【 日 付 】2019年6月2日(日曜日)
【 山 域 】京都北山
【メンバー】山猫、家内、長男
【 天 候 】曇り
【 ルート 】駐車地9:40~11:18光砥山11:25~11:30カズラ谷源頭(ランチ休憩)12:49~14:16フカンド山~14:43久多峠~15:52桑谷山~16:45駐車地
光砥山というのは小野村割岳の南東に位置する951mの三角点峰であるが、「山と高原地図」の地図には山名すら記載されておらず、この山を知ったのは北山分水嶺クラブの地図による。前回、この光砥山を訪れたのは長男と次男と共に広河原から続く長い南尾根を辿った昨年の夏のことである。自然林が続くなだらかな尾根上には次々と現れる芦生杉の巨木の圧倒的な存在感が脳裏に蘇る。長男は受験勉強の最中であるが、中間試験や模試が終わったところで息抜きに山行に誘うと、久しぶりの山行を楽しみにしているようだ。この山を源流とする能見川流域の尾根をこの時期に訪れるのは目的があったのだが、それはまた後ほど。
花背峠を越えて、広河原に来ると電光掲示板の温度計は18℃を表示している。当初の予定では能見川の源流となるカヤンド谷を遡行して、光砥山に登ろうと考えていたが、能見峠は工事中であり、かなり手前で通行止めとなっている。通行止めには「関係者以外立ち入り禁止」とプレートが掲げられている。通行止めの手前の道路脇にはほどよい駐車適地があったので車を停めて地図を見直すと、丁度、光砥山から直線的に南に伸びる尾根が能見川に切れ落ちる地点である。この尾根に取り付いて能見川の源流域を周回し、久多峠から桑谷山を経て駐車地に戻るというコース取りに予定を変更する。
車を停めて歩きだすと肌寒いほどである。県道を少し戻るとなだらかな尾根の取り付きが見つかる。取り付きの下では左手に苔むした石垣がある。かつてはこの石垣を背にした民家があったのだろう。下草のない自然林から始まる。枯れ葉の下からは白亜のナイトの駒のような銀竜草が二株ほど顔を出している。始めて銀竜草を目にする長男は「何これ、きのこ?」と興味深そうに目を凝らしている。知らなければ花に分類される植物には到底、思えないだろう。
20分ほど歩くと主尾根に乗り、p856mを目指して尾根はなだらかなに登ってゆく。尾根の樹林の切れ目からは東西に展望が開け、東には遠く蓬莱山の手前に重畳たる山並みが見える。西には形のよい品谷山、八丁山を望む。まもなく尾根上には早速にも芦生杉が登場する。
この芦生杉の巨木にみられる特徴は地上2~3mのところで大きく枝分かれし、直立する数本の支幹となることである。これらの支幹は地上の地上2~3mのところから上部を伐採した後に、杉の成長力が旺盛であるために、枝が成長し支幹となり成長を続けた結果である。その昔、杉が山中で貴重だった時代に一本の杉から多くの材をとるために考案されたこの伐採方法は南北朝時代に遡るという。
杉本来の樹形からはおよそかけ離れたその畸形の姿は長年にわたる人為的な伐採の結果なのだが、その迫力ある畸形の姿は巨大な精霊の木像のようでもある。老幹からはしばしばイヌブナやリョウブといった他の樹木が生え育ち、交錯する樹々の生命もまた特異な様相を帯びる。
あるものは森を抱くかのように幹を拡げ、あるものは天を掴むがごとく、あるものは生命を賛歌して万歳をするかの如く・・・一本一本の樹の表情、その変化の豊かさを見ていると、まるで森の中に展示された芸術作品を巡っているかのような愉しさを覚えるのであった。
巨杉を鑑賞するうちに涼しい風となだらかな尾根のお蔭でほとんど汗をかくことなく光砥山の山頂が近づく。この光砥山の山頂周囲一帯は以前訪れた際は緑のカーペットを敷き詰めたかのようにイワヒメワラビが繁茂していたのだが、イワヒメワラビはまだ葉を広げ始めたところのようだ。
光砥山の山頂の手前では鮮紅色に黒い縞模様を有する蛇が地面を這っている。色のけばけばしさからすると毒蛇のようにも思えるが、マムシやヤマカガシとは違うようだ。すぐにはわからなかったが、後で調べるとジムグリの幼蛇らしい。暑さに弱いこともあり日中にはみかけることは少ない蛇らしいが、この日の冷涼な天候につられて出てきたのだろうか。
山頂からは尾根をわずかに東側に辿り北斜面を通る古道の脇で昼食休憩とする。由良川源流のカヅラ谷の広々として樹木の少ない源頭ではトチノキの大木がひときわ目立ち、その先に広がるであろう森のファンタジックな世界への憧憬を強くする。白く繊細な花を満開に咲かせたサワフタギや淡紅色のタニウツギが彩りを眺めながら、苔むした倒木をベンチにしてランチを調理する。
昼食の後は光砥山の北側にある板取大杉を訪ねる。このあたりで最も立派な杉の大樹であり、圧巻の迫力である。樹の台上部から生える幾本もの樹が太い幹の表面に長い根を降ろしている。そのスケールはそれまでに目にした大樹を遥かに凌駕し、この山行の前半における一つのクライマックスとも云える。
長い休憩を愉しんだところで、桂川、由良川、安曇川の3つの水系の分水嶺ピークとなるp827を目指し、なだらかな尾根を北東に辿る。尾根上を辿るとここでも芦生杉の巨樹があるのだが、本来は均整のとれていたであろう杉は数本の支幹が折れて根元に転がっている。倒木にはまだ瑞々しい樹肌が保たれていることからおそらく昨年の台風による被害のためだろう。
P827の東のピークca820mにも立派な板取大杉がある。ところで、板取大杉とは特殊な固有名詞ではなく、芦生杉の台上の部から伐採される杉材を芦生のあたりでは板と呼ぶらしい。つまり、芦生杉は基本的にはすべて板取大杉なのであるが、北山分水嶺クラブの地図によると光砥山の北西の杉とこのca820mの杉がそのように呼称されているようだ。こちらは広々とした山頂広場のお蔭で均整のとれた巨杉の全容を俯瞰することが出来る。
ここからは尾根は深洞山にかけての大きな鞍部へと下ってゆく。尾根上には途端に掘割式の古道が現れる。この古道は久多から美山に抜ける要路であったのだろう。尾根からはしばしば北東に展望が開け、経ヶ岳からイチゴ谷山を経て久多に落ちる県境尾根とその向こうに白倉三山、武奈ヶ岳を展望する。いつしか武奈ヶ岳の山頂部には雲がかかりはじめているようだ。尾根上には木のウロの中が真っ黒に焦げている台杉がある。落雷した杉の樹だと長男が云う。
深洞山では多くの山名標が懸けられている。特徴的な緑の山名標の右手のものは以前、訪れた際に地面に落ちていたために私が懸け直したのだが、無事に懸かっているのを見ると安心する。「フカンド山」と書かれたオレンジ色の山名標は鈴鹿のイブネやクラシに懸けられている山名標と同型のものだ。
深洞山からはすぐに東隣のピークで南に伸びる尾根に入る。尾根の分岐点では東に大きく展望が開けているが、下るにつれて植林が混じる細尾根となる。小さなアップダウンを繰り返しながら能見峠に向かって急速に高度を下げる。能見峠の直前で左手の藪の中でゴソゴソという音が聞こえる。一瞬、熊かと思ってヒヤリとしたが、藪の中から私のわずか数メートル先に飛び出したのは丁字色の動物である。ふさふさとした長い尾は見紛うことはない。先方も私の存在に驚いたのだろう、時が止まったかのように互いを凝視する瞬間の後、右手の斜面に消えていった。カメラのシャッターを向ける余裕がなかったのが残念無念である。
杉の巨樹に出遭うたびに立ち止まっているにも関わらず、ここまでは4時間ほどの歩行時間となる。家内もほとんど遅れずに歩けており、先週の鈴鹿の山行とは別人のようである。到達しているペースからは桑谷山を越えて駐車地に戻るまでは1時間半程だろうと踏む。
能見峠からは桑谷山は送電線巡視路となり、なだらかな植林地の尾根を歩く。送電線の鉄塔広場に到着すると光砥山から辿ってきた長い尾根を展望する。地図では急峻には見えないのだが、ここから見上げる桑谷山への尾根は妙に急峻に思える。
能見峠までの道に比べて、踏み跡は明瞭なのでが、尾根道には倒木が少なからず散見する。また送電線巡視路特有の黒いプラスチックの階段は随所で崩壊している。標高800mのあたりになると短い区間ではあるが、実際に急登となる。
桑谷山の東峰の狭い山頂広場は倒木で荒れている。傾いた倒木に登って上から山名標を眺めてみる。2ヶ月程前に訪れたばかりなのだが、4月には季節外れの雪に覆われ、彼方に望む武奈ヶ岳も雪化粧を施されていたのを思い出す。
桑谷山の西峰への吊尾根は踏み跡は明瞭であるものの繁茂する下草の藪を漕いで進む。山頂に辿り着くと4月には見当たらなかったPH氏による真新しい山名標が懸けられていた。山頂からは西に伸びる尾根を辿ると、尾根上にはあすなろの樹が目立つ。
右へ大きく折れ曲がり、駐車地のあたりに下る尾根に入るとかすかな踏み跡があり、道に沿って時折、古いテープも現れる。あすなろの林の中には高曇りの空を介して柔らかい陽光が差しこみ始めた。
しかし、標高750mのあたりで尾根が急下降になると踏み跡はあすなろの幼木が密集する藪の中に消えている。このあたりは尾根芯が不明瞭であり、方角があっていることを信じて下るしかない。あすなろの藪の急下降がひとしきり終わると尾根はなだらかになり、あすなろの林が続くもののそれまでの藪が嘘のように消失し、下草のない歩きやすい尾根となる。
最後は杉の植林地を下って県道に着地する。県道に出て車に向かって歩くと後ろから大きな音がして二台のバイクが能見峠を越えてきた。バイクであれば通行止めの区間を通過することが出来るらしい。通行止めのポールをずらして通過するつもりのようだ。
通行止めの区間を歩いて入ることも可能だったかもしれないが、この通行止めのお陰で852m峰にかけての尾根を歩くことが出来、桑谷山西尾根からのアスナロの林を歩くことが出来たとも云える。そして山中に出遭ったジムグリと狐の姿が山行の充足感を高めてくれるのだった。それにも増して、今回の山行のもう一つの目的、敢えてこの時期を選んでこの山域に出かけた理由はある花に出遭うことを期待していたからであった。幸運にも家内が尾根の近くの大きなトチノキの根元でひっそりと咲いている猿の顔に似た花を見つけるのだった。
- 猿面海老根