【鈴 鹿】 神懸(680m)~ハライド(908m)~割谷の頭(786m)
Posted: 2013年2月05日(火) 06:22
【日 時】 1月26日(土)
【地 図】 http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html ... 3452328543
【同行者】 単独
【天 候】 晴れ~曇り
【ルート】 鳥居戸P(7:18)~杠葉谷入渓点(7:32)~神懸(8:38)~ハライド(10:02/25)~割谷の頭(11:41/47)~R477(13:38)~鳥居戸P(13:54)
昨年秋のことだ。高速道路のトンネルを出たら雨。慌ててワイパーを回したら途端に視界がきかなくなった。以後、対向車のライトはギラつくし、寒い早朝のフロントガラスはすっきり感がない。そうこうするうち、同じ症状を訴える同僚がいることがわかった。
どうやら職場の箱物の屋根塗装工事に先立つプライマーを浴びたのではないかという説が浮上した。プライマーというのは、塗料の食い付きを良くしたり、防錆効果や防水効果を求めて塗布する塗装前の下地塗料のことだ。業者にかけあって、検分してもらう。当然のことながら被害認定が出た。
プライマーまみれのボディーに加え、先日は台高で焚き火脇の大宴会。おかげで栄(は)えあるシンデレラ(灰かぶり姫)状態。越年の末、ようやくディーラーに頼んですべての窓とボディーに磨きをかけてもらった。我が車は生まれ変わったかの燦然たる輝き。で、今回の山行はピカピカに磨かれての初ドライブだ。クリアビューで快適そのもの。イヒヒのヒである。
さて、国見岳や青岳方面から見下ろして無視できないのが、今回の山域だ。希望荘前から雪の気配のない林道を歩いて杠葉谷に入渓する。すぐに鉄組の堰堤があり、その先しばらくは平凡。小滝に朝日が当たり、釜の水面のきらきらした揺らぎが見目麗しい。
沢の分岐右又に5mの二段滝。ここは中間尾根から乗り越して沢床に降りる。続いて3mの凹状の斜滝。左辺の岩を簡単に越える。すぐ二又となり、その間には4畳半ほどの平らな大岩が鎮座している。
その後、ようやく河床に雪が散り敷くようになる。人工の石組みを眺めたり、小滝脇の氷にスリップして滑稽なピエロを演じながら大岩を抜け、地味に歩いて尾根に乗る。尾根筋の西面はまるで晩秋の山なのに、日の当たらない東面は深い雪。意外にすっきりした尾根歩きで神懸頂上に届いた。
それにしても、神懸とは面白い名前だ。願掛けの対象は何だったのだろう。雨乞い、もしくは稲作の豊穣を願うものなのだろうか。「神懸」を「カンカケ」と読み慣わす人もいる。すぐに思い当たったのが、熊野古道でおなじみ天狗倉山の前衛峰にあたる「カンカケ山」だ。あっさりしたピークには「鍵掛山」の標もぶら下がっていたような気がする。
そもそも「カンカケ」やら「鍵掛」は崩壊とか崖を表す地名だ(『災害と地名』小川豊、山海堂1986)。かつて富士山を愛でるために登った鬼ヶ岳・節刀ヶ岳・十二ヶ岳への登路も鍵掛峠であった。まさに急傾斜の崩壊地形に付けられた名称にふさわしいものだった。
他にも有名なのが大山環状道路の最高地点にある「鍵掛峠」だろう。ここは大山南壁を望む絶好のビューポイントだ。由来については「急峻な岩肌に鉤(かぎ)を懸けて登ったことから『鉤懸(かぎかけ)』という説、はたまた大山町役場観光商工課のHPによれば、後醍醐天皇の都落ちに関連して「鍵になった木の枝に枝を掛けて皇政の再興を祈った因果から、道行く人が皆木の枝を折り、『諸願成就』を祈ったことから名づけられた」とある。(文責;ふ~さん)
某ブロガーは「実は大山寺に向かう人々は、この峠で雄大な大山を見ながらカギ状の枝(L字型の枝)を木に向かって投げ、木に引っかかるかどうかで幸運を占ったのです。これが鍵掛け峠の由来です。」と記述している。
ならば、我が鈴鹿の「神懸」の由来は何なのだろう。急峻な地形とか崩壊地形を話題にするには的外れかもしれない。有力な峠道だという話は寡聞にして聞かないし、旅の安全を祈ったという説も説得力に欠ける。
ならば、木の枝に鈎を掛けて願掛けを行ったとか、吉凶の占いを行ったという説だって捨てきれない。ここを願掛けの場として登拝した可能性はどうだろう。
「江戸期以降の水稲農業一本槍の農地政策により急速な水田開発が行われた結果、水の絶対量が不足し、解消されない水不足の手段として『神仏に願をかける』という習俗」については、西尾寿一氏がその著書で触れたとおりである(『鈴鹿山地の雨乞』京都山の会出版局;昭和63年)。或いはここは村の祭事が行われた場所なのだろうか。だが、ここには顕著なクラは認められないし、注連縄を張るような神域のようにも思えなかった。今後の調査が待たれるところだ。
神懸を後にする。いきなり進路に迷うが、地図を取り出して北へ北へ。ひと登りで倍上ヶ谷と仏谷を隔てる尾根に合流する。この辺りからようやく雪山らしくなってくる。ややあって美しいブナがすっくと立つコブ尾根との分岐点だ。
820m峰の西直下は丈六谷源頭の凄絶な崩壊地系だ。かつて、ここで鹿の大群に至近に遭遇してたじろいだエピソードがある。鹿の観察に忙しくてコブ尾根縦走は敢えなく時間切れ。その挙げ句、軽率にも丈六谷に飛びこんで冷や汗かいた苦い思い出がある。
鞍部に降りてからのハライドへの登りはきついラッセルだ。動物の足跡を辿りながら楽をしようとするが、そうは問屋が降ろさない。眼下に見下ろす神懸に精気をもらって元気百倍。何とかハライド山頂へと重い身体を持ち上げる。釈迦ヶ岳をカメラに収めようとするが、いきなり強風にふらついた。
ここは年末に訪れた時にも猛風になぎ倒されそうだった。またしても吹き荒れてくれる。どうにか風裏に回ってテルモスのお湯をにひと息入れる。寒いので、慌てて燃料補給とばかりにコロッケパンを飲み込もうとするが、パンが喉に詰まって目を白黒させる。
ゆっくりするつもりはなかったが、娘から嬉しいメールが入っていた。娘は大切にしないといけない。粗相のないように返信しているうちに長居してしまい、すっかり身体が冷え切った。
雪雲が流れてきて風花が舞い始めた。正面高くにそびえる冬のヤシオ尾根は威厳がある。御在所岳の左肩に顔出した鎌ヶ岳の孤高にも目を奪われるが、眼下の「割谷ノ頭」が次の主役だという事を忘れてはならない。その無視できぬもっこり感は十分にその存在感を見せつける。付近の地形を仔細に観察する。
強い風によたよたしながらハライド西面を鞍部に向かう。少し登って三岳寺跡方面の道標に従う。雪のついた斜面の下りは楽ちん。しかし、このルートは鳥居戸谷と割谷の上流部を次々に縦断していて、アップダウンの連続する体育会系のルートだ。緩んだ雪をズポズポ登るも相当に泣きが入る。それでも、凍り付いた沢の美しさには息を飲む。
ようやく三岳寺跡を経て割谷ノ頭へ。畳岩に刻まれた「界」の文字を拝みながら畜生界に墜ちないよう願をかけ、功徳を積む決意を新らしくした。
東尾根に踏み出す。状況次第では割谷に寝返る心づもりだった。だが、結構踏まれていて問題なさそう。それでも、割谷に落ちる尾根に迷い込んで戻り返す手痛いロスタイム。いつまでたっても地図が読めない私。だが、その後は目印・目印のオンパレードで苦労もないコース設定。ラッキーなのかそれとも嘆かわしいというべきか、我が揺れる乙女の心よ!
724峰で一本入れる。その後は徐々に雪が薄くなって本来の歩きに戻れる。時間の先読みも可能になってきた。やせ尾根状を歩いたり岩を縫って歩くうち、ちょっとした岩峰からコブ尾根方面の展望を欲しいままにするポイントがある。さあ、神懸からハライドまで今日のコースのおさらいだ。ネコから南コブを経てハライドまでの起伏を追う至福の時間。
割谷ノ頭東尾根は尾根上のマラ岩を拝むと、予想に反して明るいザレ尾根の道になった。やがて湯の山温泉が一望できるロケーション。それにしても思いのほか人臭いルートだ。迷い尾根にはロープや木の枝で通せんぼしてある。割谷道と平行する三岳寺への参詣道として、いにしえの人が足繁く通う道として機能していたのだろうか。それとも須磨山と鳥居戸山との財産区を巡る係争を決着させる境界線がここに引かれていたのだろうか。
やがて愛すべき菰野富士が真正面。こいつは息子をおんぶして登った初山だ。そうこうするうちスカイラインに飛び出した。いつもは下山後の温泉はカットなのだが、今日はまだ時間も早い。すっかり冷え切った身体をほぐしに温泉へ直行だ!
ふ~さん
【地 図】 http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html ... 3452328543
【同行者】 単独
【天 候】 晴れ~曇り
【ルート】 鳥居戸P(7:18)~杠葉谷入渓点(7:32)~神懸(8:38)~ハライド(10:02/25)~割谷の頭(11:41/47)~R477(13:38)~鳥居戸P(13:54)
昨年秋のことだ。高速道路のトンネルを出たら雨。慌ててワイパーを回したら途端に視界がきかなくなった。以後、対向車のライトはギラつくし、寒い早朝のフロントガラスはすっきり感がない。そうこうするうち、同じ症状を訴える同僚がいることがわかった。
どうやら職場の箱物の屋根塗装工事に先立つプライマーを浴びたのではないかという説が浮上した。プライマーというのは、塗料の食い付きを良くしたり、防錆効果や防水効果を求めて塗布する塗装前の下地塗料のことだ。業者にかけあって、検分してもらう。当然のことながら被害認定が出た。
プライマーまみれのボディーに加え、先日は台高で焚き火脇の大宴会。おかげで栄(は)えあるシンデレラ(灰かぶり姫)状態。越年の末、ようやくディーラーに頼んですべての窓とボディーに磨きをかけてもらった。我が車は生まれ変わったかの燦然たる輝き。で、今回の山行はピカピカに磨かれての初ドライブだ。クリアビューで快適そのもの。イヒヒのヒである。
さて、国見岳や青岳方面から見下ろして無視できないのが、今回の山域だ。希望荘前から雪の気配のない林道を歩いて杠葉谷に入渓する。すぐに鉄組の堰堤があり、その先しばらくは平凡。小滝に朝日が当たり、釜の水面のきらきらした揺らぎが見目麗しい。
沢の分岐右又に5mの二段滝。ここは中間尾根から乗り越して沢床に降りる。続いて3mの凹状の斜滝。左辺の岩を簡単に越える。すぐ二又となり、その間には4畳半ほどの平らな大岩が鎮座している。
その後、ようやく河床に雪が散り敷くようになる。人工の石組みを眺めたり、小滝脇の氷にスリップして滑稽なピエロを演じながら大岩を抜け、地味に歩いて尾根に乗る。尾根筋の西面はまるで晩秋の山なのに、日の当たらない東面は深い雪。意外にすっきりした尾根歩きで神懸頂上に届いた。
それにしても、神懸とは面白い名前だ。願掛けの対象は何だったのだろう。雨乞い、もしくは稲作の豊穣を願うものなのだろうか。「神懸」を「カンカケ」と読み慣わす人もいる。すぐに思い当たったのが、熊野古道でおなじみ天狗倉山の前衛峰にあたる「カンカケ山」だ。あっさりしたピークには「鍵掛山」の標もぶら下がっていたような気がする。
そもそも「カンカケ」やら「鍵掛」は崩壊とか崖を表す地名だ(『災害と地名』小川豊、山海堂1986)。かつて富士山を愛でるために登った鬼ヶ岳・節刀ヶ岳・十二ヶ岳への登路も鍵掛峠であった。まさに急傾斜の崩壊地形に付けられた名称にふさわしいものだった。
他にも有名なのが大山環状道路の最高地点にある「鍵掛峠」だろう。ここは大山南壁を望む絶好のビューポイントだ。由来については「急峻な岩肌に鉤(かぎ)を懸けて登ったことから『鉤懸(かぎかけ)』という説、はたまた大山町役場観光商工課のHPによれば、後醍醐天皇の都落ちに関連して「鍵になった木の枝に枝を掛けて皇政の再興を祈った因果から、道行く人が皆木の枝を折り、『諸願成就』を祈ったことから名づけられた」とある。(文責;ふ~さん)
某ブロガーは「実は大山寺に向かう人々は、この峠で雄大な大山を見ながらカギ状の枝(L字型の枝)を木に向かって投げ、木に引っかかるかどうかで幸運を占ったのです。これが鍵掛け峠の由来です。」と記述している。
ならば、我が鈴鹿の「神懸」の由来は何なのだろう。急峻な地形とか崩壊地形を話題にするには的外れかもしれない。有力な峠道だという話は寡聞にして聞かないし、旅の安全を祈ったという説も説得力に欠ける。
ならば、木の枝に鈎を掛けて願掛けを行ったとか、吉凶の占いを行ったという説だって捨てきれない。ここを願掛けの場として登拝した可能性はどうだろう。
「江戸期以降の水稲農業一本槍の農地政策により急速な水田開発が行われた結果、水の絶対量が不足し、解消されない水不足の手段として『神仏に願をかける』という習俗」については、西尾寿一氏がその著書で触れたとおりである(『鈴鹿山地の雨乞』京都山の会出版局;昭和63年)。或いはここは村の祭事が行われた場所なのだろうか。だが、ここには顕著なクラは認められないし、注連縄を張るような神域のようにも思えなかった。今後の調査が待たれるところだ。
神懸を後にする。いきなり進路に迷うが、地図を取り出して北へ北へ。ひと登りで倍上ヶ谷と仏谷を隔てる尾根に合流する。この辺りからようやく雪山らしくなってくる。ややあって美しいブナがすっくと立つコブ尾根との分岐点だ。
820m峰の西直下は丈六谷源頭の凄絶な崩壊地系だ。かつて、ここで鹿の大群に至近に遭遇してたじろいだエピソードがある。鹿の観察に忙しくてコブ尾根縦走は敢えなく時間切れ。その挙げ句、軽率にも丈六谷に飛びこんで冷や汗かいた苦い思い出がある。
鞍部に降りてからのハライドへの登りはきついラッセルだ。動物の足跡を辿りながら楽をしようとするが、そうは問屋が降ろさない。眼下に見下ろす神懸に精気をもらって元気百倍。何とかハライド山頂へと重い身体を持ち上げる。釈迦ヶ岳をカメラに収めようとするが、いきなり強風にふらついた。
ここは年末に訪れた時にも猛風になぎ倒されそうだった。またしても吹き荒れてくれる。どうにか風裏に回ってテルモスのお湯をにひと息入れる。寒いので、慌てて燃料補給とばかりにコロッケパンを飲み込もうとするが、パンが喉に詰まって目を白黒させる。
ゆっくりするつもりはなかったが、娘から嬉しいメールが入っていた。娘は大切にしないといけない。粗相のないように返信しているうちに長居してしまい、すっかり身体が冷え切った。
雪雲が流れてきて風花が舞い始めた。正面高くにそびえる冬のヤシオ尾根は威厳がある。御在所岳の左肩に顔出した鎌ヶ岳の孤高にも目を奪われるが、眼下の「割谷ノ頭」が次の主役だという事を忘れてはならない。その無視できぬもっこり感は十分にその存在感を見せつける。付近の地形を仔細に観察する。
強い風によたよたしながらハライド西面を鞍部に向かう。少し登って三岳寺跡方面の道標に従う。雪のついた斜面の下りは楽ちん。しかし、このルートは鳥居戸谷と割谷の上流部を次々に縦断していて、アップダウンの連続する体育会系のルートだ。緩んだ雪をズポズポ登るも相当に泣きが入る。それでも、凍り付いた沢の美しさには息を飲む。
ようやく三岳寺跡を経て割谷ノ頭へ。畳岩に刻まれた「界」の文字を拝みながら畜生界に墜ちないよう願をかけ、功徳を積む決意を新らしくした。
東尾根に踏み出す。状況次第では割谷に寝返る心づもりだった。だが、結構踏まれていて問題なさそう。それでも、割谷に落ちる尾根に迷い込んで戻り返す手痛いロスタイム。いつまでたっても地図が読めない私。だが、その後は目印・目印のオンパレードで苦労もないコース設定。ラッキーなのかそれとも嘆かわしいというべきか、我が揺れる乙女の心よ!
724峰で一本入れる。その後は徐々に雪が薄くなって本来の歩きに戻れる。時間の先読みも可能になってきた。やせ尾根状を歩いたり岩を縫って歩くうち、ちょっとした岩峰からコブ尾根方面の展望を欲しいままにするポイントがある。さあ、神懸からハライドまで今日のコースのおさらいだ。ネコから南コブを経てハライドまでの起伏を追う至福の時間。
割谷ノ頭東尾根は尾根上のマラ岩を拝むと、予想に反して明るいザレ尾根の道になった。やがて湯の山温泉が一望できるロケーション。それにしても思いのほか人臭いルートだ。迷い尾根にはロープや木の枝で通せんぼしてある。割谷道と平行する三岳寺への参詣道として、いにしえの人が足繁く通う道として機能していたのだろうか。それとも須磨山と鳥居戸山との財産区を巡る係争を決着させる境界線がここに引かれていたのだろうか。
やがて愛すべき菰野富士が真正面。こいつは息子をおんぶして登った初山だ。そうこうするうちスカイラインに飛び出した。いつもは下山後の温泉はカットなのだが、今日はまだ時間も早い。すっかり冷え切った身体をほぐしに温泉へ直行だ!
ふ~さん
越年の末、ようやくディーラーに頼んですべての窓とボディーに磨きをかけてもらった。我が車は生まれ変わったかの燦然たる輝き。で、今回の山行はピカピカに磨かれての初ドライブだ。クリアビューで快適そのもの。イヒヒのヒである。