【日 付】 2023年8月23日(男体山) 24,25日(錫ケ岳日光白根山)
【山 域】 奥日光
【天 気】 23日 雨一時土砂降り 24日 曇りと霧 25日 晴れのち曇り
【メンバー】夫、sato
【コース】 23日 二荒山神社⇔男体山
24日 菅沼登山口~五色沼~五色沼避難小屋~P2410白根隠山~P2394白桧岳~P2296~
△2388.2錫ケ岳~白桧岳~窪地~五色沼避難小屋
25日 五色沼避難小屋~日光白根山~七色平分岐~血ノ池地獄~座禅山~
五色沼避難小屋~前白根山~五色山~金精山~金精峠~菅沼
「まだ、8時過ぎ。今日のうちに錫ケ岳に行ってしまおう。曇りだけど雨は大丈夫だろう。明日の天気もどうなるか分からないし」
五色沼で時計を見た夫が、昨朝に続きいきなり予定変更を言い出した。
昨晩、明日は10月下旬に予定している夫の仕事の下見を兼ねて、避難小屋に泊まりの荷物を置いてから、
ゆっくり白根山周辺を巡ろうと話していたのに。仰ぎ見た白根山は半分雲に隠れている。稜線を歩いても何も見えないだろう。
それより、避難小屋に着いて荷物を整理したりしていたら出発は9時になる。
この時間から登山道のない稜線を辿り錫ケ岳を往復出来るだろうか。地図で距離とアップダウンを見ている限りでは可能だ。
でも、ササヤブの状態が分からない。どうしようかと思ったが、
前夜の予報では晴れだったのに朝起きたら本降りの雨で予定変更となった昨日のことがある。
雨の中、ヤブこぎはしたくないし、本降りになったら中止だ。
「うん、そうしよう」と相槌を打っていた。
軽荷になって避難小屋を出た時には、やっぱり9時になっていた。歩き出す前に「タイムリミットは13時」と決める。
錫ケ岳まで辿り着けるかどうか分からない。でも、今年訪れるとは考えもしなかった白錫尾根にこれから向かうのだ。
高揚感ともうれしさとも、そうと言えばそうなのかもしれないけれど、また少し違うような不思議な感覚に包まれる。
白錫尾根という名は、今年のお正月に帰省した時、母から聞いて初めて知った。
母の日課である朝のウォーキングに一緒に出かけ、帰ってきて朝ごはんを食べていた時だった。不意に「実はね」と話しを始めた。
65歳の時に日光白根山から続く白錫尾根を歩き、次の年には谷川岳から平標山の主脈稜線を歩いたという。
「お父さんも知らない秘密のちいさな冒険。素晴らしかったわぁ」と母は、いたずらっ子のように笑っていた。
「白錫尾根ってどこ?」と聞くと、黄ばんだ地形図を持ってきて、ここよ、と前白根山から南西に延びる稜線を人差し指で辿り教えてくれた。
60代の頃、日光連山や谷川連峰の山に足繫く通っていたという。
日光の山はお気に入りのようで、82歳になった今も、ひとりでぷらりと出かけている。
その時は「そうなんだぁ」とさり気なく答えただけだったが、「しろすずおね」という秋の夜長に鳴く虫の澄んだ声のような響きと
「ちいさな冒険」という胸がきゅっとなる言葉は、わたしの中に、そよ風となって棲みついた。
そして、ふっとした時、さわさわと歌いながらこころを揺らしていた。
しっとりとしたダケカンバの森を抜けて踏み込んだ前白根山と錫ケ岳を結ぶ白錫尾根は、すっぽり霧に覆われていた。
思った通り、右も左も前も後ろも数十メートル先は霞んでよく見えない。
何かが見えていて、でも肝心な何かが見えないわたしのこころのように。
10日ほど前、急遽日光白根山に一緒に行くことに決まり「じゃあ、白錫尾根も歩きたい」というわたしの言葉に、
ここかぁと清々しい好奇心を持ってくれた夫は、晴れでも霧でも関係ないとばかりに軽快に南へと進んで行った。
白根隠山までは、霧の中でも浮かび上がる明瞭な道が続いていた。
晴れていたら素晴らしい眺望にうっとりしながら歩いていただろう。でも、わたしも歩いているうちに、
霧でもいい、いや、霧でよかったのだ、と、思い直していた。五色沼から白根山を仰ぎ見た時は、あぁ残念と思ったのに。
白根隠山からズルズルと滑るガレ場を下っている時、その気持ちは確かなものとなった。
「お母さん、滑らなかった?」思わず霧に聞いていた。昨日も雨の男体山を歩きながら、何度も霧に聞いていた。
霧の中に母の姿を描いていた。そう、わたしは、母の歩く姿、母のこころを感じたかったのだ。
ガレ場を下ると、膝丈くらいの一面のササになった。
山腹に細い踏み跡が続いているので調子よく歩みを進めていったが、そのうちに不明瞭となり尾根に乗る。
白桧岳から先はさらに踏み跡は心細くなり、露で濡れたズボンで足が冷たくなったのでカッパを履く。
ササの丈も太ももくらいになってきて足元がよく見えず、前を歩く夫は、倒木を踏んではつるりと転ぶ。
母が、わたしが転ばぬよう教えてくれているように見え「ありがとう」と夫の背中にお礼をいう。
・2296ピークが近くなると、ササの海からシラビソの森へと風景が移り変わった。
霧にけぶる幻想的な深い森の中を、どこか遠くで聞こえる物語を探す旅人のような気分で進んで行く。
ところどころ赤いペンキが剥げかかった年季を感じるブリキの目印が木に打ち付けられていて、
母が追ったであろう目印をわたしたちも追って行く。
・2170鞍部から2220mのちいさなコブをふたつ越える辺りからふたたびササの海へ。
いよいよ錫ケ岳が目の前に、と思った時、ちいさな池が現れた。こんなところに池が、と驚く。
緑の中に腰まで埋まりながら最後の登りにかかり、振り返ると緩やかにうねる広い鞍部には、3つの池が並んでいた。
空は厚い雲で覆われているが、霧がすうっと流れ、青い森の中に満々と薄藍色の水を湛えた中禅寺湖もお姿を現した。
なんて不思議で麗しい自然の造形なのだろう。胸が震える。
押し寄せる感動の波に背中を押され辿り着いた錫ケ岳山頂は、一見山頂とは思えないような、
シラビソに囲まれた静かな静かな地だった。数本の木に看板がかけられていて、あぁ、着いたのだ、と実感がわく。
と同時に、ぼこぼこになったブリキの看板に眼が吸い込まれていった。そこには白根山から銀山平への道のりが刻まれていた。
水場も記されている。足元から先は、一昨日予定していた皇海山、いつかと夢見ている袈裟丸山へと一本の線で繋がっていて、
このはるかなる道なき稜線に分け入った人たち、分け入って行く人たちがいるのだ。
「錫、宿堂、三俣、スカイ、鋸・・」カクカクした文字をひとつずつ読み上げながら
「もし、若かったら。もし、関東に暮らしていたら」と想像してしまう。そして、思う。
母も、緑あふれるササの海と静寂のシラビソの森を渡り、憧れの山頂に辿り着いた時、深い感慨に包まれながらも、
この看板を見つめ、もう一人の自分を夢見ていたのでは。いや、あらたな希望の光を感じていたのだろうと。
「13時まであと45分。せっかく来たのだからゆっくりしよう」
わたしの気持ちを察してか、夫は、どかっと木のたもとに腰をおろした。並んで座りパンをほおばる。
頭の中を、いたずらっ子のように笑った後、しんみりと「忘れられない想い出」と呟いた母の声がこだまする。
「お母さんの忘れられない想い出のお山に行ってきたよ。65歳の時、こんな山深いところを分け入っていったのね。
すごいね。ほんとうに冒険を感じる素晴らしい尾根だね。教えてくれてありがとう」
家に帰ったらわたしは母に報告するのだろうか。ふっと何ともいえないせつなさが湧いてきて、あわててパンを飲み込む。
食後、うろうろ歩き回っていた夫が、国土地理院の三角点を確認したと言いながら戻って来た。
切り開きされたところに置かれていたのは御料局の三角点だった。錫ケ岳一帯は御料林だったのだ。
13時。帰りも行きと同じくらいの時間が必要だろう。標高も錫ケ岳より少しだけど白桧岳の方が高い。
ふたつの三角点にご挨拶をして下山にかかる。稜線を纏っていた霧が少し流れ、明るさが増してきた。
気分は上々。ガサガサとササの海を渡って行く。・2170鞍部で「錫の水場」と呼ばれる谷の源頭に寄る。
丸二日分の水を担ぎ上げてきたけれど、やっぱり錫の水を味わいたい。
母の想い出の山から生まれた水が、わたしのからだに浸みこみ、わたしとなるのだ。
迷子になりそうな深い森の・2296を越え、立ち枯れの木の間を縫いながら白桧岳へと登って行く。
白根山、錫ケ岳は半分雲に覆われているが、視界は開けてきた。
見下ろした西側の緑の森の中には三角形の砂礫の窪地が描かれている。火山活動によって出来た不思議な造形。
山と高原地図では池になっているが水は湛えていない。
白根山周辺の地図を見た時、たおやかだったり険しかったり、大地の物語を感じる不思議で複雑な地形に目が引きこまれていった。
その中で、白錫尾根を歩く時、是非確認したい窪地があった。
この三角の窪地と、白根山と白根隠山に挟まれた横長の蝶々のような形の大きな窪地だ。
白桧岳山頂に着き、さて、と地図を開く。歩く前、帰りは歩けそうだったら、蝶々の窪地を通ろうと話していた。
白根隠山から白桧岳に向かう時、霧の間から、ちらりと砂礫の平坦地が見え、歩けると確信した。
下降出来る地点も確認してきた。でも、ここから北に下り、鞍部から谷を下りた方が安全に思える。
ササヤブもこの程度だったら問題ない。北に向かうことにする。
膝丈のササの中を重力に任せて進んで行くと、立ち枯れの木の斜面になった。足元は苔でふわふわしている。
よかった。すんなりと鞍部に着き、踏み跡のある草ヤブの谷を下ると、あっと、息を呑む光景が、そこには広がっていた。
足を踏み入れた者をやわらかに包み込むような、やさしく夢のような地。
緑の斜面には、ハクサンフウロ、ミヤマアキノキリンソウが咲いている。
もう少し早かったら、いろいろなお花で飾られていただろう。降り立った広い砂礫の窪地から仰ぎ見た白根隠山は、
あんなにギザギザしていたのだ、とびっくりするくらいの荒々しさだった。
そして、想像もしなかった輝きが。コマクサの群落だった。砂礫の中で気高く光るピンク色の宝石。
ほんとうに、ほんとうに夢のような地だった。
母との会話、夫の仕事の下見、すんなり取れた休みが合わさり、昨日から日光の山を歩いているわたしたち。
これまでも母から、あの山は素晴らしかった、この山も素晴らしかった、と聞いていた。
その中で、何故だろう。こころに棲みついた「白錫尾根」。掬い上げた風景の数々が静かにわたしの中で光を放っている。
「そろそろ小屋に向かおうか」
しゃがんでコマクサを眺めながら感慨に浸っていると、夫が控えめに声をかけて来た。
「そうだね。お腹もすいてきたし」
いい一日だった。立ち上がり、振り返って、またうっすら霧に纏われた白根隠山と静謐に満ちた窪地にこころの中で手を合わせ、
過ぎゆく夏と来たる秋をささやくミヤマアキノキリンソウの繁みに入って行った夫の後を追う。
ドキドキしながら小屋の重い引き戸を開け、頭上を見上げると、お星さまが散りばめられた青藍色の空が広がっていた。
ご来光を拝められる!雲に覆われていたら、朝ご飯を食べてから出発するつもりだったが、コーヒーだけ飲んで、
荷物をまとめ4時半少し前に小屋を発つ。
昨日の夕方歩いた道を辿り道なりに右に曲がって白根山への登りにかかる。
視界が広がり振り返ると、黒い山並みの後ろの空が帯状に燃えている。胸の鼓動が高鳴る。山頂への道は東斜面。
振り返り、振り返り、橙色の眩い光が、少しずつ色を変えながら青藍色の空を押し上げていくのを見つめる。
黒く横切る尾根の向こうに大きなお姿ででんとそびえ立つのが男体山、その左に並ぶきりりとうつくしいシルエットのお山は、
大真名子山、小真名子山、それから女峰山か。
空はいよいよ燃え上がる。そして女峰山に光の筋が走ったと思った瞬間、ちいさなまんまるのお天道さまが現れた。
夫の顔が、わたしの顔が、白根山が、世界が橙色に染まる。思わず感極まり、つぅとひと筋、涙が頬を流れ落ちる。
神々しい朝の光に照らされ、辿り着いた奥白根神社からは、昨日歩いた白錫尾根と錫ケ岳があたたかに輝いていた。
歌うように延びる緑の稜線。北西のふたつのピークを従えて凛としたうつくしさを放つ錫ケ岳。
こんなに素敵なお姿だったのだ。暫しの間、動けなくなる。
「錫ケ岳から稜線を左に辿ると宿堂坊山、それから右に折れて三俣山、皇海山、袈裟丸山へと山が続いていく」
と隣で山座同定していた夫が教えてくれる。皇海山の向こうには雲海が広がり、朱鷺色の空には富士山が浮かんでいる。
母は、ここに立ち、遥かなる稜線を見つめ、ちいさな冒険、錫ケ岳までの白錫尾根への旅を思い立ったのだろうか。
その時、あぁ、と気づく。父が眠るお墓を飾る絵に。
父と母は随分と前からお墓を買っていて、墓石には母が描いた山並みだけが彫られていた。
初めて見た時、日光連山だと教えてくれた。空気が澄んだ日、ウォーキングの途中で望むことが出来、
今日はどうかなと思いながら家を出るという。父の好きな運河からは、吸い込まれていきそうなうつくしいお姿を拝めるとか。
お正月に一緒に歩いた時も「あれが日光連山よ」とかなたで白く輝く山並みを指差してうれしそうに呟いていた。
母にとって日光連山は、様々な思いを抱えた日常とともにあり、夢と希望そして母自身を感じさせてくれる、
こころの山、憧憬の山だったのだ。わたしには計り知れない思いを胸に、こころの山への深い旅、ちいさな冒険に出かけたのだ。
男体山と向かい合う。おおきな力を感じるお山だ。一昨日は、雨の中、うっそうとした針葉樹の森の中を黙々と歩き、
山頂は濃霧で全く眺望はなかったが、修験道のお山をからだで感じた。
母は、男体山は体力測定の山と言っていた。いつの頃からかは聞いていないが、
80歳の手前まで、ひとりでほぼ毎年のように登っていたという。
男体山からも、日光白根山から錫ケ岳、皇海山、袈裟丸山と連なる山々が見渡せるのだろう。そして、すぐそばには女峰山が。
最後に登った時、これが最後と思ったのかどうかは分らないが、母はどんな気持ちで歩いてきた山々を眺めていたのだろう。
思いは駆け巡る。
そして、今、わたしと同じ空の下で、わたしと同じ黄みを帯びた光の粒を浴びながら、
いつもの道を歩き、白内障のうっすら白い膜がかかった目で、まっすぐに日光連山を見つめている母の眼差しを感じ、
またもや涙があふれてしまう。
標高2578m。関東以北で一番高い日光白根山の山頂からは、さえぎるものがない360度の大展望が広がっていた。
日光連山、尾瀬、上信越の山やま、遠くには富士山、北アルプスも望む。圧巻としか言いようのない大展望。
そして山頂にはわたしたちふたりきり。「一昨日に男体山、昨日に白錫尾根を歩いてよかったね」と夫と頷き合う。
いつのまにか見上げた空は透き通るような青い色となっている。また山座同定に夢中になっていた夫だったが
「さぁ、朝ご飯」と我に返ったように大きな声を出し、風をよけられる場所を探し始めた。
1時間ほど景色を楽しんで、名残惜しいけれど歩みを進める。
七色平避難小屋分岐への地獄ナギと呼ばれる崩壊地を横切る登山道は、展望のザレ斜面から見事なシャクナゲ林、
カニコウモリ咲く針葉樹の深い森へと味わい深い風景が続いていく道だった。
森の中の七色平は極楽浄土、ヌタ場のような血の池地獄は血を湛えた地獄の池だという。
山頂から俯瞰した座禅山のかわいい緑のクレーターは、草木が生い繁り、クレーターの縁を歩いているという実感は薄かったが、
鞍部から仰ぎ見た白根山は、ほれぼれとするお姿で、そのまま通り過ぎて行くことが出来なかった。
そして、弥陀ケ池と五色沼。昨日とは全く違う色の輝きに目を見張る。
置いてきた荷物を取りに小屋に戻り、昨日とは一転、からりと明るいダケカンバの森を抜け、
ふたたび踏み込んだ白錫尾根からは、素晴らしい展望が出迎えてくれた。
眩い光に包まれながら、昨日のことがもっと以前のことのように思えてしまう。
ここからは、何度も立ち止まり見入ってしまう絵になる風景が続いていった。
出かける前は、白錫尾根と錫ケ岳が頭の中を占めていて、白根山はぼんやりとしたお姿だったが、
今朝歩いてきておおきく思いを改めさせられた。
前白根山から来し方を眺めた時には、呆然と立ち尽くしてしまった。
人を寄せつけないような荒々しさと包み込むようなやさしさで、もくもくと白い雲が湧きたつ青空の下、
ずっしりと鎮座する白根山。そのたもとで、この世のよろこびとかなしみを、
コバルトブルーの煌きを放ちながら、そっと奏でる五色沼。
縁には山葵色の白錫尾根が波打ち、その奥に深碧色の錫ケ岳が静かに佇む。
うつくしいとか、素晴らしいとか、そういう言葉を超えた尊い風景が鮮やかに展開していた。
中禅寺湖の方からは、男体山がうれしさに溢れるわたしたちの姿を微笑むように見つめていた。
一歩一歩を愛おしみながら五色山を越え、下りにさしかかると雲が近づいてきた。
前を行く夫の足運びが速くなる。駐車地まではまだひと山越える。
ササの中に続く道をてくてくと進みながら「この道もお母さん歩いたのよね」と見えなくなった夫の背中に呟き、
帰ったらすぐに母に電話しようという気持ちに駆られる。でも、しばらく内緒にしておこうと思い直す。
帰省した時、父の眠るお墓の前で、母の描いた日光連山を見ながらこの山旅の報告をするのだ。
母はどんな顔をするだろう。
てくてく夫を追いながら「そうだったのぉ」という母の甲高い声と、「ほぉ」という父の間の抜けた声が浮かんで来る。
「そうだったのぉ」「ほぉ」
ふたりの声を真似て呟いて、ちょっと可笑しくなり、その後鼻の奥がツーンと痛くなる。
sato