【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

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Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by わりばし » 2020年12月26日(土) 15:55

こんにちは、アオバトさん。

先週末、ほぼ一年ぶりに九鬼へ行って来ました。
地形図とわりばしさんのコースタイム見比べて、
軟弱なわたしたちには一号魚見小屋と二号魚見小屋をいっぺんに回るのはムリかもと思って、
とりあえず今回は、オハイに行ってから、二号魚見小屋と遠見番所を目指しました。
二号魚見小屋は、なんともすてきな佇まいですね!もうこれは感動モノでした。
桜の花の頃もいいだろうなと思いました。

頂山に寄らなければ余裕ですよ。
周回する時は私と同じ回り方の方がわかりやすいです。
反対回りで撤退したことがあります。
また、桜の季節にお出かけください。


頂山の展望
頂山の展望

 今は瓦の残骸だけの遠見番所は、江戸時代初期にすでに設置されていたと、
尾鷲市教育委員会の案内板に書かれていましたが、ということは、
この海岸沿い断崖に付けられた道も、江戸時代からあったということでしょうか。
とんでもない大雨が降ったり、とても気象条件の激しい場所なのに、今も歩けるなんて、すごいです。

鯨などを見つける山見小屋は江戸時代初期からあったようです。
その道を江戸時代末期に外国船を監視する遠見番所も使ったんでしょうね。
熊野灘の岬に設けられた狼煙場からの情報をいち早くキャッチする拠点だったのでしょう。
他の狼煙場への道と比べるとかなり立派です。


第2魚見小屋の展望
第2魚見小屋の展望

 帰りは、偶然出会った地元の方に教えてもらって、
「トノハマ」に降りてみました。
前回途中で出会った釣り師さんが、「コハイ」というところもあるよと、教えてくださったのですが、
たぶんこの「トノハマ」のことだったのでしょうか。違う場所のことを指しているかもしれませんが、
「コハイ」。行ってみて、妙にうなずけました。

大配に小配ですか。
昔はもっと人が行きかう所だったんでしょうね。


 次回は、一号魚見小屋を探して、二号小屋までの道のりも探索してみたいなと思ってます。
でも、その前に今週末は、待ちに待ったスノーシューの出番かなぁ。

明日はスノーシュー日和ですね。
私も出かけます。

                   わりばし

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by アオバ*ト » 2020年12月24日(木) 22:37

 わりばしさん、こんばんは。
ごぶさたしてます。アオバ*トです。
16087313068360(小学校の窓).jpg
グーさんへのレスにも、チラッと貼らせてもらったのですが、
先週末、ほぼ一年ぶりに九鬼へ行って来ました。
地形図とわりばしさんのコースタイム見比べて、
軟弱なわたしたちには一号魚見小屋と二号魚見小屋をいっぺんに回るのはムリかもと思って、
とりあえず今回は、オハイに行ってから、二号魚見小屋と遠見番所を目指しました。
二号魚見小屋は、なんともすてきな佇まいですね!もうこれは感動モノでした。
桜の花の頃もいいだろうなと思いました。
16087314589621(二号魚見小屋).jpg
 今は瓦の残骸だけの遠見番所は、江戸時代初期にすでに設置されていたと、
尾鷲市教育委員会の案内板に書かれていましたが、ということは、
この海岸沿い断崖に付けられた道も、江戸時代からあったということでしょうか。
とんでもない大雨が降ったり、とても気象条件の激しい場所なのに、今も歩けるなんて、すごいです。
16087319330183(九鬼の古道).jpg
 帰りは、偶然出会った地元の方に教えてもらって、
「トノハマ」に降りてみました。
前回途中で出会った釣り師さんが、「コハイ」というところもあるよと、教えてくださったのですが、
たぶんこの「トノハマ」のことだったのでしょうか。違う場所のことを指しているかもしれませんが、
「コハイ」。行ってみて、妙にうなずけました。
 次回は、一号魚見小屋を探して、二号小屋までの道のりも探索してみたいなと思ってます。
でも、その前に今週末は、待ちに待ったスノーシューの出番かなぁ。

 アオバ*ト

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by アオバ*ト » 2020年2月11日(火) 23:17

 わりばしさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。


古本屋、刺身定食コースもいいもんです。
アトリエ萌はやってなかったですか。


「アトリエ萌」、やってました。
でも、古本とお刺身のことしか頭に入っていなくて、すっかり忘れていました。
帰り際にお店の前を通って、あ!と思ったのですが、外でお茶会してしまった後だったので、
また次来た時ゆっくり覗こうということになりました。
わりばしさん、ここで陶器買われたのですよね。
わたしも見たら欲しくなりそうです。


あらまあ
雨子庵さんと合わせて二冊購入ですね。
トンガ坂文庫の売り上げに貢献したんで、何かくれないかな?


古本は、クジラの本の他にも3冊も買ってしまいました。
ここでもこうやって宣伝して、
わたしも九鬼町活性化に少々貢献できたでしょうか。

 アオバ*ト

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by わりばし » 2020年2月11日(火) 15:08

こんにちは、アオバトさん。
 
この日曜日(2月9日)、九鬼に行って来ました!
トンガ坂の古本屋さんに行って、「網干場」でお刺身定食を頂いて、


古本屋、刺身定食コースもいいもんです。
アトリエ萌はやってなかったですか。


迷路のような民家の路地裏を徘徊して廃校の小学校へ上がってまた下りて、

丸窓から閉校式の式次第が見えるのは、なんとも物悲しい思いがします。

神社から灯台へ行って帰って来るだけの超ボケシー観光コースでしたが、
たったこれだけでもじゅうぶん満ち足りた一日(半日)でした。
山よりお刺身で、魚見小屋探しバリルートはまた次のお楽しみになってしまいましたが。


また、行ってみてください。
楽しめるコースです。


DSCF2790.JPG

クジラの本はこの日を待ちきれずに、先に郵便で送ってもらっていました。
まだ全部読んでいませんが、この本やっぱ名作ですね。


あらまあ
雨子庵さんと合わせて二冊購入ですね。
トンガ坂文庫の売り上げに貢献したんで、何かくれないかな?
:mrgreen:

それからオハイに行く木橋は新しく付け替えられたそうです。良かった~。

何か所か巻き道も作り直されていましたよ。

そして余談ですが、前日の土曜日には、柳ノ谷の林道終点から古道を辿って、途中尾根に乗って・1112経由で、
北山索道古和谷駅跡へ行って来ました。帰りはずっと古道を探して(これが又口道?)帰って来ました。
これも、わりばしさんやzippさんのレポを読んでずっと行きたかった場所。
古道好き、遺構好きには、もう堪りませんでした。


古和谷駅にいかれましたか。
北山索道のなかで一番よく残っている所です。
やっぱ楽しいですよね。


 

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by アオバ*ト » 2020年2月11日(火) 10:22

 わりばしさん、こんにちは!アオバ*トです。

この日曜日(2月9日)、九鬼に行って来ました!
トンガ坂の古本屋さんに行って、「網干場」でお刺身定食を頂いて、
DSC08382トンガ坂文庫.jpg
迷路のような民家の路地裏を徘徊して廃校の小学校へ上がってまた下りて、
DSC08394小学校の丸窓.jpg
神社から灯台へ行って帰って来るだけの超ボケシー観光コースでしたが、
たったこれだけでもじゅうぶん満ち足りた一日(半日)でした。
山よりお刺身で、魚見小屋探しバリルートはまた次のお楽しみになってしまいましたが。
クジラの本はこの日を待ちきれずに、先に郵便で送ってもらっていました。
まだ全部読んでいませんが、この本やっぱ名作ですね。
それからオハイに行く木橋は新しく付け替えられたそうです。良かった~。
そして余談ですが、前日の土曜日には、柳ノ谷の林道終点から古道を辿って、途中尾根に乗って・1112経由で、
北山索道古和谷駅跡へ行って来ました。帰りはずっと古道を探して(これが又口道?)帰って来ました。
DSC08304古和谷駅跡.jpg
DSC08351又口道.jpg
これも、わりばしさんやzippさんのレポを読んでずっと行きたかった場所。
古道好き、遺構好きには、もう堪りませんでした。

 アオバ*ト

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by わりばし » 2020年2月04日(火) 19:24

こんばんは、雨子庵さん。
          
九鬼には「トンガ坂文庫」という古本屋に「網干場(あばば)」という食堂があります。
「網干場」は九鬼港でその日に水揚げされた魚の刺身定食が美味しいですよ。
街を歩くと豊かだった時代の高台の屋敷があったりと
普通の漁村とは一味違います。


もう薄暗くなっていましたが。

漁港の夜は早いんです。
だれもいないでしょう。
:mrgreen:

原生林のナメ
原生林のナメ

まずは
●「虎の巻」
大撃沈、人の気配せず :cry:

朝の7時前から開いています。
人は住んでいるでしょうが・・


●「網干場」
ひっそり。生体反応はあるのか :o

ランチの時間に行かないと・・
ここは人は住んでいないような・・


最後の砦、
●「トンガ版文庫」
グーグルマップ片手に暗くなった幹線道路(と言ってもヒトしか歩けない階段道ですが)を上ります。
目の前に第一村人発見!それがお店のヒトでした。
「あのぉ~、この辺が舞台になってる、クジラのこと書いてる本ください」
「多分これかな?」 :roll:
「多分それです」 :roll:
無事購入
「ところで、ここをどうやって知ったのですか?」
逆質問
「実はわりばしさんに・・・」 :)
「ああ、そうですか :P ⇐ンなわけないですが・・・」

購入されましたか。
アオバトさん遅れをとっちゃいましたね。

また、雨の日に行ってみてください。
傘が軒にあたってしまうので全開できず、じゃまです。

朝だったらもっと人がいますよ。


尾鷲に戻り、あるお店で。
カウンター越しにマスターとお話ししてたら、隣に座っていた女性(ヒトリ)とも会話が弾み・・・下心無いですよ・・・ :mrgreen:
「実は私、今は『網干場』というお店やってます」
なんと! :o
つづく・・・ :mrgreen:

「人生の楽園」に出た人なら「網干場」の近くの「ギャラリーアトリエ萌」もしてみえます。
嫁さんとコーヒー飲んで、なが話しました。
ここで、親戚の陶芸家が作った小鉢を購入。
我が家では茶わんとして使っています。


DSCF2902.JPG

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by 雨子庵 » 2020年2月03日(月) 18:30

わりばしさん
まいど あめちゃんです

私も単純。尾鷲近辺がふとしたきっかけでマイブームになりつつあります。 :lol:
予備調査を兼ねて(本調査は後日です)行ってみました
          
九鬼には「トンガ坂文庫」という古本屋に「網干場(あばば)」という食堂があります。
「網干場」は九鬼港でその日に水揚げされた魚の刺身定食が美味しいですよ。
街を歩くと豊かだった時代の高台の屋敷があったりと
普通の漁村とは一味違います。


もう薄暗くなっていましたが。

まずは
●「虎の巻」
大撃沈、人の気配せず :cry:

●「網干場」
ひっそり。生体反応はあるのか :o

最後の砦、
●「トンガ版文庫」
グーグルマップ片手に暗くなった幹線道路(と言ってもヒトしか歩けない階段道ですが)を上ります。
目の前に第一村人発見!それがお店のヒトでした。
「あのぉ~、この辺が舞台になってる、クジラのこと書いてる本ください」
「多分これかな?」 :roll:
「多分それです」 :roll:
無事購入
「ところで、ここをどうやって知ったのですか?」
逆質問
「実はわりばしさんに・・・」 :)
「ああ、そうですか :P ⇐ンなわけないですが・・・」

尾鷲に戻り、あるお店で。
カウンター越しにマスターとお話ししてたら、隣に座っていた女性(ヒトリ)とも会話が弾み・・・下心無いですよ・・・ :mrgreen:
「実は私、今は『網干場』というお店やってます」
なんと! :o
つづく・・・ :mrgreen:

あめちゃん


    

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by わりばし » 2020年1月31日(金) 06:19

おはようございます、雨子庵さん。

村上水軍を大阪湾で打ち破った九鬼水軍の根拠地だった九鬼に向かう。
あの村上水軍(ちなみに私は今治の漁師町育ちで、母親の旧姓は『村上』です ;) )を打ち破った九鬼水軍。
ほかのヒトよりはいつもいつも気になる場所でした。先日、久々に車で通過しただけですが、対岸の海岸沿いに集落が見え、
「ああ、ここが九鬼の集落かぁ。まさに要塞 :shock: 」と感慨にふけっていました。別に憎いわけでもなんでもなく、すごいなぁという感じです。ムカシ、神社までは行ったことがあるのですが、その先もいかなければ・・・地図で見て、社叢とかが気になっていました。

あらまあお母さんは村上姓でしたか。
九鬼水軍の造船所跡に鳥羽水族館が出来たりと微妙にからみますねえ。
漁師町に菅原道真ってなんか合わない気もしますが・・


最初に行くのは「虎の巻」の綿花堂で、甘さ控えめのあんこをカステラで巻いた和菓子が売っている。九鬼水軍の戦法を記した虎の巻からきている。以前、下山して買いに行ったら売り切れだったので、朝一で買うことにしている。この時は、おまけにカステラの切れ端をもらって得をした。
先日、尾鷲トレイル歩く前に尾鷲の「おとと」で見つけました。はなたれ隊隊長のあきんちょに報告したのですが、ちょうど「マグロのカマ焼き」(ブリの大きさの比にあらず)をやっつけた後 :x だったのであまり食指は動かなかったみたいです。・・・っていうか、やはり綿花堂で買うからこそ虎の巻の秘伝もわかるというもの。もう少し早く見つけていれば村上水軍ももう少しねばれたかも、です。 :mrgreen:

帰りに「おとと」に寄った時には売り切れでした。
ジャスコでもすぐに売り切れるみたいですよ。
オーマイゴッ
:o

旧九鬼中学校の隣のコミュニティセンターに駐車して、地元のおばあさんに教えてもらった階段を上る。石積みの住居跡や畑の跡の続く道をピンクのテープを追いながら上る。しばらくすると急な尾根を上っいる猪垣があらわれた。紀北地区の集落ではよく見かけるが、規模が大きく、少ない食料を守ろうとする先人の思いが伝わってくる。
猪垣はイニシエのヒトの思いがヒシヒシと伝わってきますね

すごい労力ですもんね。
それにそんなに効果があったのかな?
1ヶ所でも突破されたら終わりですからね。


猪垣
猪垣

九鬼を舞台に江戸時代の捕鯨をとりまく人間模様を題材にした『まぼろしの巨鯨シマ』には鯨を見張る小屋を山見小屋と書いてある。小屋の場所を主体に考えれば名称に違和感はない。九鬼から林道に続く石畳道は結局尾根を越えて一号魚見小屋まで続いていた。石畳道が頂山には続いていなかった事を考え合わせると、石の道標に書かれていた「やま」は「やまみこや」の事なのだろう。山見小屋の跡地をブリの定置網の監視小屋として転用したのが一号魚見小屋のようだ。『まぼろしの巨鯨シマ』にある北の岬の山見小屋がここだと思われる。東紀州には鯨漁を再現した「ハラソ祭」や「鯨の供養塔」「腹子持鯨菩提之塔」などが残っており捕鯨が江戸時代に盛んに行われていたことがわかる。「鯨一頭あれば、七浦うるおう」と言われるほど貴重な財源だっただけに山見小屋の位置づけも高かったのだろう。
恥ずかしながらこの本は知りませんでした。
捕鯨に関する民俗学は知れば知るほど楽しくなっていきますよね。
先日隣の町、三木浦で捕鯨のことでお話しする機会があったのですが、この湾の奥の砂地海岸の地名は『太地』というそうです、そう、あの「太地」と同じ地名です。ここは湾全体が深くて、かつてはクジラ(イルカ)を追い込んでその最奥の砂地海岸で水揚げしたとのこと。

捕鯨をしている浦は水揚げする場所が決まっていたんでしょうね。
リアス式海岸なので水揚げできる所は限られます。

紀州藩は痩せた領地のわりに御三家の見得で申請石高が多く
年貢も大変だったようで、捕鯨は貴重な年貢だったみたいです。


1号小屋と2号小屋の海岸べりの通過点
1号小屋と2号小屋の海岸べりの通過点

ここには遠見番所・常燈場・狼煙場が置かれ、江戸初期から幕末にかけて海岸防備と船舶の運航に重要な役割を果たしたと書かれた尾鷲市教育委員会の看板が設置されている。石積みの真ん中に木が生えておりその手前に石段が残っているのが狼煙場だろう。驚いたのは大量の瓦が残っていることだ、これまで熊野灘沿岸の狼煙場はいくつか見たが瓦は見なかった。火除けまじないの三つ巴紋の軒下瓦も残っていた。遠見番所・常燈場に舟見番と常燈場の番人が常駐することも多かったのか瓦ぶきの建物が立っていた。ここからは南の熊野灘の展望がきくので南の岬の山見小屋としても使われたのだろう。
海は人間にいろいろなものを授けてくれるとともに、外から謎の文明がやってくる驚異の存在だったのですね。
それを見張るところがいかに重要だったかということがうかがい知れます。
そして九鬼という場所柄もありますが、その時代その時代でイロイロな役目を担ってきたのでしょうね。
「太地」にも似たようなところが残っています。

トルコの難破船を助けたエルトゥールル号事件に唐人殺し峠に
生命の再生を願って熊野灘に旅立った補陀落渡海とさまざまです。


DSCF2779.JPG

猪垣を越えると畑や住居跡の石垣が続くが今は植林地になっている。猪垣から民家までそこそこあったので、九鬼の町が昔と比べどれだけ小規模なものになったのかを感じずにはいられなかった。
今日はそれを歩いて体感。
隣の三木浦も、今回は歩いてはいないのですが、文明のおかげでドンドン小規模、狭くなっているみたいです。要調査要踏破、です。 ;)

そして、九鬼の町にとどまらず、日本がどんどん狭くなっていますよね。
わが青田も。

また九鬼に行ってみてください。
楽しめる所満載です。

青田のエリアも教えてくださいね。

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by 雨子庵 » 2020年1月29日(水) 18:53

わりばしさん
毎度 あめちゃんです

村上水軍を大阪湾で打ち破った九鬼水軍の根拠地だった九鬼に向かう。
あの村上水軍(ちなみに私は今治の漁師町育ちで、母親の旧姓は『村上』です ;) )を打ち破った九鬼水軍。
ほかのヒトよりはいつもいつも気になる場所でした。先日、久々に車で通過しただけですが、対岸の海岸沿いに集落が見え、
「ああ、ここが九鬼の集落かぁ。まさに要塞 :shock: 」と感慨にふけっていました。別に憎いわけでもなんでもなく、すごいなぁという感じです。ムカシ、神社までは行ったことがあるのですが、その先もいかなければ・・・地図で見て、社叢とかが気になっていました。

最初に行くのは「虎の巻」の綿花堂で、甘さ控えめのあんこをカステラで巻いた和菓子が売っている。九鬼水軍の戦法を記した虎の巻からきている。以前、下山して買いに行ったら売り切れだったので、朝一で買うことにしている。この時は、おまけにカステラの切れ端をもらって得をした。
先日、尾鷲トレイル歩く前に尾鷲の「おとと」で見つけました。はなたれ隊隊長のあきんちょに報告したのですが、ちょうど「マグロのカマ焼き」(ブリの大きさの比にあらず)をやっつけた後 :x だったのであまり食指は動かなかったみたいです。・・・っていうか、やはり綿花堂で買うからこそ虎の巻の秘伝もわかるというもの。もう少し早く見つけていれば村上水軍ももう少しねばれたかも、です。 :mrgreen:

旧九鬼中学校の隣のコミュニティセンターに駐車して、地元のおばあさんに教えてもらった階段を上る。石積みの住居跡や畑の跡の続く道をピンクのテープを追いながら上る。しばらくすると急な尾根を上っいる猪垣があらわれた。紀北地区の集落ではよく見かけるが、規模が大きく、少ない食料を守ろうとする先人の思いが伝わってくる。
猪垣はイニシエのヒトの思いがヒシヒシと伝わってきますね

九鬼を舞台に江戸時代の捕鯨をとりまく人間模様を題材にした『まぼろしの巨鯨シマ』には鯨を見張る小屋を山見小屋と書いてある。小屋の場所を主体に考えれば名称に違和感はない。九鬼から林道に続く石畳道は結局尾根を越えて一号魚見小屋まで続いていた。石畳道が頂山には続いていなかった事を考え合わせると、石の道標に書かれていた「やま」は「やまみこや」の事なのだろう。山見小屋の跡地をブリの定置網の監視小屋として転用したのが一号魚見小屋のようだ。『まぼろしの巨鯨シマ』にある北の岬の山見小屋がここだと思われる。東紀州には鯨漁を再現した「ハラソ祭」や「鯨の供養塔」「腹子持鯨菩提之塔」などが残っており捕鯨が江戸時代に盛んに行われていたことがわかる。「鯨一頭あれば、七浦うるおう」と言われるほど貴重な財源だっただけに山見小屋の位置づけも高かったのだろう。
恥ずかしながらこの本は知りませんでした。
捕鯨に関する民俗学は知れば知るほど楽しくなっていきますよね。
先日隣の町、三木浦で捕鯨のことでお話しする機会があったのですが、この湾の奥の砂地海岸の地名は『太地』というそうです、そう、あの「太地」と同じ地名です。ここは湾全体が深くて、かつてはクジラ(イルカ)を追い込んでその最奥の砂地海岸で水揚げしたとのこと。

ここには遠見番所・常燈場・狼煙場が置かれ、江戸初期から幕末にかけて海岸防備と船舶の運航に重要な役割を果たしたと書かれた尾鷲市教育委員会の看板が設置されている。石積みの真ん中に木が生えておりその手前に石段が残っているのが狼煙場だろう。驚いたのは大量の瓦が残っていることだ、これまで熊野灘沿岸の狼煙場はいくつか見たが瓦は見なかった。火除けまじないの三つ巴紋の軒下瓦も残っていた。遠見番所・常燈場に舟見番と常燈場の番人が常駐することも多かったのか瓦ぶきの建物が立っていた。ここからは南の熊野灘の展望がきくので南の岬の山見小屋としても使われたのだろう。
海は人間にいろいろなものを授けてくれるとともに、外から謎の文明がやってくる驚異の存在だったのですね。
それを見張るところがいかに重要だったかということがうかがい知れます。
そして九鬼という場所柄もありますが、その時代その時代でイロイロな役目を担ってきたのでしょうね。
「太地」にも似たようなところが残っています。

猪垣を越えると畑や住居跡の石垣が続くが今は植林地になっている。猪垣から民家までそこそこあったので、九鬼の町が昔と比べどれだけ小規模なものになったのかを感じずにはいられなかった。
今日はそれを歩いて体感。
隣の三木浦も、今回は歩いてはいないのですが、文明のおかげでドンドン小規模、狭くなっているみたいです。要調査要踏破、です。 ;)

そして、九鬼の町にとどまらず、日本がどんどん狭くなっていますよね。
わが青田も。

ちとヤブコギの感想っぽくなくなりましたが、お許しください。 :)

あめちゃん

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by アオバ*ト » 2020年1月20日(月) 21:47

 わりばしさん、こんばんは。

網干場」という食堂もあるので、また寄ってみてください。
「人生の楽園」で放送された所です。
普通の漁村とは一味違う街歩きも楽しいので「トンガ坂文庫」と合わせて楽しんできてください。
写真は旧九鬼小学校の講堂の丸窓の写真で、閉校式の式次第が写っています。


また、楽しみ増えました。
ありがとうございます。
小学校の丸窓、すてきですね!
船の窓と同じなんですね!

 アオバ*ト

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by わりばし » 2020年1月19日(日) 09:49

おはようございます、アオバトさん。

このあたりは、人が通っていないとヤブになっちゃうので二の足をふんでしまいます。

「頂山から古田への道」、ヤブはそれほどでもなかったですが、
イノシシがいたるところ掘り起こしていて、荒れ放題でした。
沢に降りてからも、道らしきというのは消えかかっているように感じました。
歩く人少ないのですね。


途中でも猪にあいましたが、多そうですね。
山見小屋への道もけっこう掘り返されていました。


若い店主がやっています。
HPを見ると開いている日が確認できるので、行かれる時は見てください。
『まぼろしの巨鯨シマ』は再入荷したようで900円で買えますよ。


トンガ坂書店」、HP覗いてみました。引き込まれてしまいました。
こうゆうの、好きなんです。魚見小屋以上に行きたくなってしまいました。
山から下りてきて、ここらへんの迷路のような民家の路地裏通るのが楽しくて、
ぐるぐる歩き回ったつもりなんですが、本屋さんに気がつきませんでした。
この町には、あん巻き屋さんと猫づくしのお店と干物屋さんしかないと思っていました。
それから、「まぼろしの巨鯨シマ」、なんかどっかできいたことあるような気がしてたんです。
最初に発刊された年を調べて、たぶん。これ読んだことあるような。
きっとその時には理解するのが難しかったのでほとんど覚えていないのかも。
また読んでみたいです。


読書感想文の課題図書に選ばれていたので読んだ人も多いかもしれません。
今は読書感想文も強制ではないので、課題図書の効力も弱いですが
当時は目にした人も多かったでしょう。


山見小屋へ続く石畳道は良かったです。
地元の人が生活のために整備したって感じが好きです。

山登りのために整備された道じゃなくて、こうゆう道歩くのは、なんで楽しいのでしょうね。


昔の道はうまく作っているというか、確かな技術が感じられます。

山見道の切通
山見道の切通

1号魚見小屋から古田に向かう目印はテープと赤丸ペイントです。

ありがとうございます。
尾鷲には、他にもまだまだ行きたいところあって、お天気の良い週末にお泊りで2連チャンしたいなと思ってます。
あきんちょさんたちに先越されちゃうかな。


「網干場」という食堂もあるので、また寄ってみてください。
「人生の楽園」で放送された所です。
普通の漁村とは一味違う街歩きも楽しいので「トンガ坂文庫」と合わせて楽しんできてください。
写真は旧九鬼小学校の講堂の丸窓の写真で、閉校式の式次第が写っています。


九鬼小学校の丸窓
九鬼小学校の丸窓

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by わりばし » 2020年1月19日(日) 09:32

おはようございます、あきんちょ。

私は月曜、あめちゃんと尾鷲の汐ノ坂~矢ノ川峠行きました。
太くて大きな木が何本もあって、おもしろい道でした。

尾鷲トレイルってあるんや・・
知らんかった。


IMG_0358.JPG

九鬼行きたくなりました、町も山も。ダニ避けます。
「虎の巻」必ずや食べます。
          
九鬼には「トンガ坂文庫」という古本屋に「網干場(あばば)」という食堂があります。
「網干場」は九鬼港でその日に水揚げされた魚の刺身定食が美味しいですよ。
街を歩くと豊かだった時代の高台の屋敷があったりと
普通の漁村とは一味違います。

    
IMG_0437.JPG

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by アオバ*ト » 2020年1月18日(土) 21:44

 わりばしさん、こんばんは。

色々、教えて下さり、ありがとうございます。

このあたりは、人が通っていないとヤブになっちゃうので二の足をふんでしまいます。

「頂山から古田への道」、ヤブはそれほどでもなかったですが、
イノシシがいたるところ掘り起こしていて、荒れ放題でした。
沢に降りてからも、道らしきというのは消えかかっているように感じました。
歩く人少ないのですね。



若い店主がやっています。
HPを見ると開いている日が確認できるので、行かれる時は見てください。
『まぼろしの巨鯨シマ』は再入荷したようで900円で買えますよ。


トンガ坂書店」、HP覗いてみました。引き込まれてしまいました。
こうゆうの、好きなんです。魚見小屋以上に行きたくなってしまいました。
山から下りてきて、ここらへんの迷路のような民家の路地裏通るのが楽しくて、
ぐるぐる歩き回ったつもりなんですが、本屋さんに気がつきませんでした。
この町には、あん巻き屋さんと猫づくしのお店と干物屋さんしかないと思っていました。
それから、「まぼろしの巨鯨シマ」、なんかどっかできいたことあるような気がしてたんです。
最初に発刊された年を調べて、たぶん。これ読んだことあるような。
きっとその時には理解するのが難しかったのでほとんど覚えていないのかも。
また読んでみたいです。



山見小屋へ続く石畳道は良かったです。
地元の人が生活のために整備したって感じが好きです。

山登りのために整備された道じゃなくて、こうゆう道歩くのは、なんで楽しいのでしょうね。


1号魚見小屋から古田に向かう目印はテープと赤丸ペイントです。

ありがとうございます。
尾鷲には、他にもまだまだ行きたいところあって、お天気の良い週末にお泊りで2連チャンしたいなと思ってます。
あきんちょさんたちに先越されちゃうかな。

 アオバ*ト

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by わりばし » 2020年1月17日(金) 16:24

こんばんは、アオバトさん。

頂山から古田への道は使えるんだ・・知らんかった。

地形図の破線の道、使えました。ハカリカケ岩へは寄り道してまた破線へ戻ったのですが、
このハカリカケ岩(・368)から南へ尾根を下ったら古田キャンプ場へは近道なんじゃないのかなぁと思いながら
冒険せず遠回りしました。


このあたりは、人が通っていないとヤブになっちゃうので二の足をふんでしまいます。

東紀州の猪垣は大がかりなものが多いですが
急峻な尾根を上る猪垣は迫力あります。


最初に猪垣を見たのは伊勢路のどこだったか忘れてしまいましたが、
他所ではこんなもの見たことなかったので、けっこう驚きました。


南伊勢まで続く集落には結構残っています。
畑作が出来る土地も貴重なので、獣との争奪戦に苦労してきた歴史があるんですねえ。


DSCF2807.JPG

ただ単に好きなだけなのですが
古文書がスラスラ読めるともっといいのですが・・
『まぼろしの巨鯨シマ』は九鬼の古本屋「トンガ坂書店」で購入しました。
「ハラソ祭」は成人の日なので昨日でしたね。


古本屋さんがあるなんて気が付かなかったです~。
「ハラソ祭り」は、中日新聞の動画が目についたので、あ、これだと思って見てみました。

若い店主がやっています。
HPを見ると開いている日が確認できるので、行かれる時は見てください。
『まぼろしの巨鯨シマ』は再入荷したようで900円で買えますよ。
ハラソ祭りはわざわざ成人の日にしたのに若者が少なかったですね。


回るのなら今回私が行った1号魚見小屋→2号魚見小屋→遠見番所の順番がいいです。
逆コースの場合は1号魚見小屋の場所を知っていないと苦労すると思います。
ダニが元気も取り戻さない時期に行ってみてください。


アドバイスありがとうございます。
雪もちっとも降らないし、また尾鷲に遊びにいこうかなぁと思うこの頃です。


山見小屋へ続く石畳道は良かったです。
地元の人が生活のために整備したって感じが好きです。

1号魚見小屋から古田に向かう目印はテープと赤丸ペイントです。


アガリコと目印の赤丸ペイント
アガリコと目印の赤丸ペイント

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by あきんちょ » 2020年1月17日(金) 12:59

わりばしさんこんにちは、あきんちょです。
私は月曜、あめちゃんと尾鷲の汐ノ坂~矢ノ川峠行きました。
太くて大きな木が何本もあって、おもしろい道でした。
あめちゃんは矢ノ川峠の歴史を知っていて、感慨ひとしおのようでした。

九鬼行きたくなりました、町も山も。ダニ避けます。
「虎の巻」必ずや食べます。
              あきんちょ

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by アオバ*ト » 2020年1月15日(水) 23:23

 わりばしさん、レス返ありがとうございます。

頂山から古田への道は使えるんだ・・知らんかった。

地形図の破線の道、使えました。ハカリカケ岩へは寄り道してまた破線へ戻ったのですが、
このハカリカケ岩(・368)から南へ尾根を下ったら古田キャンプ場へは近道なんじゃないのかなぁと思いながら
冒険せず遠回りしました。

東紀州の猪垣は大がかりなものが多いですが
急峻な尾根を上る猪垣は迫力あります。


最初に猪垣を見たのは伊勢路のどこだったか忘れてしまいましたが、
他所ではこんなもの見たことなかったので、けっこう驚きました。

ただ単に好きなだけなのですが
古文書がスラスラ読めるともっといいのですが・・
『まぼろしの巨鯨シマ』は九鬼の古本屋「トンガ坂書店」で購入しました。
「ハラソ祭」は成人の日なので昨日でしたね。


古本屋さんがあるなんて気が付かなかったです~。
「ハラソ祭り」は、中日新聞の動画が目についたので、あ、これだと思って見てみました。

回るのなら今回私が行った1号魚見小屋→2号魚見小屋→遠見番所の順番がいいです。
逆コースの場合は1号魚見小屋の場所を知っていないと苦労すると思います。
ダニが元気も取り戻さない時期に行ってみてください。


アドバイスありがとうございます。
雪もちっとも降らないし、また尾鷲に遊びにいこうかなぁと思うこの頃です。

 アオバ*ト

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by わりばし » 2020年1月14日(火) 19:20

こんばんは、アオバトさん。

 5日にまた九鬼へ行ったんですよ!
わたしは、頂山~ハカリカケ岩~オハイ~石垣道の一般観光ルートですけど。


頂山から古田への道は使えるんだ・・知らんかった。

旧九鬼中学校の隣のコミュニティセンターに駐車して、地元のおばあさんに教えてもらった階段を上る。石積みの住居跡や畑の跡の続く道をピンクのテープを追いながら上る。しばらくすると急な尾根を上っいる猪垣があらわれた。紀北地区の集落ではよく見かけるが、規模が大きく、少ない食料を守ろうとする先人の思いが伝わってくる。道は二股に分かれそこに石の道標があり、「左ゆくのへ」「右やまへ」と書いてある。「ゆくの」は地図の海岸沿いにある元行野の事で、行野という集落があっただろう。「やま」は頂山のことかとこの時は考えていた。石畳道がどこまでも気持ちよく続いている。

わたしはたぶん、も少し北側から登って行ったので、この猪垣は見ていないのですが、すごい猪垣ですね。
この石の道標、「左ゆくのへ」と書いてあったのですね。なんて書いてあるのだろうと思っていました。


東紀州の猪垣は大がかりなものが多いですが
急峻な尾根を上る猪垣は迫力あります。


九鬼集落跡
九鬼集落跡

九鬼を舞台に江戸時代の捕鯨をとりまく人間模様を題材にした『まぼろしの巨鯨シマ』には鯨を見張る小屋を山見小屋と書いてある。小屋の場所を主体に考えれば名称に違和感はない。九鬼から林道に続く石畳道は結局尾根を越えて一号魚見小屋まで続いていた。石畳道が頂山には続いていなかった事を考え合わせると、石の道標に書かれていた「やま」は「やまみこや」の事なのだろう。山見小屋の跡地をブリの定置網の監視小屋として転用したのが一号魚見小屋のようだ。『まぼろしの巨鯨シマ』にある北の岬の山見小屋がここだと思われる。東紀州には鯨漁を再現した「ハラソ祭」や「鯨の供養塔」「腹子持鯨菩提之塔」などが残っており捕鯨が江戸時代に盛んに行われていたことがわかる。「鯨一頭あれば、七浦うるおう」と言われるほど貴重な財源だっただけに山見小屋の位置づけも高かったのだろう。

わりばしさんて、ほんとに詳しいですね。歴史博士みたいです。いつもいつも感心して読ませて頂いてます。
とにかく、道標の「やま」は「やまみこや」のこと。納得しました。


ただ単に好きなだけなのですが
古文書がスラスラ読めるともっといいのですが・・
『まぼろしの巨鯨シマ』は九鬼の古本屋「トンガ坂文庫」で購入しました。
「ハラソ祭」は成人の日なので昨日でしたね。


古田はキャンプ場のあった所で昔は集落があった。

集落があったんだなということは判りましたが、そこがキャンプ場になったっていうのがなんか不思議です。
小学校とか中学校の子どもたちがキャンプに来ていたのでしょうか。
あ、そういえば、あん巻き屋さんのおばあちゃんも小さいとき遠足でオハイに行ったとおっしゃってました。
それにしてもここ、いいとこですよね。やさしい流れの沢もあって。


今は廃校がコミュニティセンターになりますが
廃校や廃村を青少年自然の家にしたりキャンプ場にしたりするのがはやった時代があったんじゃないでしょうか。
今は無い蓮小学校跡も使えた時は青少年自然の家のような使われかたをしたようです。


大配
大配


古田の祠の所に下りて帰りぎわに大配に寄るとここにも海岸近くに窯跡があった。遠見番所から九鬼に続く立派な石垣道を快適に下る。この道なら山見小屋の道として充分すぎるぐらいだ。ただ、この道はかなり厳しい斜面をトラバースしているだけにこの数年で何か所か崩れていた。

すごく大きな竃跡があって驚きました。
ほんとにこんなに厳しい斜面に、よくこんなに立派な道を造ったものだと感心します。
もう、あの木橋は次は渡れないかもしれないですね。
1号魚見小屋、2号魚見小屋、遠見番所、こんど行ってみます。


回るのなら今回私が行った1号魚見小屋→2号魚見小屋→遠見番所の順番がいいです。
逆コースの場合は1号魚見小屋の場所を知っていないと苦労すると思います。
ダニが元気を取り戻さない時期に行ってみてください。

アガリコ
アガリコ

Re: 【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by アオバ*ト » 2020年1月13日(月) 19:17

 わりばしさん、こんばんは。
九鬼に出かけられたのですね!
わたしも、3日に天狗倉山へ行って、一旦帰って5日にまた九鬼へ行ったんですよ!
わたしは、頂山~ハカリカケ岩~オハイ~石垣道の一般観光ルートですけど。


村上水軍を大阪湾で打ち破った九鬼水軍の根拠地だった九鬼に向かう。最初に行くのは「虎の巻」の綿花堂で、甘さ控えめのあんこをカステラで巻いた和菓子が売っている。九鬼水軍の戦法を記した虎の巻からきている。以前、下山して買いに行ったら売り切れだったので、朝一で買うことにしている。この時は、おまけにカステラの切れ端をもらって得をした。

ここのあん巻きはとても美味ですよね。お店のおばあちゃまとお話しするのも楽しみです。

旧九鬼中学校の隣のコミュニティセンターに駐車して、地元のおばあさんに教えてもらった階段を上る。石積みの住居跡や畑の跡の続く道をピンクのテープを追いながら上る。しばらくすると急な尾根を上っいる猪垣があらわれた。紀北地区の集落ではよく見かけるが、規模が大きく、少ない食料を守ろうとする先人の思いが伝わってくる。道は二股に分かれそこに石の道標があり、「左ゆくのへ」「右やまへ」と書いてある。「ゆくの」は地図の海岸沿いにある元行野の事で、行野という集落があっただろう。「やま」は頂山のことかとこの時は考えていた。石畳道がどこまでも気持ちよく続いている。

わたしはたぶん、も少し北側から登って行ったので、この猪垣は見ていないのですが、すごい猪垣ですね。
この石の道標、「左ゆくのへ」と書いてあったのですね。なんて書いてあるのだろうと思っていました。


九鬼を舞台に江戸時代の捕鯨をとりまく人間模様を題材にした『まぼろしの巨鯨シマ』には鯨を見張る小屋を山見小屋と書いてある。小屋の場所を主体に考えれば名称に違和感はない。九鬼から林道に続く石畳道は結局尾根を越えて一号魚見小屋まで続いていた。石畳道が頂山には続いていなかった事を考え合わせると、石の道標に書かれていた「やま」は「やまみこや」の事なのだろう。山見小屋の跡地をブリの定置網の監視小屋として転用したのが一号魚見小屋のようだ。『まぼろしの巨鯨シマ』にある北の岬の山見小屋がここだと思われる。東紀州には鯨漁を再現した「ハラソ祭」や「鯨の供養塔」「腹子持鯨菩提之塔」などが残っており捕鯨が江戸時代に盛んに行われていたことがわかる。「鯨一頭あれば、七浦うるおう」と言われるほど貴重な財源だっただけに山見小屋の位置づけも高かったのだろう。

わりばしさんて、ほんとに詳しいですね。歴史博士みたいです。いつもいつも感心して読ませて頂いてます。
とにかく、道標の「やま」は「やまみこや」のこと。納得しました。


古田はキャンプ場のあった所で昔は集落があった。

集落があったんだなということは判りましたが、そこがキャンプ場になったっていうのがなんか不思議です。
小学校とか中学校の子どもたちがキャンプに来ていたのでしょうか。
あ、そういえば、あん巻き屋さんのおばあちゃんも小さいとき遠足でオハイに行ったとおっしゃってました。
それにしてもここ、いいとこですよね。やさしい流れの沢もあって。



古田の祠の所に下りて帰りぎわに大配に寄るとここにも海岸近くに窯跡があった。遠見番所から九鬼に続く立派な石垣道を快適に下る。この道なら山見小屋の道として充分すぎるぐらいだ。ただ、この道はかなり厳しい斜面をトラバースしているだけにこの数年で何か所か崩れていた。

すごく大きな竃跡があって驚きました。
ほんとにこんなに厳しい斜面に、よくこんなに立派な道を造ったものだと感心します。
もう、あの木橋は次は渡れないかもしれないですね。

1号魚見小屋、2号魚見小屋、遠見番所、こんど行ってみます。


  アオバ*ト

【東紀州】九木崎原生林と古道でつなぐ名所めぐり 頂山・魚見小屋・遠見番所・大配

by わりばし » 2020年1月13日(月) 07:47

日 付】2020年1月11日(土)
【山 域】東紀州
【コース】九鬼7:55---9:16頂山---10:48一号魚見小屋---12:36二号魚見小屋---13:20遠見番所---14:03大配---15:22九鬼
【メンバー】単独

 村上水軍を大阪湾で打ち破った九鬼水軍の根拠地だった九鬼に向かう。最初に行くのは「虎の巻」の綿花堂で、甘さ控えめのあんこをカステラで巻いた和菓子が売っている。九鬼水軍の戦法を記した虎の巻からきている。以前、下山して買いに行ったら売り切れだったので、朝一で買うことにしている。この時は、おまけにカステラの切れ端をもらって得をした。

道標
道標

 旧九鬼中学校の隣のコミュニティセンターに駐車して、地元のおばあさんに教えてもらった階段を上る。石積みの住居跡や畑の跡の続く道をピンクのテープを追いながら上る。しばらくすると急な尾根を上っいる猪垣があらわれた。紀北地区の集落ではよく見かけるが、規模が大きく、少ない食料を守ろうとする先人の思いが伝わってくる。道は二股に分かれそこに石の道標があり、「左ゆくのへ」「右やまへ」と書いてある。「ゆくの」は地図の海岸沿いにある元行野の事で、行野という集落があったのだろう。「やま」は頂山のことかとこの時は考えていた。石畳道がどこまでも気持ちよく続いている。

猪垣
猪垣


 林道に出るとすぐに終点で、頂山に向かう。山頂は展望もなくハリカケ岩にきてようやく展望が開けた。帰りは頂山とハリカケ岩のコルから山頂をトラバースしながら林道終点に戻るルートを選んだ。

 林道にもどり上ってきた地点を過ぎ、道が曲がる地点に一号魚見小屋の矢印がある。沢筋に出た所がわかりにくいが、目のまえの小尾根を上っていくとテープも出てきて尾根上は堀切で通りやすいようになっている。よく見ると石畳の道は続いており、崩れやすい所には石垣で補強されている。この整備された古道は一号魚見小屋まで続いていた。


石畳道
石畳道

 九鬼を舞台に江戸時代の捕鯨をとりまく人間模様を題材にした『まぼろしの巨鯨シマ』には鯨を見張る小屋を山見小屋と書いてある。小屋の場所を主体に考えれば名称に違和感はない。九鬼から林道に続く石畳道は結局尾根を越えて一号魚見小屋まで続いていた。石畳道が頂山には続いていなかった事を考え合わせると、石の道標に書かれていた「やま」は「やまみこや」の事なのだろう。山見小屋の跡地をブリの定置網の監視小屋として転用したのが一号魚見小屋のようだ。『まぼろしの巨鯨シマ』にある北の岬の山見小屋がここだと思われる。東紀州には鯨漁を再現した「ハラソ祭」や「鯨の供養塔」「腹子持鯨菩提之塔」などが残っており捕鯨が江戸時代に盛んに行われていたことがわかる。「鯨一頭あれば、七浦うるおう」と言われるほど貴重な財源だっただけに山見小屋の位置づけも高かったのだろう。

一号魚見小屋
一号魚見小屋

 近くに二号魚見小屋の矢印があるので行くとトラロープが続いており地図に水線の書いてある谷まで導かれる。ナメになっているので下って行くと目のまえを巨大な猪が二頭逃げていった。向かってこなくて良かったと思いつつ、事故防止のため熊鈴を出して付けて歩くことにした。

 この谷を海岸べりまで下り標高30mあたりをトラバースし、その先の片側が切れ落ちている尾根を使い100m付近まで上るようにルートはつけられている。南の原生林だけにシダが生い茂りどこでも自由にとはいかない、できるだけルートをたどるか獣道を使った方が得策だ。100mのあたりをトラバースしてから尾根乗越して下ると古田に着く。5年前に逆回りで来て撤退した時も切れ落ちた尾根のあたりまでは来ているので見覚えのある木や場所はある。ただ、ほとんど歩かれていないのでヤブが広がり昔どうりにたどれなくなっている。テープは、かなり微妙な感じなので現在位置の確認ができたぐらいで考えておいた方がいい。周辺にはアガリコの木が多くみられ炭焼きが行われていたようで炭窯跡も残っている。

 古田はキャンプ場のあった所で昔は集落があった。祠を過ぎ北に向かうと二号魚見小屋で、展望が良い。ここには電話機も残っていた、一号魚見小屋にも電話線を通すガイシが残っていたので九鬼と連絡を取っていたのだろう。5年前に来た時は設置されていた神棚も崩れ落ちていた。


二号魚見小屋
二号魚見小屋

 二号魚見小屋から九木岬の228m標高点にある遠見番所に向かう。ここには遠見番所・常燈場・狼煙場が置かれ、江戸初期から幕末にかけて海岸防備と船舶の運航に重要な役割を果たしたと書かれた尾鷲市教育委員会の看板が設置されている。石積みの真ん中に木が生えておりその手前に石段が残っているのが狼煙場だろう。驚いたのは大量の瓦が残っていることだ、これまで熊野灘沿岸の狼煙場はいくつか見たが瓦は見なかった。火除けまじないの三つ巴紋の軒下瓦も残っていた。遠見番所・常燈場に舟見番と常燈場の番人が常駐することも多かったのか瓦ぶきの建物が立っていた。ここからは南の熊野灘の展望がきくので南の岬の山見小屋としても使われたのだろう。

 古田の祠の所に下りて帰りぎわに大配に寄るとここにも海岸近くに窯跡があった。遠見番所から九鬼に続く立派な石垣道を快適に下る。この道なら山見小屋の道として充分すぎるぐらいだ。ただ、この道はかなり厳しい斜面をトラバースしているだけにこの数年で何か所か崩れていた。猪垣を越えると畑や住居跡の石垣が続くが今は植林地になっている。猪垣から民家までそこそこあったので、九鬼の町が昔と比べどれだけ小規模なものになったのかを感じずにはいられなかった。


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