【日付】 2020年2月3日
【山域】 奥美濃 蕎麦粒山
【コース】 大谷川二股地点⇔1000m蕎麦粒山湧谷山ジャンクション⇔蕎麦粒山
【天候】 晴れのち曇りのち雨
ふいに山の声を感じる時がある。
最初は越前の山を考えていた。でも、天気予報を見ると雨の時間帯が。
どうしようかと迷っていると、見えない声が呼びかけてきた。
えっ?と一瞬たじろぐ。あの美しい雪庇には出会えないと分かっているのに。
チクリと胸に微かな痛みを覚える。
一昨年の冬に感じた小さな痛み。あの時、こころにしまった思いが甦ってくる。
訪れるべく日が来たのだと、山と私の声がひとつに重なりあう。
朝、目が覚めて外に出ると、瑠璃色の空にぽつぽつと星が瞬いていた。やっぱり今日なのだと、荷物を車に入れて家を出る。
坂内の道の駅に寄り、朝ご飯の休憩をとり、大谷川沿いの林道に向かう。
スキー場跡地の駐車スペースに車を置こうと停車したが、思い直し、奥まで進むことにする。
大谷川二股地点の駐車スペースに車を置くのは初めてだ。
里が雪で覆われ、風景そのものが息を潜めたような二月のしんとした季節のはずなのに、
目の前に広がるのは、初冬の、耳をすまして何かを聞こうとしているような思索にふける風景。
車から出て、私も何かを聞き取ろうと、真直ぐに立ち、ゆっくりと息を吸い、少し首をかしげる。
でも、聞こえてきたのは、「何かって?何があるの?」と言いたげに、冷たく流れる川音だけ。
「そうかぁ」と、ひとり頷き、準備を始める。
稜線に出たら雪はあるだろうと、スノーシューとピッケルもザックに括り付け出発する。
河原に降り、ストックでからだを支えながら、おそるおそる石の上に足を置き対岸に渡る。
ここから登ったのは何年前だろう。2012年の3月だった。今、私は三度目の蕎麦粒山を目の前にしている。
雪のない尾根に取り付くと、落ち葉の折り重なるしっかりとした杣道が続き、すたすたと足が進む。
周りの木々はか細く、少し前の時代まで山に人が入っていたのだと教えてくれる。
冬枯れの里山の情景がこころに訴えてくるものをかみしめる。
800mを過ぎる頃からうっすらと雪が現れ、標高930mの・839の尾根とぶつかったあたりでスノーシューを履く。
1000mの稜線に着いて時計を見ると8時50分。
山頂で少し早めのお昼ご飯かなと、ここまで順調に登れたことに気持ちが大きくなる。北を向き、勢いよく足を踏み出す。
蕎麦粒山が私のこころの内を察し、呼びかけたのか。私が蕎麦粒山に求めるものがあり、向かっているのか。
蕎麦粒山に、そして、私のこころに問いかける。
ササや灌木が私の行く手を邪魔し始めた。中途半端な雪がササに被さり、足を置くとズボッと潜り歩きにくい。
さらに灌木にピッケルやストックを掴まれ、からだや腕をゆすりながらの歩みとなる。思うように進めずため息をつく。
左を向き、木々の枝の向こうに目を凝らす。高丸の白い稜線が、少し霞んだ水色の空に清らかに輝き、その美しさに少し悲しくなる。
私の周りのさえない風景に、またもやため息が出る。
「止めるの?」と、こころに聞く。時間は余裕がある。疲れも出ていない。天気は下り坂の予報だけど夕方までは持ちそうだ。
引き返す理由は、私の気持ちに依るものだけ。ふと、私は、この光景を無意識に予想していたのだと気が付く。
「そうなんだ、そうなんだ」と意味の分からないことを呟き、前を向く。
・1075ピーク。初めてここに立ち、周りを見渡した時の胸の高鳴りを思い出す。今日はただ無言で眺める私がいる。
ここから東に下っていくと、右に尾根が見えた。
地図で確認すると、尾根が三本に分かれている。真ん中の尾根を進み、窪地に出ると池のような地形が現れる。
雪が積もっているのでよく分からないが池なのだろう。周辺には形の良いブナの木々。
記憶に残っていない、あるいは見落としていた趣のある風景の展開に、暫しの間、ぼぉっとなる。
山頂まで標高差250mまで来た。ここからは急こう配になる。ストックを短くして木を掴みながら登っていく。
尾根芯はヤブがうるさいので斜面をトラバースしていくが、目の前の歩きやすい所を選んでいると、つい尾根から離れていってしまう。
- 山頂から見る湧谷山
どのくらい時間が経ったのだろう。ふっと勾配が緩やかになり、足元の雪面が広がり、
のそのそと進んでいくと、目の前に鉛色の空が広がった。
「山頂?」山頂だった。朝の青空は、とうに消えている。
予想と違い、今にもぽつりと来そうな重苦しい空を見上げ、ぐるりと四方を見渡して、気が付けば笑っていた。
空と同じ色の霧が、目の前の風景も、私のこころに描かれた風景をも塗り潰していた。
足元の先には、ヤブの上にまだらに雪の積もった、のっそりとした尾根が覗くだけ。
あの美しい雪庇の面影はもちろん、こころをくぎ付けにした奥美濃の山々も、何にもなかった。
のっそりとした蕎麦粒山が私を包み込む。そのなんともいえない温かさにじんとなる。
私は蕎麦粒山の一面しか見ていなかったのだなぁ、何にも知らなかったのだなぁと、しみじみと思う。
人は美しいものに惹かれるけれど、目に映る美しさとは一体何なのだろう。
美しさに限らず、あらゆるものの一面しか私は見ていない、感じていないのだなぁと、あらためて思う。
- 山頂からの小蕎麦粒
時計を見るとお昼の数分前。また笑いがこみ上げる。足元の雪を固め、お昼ちょうどの時間にパンを食べ始める。
すっと霧が流れ、恥ずかしげに小蕎麦粒山が顔を出す。来し方を向くと、でんとした湧谷山。
一昨年の、春の声を聞く少し前、あの山頂から、白く輝く蕎麦粒山をじっと眺め、
いつか訪れるべく時が来るのだと、訳もなく泣き出しそうな衝動をこころに閉じ込めたのだ。
「今日が訪れるべく日だったのね」と、あの日と違い、穏やかな目で湧谷山に微笑む。
下りも時間がかかるだろう。ぽつりと来る前に車に戻りたい。荷物を片付け、のっそりとした尾根を戻る。
1000mの分岐点に着き、湧谷山へのササの出た稜線を眺め「今日はここまで」と呟く。
ここからはさっさと下れると思ったその時、ぽつりと来た。またもや笑ってしまう。
冬時雨の山道を黙々と下っていく。
川を渡り終えると、雨脚が強くなってきた。小走りして車を目指す。
ずぶ濡れ寸前になってしまったけれど、こころはじんわり温かく穏やか。
雨さえも予期せぬ歓迎と思ってしまうほどだった。
濡れたものを片付け、車のエンジンをかけた時、
出かける前よりも、より蕎麦粒山を愛し、憧憬の念を抱いている私が、そこにいた。
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