土蔵岳、猫ヶ洞を経て江美国境尾根のピーク、ca1000mへの急登を登りきったところで、再び横山岳への大きな山容と山頂に至る長い稜線が視界に飛び込む。時間を確認すると14時11分。当初、予想した到着時刻から少し過ぎてはいるものの、猫ヶ洞の山頂で長居してしまったことを考えると上出来だろう。ここからは横山岳にかけての長い尾根はは最後の登りまではなだらかな尾根が続く。この調子で行けば、夕方には山頂にたどり着くことが出来るだろうと高を括る。しかし、それは全く甘い皮算用であった。このca1000mから横山岳にかけての尾根はそれまでとは状況がまるで違うのだった。
【 日 付 】2020年2月11日(火曜日)
【 山 域 】江美国境〜湖北
【メンバー】山猫単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】旧国道分岐点7:52〜9:45p937〜10:53土蔵岳11:03〜12:14猫ヶ洞12:28〜14:10 ca1000
(続きは最後に)
前日は湖北のあたりは降雪したようだが、この日は快晴が見込まれる。水曜日以降は気温が高く、雨の日が続く。折角、降った雪も融けてしまうことだろう。江美国境の稜線に出かけるのは本来は雪が締まった残雪期を待つべきところではあるが、今シーズンは最後の機会だろうという焦燥感が降雪直後の国境尾根に気持ちを向かわせた。
山行計画のコースタイムは土倉谷の出合からp937まで2時間、土蔵岳まで1時間、さらに猫ヶ洞まで1時間と読む。猫ヶ洞の到着が12時半を過ぎるようであれば、そこから先は諦めてピストン往復する予定とする。
木ノ本のあたりはほとんど雪は見当たらないが、R303を進むと杉野のあたりからは道路に雪が現れ始める。金居原に入ると急に雪景色となり、集落の家々も完全に雪をかぶっている。タクシーの運転手によると除雪されていないので、雪道は走りにくいとのこと。
八草峠を越える旧国道にはそれなりに積雪しており、タクシーは到底入れない。旧国道の入口でタクシーを降りるとここから歩き始める。旧国道にはわずかに一台の軽トラックの車の轍が付いている。こんな状況で山の中に入っていくのはまず猟師だろう。
土倉谷に架かるR303の高い高架を見上げると、奥深い山中におよそ不釣り合いな建築物なのだが、シュールな壮麗さがある。高架をくぐると土倉谷の広い谷間の雪景色が広がる。
土倉谷の出合から土蔵岳へと至る長い尾根に取り付く。植林地の斜面を登るとすぐに苔むした古い石垣があり、中央には石段が設けられている。古い神社の跡のようだ。ということはこのあたりにはかつて人が暮らしていた集落があったのだろうか。その石垣の遺構には厳かで霊的な雰囲気は一向に損なわれていないように思われた。
石垣の遺構からわずかに登ると斜面にはコンクリートの建築物が現れ、斜面に突き出した隅にはコンクリートのボックスが設けられている。何の遺構であるのか全くわからなかった。
植林地はすぐにも終わり、傾斜の緩やかな自然林の尾根が始まると、早くもスノーシューを装着する。尾根上には雪には埋もれているが、明瞭な掘割の古道の跡が現れる。藪が鬱陶しいことが予想されたが、驚くほど快調に進むことが出来る。
まもなく杉の植林地が現れる。植林地の手前が妙に明るいと思ったら、杉の樹々が軒並み倒れており、倒木の集中地帯となっているのだった。倒木の枝が枯れきっていないことからすると、これらも一昨年の台風21号によるものだろうか。しばらく前に妙理山の南尾根を辿った時の記憶が蘇る。乗り越えたり潜ったりしてなんとか倒木地帯を通り抜けると、薄暗い植林地となり、途端に倒木はほとんど見られなくなる。土蔵岳への長い尾根上で倒木が見られたのはこの一箇所のみであった。
ca670mのあたりで尾根がなだらかになると急に積雪が深くなり、吹き溜まりでは腰の近くまで沈み込む。地図で確認すると尾根上のピークp937まではまだ半分ほどの行程しか来ていない。尾根芯よりわずかに北西側を辿ると積雪が浅くなり、再び快調に進むことが出来た。わずかな差でも積雪の深さの違いはラッセルの負担が大きく違う。雪に埋もれてしまったせいだろうか、古道の跡はこのあたりで不明瞭となる。
山毛欅の樹林が多くなり広々とした尾根が続くが、尾根上には灌木の藪が多い。藪を避けるためにも、なるべく尾根の左手を歩くことになる。しかし、標高が上がるにつれ急に積雪の量が増え、膝下のラッセルが続く。やはりこの湖北の山域は雪質がかなり湿っぽく、先週に歩いた東北の安達太良山や八ヶ岳の天狗岳と比べると同じようなラッセルの深さでもスノーシューにかかる雪の重さが全く異なる。
p937のピークが近づくと下生の藪も少なく歩きやすい山毛欅の林が続くようになる。やがて山毛欅の樹林は樹高が高くなり、壮麗な雰囲気となる。山頂直下の急登をひとしきり登り詰めると尾根が突然、なだらかになった。ようやく土蔵岳の山頂部に出たようだ。山頂には二股に分かれて株立ちをする大きな山毛欅の樹がある。山日和さんの晩秋のrepで雪の時には二本の山毛欅に見えると紹介されていた山毛欅の樹に思われる。
このあたりが山頂だろうかと思って山名標を探すと、山名標は見当たらないが、近くの樹にはかつては山名標を吊り下げていたものと思われる針金が数本、巻きついているばかりだった。振り返ると樹間からは南に眺望が開けており、正面には金糞岳の大きな山容が目の間に迫る。左の肩には伊吹山も姿を覗かせている。時間を確認すると11時前、スタート地点から丁度3時間、予定通りのコースタイムだ。
山頂で一息入れると、すぐに猫が洞へと向かう。鞍部を過ぎて少し登り返すと樹林のない小さなピークが見える。雪の下からはシャクナゲの葉が所々で顔を覗かせている。雪はシャクナゲの藪を覆ってくれているようだ。しかし藪の上を越えようとすると根雪がなく藪の上に積もったばかり新雪は途端に足元が大きく沈む。足場を確保できるところを探しながら小さなピークの上に立つと、一気に360度の展望が広がるのだった。正面には平坦な山頂を戴く猫ヶ洞、東の方角に連なる奥美濃の山々の中で一際目立つ鋭鋒は蕎麦粒山だろうか。西の方角には横山岳へと連なる長くなだらかな尾根が目に入る。
シャクナゲのピークを過ぎると樹高の高い山毛欅の林が続くが、猫ヶ洞にかけての登りになると再度、先ほどと同様の樹林のない小ピークが出現した。所々に新雪からわずかに突き出たシャクナゲの様子からはその下にはジャングルが広がっていることを物語る。一歩一歩、足場を確保しながら進むので途端にスピードは落ちるが幸い、長い距離ではない。ここでも先ほどの小ピークと同様に360度の好展望が広がる。
山毛欅の樹林の尾根を登り詰めると壁のように雪庇の発達した尾根が現れる。いつの間にか猫ヶ洞の山頂部に到達したようだ。西側の雪庇の発達した尾根の彼方に横山岳を大きく望むので、尾根に踏み出すといきなりドドっと音がして、足元の雪庇が数mに渡って崩れ落ちる。間一髪、危ないところだった。
雪庇の尾根を北西に辿ると山名標を見過ごして、少し行きすぎてしまったが、雪庇の尾根からは南に展望が開け、ブンゲンからの伊吹北尾根を眺望することが出来る。山頂に戻ろうとして、根の雪庇に近づくとやはりドドっと不気味な音がして、いとも容易に雪庇が崩れ落ちる。
初めて御目にかかる猫ヶ洞の青い山名標はやはり驚くほど高いところに架けられていた。山頂からは樹林に眺望を遮られた平凡な尾根の通過点であり、山名標がなければ山頂と認識することが難しいところだろう。時間はスタート地点からほぼ4時間、読み通りのコースタイムでこの猫ヶ洞へたどり着いている。引き返すならここで判断しなければならないところではあるが、この順調なコースタイムであれば先に行けるだろうと安易に判断する。
猫ヶ洞の西尾根には優美な雪庇が発達し、再び大きく眺望が開ける。この雪庇の上を歩いていくのは危険極まりなさそう。尾根の右手の斜面の藪を漕いで進む。藪が密集して通過が困難となったので少し尾根芯に上がろうとすると、足元が思いっきり雪の中に沈む。この雪庇の下はシャクナゲの藪だった。
幸いにも通行の困難な尾根はそう長くは続かず、細尾根を下り、尾根が北西へと向きを転じると実に快適な山毛欅の林になった。緩やかにいくつものアップダウンを繰り返す尾根には樹高の高い壮麗な山毛欅の樹林が延々と続き、いつの間にか江美国境尾根のジャンクション・ピークca1000mへの最後の急登となる。
午後になって雪が湿っぽくなったせいだろうか、足元の雪はますます重く感じられる。猫ヶ洞以来の久しぶりの登りはきつく感じられたが、ここを登り切って早く横山岳への稜線に入りたいという気持ちもあり、急登を一気呵成に登り詰める。
ジャンクション・ピークには山毛欅の樹に赤い金属の板が打ち付けられており、猫ヶ洞と神又峰の方向が記されている。神又峰にかけて壮麗な山毛欅林が延々と続いていくようであり、この尾根に対する憧憬を抱いたままに国境尾根を離れて横山岳への尾根に入る。
尾根はそれまでの山毛欅林の広い尾根とは一転、潅木の藪の多い細尾根となる。鞍部からの登り返しは再び下生の少ない山毛欅の林となり、喜んだのも束の間、なだらかな尾根に上がるとこれまでとは一転して雪が深く、そして密集した藪が始まった。膝下のラッセルで進むことが出来るとホッとする。
雪が大きく下に沈むのは藪が下に埋もれているのであろう。雪を踏み固めながら進むが、先ほどのシャクナゲの藪と異なり、雪の上には無数の灌木が枝を伸ばしている。尾根芯を避けて可能な場所では北側の斜面をトラバース気味に進む。地図では尾根が広いように思われたが、意外と細尾根の箇所が多く、歩ける場所は大きく制限される。格段に速度が遅くなり、時間ばかりが過ぎていく。
この紀行を書いている時点で冷静に振り返ってみれば土倉谷に下り、林道で脱出するという方法を選択することも出来たのだろう。しかし、その時はそのような選択肢が脳裏を過ることもなく、この悪夢のような藪と深い雪はどこかで終わり、やがて前半に歩いたような快適な山毛欅の林にたどり着けるだろうとという幻想のみが脳裏を支配していた。
一度、大きく雪を踏み抜いたところでスノーシューを抜くことが出来ない。杉の倒木があることに気がつかず、杉の枝の間にはまり込んでしまったようだ。雪を堀り、雪の下から出てきたヒールリフターを掴んで引きずり出すとようやく離脱することが出来た。
右手には雲ひとつない青空を背景に上谷山に左千方とそれぞれの山に至る長い稜線が目に入る。尾根からはこれらの山の展望ポイントが頻繁に現れるも写真を撮っている余裕もない。
目の前には横山岳のシルエットが大きく見えるが、一向に山に近づいている感覚は得られない。明るいうちに横山岳にたどり着くことは到底無理であることを悟る。
気がつくとトレッキング・ポールが真ん中で折れており、その先がない。ポールの先は斜面の下の方に落ちている。致し方ない。ここからは一本でなんとかする他ない。幸い、脚はここまでのラッセルの疲れはあまり感じることなく順調に動いてくれるようだ。
横山岳への稜線の彼方に太陽が隠れると、やがて金糞岳や上谷山、左千方といった周囲の山々は夕陽を浴びて黄金色に輝き始める。しかし山肌の色の変化に美しさを感じる余裕はなく、焦燥を感じるばかりだった。
横山岳への登りは尾根から大きく張り出した雪庇が白い筋として見えている。雪庇に沿って尾根芯の上を歩くことが出来るものと期待していたが、その期待も空しく裏切られる。尾根芯は雪庇のすぐ脇に至るまで藪に占拠されており、到底、歩けるような代物ではない。斜面からほぼ水平に生える潅木の幹の間を縫って北側の斜面を進むしかない。
やがて尾根上には低木ばかりとなり背後には広大なパノラマが広がるようになる。周囲の山々はアーベントロートに染まっていく。なんとも美しい光景であるが、立ち止まって景色を鑑賞する余裕はない。西側からは急に風が吹きはじめた。日が落ちると急速に気温が低下するのが感じられる。
あたりが暗くなり、いよいよヘッドライトの光に頼らざるを得なくなったのは稜線直下の急登が終わったca1100mのあたりであった。見上げると漆黒の夜空にはオリオン座が瞬き、星が美しい。SHIGEKIさんに倣って美しい星の写真を撮りたい・・・などという気持ちは勿論のこと沸き起こらない。
稜線までは標高差にして30mほどの小ピークを越えるばかりだが、暗いとわずかなピークでも大きく見えてしまう。スマホを取り出すと寒さのせいで瞬く間に電源が落ちる。予備のバッテリーで充電するとすぐに動いてくれたののは有難かっただが。
ヘッデンをつけての藪漕ぎは難儀が予想されたが、いつしか藪は薄くなり、周りは樹高の高い山毛欅の樹林になっているようだ。先日に横山岳の山行では東峰の西側で合流するこの尾根を覗いたところ、それまでの東尾根と同様、この尾根にも下生の少ない山毛欅の樹林が続いているように思えたのだが、この尾根に限ってはどうやらそれはわずかな区間だけのことであった。久しぶりに歩きやすい尾根になったかと思うと、まもなく前方に一筋のトレースが見えてきた。ようやく一安心である。時間は19時03分、江美国境尾根から横山岳の山頂部に至るまで5時間近くを要したのだった。
トレースに合流すると彼方に琵琶湖を取り巻く夜景が目に入る。電波が届いているので家内に電話を試みるも電話が繋がっているにも関わらず音声が聞こえない。メールで白谷登山口にタクシーを予約してくれるように依頼する。ここで地図を取り出してみればすぐにわかることなのだが、東尾根経由でも三高尾根経由でも白谷登山口への時間がさほど変わらないと思って東尾根ルートを歩き始めてしまった。それは大きな間違いではあったが、いずれにせよ無事に下山は出来そうだ。
東峰から横山岳に向かっているのは一人分のトレースであったが、東峰からは数人分のトレースが付いている。東峰で引き返したパーティーがいるのだろう。明るい時間であれば圧倒されるような壮麗な山毛欅の森を目にするところだが、雪の上につけられたトレースを黙々と下るばかりである。
白谷登山口にたどり着いたのは20時40分過ぎであり、タクシーを暗闇の中でかなり待たせることになってしまったが、運転手は嫌な顔を一つ見せることなく、私の帰還の無事を喜んでくれているようだ。木ノ本駅にたどり着いてびしょ濡れになった靴下を絞ると、ひと気のない駅舎で新快速を待つ間、この日一日中背中に入れていたビールをようやく開けることが出来るのだった。
帰宅後、改めて山本武人の湖北の山を紐解くと、この江美国境から横山岳にかけては山スキーに適する尾根が続いているといった記載が見られる。そんな馬鹿なと思ったが、やぶこぎのかつてのrepを検索すると、おどさんが一昨年に横山岳西尾根から入って、神又峰〜左千方〜谷山〜安蔵山と大周回を果たしたrepに行きついた。そのrepでは確かに山スキーでも滑れそうな横山岳の下りからの写真が載せられている。
積雪が深く、締まった雪稜を歩くことが出来る日が来るのを一年かけて夢見るしかないのだろうか。
♫雪という遠い幻を追って〜♫
19:13横山岳東峰〜20:18東尾根コース登山口〜20:42白谷登山口
土蔵岳、猫ヶ洞を経て江美国境尾根のピーク、ca1000mへの急登を登りきったところで、再び横山岳への大きな山容と山頂に至る長い稜線が視界に飛び込む。時間を確認すると14時11分。当初、予想した到着時刻から少し過ぎてはいるものの、猫ヶ洞の山頂で長居してしまったことを考えると上出来だろう。ここからは横山岳にかけての長い尾根はは最後の登りまではなだらかな尾根が続く。この調子で行けば、夕方には山頂にたどり着くことが出来るだろうと高を括る。しかし、それは全く甘い皮算用であった。このca1000mから横山岳にかけての尾根はそれまでとは状況がまるで違うのだった。
【 日 付 】2020年2月11日(火曜日)
【 山 域 】江美国境〜湖北
【メンバー】山猫単独
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】旧国道分岐点7:52〜9:45p937〜10:53土蔵岳11:03〜12:14猫ヶ洞12:28〜14:10 ca1000
(続きは最後に)
前日は湖北のあたりは降雪したようだが、この日は快晴が見込まれる。水曜日以降は気温が高く、雨の日が続く。折角、降った雪も融けてしまうことだろう。江美国境の稜線に出かけるのは本来は雪が締まった残雪期を待つべきところではあるが、今シーズンは最後の機会だろうという焦燥感が降雪直後の国境尾根に気持ちを向かわせた。
山行計画のコースタイムは土倉谷の出合からp937まで2時間、土蔵岳まで1時間、さらに猫ヶ洞まで1時間と読む。猫ヶ洞の到着が12時半を過ぎるようであれば、そこから先は諦めてピストン往復する予定とする。
木ノ本のあたりはほとんど雪は見当たらないが、R303を進むと杉野のあたりからは道路に雪が現れ始める。金居原に入ると急に雪景色となり、集落の家々も完全に雪をかぶっている。タクシーの運転手によると除雪されていないので、雪道は走りにくいとのこと。
八草峠を越える旧国道にはそれなりに積雪しており、タクシーは到底入れない。旧国道の入口でタクシーを降りるとここから歩き始める。旧国道にはわずかに一台の軽トラックの車の轍が付いている。こんな状況で山の中に入っていくのはまず猟師だろう。
土倉谷に架かるR303の高い高架を見上げると、奥深い山中におよそ不釣り合いな建築物なのだが、シュールな壮麗さがある。高架をくぐると土倉谷の広い谷間の雪景色が広がる。
土倉谷の出合から土蔵岳へと至る長い尾根に取り付く。植林地の斜面を登るとすぐに苔むした古い石垣があり、中央には石段が設けられている。古い神社の跡のようだ。ということはこのあたりにはかつて人が暮らしていた集落があったのだろうか。その石垣の遺構には厳かで霊的な雰囲気は一向に損なわれていないように思われた。
石垣の遺構からわずかに登ると斜面にはコンクリートの建築物が現れ、斜面に突き出した隅にはコンクリートのボックスが設けられている。何の遺構であるのか全くわからなかった。
植林地はすぐにも終わり、傾斜の緩やかな自然林の尾根が始まると、早くもスノーシューを装着する。尾根上には雪には埋もれているが、明瞭な掘割の古道の跡が現れる。藪が鬱陶しいことが予想されたが、驚くほど快調に進むことが出来る。
まもなく杉の植林地が現れる。植林地の手前が妙に明るいと思ったら、杉の樹々が軒並み倒れており、倒木の集中地帯となっているのだった。倒木の枝が枯れきっていないことからすると、これらも一昨年の台風21号によるものだろうか。しばらく前に妙理山の南尾根を辿った時の記憶が蘇る。乗り越えたり潜ったりしてなんとか倒木地帯を通り抜けると、薄暗い植林地となり、途端に倒木はほとんど見られなくなる。土蔵岳への長い尾根上で倒木が見られたのはこの一箇所のみであった。
ca670mのあたりで尾根がなだらかになると急に積雪が深くなり、吹き溜まりでは腰の近くまで沈み込む。地図で確認すると尾根上のピークp937まではまだ半分ほどの行程しか来ていない。尾根芯よりわずかに北西側を辿ると積雪が浅くなり、再び快調に進むことが出来た。わずかな差でも積雪の深さの違いはラッセルの負担が大きく違う。雪に埋もれてしまったせいだろうか、古道の跡はこのあたりで不明瞭となる。
山毛欅の樹林が多くなり広々とした尾根が続くが、尾根上には灌木の藪が多い。藪を避けるためにも、なるべく尾根の左手を歩くことになる。しかし、標高が上がるにつれ急に積雪の量が増え、膝下のラッセルが続く。やはりこの湖北の山域は雪質がかなり湿っぽく、先週に歩いた東北の安達太良山や八ヶ岳の天狗岳と比べると同じようなラッセルの深さでもスノーシューにかかる雪の重さが全く異なる。
p937のピークが近づくと下生の藪も少なく歩きやすい山毛欅の林が続くようになる。やがて山毛欅の樹林は樹高が高くなり、壮麗な雰囲気となる。山頂直下の急登をひとしきり登り詰めると尾根が突然、なだらかになった。ようやく土蔵岳の山頂部に出たようだ。山頂には二股に分かれて株立ちをする大きな山毛欅の樹がある。山日和さんの晩秋のrepで雪の時には二本の山毛欅に見えると紹介されていた山毛欅の樹に思われる。
[attachment=4]土蔵岳山頂の山毛欅.jpg[/attachment]
このあたりが山頂だろうかと思って山名標を探すと、山名標は見当たらないが、近くの樹にはかつては山名標を吊り下げていたものと思われる針金が数本、巻きついているばかりだった。振り返ると樹間からは南に眺望が開けており、正面には金糞岳の大きな山容が目の間に迫る。左の肩には伊吹山も姿を覗かせている。時間を確認すると11時前、スタート地点から丁度3時間、予定通りのコースタイムだ。
山頂で一息入れると、すぐに猫が洞へと向かう。鞍部を過ぎて少し登り返すと樹林のない小さなピークが見える。雪の下からはシャクナゲの葉が所々で顔を覗かせている。雪はシャクナゲの藪を覆ってくれているようだ。しかし藪の上を越えようとすると根雪がなく藪の上に積もったばかり新雪は途端に足元が大きく沈む。足場を確保できるところを探しながら小さなピークの上に立つと、一気に360度の展望が広がるのだった。正面には平坦な山頂を戴く猫ヶ洞、東の方角に連なる奥美濃の山々の中で一際目立つ鋭鋒は蕎麦粒山だろうか。西の方角には横山岳へと連なる長くなだらかな尾根が目に入る。
[attachment=3]猫が洞をのぞんで.jpg[/attachment]
[attachment=7]シャクナゲの上から.jpg[/attachment]
シャクナゲのピークを過ぎると樹高の高い山毛欅の林が続くが、猫ヶ洞にかけての登りになると再度、先ほどと同様の樹林のない小ピークが出現した。所々に新雪からわずかに突き出たシャクナゲの様子からはその下にはジャングルが広がっていることを物語る。一歩一歩、足場を確保しながら進むので途端にスピードは落ちるが幸い、長い距離ではない。ここでも先ほどの小ピークと同様に360度の好展望が広がる。
山毛欅の樹林の尾根を登り詰めると壁のように雪庇の発達した尾根が現れる。いつの間にか猫ヶ洞の山頂部に到達したようだ。西側の雪庇の発達した尾根の彼方に横山岳を大きく望むので、尾根に踏み出すといきなりドドっと音がして、足元の雪庇が数mに渡って崩れ落ちる。間一髪、危ないところだった。
雪庇の尾根を北西に辿ると山名標を見過ごして、少し行きすぎてしまったが、雪庇の尾根からは南に展望が開け、ブンゲンからの伊吹北尾根を眺望することが出来る。山頂に戻ろうとして、根の雪庇に近づくとやはりドドっと不気味な音がして、いとも容易に雪庇が崩れ落ちる。
[attachment=2]猫ヶ洞の雪庇.jpg[/attachment]
初めて御目にかかる猫ヶ洞の青い山名標はやはり驚くほど高いところに架けられていた。山頂からは樹林に眺望を遮られた平凡な尾根の通過点であり、山名標がなければ山頂と認識することが難しいところだろう。時間はスタート地点からほぼ4時間、読み通りのコースタイムでこの猫ヶ洞へたどり着いている。引き返すならここで判断しなければならないところではあるが、この順調なコースタイムであれば先に行けるだろうと安易に判断する。
猫ヶ洞の西尾根には優美な雪庇が発達し、再び大きく眺望が開ける。この雪庇の上を歩いていくのは危険極まりなさそう。尾根の右手の斜面の藪を漕いで進む。藪が密集して通過が困難となったので少し尾根芯に上がろうとすると、足元が思いっきり雪の中に沈む。この雪庇の下はシャクナゲの藪だった。
[attachment=1]猫ヶ洞西尾根.jpg[/attachment]
幸いにも通行の困難な尾根はそう長くは続かず、細尾根を下り、尾根が北西へと向きを転じると実に快適な山毛欅の林になった。緩やかにいくつものアップダウンを繰り返す尾根には樹高の高い壮麗な山毛欅の樹林が延々と続き、いつの間にか江美国境尾根のジャンクション・ピークca1000mへの最後の急登となる。
午後になって雪が湿っぽくなったせいだろうか、足元の雪はますます重く感じられる。猫ヶ洞以来の久しぶりの登りはきつく感じられたが、ここを登り切って早く横山岳への稜線に入りたいという気持ちもあり、急登を一気呵成に登り詰める。
ジャンクション・ピークには山毛欅の樹に赤い金属の板が打ち付けられており、猫ヶ洞と神又峰の方向が記されている。神又峰にかけて壮麗な山毛欅林が延々と続いていくようであり、この尾根に対する憧憬を抱いたままに国境尾根を離れて横山岳への尾根に入る。
尾根はそれまでの山毛欅林の広い尾根とは一転、潅木の藪の多い細尾根となる。鞍部からの登り返しは再び下生の少ない山毛欅の林となり、喜んだのも束の間、なだらかな尾根に上がるとこれまでとは一転して雪が深く、そして密集した藪が始まった。膝下のラッセルで進むことが出来るとホッとする。
[attachment=5]登り返し.jpg[/attachment]
雪が大きく下に沈むのは藪が下に埋もれているのであろう。雪を踏み固めながら進むが、先ほどのシャクナゲの藪と異なり、雪の上には無数の灌木が枝を伸ばしている。尾根芯を避けて可能な場所では北側の斜面をトラバース気味に進む。地図では尾根が広いように思われたが、意外と細尾根の箇所が多く、歩ける場所は大きく制限される。格段に速度が遅くなり、時間ばかりが過ぎていく。
この紀行を書いている時点で冷静に振り返ってみれば土倉谷に下り、林道で脱出するという方法を選択することも出来たのだろう。しかし、その時はそのような選択肢が脳裏を過ることもなく、この悪夢のような藪と深い雪はどこかで終わり、やがて前半に歩いたような快適な山毛欅の林にたどり着けるだろうとという幻想のみが脳裏を支配していた。
一度、大きく雪を踏み抜いたところでスノーシューを抜くことが出来ない。杉の倒木があることに気がつかず、杉の枝の間にはまり込んでしまったようだ。雪を堀り、雪の下から出てきたヒールリフターを掴んで引きずり出すとようやく離脱することが出来た。
右手には雲ひとつない青空を背景に上谷山に左千方とそれぞれの山に至る長い稜線が目に入る。尾根からはこれらの山の展望ポイントが頻繁に現れるも写真を撮っている余裕もない。
[attachment=6]上谷山と左千方.jpg[/attachment]
目の前には横山岳のシルエットが大きく見えるが、一向に山に近づいている感覚は得られない。明るいうちに横山岳にたどり着くことは到底無理であることを悟る。
気がつくとトレッキング・ポールが真ん中で折れており、その先がない。ポールの先は斜面の下の方に落ちている。致し方ない。ここからは一本でなんとかする他ない。幸い、脚はここまでのラッセルの疲れはあまり感じることなく順調に動いてくれるようだ。
横山岳への稜線の彼方に太陽が隠れると、やがて金糞岳や上谷山、左千方といった周囲の山々は夕陽を浴びて黄金色に輝き始める。しかし山肌の色の変化に美しさを感じる余裕はなく、焦燥を感じるばかりだった。
[attachment=0]夕景.jpg[/attachment]
横山岳への登りは尾根から大きく張り出した雪庇が白い筋として見えている。雪庇に沿って尾根芯の上を歩くことが出来るものと期待していたが、その期待も空しく裏切られる。尾根芯は雪庇のすぐ脇に至るまで藪に占拠されており、到底、歩けるような代物ではない。斜面からほぼ水平に生える潅木の幹の間を縫って北側の斜面を進むしかない。
やがて尾根上には低木ばかりとなり背後には広大なパノラマが広がるようになる。周囲の山々はアーベントロートに染まっていく。なんとも美しい光景であるが、立ち止まって景色を鑑賞する余裕はない。西側からは急に風が吹きはじめた。日が落ちると急速に気温が低下するのが感じられる。
あたりが暗くなり、いよいよヘッドライトの光に頼らざるを得なくなったのは稜線直下の急登が終わったca1100mのあたりであった。見上げると漆黒の夜空にはオリオン座が瞬き、星が美しい。SHIGEKIさんに倣って美しい星の写真を撮りたい・・・などという気持ちは勿論のこと沸き起こらない。
稜線までは標高差にして30mほどの小ピークを越えるばかりだが、暗いとわずかなピークでも大きく見えてしまう。スマホを取り出すと寒さのせいで瞬く間に電源が落ちる。予備のバッテリーで充電するとすぐに動いてくれたののは有難かっただが。
ヘッデンをつけての藪漕ぎは難儀が予想されたが、いつしか藪は薄くなり、周りは樹高の高い山毛欅の樹林になっているようだ。先日に横山岳の山行では東峰の西側で合流するこの尾根を覗いたところ、それまでの東尾根と同様、この尾根にも下生の少ない山毛欅の樹林が続いているように思えたのだが、この尾根に限ってはどうやらそれはわずかな区間だけのことであった。久しぶりに歩きやすい尾根になったかと思うと、まもなく前方に一筋のトレースが見えてきた。ようやく一安心である。時間は19時03分、江美国境尾根から横山岳の山頂部に至るまで5時間近くを要したのだった。
トレースに合流すると彼方に琵琶湖を取り巻く夜景が目に入る。電波が届いているので家内に電話を試みるも電話が繋がっているにも関わらず音声が聞こえない。メールで白谷登山口にタクシーを予約してくれるように依頼する。ここで地図を取り出してみればすぐにわかることなのだが、東尾根経由でも三高尾根経由でも白谷登山口への時間がさほど変わらないと思って東尾根ルートを歩き始めてしまった。それは大きな間違いではあったが、いずれにせよ無事に下山は出来そうだ。
東峰から横山岳に向かっているのは一人分のトレースであったが、東峰からは数人分のトレースが付いている。東峰で引き返したパーティーがいるのだろう。明るい時間であれば圧倒されるような壮麗な山毛欅の森を目にするところだが、雪の上につけられたトレースを黙々と下るばかりである。
白谷登山口にたどり着いたのは20時40分過ぎであり、タクシーを暗闇の中でかなり待たせることになってしまったが、運転手は嫌な顔を一つ見せることなく、私の帰還の無事を喜んでくれているようだ。木ノ本駅にたどり着いてびしょ濡れになった靴下を絞ると、ひと気のない駅舎で新快速を待つ間、この日一日中背中に入れていたビールをようやく開けることが出来るのだった。
帰宅後、改めて山本武人の湖北の山を紐解くと、この江美国境から横山岳にかけては山スキーに適する尾根が続いているといった記載が見られる。そんな馬鹿なと思ったが、やぶこぎのかつてのrepを検索すると、おどさんが一昨年に横山岳西尾根から入って、神又峰〜左千方〜谷山〜安蔵山と大周回を果たしたrepに行きついた。そのrepでは確かに山スキーでも滑れそうな横山岳の下りからの写真が載せられている。
積雪が深く、締まった雪稜を歩くことが出来る日が来るのを一年かけて夢見るしかないのだろうか。
♫雪という遠い幻を追って〜♫
19:13横山岳東峰〜20:18東尾根コース登山口〜20:42白谷登山口