【日付】 2020年10月15日(木)
【山域】 比良
【天気】 晴れ
【コース】 坊村~白滝谷~クルシ谷~左岸の小尾根~比良岳~白滝谷~森山岳
~長池~音羽池~夫婦滝~白滝谷登山道~坊村
流れの中にそっと足を入れる。
「よかった」
ネオプレーンの靴下の上まで潜ってもそれほど冷たさは感じない。
目の前の風景がぱぁっと明るくなる。
始まりの谷からあらたに始まる旅が、木々の葉の向こうから顔をのぞかせている。
先日、家の窓から、隣の空き地に生い茂ったススキの穂がさらさらと風にそよぐのを見ているうちに、
ざわざわとこころが揺れてきた。
さらさら、ざわざわ・・音は膨れ上がり、水の音を運んできた。頭の中に谷の情景が広がる。
逃げていく秋を前に水と戯れたい。訪れなければならない場所があると唐突に思った。
そして、今、初めてひとりで遡った谷、白滝谷に、私は立っているのだった。
それほど冷たくなくてよかったと思っても、10月半ばの水は冷たい。
上半身は濡らしたくないので、そろそろと流れを遡っていく。
あの時は、真夏で、「谷の中に、わたし、ただひとり」と、うれしくて、ばちゃばちゃと歩いていたなぁと思い出す。
少し勢いの失せた緑色の風景の中に、しんと立つカツラの木に目が留まる。
まだ葉は青いなぁと思ったら、さぁっと風が流れてきて、
秋は着々と進む、そして、気がつくと逃げているのだと呟き、
どこかに隠れていたまあるい黄色い葉を、遠い空の方へふわりふわりと舞い上がらせた。
風に飛ばされ、最初は戸惑いながら浮かんでいたちいさな葉は、陽光を浴び煌めき始めると、
しばらく秋の空を気持ちよさ気に泳ぎ、そして、十分楽しんだと、はらりと谷に舞い落ちた。
落ちた葉っぱのまわりには、同じように空を舞った無数の葉が散らばっていた。
くすんだ黄色い葉は、静かに過ぎていった秋を物語っていた。
時は移ろう。
しんみりとした気分になり、ふうっと宙を見た瞬間、ズルリと左足が滑り、おしりまで水に浸かってしまった。
以前とは違うのだ。気を付けなければならない。
二俣に着く。今日は、懐かしの谷から未知のクルシ谷へと進んでいく。ずっと気になっていた谷だ。
谷の入り口の岩壁とそこから流れ落ちる滝は、ここから先へは足を踏み入れるなといわんばかりの威圧感で私の前に立ち憚る。
どこから高巻こうか。地形図には左岸に破線がついているが、谷の両側をぐるりと見渡し、手前の小さな枝谷を登ることにする。
ガラガラした谷を少し登り、傾斜が緩くなったところで右にトラバースして尾根に乗る。
谷を見下ろすと傾斜がきつく、ロープを使わなければ下れない。
降りてしまい、この先また滝が現れ、行き詰ったら登り返せないかもと思い、下れるところを探しながら、尾根を進むことにする。
標高730メートル付近で、斜面に杣道を見つける。
辿っていくとすっと谷に降り、ほっとすると同時に拍子抜けし、そういう現金な自分に苦笑する。
思っていたよりも上流に出てしまったので、下流の様子を見に行く。
ナメと小滝の情景に、もうちょっと手前で降りていたらなぁと、また、身の丈をわきまえない思いが頭をもたげそうになり、さあ行こうと上を向く。
地図を見ていた時から、クルシ谷は、水量は多くないだろうと思っていたが、実際、控えめな流れだった。
高巻きを終えた後は、ナメ床やゴロゴロとした石の間をさらさらと水が流れ落ちる、こじんまりとした二次林の明るい谷の風景が続いていく。
標高790メートルの二俣を右に進む。そのすぐ先の三俣は、左は葛川越の道で、惹かれるものがあったが、
今日は、比良岳から生まれた水の最初の一滴を見ようと、入り口が倒木で塞がれた真ん中をとる。
少し進むと、ちょろちょろした流れになる。源は近いのかなと思っていると、倒木の山が現れ、先まで谷底が木々の枝で埋まっていた。
物語を描く私も、現実を目の前にする私も滑稽だ。
見上げた両岸の尾根は、秋のまっすぐな陽射しを受け、さんさんと輝いている。
最初の一滴はもっと上なのだろうが、殺伐とした光景を目の前に、もういいやと尾根に逃げることにする。
ここでも出会うであろう風景を想像してしまう。
色づき始めた自然林が頭に浮かび、右岸の尾根を登り始めるが、対岸のきりりとした尾根も気になり、やっぱり左岸の尾根にしようと谷に戻る。
木を掴みながら尾根に出ると、シャクナゲの林だった。
どこまで続くのだろうと、くねくねと曲がった幹や枝の間をくぐりながら、急こう配の痩せ尾根を登っていく。
途切れることなく続いていく、シャクナゲ林。5月に訪れていたら、どんな気持ちになったのだろう。
気が付くと、井上靖の「比良のシャクナゲ」の詩が頭の中に木霊している。
忘れ去られたような小さな尾根でひっそりと咲くシャクナゲの花がまぶたの裏に映し出される。
枝を握る手に力が入る。そして思う。
絶望と孤独に押しつぶされそうになった時、ピンク色に覆われたこの尾根に再び分け入るのだと。
でも、訪れることはないのだろうなと感じ、そう思えた自分にちょっと安心する。
山頂が近づき、尾根が広く緩やかになるとシャクナゲは姿を消していた。
すうっと、お気に入りの風景の中に入っていく。比良岳山頂だ。
何回か腰を下ろした石のうえに今日も座り、ぼんやりとブナの木々を眺める。
時計を見ると11時過ぎ。まだおなかは空いていない。
見上げた空は限りなく青く澄み渡り、足が動きたくてむずむずしてくる。
ここから一直線に森山岳に向かおう。
山を彷徨い、山に遊ぶ。
地図の中のちっちゃな一角には、なんて自由で面白く、美しくて味わい深い世界があるのだろう。
比良岳、森山岳、白滝山の三つの山に囲まれた地帯に足を踏み入れる度、しみじみと思う。
白滝谷に降り立つ三本並んだ小尾根の真ん中の尾根を下り、対岸の枝谷から右岸の尾根に乗り、森山岳へと登っていく。
この尾根も下部はシャクナゲが多かったが、鉄塔から先は快適な尾根道となった。
森山岳北東の台地に着く。ここでお昼を食べるのは何度目だろう。ゆっくりとパンをかじりながら武奈ヶ岳を眺める。
好きな場所の一期一会の風景を私の中に感じ、あと何枚積み重ねていくのかなと、まだ見ぬ風景に思いを巡らす。
ここからは尾根を登ったり下ったり、谷を覗いたり、彷徨いながら、彷徨ってしまいながら、ゆらりゆらりと音羽池へ近づいていく。
吸い込まれていきそうな秋の空の下の、色づき始めた広葉樹の森は、からりと明るく、
道中の窪地で見られる澄んだ水を湛えた池は、そんな美しい秋の一日の情景を、無言で水面に描いていた。
音羽池からは遠回りになるが、白滝谷に下り山腹道に入る。
風にそよぐススキを見ながら思い描いていたのだ。
今ある私が、初めてひとりで遡った白滝谷を見おろし、感慨に浸りながら下っている姿を。
ところが、以前この道を歩いた時の記憶にある、ところどころで見えたはずの谷はほとんど見えない。
あれ?と思っているうちに、クルシ谷出合いに着いてしまった。
比良の山に遊ばれた。クッと可笑しくなる。
始まりの谷を遡り、始まりの谷を下る山旅。それは、私を遡り、私に戻る旅。
ざわざわしたこころで描いた内省的な山旅は、ふたを開けてみると、何だか違っていて、笑いを含んでいた。
今日、比良の谷を歩き、比良の山を味わっている私がいる。それだけだったのだ。
私はこれからも、その時、その時の、今ある私の、今あるからだで、山に遊び、山に遊ばれていくのだろう。
うん、幸せな山人生よねと、頷きながら、行きより長く感じる林道をてくてくと下っていく。
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