【日付】 2025年10月23日
【山域】 台高山地
【メンバー】 むらまさ
【天候】 快晴
【ルート】 9:30舟戸登山口P~10:40高見峠P~11:40霊山南峰~12:50小峠~13:20高見峠P~14:10船戸登山口P
雨上がりの快晴を狙って、台高山脈北端の高見山へ、行って来ました。
高見峠のPからのコースでは面白くないので、舟戸登山口から歴史のある和歌山街道で!
山のフォーラムでわりばしさんやシュークリームさんがレポをあげられていて、とても興味があったルートです。
内容重なる部分も多いですがご了承願います。
舟戸登山口の舗装部分の広くなった所に車止めて良いのかと思いながら駐車。
小さな小屋が建っていて、帰りに川を覗くと水槽が有りアマゴを養殖しているようでした。
白い橋を渡り(昔の和歌山街道に橋は有ったのか?)立派な滑りそうなコンクリートの階段進むと
蘇我入鹿の首塚と云われる2mを超えるとても立派な五輪塔が有ります。
説明によると大化改新(645)で大極殿において中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)に
首を切られ暗殺された蘇我入鹿をと祀ったものといわれていると。
蘇我入鹿の首塚は飛鳥寺の東に在り、飛鳥板蓋宮ではねられた首が何百mも飛んで来た場所として祀られています。
舟戸にある五輪塔のすぐ西に、能化庵という寺院跡があり、蘇我入鹿の妻と姫君が入鹿の首塚を祀るために住んでいたとも
伝えられ、屋敷跡と思える平地と石垣を見ることができるそうですが、判りませんでした。
奈良まほろばソムリエの会のなら再発見より
https://www.stomo.jp/3k_kiji/3k141227.html
もう一つすごい自然石が在り、両部曼荼羅という、右端に元和5年(1619)5月18日 中央に南無阿弥陀仏
上部に日輪・月輪が刻まれ両部曼荼羅の形式をとった石碑らしいです。 蘇我入鹿と関係有るのか無いのか?ですが!
もっと他にも文字が彫られていますが、また調べてみます。
しばらく進むと、大二木茶屋跡の看板があり、かまど跡?かわや跡?は有るらしいが判らず。
わりばしさんやシュークリームさんは健脚なので、歩き易い良い道を書かれていたのですが、
私には嫌いな急勾配の林道という感じでした。
余り歩く人がいないのか、苔がびっしりという所も多くありました。
予定通りの時間で、高見峠(大峠)に着き、トイレ(松阪市管理)を済ませ高見山山頂へ
高見山は日本三百名山・関西百名山・まつさか香肌イレブンで、樹氷が有名で誰が付けたか関西のマッターホルンとか。
山道はとても整備された一定勾配の小一時間で登頂する事が出来る初級者コースになっています。
今日は快晴で絶好の高見山日和でした。
山頂からは360°展望でき、北は最近登った俱留尊山や屏風岩、登り損ねた兜岳・鎧岳が見え
南には台高山脈の山並みが、私は未だ池木屋山しか登ったことが無いので、これから繋いでいけたらなと。
山頂には、霊峰高角神社が有り祭神は瀬織津姫命と神武天皇東征先導の八咫烏建津命が祀られているそうです。
高見山は昔は高角山と呼ばれていたようです。日本遺産の案内板も登山口に在ります。
山頂のぽかぽかした斜面で、登られて来た和歌山と堺の方と山談義しながら、
カップ麺がおいしい時期になりおにぎりと食後のコーヒー飲んで一息しました。
下山ルートは平野の方に降ります。途中岩の案内看板の多いこと。
順番に笛吹岩(高見山の開祖聖人が笛を吹いた岩)・揺岩(多武峰 大職冠 藤原鎌足公と三度唱えると揺るぎだすと)
息子岩(左100mの沢の中にある岩に小石が命中すると男子を授かる)・国見岩(神武天皇が岩をよじ登り敵情を視察した所)
途中の分岐から小峠へ降りて、伊勢南街道?で高見峠(大峠)へ
この道も歩く人は少ないようでした。
高見峠に本居宣長の詠んだ歌が石碑に刻まれています
『白雲に峯はかくれて高見山見えぬもみちの色そゆかしき』のりなが
この歌は寛政6年(1794)10月11日に高見を越え東吉野村で読んだ歌です。
伊勢国松阪から65才で高見の道を超えて吉野水分神社へ寄り紀州家への旅であったと説明がありました。
私と同じ年でこの場所を超えたのだと単純に感動しました。
今回の和歌山街道から高見山は結構見どころ多く楽しかったです。
次回はここから台高を繋いでいくか、体力無いのでそれぞれの山を責めるか悩み処です。
2025年11月号の岳人でちょうど台高山脈縦走を服部文祥さんが歩いてルポされています。
2泊3日で歩けるんですね。 私には無理かも!
【台 高】 和歌山街道で高見山周回
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【 日 付 】
【 山 域 】
【メンバー】
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※ユーザーでなくても返信が可能です。ユーザー名に名前を入れて返信してください。
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Re: 【台 高】 和歌山街道で高見山周回
おはようございます、むらまささん。
舟戸登山口の舗装部分の広くなった所に車止めて良いのかと思いながら駐車。
小さな小屋が建っていて、帰りに川を覗くと水槽が有りアマゴを養殖しているようでした。
舟戸はいい所なんですが、駐車スペースに難儀します。
私は近くの民家の方に一声かけました。
白い橋を渡り(昔の和歌山街道に橋は有ったのか?)立派な滑りそうなコンクリートの階段進むと
蘇我入鹿の首塚と云われる2mを超えるとても立派な五輪塔が有ります。
説明によると大化改新(645)で大極殿において中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)に
首を切られ暗殺された蘇我入鹿をと祀ったものといわれていると。
舟戸の集落内の墓地なども昔のお宝が満載ですよ。
舟戸にある五輪塔のすぐ西に、能化庵という寺院跡があり、蘇我入鹿の妻と姫君が入鹿の首塚を祀るために住んでいたとも
伝えられ、屋敷跡と思える平地と石垣を見ることができるそうですが、判りませんでした。
あのちょっとした平地だと思いますが。
しばらく進むと、大二木茶屋跡の看板があり、かまど跡?かわや跡?は有るらしいが判らず。
ここははっきりと残っています。
地図にある641.3の水準点の場所です。
予定通りの時間で、高見峠(大峠)に着き、トイレ(松阪市管理)を済ませ高見山山頂へ
高見山は日本三百名山・関西百名山・まつさか香肌イレブンで、樹氷が有名で誰が付けたか関西のマッターホルンとか。
山道はとても整備された一定勾配の小一時間で登頂する事が出来る初級者コースになっています。
長男が4歳の時に連れていきました。
途中の分岐から小峠へ降りて、伊勢南街道?で高見峠(大峠)へ
この道も歩く人は少ないようでした。
そうでもないですよ。
公共交通機関を使う人は杉谷から小峠経由で登っています。
高見峠に本居宣長の詠んだ歌が石碑に刻まれています
『白雲に峯はかくれて高見山見えぬもみちの色そゆかしき』のりなが
この歌は寛政6年(1794)10月11日に高見を越え東吉野村で読んだ歌です。
伊勢国松阪から65才で高見の道を超えて吉野水分神社へ寄り紀州家への旅であったと説明がありました。
私と同じ年でこの場所を超えたのだと単純に感動しました。
宣長にしても松浦武四郎にしてもよく歩きます。
両名とも北畠の家臣の末裔で、その関係もあり南朝のあった吉野に詣でています。
お疲れさまでした。
わりばし
舟戸登山口の舗装部分の広くなった所に車止めて良いのかと思いながら駐車。
小さな小屋が建っていて、帰りに川を覗くと水槽が有りアマゴを養殖しているようでした。
舟戸はいい所なんですが、駐車スペースに難儀します。
私は近くの民家の方に一声かけました。
白い橋を渡り(昔の和歌山街道に橋は有ったのか?)立派な滑りそうなコンクリートの階段進むと
蘇我入鹿の首塚と云われる2mを超えるとても立派な五輪塔が有ります。
説明によると大化改新(645)で大極殿において中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)に
首を切られ暗殺された蘇我入鹿をと祀ったものといわれていると。
舟戸の集落内の墓地なども昔のお宝が満載ですよ。
舟戸にある五輪塔のすぐ西に、能化庵という寺院跡があり、蘇我入鹿の妻と姫君が入鹿の首塚を祀るために住んでいたとも
伝えられ、屋敷跡と思える平地と石垣を見ることができるそうですが、判りませんでした。
あのちょっとした平地だと思いますが。
しばらく進むと、大二木茶屋跡の看板があり、かまど跡?かわや跡?は有るらしいが判らず。
ここははっきりと残っています。
地図にある641.3の水準点の場所です。
予定通りの時間で、高見峠(大峠)に着き、トイレ(松阪市管理)を済ませ高見山山頂へ
高見山は日本三百名山・関西百名山・まつさか香肌イレブンで、樹氷が有名で誰が付けたか関西のマッターホルンとか。
山道はとても整備された一定勾配の小一時間で登頂する事が出来る初級者コースになっています。
長男が4歳の時に連れていきました。
途中の分岐から小峠へ降りて、伊勢南街道?で高見峠(大峠)へ
この道も歩く人は少ないようでした。
そうでもないですよ。
公共交通機関を使う人は杉谷から小峠経由で登っています。
高見峠に本居宣長の詠んだ歌が石碑に刻まれています
『白雲に峯はかくれて高見山見えぬもみちの色そゆかしき』のりなが
この歌は寛政6年(1794)10月11日に高見を越え東吉野村で読んだ歌です。
伊勢国松阪から65才で高見の道を超えて吉野水分神社へ寄り紀州家への旅であったと説明がありました。
私と同じ年でこの場所を超えたのだと単純に感動しました。
宣長にしても松浦武四郎にしてもよく歩きます。
両名とも北畠の家臣の末裔で、その関係もあり南朝のあった吉野に詣でています。
お疲れさまでした。
わりばし
Re: 【台 高】 和歌山街道で高見山周回
わりばし さん、こんにちは。レスありがとうございます。
舟戸登山口の舗装部分の広くなった所に車止めて良いのかと思いながら駐車。
小さな小屋が建っていて、帰りに川を覗くと水槽が有りアマゴを養殖しているようでした。
登山者駐車場とか、ここは駐車可とかの表示欲しいです。
白い橋を渡り(昔の和歌山街道に橋は有ったのか?)立派な滑りそうなコンクリートの階段進むと
蘇我入鹿の首塚と云われる2mを超えるとても立派な五輪塔が有ります。
説明によると大化改新(645)で大極殿において中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)に
首を切られ暗殺された蘇我入鹿をと祀ったものといわれていると。
集落のお墓の中でじろじろ見るのもな、と寄りませんでした。
蘇我入鹿の妻や姫のお墓はないのでしょうか?
舟戸にある五輪塔のすぐ西に、能化庵という寺院跡があり、蘇我入鹿の妻と姫君が入鹿の首塚を祀るために住んでいたとも
伝えられ、屋敷跡と思える平地と石垣を見ることができるそうですが、判りませんでした。
しばらく進むと、大二木茶屋跡の看板があり、かまど跡?かわや跡?は有るらしいが判らず。
予定通りの時間で、高見峠(大峠)に着き、トイレ(松阪市管理)を済ませ高見山山頂へ
高見山は日本三百名山・関西百名山・まつさか香肌イレブンで、樹氷が有名で誰が付けたか関西のマッターホルンとか。
山道はとても整備された一定勾配の小一時間で登頂する事が出来る初級者コースになっています。
途中の分岐から小峠へ降りて、伊勢南街道?で高見峠(大峠)へ
この道も歩く人は少ないようでした。
小峠から大峠は道、悪い所も有りました。
高見峠に本居宣長の詠んだ歌が石碑に刻まれています
『白雲に峯はかくれて高見山見えぬもみちの色そゆかしき』のりなが
この歌は寛政6年(1794)10月11日に高見を越え東吉野村で読んだ歌です。
伊勢国松阪から65才で高見の道を超えて吉野水分神社へ寄り紀州家への旅であったと説明がありました。
私と同じ年でこの場所を超えたのだと単純に感動しました。
舟戸登山口の舗装部分の広くなった所に車止めて良いのかと思いながら駐車。
小さな小屋が建っていて、帰りに川を覗くと水槽が有りアマゴを養殖しているようでした。
平日なので車は1台も停まってませんでした。舟戸はいい所なんですが、駐車スペースに難儀します。
私は近くの民家の方に一声かけました。
登山者駐車場とか、ここは駐車可とかの表示欲しいです。
白い橋を渡り(昔の和歌山街道に橋は有ったのか?)立派な滑りそうなコンクリートの階段進むと
蘇我入鹿の首塚と云われる2mを超えるとても立派な五輪塔が有ります。
説明によると大化改新(645)で大極殿において中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)に
首を切られ暗殺された蘇我入鹿をと祀ったものといわれていると。
あとからお宝が在った事を知りました。車からなんか変わった形で立派はお墓だなと思いましたが、舟戸の集落内の墓地なども昔のお宝が満載ですよ。
集落のお墓の中でじろじろ見るのもな、と寄りませんでした。
蘇我入鹿の妻や姫のお墓はないのでしょうか?
舟戸にある五輪塔のすぐ西に、能化庵という寺院跡があり、蘇我入鹿の妻と姫君が入鹿の首塚を祀るために住んでいたとも
伝えられ、屋敷跡と思える平地と石垣を見ることができるそうですが、判りませんでした。
余り時間掛けれなかったので、石垣は判りませんでした。あのちょっとした平地だと思いますが。
しばらく進むと、大二木茶屋跡の看板があり、かまど跡?かわや跡?は有るらしいが判らず。
今度歩いたら(たぶん歩かないかな?)探してみます。ここははっきりと残っています。
地図にある641.3の水準点の場所です。
予定通りの時間で、高見峠(大峠)に着き、トイレ(松阪市管理)を済ませ高見山山頂へ
高見山は日本三百名山・関西百名山・まつさか香肌イレブンで、樹氷が有名で誰が付けたか関西のマッターホルンとか。
山道はとても整備された一定勾配の小一時間で登頂する事が出来る初級者コースになっています。
息子さんらも山やさんですか?長男が4歳の時に連れていきました。
途中の分岐から小峠へ降りて、伊勢南街道?で高見峠(大峠)へ
この道も歩く人は少ないようでした。
岳人の服部文祥さんのレポでそのルートでした。そうでもないですよ。
公共交通機関を使う人は杉谷から小峠経由で登っています。
小峠から大峠は道、悪い所も有りました。
高見峠に本居宣長の詠んだ歌が石碑に刻まれています
『白雲に峯はかくれて高見山見えぬもみちの色そゆかしき』のりなが
この歌は寛政6年(1794)10月11日に高見を越え東吉野村で読んだ歌です。
伊勢国松阪から65才で高見の道を超えて吉野水分神社へ寄り紀州家への旅であったと説明がありました。
私と同じ年でこの場所を超えたのだと単純に感動しました。
昔の偉人とかはすごかったですね! 私には無理ですね!宣長にしても松浦武四郎にしてもよく歩きます。
両名とも北畠の家臣の末裔で、その関係もあり南朝のあった吉野に詣でています。
お疲れさまでした。
むらまさ
歴史や物語の有る山が好きです!
歴史や物語の有る山が好きです!