伊吹山西尾根 祈りの山旅
Posted: 2011年3月20日(日) 16:32
【日 時】2011年3月19日(土)
【山 域】伊吹山
【コース】大久保駐車地8:05---11:00採石場---13:15伊吹山14:00---14:28平等岩---
15:50登山口---16:50大久保駐車地
【メンバー】単独
大震災に原発災害と予断を許さない状況が続くなか、迷いながらも山に行く事にした。
登るのは、以前より思い巡らせていた伊吹山西尾根にする。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊吹山には弥高、太平、観音、長尾の四つの護国寺が作られた。観音護国寺は鎌倉時代には山を下り、太平護国寺は円空の十二面観音像とともに昭和39年に山を下りた。昨年は弥高護国寺跡から伊吹山を目指したので、今回は長尾護国寺跡から登ることにした。
大久保集落の姉川沿いに車を駐車する。長尾寺跡までは案内板があるので迷う事はない。大久保集落を上がっていくと大門跡を通過する。この集落には大門さんという苗字が二軒あり歴史を感じさせる。集落の最上部に惣持寺がある。惣持寺は、長尾寺の坊の一つで惣持坊といい、長尾寺なき後を引き継いでいる。裏手には立派な毘沙門堂があり、中には平安時代中期の天部形立像と平安時代後期の毘沙門立像が安置されている。少し上ると長尾寺歴代の住職の墓が並び、宝塔や石仏が風化したような石なども残されている。 ここを上がると、本堂跡に着く、現在は旧毘沙門堂と権現堂が建っており、聖石も残されている。大きな杉の大木が旧毘沙門堂や権現堂を守るように立っている。伊吹山の護国寺の中で唯一山を下りなかった集落だけに、当時の雰囲気を感じる事ができる貴重な場所だ。いつもは祈りとはかけ離れた生活を送っているが、思わず祈りを捧げた。 本堂跡からのびる尾根にのる。しばらくすると、立派な溝道があらわれた。溝道の目印として杉の大木が残されている。溝道は途切れることなく西尾根を上っており、採石場に分断されるまで続いていた。雪が一面を覆っているので、溝道もわかりやすい。この溝道は平安時代以降、修験者が行場に行く際や護国寺を結ぶ生活道路として使われてきた。そして、時には戦火を逃れるための道でもあった。この道が1000年の時を経て、今尚残っている事には感慨深いものがある。標高が上がり杉が少なくなり自然林に変わり見晴らしのよい気持ちの良い尾根道を進むと傾斜がきつくなる。このあたりから先ほど上っていった鹿の踏み跡を使いながら上っていく。ヤブっぽくなり、鹿がトラバースし始めた地点を上ると採石場の車道に出た。車道を越え斜面を上りきると採石場に出た。 雪に覆われた採石場は広大だ。そして、採石場から頂上まで続く30度はある人工の地肌の見え隠れする急な斜面が目の前に立ちふさがっている。雪崩避けの防護柵が不気味に並んでいる。さて、どうするか。雪のない季節なら草地の斜面を上ることもできるが、雪がつき草が固まった状態ではそうもいかない。人工の傾斜地を避けて、上れそうな尾根を見つけ上るしかない。とはいうものの採石場が広げられるだけ広がっているので、残っている自然の尾根は傾斜のきつい所しかない。ここで、アイゼンとピッケルを準備し慎重に上っていく。雪がしまっているといいのだが、この日は気温も高く雪はグダグダ。アイゼンとピッケルに残った手を使いながら上っていく。木を頼りに四つんばいで上ることもしばしば。上部になっても傾斜は急なままだが、雪の下がカレンフェルトになっており持ち場があり上りやすくなってきた。ようやく傾斜がゆるくなり真っ白な金糞岳を見る余裕が出てきた。防御柵にそって白い平原をチンタラ上っていくと頂上についた。 頂上部には、たくさんの人達が上ってきていた。昼食をとり、正面登山道を下る。途中から平等岩に向けてトラバースしていく。雪がグダグダなだけに気を使う。平等岩には今日は私以外には一人寄っただけだ。頂上のけんそうを離れ、平等岩で再び祈りを捧げる。
ここからは、下るのみ。登山口に着くにはついたが、ここから大久保の駐車地に向けての長い道程が待っていた。
【山 域】伊吹山
【コース】大久保駐車地8:05---11:00採石場---13:15伊吹山14:00---14:28平等岩---
15:50登山口---16:50大久保駐車地
【メンバー】単独
大震災に原発災害と予断を許さない状況が続くなか、迷いながらも山に行く事にした。
登るのは、以前より思い巡らせていた伊吹山西尾根にする。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊吹山には弥高、太平、観音、長尾の四つの護国寺が作られた。観音護国寺は鎌倉時代には山を下り、太平護国寺は円空の十二面観音像とともに昭和39年に山を下りた。昨年は弥高護国寺跡から伊吹山を目指したので、今回は長尾護国寺跡から登ることにした。
大久保集落の姉川沿いに車を駐車する。長尾寺跡までは案内板があるので迷う事はない。大久保集落を上がっていくと大門跡を通過する。この集落には大門さんという苗字が二軒あり歴史を感じさせる。集落の最上部に惣持寺がある。惣持寺は、長尾寺の坊の一つで惣持坊といい、長尾寺なき後を引き継いでいる。裏手には立派な毘沙門堂があり、中には平安時代中期の天部形立像と平安時代後期の毘沙門立像が安置されている。少し上ると長尾寺歴代の住職の墓が並び、宝塔や石仏が風化したような石なども残されている。 ここを上がると、本堂跡に着く、現在は旧毘沙門堂と権現堂が建っており、聖石も残されている。大きな杉の大木が旧毘沙門堂や権現堂を守るように立っている。伊吹山の護国寺の中で唯一山を下りなかった集落だけに、当時の雰囲気を感じる事ができる貴重な場所だ。いつもは祈りとはかけ離れた生活を送っているが、思わず祈りを捧げた。 本堂跡からのびる尾根にのる。しばらくすると、立派な溝道があらわれた。溝道の目印として杉の大木が残されている。溝道は途切れることなく西尾根を上っており、採石場に分断されるまで続いていた。雪が一面を覆っているので、溝道もわかりやすい。この溝道は平安時代以降、修験者が行場に行く際や護国寺を結ぶ生活道路として使われてきた。そして、時には戦火を逃れるための道でもあった。この道が1000年の時を経て、今尚残っている事には感慨深いものがある。標高が上がり杉が少なくなり自然林に変わり見晴らしのよい気持ちの良い尾根道を進むと傾斜がきつくなる。このあたりから先ほど上っていった鹿の踏み跡を使いながら上っていく。ヤブっぽくなり、鹿がトラバースし始めた地点を上ると採石場の車道に出た。車道を越え斜面を上りきると採石場に出た。 雪に覆われた採石場は広大だ。そして、採石場から頂上まで続く30度はある人工の地肌の見え隠れする急な斜面が目の前に立ちふさがっている。雪崩避けの防護柵が不気味に並んでいる。さて、どうするか。雪のない季節なら草地の斜面を上ることもできるが、雪がつき草が固まった状態ではそうもいかない。人工の傾斜地を避けて、上れそうな尾根を見つけ上るしかない。とはいうものの採石場が広げられるだけ広がっているので、残っている自然の尾根は傾斜のきつい所しかない。ここで、アイゼンとピッケルを準備し慎重に上っていく。雪がしまっているといいのだが、この日は気温も高く雪はグダグダ。アイゼンとピッケルに残った手を使いながら上っていく。木を頼りに四つんばいで上ることもしばしば。上部になっても傾斜は急なままだが、雪の下がカレンフェルトになっており持ち場があり上りやすくなってきた。ようやく傾斜がゆるくなり真っ白な金糞岳を見る余裕が出てきた。防御柵にそって白い平原をチンタラ上っていくと頂上についた。 頂上部には、たくさんの人達が上ってきていた。昼食をとり、正面登山道を下る。途中から平等岩に向けてトラバースしていく。雪がグダグダなだけに気を使う。平等岩には今日は私以外には一人寄っただけだ。頂上のけんそうを離れ、平等岩で再び祈りを捧げる。
ここからは、下るのみ。登山口に着くにはついたが、ここから大久保の駐車地に向けての長い道程が待っていた。
今回は奥様お手製のオニギリはなしですか?京都の写真展の時に散々冷やかされましたね。