山行から少し時間が経ってしまいましたが、このルートはbiwa爺さんにご報告する義務もあり、遅ればせながらのrepアップをどうぞご容赦ください。
【 日 付 】2020年9月12日(土曜日)
【 山 域 】 湖北/伊吹山
【メンバー】山猫、家内
【 天 候 】曇り
【 ルート 】伊吹神社10:38〜川戸谷出合11:23〜12:12川戸谷右俣〜13:34南東尾根の展望地13:48〜14:46伊吹山〜16:07弥高山〜16:52伊吹神社
伊吹山の南東尾根はbiwa爺さんのストックを探すという目的もかねて、今年の1月に訪れたところではあるが、その時は冬季閉鎖された伊吹山ドライブウェイを歩くことが出来た訳であるが、無雪期は当然ながらドライブウェイを歩く訳にはいかない。biwa爺さんからrepへのコメントで、
果たして1/25,000地図に記されている川戸谷からの破線ルートを辿って南東尾根に辿りつくことが出来るかというmissionを頂く。本来は新緑の季節にと思っていたのだが、その季節は残念ながらコロナ禍で登山自粛のムードだったので、このmissionを果たすのを先送りにしていた。
名神高速を東に向かうと、比良にも鈴鹿にも厚く雲がかかっているが、どうやら霊仙山と伊吹山のあたりだけは雲を免れて、山の上に青空が広がっている。伊吹神社の手前の登山口の駐車場に辿り着くと、もう一台名古屋ナンバーの車が停められている。
まずは川戸谷の長い林道から始まる。日向では頭上から照りつける日差しが強いが、日陰に入ると谷沿いの涼しい風が吹いてくる。しかし、谷を奥へ進むうちに急に雲が広がり、気がつくと青空が消えていた。
左岸を歩くと対岸に渡る橋が見えるが、その手前で林道は大きく崩落しているので、河原を歩き、対岸に渡渉することになる。この辺りからはかつて林道の痕跡を見分けることすら難しいほど林道は荒れている。再び左岸に渡る橋があるが、橋の上には数多くの岩が積載されている。大雨の度に積み上げられてきたのだろう。岩の重さに耐えかねて橋が崩落するのは時間の問題だろう。
橋を渡ると谷の出合となる。地図によると右俣と左俣の間の中尾根を西側から取り付くようだが、尾根の取付きがわからなかったので左手の植林から取り付く。中尾根へのトラバースを試みるが、すぐにもかなりの急斜面となる。問題は別のところから訪れる。早くも数多くのヒルが次々と靴をよじ登り始めるのだった。
急斜面を登り、植林の尾根に辿り着くと、尾根上には下から登ってくる明瞭な踏み跡がある。GPSで確認すると丁度、尾根に乗った辺りから川戸谷の右俣に向かってトラバースする道が続いているはずだ。谷に向かってトラバースする踏み跡があるように思えるが、踏み跡はすぐにも不明瞭になる。鹿のものと思われる踏み跡を辿って斜面を辿るが、どうやらかつての登山道の痕跡は見当たらない。
谷の右俣が近づくにつれますます足をよじ登ってくるヒルの数が増えるようだ。頻繁にヒルのチェックを行うが、足元を見る度に数匹のヒルを撥ねとばすことになる。谷の手前で藪と急斜面に進路を阻まれる。谷に向かって急斜面をトラバース気味に下降してゆく踏み跡が目に入るので、ボロボロと崩れそうになる斜面を下降する。
谷に辿り着いてからも数匹のヒルを靴から落とすが、すぐ足元の地面には何匹ものヒルが私の足をめがけて寄ってくる。このヒルの多さは尋常ではない。遡行するにも谷の両側はかなり急峻な斜面となっており、滝があったとしても斜面に逃れることが難しそうだ。何しろ、ヒルの尋常ならざる多さが谷を遡行することを断念させた。
尾根が近づくと再び桧の植林地となり、急に足元のヒルも少なくなる。尾根に戻ると、明瞭な踏み跡が上へと続いている。果たしてこの踏み跡がどこまで続いているのかわからないが、行けるところまで行ってみることする。登るにつれて古道と思われる掘割の道が現れる。下生のない尾根は歩きやすく、急速に高度を稼ぐ。先ほどまでとは異なり、尾根を歩き始めてからはヒルの姿を見かけることはなくなった。
ca900mほどのところで唐突に植林が終わる下生のない自然林が続く。このあたりになると流石にかなり涼しさを感じるようになる。このまま尾根を直登出来そうな気もするが、それはやめておく。というのももう少し高度が上がると間違いなく榧の幼木帯となるからだ。榧の幼木の藪の間を進む困難は前回の山行で痛感している。
ca950mのあたりからは伊吹山の南東尾根に向かって地図で破線が記されているので、GPSであたりをつけて右手の斜面にトラバースする。果たしてかつての登山道の跡のような薄い踏み跡がすぐにも現れ、今度は容易に斜面をトラバースすることが出来る。南東尾根に乗ると見覚えのある石灰岩を敷き詰めた登山道が現れた。
斜面をトラバースしながら榧の幼木の藪を避けて、登山道を忠実に辿る。この踏み跡を少しでも外すとバリケードのような榧の藪が待ち受けている。登山道が折り返して、再び尾根の上に出ると石灰岩のガレ地に出ると、正面には養老山地と霊仙山の展望が広がる。霊仙山の左手に見えるのは四日市の市街だろう。さらにその左手には広大な濃尾平野の彼方に名古屋の高層ビル街が見える。
すぐ眼下の尾根に走るドライブウェイと好展望を眺めながらランチ休憩にする。
尾根を辿るとca1170mの台地状のピークの手前で林相が変化し、美しい山毛欅の樹林が広がるようになる。伊吹山にこのような山毛欅の樹林があることがなんとも意外に思われてならないが、南東尾根のハイライトは展望ではなく、この山毛欅林に尽きると言えるだろう。
ピークを越えたところには小さな池が現れる。前回ここを訪れた時は雪で林床が雪で覆われていたので当然ながら池は見ることは出来なかったのだ。樹林の中に気まぐれに現れる霧が山毛欅の林を白いヴェールで飾っては足早に過ぎ去っていく。しばしの間、幻想的な美林の中を歩く至福に浸る。
残念ながら山毛欅の樹林はそう長くは続かない。そもそもこの南東尾根自体が短いのだ。山毛欅の樹林を抜けると灌木帯となり、細尾根の上の踏み跡は消失する。灌木帯を抜けると草地が広がるようになる。広い山頂台地の東端はすぐである。振り返ると広大な展望が開ける筈なのであるが、東から瞬く間に雲が登ってきて濃尾平野方面の眺望を覆い隠す。
ようやくたどり着いたと思って安心したのも束の間、思いがけない問題が待ち構えていた。防鹿ネットが張り巡らされており、山頂台地を周回する登山道に入ることが出来ない。冬に歩いた時には防鹿ネットが外されていたので、何の問題もなく登山道に入ることが出来たのであった。
ネットに沿って進むうちに家内がネットに空いた穴を見つける。穴の覆うようにもう一枚ネットが被せてあるのだが、そのネットを持ち上げて穴を潜り抜けることが出来るのであった。この南東尾根を登ってくる登山者がいるということは完全に想定外なのだろう。この穴に見当たらななければどうなっていたかと考えると恐ろしい。南尾根までネットの外を歩かければならないところであった。
登山道を伊吹山の山頂方面に向かって歩くと晒菜升麻(サラシナショウマ)の群落が風にゆらゆらと揺れている。この山頂台地の周回路は一方通行であったことに後から気がつく。
伊吹山の山頂のあたりはやはり大勢の登山者で賑わっている。売店で炭酸ジュースを一本、頂くと、山頂は早々に退散し、南尾根の下降につく。南尾根かなりの急下降ではあるが、カレンフェルトの岩の間に程よく足場を見つけて下るのはそれほど難しくはない。
西の方角には琵琶湖が雲の間から溢れる光を受けて鈍い金属的な光を反射している。下降するにつれて傾斜も徐々に緩やかになる。カレンフェルトの岩場が終わり草原が広がるようになるとススキが秋風に揺れている。振り返ると伊吹山の上の方はすっかり厚い雲に覆われいる。
この南尾根の核心部は岩場の急下降よりもむしろ榧の樹林のあたりだろう。榧の低木の藪が鬱陶しいので、藪の薄いところを抜ける踏み跡を見失わないように気をつける必要があるが、このあたりになると頻繁にテープが現れるようになる。
榧の林が唐突に終わると熊笹が林床を覆う自然林になる。五合目から上平寺尾根にトラバースする登山道となかなか出会わないなと思ってGPSを確認すると少し西側の尾根を辿っていた。尾根上の丈の低い笹原の間にはしっかりと踏み跡があるので辿るのに全く問題がないのだが。
京極氏が築いたとされる上平寺城のノスタルジーが漂う城跡に出る。あとは最後はかつての登城道だったと思われる掘割の深い道を一気に下る。伊吹神社が近くなったところで前を歩く単独行の男性に追いつく。男性は隣の名古屋ナンバーの車の主であった。
男性は南尾根を登られて五合目から上平寺尾根に戻ってこられたようだ。男性が登られた時は南尾根は10m先も見えないほどの濃い霧だったそうだ。この日、山頂から展望を見ることが出来たのはわずかな短い間のことだったのようだ。名神高速を京都に向かうと天高い空がすぐにも夕暮れの色に染まっていくのだった。