【 日 付 】2023年3月19日(日曜日)
【 山 域 】安達太良連山
【メンバー】山猫単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】奥岳登山口8:38〜9:29薬師岳〜10:27安達太良山10:36〜11:03矢筈森〜11:28鉄山11:35〜11:43鉄山避難小屋11:48〜12:22箕輪山12:29〜13:00鉄山避難小屋13:06〜13:15鉄山〜13:37矢筈森〜13:54くろがね小屋14:02〜15:00奥岳登山口
安達太良山には忘れ難き思い出がある。冬型の気圧配置が緩んで好天が期待される日だった。山麓は晴天だったが、安達太良山の山頂部のみに笠雲がかかっている。薬師岳までは順調に登ることが出来たが、いよいよ山頂が近づき雲の中に入ると完全にホワイトアウトの状態となる。強烈な風と風に舞う雪の粉にサングラスでは対応が難しい。そして新雪の吹き溜まりに入ると膝上までラッセルとなる。山頂までわずか数百メートルの地点でであったが苦渋の撤退をしたのだった。
その日はくろがね小屋に泊まる予約をしていたので、安達太良スキー場に戻ったところで撤退の報告とキャンセルの連絡を入れる。電話を切った瞬間、目の前にいる男性が「くろがね小屋の小屋番のものです。それはさぞかしお困りでしょう。宜しければ山麓までお送りします。」とご親切なお申し出を頂いたのだった。男性と別れ際に「いつか安達太良山に捲土重来し、くろがね小屋に泊まりに行きます」と約束してお別れしたのだったが、コロナ禍で東京への出張の機会もないままに瞬く間に3年間が過ぎてしまった。
気がつくと、くろがね小屋は今季3月いっぱいで営業を終了し、長い立替期間に入るらしい。コロナ禍により中止になった出張が3年越しで再び復活したのをいいことに、東京への出張のついでに安達太良山に再挑戦することにした。
迂闊だったのは、日本百名山の中でも人気度は指折りの安達太良山にあるくろがね小屋の人気を甘くみていたことである。小屋の予約を入れようとしたら、すでに3月末日まですべて予約で
埋まっていた。なにしろ温泉つきの山小屋であるにもかかわらず、冬季は一泊七千円で泊まれることからしても今どき、果たしてこんな山小屋はないだろう。だからといって山行を諦めることはない。桜を練り込んだ京都の菓子をリュックに入れてくろがね小屋を訪ねることにする。
日曜日の早朝に始発のやまびこ号に乗るために東京駅に向かう。驚いたことに朝の6時前だというのに東京駅は平時と変わらぬくらいの大勢の人で混雑している。ホームにはスノーボードを背中に背負った若者達の姿を多く見かけるがその多くはプラットフォームの反対側から出発する上越新幹線に乗り込んでいくようだ。
東北新幹線が関東平野を北上すると雲のない蒼空が広がっている。東京の街の景色を眺めるたびに気分が落ち着かないのは、どこを見渡しても山が視界に入らないからのように思われる。仕事の都合で全国各地の都市を訪れる機会が多いのだが、山が見えない街というのは東京と那覇以外に思い至らない。
大宮に近づくと車窓の左手に山が目に入るようになる。目を惹くひときわ白い独立峰jは赤城山だろう。新幹線が北上するにつれ、その右手には冠雪した那須連山が視界に入る。雪を纏った主峰の茶臼岳の山容はなんとも壮麗だ。いよいよ郡山が近くづくと、山麓のあたりまで白くなった安達太良山の姿が目に入る。郡山の西の山には雲がかかっているが安達太良山の周辺には全く雲がない。
二本松の駅からは平日であれば、この東北本線の列車に接続して登山口のある奥岳温泉までバスがあるのだが、この日は生憎、休日であり、バスの運行がないのでタクシーを使うほかない。タクシーの運転手はいかにも気の弱そうな若い男性であったが、昨日は平地でも雪が降ったとのことで岳温泉から上に上がれるかしきりと心配しておられる。
岳温泉から上には周囲の樹々は着雪した雪でまるで花が咲いたかのようであるが、さいわい道路にはほとんど雪はなかった。登山口に到着すると車が何十台も停められている。スキー場は今季の営業は先週に終了したばかりであるが、イベントを行なっているようで、そのための客も少なからずいるようだ。
前回に安達太良山を訪れた時はスキー場は営業していたので、スキー場脇の登山道を登ることになったのだが、この日はゲレンデを登ることができる。ゲレンデには数組の先行者が点々と続いている。
薬師岳からのゲレンデとの合流部に至ると、ゲレンデを登って薬師岳を目指しておられる方もおられる。先行するカップルの女性の方が「ここは右左どちらなのかしらねぇ〜」と仰るので「通常のルートは右の樹林帯の中を登る筈です」とお答え申し上げる。「この上の五葉松平の展望がなかなかいいんですけど、ゲレンデを登ってしまうとその展望が楽しめなくなってしまうんじゃないかな」。一度しか来たことがないにもかかわらず、女性にご説明申し上げる。
ゲレンデを離れて樹林帯の中に入るとすぐにも雪の花が咲いた低木のトンネルの中を進むことになる。わずかに急登を登るとすぐにも低木の樹林帯を抜け出し、松が疎に生える緩斜面に出る。五葉松平だ。前日の雪のおかげで着雪した樹々が美しい。右手には安達太良山の山頂部、左手にはゲレンデの下に二本松市の平地を見下ろす。そしてすぐ目の前には薬師岳が存在感を示している。
先行する女性の登山者から「あら!アイゼンをつけていないのね」と驚かれる。リュックの中には軽アイゼンとチェーンスパイクの二種類を携行してはいるが、アイゼンを必要とするような状態ではないように思える。ちなみに安達太良山の山頂まで数多くの登山者を追い抜くことになったが、皆一様に12本爪のアイゼンを装着しておられた。
薬師岳の山頂部では数組の登山者が休憩しておられる。「この上の空がほんとの空です」と記された有名な標柱の前では若者達のパーティーが代わる代わる写真を撮っていた。ヤマレコでも「ほうとの空」をタイトルに冠したレコをよく見かける。この日は「ほんとの空」と呼ぶのに相応しい雲ひとつない蒼空が広がっている。
ところで安達太良山は昔は「乳首山」という別名でも呼ばれてきたらしい。山頂の岩場の隆起が遠目には乳首のように見えることに由来するらしい。前回の山行では終始、安達太良山の山頂部を目にすることがなかったのだが、実際に山頂を目にすると、なるほどと納得せざるを得ない・・・というか、乳首のようにしか見えない。
薬師岳から先でしばらくは杉の樹林に入る。で追い越した若者のパーティーは私が追い越した後ろから「今日は12本爪のアイゼンを選んで大正解だったよ」と相方に話しているのが聞こえる。私がアイゼンをつけていないこと認識しての発言だったかどうかわからないが、その可能性は十分にあるだろう。
樹林を抜けると途端に樹々も疎となり、再び好展望が広がるようになる。数組の登山者を追い抜かすと途端にツボ足のトレースとなる。先行者が少なくなったということだろうか。
前回撤退した標高点1519を過ぎると途端に風が強くなる。少し前に先行者が登っているのが見えていたが、先行者のトレースが風雪のせいですでに消えかけているところがある。ここまではトレースを壊してしまうことを懸念してスノーシューを装着することを躊躇っていたが、こうなるといよいよスノーシューの出番だ。
山頂直下、峰の辻の方から20人近くからなる大パーティーがやってくる。ガイドが大声で話をしているのでパーティーが登ってくると狭い山頂が大混雑することになると思うので、先にピークに登りに行く。
「スノーシューで登っている人がいるけど、あれは登りにくいんじゃないかなー」とガイドの大きな声が聞こえる。(それは登ってみないとわからないだろう)と心の中で呟く。実際にうまい具合に山頂まで雪が繋がっており、スノーシューで難なく登ることが出来た。
すぐに後ろからパーティが登ってくるとやはり山頂の手前から大混雑となる。人物はどこにいるかはわからないが、「立ち止まらないで下さ〜い。まだ写真を撮らないで下さーい」とガイドさんの大きな声が聞こえる。すべの方が登り切るまで待ってはいられない。トレースのない新雪の斜面にを降って渋滞の後尾の背後に着地する。こういう場面ではスノーシューは便利だ。山頂の乳首の部分は南東側に入ると途端に風がない。続々と登って来られる登山者は山頂部のパーティーが降りてくるのを待っているようだ。
山頂からは南に形の良い山とその山との間に見事な雪稜が続いているのが目に入る。和尚山というらしい。明らかにトレースはない。ここを歩くのはかなり爽快だろう。往復したい誘惑に駆られるが、地図を確認すると片道3kmほどはありそうだ。往復に少なくとも2時間は要するだろう。
安達太良山から北に伸びる稜線を辿るという当初の予定コースを進むことにする。安達太良山の地図を見ると否応なく目に飛び込むのは山頂の北西に広がる大きな爆裂火口だ。安達太良山を再訪する機会があれば、この爆裂火口の火口縁を辿ってみたいと思っていたのだった。
山頂から尾根を北に向かうと、強風のせいで雪が飛ばされてしまっているのだろう。稜線上にはほとんど雪がない。早々にもスノーシューを脱ぐ羽目になった。今回、スノーシューを敢えて携行してきたのも、この稜線を歩くレコが少なく、トレースも薄いことが予想されただったのだが、これは計算違いだった。所々に吹き溜まりがあり、先行者のツボ足のトレースがあるが、膝まで沈み込んでいるところが多い。
遮るもののない稜線上はやはり相当な風である。たちまちのうちに指先が悴み始めるので、薄手のグローブを厚手のものに交換する。鉄山とのほぼ中間地点となる稜線上の小さなピークは矢筈森と呼ばれるところのようだ。ピークに立つと早速にも西側に広大な火口原の光景が広がった。
稜線の北側には黒壁のような鉄山のピークが見える。
鉄山への荒涼とした稜線を進むと風が弱まってきたようだ。風が弱くなるとどこからともなく硫黄の匂いが漂う。いつしか稜線上の雪の上にはトレースが全く見当たらなくなった。鉄山が近づくと取り付きのあたりは積雪しており、再びスノーシューを履く。それでもサラサラのパウダー・スノーの新雪はかなり沈み込む。見た目は峻険ではあるが、岩場の間にうまく道がつけられいるようであり、難なく山頂部の岩峰の西側に出ることが出来る。
本来の登山道は山頂の北側まで斜面をトラバースするようだが、岩壁の間の雪がついているところをスノーシューで攀じ登ると、山頂は台地状の平坦な山頂の一角に飛び出す。山頂には観測機があるが、火山活動を観測するためのものらしい。
ここから眺める安達太良山からの稜線の素晴らしいが、なんといっても素晴らしいのは火口縁の壮麗な景色だろう。一面の雪で覆われているが、無雪期の火山特有の色合いも見てみたいものだ。山頂からわずかにお鉢を周回したところに黒い避難小屋が見える。小屋の前では人が見える。山頂の北側はなだらかな隆起の箕輪山が視界に入る。形状からすると溶岩ドームなのだろう。
小屋にたどり着くと三人のパーティーがスキーでの滑降の準備をしておられるところだった。箕輪スキー場から来られたとのことだった。箕輪スキー場の方から登ってくる広々とした雪稜の尾根に点々とスノーシューのトレースがついている。
当初の予定ではここで引き返すつもりでいたが、時間を確認すると11時45分。北側に見える箕輪山が近くに見える。山の西側は低木が広がっているが、東側は広々とした雪原となっている。箕輪山への往復をどうしようかと逡巡したが、「あの山の上まで行くとまた別の景色が広がりますよ」というパーティーの男性の言葉に後押しされ、箕輪山への往復を追加することにした。
実際よりも見た目が近く感じられるというのはなだらかな山容の山にはよくあることだ。登り返しに入ると思ったよりも長く感じられる。とはいえ鉄山の避難小屋から30分少々で山頂に辿り着いたのは上出来だったかもしれない。広々とした山頂の一角に立つと北側に吾妻連峰の展望が大きく広がった。
山頂には一人の男性が寛いでいた。傍らにはスノーシューと大きなボードがある。そういえば、先程から風はかなり緩い。男性は今日は鉄山の避難小屋に泊まるご予定らしい。
安達太良山から来たことを告げると「いまは安達太良山はくろがね小屋が今月いっぱいで休業することもあって大賑わいでしょう。」と仰る。鉄山のあたりからはトレースもなく、静かな山行を楽しむことが出来たことをお話しすると「安達太良山だけで降りてしまうとは何とも勿体無い」とのこと。仰る通りだと思う。
箕輪山の山頂からは南に伸びる尾根の西側に低木の樹林の中に切り払いされた夏道が見えたので、この道を辿って下降する。笹平と呼ばれる鞍部からは夏道は不明瞭となるが、自分のトレースがあるので登り返しは楽だ。避難小屋に到着すると、小屋の前が風の影となるので、サンドウィッチでランチをとる。
復路は鉄山の山頂台地の西側をトラバースして、登りの自分のトレースに合流する。矢筈森に向かうと途中の鞍部からは左手の下の方にくろがね小屋が見える。雪の斜面を下降するのは気持ち良さそうではあるが、小さな案内板があり、谷を下降するコースは「有毒ガスのために廃ルート」と記されている。矢筈森を越えたところで峰の辻へ下降する。
このルートは既に多くの人が通ったようで、しっかりと踏み固められたトレースとなっている。峰の辻で左折して、雪の斜面をトラバース気味に下降してくろがね小屋に向かう。正面には鉄山から東に伸びる荒々しい岩壁が迫力ある様相を見せている。
くろがね小屋にたどり着くと、小屋の中は大勢の人で賑わっており、多くがパーティーのようだった。単独行者は居場所を見つけるのが難しいかもしれない。だるま型の古い灯油スペースが小屋の中を暖めていた。件の男性は今日は休みとのことで、この日は休みでおられなかったので、小屋の方に京都から持参した菓子を言伝て、小屋を後にする。
くろがね小屋からは再び樹林帯となり、しばらくはほぼ水平のトラバース道が続く。勢至平と呼ばれる緩斜面の樹林の中を下ると、最後は落葉松の人工林となる。雪が緩いのでグリセードで滑りながら下降することが出来るが、やがて足元の雪は融けて、泥濘が目立つようになる。
再びスキー場に降りると、ゲレンデを走り回る自転車が目立つ。周囲には屋台も立ち並び、多くの人で賑わっている。スキー場の下の登山口に到着したのは丁度、15時だった。この日は予め15時に登山口にタクシーを予約しておいたのだったが、タクシーの女性運転手はすぐに私が予約の客だと認識したようだが「凄い!時間ピッタリに降りてくるのは難しいんじゃないですか?」と仰る。
タクシーで下ると朝に見られた樹々の雪はすっかりなくなっており、道路の雪も消えていた。岳温泉でタクシーを下車するとバス停の隣の店でスパークリングの日本酒を入手する。店の前のテーブルでバスの出発までの時間に一杯、傾けるには丁度良い時間があった。
二本松の駅から安達太良山を見上げると安達太良山、鉄山、箕輪山と縦走してきた稜線が綺麗に見える。相変わらず雲ひとつない空がその上に広がっているのだった。
ほんとの空は彫刻家高村光太郎が書いた「智恵子抄」の中の「あどけない話」に由来することを下山後に知る。この詩に込められた郷愁は実に心を打つ。
智恵子は東京には空が無いといふ。
ほんとの空がみたいといふ。
私は驚いて空を見る。
(中略)
阿多多羅山の山の上に
毎日でてゐる青い空が
智恵子のほんとの空だという。
あどけない空の話である。
新幹線で再び東京に戻ると、確かに東京には空がないと感じられる。それは空を見上げる山がないから・・・と思うのは私だけだろうか・・・