【 日 付 】2020年3月20日〜21日
【 山 域 】越前
【メンバー】山猫、長男
【 天 候 】1日目;雪のち曇り、2日目;晴れ
【 ルート 】(1日目)小原林道入口10:23〜14:02赤兎山登山口駐車場〜16:14大舟分岐〜16:31赤兎山〜16:56赤兎避難小屋
(2日目)赤兎避難小屋5:58〜6:19赤兎山6:32〜8:01大舟山〜8:55 p1421 9:20〜11:16経ヶ岳北峰〜11:48経ヶ岳〜13:00杓子岳13:20〜14:12保月山14:20〜15:25登山口
春分の日からの3連休、しばらく前まで晴れが三日間続く予報だったが、連休が近づくにつれ初日の金曜日の予報が雨のち曇りの予報へと変わる。二日目は晴天が約束されているようなので、この日に赤兎山から経ヶ岳への縦走を計画する。初日は延々と赤兎山を目指して小原林道を延々と歩くことになるが、晴天が期待出来ない日は展望のない長い林道歩きに充てるのに都合が良い。
早朝に京都の自宅を出発すると北陸での降雨の予報が信じられないほどの晴天が広がっている。しかし、特急サンダーバードが福井との県境、江越国境に近づくと空には重苦しい曇り空が広がり始め、福井が近づくにつれ予報通り雨が激しく降り出した。福井からはえちぜん鉄道に乗って勝山に向かう。雨雲レーダーで確認すると雨が降っているのは九頭竜川の流域のみである。やはりここは雲というか風の通り道なのだ。この九頭竜川流域に向かって吹き込む季節風が経ヶ岳や荒島岳の光景を作るのだろう。
勝山駅に到着した時点でも雨は続いていたが、雨雲レーダを見る限り、およそ30分後には降りやみそうな気配だ。予報を信じてタクシーで小原林道の入口に向かうが、予報は実に正しかった。人の気配のない小原の集落に入ると雨は雪に変わったからだ。
小原集落からはいよいよ10km近くに長い林道歩きが始まる。まずは滝波川に架かる橋を渡って左岸へ移る。辺りには積雪は一切、見当たらない。霰のような雪は地面に着地するや否や瞬時に融けてゆく。最初のカーブを折り返すと、眼下にはジオラマのような小原の集落を見下ろす。車がなければ生活できない場所だと思うが、集落に車が一台も見当たらないのは、すでに廃村と化しているのだろうか。玩具のような重機が一台、目に入るのみだ。
ca600mのあたりで、林道には雪が現れるようになるとすぐにも積雪が深くなる。このあたりでは昨夜から相当に雪が降ったのだろう。降り積もった新雪はくるぶしより上まで沈み込むので、早速にもゲイターとスノーシューを装着する。雪が止むと徐々に雲が上がり、小原谷の対岸には取立山の稜線が姿を現す。山の上の方では樹々は霧氷を纏っているのだろう、真っ白な樹林が目に入る。林道はやがてモノクロームの雪景色の中へと入ってゆく。ふと目の前の林道を優雅な所作で悠々と横切る動物がいる。狐であった。
Ca850mのあたりから林道はなだらかな斜面をジグザグに走行するので樹林の中へ入ってショートカットをする。断続的に雪は降り続いている。
スマホのGPSアプリでは登山口に到着している筈ではあるが、近くの樹林に入り込んで道を探してみるものの道が全く見当たらない。しばらく前からGPSの軌跡が歩いてきた林道から北側に約50mほどずれていることに気がついた。ということは地図上でGPSが示す点よりも南側に偏位した地点にいる可能性が高い。
周囲の地形から夏道が登ると思われる尾根に見当をつけ、尾根筋を辿ってみる。まもなく、すぐに下からの登ってくる夏道に乗ることが出来る。GPSでもいつの間にか夏道の上に軌跡が戻っている。すぐに山毛欅の若木の樹林の中へと入ってゆく。林の中は一面、雪で覆われており、自由に歩くことが出来るが、おそらく灌木や笹の藪を雪が覆い尽くしているのであろう。
二年前の秋に家内と長男と共に赤兎山から白山にかけて縦走したのだが、登山道に入るとすぐにも色づいた山毛欅の樹林が歓迎してくれたことを思い出す。この日の山毛欅は本来なら斑らに地衣類を纏う樹幹が谷から吹き付ける風雪のせいで真っ白に着雪しており、普段とは全く違う佇まいを見せてくれる。
やがて広く平坦な雪原に出る。雪原の中はいく筋もの小さな流れが深い襞を刻み込んでいる。ここで新たな問題にに直面したことを理解する。小原峠に向かうにはこの雪原の左手を流れる沢を渡渉する必要があるのだが、雪原の中で沢が流れているのは3〜4mも下であり、到底、渡渉は無理である。
渡渉ができない以上は、雪原の右手の尾根を登るしかない。尾根を登り続けるという選択肢もあったが、地図を見る限り尾根の上部はかなり急峻となっているようだ。左手にはほとんど樹木のないなだらかな雪原が視界に入るので、この緩斜面を目指してトラバースして、小原峠から赤兎山に登る稜線に出ることを考える。
なだらかな雪原に入ると霧氷が疎らに生える山毛欅のシルエットの美しさを際立たせている。ほとんどの樹が山毛欅に思われる。地図でみる限りは雪原の上は壁のような急斜面となっているはずだが、茫漠とした白い世界が広がっているばかりだ。
緩斜面を進むと、やがて霧氷を纏った山毛欅の広々とした林の中に入ってゆく。この樹林は均整のとれた樹影を見せてくれるものが多い。樹林の向こうに小原峠からの緩やかな稜線のシルエットが目に入ると一安心する。あとは赤兎山の山頂までこの稜線を登るだけだ。
稜線にたどり着くと、ここからはいよいよ急登である。樹林帯を抜け出すと、ところどころにクラストした雪面が現れるが、スノーシューで問題なく登ることが出来る。急登を登りきると樹木のないたおやかな雪稜が広がっている。白一色の雪稜を緩やかに辿ると、
突然、視界が晴れて、一瞬、南側の展望が幻影のように現れる。
やがて二本の杭が突き出した赤兎山の山頂にたどり着くと、すぐにも周囲は濃い霧に覆われ、わずか10mほど先も見えなくなる。完全にホワイトアウトであり、まるで白い闇が広がっているようだ。GPSを頼りに避難小屋がある東の方角を目指して尾根を進む。
いきなり足元を踏み抜いたと思ったら、雪の塊が斜面をゴロゴロと転がってゆく。どうやら小さな雪庇を踏み抜いたらしい。雪庇とはいえ、なだらかな山頂台地が広がっているので、滑落したとしても大したことにはならないのだが、これが急斜面だったならば、考えるだけでも恐ろしい。
小さな鞍部を登り返して、避難小屋を目指すが、その姿が見当たらない。GPSで確認すると小屋の南東に突き出た尾根に迷い込んでいたようだ。ようやく避難小屋の屋根が霧の中から朧げに姿を認めた時には無事、今夜の宿に到着したことに安堵の胸をなでおろす。
しかし、小屋に近づいて愕然とすることになる。なんと避難小屋は屋根の近くまで雪に埋もれていたのだ。小屋に入るために雪を掻き出そうにも、小屋の入口にかかる庇の直下まで雪に埋もれている。多少の雪は小屋の周囲にあることだろうと予想してはいたものの、この積雪は予想を遥かに上回るものだった。もう少し雪が多ければ小屋は完全に雪に埋まっていたことだろう。
庇の下を掘って、入口を探すしかない。今回、敢えてスコップは携行してはいなかったのだが、長男のスノーシュー、MSRのRevoは簡易なスコップとして機能する。小屋の入口の庇の下の雪を掘るうちに、なんとか二人が横になることが出来るほどのスペースは確保することが出来る。入口と反対側の庇の下を雪で塞ぐと小さな雪洞のようになり、途端に庇の下は暖かく感じられる。小屋に入ることが出来ない場合、この状態でビバークすることは可能かもしれない。しかし、諦めるのはまだ早い。
小屋は一昨年の赤兎山から白山への縦走の際に泊まった三ノ峰の避難小屋と全く同じ作りなので、その構造を憶えているつもりだ。そういえば、三ノ峰の避難小屋も二階から中に入るような作りにはなっていないのだが、冬季に人が来る前提がないためなのかもしれないが、いずれも小屋が雪の中に埋まってしまうことが多いからというのが理由なのかもしれない。
庇の中央部あたりを壁に沿って雪を掘ると小屋へ入るためのついに扉の上部が顔を出す。しかし、果たして小屋に入るためにはあとどれほど雪を掘らなければならないことだろうか。扉に沿って雪を1mほど掘り下げるとスノーシューの先に硬いものが当たった。ドアノブだ。ひねってみると内側に大きくドアが開き、穴に落ち込むように小屋の中に入ることが出来る。時刻は18時半過ぎ。小屋の中には辛うじて雪に覆われた窓の上部から差し込んだ青白い光でほのかに明るい。
外にいた長男が荷物を運び入れると、続いて長男も小屋に入る。二人でなんとか小屋に無事に入ることが出来た喜びを分かち合うが、次なる問題はどうやって外に出るかである。入口の外の雪の高さは依然として2m近くある。長男が一言「ウツボカズラ」と言を発する。
外に出ようとすると外の雪が入口から入り込むので、扉が閉まらなくなってしまう恐れがある。小屋の中には有難いことにトレイがある。明日の朝、この小屋を出発する時まで小屋から外に出る必要はないようだ。脱出の問題は明日の朝、考えることにしよう。
小屋の中は広々としていて快適だ。まずは夕食である。ソーセージと野菜、キノコ類の炒め物、ついで焼肉を調理する。次に焼売を蒸したところで、カートリッジのガスが失くなる。またしても失策である。いつもはカートリッジは二つはあるのだが、この日は寝ぼけた状態で身支度をしたためだろうか、カートリッジの中のガスは十分にあると思って予備を持ってきていなかったのだ。ほぼ全ての夕食を調理するまでガスがもってくれてよかったと考えるべきだろう。幸いにも明日の行動食は十分にある。
外では再び雪が降り始めたようだ。通り過ぎていく風の音とさらさらと屋根を叩く乾いた音が聞こえる。明日の好天を期待しながら寝ることにしよう。
【二日目】
朝、荷物をまとめると日の出の30分前を見計らって出発する。一足先に小屋の外に出た長男が「すごく晴れてる!こんな景色だったんだ」と歓喜の声があげているのが聞こえてくる。やはり小屋の入口のドアを閉めるのに少し手こずるが、ドアノブがカチッと微かな音を立てて扉が閉まるのを確認して小屋の外に這い出すと、途端に目の前には圧巻の景色が飛び込んできた。
まずは、昨日越えてきた赤兎山のそのなだらかな山頂が朝のブルーグレイの空の色に染まっている。その左の肩に見えるのはこれから辿る経ヶ岳だ。背後を振り向くと明るくなりつつある空の下で、純白の白山から別山、三ノ峰、さらに願教寺山、よも太郎山、野伏ヶ岳、小白山と連綿と続いていく山々が夜の滓(おり)のようなラヴェンダー色を背景に浮かび上がっている。この贅沢な光景を堪能するために昨日の努力があったともいえるだろう。時折、わずかに微風が吹くばかりで、寒さはほとんど感じない。朝の静謐な時間が緩やかに流れてゆく。
避難小屋から尾根を北東に歩くと、三ノ峰へと続く長い尾根の全貌を視線で追うことが出来る。小赤兎山への鞍部への下りは無雪期でもかなりの急峻な下りであったが、鋭利な刃物のようなナイフリッジの急下降となっている。果たして積雪期にこの尾根を下る機会はそう簡単にはないだろうと思うが、このナイフリッジの急下降は相当な難所になるだろう。
避難小屋の北側に回ると大長山が霧氷を纏う樹々の彼方で大きく山裾を広げている。空は急速に明るくなっていく。まもなく日の出の時間だろう。大長山とその左肩に見える取立山の山頂部が東の空の明るさを反映して一層白く輝き始める。山頂への登りでご来光を拝めることを期待して山頂へと歩き始めると、まもなく東の空から朝日が昇り始めた。
赤兎山の山頂に立つと朝陽を浴びて微かに薄紅色に染まる経ヶ岳が目に入ると当時に経ヶ岳へと続く長い尾根の全容を俯瞰する。ほぼ中間点の大舟山の山頂部までは尾根上には霧氷を纏った樹々が広がっているが、大舟山を越えると樹林はなくなり、純白の鋭利な細尾根が経ヶ岳の北峰に向かって伸びているのが見える。
まだまだ先は長い、いよいよ経ヶ岳へと向かっていざ出発である。まずは昨日、辿ったトレースを辿る。大舟山への分岐から尾根に入ると、尾根はまだ赤兎山の影だ。尾根上には雪庇が発達しており、注意をしていたつもりではあるが、早速にも雪庇を踏み抜き、雪がどっと斜面に転がり落ちてゆく。右足が安定していたので斜面に滑落することはなかった。
最初の急下降が終わると尾根はなだらかになり、雪庇の踏み抜きには注意しなければならないが、歩きやすい尾根となる。やがて尾根に朝日が当たり始めると霧氷を纏った樹々が白銀に輝き始める。左手には荒島岳、その彼方に銀杏峰を見ながら安穏な尾根歩きが続く。
大舟山への登り返しに入ると、それまでの低木から樹高の高い山毛欅の樹々が多くなる。山毛欅の枝先についた霧氷が蒼空を背景に繊細な煌めきを見せてくれる。
大舟山にはほぼ8時、赤兎山を出発してから丁度1時間半が経過している。この大舟山は赤兎山と経ヶ岳への中間地点ではあり、ここまでは想定通りのコースタイムだ。しかし、ここから経ヶ岳へは安易な道のりではないだろう。
大舟山からは樹林のアーケードの急下降を下り、鞍部から登り返すとすぐにも雪庇の発達した細尾根となる。尾根の右手、すなわち北側には低木が繁茂するが、右側には樹林が全くない。いつしか空には雲が増えてきた。
p1421に達すると尾根上には樹木のない痩せ尾根が始まる。尾根上に樹林がないのはここが風の通り道で風衝地帯になっているからであろうことは容易に想像される。痩せ尾根の右側は硬くクラストした斜面に新雪が薄く積もった状態であり、スノーシューでは歯がたたない。躊躇なくスノーシューをアイゼンに替える。
ここからは痩せ尾根を一歩一歩、足場を確認しながら慎重に進む。雪庇を踏み抜いて尾根の左側に落ちても、右側のクラストした斜面で足を滑らせてもいずれも戻って来れない可能性があるだろう。尾根上の小ピークca1440mのあたりまでわずかな距離ではあるが、このナイフリッジの通過にはかなりの時間を要することになる。
Ca1440mからは少し尾根も広がるが、クラストした雪面の代わりに積もった新雪の深いラッセルを強いられることになる。ここでピッケルはダブルストックに持ち替える。しかし、ここで再びスノーシューに替えるということは到底、考えられない。というにも徐々に目の前には大きな岩が迫っていたからである。
いよいよナイフリッジを越えて大きな岩の下にたどり着く。岩の南側は尾根からかなり下であ理、右側の北斜面を通過するしかない。しかし、岩の影を覗き込んで息を呑むことになる。そこはクラストした雪質の急斜面であり、なおかつ斜面から水平に張り出すリョウブと思われる灌木が通行を邪魔している。
リョウブの木を跨いでトラバースするが、樹の枝を掴むことが出来る分、安心感がある。トラバースが終了するまでは残りは10mほどではあるが、いよいよ斜面に樹がなくなると流石に緊張する。斜面に両手でストックを突き立てて横に這うようにして無事、通過することが出来たが、このトラバースが最大の核心部だっただろう。
北峰まで急登ではあるが、これまでに比べると尾根は広くなり、安心して歩けるところだ。アイゼンから再びスノーシューに替えて、北峰を目指す。振り返ると赤兎から歩いてきた長い雪稜が目に入る。p1421からは長男の無事を確認するために何度も後ろを振り返ったものの景色もほとんど目に入らなかったようだ。残念ながらこの区間の写真をほとんど撮る余裕もなかったことに思い当たる。
この東側から見上げる経ヶ岳は一般登山路の通じている南東斜面よりもかなり雪が多く、乳液をかけたような滑らかな山肌が目立つ。いよいよ尾根を登りつめて北峰に立つと経ヶ岳の本峰である南峰にかけての稜線を見渡すことが出来る。
ここは1月の下旬に法恩寺山へと周回する際に通ったところではある。最初のナイフリッジを通過すると尾根が広がっているように見えるが、油断は禁物だ。というのも一見、広く見える尾根の東側にはかなり大きな雪庇が発達しており、雪庇の上を歩く可能性があるからだ。とはいえ、大舟山から北峰に至るまでの尾根の緊張感からは一気に解放されるような気がする。
経ヶ岳の山頂まで吊尾根を登り詰めると広い山頂では一人の男性が我々の到着を待っておられた。まずは「ご苦労様」とお声掛けしてくださる。「リフトから上がって来られたんか?」とご質問をいただく。つまりスキージャム勝山から法恩寺山を経てここまで縦走して来たのかという意味の質問だ。「いえいえ、あそこに見えている避難小屋からです」と赤兎山の方角を指すと大きく驚かれる。赤兎山の右肩にはポツンと避難小屋がこの経ヶ岳からでも視認することが出来る。この二日間のコース取りを男性にご説明申し上げる。「下山口からはどうするんかいの?」と聞かれるので、予定をお話しすると「世の中は様々だなぁ〜」と更に驚かれる。
男性はほぼ毎週のように福井の雪山を登っておられるとのことであったが、今年は雪は少ないにも関わらず、この日の積雪には驚いたとのこと。雪が少ないつもりでワカンもアイゼンも携行して来られなかったとのことであるが、流石に経ヶ岳の山頂までは多数の踏み跡でトレースがしっかりついているので、多少雪が多かろうと全く問題はないだろう。山頂で長男との写真を撮って頂くと、流石に相当に山慣れしておられる方のようだ、かなりの勢いで我々の先を下って行かれる。
山頂から下り始めるとすぐに三人組のパーティーとすれ違う。経ヶ岳からはこれまでとは一転、多数の踏み跡によるトレースを歩くことになる。ほとんどがアイゼンをつけたツボ足で、意外にもスノーシューは見られない。ツボ足のトレースの上をスノーシューで歩くのは歩きにくいが、気温が暖かく踏み抜きも予想されるので、スノーシューのまま下る。
切窓にかけての急下降を下ると今度は四人組のパーティーとすれ違う。さすがは人気の山だ、この晴天の日には登られる人も少なくないのだろう。空には雲が少なくなり、再び蒼穹が広がっている。
山の上では雪が多かったにも関わらず、下の方では前回、1月よりもかなり上で雪が途切れる。途中で横切る法恩寺山林道でも雪は全くなく、アスファルトが露出している状態であった。尾根から登山口に向かって下降して行くと樹の影から男の子が姿を見せる。次男がそろそろ下山する頃と思って登ってきていたらしい。次男は姿を見せたかと思うと母親に報告するためか急いでおりて行く。
登山口の導水施設の脇にある小さな駐車場は工事のために駐車できなくなっていたが、下山のタイミングを見計らって家内が福井からレンタカーで迎えに来てくれていたのだった。当初の見込みよりも遅くなったが次男と長女は機嫌を悪くすることなく、自然保護センターで家内とともに待っていてくれたようだ。
下山後は自然保護センターに立ち寄る。目当ては陸奥福寿草である。私を待つ間に家内が子供達を連れて散策していた時には斜面一面に陸奥福寿草が咲いていたようだが、夕方が近くなり、すでに多くの福寿草が花を閉じてしまっていたらしい。それでもいくつもの福寿草が花を大きく開花させて、私が訪れるのを待っていてくれたようだ。妻平湿原に流れ込む沢沿いではキクザキイチゲの花も満開であった。
この後は久しぶりに家族揃っての温泉旅行が待っているのだった。