【日 付】2020年7月5日(日)
【山 域】若狭 駒ヶ岳
【天 候】曇りのち晴れ
【コース】大滝橋---林道終点---炭焼窯跡ランチ場---駒ヶ岳---Ca730m分岐---大滝橋
【メンバー】山日和さん、sato
池河内の集落を抜け、昨夏訪れた時と同じ松永川の二俣に車を置く。
昨夏はここから右俣の林道を進み、・463の尾根の西側の谷を桜谷山に向かって遡った。
今日は、左俣の大滝川から駒ヶ岳へと向かうのだ。
池河内を流れる松永川をくるりと囲む小さな山域に魅せられたのは、いつの頃からなのだろう。
始まりは、朽木側から駒ヶ岳を訪れた時、目に留まった、「千石山」と書かれた黄色いテープが巻かれた木だった。
地図を見ては、松永川左俣の両側の尾根を辿る旅を夢見ていたが、なんとなく腰が上がらなかった。
一本の木が、駒ケ岳を訪れる度、若狭側に広がる自然林を眺め、こっちの風景も味わいたいとなぁ思っていた私の背中を押してくれた。
そして、足を踏み入れると、駒ケ岳から桜谷山の若狭側にすっかり魅了されてしまった。
以来、ふと思った時、池河内を訪れている。でも、彷徨うのは尾根ばかり。谷を歩いても岸から眺めるだけ。遡行しようとまでは思わなかった。
昨年、右俣の先の左俣の谷を遡った時の感動は、色あせることなく私の胸に刻まれている。
私にとって沢歩きの真髄を感じさせてくれた山旅だった。
大滝川も最初は林道歩きだ。道路に沿った植林の斜面は段状に整地された跡が見られ、ところどころに石積みも残る。
右俣と同様、この谷もかつては田んぼが広がっていたのだ。
林道終点から流れの中に足を浸す。田んぼが水に流されないよう何重にも積み重ねられた石積みの脇で休憩を取る。
前日は各地で大雨だったが、この谷の水量は多いとは感じない。それでも、増える時はものすごい勢いで増えるのだろう。
頑丈な石積みが、今日を生き抜いていった池河内の人々の強さを物語る。
少し進むと、両岸は自然林となり、風景に柔らかさが加わる。
苔むした黒味を帯びた岩の間を、澄んだ水が滑らかな飛沫を上げ、気持ちよさ気に流れ落ちていく。
水に濡れた苔が艶やかに煌めく。その煌めきに負けじと、緑の木々も葉を思いきり広げ、曇天の淡い光を掬い取っている。
なんということもない風景なのかもしれないが、なんてこころに沁みいる風景なのだろうと思う。
今日の谷は右俣の時とは違い、2年前に訪れている山日和さんから聞いた話で、歩く前から素敵な谷なのだと想像している。
それでも、おおげさと思われるくらいうれしくなってしまう。意図してではなく、勝手に、自然に。
二俣に着く。真ん中には岩を抱えたトチの木。ハッと、立ち止まる。
インド、ネパールのヒンドゥー世界では、川と川が合わさる場所は、聖なる地と考えられている。
今、目の前にある、いのちの水と水が合わさる風景が、時空を超え、ひとつの真実と繋がるのを感じる。
しっとり情趣を帯びた谷を遡っていく。標高は数百メートル。駒ケ岳の山頂に着いても780メートルだ。
山また山の中ではないのに、深い深い山の中を分け入っているような気分になる。
谷は山襞。谷を遡るとは、山のこころの襞に触れること、山の物語、秘密を感じることなのだなぁとあらためて感じる。
沢歩きの真髄を、今、私たちは味わっているのだ。
山日和さんが、「もう少ししたら、いい雰囲気の場所に着くよ」と呟いた。
これまでもいい雰囲気の場所だらけだったので、ワクワクするがドキドキまではいかない。
三筋の流れが見えた。近づくと美しい夢のような光景がそこにあった。両方の谷から小さな滝が流れ落ちる二俣だった。
左俣は大きな岩が流れを分け、二筋の光となって流れ落ちている。傍らには健やかに枝を広げるカツラの木。
わたしは夢を見ているのだろうか。山の夢をわたしが覗いているのだろうか。予期せぬ風景との出会いに、頭がぼぉっとなる。
吸い寄せられるようにカツラの木の下に向かう。何本にも株立ちした一本いっぽんの幹が艶やかに煌めいていた。
その艶めかしさにうっとりして上を見上げると、それぞれの幹の、無数のちいさなまあるい葉で飾られた枝が、
遠い空の向こうにいつか届くのではないかと夢見るようにゆらりゆらりと伸びていた。
山も、木々も、私たちも・・・、そのとき、世界は夢見ていたのかもしれない。
夢見るカツラの木は、次の世界へと私たちを導いた。少し遡ると、今度は流れを塞ぐようにそびえ立つカツラが真ん前に現れた。
駒ケ岳で生まれたいのちの水が、この木に飲みこまれ、あらたないのちとなって大蛇のような根の下から湧き出ているようだった。
森羅万象の一隅の一本のカツラに、森羅万象を見る。
透き通った音楽のように流れていく水の音が、どこかの国の大きな木の下で聞いた、何かの音色を呼び寄せる。
谷は緩やかな弧を描き、流れも細くなる。空が近づき、小さな台地に着いた。
そこには苔むした窯跡がしんと残っていた。柔らかな谷の源頭に静かに佇む窯跡。
絶妙の風景と思う。
炭焼き窯は、人の意志で作られたものだけど、人の意志を超え、あらかじめ決まっていたかのように、ここに生まれ、
自身が山となるのを知りつつ、時を送ったのだと思ってしまう。あるいは、炭焼きの人が、聞こえざる山の声に導かれて、ここに作ったのだとも。
ぼんやり考えていると「山頂まであともう少しだけど、ここでランチにしよう」と山日和さんは荷物を降ろし、シートを広げた。
緑の海の中に浮かぶ窯跡と水色のシート。傍らには優しい流れ。
あっ、と息を呑む。私の目に映る風景の上に、昨年歩いた鈴鹿の上谷尻谷大滝上の窯跡の風景が浮かび上がる。
そうだ、山の記憶、山に暮らした人々の記憶、そして私たちそれぞれの記憶、さらに私の知らない誰かの記憶・・・
いろんな記憶が重なり合い、風景は輝きを増し、ひとつの世界を創るのだ。
ゆっくりと贅沢なお昼の時間を過ごし、緑あふれる穏やかな起伏の中を稜線に向かい登っていく。
駒ケ岳のこころの襞に触れ、物語を感じながら辿り着いた山頂は、どんな表情で私たちを迎えてくれるのだろう。
トクンと胸が鳴る。でも、もう少し物語を味わいたくて、何度も後ろを振り返ってしまう。
いつの間にか木々の間から明るい光が差し込み始めていた。山頂は近い。
sato