【鈴鹿】 福岡野につづく道6 藤原岳羽瀬尾探索
Posted: 2011年5月17日(火) 20:42
【日 時】2011年5月16日(月)
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:20---10:42県境稜線---12:05展望丘---羽瀬尾13:30---15:28青川P
【メンバー】単独
治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。多志田銀山は、多志田不動尊のある祖母谷から藤原岳稜線近くの羽瀬尾銀山まで多志田谷全域にわたる。この中でも産銀量からして中核的な役割をはたしたのが羽瀬尾銀山になる。この銀山に関しては資料も少なく、「伊勢治田銀銅山の今昔」の黒田静夫さんも未調査で、場所さえ特定されていない。今回は、羽瀬尾銀山の探索を行うことにした。
いつもの青川駐車場に到着。青川をつめていく。今日は水量が多く、長靴を履いていても場所を選ばないと徒渡できない。以前に比べ青川の川底が深くなっており、これからの時期は登山靴では厳しいかもしれない。広河原をすぎると下り藤の丘が見えてくる。治田鉱山が華やかかりしころ女郎屋があった場所だ。下り藤をすぎた隋道下は今や水流で大きく掘れてしまい隋道につながる道があったことが想像できない状態になっている。銚子谷の出会いから大きく口を開けた大通洞坑を見送り山光谷に入る。大滝を右手に見ながら歩くと左岸に鉱夫の墓がある。今日は椿の花が活けてある。この付近の右岸に中尾が下りてきている。赤テープの場所から取り付く。
[attachment=4]IMG_3778.jpg[/attachment]
かすかな踏み跡の斜面を上っていくとすぐに明瞭な道に変わっていく。やせ尾根をすぎ尾根が広くなったあたりに赤テープがある。これを三光谷側に下っていけば三神谷に至り、三神谷出合には精錬に使われた焼釜が残っている。しばらく上ると以前に緑青岩から上りついた地点を通過。存在感のある古木が見えると檜谷側から檜谷鉱山の七曲がりから高コバを経て上ってきている尾根が合流してくる。視界が広がるコルに到着。ここは三光谷側の与平治谷が上がってきている。ここまで、中尾は明瞭な人の歩いているよい道で、猟師が使っている。狩猟期には、尾根の両側の三光谷・檜谷で追い込み猟がおこなわれる。谷の上部や中部から追い込みをする猟師が中尾を上り持ち場に向かうようだ。
[attachment=3]IMG_3917.jpg[/attachment]
コルを少し上がると添水銀山に続く道の目印のミズナラが出迎えてくれる。ここをパスし与左ハゲを左に見ながら上り尾根が広くなってくると県境稜線に着く。ここからは登山道を使う。下った所が蛇谷の分岐。福岡野から孫太尾根を使いここまで牛道は通じていた。蛇谷銀山や添水銀山の鉱石を牛に運ばせた道になる。ここには、今でも牛道の溝道が残っている。また、三光谷側にヌタ場のある広い場所も残されている。人足が鉱石を運び上げ、牛に積み替えた集積場所なのだろう。
孫太尾根の分岐をすぎP963のトラバース道に入る。このあたりには足しげく通っているが、孫太尾根から藤原岳まで歩いた事はない。正確に言うと30年前にブッシュをかき分けてキスリングで上った事はあるが、当時とは状況がかなり違う。トラバースするんだなんてお気楽な事を考えながら歩いていく。登山道としては、それほど歩かれていないようだが、赤テープがたくさんあり間違えようがない。水音を聞きながら静かな山路を歩く。トラバースが終わり岩の稜線を歩くとあたりはバイケイソウの道に変わっていく。羽瀬尾に目星をつけながらテーブルランドに到着。弱った笹原が袴腰まで続いている。ひと登りで展望丘に着いた。ここで初めて人に会う。消防隊員が訓練で登ってきていた。ここでアップルパイを食べ一息つき探索に向かう。
笹原を歩き羽瀬尾への降下地点に向かう。目星をつけたのはテーブルランドから多志田谷に向かい南東に下りている尾根で、かなり急な下りだが、少し下れば木が生えているので怖くはない。木と岩をつたいながら下りていくと、尾根らしくなっていく。すると岩クラが連なっている。岩クラの前が大きく開け大きいスペースが作れるエリアがある所など添水銀山とよく似ている。岩クラを探っていくと水抜きの穴を発見。その前には目印となる古木もある。しばらく下るが岩クラがありそうにもないので探索をここで切り上げる。蛇谷銀山も添水銀山も稜線付近にあり、この高さに銀の鉱脈があったのだろう。岩クラの周囲の状況から考えて、この岩クラが羽瀬尾銀山と考えてよさそうだ。そしてこの尾根が羽瀬尾になる。寛延元年(1748)の最盛期には小屋が五軒あり、人夫62人が働いていたようだ。ここには精錬する場所が無かったので、孫太尾根の牛道を使い福岡野に下ろし精錬した。ただ、多志田銀山についてはなぜか資料が少なく、羽瀬尾からどうやって孫太尾根まで運んだかはっきりしない。今後の宿題としたい。
[attachment=2]IMG_3907.jpg[/attachment]
[attachment=1]IMG_3911.jpg[/attachment]
さて、帰ろう。P963のトラバース道を経て中尾を下りる。中尾は上部は道もはっきりしないが、与左ハゲ沿いに下りていくとロスなく下りれる。猟師道に入ってからは良い道をひたすら下りる。ただ二箇所間違いやすい所がある。一箇所目は広い尾根ではなく狭い方の尾根を選ぶ箇所。二箇所目は尾根が二股に分かれる箇所だ、両方とも二万五千の地図を読み、尾根の方向を確かめればクリアできる。中尾の上りは、ひたすら上れば良いが、さすがに下りでは地図読みが必要になる。赤テープはほとんどない。とはいうものの良い道で40分で中尾を下りきった。ここからは、通いなれた青川が待っていた。
[attachment=0]IMG_3892.jpg[/attachment]
【山 域】鈴鹿
【コース】青川P7:20---10:42県境稜線---12:05展望丘---羽瀬尾13:30---15:28青川P
【メンバー】単独
治田鉱山のひとつに多志田銀山がある。多志田銀山は、多志田不動尊のある祖母谷から藤原岳稜線近くの羽瀬尾銀山まで多志田谷全域にわたる。この中でも産銀量からして中核的な役割をはたしたのが羽瀬尾銀山になる。この銀山に関しては資料も少なく、「伊勢治田銀銅山の今昔」の黒田静夫さんも未調査で、場所さえ特定されていない。今回は、羽瀬尾銀山の探索を行うことにした。
いつもの青川駐車場に到着。青川をつめていく。今日は水量が多く、長靴を履いていても場所を選ばないと徒渡できない。以前に比べ青川の川底が深くなっており、これからの時期は登山靴では厳しいかもしれない。広河原をすぎると下り藤の丘が見えてくる。治田鉱山が華やかかりしころ女郎屋があった場所だ。下り藤をすぎた隋道下は今や水流で大きく掘れてしまい隋道につながる道があったことが想像できない状態になっている。銚子谷の出会いから大きく口を開けた大通洞坑を見送り山光谷に入る。大滝を右手に見ながら歩くと左岸に鉱夫の墓がある。今日は椿の花が活けてある。この付近の右岸に中尾が下りてきている。赤テープの場所から取り付く。
[attachment=4]IMG_3778.jpg[/attachment]
かすかな踏み跡の斜面を上っていくとすぐに明瞭な道に変わっていく。やせ尾根をすぎ尾根が広くなったあたりに赤テープがある。これを三光谷側に下っていけば三神谷に至り、三神谷出合には精錬に使われた焼釜が残っている。しばらく上ると以前に緑青岩から上りついた地点を通過。存在感のある古木が見えると檜谷側から檜谷鉱山の七曲がりから高コバを経て上ってきている尾根が合流してくる。視界が広がるコルに到着。ここは三光谷側の与平治谷が上がってきている。ここまで、中尾は明瞭な人の歩いているよい道で、猟師が使っている。狩猟期には、尾根の両側の三光谷・檜谷で追い込み猟がおこなわれる。谷の上部や中部から追い込みをする猟師が中尾を上り持ち場に向かうようだ。
[attachment=3]IMG_3917.jpg[/attachment]
コルを少し上がると添水銀山に続く道の目印のミズナラが出迎えてくれる。ここをパスし与左ハゲを左に見ながら上り尾根が広くなってくると県境稜線に着く。ここからは登山道を使う。下った所が蛇谷の分岐。福岡野から孫太尾根を使いここまで牛道は通じていた。蛇谷銀山や添水銀山の鉱石を牛に運ばせた道になる。ここには、今でも牛道の溝道が残っている。また、三光谷側にヌタ場のある広い場所も残されている。人足が鉱石を運び上げ、牛に積み替えた集積場所なのだろう。
孫太尾根の分岐をすぎP963のトラバース道に入る。このあたりには足しげく通っているが、孫太尾根から藤原岳まで歩いた事はない。正確に言うと30年前にブッシュをかき分けてキスリングで上った事はあるが、当時とは状況がかなり違う。トラバースするんだなんてお気楽な事を考えながら歩いていく。登山道としては、それほど歩かれていないようだが、赤テープがたくさんあり間違えようがない。水音を聞きながら静かな山路を歩く。トラバースが終わり岩の稜線を歩くとあたりはバイケイソウの道に変わっていく。羽瀬尾に目星をつけながらテーブルランドに到着。弱った笹原が袴腰まで続いている。ひと登りで展望丘に着いた。ここで初めて人に会う。消防隊員が訓練で登ってきていた。ここでアップルパイを食べ一息つき探索に向かう。
笹原を歩き羽瀬尾への降下地点に向かう。目星をつけたのはテーブルランドから多志田谷に向かい南東に下りている尾根で、かなり急な下りだが、少し下れば木が生えているので怖くはない。木と岩をつたいながら下りていくと、尾根らしくなっていく。すると岩クラが連なっている。岩クラの前が大きく開け大きいスペースが作れるエリアがある所など添水銀山とよく似ている。岩クラを探っていくと水抜きの穴を発見。その前には目印となる古木もある。しばらく下るが岩クラがありそうにもないので探索をここで切り上げる。蛇谷銀山も添水銀山も稜線付近にあり、この高さに銀の鉱脈があったのだろう。岩クラの周囲の状況から考えて、この岩クラが羽瀬尾銀山と考えてよさそうだ。そしてこの尾根が羽瀬尾になる。寛延元年(1748)の最盛期には小屋が五軒あり、人夫62人が働いていたようだ。ここには精錬する場所が無かったので、孫太尾根の牛道を使い福岡野に下ろし精錬した。ただ、多志田銀山についてはなぜか資料が少なく、羽瀬尾からどうやって孫太尾根まで運んだかはっきりしない。今後の宿題としたい。
[attachment=2]IMG_3907.jpg[/attachment]
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さて、帰ろう。P963のトラバース道を経て中尾を下りる。中尾は上部は道もはっきりしないが、与左ハゲ沿いに下りていくとロスなく下りれる。猟師道に入ってからは良い道をひたすら下りる。ただ二箇所間違いやすい所がある。一箇所目は広い尾根ではなく狭い方の尾根を選ぶ箇所。二箇所目は尾根が二股に分かれる箇所だ、両方とも二万五千の地図を読み、尾根の方向を確かめればクリアできる。中尾の上りは、ひたすら上れば良いが、さすがに下りでは地図読みが必要になる。赤テープはほとんどない。とはいうものの良い道で40分で中尾を下りきった。ここからは、通いなれた青川が待っていた。
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