おはようさん、山日和さん。
寒い朝。思わず吉永小百合を思い出してしまいそうな冷え込みである。
え~何これ・・・世代間ギャップ? 困るなあ、おじさん。
かなり傾いた橋は真ん中あたりで折れ曲がっていた。神に祈りながら渡れないこともないかもしれないが、無宗教者なの
でやめた。
おや、この夏には共にホーノ洞から滝波山を攻略して滝波教信者の絆を深めあったではないですか。
イ゛ブネの奥に雨乞が頭を出している。
イに濁点をつける芸当ってキーボードでどう操作するのかって、すごい興味を覚えました。こうやって、いつも山日和さんは私の脳みそを活性化させてくれるんですね。
イ゛ブネ・クラ゛シ・銚゛子゛・・・う~ん゛、難゛しい。
1145mピークに立つと、イクチョトライアングルの雄大な眺めが広がった。背丈を没するほどのササはほとんど痕跡もなく、
草とコケ類で覆われている。20年ばかり前、初めてクラシ谷から上がって来た時、どっちがイブネなのかさっぱりわからな
かったのが夢物語のようだ。
そうですね、今となってはとても信じられないゲキヤブでした。脛にいくつも傷を作って這々の体で朝明に下山したものです。
ここはイクチョの展望台。言わば熊ノ戸中央高原といった風情である。熊ノ戸サラウンド劇場と言ってもいいだろう。
心洗われる場所です。以前はヤブに突っ込むと全く視界がききませんでした。ヤブから突き出た杉の高木が何本もあるので、その場所を地図にして現在地を特定しながら歩いたものです(^_^;)
末端手前で尾根を外してしまったようで、左下すぐに見えるガレた谷に苦労なく下り立つと、そこには石垣があった。
事前勉強をまったくしていなかったので面食らったが、これは高昌鉱山の跡だった。うまいところへ下りてきたものだ。
面白い所に降りましたね。
ボタ山を駆け降りると更に大規模な石垣が次々と現れ、広場にはトロッコの車輪や一升瓶が転がっていた。神崎川本流
上流の御池鉱山はさらに大規模で、学校まであったという。
この静まり返った谷あいの狭い土地に、多くの人が働き暮らしていたとは想像もできない。
教育委員会(菰野)が管理している鉱山への物品の仕入れ台帳を見たことがありますが、それはそれは大きな生活圏がここにあったことを物語ってました。
闇下は嫌いなので、
おっと~。ウソはいけない。人間、正直が一番。
考えてみれば、朝明を出発してから伏木谷、下水晶谷、神崎川本流、オゾ谷、マキガヒラ谷、クチクマ谷、猪子谷と、常に沢音を聞いて歩いた。そしてここからもコクイ谷、上水晶谷、クキオ谷、杉ノ谷、タケ谷と渡り、最後に伊勢谷を経て朝明へ
戻るのだ。
さらさら流れる清流の夢見て飛び起きたらおねしょしてた・・・ってオチ?
すべての生命が生きる源である水。その水を無意識のうちに求める心がそうさせるのか。沢登りではなく、普通の尾根歩きであっても、雪山であってもいつも「水音」に耳を澄ませる自分がいるような気がする。
山日和さんって、意外にまじめな人だったんですね。誤解してました。^^;
峠越えの風情がやや失われた伊勢谷の道を早足で歩き、薄暗くなった車道に出る頃にはまた雨が降り始めた。
お疲れさまでした。
ふ~さん