【 日 付 】2019年7月25日
【 山 域 】インドネシア ジャワ島
【メンバー】山猫、教授、ガイド
【 天 候 】曇りのち晴れ
【 ルート 】登山口1:27〜3:34噴火口縁〜4:04噴火口底4:44〜5:38イジェン山山頂部〜登山口7:20
東京の某大学を引退された教授(以下、教授)からインドネシアはジャカルタで開催される国際フォーラムでの仕事のお誘い頂く。ついでにジャワ島の東端にあるイジェン山のことを教えて頂く。ジャカルタでの仕事の後でこのイジェン山に一緒に出かけないかという訳である。国際フォーラムにおける英語で1時間の講演であり、内容も容易な話ではないのだが、このイジェン山の話を聞いただけで私は即座に快諾の返事をしたのだった。
その時はイジェン山のことを全く知らなかったのだが、ネットで検索すると思いがけないことを知るのだった。まずイジェン山で検索すると即座に上がってくるのは山の姿ではなく、青い炎の写真である。その幽玄な美しさに私の目は釘付けになった。日本ではあまり知られていないようだが、この火山が世界に知られるのは噴火口から吹き上がる青い炎ゆえのことらしい。
青い炎の正体は噴火口から噴き上がるガスに含まれる高濃度の硫黄成分のためらしい。青い炎を見ることが出来るのは夜中だけなので、この炎を見ようと思うと真夜中にこの火山に登山をすることになる。私の登山の趣味を知っている教授は夜間登山を同伴させるに格好の相手だと思って頂いたようだ。
登山口からは噴火口の縁までおよそ3km、さらに約1kmほど噴火口まで急斜面を下る山行となる。しかも有毒ガスが立ち込めるのでガスマスクが必携らしい。現地のツアーに申し込むか、またはガイドを手配すると、登山口までは離合の困難な細い道を延々と真夜中にドライブしてくれて、さらにガスマスクも用意してくれるようだ。
- 毒ガスに要注意
当初、同じ島内であるから容易にこの火山にアプローチ出来るものかと思っていたが、それはとんだ見込違いであった。ジャワ島の西の端にあるジャカルタから東端までは陸路では時間がかかり過ぎるので、飛行機で移動しなければならない。羽田空港で教授と落ち合うと、噴火口の有毒ガスが強く、肝心の青い炎を見ることが出来る噴火口に下りることはしばらく前から規制されているらしいとの情報を聞き、すっかりテンションが下がるのだった。
ジャカルタでの仕事の翌日、ジャワ島の東端の街Banyuwangiへと飛ぶ。赤道直下ではあるが、気温は意外と低く、風もあるせいか涼しく感じられる。登山口まで我々を運んでくれるガイドと運転手がホテルまで案内してくれる。ホテルはそれなりの数の外国人が泊まっているようだ。レストランのウエイトレスの女の子が云うには日本人は滅多に見かけないらしい。中国人も時折見かけるくらいで、ヨーロッパからの人達が圧倒的に多いとのこと。確かに聞こえてくるのはフランス語、ドイツ語、英語、オランダ語・・・意外にもオランダが多いのはかつての植民地だからであろう。ホテルの対岸には狭い海峡を挟んですぐ目の間にバリ島を望む。バリ島への観光のついでにフェリーで渡って来る人達も多いようだ。
出発の時間は深夜0時とのこと。夕食後に仮眠をとって予定の時間にホテルのフロントに出て行くと、ホテル中の宿泊客が起き出して集合している。よくよく考えると、このジャワ島の東端の辺鄙な街までわざわざ出かけてくるのも、このイジェン山の青い炎を見ること以外の目的はないだろう。
登山口まではホテルからおよそ1時間ほど。途中で登山のためのもう一人のガイドが車に乗り込んでくる。登山口にたどり着くと、駐車場には既に相当な数の車が停められている。ガイドからはガスマスクを手渡される。ガスマスクといっても顔を覆うような本格的なものではなく、鼻を覆うだけの簡易なものだ。
登山口からは続々と人々が登り始めているが、やはりそのほとんどが外国人のようだ。登山口の標高は既に1800m、気温は十分に寒い。歩き始めると、闇の中をどこまでもヘッドライトの行列が続いている。まるで富士山の登山のようだ。数百人の観光客が登っているようだ。平日なので登っているのは外国人ばかりである。登山道には濃い霧がかかっている。
高度2200mのあたりであたりの霧が晴れ始める。どうやら雲の上に出たようだ。先ほどまでは周囲は密林の気配であったが、突然、森林限界を越えたようだ。いつしか空には煌々と半月が輝いている。月明かりのお陰で足元は十分に明るく、ライトの明かりを必要としない。荒涼とした火山の斜面を緩やかに登ってゆく。
噴火口の底の方では猛烈な勢いで噴煙が上がっているのが見えるが、その噴煙に向かって人々のライトの列が続いている。有毒ガスのせいで噴火口には降りることが規制されているとの話であったが、どうやら降りることが出来るようだ。ここからは登山ガイドのみが我々に随行することになった。
下り始めると間もなく”miner, miner”と前の方から叫ぶ声が聞こえる。間もなく、天秤棒の両端に真っ黄色な硫黄の塊を積んで下から登ってくる鉱夫が暗闇の中から現われる。minerとは鉱夫を意味する英語である。彼らが一回に運ぶ硫黄の重さはおよそ90kg程らしい。一回の運搬で70,000ルピー、およそ600円に相当する賃金を稼ぐらしい。インドネシアは極度のインフレである。重労働で疲れきった鉱夫達には一様に表情はなく、失礼ではあるが地獄の底から這い上がってきた幽鬼のようにも思われた。
- miner
- 硫黄
やがてガイドがここがblue fireですと云う。ガイドが指差す方向にはもくもくと湧き上がる煙しか見えない。しかし噴煙が一瞬晴れたかと思うと、闇の中から突然、岩肌に青い焔が出現した。炎というよりも光を放つ液体が岩肌を流れているようにも見える。その青い炎は光の強いところは薄紫色を呈し、漆黒の岩肌に描かれた絵画のようでもあり、この世のものとは思われぬ幻想的な情景である。しかし、青い炎は瞬く間に濃厚なガスの中へと姿をくらます。青い焔は噴煙のガスが途切れた瞬間に垣間見ることが出来るのみだ。
ガイドがここから先は危険ですと云う。しかし、見ると多くの人がより近くで青い焔を見ようと多くの人が下に降りている。私もガスマスクで鼻を覆い、炎に近づいてみることにしる。火の近くにたどり着くと”gas is coming!”と叫ぶ声が聞こえたかと思うと、濃厚なガスに取り囲まれる。ガスマスクの隙間から硫化水素のガスが鼻腔に入り込み、すぐにも咽せることになる。同時にガスによる刺激で目が痛む。流石に命の危険を感じる。碌な写真の一枚も撮れないうちに、すぐに撤退することになるのであった。
ガイドと教授のところまで戻り、ガスの切れた瞬間を狙って青い炎の写真を撮ることを試みる。しかしautofocusは上手く作動しない上、感度(ISO)や露出の調整が必要でなかなか思うようには写真はとれない。
噴火口の縁まで再び急峻な斜面を登る。噴煙の中から時折、青い炎が姿を覗かせるのが上からでも見ることが出来るが、あたりが徐々に明るくなるにつれて、青い炎の光は急速に朝の暁光の中へと消えて行くのだった。
噴火口の縁までたどり着くと脚を痛めておられる教授は駐車場までタクシーと呼ばれる人力車で下ることを選ばれる。料金は30万ルピー・・・と聞くと法外な値段をふっかけられているようにも聞こえるが、実際には2400円ほどである。人力車で3kmほどの急な登山道を下るので、労働から考えると日本の感覚では相当に安いように思われる。
教授とお別れすると私はsunrise pointと呼ばれる噴火口の東側にある展望台を目指すことにする。気がつくとガイド二人が、教授の随行はいいのかと思ったが、登山口で車の運転手が出迎えてくれるように連絡してあるらしい。噴火口の縁を登って行くと、噴火口のあたりは瞬く間に雲に覆われて何も見えなくなった。
展望所にたどり着くと、間もなく東の雲海の上から太陽が登ってくる。噴火口の縁から底にかけて、斜面に刻み込まれた縞模様も雲の中から姿を現す。やがて噴火口の上にかかる霧も徐々に薄くなり、半径22kmあるとされる世界最大のカルデラ湖が姿を見せる。しばしばturquoise blueと表現されるらしい、鈍い青緑色の湖面が霧の向こうに広がっている。
下山は朝の光の中を雲海の中へと下ってゆく。雲の下に出ると途端に周囲は熱帯雨林が広がっているようだ。どうやらインドネシアでは雲が広がる高さはほぼ一定なのだろう。
駐車場に戻ると車の中で待っておられた教授はご満悦の様子。
「一生、もう二度と見ることが出来ない景色を見ることが出来た」と仰る。
インドネシアから帰国して、久しぶりの日本の地を踏んだ途端に思った。この国はなんて蒸し暑いんだ!