【鈴鹿】茨川から御池 ~ 廃村から川を歩いて亀尾を登る ~
【日時】2019/11/4
【天 候】晴れ
【コース】茨川P 7:43-三筋の滝上9:35-亀尾取付き10:47-東のボタンブチ12:40/13:40-ノタノ坂分岐15:25-P 16:10
釣りを愛し、渓を愛した同郷の(甲賀市内)山本素石は文学者でもあり、渓流や廃村についても興味深い作品を残している。
そのなかで、「廃村の夜」「山家獨居の記」「奇遇」は茨川を題材としている。
同氏はその作品によると、ひとりタクシーで茨川林道分岐(京の水あたり)まで乗り付け後は茨川まで約4時間歩いてその廃屋に泊まっている。
廃村のしかも他人の先祖代々の霊が宿った廃屋へわざわざ出向いて一夜を明かす気持ちは何度読んでも郷愁と言うだけでは理解しがたい。
だからと言う訳でもないが、不肖Sは20年前の3月、この茨川から山本素石よろしく、林道を4時間、国道を1時間歩いたこともあったような
おぼろげな記憶が残っている。
小又谷に車を置いて、T字尾根から御池テーブルランドへ登り着き、ノタノ坂を下ってきて、小又谷と茨川への分岐でなぜか、吸い寄せられるように茨川に降り立ってしまったのである。ヤミ下で薄い踏み跡の山中を辿るのを避け、長い林道歩きとタクシーでの周遊を選択したのだった。
http://shigeki.ryu-unso-kyu.jp/tjione2.htm
それ以来、ノタノ坂分岐から茨川への山道へ足を踏み入れてはいなかった。
昔は車で茶屋川を渡って、八幡工業高校の小屋前まで乗り付けたもんだが、今は当然、川の手前に止めて強風の中、沢支度をする。
ヘルメット姿の女性がひとり先行する。行政からの委託で鹿の調査に入るとのこと。
思わず「エエ仕事でんなぁ~やってみたいね~」と言いつつ、「調査って、ひょっとしてウンコを調べて回るとか??」
と聞くと「その通りです。」とのこと・・・・
川を渡ると今度は、焚火をしている男女がいた。
少し話して廃村を通らせて頂く。
先の八幡工業高校の小屋の他は、名古屋大学の小屋と神社の鳥居が残るばかりである。
茶屋川は、砂利の中を流れる全くの平流だ。
蛇谷を右に分ける辺りは、渓流らしい雰囲気になってきて目の前には、藤原西尾根へと何度か歩いた尾根が張り出している。
三筋の滝は、やはり一筋だった。右岸のロープを頼りに巻き登る。
しばらくで、今年3月に登ったゴジラの尾根を右に見て、真の谷と土倉谷の分岐に着いた。
ここで最近頼り切っているチェーンスパイクを履いてHマオさんが勝手に名付けた亀尾に取り付いた。
かなりの急登とツゲのヤブを乗り越えると檜の林に出てその先は明るい自然林となった。
この尾根については同氏の
http://www.cty-net.ne.jp/~toyo-k/sanko/ ... /kameo.htm
に詳しい。
振り向くと天狗岩、藤原岳の錦の斜面が陽光を受けて煌めいている。
と言うのは大げさで心なしかくすんだ紅葉が光のせいでそれなりの色合いを保っていた。
柔らかな落ち葉絨毯のウェーブから石灰岩のゴロつく急登を登り切ると展望が開けた。
カレンフェルトの隙間に風を避けてランチとする。
テーブルランドを少し散歩して土倉へと降る。
ちょうど西陽があたり小又谷側の色づいた木々が透過光に煌めく。
植林のトラバースから小又谷、茨川分岐を「正気」で茨川へと歩を進めた。
本来、峠からの降りのはずが、道は美しいがほとんど高度を下げない。
こんなルートならヤミ下でも十分歩けたはずだと思ったのも束の間、暗い植林の谷への急下降となった。
20年前の不肖Sは、この辺りのヤミ歩行を避けるべく長い林道歩きを選択したのだろうか?
最近ではめずらしく明るいうちに車に到着した。
帰路についたが、車でも長~い茨川林道だった。
ではまた、そこ抜けに明るくてなぜか寂しい鈴鹿の陽だまりで
(最近つとに長いなぁ~)
SHIGEKI