【東紀州】三田谷の頭から雪の大台ケ原を眺める
Posted: 2014年1月30日(木) 10:57
【 日 付 】2014年1月29日(水)
【 山 域 】東紀州
【メンバー】単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】三木里06:45----八鬼山09:00----三田谷の頭10:10----明治道分岐11:35----三木里13:35
少し暖かい真冬の晴れの日、やぶこぎせず山歩きをして、明るい東紀州の山から雪の大台ケ原を遠望した。
三重県尾鷲市三木里海水浴場に駐車し、沓川に沿って北側の山間に入り、熊野古道八鬼山道で江戸道を往路に登った。
熊野古道であり近畿自然歩道であるが、ハイキングコースと侮ってはいけない。
まず、ハイカーは地元から歓迎されていない。特に、平日の昼間にウロウロしている男は不審者的であり、ろくな職業でないなと思われても仕方がない。リュックサック担いでステッキをもってトレッキングシューズで歩いているのだから、ゴミ不法投棄に来た訳ではなく、空き巣に来た訳でもないと分かって欲しいなと思う。しかし、この地では、ハイキングにくることも歓迎されていない様で、立ち木や看板に明示されている。
また、道の整備状況がハイキングコース的ではない。そもそもハイカーが歓迎されていないのだから、道が整備されていないのも当然である。いや、逆に、古道らしく荒れた雰囲気を意図的に残しているのかも知れない。それでも、かつてはハイキングコースとして整備された道であり、あちこちに道標があって迷うことなく、時々案内板で新しい知識を加えつつ歩くことが出来た。
江戸道の十五郎茶屋跡に上り着いた時、浜に打ち寄せる波の音が聞こえた様な気がした。地図を見ると海までは結構な距離があるので、波音は気のせいかも知れない。しかし、木々の間から砂浜を遠望できたので、冬に珍しい南風と地形が相俟って、本当に渚の音が届いていたのかも知れない。
八鬼山頂に近いさくらの森エリアは、東に面して熊野灘の景色があり、九鬼方向の入り江から漁船のエンジン音やJR紀勢線の列車音が響いて来た。空は青く晴れ渡り、日射しが暖かく気持ち良い朝である。
八鬼山峠(三木峠)から明治道を少し南へ行った分岐で、「どんぐりの小径」の道標に従って尾根筋を西へ辿る。八鬼山から三田谷の頭までは、雑木林で明るく、尾根上の立ち木が切られ広く開けた尾根が続いている。尾根筋が広いのは防火帯を兼ねているのかも知れない。苔むした大岩・小岩があったり小さなガレ場があったりして、楽しい明るい尾根歩きである。フカフカの落葉を踏みしめながら歩く足元には、ドングリが沢山落ちている。時々細い丸太で段々道が整備されていた様だが、時間が経って土が流れハードル状になっている所もある。残念なことに、北側から採石場の騒音が響いて来て趣を減じている。 704 mピークから三田谷の頭山頂までの間で、右手・北側にすばらしい景色が広がる所がある。小さな岩に腰を下ろして、サーモス紅茶とクリフシリアルバーで休憩。景色を楽しむ。 龍辻からマブシ嶺から大台ケ原への稜線、堂倉山から加茂助谷の頭から仙千代が峰への稜線、地池高から樫山、龍辻から橡山、便石山から天狗倉山、尾鷲市街を一望のもとに眺めることが出来る。尾鷲の火力発電所は八鬼山の稜線に隠れ、煙突の先端が少し見える程度である。空気が澄んだ冬で、晴れて青空で、背後から日が射し順光で、非常に景色が良い。
龍辻からマブシ嶺から大台ケ原への稜線を見ながら、昔の紀州の人々は国境をこのように見ていたのだろうなと考えた。あの雪山の向こうには見知らぬ土地が広がっていると想像したのか、それとも自分には関係のない話だと考えたのか、実は結構情報が行き来していて和州や勢州をよく知っていたのか。
尾鷲から吉野まで、崩れ易い谷道より徒渉せずにすむ尾根道の方が歩き易く、この尾根も昔の主要道だったのかも知れない。少なくとも、里の人々に顔を見せられない人達は尾根を利用していたに違いない。旅人を歓迎しない集落もあったのだろうな、村の入り口に道祖神とか辻神があってそこから先によそ者は立ち入り禁止とか。
戻る時に「どんぐりの森」を彷徨ってみた。尾根から張り出した比較的平らな部分に雑木林が保存されており、少し太い木があるところを見るとちょっと前から伐採を控えていたのかも知れない。片隅に育成天然林と表現した看板が立っていた。 八鬼山峠(三木峠)から明治道を下った。江戸道より明治道が歩き易いという印象は無い。ある程度の幅は確保されているが、落石やガレが放置されている。道の脇に炭焼き釜があるのは、旧街道というより杣道だったのだろうか。嘗ては材木や薪炭材にする伐採で禿げ山に近かった筈で土石流が頻発したのだろうか、斜面にも谷間にもガレが多い。
歓迎されていない山歩きは気が滅入って歴史や民俗や経済や騒音や様々なことを考えさせられた。
しかし、尾鷲市街から台高南部まで、様々な山々の景色は素晴らしかった。
【 山 域 】東紀州
【メンバー】単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】三木里06:45----八鬼山09:00----三田谷の頭10:10----明治道分岐11:35----三木里13:35
少し暖かい真冬の晴れの日、やぶこぎせず山歩きをして、明るい東紀州の山から雪の大台ケ原を遠望した。
三重県尾鷲市三木里海水浴場に駐車し、沓川に沿って北側の山間に入り、熊野古道八鬼山道で江戸道を往路に登った。
熊野古道であり近畿自然歩道であるが、ハイキングコースと侮ってはいけない。
まず、ハイカーは地元から歓迎されていない。特に、平日の昼間にウロウロしている男は不審者的であり、ろくな職業でないなと思われても仕方がない。リュックサック担いでステッキをもってトレッキングシューズで歩いているのだから、ゴミ不法投棄に来た訳ではなく、空き巣に来た訳でもないと分かって欲しいなと思う。しかし、この地では、ハイキングにくることも歓迎されていない様で、立ち木や看板に明示されている。
また、道の整備状況がハイキングコース的ではない。そもそもハイカーが歓迎されていないのだから、道が整備されていないのも当然である。いや、逆に、古道らしく荒れた雰囲気を意図的に残しているのかも知れない。それでも、かつてはハイキングコースとして整備された道であり、あちこちに道標があって迷うことなく、時々案内板で新しい知識を加えつつ歩くことが出来た。
江戸道の十五郎茶屋跡に上り着いた時、浜に打ち寄せる波の音が聞こえた様な気がした。地図を見ると海までは結構な距離があるので、波音は気のせいかも知れない。しかし、木々の間から砂浜を遠望できたので、冬に珍しい南風と地形が相俟って、本当に渚の音が届いていたのかも知れない。
八鬼山頂に近いさくらの森エリアは、東に面して熊野灘の景色があり、九鬼方向の入り江から漁船のエンジン音やJR紀勢線の列車音が響いて来た。空は青く晴れ渡り、日射しが暖かく気持ち良い朝である。
八鬼山峠(三木峠)から明治道を少し南へ行った分岐で、「どんぐりの小径」の道標に従って尾根筋を西へ辿る。八鬼山から三田谷の頭までは、雑木林で明るく、尾根上の立ち木が切られ広く開けた尾根が続いている。尾根筋が広いのは防火帯を兼ねているのかも知れない。苔むした大岩・小岩があったり小さなガレ場があったりして、楽しい明るい尾根歩きである。フカフカの落葉を踏みしめながら歩く足元には、ドングリが沢山落ちている。時々細い丸太で段々道が整備されていた様だが、時間が経って土が流れハードル状になっている所もある。残念なことに、北側から採石場の騒音が響いて来て趣を減じている。 704 mピークから三田谷の頭山頂までの間で、右手・北側にすばらしい景色が広がる所がある。小さな岩に腰を下ろして、サーモス紅茶とクリフシリアルバーで休憩。景色を楽しむ。 龍辻からマブシ嶺から大台ケ原への稜線、堂倉山から加茂助谷の頭から仙千代が峰への稜線、地池高から樫山、龍辻から橡山、便石山から天狗倉山、尾鷲市街を一望のもとに眺めることが出来る。尾鷲の火力発電所は八鬼山の稜線に隠れ、煙突の先端が少し見える程度である。空気が澄んだ冬で、晴れて青空で、背後から日が射し順光で、非常に景色が良い。
龍辻からマブシ嶺から大台ケ原への稜線を見ながら、昔の紀州の人々は国境をこのように見ていたのだろうなと考えた。あの雪山の向こうには見知らぬ土地が広がっていると想像したのか、それとも自分には関係のない話だと考えたのか、実は結構情報が行き来していて和州や勢州をよく知っていたのか。
尾鷲から吉野まで、崩れ易い谷道より徒渉せずにすむ尾根道の方が歩き易く、この尾根も昔の主要道だったのかも知れない。少なくとも、里の人々に顔を見せられない人達は尾根を利用していたに違いない。旅人を歓迎しない集落もあったのだろうな、村の入り口に道祖神とか辻神があってそこから先によそ者は立ち入り禁止とか。
戻る時に「どんぐりの森」を彷徨ってみた。尾根から張り出した比較的平らな部分に雑木林が保存されており、少し太い木があるところを見るとちょっと前から伐採を控えていたのかも知れない。片隅に育成天然林と表現した看板が立っていた。 八鬼山峠(三木峠)から明治道を下った。江戸道より明治道が歩き易いという印象は無い。ある程度の幅は確保されているが、落石やガレが放置されている。道の脇に炭焼き釜があるのは、旧街道というより杣道だったのだろうか。嘗ては材木や薪炭材にする伐採で禿げ山に近かった筈で土石流が頻発したのだろうか、斜面にも谷間にもガレが多い。
歓迎されていない山歩きは気が滅入って歴史や民俗や経済や騒音や様々なことを考えさせられた。
しかし、尾鷲市街から台高南部まで、様々な山々の景色は素晴らしかった。
【 日 付 】2014年1月29日(水)