【鈴鹿】近江カルスト台地・醒ヶ井~甲頭倉を繋ぐ山旅<公共交通機関利用>

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通風山
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登録日時: 2011年2月11日(金) 08:12
お住まい: 愛知県常滑市

【鈴鹿】近江カルスト台地・醒ヶ井~甲頭倉を繋ぐ山旅<公共交通機関利用>

投稿記事 by 通風山 »

湖東の山村から近江カルスト台地へ、西坂、地蔵峠、八葉山、向山、男鬼山、ダンダンクボ、イワス、比婆之山、甲頭倉

【 日 付 】2011年5月21日(土)
【 山 域 】 鈴鹿北部
【メンバー】あろん
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】常滑6:02++6:46金山6:55++8:08醒ヶ井8:17--中仙道--9:17西坂集落--10:07地蔵峠--11:00八葉山--11:47林道11:53--12:06P421--13:06向山13:25--13:57地形図上にない林道--14:15男鬼山14:22--15:32イワス--15:40原石山(鉱山北端)--16:02比婆之山16:20--16:34下降点--17:05甲頭倉浄水堰堤--17:07甲頭倉最奥民家==17:15ふれ愛タクシー甲頭倉乗車停18:08==18:23多賀大社前駅18:26++18:31高宮18:34++19:03米原19:34++20:46金山20:49++21:27常滑
【交通費】
JR青空フリーパス 2500円
多賀町予約型乗り合いタクシー「ふれ愛タクシー」  1000円
近江鉄道 多賀大社前~米原  460円
    合計    3960円(名古屋発着)

 休日の朝の醒ヶ井駅は降車する人のほうが多く、10名ほどの登山客の1パ-ティーが駅前で待っていたマイクロバスにそのまま吸い込まれていった。
 駅の表階段に座り込んで、登山口までのアプローチが詳細に記されている奥村さんの絵地図を見る。街中ではこの絵地図が威力を発揮する。
 国道を横断し、名神高速直下の側道を行くようになると、稲の苗が豊富な水に揺れている。水路を流れる水はジャージャーと音を立てて流れていく。水の町醒ヶ井の風情そのままだ。
 今日はどんな山行きになるかな?と思いを巡らせて行くとこの道が「中部北陸自然歩道」であることを道標によって知る。初めて聞く名に今日はまず最初はハイキングだなと和んでくる自分があった。
 やがて米原市立河南中学校の前を通り過ぎるとこんな看板が立ててあった。
Hなおじさんに注意
Hなおじさんに注意
 まさにヘ○タ○登山をしようとしている自分とダブってしまって驚愕する。足早に中学校の前を過ぎ去ったのはいうまでもない。
 道は民家の間を行く、歩きやすい真っ直ぐな道だと思っていると、向こうから軽リュックを背負ったいかにもハイカーっぽいおじいさんとすれ違った。
 「中仙道ですか?」
 「え?いや・・・・山のヴぉり・・・です。」
 そうかこの街道らしきところは中仙道の一部だったのだ。この地方独特のベンガラの赤いたたずまいが続く。立派な一眼レフをぶらさげた人ともすれ違う。醒ヶ井宿の街道とそこに住む人々は、派手さもなく控え気味にあたたかくハイカーを受け入れていた。
 ふと名神高速のほうを見上げると松尾寺山もあたたかい、そんな気がした。

 名神高速米原ジャンクションの手前を米原工業団地のほうへむかう。ヤマヤとアイリスオーヤマの間を行けばやがて道は上り坂になり西坂の集落へと続いている。
 松尾寺を中心にした宗教文化はこの地名にも表れていて、松尾寺西方の坂から上がってくる村として名前が付けられたらしい。
 勾配のきつくなった道は近代的な家並みを両側に見ながら、最奥の正恩寺に着いた。
 なにやら村人5~6人が寺の中で作業中だ。お参りがてら話を聞いてみた。
 「檀家は20軒ほどで最近住職が亡くなって、無住となり、みんなで世話をしている。今日は掃除の日。守っていかにゃならんで・・。松尾寺山か?」
 「いいえ松尾寺は以前訪れたことがありますので、今日は八葉山から甲頭倉へ抜けます。」
 「・・・・・?一本杉のほうか?まあ気をつけて行きな。」
 ポケットに入っていた50円玉をお賽銭に上げて、裏手の地蔵堂のベンチに腰掛けて地形図を広げた。

 暑い、ここまでで汗が吹き出ていた。今日も尾根歩きが中心でどうせ水場もないだろうからと2Lアクエリアスを背負ってきた。
 地蔵堂の裏手から松尾寺山へと登拝道が続いている。丁石がいくつも置かれ松尾寺までの距離を教えてくれているようだが、今はその文字もはっきりとは読めない。
 落ち葉の溜まった道をザクザクと行くと、ふと、スノーシューハイクに良いかもしれないと気づいた。見上げれば積雪期に付けられたのであろうか、高い位置のピンクテープが風に揺れていた。
 突然右手にお地蔵さんが現れる。いかにも古そうなお地蔵さんで、案内板に「咲(えみの)地蔵」とあり、説明書きは、「近江與地志略」の記述に、松尾寺山の半腹にあり。とあるだけで、長年その場所さえ明らかではなかったということだ。ほほえむ地蔵さんということでこの名がついたと思われるとのこと。
 ここで小休止。ビスケットをアクエリアスで流し込む。暑い。
 はっきりとしたよい道で、西坂からの登拝者が多かったことを裏付けるような道をさらに一息登ると、大きな杉が目に入ってきた。一本杉の地蔵峠だ。根元にはこれまた古そうな大日如来の石仏が鎮座していて、このあたりが宗教の山であったことがあらためて知ることが出来る。
 ちなみに「鈴鹿の山と谷」第1巻P229の地蔵峠の記述は石仏の位置の特定に間違いがある。
地蔵峠の大日如来
地蔵峠の大日如来
 踏み跡がちょっぴり薄くなった八葉山への尾根道で琵琶湖方面が開けた。数少ない展望が開けた場所だ。残念ながら春霞でくっきりとは見えなかったが琵琶湖の大きさに感慨を覚える。鈴鹿に通うも琵琶湖をまじまじと見られる場所はあまりないように思う。
 八葉山はその名のごとく、蓮の花から来ているようで、仏教に由来する。そもそも今回の山々の名前は霊仙山を中心とした末寺のごとく衛星上にちりばめられた霊場の山なのではないかと思えてくる。しかもそれは日本古来の神道にも通ずる、近江高天原と言われる比婆之山であったり、とても「おうり」とは読めない「男鬼」であったり、不思議な気持ちの山行きに神秘的な感じも湧き出てくるのである。
 やがて高圧線鉄塔の開けた場所に飛び出せば、近江一帯の景色を眺め琵琶湖から吹いてくる風に汗も乾く。
ブナのひこばえの太いのが目立つ尾根をぐいっと登れば、ドーム状の展望の利かない八葉山山頂だった。枯葉を踏む音にはっとすれば、僕と入れ替わるように登山者が一人、醒ヶ井の養鱒場へと続く尾根へと消えていった。

 八葉山のドーム型に反比例するように大きなドリーネも点在するようで、南には「ミズガクボ」と呼ばれるくぼ地がある、ここも気にはなったが次回のお楽しみにとっておこう。
 八葉山から西に伸びる尾根を末端まで行ってみようと歩き出す。尾根にそびえるブナが目立つ。気になって幹周りをシュリンゲ3本で計ってみた。帰宅後計りなおすと260cmほどあった。地蔵峠から八葉山西尾根までブナの巨木が多い。とりわけ八葉山山頂手前直下の高圧鉄塔上部のひこばえのブナはまとめるとかなり太い。
 雰囲気のよい尾根に癒されながら西へ向かう。左折して下っていく鉄塔巡視路は越えてしまったようだが尾根芯がはっきりしていて歩きやすい。
 下にアスファルトの林道が見えてくる。見えている割に現在地の高度が高い。嫌な予感だ。
 尾根の末端は危惧していたとおり切通しの絶壁だった。またやってしまった。
 また小谷を探してなんとか降り立てば案内板がある。鎌刃城跡への案内板だ。この先の尾根に立派なお城があったらしい。予習不足であったのでここも次回のお楽しみとして、水のない側溝に足を突っ込んで腰をおろし、またもや地形図とにらめっこだ。
 目の間にそびえる向山に向うわけだが、このまま直線的にいけば林道の下には意外にもかなりの水量の谷がある。う~んどうしたもんか。・・・・。ん?林道上の独標421から南に破線があるぞ。あてにならないだろうが、行ってみるか。

 林道から杉の植林帯に突撃する。道型は杣道に間違いない。よく手入れされている杉山は払われた枝で薄い杣道を埋めている。もう少し気温と湿度が高ければ蛭の襲来に気をつけなければならないような道だ。突然現れたトタンで出来た作業小屋の横を通り過ぎれば、真新しい枝打ち用ののこぎりが落ちていたりして、この道が現在も作業道として使われているのがわかる。谷状の地形ではあるが水の流れはない。
 鞍部に出て一休み。カレンフェルトがすばらしい。っていうか共同墓地みたいだ。さあ、あと高度100m弱の登りはヨタヨタと登る。あかん、疲れてきた。
 ひいひい言いながら向山に着く。午後1時になってしまった。展望のない三角点に抱きつくようにへたり込んでぺちゃんこになった菓子パンを2個かじる。そうだ、アミノバイタルがあったぞ。

 かれこれ10年ほど前になろうか、愛知厚顔氏と知り合い、松尾寺山と八葉山を案内してもらったことがある。
 松尾寺の歴史とか霊仙山の考察とか、氏ならではの知識ですごく興味がそそられたのを思い出していた。
 そんな折に後日一通の手紙をいただいた。「ダンダンクボ」にいってきました。云々・・・。ダンダンクボって?なんだろう。
 「鈴鹿の山と谷」(西尾寿一著)という本がある。この本が世に出てからというもの、この本に魅せられて探検気分で鈴鹿の山や沢を徘徊したり、あるいは検証したり、時には批判的になったり、そんな人が多くいると思う。そして僕もそのひとりだ。
 この本で絶賛しているのがこの地域であり、ダンダンクボについての記述もある。男鬼山西の大きなくぼ地、つまり巨大ドリーネのことだ。
 読んでみるとなかなか雰囲気の良さそうなところのようであった。
 ずっと宿題を抱えていたダンダンクボ。さあ!いざダンダンクボへ!

 向山を南に下ると向こう側から3人のパーティーが歩いてくる。先頭の人が僕に気づきはっとしたような顔を見せた。一人は女性で一眼レフの立派なカメラを首からぶら下げている。
 「おお、びっくりした。まさかこんなところで人に会うとは・・・。」
 「登山ですか?」僕が聞いてみると「パトロールをしている。」との返事が返ってきた。それにしてはちょっとした登山スタイルであったので、地権者が知り合いを連れての山歩きといった感じだろうか。比婆之山への車道は崩れているよという情報を得て別れた。

 突然地形図にない林道に飛び出した。道は舗装がされていないものの車が充分通れるような道で前方の鉄塔へ向かい、ダンダンクボを回り込むように続いている。新しく作った車用の鉄塔巡視路だろうか。はたまた作業用林道か。
 太い林道を行けば目の前に深く落ち込んだ大きな植林帯があった。ここがダンダンクボだ。
 この巨大ドリーネは数段にわたりくぼんでいるという記述があるが、目の前に現れたダンダンクボは、植林に埋められてしまっていた。
 底まではかなりの高度さがあるようで、縁を回ってみることにしたが鬱蒼と茂るよく育った植林によって全貌が見えない。
 「ここも植林してしまったか。」
 前述の「鈴鹿の山と谷」に掲載されている雰囲気のよい写真とは大違いだった。意気消沈してしまい底まで降りる気持ちも時間もなく、ダンダンクボの中を歩くのはまたの機会になってしまった。よくわからないがゲートさえなければ鉄塔巡視路を車で来れそうだ。
植林されたダンダンクボ
植林されたダンダンクボ
 鉄塔あたりまで戻って男鬼山の北西斜面に取り付く。ここも杉の植林の山だ。手入れがよくされていて木の間が広く歩きやすい。どこでも登れるといった感じの斜面を高度100mほど上がってみると無造作に伐採されて転がる大量の杉の間に男鬼山山頂があった。
 伐採した杉を運び出すといったようでもなく、どうしてこんなふうに切ってしまったのかわからないが、とにかく山頂のみ、やたらに切り開いてある。だがやっぱり展望はない。
 切り開きから太陽が照りつける。暑い。杉の落ち葉の上をコガネムシの小さいのがうごめいている。もう初夏の雰囲気だが幸い風だけは乾いていた。

 ピストンでダンダンクボの脇に戻ってくる。やはりここにはなぜか降りる気が起こらず、地形図にない林道を利用して小峠上まであがり、コンパスを合わせ南に派生する尾根をたどり一気に下り始める。
 標高600mの等高線あたりで不思議なものを見つけた。このあたりも一面植林地なのだが、まさにその尾根上に高さ1mほどの石碑があった。斜面の上部側に「東」裏側に「西」の一文字ずつ。方位的には南北のはずだが、彫りもさほど古くないとはいっても見た感じ明治時代あたりか。
 もちろんいわれ書きがあるでもなく、道型もなく道標でもなさそうだし、もちろん墓標でもないようだ。境界を示している感じでもない。いったいこれはなんだろう?家に帰って「鈴鹿の山と谷」を調べてみると男鬼峠にもひとつあるようで、西尾氏もその存在の意味については不明だと述べている。スタンリーキューブリック監督の「2001年宇宙の旅」に出てくる壁(モノリス)を連想してしまった。いったいどんな目的で、この場所に不思議な石碑が立てられたのか知りたいものである。
不思議な東西と彫られた石碑
不思議な東西と彫られた石碑
 尾根を降りきるとアスファルトの林道に飛び出した。ちょうど男鬼山東斜面へ向う林道と男鬼集落へ向う道の分岐点だ。比婆神社への道を示す道標もある。山仕事を終えた軽トラックの男性が珍しいものでも見るように、またいぶかしそうに僕を見て通り過ぎていく。
 今からまさにその山へと入っていくわけである。お辞儀をすればお辞儀で返してくれた。暗黙の了解が成立したような気分でイワスの斜面を上がり始める。ここも100mほどの高低差の杣道。
 独標639には割れた白いプレートが「イワス」と書かれて転がっていた。ピークというより尾根の分岐点といったほうが正しいのかもしれない。そんな場所でやっぱり展望はない。

 少し鉱山跡へ向ってみることにした。住友セメントがかつて原料を採掘していたところで原石山とも呼ばれている場所だ。途中に面白い人工物がある。谷を越える高低差を少しでも楽にしようとしたのかダム上にコンクリート製の堰堤があり、その上を歩いていける。原石山北端は広場のようになっていた。ここから南方は採掘現場跡の絶壁が続いているようだが、今日は時間の都合でここまでにしておいた。御池岳北にある白石工業跡地のようでマニアにはなかなかのスポットであるらしい。秋狸さんなど見ていたら、すぐにでも行ってみそうだが、彼も子育ての時期に入ってしまっているのでこのレポを見ていないことを祈るのみである。

 踵を返して再度イワスから比婆之山を目指す。高低差の少ない尾根をゆらゆら行けばP669比婆之山山頂に着いた。
 ここは前述のとおり近江高天原の聖地だ。林立するカレンフェルトの岩がその雰囲気を醸し出していて独特な雰囲気である。社はすぐ下にあり、人の声がしていた。車道が続いているようで参拝者が車ででも来ているのだろう。ここでは出雲の国は近江だということになっている。滋賀の歴史の古さを感じる場所でもある。
近江高天原のイワクラ
近江高天原のイワクラ
 さて、ぼちぼち帰りの足を確保しなければならない。ここで多賀町が企画している「ふれ愛タクシー」について書いておこう。
 多賀町の霊仙山の麓など山間部の集落は過疎化が進み、廃村も多く公共の交通機関はとっくの昔に途絶えてしまっている。と、思っていた。ところが調べてみると平成21年10月から高齢者、障がい者を対象に町内移動の交通機関として相乗りタクシーが山奥の集落まで入るようになった。それが平成22年9月から一般にも利用を広げたのである。さっそく多賀町の役場に問い合わせてみると、町外、県外の者でも使ってもよいというありがたい返事をもらった。これでまた鈴鹿の山々がつながった。
 「ふれ愛タクシー」はバスのように各停留所が設けられ、ダイヤもしっかり設定されている。
 登山に使うのであれば、近江鉄道多賀大社前駅を基点に落合、入谷、今畑、山女原、河内の風穴、甲頭倉、保月、杉まで入ることができるのだ。この地域までが1000円/人。その手前は700円、500円と料金設定されている。
 廃村地区までのアクセスルートが確保されているのが実にありがたく、タクシーといった料金設定で1000円なら公共交通機関としてもまあ許諾範囲ではないだろうか。通常料金で走ればおそらく倍ぐらいはかかるだろう。
 ただし、予約制なので最低でも乗車場所のダイヤ1時間前に電話で予約しなくてはならない。
 興味のある人は多賀町へ問い合わせるか、多賀町ホームページ企画課のページを参照の事。
http://www.tagatown.jp/images/taxitebiki.pdf
http://www.tagatown.jp/images/taxihureai.pdf

 比婆之山から近江タクシーに電話をする。携帯のアンテナが1本立つか立たないぐらいだ。甲頭倉の乗り場を教えてもらうのに、時間がかかって電波状態がヒヤヒヤ物だった。要領を得ないので電話の向こう側の近くにいた運転手に代わってもらえば、明瞭な位置の指示で事なきを得た。要するに河内風穴に向かう道まで出ろということなのだ。そこに停留所があり、集落の奥までは入らないし、ゲートがあって入れないとのこと。気が付けば5分ほど受付係の女性と話していた。おそらく登山者からの依頼は初めてで、山頂からの電話に対する戸惑いがあったのかもしれない。
 これで約2時間後の18:17発を予約できた。まずはほっとして水分を補給する。
 2L持っていたアクエリアスも500ccほど残っている。今日は暑かった。
 さあ、下ろう!。

 地形図を見て、比婆之山から南東に伸びる尾根に乗る。尾根上のピークを越える手前から始まる破線はハナシノ越えと呼ばれる鞍部を通り小尾根を横切ってハナシ谷を下り甲頭倉へと続いている。
 住人のある集落でもこういった道は廃道になっている可能性が高いのだが、ましてや廃村になって久しい甲頭倉への破線道は、案の定、踏み跡すら見つけることが出来なかった。ただ単に杉の植林地の斜面しか見当たらない。右往左往してみるがこれがあせりになってきてしまった。徒労に終わる時間だけが過ぎて行く。仕方が無いので破線が横断するところを発見するのを期待して尾根を下ることにした。
 やはりそんな破線のような踏み跡に出会うこともなく、時折見せるカレンフェルトの破線の西の尾根をスピードを増しながら下っていった。
 カレンフェルトを時には巻き、時には乗り越えながら快調に飛ばしていたときだった。思わずドッキリして急ブレーキをかけて立ち止まらねばならなかった。カレンフェルトの向こう側に直径1mほどであろうか、竪穴がすっぽりと開いているのだ。足がすくんだ。調子に乗って下っていれば、また闇下であったなら・・・・。ぞっとしてさらに足がすくんだ。近くに寄ればザザーッと吸い込まれそうで2mほど離れてみるが、底が見えずかなり深そうである。
 大胆な想像だが河内の風穴まで続いているのかもしれない。
 それからというもの落ち葉で敷き詰められたところも、作られた落とし穴があるような気がして慎重にくだることになった。
 やがて谷が見えてくるとすぐに大きな砂防ダムの上に立っていた。水のない伏流の谷のダムは下の甲頭倉への生活用水のための浄水ダムもかねているようで、コンクリート製の構造物から水をジャージャーと吐き出している。
 ふと下を見ると甲頭倉最奥部の家が見えた。そこには登山者のものか車が一台止まっていた。

 やっと甲頭倉までたどり着いた。足早に村の道に下りようと歩を進めると、その民家から男の人が出てきて僕のほうに向って声を上げた。びっくりした。
 「お~い、何してんだ~!どっから来たんだ~!」
 近くまで降りるとその人はこう言った。
 「まさか人が降りてくるとは思わんからびっくりするじゃないか~。」
 僕「ぼくもびっくりしました。この車は登山者のものかと思いましたよ。今朝醒ヶ井から山通しで来ました。」
 「よおきたなぁ」
 僕「ここは甲頭倉ですよねぇ」
 「そうだここが甲頭倉の一番奥の家だ。悪いことしに来るやつもあるからそうかと思ったぞ。」
 言葉とは裏腹に笑顔が気持ちのよいおじさんである。年のころなら70歳ちょっとまえぐらいだろうか、毎週ここへ来て自分の旧家を守っているそうだ。かれこれ甲頭倉の話や付近の山のことなど10分ほど話し込んだだろうか。
 「これからどうやって帰るんだ?」
 僕「下にふれ愛タクシーを呼んでありますのでそれに乗ります。」
 「おい、歩いて行くと小一時間かかるぞ」
 僕「知ってます。歩いても間に合う時間だと思います。」
 「ちょうど今から自宅の多賀まで帰るところだから乗せて行ってやる。最後まで歩くつもりならそれでもいいが。」
 ちょっぴり迷ったが、この感じの良いおじさんに甘えることにした。
 「多賀まで乗っていけ」とも言ってくれたのだが、ふれ愛タクシーを予約してあるのでそれは丁重にお断りして甲頭倉入口の道まで送ってもらった。
 途中いろんな話が聞けた。この坂道でかんじきを履いて数時間かけて小学校へ通った話とか、寺を守る話とか、お盆には一同がここのお寺に会するとか、話は尽きず残念ではあったが、丁寧にお礼を申し上げ別れた。
 甲頭倉の入口はゲートでふさがれ、鍵がかけてある。もちろんこのおじさんは鍵を持っていて僕らが出た後にゲートを閉鎖した。

 さて、タクシーが来るまで小一時間も時間が余ってしまった。目の前を流れる芹川は透明な色をして傾いた太陽に反射してキラキラ光っている。とりあえず河原に降りて一人祝杯用の缶ビールをせせらぎに冷やす。顔を洗い、体を拭いていると甲頭倉入口の3軒の家のひとつからおじいさんが出てきて河原に下りてきた。どうだろう80歳は超えているかもしれない。
 挨拶からまた話が繋がった。来客というか、珍客というか僕が珍しかったのかもしれない。このおじいさんは甲頭倉ただ一人の住人のようで、いろんな話が聞けた。分校の話、村の昔話。このおじいさんも僕にどこから来た?というので、
 「醒ヶ井からず~っと来ました。」というと、驚くこともなく、
 「わしも小学校の遠足でここから醒ヶ井の養鱒場までよく行ったわい。」
 エ~ッ!と思えば何のことは無い、この道を落合まで行って汗ふき峠を越えれば養鱒場なのだ。
 かなり距離があることはあるが、思わず苦笑いを通り越して大笑いになってしまった。
 そんな話の中この道が拡張されおじいさんの家も立ち退きの対象になっていることを聞く。なんでも醒ヶ井から多賀まですり替わりのできる道を作る計画らしい。ということは汗ふき峠も消滅なのか。
 「ワシは立ち退かんけどな。」
 それは長い年月ここを離れなかった思いがこめられていた言葉だった。がんばれ!おじいさん!
 話がひと段落すれば、おじいさんも河原の畑の作物に水やりが始まった。僕はといえばビールもいい加減に冷えてきたので一人で祝杯だ。

 ほろ酔い加減になった頃、定刻よりはやく「ふれ愛タクシー」がやってきた。
 乗車するなりメーターを倒した。えっ?と思って話を聞いてみると、メーターは正規でちゃんと動かして差額を多賀町が補助するというシステムのようだ。多賀町民でもなく、ましてや他府県の者が利用するのはあらためて気が引けるが、事前に役場に確認してあるので別に問題ではないのだろう。
 運転手も気さくな人で、ここでも話が弾んだ。この便は僕一人で多賀大社駅まで、どこにも寄らずに直行してくれるとのこと。普段4人満車になることはめったに無いという。ここで疑問が出てきたので聞いてみた。
 「4人乗った場合4000円になるんですが、これってメーター表示よりも高くなりませんか?」
 「そこはちゃんと運行ごとに多賀町に報告書を出して4000円からメーター表示の金額を差し引いて残りの金額を今度はこちらから多賀町のほうへ支払っているんだよ。」
 「なるほど、町と持ちつ持たれつなんですね。」 なかなか良いアイデアだ。
 ともかく乗り合いタクシーという変則的な公共交通機関ではあるが、廃村地区へのアクセスが確立できたのはうれしい限りである。

 近江カルスト台地と呼ばれるものの、丘を見渡し、展望のよい場所からカレンフェルトの醍醐味を味わうようなところではなかった。だが、大きく感じたことは、そこは今も人の生活の息吹が感じられる山域で、山はしっかりとした手入れの施してある植林帯であり、林道、杣道では作業する人に出会う。
 ただ単に目の前の山に登るという行為でも、鞍部、または峠に立ち、次の山へと向うとき「お邪魔します」と声が出てしまうような山域と感じた。
 そして廃村といわれている村を、家を、寺を守る人たちを通じて人の営みとは何かを問われているような気さえ覚えた。
 生き残った村、西坂のお寺を守る人々、甲頭倉のお寺の話をとくとくと話すおじさん。立ち退きの不安を語りながら芹川の流れを見つめるおじいさん。
 鈴鹿の滋賀県側に暮らす人々の息づかいが山中のいたるところから聞こえてくる。単独行であるからこそ余計に感じるのだろうか。

 多賀大社駅からの近江鉄道はワンマンカーでコトコト走る。高宮で乗り換え、彦根での長い停車をうつらうつら過ごして、やがて米原が近づけば右手に八葉山に乗せた鉄塔が見える。
 「また来るからね。」そうつぶやけば周りの景色がだんだんと暗くなってきた。

 米原でJRに乗り換える。今日は土日専用のフリー切符「青空フリーパス」を使っている。利用で西の端は米原、北は下呂、北平沢、飯田、東は豊橋、二川、南は鳥羽、紀伊長島までが普通、快速、一日乗り放題で2500円だ。
 「甲頭倉の二人にまた会いたいなぁ。」そんなことを思いながら旅の余韻につつまれ目を閉じる。
 気が付けば列車は岐阜を過ぎていた。

[zoomit]http://zoom.it/6iHb[/zoomit]

(山頂などの画像は返信のときなどにアップするかも・・・・。)

つう
通風山
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柳川洞吹
記事: 681
登録日時: 2011年2月22日(火) 22:07
お住まい: クルマの中(簡易旅館仕様車)

Re: 【鈴鹿】近江カルスト台地・醒ヶ井~甲頭倉を繋ぐ山旅<公共交通機関利用>

投稿記事 by 柳川洞吹 »

通風山さん こんばんは

矢継ぎ早に繰り出す公共交通機関利用の山旅ですね。

 やがて米原市立河南中学校の前を通り過ぎるとこんな看板が立ててあった。
 まさにヘ○タ○登山をしようとしている自分とダブってしまって驚愕する。足早に中学校の前を過ぎ去ったのはいうまでもない。


むむ、これでは誰かさんなんかシッポブラブラさせてたら、このあたりを迂闊に歩けないぞ。
つうさんも自覚してるんですか。
ワシは大丈夫だけどね。

 名神高速米原ジャンクションの手前を米原工業団地のほうへむかう。ヤマヤとアイリスオーヤマの間を行けばやがて道は上り坂になり西坂の集落へと続いている。

ワシも、2年前にここから松尾寺山と八葉山に登ったことありますよ。
アイリスオーヤマの前あたりにクルマを置いてね。

 突然右手にお地蔵さんが現れる。いかにも古そうなお地蔵さんで、案内板に「咲(えみの)地蔵」とあり、
 はっきりとしたよい道で、一本杉の地蔵峠だ。根元にはこれまた古そうな大日如来の石仏が鎮座していて、このあたりが宗教の山であったことがあらためて知ることが出来る。


昔はお参りする人も多かったのでしょうね。

  踏み跡がちょっぴり薄くなった八葉山への尾根道で琵琶湖方面が開けた。やがて高圧線鉄塔の開けた場所に飛び出せば、近江一帯の景色を眺め琵琶湖から吹いてくる風に汗も乾く。

この鉄塔の立つ斜面から見る琵琶湖と湖岸の景色は圧巻でした。

 八葉山から西に伸びる尾根を末端まで行ってみようと歩き出す。
 下にアスファルトの林道が見えてくる。見えている割に現在地の高度が高い。嫌な予感だ。
 尾根の末端は危惧していたとおり切通しの絶壁だった。またやってしまった。


ちょっと木が多いけど感じのいい尾根を下りて、最後は左へ浅い小谷を下りると、新林道に気持ちよく着地でした。

 また小谷を探してなんとか降り立てば案内板がある。鎌刃城跡への案内板だ。この先の尾根に立派なお城があったらしい。予習不足であったのでここも次回のお楽しみとして、水のない側溝に足を突っ込んで腰をおろし、またもや地形図とにらめっこだ。

ワシのときは、ここから鎌刃城跡を通って米原ジャンクションン方面に下りて帰りました。
その名のとおり鎌の刃のように鋭い細尾根を擁するこの山城の跡は、なかなか見応えがありましたよ。

 この本で絶賛しているのがこの地域であり、ダンダンクボについての記述もある。男鬼山西の大きなくぼ地、つまり巨大ドリーネのことだ。
 読んでみるとなかなか雰囲気の良さそうなところのようであった。
 ずっと宿題を抱えていたダンダンクボ。さあ!いざダンダンクボへ!
 太い林道を行けば目の前に深く落ち込んだ大きな植林帯があった。ここがダンダンクボだ。


興味の湧く地形で期待感充分、つうさんも盛り上がってますね。

 この巨大ドリーネは数段にわたりくぼんでいるという記述があるが、目の前に現れたダンダンクボは、植林に埋められてしまっていた。
 底まではかなりの高度さがあるようで、縁を回ってみることにしたが鬱蒼と茂るよく育った植林によって全貌が見えない。
 「ここも植林してしまったか。」
 前述の「鈴鹿の山と谷」に掲載されている雰囲気のよい写真とは大違いだった。意気消沈してしまい底まで降りる気持ちも時間もなく、ダンダンクボの中を歩くのはまたの機会になってしまった。


このあたりの植林化はいたしかたないでしょうが、せっかく盛り上がったのに、ちょっぴり残念でしたね。

 さて、ぼちぼち帰りの足を確保しなければならない。ここで多賀町が企画している「ふれ愛タクシー」について書いておこう。
 登山に使うのであれば、近江鉄道多賀大社前駅を基点に落合、入谷、今畑、山女原、河内の風穴、甲頭倉、保月、杉まで入ることができるのだ。


こんなタクシーが走ってるんだ。
よく見つけましたね。

 カレンフェルトを時には巻き、時には乗り越えながら快調に飛ばしていたときだった。思わずドッキリして急ブレーキをかけて立ち止まらねばならなかった。カレンフェルトの向こう側に直径1mほどであろうか、竪穴がすっぽりと開いているのだ。足がすくんだ。調子に乗って下っていれば、また闇下であったなら・・・・。ぞっとしてさらに足がすくんだ。近くに寄ればザザーッと吸い込まれそうで2mほど離れてみるが、底が見えずかなり深そうである。

うわー、危ないなあ。
石灰岩の山は油断できないですね。

 さて、タクシーが来るまで小一時間も時間が余ってしまった。目の前を流れる芹川は透明な色をして傾いた太陽に反射してキラキラ光っている。とりあえず河原に降りて一人祝杯用の缶ビールをせせらぎに冷やす。

こんなところに自販機なんかないし、どうするのかと思ったら、ちゃんと1本隠し持ってるんじゃないですか。
さすがです。
しかし、2リッターペットボトルも持ってたし、水分だけでけっこうな重量になってますね。

 ほろ酔い加減になった頃、定刻よりはやく「ふれ愛タクシー」がやってきた。

お迎えでごんす。

 近江カルスト台地と呼ばれるものの、丘を見渡し、展望のよい場所からカレンフェルトの醍醐味を味わうようなところではなかった。だが、大きく感じたことは、そこは今も人の生活の息吹が感じられる山域で、山はしっかりとした手入れの施してある植林帯であり、林道、杣道では作業する人に出会う。
 ただ単に目の前の山に登るという行為でも、鞍部、または峠に立ち、次の山へと向うとき「お邪魔します」と声が出てしまうような山域と感じた。


一帯はかつての住人の生活の場だったわけですから、他人の裏山に勝手に入って行くような感覚なんでしょうね。
ワシも、そのうちゆっくりと、点在する武奈、男鬼、甲頭倉などの廃村を訪ねてみたいと思います。

よい山旅を!
                               洞吹(どうすい)
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通風山
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登録日時: 2011年2月11日(金) 08:12
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Re: 【鈴鹿】近江カルスト台地・醒ヶ井~甲頭倉を繋ぐ山旅<公共交通機関利用>

投稿記事 by 通風山 »

洞吹さん、こんばんは。
矢継ぎ早に繰り出す公共交通機関利用の山旅ですね。
はいな、今年はちょっと公共交通機関にこだわってみようかなと思っております。
鈴鹿界隈でまだまだ繋げそうですので、縦走ルート、横断ルートが増えそうです。
 やがて米原市立河南中学校の前を通り過ぎるとこんな看板が立ててあった。
 まさにヘ○タ○登山をしようとしている自分とダブってしまって驚愕する。足早に中学校の前を過ぎ去ったのはいうまでもない。

むむ、これでは誰かさんなんかシッポブラブラさせてたら、このあたりを迂闊に歩けないぞ。
つうさんも自覚してるんですか。
ワシは大丈夫だけどね。
面白い看板でしょ。あんな看板立てられたら、真っ直ぐ前を向いてわき目も振らずに歩くしかないでしょ。
 名神高速米原ジャンクションの手前を米原工業団地のほうへむかう。ヤマヤとアイリスオーヤマの間を行けばやがて道は上り坂になり西坂の集落へと続いている。

ワシも、2年前にここから松尾寺山と八葉山に登ったことありますよ。
アイリスオーヤマの前あたりにクルマを置いてね。
そうそう、行く前にヤブコギ検索猿人で尋ねたら、洞吹さんの八葉山からの画像にヒットしました。
きっと洞吹さんからレスもらえるなと・・・・。 ;)
  踏み跡がちょっぴり薄くなった八葉山への尾根道で琵琶湖方面が開けた。やがて高圧線鉄塔の開けた場所に飛び出せば、近江一帯の景色を眺め琵琶湖から吹いてくる風に汗も乾く。

この鉄塔の立つ斜面から見る琵琶湖と湖岸の景色は圧巻でした。
ほぼ同じ位置から僕の見た景色はこうです。ちょっと春霞で琵琶湖はくっきり見えなくて残念でした。
八葉山手前の鉄塔からの眺望
八葉山手前の鉄塔からの眺望
 八葉山から西に伸びる尾根を末端まで行ってみようと歩き出す。
 下にアスファルトの林道が見えてくる。見えている割に現在地の高度が高い。嫌な予感だ。
 尾根の末端は危惧していたとおり切通しの絶壁だった。またやってしまった。

ちょっと木が多いけど感じのいい尾根を下りて、最後は左へ浅い小谷を下りると、新林道に気持ちよく着地でした。
ここはきっと同じところに降りましたね。
 また小谷を探してなんとか降り立てば案内板がある。鎌刃城跡への案内板だ。この先の尾根に立派なお城があったらしい。予習不足であったのでここも次回のお楽しみとして、水のない側溝に足を突っ込んで腰をおろし、またもや地形図とにらめっこだ。

ワシのときは、ここから鎌刃城跡を通って米原ジャンクションン方面に下りて帰りました。
その名のとおり鎌の刃のように鋭い細尾根を擁するこの山城の跡は、なかなか見応えがありましたよ。
そうなんだ、行けばよかった。また宿題ができちゃった。
このあたりが周回のいいとこと、縦走の悪いとこですね。
鎌刃城の説明板1
鎌刃城の説明板1
鎌刃城の説明板2
鎌刃城の説明板2
 この巨大ドリーネは数段にわたりくぼんでいるという記述があるが、目の前に現れたダンダンクボは、植林に埋められてしまっていた。
 底まではかなりの高度さがあるようで、縁を回ってみることにしたが鬱蒼と茂るよく育った植林によって全貌が見えない。
 「ここも植林してしまったか。」
 前述の「鈴鹿の山と谷」に掲載されている雰囲気のよい写真とは大違いだった。意気消沈してしまい底まで降りる気持ちも時間もなく、ダンダンクボの中を歩くのはまたの機会になってしまった。

このあたりの植林化はいたしかたないでしょうが、せっかく盛り上がったのに、ちょっぴり残念でしたね。
「鈴鹿の山と谷」では写真が苗木みたいなのですが、それがどうも成長してしまって・・・・・・。
地形図で見るとすごいでかいドリーネです。せっかくなのでここだけもう一度行って最低部まで降りてみようと思っていますよ。
 さて、ぼちぼち帰りの足を確保しなければならない。ここで多賀町が企画している「ふれ愛タクシー」について書いておこう。
 登山に使うのであれば、近江鉄道多賀大社前駅を基点に落合、入谷、今畑、山女原、河内の風穴、甲頭倉、保月、杉まで入ることができるのだ。

こんなタクシーが走ってるんだ。
よく見つけましたね。
だいたいこういうときは役所のホームページから、公営バスはないかどうか調べてみるとあるもんです。
今回は乗り合いタクシーでしたが、ちょっと1000円は高いかな。でもないよりましです。
 カレンフェルトを時には巻き、時には乗り越えながら快調に飛ばしていたときだった。思わずドッキリして急ブレーキをかけて立ち止まらねばならなかった。カレンフェルトの向こう側に直径1mほどであろうか、竪穴がすっぽりと開いているのだ。足がすくんだ。調子に乗って下っていれば、また闇下であったなら・・・・。ぞっとしてさらに足がすくんだ。近くに寄ればザザーッと吸い込まれそうで2mほど離れてみるが、底が見えずかなり深そうである。

うわー、危ないなあ。
石灰岩の山は油断できないですね。
よく行方不明になって出てこないパターンがこのパターンなのかもしれません。
考えるだけでオソロシヤ~~~。、
 さて、タクシーが来るまで小一時間も時間が余ってしまった。目の前を流れる芹川は透明な色をして傾いた太陽に反射してキラキラ光っている。とりあえず河原に降りて一人祝杯用の缶ビールをせせらぎに冷やす。

こんなところに自販機なんかないし、どうするのかと思ったら、ちゃんと1本隠し持ってるんじゃないですか。
さすがです。
しかし、2リッターペットボトルも持ってたし、水分だけでけっこうな重量になってますね。
これがないとね。下山後の楽しみです。
2Lのほかに腹の周りにも3Lぐらいあると思います。
一帯はかつての住人の生活の場だったわけですから、他人の裏山に勝手に入って行くような感覚なんでしょうね。
ワシも、そのうちゆっくりと、点在する武奈、男鬼、甲頭倉などの廃村を訪ねてみたいと思います。
廃村めぐりもテーマになるかと思いますが、いざ見てみると屋根が落ち、壁がくずれて中の家財道具が見えている家もあって、見てはいけないものを見てしまったという気がしますよ。
なんかねぇ、複雑な気分ですわ。
よい山旅を!
ありがとうございます。洞吹さんも!
展望の無い八葉山山頂
展望の無い八葉山山頂

つう
通風山
とっちゃん
記事: 325
登録日時: 2011年2月20日(日) 21:02

Re: 【鈴鹿】近江カルスト台地・醒ヶ井~甲頭倉を繋ぐ山旅<公共交通機関利用>

投稿記事 by とっちゃん »

つうさん、こんばんは~。

[quote]湖東の山村から近江カルスト台地へ、西坂、地蔵峠、八葉山、向山、男鬼山、ダンダンクボ、イワス、比婆之山、甲頭倉

【 日 付 】2011年5月21日(土)
【 山 域 】 鈴鹿北部
【メンバー】あろん
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】常滑6:02++6:46金山6:55++8:08醒ヶ井8:17--中仙道--9:17西坂集落--10:07地蔵峠--11:00八葉山--11:47林道11:53--12:06P421--13:06向山13:25--13:57地形図上にない林道--14:15男鬼山14:22--15:32イワス--15:40原石山(鉱山北端)--16:02比婆之山16:20--16:34下降点--17:05甲頭倉浄水堰堤--17:07甲頭倉最奥民家==17:15ふれ愛タクシー甲頭倉乗車停18:08==18:23多賀大社前駅18:26++18:31高宮18:34++19:03米原19:34++20:46金山20:49++21:27常滑
【交通費】
JR青空フリーパス 2500円
多賀町予約型乗り合いタクシー「ふれ愛タクシー」  1000円
近江鉄道 多賀大社前~米原  460円
    合計    3960円(名古屋発着)

は~。よう歩いたね~。この日は、いいお天気で、暑かったでしょ。
今回も、交通機関乗り継いで行ったのね。調べるだけでも一週間かかっちゃいそう~。ため息がでちゃう。


  駅の表階段に座り込んで、登山口までのアプローチが詳細に記されている奥村さんの絵地図を見る。街中ではこの絵地図が威力を発揮する。

そんなふうに絵地図を見たことがなかったわ。

 
八葉山のドーム型に反比例するように大きなドリーネも点在するようで、南には「ミズガクボ」と呼ばれるくぼ地がある、ここも気にはなったが次回のお楽しみにとっておこう。

こういうとこっと、行ってみたくなっちゃいますよね。自然のままで残ってるといいんだけど。


 八葉山から西に伸びる尾根を末端まで行ってみようと歩き出す。尾根にそびえるブナが目立つ。気になって幹周りをシュリンゲ3本で計ってみた。帰宅後計りなおすと260cmほどあった。地蔵峠から八葉山西尾根までブナの巨木が多い。とりわけ八葉山山頂手前直下の高圧鉄塔上部のひこばえのブナはまとめるとかなり太い。

ブナが出てきましたか。そりゃよかったね~。なんだかほっとするね~。


 また小谷を探してなんとか降り立てば案内板がある。鎌刃城跡への案内板だ。この先の尾根に立派なお城があったらしい。予習不足であったのでここも次回のお楽しみとして、水のない側溝に足を突っ込んで腰をおろし、またもや地形図とにらめっこだ。

行った先で、新たに興味の湧く場所に出会えるのは、いいね~。

 鞍部に出て一休み。カレンフェルトがすばらしい。っていうか共同墓地みたいだ。さあ、あと高度100m弱の登りはヨタヨタと登る。あかん、疲れてきた。
 ひいひい言いながら向山に着く。午後1時になってしまった。展望のない三角点に抱きつくようにへたり込んでぺちゃんこになった菓子パンを2個かじる。そうだ、アミノバイタルがあったぞ。


ひいひい言いながらも、アミノバイタルで、パワーが出ましたか?

 かれこれ10年ほど前になろうか、愛知厚顔氏と知り合い、松尾寺山と八葉山を案内してもらったことがある。
 松尾寺の歴史とか霊仙山の考察とか、氏ならではの知識ですごく興味がそそられたのを思い出していた。
 そんな折に後日一通の手紙をいただいた。「ダンダンクボ」にいってきました。云々・・・。ダンダンクボって?なんだろう。 「鈴鹿の山と谷」(西尾寿一著)という本がある。この本が世に出てからというもの、この本に魅せられて探検気分で鈴鹿の山や沢を徘徊したり、あるいは検証したり、時には批判的になったり、そんな人が多くいると思う。そして僕もそのひとりだ。この本で絶賛しているのがこの地域であり、ダンダンクボについての記述もある。男鬼山西の大きなくぼ地、つまり巨大ドリーネのことだ。読んでみるとなかなか雰囲気の良さそうなところのようであった。ずっと宿題を抱えていたダンダンクボ。さあ!いざダンダンクボへ!

なんだか楽しみだね~。いつかいつかと思っていた場所に向かうのは。愛知厚顔さんは、お元気にしてらっしゃいますか?

 向山を南に下ると向こう側から3人のパーティーが歩いてくる。先頭の人が僕に気づきはっとしたような顔を見せた。一人は女性で一眼レフの立派なカメラを首からぶら下げている。
 「おお、びっくりした。まさかこんなところで人に会うとは・・・。」
 「登山ですか?」僕が聞いてみると「パトロールをしている。」との返事が返ってきた。それにしてはちょっとした登山スタイルであったので、地権者が知り合いを連れての山歩きといった感じだろうか。比婆之山への車道は崩れているよという情報を得て別れた。

鈴鹿の山の自然を守るパトロールではないのかしら?知人に、そのような活動をしている方がありますが。

 太い林道を行けば目の前に深く落ち込んだ大きな植林帯があった。ここがダンダンクボだ。
 この巨大ドリーネは数段にわたりくぼんでいるという記述があるが、目の前に現れたダンダンクボは、植林に埋められてしまっていた。
 底まではかなりの高度さがあるようで、縁を回ってみることにしたが鬱蒼と茂るよく育った植林によって全貌が見えない。
 「ここも植林してしまったか。」

うう~。悲しいですね。やっと訪れたのに・・・。

  尾根を降りきるとアスファルトの林道に飛び出した。ちょうど男鬼山東斜面へ向う林道と男鬼集落へ向う道の分岐点だ。比婆神社への道を示す道標もある。山仕事を終えた軽トラックの男性が珍しいものでも見るように、またいぶかしそうに僕を見て通り過ぎていく。
 今からまさにその山へと入っていくわけである。お辞儀をすればお辞儀で返してくれた。暗黙の了解が成立したような気分でイワスの斜面を上がり始める。ここも100mほどの高低差の杣道。
 独標639には割れた白いプレートが「イワス」と書かれて転がっていた。ピークというより尾根の分岐点といったほうが正しいのかもしれない。そんな場所でやっぱり展望はない。

男鬼・イワス周辺、一度知人に連れていってもらったことがあります。ほんとに、この周辺は、不思議な地名がありますね。

 踵を返して再度イワスから比婆之山を目指す。高低差の少ない尾根をゆらゆら行けばP669比婆之山山頂に着いた。
 ここは前述のとおり近江高天原の聖地だ。林立するカレンフェルトの岩がその雰囲気を醸し出していて独特な雰囲気である。社はすぐ下にあり、人の声がしていた。車道が続いているようで参拝者が車ででも来ているのだろう。ここでは出雲の国は近江だということになっている。滋賀の歴史の古さを感じる場所でもある。

色々調べて来てるですね~。歴史を知ると、不思議な気分になるし、次々と興味が湧いてきますね。 

「ふれ愛タクシー」はバスのように各停留所が設けられ、ダイヤもしっかり設定されている。
 登山に使うのであれば、近江鉄道多賀大社前駅を基点に落合、入谷、今畑、山女原、河内の風穴、甲頭倉、保月、杉まで入ることができるのだ。この地域までが1000円/人。その手前は700円、500円と料金設定されている。廃村地区までのアクセスルートが確保されているのが実にありがたく、タクシーといった料金設定で1000円なら公共交通機関としてもまあ許諾範囲ではないだろうか。

ほんとよく調べてること。そんな、交通機関が設定されているんですね~。

カレンフェルトを時には巻き、時には乗り越えながら快調に飛ばしていたときだった。思わずドッキリして急ブレーキをかけて立ち止まらねばならなかった。カレンフェルトの向こう側に直径1mほどであろうか、竪穴がすっぽりと開いているのだ。足がすくんだ。調子に乗って下っていれば、また闇下であったなら・・・・。ぞっとしてさらに足がすくんだ。近くに寄ればザザーッと吸い込まれそうで2mほど離れてみるが、底が見えずかなり深そうである。
 大胆な想像だが河内の風穴まで続いているのかもしれない。
 それからというもの落ち葉で敷き詰められたところも、作られた落とし穴があるような気がして慎重にくだることになった。

 急ブレーキがしっかりきいてよかったね~。石灰岩の山は、ほんと怖いね~。 

 ほろ酔い加減になった頃、定刻よりはやく「ふれ愛タクシー」がやってきた。 ともかく乗り合いタクシーという変則的な公共交通機関ではあるが、廃村地区へのアクセスが確立できたのはうれしい限りである。


ほろ酔いで、タクシーを待つっていうのも、交通機関での山行の楽しみだね~。 

ただ単に目の前の山に登るという行為でも、鞍部、または峠に立ち、次の山へと向うとき「お邪魔します」と声が出てしまうような山域と感じた。
 そして廃村といわれている村を、家を、寺を守る人たちを通じて人の営みとは何かを問われているような気さえ覚えた。
 生き残った村、西坂のお寺を守る人々、甲頭倉のお寺の話をとくとくと話すおじさん。立ち退きの不安を語りながら芹川の流れを見つめるおじいさん。
 鈴鹿の滋賀県側に暮らす人々の息づかいが山中のいたるところから聞こえてくる。単独行であるからこそ余計に感じるのだろうか。

味わいのある山行だったね~。人との出会いもまた。

☆~~とっちゃん(都津茶女)~☆。




 
宮指路
記事: 1008
登録日時: 2011年2月27日(日) 21:13

Re: 【鈴鹿】近江カルスト台地・醒ヶ井~甲頭倉を繋ぐ山旅<公共交通機関利用>

投稿記事 by 宮指路 »

通風山さん、こんにちは

電車・バスでつなぐ山旅はその計画にいろいろ思いを巡らせることが楽しいでしょうね。
お座なりのコースではなくて自分で手作りのコースを考えるのが楽しみですね。

【メンバー】あろん

心強いお供がいますね

コースも男鬼山、ダンダンクボ、イワスとか何だか気になる地名が多いです
「おおり山」なんかは特に気になります。

待望のダンダクボは期待外れでしたね。下まで行っても真っ暗では仕方がありませんからね。

この地図ソフトは素晴らしいですね。
通風山ならではの高度なテクニックですね。
 
 
                                            宮指路
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通風山
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記事: 942
登録日時: 2011年2月11日(金) 08:12
お住まい: 愛知県常滑市

Re: 【鈴鹿】近江カルスト台地・醒ヶ井~甲頭倉を繋ぐ山旅<公共交通機関利用>

投稿記事 by 通風山 »

宮指路さん、こんにちは。
公共交通機関の利用は当分続けようかと思っています。
時間はかかりますが、そのぶん、のんびり出来ますし、費用も単独の場合あまりかわりません。

【メンバー】あろん

心強いお供がいますね


あ、これ alone 【たった一人】っていう意味です。

コースも男鬼山、ダンダンクボ、イワスとか何だか気になる地名が多いです
「おおり山」なんかは特に気になります。

待望のダンダクボは期待外れでしたね。下まで行っても真っ暗では仕方がありませんからね。


最も深いところまでは行ってないので、行ってみようかなと思っていますが、きっと植林だと思います。

この地図ソフトは素晴らしいですね。
通風山ならではの高度なテクニックですね。


これは落第忍者さんのパクリです。いずれ使い方を紹介せねばなりませんね。
まずカシミールから地図画像を作るところからですが、TWさんとはちょっと方法が違います。
zoom.itの簡単な説明はこちら。
まずは地図画像を作成して、インターネット上に画像を保存できる状態が必要です。
http://ikubon.com/wp/2010/08/zoom-it/


つう 
通風山
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通風山
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記事: 942
登録日時: 2011年2月11日(金) 08:12
お住まい: 愛知県常滑市

Re: 【鈴鹿】近江カルスト台地・醒ヶ井~甲頭倉を繋ぐ山旅<公共交通機関利用>

投稿記事 by 通風山 »

とっちゃん、こんにちは~ :D

は~。よう歩いたね~。この日は、いいお天気で、暑かったでしょ。
今回も、交通機関乗り継いで行ったのね。調べるだけでも一週間かかっちゃいそう~。ため息がでちゃう。

低山とはいえ登ったり降りたりで、ヘロヘロでした。
時刻表はYAHOOの経路探索を基本的に使っています。慣れれば簡単に遊べますよ。
http://transit.map.yahoo.co.jp/
甲頭倉停車場
甲頭倉停車場
八葉山のドーム型に反比例するように大きなドリーネも点在するようで、南には「ミズガクボ」と呼ばれるくぼ地がある、ここも気にはなったが次回のお楽しみにとっておこう。

こういうとこっと、行ってみたくなっちゃいますよね。自然のままで残ってるといいんだけど。

近々もう一回行こうと思っていますよ。底のほうは植林されてないのかなぁとも思うし。どうなんだろ?
とにかく鈴鹿で最大のドリーネだと思うよ。
ダンダンクボ、ミズガクボ
ダンダンクボ、ミズガクボ
 八葉山から西に伸びる尾根を末端まで行ってみようと歩き出す。尾根にそびえるブナが目立つ。気になって幹周りをシュリンゲ3本で計ってみた。帰宅後計りなおすと260cmほどあった。地蔵峠から八葉山西尾根までブナの巨木が多い。とりわけ八葉山山頂手前直下の高圧鉄塔上部のひこばえのブナはまとめるとかなり太い。

ブナが出てきましたか。そりゃよかったね~。なんだかほっとするね~。

太いブナがいっぱいありました。260cm以上のもずいぶんありましたよ。

 また小谷を探してなんとか降り立てば案内板がある。鎌刃城跡への案内板だ。この先の尾根に立派なお城があったらしい。予習不足であったのでここも次回のお楽しみとして、水のない側溝に足を突っ込んで腰をおろし、またもや地形図とにらめっこだ。

行った先で、新たに興味の湧く場所に出会えるのは、いいね~。

今回向山以南は初めてだったんだけど、面白いと思うよあのあたり。でももう少しすると蛭の巣窟かも・・・。

味わいのある山行だったね~。人との出会いもまた。
何年かに一回はさまよってもいいかも・・・。
甲頭倉の住民の上水施設
甲頭倉の住民の上水施設
甲頭倉入口のおじいさんの家
甲頭倉入口のおじいさんの家
通風山
閉鎖