治田峠から茨川
Posted: 2015年7月28日(火) 15:57
2015.07.12(SUN) 晴れ/曇り 同行者 H
鈴鹿北部
新町=青川峡=中尾=治田峠=茨川
ちょっと遅れたレポ
茨川はもちろん何度も訪れているが、治田峠から下りるのは13年ぶりである。H君に茨川出身の知人がいるということで、一度茨川を見たいという希望に応えることにした。しかし茨川林道を車で行っては登山者の面目が立たない。当時の人の苦労を追体験するには治田越えがよかろう。しかし今の時期青川から茨川となればヤマビルの猛襲は必至。あえて今行くことはないのだが、他に行きたいコースもないし久々の伊勢谷がどうなっているか確認したくて出かけることにした。H君は「ヒル下がりのジョニー」を買ってきて用意万端。私は食塩水のスプレー持参。新町の奥は相変わらずオートキャンプ場で通行止め。休みコバまで車で入れなくなったことは時間的にも体力的にも結構なロスだ。
本当に林道があったのか初めての人なら疑わしいような荒れた河原を延々と歩く。青川自体は時々通るので荒れているのは承知。復旧工事はまだ一部である。雨上がりで飛び石の渡渉に苦労する。35分かかって休みコバ跡到着で一休み。このあとも同じようなゴロゴロと荒れた歩きにくい河原歩き。広河原という場所があったが、もはやどこでも広河原である。水は伏流と表流を繰り返す。やがて銚子谷出合に着くが隧道が見当たらない。尾根に近づいて探しても跡形もない。前回は埋まりながらもまだ見えていたが・・・。ついにこの隧道も歴史に埋もれてしまった。残念至極だ。
日丘稲荷はまだ健在だった。しかし鮮やかだった赤い鳥居の下部が腐って痩せている。再び修復の手が入るのか、あるいは見捨てられるのか。案の定ヒルどもが靴を這い上がっている。スプレーで落とす。この先ルートが良く分からないが適当に歩く。ヒル被害第一号は左手指の股。気付かずにいて結構出血した。下り藤あたりでくっついたのだろう。中尾の取りつきの急斜面はジグザグ道が消えかかっていて歩きにくい。ヒルがわらわらと寄ってくる。梅雨時にこんな所へ承知で来るとは我ながら阿呆である。
やがて尾根芯に出て、掘割の急登が始まる。気温も湿度も高くて汗が噴き出す。もう顔を洗う清流もない。ただでさえ体力が低下した体は高湿度で体温が下がらず青息吐息。休みまくって登る。中尾地蔵はまだか、まだか・・・もうあかん。ようやく着いた地蔵さんは丸裸。祠が倒壊して脇に屋根が落ちていた。地蔵さんといってもはっきりした形はなく、祠がなくては本当にただの雨ざらしの自然石だ。おいたわしや。ここから治田峠までまだ標高差は大分残っている。ヒルを避けるため落ち葉の堆積した掘割を通らず、上の斜面を登る。噴き出す汗を補うために水をがぶ飲みする。
ようやく着いた治田峠でへたり込む。H君は私より少し元気なようだ。峠はなんら変りない。素朴な風情を保っているが、良く見ると端のほうにかなり年代の古いゴミが散らばっている。昔はゴミなんかちょっと土を掛けておけばOKみたいな風潮だったようだ。「釣りキチ三平」という漫画で魚紳が釣り場にゴミを埋めたのを見て、三平が「なんてマナーのいい人だろう」と感心する場面があったが、いまならトンデモヤローである。峠を吹き抜ける風で体を冷やしながら長い休憩とヒルの点検。定番の足首は無事だったが、ふくらはぎと腰をやられた。まあ予想よりは軽微と言えるだろう。
さて久しぶりの伊勢谷に突入。最初は急降下である。道型はっきりしているが一部草に覆われている。やがて傾斜も落ち着き、美しい小渓流となる。時期的なものもあるが意外と水量があり、20年ほど前と何ら変わりない。その次に通ったときは98年の台風の直後で、北斜面が崩壊し、植林が谷に散乱して死ぬほど苦労した思い出がある。今回はその倒木も腐ったり除去されたりで殆ど通行の支障にはならなかった。茨川には他のルートから何度か入って伊勢谷の堰堤工事が進んでいるのは知っていた。でも今回は上流側から見ることになる。堰堤は予想より早く目に入った。護岸工事もかなり予算をつぎ込んだ形跡がある。費用対効果はいかに? しかしこれで水生生物は茶屋川と完全に遮断されたわけで、閉鎖的な環境で生きていかねばならない。
茨川には誰もいなかった。特に変わった様子もなく名大小屋も八幡工業の小屋もまだ倒壊の恐れはない。集落跡をH君に説明する。山本素石は廃村間もない時期によく茨川へ泊りに来ていた。どの家だったのだろう。腹が減ったので河原の日陰を探して昼食にする。トチの葉が風にそよぎ、涼しくて極楽だ。夏は避暑地のような場所である。水も何ぼでもある。でも大分前から土砂で埋まって風情はなくなってしまった。裸になって体を洗い、シャツを洗って木の枝で干す。せっかくサッパリしても帰りにまた汗だくになるだろうが仕方ない。十分くつろいでから裸足で茶屋川を渡渉して神社に参拝した。鳥居の根元が少し埋まった以外、ここも変わりない。やがて今日初めて出会う人が上流から来て黙って去って行った。林道は通れないはずだし、何処から来て何処へ行くのだろうと思ったが、人嫌いでけん介な雰囲気があったのでやめておいた。帰り支度をして歩きだしたら、茶屋川対岸の林道にバイクが2台現れた。若者に道路通れたの?と聞くと、通れましたとのこと。
朝は帰路を銚子岳へ向かう尾根にしようと思っていたが、この湿度ではとてもそんな気になれず、往路を戻った。治田峠で休息していると北から若者がやってきた。この人は気さくで色々話をした。大阪から電車で来て、治田駅から歩いて青川を登り、藤原岳を踏んで今戻ってきたそうな。駅から歩いて?と驚いていると、今から竜へ登ってから下山するとのこと!! 銚子岳のアップダウンはきついよ。しかも下山しても交通機関はないよ。三里の駅まで歩くのだろうか。いやはや恐れ入りました。私らじじいの時代は去った。若者に乾杯(完敗)
ハリマオ
鈴鹿北部
新町=青川峡=中尾=治田峠=茨川
ちょっと遅れたレポ
茨川はもちろん何度も訪れているが、治田峠から下りるのは13年ぶりである。H君に茨川出身の知人がいるということで、一度茨川を見たいという希望に応えることにした。しかし茨川林道を車で行っては登山者の面目が立たない。当時の人の苦労を追体験するには治田越えがよかろう。しかし今の時期青川から茨川となればヤマビルの猛襲は必至。あえて今行くことはないのだが、他に行きたいコースもないし久々の伊勢谷がどうなっているか確認したくて出かけることにした。H君は「ヒル下がりのジョニー」を買ってきて用意万端。私は食塩水のスプレー持参。新町の奥は相変わらずオートキャンプ場で通行止め。休みコバまで車で入れなくなったことは時間的にも体力的にも結構なロスだ。
本当に林道があったのか初めての人なら疑わしいような荒れた河原を延々と歩く。青川自体は時々通るので荒れているのは承知。復旧工事はまだ一部である。雨上がりで飛び石の渡渉に苦労する。35分かかって休みコバ跡到着で一休み。このあとも同じようなゴロゴロと荒れた歩きにくい河原歩き。広河原という場所があったが、もはやどこでも広河原である。水は伏流と表流を繰り返す。やがて銚子谷出合に着くが隧道が見当たらない。尾根に近づいて探しても跡形もない。前回は埋まりながらもまだ見えていたが・・・。ついにこの隧道も歴史に埋もれてしまった。残念至極だ。
日丘稲荷はまだ健在だった。しかし鮮やかだった赤い鳥居の下部が腐って痩せている。再び修復の手が入るのか、あるいは見捨てられるのか。案の定ヒルどもが靴を這い上がっている。スプレーで落とす。この先ルートが良く分からないが適当に歩く。ヒル被害第一号は左手指の股。気付かずにいて結構出血した。下り藤あたりでくっついたのだろう。中尾の取りつきの急斜面はジグザグ道が消えかかっていて歩きにくい。ヒルがわらわらと寄ってくる。梅雨時にこんな所へ承知で来るとは我ながら阿呆である。
やがて尾根芯に出て、掘割の急登が始まる。気温も湿度も高くて汗が噴き出す。もう顔を洗う清流もない。ただでさえ体力が低下した体は高湿度で体温が下がらず青息吐息。休みまくって登る。中尾地蔵はまだか、まだか・・・もうあかん。ようやく着いた地蔵さんは丸裸。祠が倒壊して脇に屋根が落ちていた。地蔵さんといってもはっきりした形はなく、祠がなくては本当にただの雨ざらしの自然石だ。おいたわしや。ここから治田峠までまだ標高差は大分残っている。ヒルを避けるため落ち葉の堆積した掘割を通らず、上の斜面を登る。噴き出す汗を補うために水をがぶ飲みする。
ようやく着いた治田峠でへたり込む。H君は私より少し元気なようだ。峠はなんら変りない。素朴な風情を保っているが、良く見ると端のほうにかなり年代の古いゴミが散らばっている。昔はゴミなんかちょっと土を掛けておけばOKみたいな風潮だったようだ。「釣りキチ三平」という漫画で魚紳が釣り場にゴミを埋めたのを見て、三平が「なんてマナーのいい人だろう」と感心する場面があったが、いまならトンデモヤローである。峠を吹き抜ける風で体を冷やしながら長い休憩とヒルの点検。定番の足首は無事だったが、ふくらはぎと腰をやられた。まあ予想よりは軽微と言えるだろう。
さて久しぶりの伊勢谷に突入。最初は急降下である。道型はっきりしているが一部草に覆われている。やがて傾斜も落ち着き、美しい小渓流となる。時期的なものもあるが意外と水量があり、20年ほど前と何ら変わりない。その次に通ったときは98年の台風の直後で、北斜面が崩壊し、植林が谷に散乱して死ぬほど苦労した思い出がある。今回はその倒木も腐ったり除去されたりで殆ど通行の支障にはならなかった。茨川には他のルートから何度か入って伊勢谷の堰堤工事が進んでいるのは知っていた。でも今回は上流側から見ることになる。堰堤は予想より早く目に入った。護岸工事もかなり予算をつぎ込んだ形跡がある。費用対効果はいかに? しかしこれで水生生物は茶屋川と完全に遮断されたわけで、閉鎖的な環境で生きていかねばならない。
茨川には誰もいなかった。特に変わった様子もなく名大小屋も八幡工業の小屋もまだ倒壊の恐れはない。集落跡をH君に説明する。山本素石は廃村間もない時期によく茨川へ泊りに来ていた。どの家だったのだろう。腹が減ったので河原の日陰を探して昼食にする。トチの葉が風にそよぎ、涼しくて極楽だ。夏は避暑地のような場所である。水も何ぼでもある。でも大分前から土砂で埋まって風情はなくなってしまった。裸になって体を洗い、シャツを洗って木の枝で干す。せっかくサッパリしても帰りにまた汗だくになるだろうが仕方ない。十分くつろいでから裸足で茶屋川を渡渉して神社に参拝した。鳥居の根元が少し埋まった以外、ここも変わりない。やがて今日初めて出会う人が上流から来て黙って去って行った。林道は通れないはずだし、何処から来て何処へ行くのだろうと思ったが、人嫌いでけん介な雰囲気があったのでやめておいた。帰り支度をして歩きだしたら、茶屋川対岸の林道にバイクが2台現れた。若者に道路通れたの?と聞くと、通れましたとのこと。
朝は帰路を銚子岳へ向かう尾根にしようと思っていたが、この湿度ではとてもそんな気になれず、往路を戻った。治田峠で休息していると北から若者がやってきた。この人は気さくで色々話をした。大阪から電車で来て、治田駅から歩いて青川を登り、藤原岳を踏んで今戻ってきたそうな。駅から歩いて?と驚いていると、今から竜へ登ってから下山するとのこと!! 銚子岳のアップダウンはきついよ。しかも下山しても交通機関はないよ。三里の駅まで歩くのだろうか。いやはや恐れ入りました。私らじじいの時代は去った。若者に乾杯(完敗)
ハリマオ
本当に林道があったのか初めての人なら疑わしいような荒れた河原を延々と歩く。青川自体は時々通るので荒れているのは承知。復旧工事はまだ一部である。雨上がりで飛び石の渡渉に苦労する。35分かかって休みコバ跡到着で一休み。このあとも同じようなゴロゴロと荒れた歩きにくい河原歩き。広河原という場所があったが、もはやどこでも広河原である。