【伊勢】思い出の雨の竜ヶ峠を行く
Posted: 2011年5月13日(金) 18:33
【 日 付 】2011年5月12日(木)
【 山 域 】 伊勢
【 天 候 】雨
【 ルート 】高麗広 仙人下橋P13:10-竜ヶ峠14:00-菖蒲集落15:10-竜ヶ峠16:05-仙人下橋P 16:50
今日は大雨の予報、昼までパソコンの前に居座ったがも~目がしょぼしょぼ、もたないや。雨も大して降らないし目に優しい緑でも見てこよう。
やってきたのは伊勢神宮内宮から奥に入った高麗広集落、仙人下橋横の広場に車を停める。ここから竜ヶ峠を越えて矢持町の菖蒲集落に抜ける道が有る。
この道は私にとって思い出の有るなつかしい道だ、初めてここに来たのは高校生の頃友達とオートバイでやってきた、その頃は通る人も殆んど無く細い林道さえ苔むして丸太橋がかかっていた。古道も整備なんてしてないから道形は消え斜面に細い筋だけになった所も有った。結構難儀して登った記憶が有る。
昨日は雨で写真が撮りにくかったので今日は傘を持って、ゴム手袋も買ってきて準備万端。歩き出すとすぐに砂防ダムが有る、このダムの為上流の谷は雨が降るたびにダム湖になるようだ。先日は干上がってヒビが入ってた底も今日は水の底、当時はこの辺りに沢山のエビネが有ったが、70年代のエビネブームで取り尽くされたのか探してみても今は全く見る事は無くなってしまった、残念な事だ。
谷を鉄橋で渡ると広い林道を横切る今は神宮林内はこんな林道が彼方此方に延びており昔の趣は全く無い。神宮林は保護林ではなく造営用材用の林で有るから管理には車も使うし重機も入るから仕方ない事かもしれない、林道は必需品なんだ今は。立ち入り禁止、林内立ち入り禁止の標識も彼方此方に有り道からは外れるなという事だ、山火事の心配もあるしね。
谷沿いの道をしばらく進むと新たな林道に出る、ここは古道は林道に上書きされたようでしばらく林道を進みふたたび谷を上がる。この辺りから植林地を抜け二次林帯となりライトグリーンが鮮やかになる
石積みの残る所で切り返し山腹道をあがりだす古道、対岸にも石積が残る、途中に四角く穴が2ヶ所程作って有るが、炭焼き窯でもなさそうだし、砂防ダムみたいなものなのか?良く判らない。 山腹を幾度と無く切り返し登っていく、この辺りだったよな写真を撮ったのはあの頃は道と言える道は無かったが今は踏み場だけは確保され歩き易くなっている、思い出が甦ると供に40年近くも経ってここに歩いて来るなんて考えられなかったし、古道が見直されこんなに整備されるなんて考えも付かなかった事である。
登り切ると尾根のノッ越の広々したところ、ここでは木に名前を彫り込んで写真を撮った(そんな事をしたらあきません、もう時効だからゆるしてね)、その木を探すがもう痕跡さえ残っていない。ここからは穏やかな斜面のトラバース道に入るこのコースの中で一番感じの良いところなのだが、最近は大木の倒木が多い様だ、それも生木のまま根ごそぎ倒れているのが気になる、地面の保水力の低下なのかな?
最後に源氏の追っ手を待ち受けて攻撃、馬を落としたという急斜面の谷「馬落とし」を過ぎると竜ヶ峠に着いた。
今は広々として東屋や案内板も立っているしばらく休憩して菖蒲集落側へと下る、かずかずの見所の案内板が勉強になるのだ、五ヶ所から上陸の参詣者も多かったようで茶店跡なども有った、そういえば昔は高麗広にも茶屋が有ったのだ。
枝谷で有る広の谷は高麗広の田代谷に抜ける道、ここは集落間でのお嫁さんも通ったとか。今は荒れて通行不能とか、そう書いてあると行って見たくなる、入ってみるとハッキリした道型が伸びているが被る木が傘の邪魔をする今日は止め又改めて来てみようと舗装道に戻る。突然尻タブが痛痒い、合羽の上から掻いて見るが取れないこれは?・・・と摘むように擦ると冷たい物がふくらはぎに落ちる感触、裾をめくると予想通りヒルが転がり落ちたのだ。そこでヒルチェックするといるいる5匹程のヒルが付いてました。
久昌寺の有る菖蒲集落に出た、ここは私にとっては人生を左右する程の嫌な思い出の場所だ、理由は書けないけれど・・・そんな思いでも時間が経てば忘れかけてる、家を覗けば見覚えの有る人の姿、もう初老のお婆さんになっていたあれからもう12年、一昔前なんだ。その時と余り変わらない集落を戻り元来た道をヒルに付かれないように早足で帰ったのだった。でも車に戻ってチエックするとまた5匹程付いてました。
【 山 域 】 伊勢
【 天 候 】雨
【 ルート 】高麗広 仙人下橋P13:10-竜ヶ峠14:00-菖蒲集落15:10-竜ヶ峠16:05-仙人下橋P 16:50
今日は大雨の予報、昼までパソコンの前に居座ったがも~目がしょぼしょぼ、もたないや。雨も大して降らないし目に優しい緑でも見てこよう。
やってきたのは伊勢神宮内宮から奥に入った高麗広集落、仙人下橋横の広場に車を停める。ここから竜ヶ峠を越えて矢持町の菖蒲集落に抜ける道が有る。
この道は私にとって思い出の有るなつかしい道だ、初めてここに来たのは高校生の頃友達とオートバイでやってきた、その頃は通る人も殆んど無く細い林道さえ苔むして丸太橋がかかっていた。古道も整備なんてしてないから道形は消え斜面に細い筋だけになった所も有った。結構難儀して登った記憶が有る。
昨日は雨で写真が撮りにくかったので今日は傘を持って、ゴム手袋も買ってきて準備万端。歩き出すとすぐに砂防ダムが有る、このダムの為上流の谷は雨が降るたびにダム湖になるようだ。先日は干上がってヒビが入ってた底も今日は水の底、当時はこの辺りに沢山のエビネが有ったが、70年代のエビネブームで取り尽くされたのか探してみても今は全く見る事は無くなってしまった、残念な事だ。
谷を鉄橋で渡ると広い林道を横切る今は神宮林内はこんな林道が彼方此方に延びており昔の趣は全く無い。神宮林は保護林ではなく造営用材用の林で有るから管理には車も使うし重機も入るから仕方ない事かもしれない、林道は必需品なんだ今は。立ち入り禁止、林内立ち入り禁止の標識も彼方此方に有り道からは外れるなという事だ、山火事の心配もあるしね。
谷沿いの道をしばらく進むと新たな林道に出る、ここは古道は林道に上書きされたようでしばらく林道を進みふたたび谷を上がる。この辺りから植林地を抜け二次林帯となりライトグリーンが鮮やかになる
石積みの残る所で切り返し山腹道をあがりだす古道、対岸にも石積が残る、途中に四角く穴が2ヶ所程作って有るが、炭焼き窯でもなさそうだし、砂防ダムみたいなものなのか?良く判らない。 山腹を幾度と無く切り返し登っていく、この辺りだったよな写真を撮ったのはあの頃は道と言える道は無かったが今は踏み場だけは確保され歩き易くなっている、思い出が甦ると供に40年近くも経ってここに歩いて来るなんて考えられなかったし、古道が見直されこんなに整備されるなんて考えも付かなかった事である。
登り切ると尾根のノッ越の広々したところ、ここでは木に名前を彫り込んで写真を撮った(そんな事をしたらあきません、もう時効だからゆるしてね)、その木を探すがもう痕跡さえ残っていない。ここからは穏やかな斜面のトラバース道に入るこのコースの中で一番感じの良いところなのだが、最近は大木の倒木が多い様だ、それも生木のまま根ごそぎ倒れているのが気になる、地面の保水力の低下なのかな?
最後に源氏の追っ手を待ち受けて攻撃、馬を落としたという急斜面の谷「馬落とし」を過ぎると竜ヶ峠に着いた。
今は広々として東屋や案内板も立っているしばらく休憩して菖蒲集落側へと下る、かずかずの見所の案内板が勉強になるのだ、五ヶ所から上陸の参詣者も多かったようで茶店跡なども有った、そういえば昔は高麗広にも茶屋が有ったのだ。
枝谷で有る広の谷は高麗広の田代谷に抜ける道、ここは集落間でのお嫁さんも通ったとか。今は荒れて通行不能とか、そう書いてあると行って見たくなる、入ってみるとハッキリした道型が伸びているが被る木が傘の邪魔をする今日は止め又改めて来てみようと舗装道に戻る。突然尻タブが痛痒い、合羽の上から掻いて見るが取れないこれは?・・・と摘むように擦ると冷たい物がふくらはぎに落ちる感触、裾をめくると予想通りヒルが転がり落ちたのだ。そこでヒルチェックするといるいる5匹程のヒルが付いてました。
久昌寺の有る菖蒲集落に出た、ここは私にとっては人生を左右する程の嫌な思い出の場所だ、理由は書けないけれど・・・そんな思いでも時間が経てば忘れかけてる、家を覗けば見覚えの有る人の姿、もう初老のお婆さんになっていたあれからもう12年、一昔前なんだ。その時と余り変わらない集落を戻り元来た道をヒルに付かれないように早足で帰ったのだった。でも車に戻ってチエックするとまた5匹程付いてました。