グー(伊勢山上住人)さん、こんばんは。
ご質問の項目が多いので簡単に答えさせていただきます。
舌足らずになるかもしれません。
清い。潔い。堅い。潔癖。たぶん頑固。
いやいや間違ったら直さなければならんでしょう。
間違いが解っていても意地でも押し通す人もいますが。(政治屋さんなど)
会報発行時点(1952年)のもので、会報発行時点で不明だった地名がその後明らかになり、
サインペンで追加記入されたものと思われます。
この地図の手書きの部分は1952-1962年の間に書き加えられ
これはちょっと疑問に感じます。
※「松阪山岳会 会報 ⑦」は三重県立図書館で閲覧できます。(2020/06/28 追記)
「松阪山岳会 会報2 1952.12.21発行」も三重県立図書館で閲覧できるのでしょうか?
この会報は個人の所有です。図書館には無いと思います。
グーは「松阪山岳会 会報」を読んだことはありませんが、
図書館への会報の寄贈は通常発行するたびに届けるのではないのでしょうか?
印刷が終わり、見直してみると手直しの必要があり、寄贈するまでの間に手書き修正した。
そのようにグーは感じます。
松阪山岳会に長年保管されていたものを何年分もまとめて寄贈されたのかもしれませんが、
発行から何年も経ってから手を入れる時は赤ペンで書くのじゃないかな?と思ったりもして。
個人の所有ですので会報発行直後か、しばらく経ってからか、個々に記入したのか、一気に記入したのか解らないので1952-1962年としました。
honma1957さんはそんな頃からこの山域に入られていたのですね。
グーが歩き始めた頃にはすでに笹は無かったです。
判官平あたりの登山道は薄いふみ跡が有りましたが、ワサビ谷側は背丈ぐらいの笹薮でした。
明神平の小屋から東の水場までは、沢状の所が道で回りはすべて笹薮でした。
明神平の上部、最近ソリ遊びをしている所も、すべて背丈を超える密集した笹薮でした。
そう言えばzippさんも夫婦滝と不動滝の呼び名にはこだわりを持っていましたね。
夫婦滝は会報2に記載はありませんが、会報7には記載されています。
位置については概念図ですから正確とは言えないですよね。
夫婦滝・不動滝・コウセン滝・ネコ滝・アザミ滝の順に当てはめてグーは使っています。
会報7の記述に、ヌタハラ谷沿いに蓮へ帰る道中、「・・・やがて叶山に出て、そのヌタハラの左岸唯一の大きい枝沢をよぎる頃から、その出合上のヌタハラ本流に不動滝が見えてくる。」
とあります。
桧塚奥峯概念図の「ヌタハラ谷」の文字の「タハ」の辺り、植林小屋又は木材集積場の上辺りからの眺めでは無いでしょうか?
そしてこの滝は現在夫婦滝と呼ばれている滝ではないでしょうか。
桧塚奥峯概念図の夫婦滝は、もっと下流の二条の滝が夫婦滝ではないかという説もあるみたいです。私はこの滝を知りません。
昭和32年の桧塚奥峰は大樹の森だったという記述に驚いています。
鈴木ヨネの乾溜工場は大正時代だから、その時はまだ切られていない。
桧塚奥峰から南、シャッポ尾根北斜面まで千石平国有林なんですよね。
昭和30年代に林野庁が大樹を切り出したのか?
皆伐して天然更新に任せたが樹木は育たず笹原になり、
その笹も枯れて表土流出の危機に国は放置しているのか?
大西さんが言っておられる桧塚奥峰と云うのは1420m付近のことだと思います。
奥峰からの眺めでは無いと思います。
以前この辺り巨木の倒木が有りましたよ。
honma1957さんは松阪山岳会の会報を絶対視し過ぎています。
「千秋峯」は千秋社初代所長の服部こういちさんが個人的に名付け、
それを松阪山岳会の会報が採用しただけじゃないのですか?
千秋社が山主になってから半世紀程度の歴史の浅すぎる「名称」だとグーは感じます。
それを信奉して桧塚の文字を削除されたということですよね。
うーん こう言われれば、ああ云えばこう的な話になりますね。
確かに千秋峯は千秋社が名付けたものだと思います。
それを大西さんは採用した。それは無名の山だったからです。
P1186が千秋峰と云っておられる方がいますが、1402.2mの方がよっぽどまともだと思います。
桧塚は無かったわけではなく、青田の桧塚、蓮の桧塚として記述されています。
私は30年近く前、1402.2mの東の平へ様子を見に行ったとき、ヌタハラ谷方面から登って来た方に話を聞き、この平の上の桧の古木のある所が桧塚だと教えていただきました。何度も確認し1402.2mでは無く、桧の古木のある所と言っていました。この人のいう事が信用できるのかと言われればそれまでですが。
たぶん地元の人は、桧の古木のある辺りから奥峰辺りまで桧塚と呼んでいたのではないかと思っています。それはそれでいいのではないかと思います。