【 日 付 】2020年7月30日(木)ー31日(金)
【 熊野 】果無山脈
【メンバー】山猫、長男
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】一日目;ヤマセミ温泉13:32〜15:08和田森〜16:07安堵山16:14〜17:25冷水山
二日目;冷水山4:42〜5:18カヤノダン〜5:55公門の崩の頭〜6:12筑前の𡴭〜6:35ミョウガ𡴭〜07:32ブナノ平〜8:01石地力山〜果無峠8:28〜8:51観音堂9:15〜10:02果無集落〜10:21果無登山口〜10:42十津川温泉
今年はなかなか梅雨が明けないが、さすがに七月の下旬ともなれば梅雨が明けるだろうと踏んで、この週は木曜日から休暇を取得し、南アルプスの縦走を予定していた。しかし、直前の予報では梅雨が明けるどころか南アルプス方面は天気が悪そうである。急遽、予定を変更して北アルプスや白山を候補に考えてはみるものの、日が近づくにつれてこれらの山域も天気予報がかんばしくない。好天が約束されそうなのがなぜか熊野や南紀の方面である。
奥深い奈良の南は様々な縦走の可能性が考えられるのだが、以前より訪れてみたいと思っていた果無山脈のことが頭に浮かぶ。奈良県の南部と和歌山県の県境を東西に走る長い山脈である。山脈の両端には和歌山の龍神村と奈良の十津川村があり、いずれもそれぞれの県の最奥部として知られるところだ。地図から滲み出る秘境感が半端ではない。そもそもこの果無という名前の響きがこの山脈にファンタジー的な憧憬を掻き立てる。
この果無山脈の縦走のハードルを高くするののはアプローチの困難さにある。というのも車二台を使うのでもなければ公共交通機関を使うことになるが、この山脈の西側の登山口となるのヤマセミ温泉へのバスは週三日のみ、しかもそれは月火木の平日に限られる。バスの運行日を考えると今回はこの山脈を訪れる格好の機会に思えてくるのだった。
【一日目】
特急くろしお号が和歌山に入ると蒼空が大きく広がるようになる。予報通りのようだ。紀伊田辺から龍神バスに乗り込んだのは我々の他には初老のご婦人一人のみであった。龍神村の西でバスを乗り換えることになる。バスが停まったのはスーパーに隣接した駐車場のようなところであるが、他には車は見当たらない。駐車場にはヤマセミ温泉行きの田辺市民バスが既に発車を待っていた。
運転手によるとこの西からヤマセミ温泉までは14kmの距離があるらしい。少なくとも縦走を考えるのであれば、歩ける距離ではないだろう。バスとはいえミニバンなのだが、車内で流れているラジオからはコロナの新規感染者が4人も出たといって放送している。よくよく聞いてみると徳島放送だった。この和歌山の山奥にも徳島からの電波が届くのは意外と言わざるを得ない。
バスは定刻通り、30分でヤマセミ温泉に到着する。温泉とはいえ、看板も何もなく、そうと知らなければ小学校の廃校跡と思っただろう。実際、かつての校舎の中に温泉があるらしい。温泉の奥にはキャンプ場があり、コテージが整然と並んでいるのだが、人の気配は一切ない。蝉の音だけが静寂を支配している。
早速にも強い日差しの中、アスファルトからの輻射熱を感じながら車道を歩く。まもなく山あいに忽然と集落が現れる。小森と呼ばれる集落らしい。集落の中では赤橙色のオニユリやノウゼンカズラの花が多く咲いている。石垣の上で咲いているオレンジ色の花は遠目にはオニユリかと思ったが、近づいてみるとオオキツネノカミソリの花であった。こんなところで出遭うのは意外な花だ。
集落を奥まで進むと真新しい登山口の案内板がある。獣避けのネットの扉を開けて、植林地の中へ入ると木陰に入ることが出来て一安心である。明瞭な道が続いている。急登は最初のみで、徐々に傾斜は緩やかになってゆく。ca850mで、南の林道から登ってくる尾根と合流すると、尾根の北側からは涼しい風が吹くようになる。
眺望は全く期待していなかったが、尾根の南側からは最近作られたと思われる林道が上がってくる。林道越しに好展望が広がる。南の彼方には大塔山、百間山といった南紀の山々だろうか。
和田ノ森が近づくとなだらかな尾根が続く。和田ノ森は山名標がなければそれと気がつかずに通り過ぎてしまいそうなところだ。ピークを過ぎるとナラの樹の自然林が広がるようになるが、まもなく尾根の上を走る林道に出る。
林道が尾根上のピークを巻くために大きく北側に曲がるところで樹林の中に入り、ピークに登ると北側には広い伐採斜面が現れ、大きく展望が開ける。尾根上には立派な山毛欅の樹が目立つようになる。
次の安堵山(あんどさん)が近づくと終始、北側から涼しい風が吹いているので、暑さを感じずに済む。尾根上にはママコナの花が数多く咲いている。ミヤマママコナかと思っていたが、あとで調べるとシコクママコナらしい。
安堵山とは変わった名前であるが、この果無山脈はかつて護良(もりなが)親王が十津川に逃れる際に通ったところとされ、ここまで来れば追手の心配はないだろうと安堵したことに山名が由来するという。
安堵山の東で南の山腹を走る林道に一瞬合流する。林道は綺麗に舗装されており、一般車でも走ることが出来そうな雰囲気だ。林道龍神本宮線と記されているが、うねうねと山中を蛇行しながら熊野の発心門王子まで続いているらしい。
林道の法面を階段で上がると、山毛欅の目立つ広々とした樹林に入る。黒尾山の山頂には特徴的な三裂葉のタカノツメの樹が目立つ。今の時期は注意深く葉を観察しないと気がつかない樹であるが、秋の紅葉には樹林を明るい黄色で彩ることだろう。
黒尾山からは冷水山にかけては小さな鞍部を挟んであとわずかな距離だ。緩やかに尾根を登ると忽然と冷水山の三角点の柱石のある山頂広場に飛びだす。ここは北側にも南側にも眺望が広がり、ゆっくりと傾いてゆく太陽を眺めながら夜の時間を迎えるのには素晴らしい場所だ。
西の空にある太陽が沈むまではまだ時間がありそうだ。まずはビールを一杯。下から担ぎ上げてきた牛肉や野菜類の蒸し焼きを料理をする。しかし、この山頂は眺望は良いものの、全く別の問題が待ち受けていた。ブヨが多いのである。刺された経験のある方はご存知だろうが、ブヨは刺された時はほとんど感じないが、後から猛烈な痒みと局所の腫れに見舞われることになる。
料理をしているうちに南東の方から雲が沸き起こり、南の眺望は次々と雲に呑み込まれてゆく。もうすぐ山頂も雲に覆われることになるだろう。西の空に陽が沈む頃、山の彼方で夕陽を反射して紅く輝く海が見える。紀伊水道のようだ。
陽が沈むと、途端にブヨはほとんどいなくなる。西の空の残照がゆっくりと色褪せていく頃、南の雲がこの冷水山にも来たようだ。ブヨがいなくなったと思ってテントの中で靴下を脱ぐ。しかし、油断大敵、早速にも足を数ヶ所、ブヨに刺されることになる。
【二日目】
翌朝、出発をする頃になると空が明るくなり始め、山頂の北にも南にも雲海が広がっている。薄暗がりの樹林のアーケードを歩き始める。前日にブヨにまぶたを刺されたようであり、かなりひどく腫れ上がっている。
冷水山からカヤノダンにかけての尾根はこの果無山脈の中のハイライトの一つといえるだろう。自然林の広々とした尾根が続き、随所に山毛欅の大樹が現れる。やがて尾根にはうっすらと靄がかかるようになり、幻想的な景色の中を黙々と歩む。尾根の北側からは終始、涼しいそよ風が吹いており、霧をかすかに揺らす。
カヤノダン、公門崩(くもんつえ)の頭と次々とピークを越えてゆくが、いずれもなだらかなピーク。筑前タワは次のp1117との間の最低鞍部になるが、尾根がなだらかなので、道標がなければそこが峠であることに気がつかずに通過してしまうだろう。筑前タワを過ぎると樹林の中にようやく朝陽が差し込むようになる。朝靄の中にいく筋もの薄明光線を落とすと、光のシャワーの中を進んでゆく。
p1117の登りでも立派なブナの樹が次々と現れ、広々とした山毛欅の美林の中を歩く悦びに浸りながら先へ進む。ミョウガタワを過ぎて、山毛欅の根元に苔むした岩の集簇が目を惹く。ここまで尾根上には大きな岩があまりなかったことに今更ながらに思い当たる。
尾根の北側の展望地からは山の上にかかる雲が急速に晴れ上がっていくようだ。眼下の尾根上に集落が目に入り、その集落の高さに驚く。地図で上湯川沿いの小原の集落に思われる。
ブナの平は名前からしてさぞかしブナが多いところかと期待していたが、南斜面はすでに植林となっている。南には本宮の方向に展望が開けており、熊野川の悠々とした流れが目に入る。先ほどまでの雲海はいつの間にか霧散しているようだ。
石地力山の北側では伐採斜面が大きく広がり、彼方の冷水山から縦走してきた尾根を俯瞰することが出来る。尾根のアップダウンが少ないために短い時間の間にかなりの距離を歩行することが出来るのではあるが、それにしても冷水山から歩いてきた尾根が長く感じられる。同時に間も無くこの果無山脈の縦走が終わってしまうことが残念にも思えるのだった。北の方角にはかなり下の尾根上にこれから訪れる果無集落が見える。
果無山は峠の手前の小さなピークp1114である。この山脈の由来となっている山にしてはあまりにも地味なピークであった。果無山からは植林地の中をわずかに下って果無峠にたどり着くと、峠には観音様の石仏がある。
峠からは熊野古道の小辺路となり、これまでとは一転、極めて明瞭な道が続いている。この小辺路は熊野古道の中でも最もマイナーで訪れる人が少ないと聞くが、それでもこれだか道が良好なのは古来より多くの人が往来してきた道だからなのだろう。ほぼ一定間隔で観音様の石仏が現れる。西国三十三霊場の寺名が記されている。石仏に刻まれたその数字が丁石としての役割を果たしているようだ。
観音堂に降りると、お堂の前の水場ではホースから水が噴き出している。まずはマグカップに水を汲むと立て続けに数杯、喉に水を流し込む。観音堂では大学生と思われる若い男性を連れた家族と思われる3人の方が休憩されておられた。ホテル昴の郷から熊野本宮を目指すとのこと。
豊富に水があるので観音堂の下でお湯を沸かし、ほうじ茶を入れる。有難いことにブヨなどの虫の類に煩わされることはなかった。そろそろ出発しようかという頃、下から単独行の男性の方が来られる。平日ではあるが、やはりこの小辺路を歩かれる方がそれなりにおられるようだ。
観音堂を後にし、かつての茶屋の跡を過ぎると古い石畳が現れる。残念ながら道の歴史を感じるなどと悠長なことを言ってはいられないのは、苔むして角の取れた石は滑りやすく、非常に歩きにくい。晴天でもこれだけ滑るのであれば、雨の日は大変なことになるだろう。
高度が下がるにつれて急に暑さが感じられるようになる。先ほどまでは谷から吹き上がってきていた風がほとんどなくなったせいもあるだろう。
果無集落は尾根上の好展望の、人の気配が感じられないが、別世界の感がある。集落の上にはバス停があり、世界遺産碑前という名称のバス停があるが、ここまでバスが登ってくるのは週に一度、月曜日のみの運行らしい。
果無集落を過ぎると十津川までは地図上はわずかな距離ではあるが、暑さがますます厳しく感じられ、石畳の急坂が長く感じられる。
十津川に降り立つと標高は140mほどだ。登り始めた龍神村のヤマセミ温泉が標高が500m近くあったので、少なくとも標高は300mほどはあるものかと思っていたが、とんだ勘違いである。道理で暑いわけだ。
十津川温泉を訪ねる。川べりの公衆浴場、庵の湯に入ることにする。コロナ感染対策のために入場は5人までの制限が設けられている。我々が訪れた時に一人の男性が出てこられたところであり、浴場には誰もいなかった。温泉の湯は濃厚な硫黄の香りがするが、水の感触が非常に柔らかく、かなり良好な泉質に思われる。風が吹いてくれるとさらに快適なのだが、残念ながら十津川の川面の上を吹き渡る風はない。
温泉でリフレッシュすると近くのラーメン屋で餃子をつまみながらまずはビールである。ランチの後はいざ玉置山を経て大峰奥駈道へ。