道の駅木曽日義で仮眠した早朝。気温はマイナス9度。高貴な生まれで、ぬくぬく育った私には、身にしみる寒さだ。ところが権兵衛トンネルを抜けて伊那谷に出た瞬間、お日様がさんさんと射し込み、気温もマイナス4度まで上がった。
転石に注意しながらダートへと車を乗り入れる。登山口からキノコ山の留山テープに脅されつつ、十六ノ尾根に乗る。なんと登山者が歩いて行くのが見える。六夜様で彼に合流する。「ここで人に会ったのは初めてですよ」と驚かれる。さらに、私が愛知から来たと知って、彼はさらに目を丸くした。
彼はながた荘に車を置き、直登尾根で桑沢山へ。そこから稜線をたどって、ここに来たようだ。樹間からは八ヶ岳の全貌や霧ヶ峰が見える。「手前に見えるのが守屋山ですよ」と指を差して教えてくれる。「16年前はもっと展望が良かったんだけどね」だって。楡沢山までのルートを尋ねられたので、知る限りを教えてあげる。
さて、六夜様。上伊那・諏訪・木曽に見られる信仰だ。ここには石仏が一体、石碑が二基。かつては村人たちが「病気平癒・五穀豊穣・子孫繁栄・村境の守り」を願って集まる月待信仰の場だったのか。
右の合掌する柔和な表情の石仏が「二十六夜待(六夜待)」のご本尊の「勢至菩薩」らしい。中央はその附属碑。左端は碑文からすると、後世に追加建立されたものだ。安政五年(江戸末期)とある。行力不動(ぎょうりきふどう)と刻んであるから、これは月待塔ではなく、不動明王像だ。修行や山伏の行者が修行の安全を祈願するものと思われる。
桑沢山へ向かう。雪道の笹をもしゃもしゃと分け、倒木をまたぎ、起伏を縫うように歩く。山頂直前には「山神社」と書かれた祠があった。雪の綿帽子をかぶっている。山頂からは真正面に仙丈ヶ岳と甲斐駒。山稜は塩見岳を経て奥茶臼山まで静かにつながっていく。
登山口まで下山すると、聞き覚えのある熊鈴の音。さっきの彼だ。林道経由で楡沢山に行ってきたのだろう。どこの山が面白いかと聞いたら、「小式部城山から花戸屋」と返ってきた。
静かな山域での一期一会。冬の冷気と陽光が、今日の山歩きをいっそう味わい深いものにしてくれた。
ふ~さん
【伊那】六夜さまと、桑沢山
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Re: 【伊那】六夜さまと、桑沢山
おはようございます、ふ~さん。
さて、六夜様。上伊那・諏訪・木曽に見られる信仰だ。ここには石仏が一体、石碑が二基。かつては村人たちが「病気平癒・五穀豊穣・子孫繁栄・村境の守り」を願って集まる月待信仰の場だったのか。
江戸時代に流行った庚申さんみたいな感じですね。
夜どうしで皆が集まるのが娯楽の一つだったのでしょうね。
えらい勢いでひろまりました。
右の合掌する柔和な表情の石仏が「二十六夜待(六夜待)」のご本尊の「勢至菩薩」らしい。中央はその附属碑。左端は碑文からすると、後世に追加建立されたものだ。安政五年(江戸末期)とある。行力不動(ぎょうりきふどう)と刻んであるから、これは月待塔ではなく、不動明王像だ。修行や山伏の行者が修行の安全を祈願するものと思われる。
勢至菩薩は阿弥陀三尊の右脇侍で、セットで祀られることが多いのですが
単体というのは珍しいですね。伊勢本街道の仁柿越の入口で見たことがあります。
修験道の中心地だった秋葉神社から続く秋葉街道が近いのでその影響もあるのでしょう。
桑沢山へ向かう。雪道の笹をもしゃもしゃと分け、倒木をまたぎ、起伏を縫うように歩く。山頂直前には「山神社」と書かれた祠があった。雪の綿帽子をかぶっている。山頂からは真正面に仙丈ヶ岳と甲斐駒。山稜は塩見岳を経て奥茶臼山まで静かにつながっていく。
山神社の祠は現在でもどこかの集落が管理しているのかな?
登山口まで下山すると、聞き覚えのある熊鈴の音。さっきの彼だ。林道経由で楡沢山に行ってきたのだろう。どこの山が面白いかと聞いたら、「小式部城山から花戸屋」と返ってきた。
ヤブコギネッツトにピッタリの人ですね。
こういった人に出会える山域、いいですね。
次回も期待しています。
わりばし
さて、六夜様。上伊那・諏訪・木曽に見られる信仰だ。ここには石仏が一体、石碑が二基。かつては村人たちが「病気平癒・五穀豊穣・子孫繁栄・村境の守り」を願って集まる月待信仰の場だったのか。
江戸時代に流行った庚申さんみたいな感じですね。
夜どうしで皆が集まるのが娯楽の一つだったのでしょうね。
えらい勢いでひろまりました。
右の合掌する柔和な表情の石仏が「二十六夜待(六夜待)」のご本尊の「勢至菩薩」らしい。中央はその附属碑。左端は碑文からすると、後世に追加建立されたものだ。安政五年(江戸末期)とある。行力不動(ぎょうりきふどう)と刻んであるから、これは月待塔ではなく、不動明王像だ。修行や山伏の行者が修行の安全を祈願するものと思われる。
勢至菩薩は阿弥陀三尊の右脇侍で、セットで祀られることが多いのですが
単体というのは珍しいですね。伊勢本街道の仁柿越の入口で見たことがあります。
修験道の中心地だった秋葉神社から続く秋葉街道が近いのでその影響もあるのでしょう。
桑沢山へ向かう。雪道の笹をもしゃもしゃと分け、倒木をまたぎ、起伏を縫うように歩く。山頂直前には「山神社」と書かれた祠があった。雪の綿帽子をかぶっている。山頂からは真正面に仙丈ヶ岳と甲斐駒。山稜は塩見岳を経て奥茶臼山まで静かにつながっていく。
山神社の祠は現在でもどこかの集落が管理しているのかな?
登山口まで下山すると、聞き覚えのある熊鈴の音。さっきの彼だ。林道経由で楡沢山に行ってきたのだろう。どこの山が面白いかと聞いたら、「小式部城山から花戸屋」と返ってきた。
ヤブコギネッツトにピッタリの人ですね。
こういった人に出会える山域、いいですね。
次回も期待しています。
わりばし
Re: 【伊那】六夜さまと、桑沢山
わりばしさん、ご無沙汰しております。リプライありがとうございます。
六夜さまの存在を知って以来、あこがれ続けて、ずっと訪れるチャンスをねらってました。
月待信仰とは、特定の月齢の夜に月の出を待ち、祈りを捧げる民間信仰ですよね。旧暦の暦と生活が密接だった時代、人びとは月を単なる天体ではなく、時間を告げ、運命を運び、境界を照らす存在として受け止めていたのでしょう。
六夜、十三夜、十五夜、二十六夜・・・月待ちについて調べていくうち、沼入りでした。月待信仰の核心は、月を拝むこと以上に、月の出を待つ時間にあるように思います。旧暦六日や二十六日の月は、日没後すぐには昇りません。人びとは酒や食を囲み、語り合いながら、闇の中で月を待つわけです。この「何も昇ってこない時間」が、ひとつの信仰だったとも言えます。
六夜待は月の出が遅く、待ち時間も長くて。比較的素朴で、農村的。六夜様は、豊作や無病息災といった日常の安定を願う存在だったようです。
二十六夜待は、江戸期以降に広まり、船乗りや商人とも結びつきました。月は阿弥陀如来や観音の化身とされることもあるようです。こちらは、来世や救済への志向が強いようです。
六夜様が村境・峠・山の縁に祀られることが多いのも偶然ではない気がします。月は、昼と夜の境、此岸と彼岸の境、人の世界と異界のあいだを照らす光だったのかも。
現代は、すぐに結果を求め、待つことを嫌う時代です。人々はタイパを価値と認め、すぐに結果を求めたがる。だからこそ月待信仰は、逆に新鮮に思えます。それは、効率とは正反対の、世俗の民にとって世渡りのための静かな智恵なのかも。
うまく言えませんが、月待とは、祈りである以前に、人が人であるための「間(ま)」を大切にする行為だったのかもしれません。
ふ~さん
六夜さまの存在を知って以来、あこがれ続けて、ずっと訪れるチャンスをねらってました。
月待信仰とは、特定の月齢の夜に月の出を待ち、祈りを捧げる民間信仰ですよね。旧暦の暦と生活が密接だった時代、人びとは月を単なる天体ではなく、時間を告げ、運命を運び、境界を照らす存在として受け止めていたのでしょう。
六夜、十三夜、十五夜、二十六夜・・・月待ちについて調べていくうち、沼入りでした。月待信仰の核心は、月を拝むこと以上に、月の出を待つ時間にあるように思います。旧暦六日や二十六日の月は、日没後すぐには昇りません。人びとは酒や食を囲み、語り合いながら、闇の中で月を待つわけです。この「何も昇ってこない時間」が、ひとつの信仰だったとも言えます。
六夜待は月の出が遅く、待ち時間も長くて。比較的素朴で、農村的。六夜様は、豊作や無病息災といった日常の安定を願う存在だったようです。
二十六夜待は、江戸期以降に広まり、船乗りや商人とも結びつきました。月は阿弥陀如来や観音の化身とされることもあるようです。こちらは、来世や救済への志向が強いようです。
六夜様が村境・峠・山の縁に祀られることが多いのも偶然ではない気がします。月は、昼と夜の境、此岸と彼岸の境、人の世界と異界のあいだを照らす光だったのかも。
現代は、すぐに結果を求め、待つことを嫌う時代です。人々はタイパを価値と認め、すぐに結果を求めたがる。だからこそ月待信仰は、逆に新鮮に思えます。それは、効率とは正反対の、世俗の民にとって世渡りのための静かな智恵なのかも。
うまく言えませんが、月待とは、祈りである以前に、人が人であるための「間(ま)」を大切にする行為だったのかもしれません。
ふ~さん