谷側に乗越す地点につけたマーキングがある。ということは、古和谷駅をトラバースしながら進めばすぐに乗越という訳で、破線道が谷筋を通っている意味がわかった。県境稜線P1170南東尾根を乗り越す峠からなだらかな谷を下り炭焼窯で、そこから谷沿いに古和谷駅まで下りそこから県境の乗越に向かう破線道は古和谷駅を経由するためにわざわざ作られた道だったのだ。残されたブナ林や炭焼窯も古和谷駅の動力である蒸気機関とのつながりがあったように思った。
[attachment=2]IMG_0743.jpg[/attachment]
1170南東尾根を乗越す峠以降の破線道は古道の道のつけ方ではないので、県境稜線近くまで上り水平道を探すことにした。獣道のような感じだが確かに水平道はあった。ここも以前はヤブにつつまれていたようだが、結局県境の乗越手前まで辿れた。その先には古和谷側に大杉が残されていた。又口道は又口辻から1170南東尾根を乗越す峠を通過し稜線下を辿りながら大杉の所まできていたのだろう。それが、古和谷駅が出来たために途中から現在の破線道に塗り替えられたのではないだろうか。とはいうものの1170南東尾根を乗越す峠までとそれ以降では道の作り方が違うので、又口道の石積みは古和谷駅とからめて整備されたように思う。
そして、破線道も大松に至っており、長きに渡って人々を見つめ続けてきた目印の木だ。
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その先の植林にはしっかりした杣道が柳ノ谷に向かって下っていた。帰りは県境稜線を歩く、展望が良く雪におおわれた大峰に尾鷲湾と熊野灘が良く見える。この稜線は思った以上にアップダウンがあり、又口道をつけた意味がよくわかった。二山越えて龍辻まで上りかえし一服。後は、来た道をもどるだけだが、林道に下りてから道分地蔵さんにあいさつをして帰った。