【高見山地】琵琶越の大日如来と白髪越の大日如来

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わりばし
記事: 1902
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

【高見山地】琵琶越の大日如来と白髪越の大日如来

投稿記事 by わりばし »

【日 付】2025年6月21日(土)
【山 域】高見山地
【コース】旅行村8:15---11:00白髪峠---12:15不動さん---14:00旅行村
【メンバー】単独

https://maps.gsi.go.jp/#15/34.460322/13 ... z0r0s0m0f1

 中世に北畠の領国内だった御杖と飯高を結ぶ山路はいくつかある。中世にあったのは三峰山登山道と福本登山道をつないだ神末越と白髪越、請取峠越になる。まだ歩いていない新道峠につながる琵琶越の道を御杖からたどり、白髪越を下る。

 神末の旅行村に駐車する。神末越は神末の秋葉城と福本城を結ぶ道でもあったが標高の高い三峰山直下の八丁平を通る事もあり、物資輸送の中心は白髪越、請取峠越だった。琵琶越の道を歩く、現在の新道登山道を進む。シナノキ平で山の神入口の看板があるので見に行く。堰堤を越え2つの炭窯跡をすぎた所に小屋があり、その奥に大岩に注連縄がかかっている。大岩を包むように古木が根をめぐらせ大岩前には自然石の山の神がいくつか置いてあった。大岩は磐座で、行者が修行をした場所を山の神として使ったようだ。林道終点からは昔の新道が残っており、真っすぐゆるやかに道はつけられている。天保5(1834)年に神末村がこの道を作り、菅野・白髪峠を経ずに川俣(飯高)に米穀を輸送した。このことで、菅野村との相論があったと御杖村史には書かれている。


山の神
山の神

 新道峠を越える山路を御杖では琵琶越と呼んでいる。峠の直下の水場を上ると新道峠の大日如来が待っている。大日如来を祀るのは修験道の盛んな山域であったことが下地にあるが、大日如来が牛の守り神という信仰がある。牛馬での物の運搬の行われた峠で牛の守り神としての道標が置かれたようだ。苔生した智拳印に手を組んだ大日如来の石仏が広々とした峠の風情を醸し出している。

琵琶越の大日如来
琵琶越の大日如来

 稜線を歩き飯高町月出が見えてくると白髪峠の牛道は近い。稜線の月出側に牛道が現れ、九十九折のキャタピラ道につながっている。牛道が稜線に上がってくるとすぐに朽ちたブナの木のある白髪峠に着く。埋もれかけた大日如来の石仏があり、これを修正するためにスコップを持ってきた。土を掘っていくと、石仏の後ろの木の根に押されて前に傾いた状態で埋もれている。埋もれていた下部の穴を土で埋めてその上に石仏を安置した。これで大日如来に陽光が当たる。よく見ると一般的な金剛界大日如来とは異なり、智拳印ではなく、理拳印(もしくは左拳印)と呼ばれる智拳印と左右の手を逆に結ぶ印相をあらわしている。大日如来を彫ったことのない地元の石工が間違えたのだろうか。柔和な顔立ちにデフォルメされた足の組み方といい素朴な大日如来だ。

白髪越の大日如来
白髪越の大日如来

 牛道は破線道とはちがいトラバースして尾根につながる。尾根に入っても牛道は稜線を上ることなくトラバースしてつながっている。溝道も深く、古くから幹線道として使われてきた道で新道とは風格が違う。九十九折や切通も交えながらしっかりつながっており、この時は楽勝と思っていた。P756の左側をトラバースしたあたりに四角い石柱が倒れている。何かなと思い起こすと、僧侶の彫られた石仏だった。石仏の先が土に埋もれ下部の四角い部分だけ顔を出していた。奥の台座の辺りを掘り返すと根っこが何重にも重なった土の下に台座が現れた。台座をスコップできれいにして、石仏を直しておいた。石仏には「山伏往来」の文字もあり修験の行者が建てた物のようだ。十年以上は倒れたままだった感じで、牛道にある石仏が長年放置されていたのはどうしてだろうと思っていた。

僧侶の石仏
僧侶の石仏

 この先のトラバースでは溝道は消え、微妙なバリルートに変わるものの道はつながっている。巻き終えると尾根上に溝道は現れるが、伐採した木のゴミ捨て場になっていて歩けない。溝道は破線道の直線ではなく右の谷の伐採地に向けて下っており、最後は伐採時のキャタピラ道で軟着陸した。取りつき地点がこの状態では、立派な牛道があっても歩く人はおらず石仏が倒れたまま放置されていたのだろう。

白髪越の道
白髪越の道

 下山地点の上流には「不動さん」と呼ばれている祠と不動滝があり、菅野川本流との出会いには苔生した地蔵さんが置かれていた。菅野は伊勢本街道の起点の長谷から八里で旅籠がたくさんあった宿場町で、御杖の中心地だ。それだけに菅野と飯高を結ぶ山越えの路は、物資だけでなく行者など様々な人々が歩いたことだろう。美杉の川上若宮八幡宮の神体山になる川上十三峰の中心三峰山の麓だけに修験道の色合いを深く残す山域だった。
グー(伊勢山上住人)
記事: 2412
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:10
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Re: 【高見山地】琵琶越の大日如来と白髪越の大日如来

投稿記事 by グー(伊勢山上住人) »

20250618-27.jpg



わりばしさん、こんにちは。

【高見山地】琵琶越の大日如来と白髪越の大日如来

「琵琶越って、どこなんだろう?」
さっぱり見当つかずに読み始める。

【コース】旅行村8:15---11:00白髪峠---12:15不動さん---14:00旅行村

知ってる固有名詞が2つもあるぞ。

三峰山登山道と福本登山道をつないだ神末越と白髪越、請取峠越になる。
まだ歩いていない新道峠につながる琵琶越の道を御杖からたどり、白髪越を下る。


なんだ新道峠のことか。

現在の新道登山道を進む。シナノキ平で山の神入口の看板があるので見に行く。

今年5月16日に初めて歩きましたが、全く気付かないまま歩いています

白髪峠に着く。埋もれかけた大日如来の石仏があり、これを修正するためにスコップを持ってきた。

さすがわりばしさん。すばらしい。

牛道は破線道とはちがいトラバースしてつながっている。

登山道は稜線や尾根芯を通してつけられる場合が多いですが、
昔の生活道や仕事道はアップダウンが少なく足にやさしくつけられています。

溝道も深く、古くから幹線道として使われてきた道で新道とは風格が違う。

「風格」ねぇ。
グーは相変わらず風格なんて意識しない鹿道を追いかけてしまいます。
鹿道も効率を十分考慮してつけられていますよ。
時として恐ろしくて突っ込めないトラバース道もありますが。

四角い石柱が倒れている。何かなと思い起こすと、僧侶の彫られた石仏だった。
台座をスコップできれいにして、石仏を直しておいた。


これまたいい仕事をされました。

溝道は現れるが、伐採した木のゴミ捨て場になっていて歩けない。

今山で仕事をしている人たちは効率一番で歴史への配慮には無頓着な人も多いです。

最後は伐採時のキャタピラ道で軟着陸した。取りつき地点がこの状態では、立派な牛道があっても歩く人はおらず石仏が倒れたまま放置されていたのだろう。

この辺りの歴史の道を歩く人はわりばしさんとあと数名だけでしょうね。

下山後が気になる。
・826と・858の間の鞍部の標高はCo790。下山地点との標高差は200m。
谷を遡って旅行村に戻ったのだろうか?
それとも自転車で戻ったのだろうか?

                    グー(伊勢山上住人)
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わりばし
記事: 1902
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【高見山地】琵琶越の大日如来と白髪越の大日如来

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、グーさん。

三峰山登山道と福本登山道をつないだ神末越と白髪越、請取峠越になる。
まだ歩いていない新道峠につながる琵琶越の道を御杖からたどり、白髪越を下る。


なんだ新道峠のことか。

飯高では言いませんが、御杖では琵琶越と呼んでいたようです。
なんで琵琶なんだろう?


琵琶越の道
琵琶越の道

現在の新道登山道を進む。シナノキ平で山の神入口の看板があるので見に行く。

今年5月16日に初めて歩きましたが、全く気付かないまま歩いています

遠いなあと思いながら歩いていましたが、朽ちた古木のある苔生した磐座で驚きました。
磐座をそのまま使っている山の神ははじめてです。


白髪峠に着く。埋もれかけた大日如来の石仏があり、これを修正するためにスコップを持ってきた。

さすがわりばしさん。すばらしい。

最初に来た時には石仏があるのに気づかないぐらい埋もれてました。
何とかしなきゃとは思っていたんです。


牛道は破線道とはちがいトラバースしてつながっている。

登山道は稜線や尾根芯を通してつけられる場合が多いですが、
昔の生活道や仕事道はアップダウンが少なく足にやさしくつけられています。

ここの道は歴史が違うというか
南伊勢5郡の中で距離と言い規模と言い一番大きいと思います。

白髪越の石仏
白髪越の石仏

溝道も深く、古くから幹線道として使われてきた道で新道とは風格が違う。

「風格」ねぇ。
グーは相変わらず風格なんて意識しない鹿道を追いかけてしまいます。
鹿道も効率を十分考慮してつけられていますよ。
時として恐ろしくて突っ込めないトラバース道もありますが。


神武天皇が山越えしたときに白髪になるほど苦労したという言い伝えから白髪越はきています。
古代から多くの人が歩いた道が歩いてきた痕跡です。
風格のある道もトラバースでは、獣道同然です。


四角い石柱が倒れている。何かなと思い起こすと、僧侶の彫られた石仏だった。
台座をスコップできれいにして、石仏を直しておいた。


これまたいい仕事をされました。

この日は2つも良いことをしたので功徳が積めたかな。

溝道は現れるが、伐採した木のゴミ捨て場になっていて歩けない。

今山で仕事をしている人たちは効率一番で歴史への配慮には無頓着な人も多いです。

手を入れやすい下部の取りつきが歩けなくなっているケースが多いです。
奥の尾根までいくと溝道が残っているんですが・・


最後は伐採時のキャタピラ道で軟着陸した。取りつき地点がこの状態では、立派な牛道があっても歩く人はおらず石仏が倒れたまま放置されていたのだろう。

この辺りの歴史の道を歩く人はわりばしさんとあと数名だけでしょうね。

結構貴重だと思うのは私だけ?

白髪越口の野仏
白髪越口の野仏

下山後が気になる。
・826と・858の間の鞍部の標高はCo790。下山地点との標高差は200m。
谷を遡って旅行村に戻ったのだろうか?
それとも自転車で戻ったのだろうか?


自転車です。山越え道の起点の菅野や牛峠などを自転車で走っていると見えてくる物もあります。
自動車ではこうはいきません。        
         
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山日和
記事: 3846
登録日時: 2011年2月20日(日) 10:12
お住まい: 大阪府箕面市

Re: 【高見山地】琵琶越の大日如来と白髪越の大日如来

投稿記事 by 山日和 »

わりばしさん、こんばんは。

シナノキ平で山の神入口の看板があるので見に行く。堰堤を越え2つの炭窯跡をすぎた所に小屋があり、その奥に大岩に注連縄がかかっている。大岩を包むように古木が根をめぐらせ大岩前には自然石の山の神がいくつか置いてあった。大岩は磐座で、行者が修行をした場所を山の神として使ったようだ。

この山の神は凄いですね。若狭の轆轤山から三十三間山へ行った時、山の神とは違いますが黒龍大明神番衆大神という大岩に根を張り巡らせた
大木があって驚かされました。

峠の直下の水場を上ると新道峠の大日如来が待っている。大日如来を祀るのは修験道の盛んな山域であったことが下地にあるが、大日如来が牛の守り神という信仰がある。牛馬での物の運搬の行われた峠で牛の守り神としての道標が置かれたようだ。苔生した智拳印に手を組んだ大日如来の石仏が広々とした峠の風情を醸し出している。

馬頭観音や牛頭観音(仏教ではこれはないらしいですが)も同じような流れでしょうか。

埋もれかけた大日如来の石仏があり、これを修正するためにスコップを持ってきた。土を掘っていくと、石仏の後ろの木の根に押されて前に傾いた状態で埋もれている。埋もれていた下部の穴を土で埋めてその上に石仏を安置した。これで大日如来に陽光が当たる。よく見ると一般的な金剛界大日如来とは異なり、智拳印ではなく、理拳印(もしくは左拳印)と呼ばれる智拳印と左右の手を逆に結ぶ印相をあらわしている。大日如来を彫ったことのない地元の石工が間違えたのだろうか。柔和な顔立ちにデフォルメされた足の組み方といい素朴な大日如来だ。

素晴らしいですね。これでわりばしさんにもご利益があるでしょう。 :lol:

P756の左側をトラバースしたあたりに四角い石柱が倒れている。何かなと思い起こすと、僧侶の彫られた石仏だった。石仏の先が土に埋もれ下部の四角い部分だけ顔を出していた。奥の台座の辺りを掘り返すと根っこが何重にも重なった土の下に台座が現れた。台座をスコップできれいにして、石仏を直しておいた。石仏には「山伏往来」の文字もあり修験の行者が建てた物のようだ。

僧侶の像というのは珍しいでしょうか。
若狭の串小川上流の何もないところに僧侶の座像があるらしいので、一度見に行こうと思います。

下山地点の上流には「不動さん」と呼ばれている祠と不動滝があり、菅野川本流との出会いには苔生した地蔵さんが置かれていた。菅野は伊勢本街道の起点の長谷から八里で旅籠がたくさんあった宿場町で、御杖の中心地だ。それだけに菅野と飯高を結ぶ山越えの路は、物資だけでなく行者など様々な人々が歩いたことだろう。美杉の川上若宮八幡宮の神体山になる川上十三峰の中心三峰山の麓だけに修験道の色合いを深く残す山域だった。

人々の往来と信仰の篤さが偲ばれる山域ですね。

                         山日和
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わりばし
記事: 1902
登録日時: 2011年2月20日(日) 16:55
お住まい: 三重県津市

Re: 【高見山地】琵琶越の大日如来と白髪越の大日如来

投稿記事 by わりばし »

おはようございます、山日和さん。

シナノキ平で山の神入口の看板があるので見に行く。堰堤を越え2つの炭窯跡をすぎた所に小屋があり、その奥に大岩に注連縄がかかっている。大岩を包むように古木が根をめぐらせ大岩前には自然石の山の神がいくつか置いてあった。大岩は磐座で、行者が修行をした場所を山の神として使ったようだ。

この山の神は凄いですね。若狭の轆轤山から三十三間山へ行った時、山の神とは違いますが黒龍大明神番衆大神という大岩に根を張り巡らせた大木があって驚かされました。

「もののけ姫」の世界のような山の神でした。
昨日、請取峠を歩いてきましたが、ここにも石灰岩の山の神が固められていました。

山の神
山の神

峠の直下の水場を上ると新道峠の大日如来が待っている。大日如来を祀るのは修験道の盛んな山域であったことが下地にあるが、大日如来が牛の守り神という信仰がある。牛馬での物の運搬の行われた峠で牛の守り神としての道標が置かれたようだ。苔生した智拳印に手を組んだ大日如来の石仏が広々とした峠の風情を醸し出している。

馬頭観音や牛頭観音(仏教ではこれはないらしいですが)も同じような流れでしょうか。

どうなんでしょうね。
大日如来がこれだけ残っている地域は南伊勢5郡だけのように思います。
牛の守り神から松坂牛の畜産協会も立派な銅像を寄進しており
松坂牛の守り神にもなっています。


埋もれかけた大日如来の石仏があり、これを修正するためにスコップを持ってきた。土を掘っていくと、石仏の後ろの木の根に押されて前に傾いた状態で埋もれている。埋もれていた下部の穴を土で埋めてその上に石仏を安置した。これで大日如来に陽光が当たる。よく見ると一般的な金剛界大日如来とは異なり、智拳印ではなく、理拳印(もしくは左拳印)と呼ばれる智拳印と左右の手を逆に結ぶ印相をあらわしている。大日如来を彫ったことのない地元の石工が間違えたのだろうか。柔和な顔立ちにデフォルメされた足の組み方といい素朴な大日如来だ。

素晴らしいですね。これでわりばしさんにもご利益があるでしょう。 :lol:

組み手を間違えるなんて宗教時にはあり得ないと思いますが
建立した時には、修験の本尊よりも牛の守り神という意味合いの方が強かったんだろうと思います。


P756の左側をトラバースしたあたりに四角い石柱が倒れている。何かなと思い起こすと、僧侶の彫られた石仏だった。石仏の先が土に埋もれ下部の四角い部分だけ顔を出していた。奥の台座の辺りを掘り返すと根っこが何重にも重なった土の下に台座が現れた。台座をスコップできれいにして、石仏を直しておいた。石仏には「山伏往来」の文字もあり修験の行者が建てた物のようだ。

僧侶の像というのは珍しいでしょうか。
若狭の串小川上流の何もないところに僧侶の座像があるらしいので、一度見に行こうと思います。


割とあると思います。
昨日の帰りに見に行くと先週の雨で彫ってあった文字が浮かび上がってきてました。
「山内往来 諸人牛馬 安全」と彫られていて白髪越がどんな道だったのがよく表しています。
「文政5(1822)年2月建立」と側面に彫られているので200年間白髪越の道を見守ってきたんですねえ。

安全祈願の石仏
安全祈願の石仏
下山地点の上流には「不動さん」と呼ばれている祠と不動滝があり、菅野川本流との出会いには苔生した地蔵さんが置かれていた。菅野は伊勢本街道の起点の長谷から八里で旅籠がたくさんあった宿場町で、御杖の中心地だ。それだけに菅野と飯高を結ぶ山越えの路は、物資だけでなく行者など様々な人々が歩いたことだろう。美杉の川上若宮八幡宮の神体山になる川上十三峰の中心三峰山の麓だけに修験道の色合いを深く残す山域だった。

人々の往来と信仰の篤さが偲ばれる山域ですね。

                         
石仏の文字がはっきりして、この思いが強くなりました。

不動さん
不動さん
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