【 日 付 】2019年5月12日(日曜日)
【 山 域 】比良
【メンバー】単独行
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】平3:56~4:37権現山~4:55ホッケ山5:19小女郎ヶ池5:37~6:04蓬莱山6:14~7:19比良岳7:29~8:38森山岳~9:51葛川中村
この日は娘の発表会であり、昼過ぎには京都に戻る必要があるのだが、朝から好天の予報である。久しぶりにご来光を期待して平から権現山を経て蓬莱山へと辿ることを決めるが、蓬莱山から先は山頂で決めるつもりとして、また山行計画の定まらない山行を考える。出来れば坊村に9時50分に京都バスに乗って平まで戻る予定としたい。
朝、3時過ぎに起床するが、昨夜のうちに用意をしていなかったので準備に手間取り、自宅を出たのは3時半近くになる。早朝の登山においては出発の十数分の遅延は時として大きな痛手となる。前日の京都市内の気温は30度を越えていたが、花折峠を越えたあたりでは気温は6度と、気温の低下が著しい。前回、昨年の11月にこのルートを歩いた満月の夜とは異なり、この日は月明かりが全くない。
平集落を過ぎたところで車を停めて、権現山北西尾根を取り付く。権現山の山頂に直線的に至るルートは手っ取り早いので、比良のご来光登山では専らこのルートを選択することが多い。平集落からの尾根の取り付きでは以前は多数の杉の倒木が集中し、夜間に歩くには難所となっていたのだが、かなり整理されたようだ。まだ倒木は残ってはいるものの、以前ほど難儀することなく通過すると、雑木林となり、馬酔木の間を縫う薄い踏み跡を辿る。踏み跡を辿り損ねるとたちまち馬酔木の藪が行く手を邪魔する。
権現山の山頂への丁度中間のあたり標高点752mのあたりは杉の植林地の下端部となる。ここは一昨年の台風でかなりの倒木が生じたところに昨年の台風がダメ押しを加えたところだ。いつもここは斜面の北東側をトラバースして倒木地帯を避けるのだが、倒木が少し整理されているようだ。しかし、何とかなるかと思って倒木群の中に踏み込むとすぐにも二進も三進もいかなくなった。再び後退すると倒木群を避け、馬酔木の藪を漕ぐ。
倒木のせいで開けた植林地の上では空が既に白み始めている。準備に手間取った朝の十数分が悔やまれる。しかし、ご来光の時間には十分に間に合うであろう。この倒木地帯を抜けると植林地の中に倒木は全くといってもよい程みられなくなる。杉の植林地を抜けて権現山の山頂に辿り着くと夜の帳があがってゆくところだった。堅田の市街にも夜の残滓のような明かりが辛うじて残っていた。
- 黎明の権現山に
明るさを増しつつある東の空を見ながらホッケ山への縦走路を辿る。登山路では多くのイワカガミが花を咲かせている。
朝焼けの空を反射して琵琶湖の湖水も赤銅色を帯びはじめる。ホッケ山に到着すると間もなく、東の空からゆっくりと真っ赤な太陽が昇り始めた。時計を見ると時刻は4:57。日の出の正確な時間の確認を怠ったまま家を出てきたのだが、いつの間にか日の出の時間が5時前になっていることに驚く。
- 比良岳南尾根
ホッケ山を辞し、小女郎峠へと向かうと私の出現に気がついた鹿の群れが慌てて逃げ去ってゆく。小女郎ヶ池へと下ってゆくとあたりの空気が急に冷え込んでゆく。池は稜線の影であり、この時間はまだ覚醒めてはいないようだ。
池の畔に近づくと、ここでも池の周りで草を喰んでいた鹿の群れが私に気が付き、斜面へと駆け上がってゆく。二頭の鹿だけが斜面の途中で立ち止まり、こちらをじっと見つめる。しばらく無言で鹿と対峙する時間が続く。まもなく稜線から朝陽が昇り、小女郎ヶ池に光がさしこみ始めた。
池の上では一匹の鴨が泳いでいる。私の姿などは目に入らぬようで平然と泳いでいるのかと思いきや、私が池を周回するとやはり私から離れたところを選んで泳いでいるようだ。鏡のような水面に一筋の航跡を描いてゆく。
- 鴨一羽
前回、次男と訪れた時には雪の上で倒れていた案内板は杭に凭せ掛けられていた。池の畔では樹に白い花を多く咲いている。花と葉が同時に見られることからコブシのように思われる。
小女郎ヶ池を辞し、蓬莱山への縦走路に戻ると途端にあたりの空気が温かい。風が全くないせいもあって、小女郎ヶ池の周囲は冷気が淀んでいたのだろう。しかし、想像力に富む昔の人をして小女郎ヶ池の伝説を考案させたのも、温度差だけでは説明しきれないこの池の周りに漂う特異な空気のせいだろう。
小女郎峠から蓬莱山へと進むと稜線よりも下にある斜面の樹々の新緑が透過光で輝いている。どうやら東の空を昇ってゆく朝日だけでなく、琵琶湖の湖面からの強烈な反射光が新緑に透過光をもたらしているようだ。いよいよ蓬莱山の南斜面に差し掛かると、ここでも斜面では多くの鹿が笹の葉を喰んでいる。一頭が私の存在に気が付き、警戒音を発するとバタバタと西尾根を目指して鹿の群れが逃げ去っていった。
蓬莱山は勿論、この時間は無人であるが、訪れるたびに賑やかになっていくように思われる。二人乗りのブランコの椅子が設えられ、ドリンク・スタンドも新たに作られている。なにより驚いたのは北側の斜面に一面の黄水仙が植えられていたことだ。新たな名所を作ろうという試みだろう。周囲は厳重にネットで囲われており、斜面上部の扉には鍵がかけられているので、この時間は中には入れないようだ。
- ジャガ谷左岸尾根の石楠花
表比良の縦走路を堂満岳に向かうつもりで、まずは打見山に向かう。ドッグラン・カフェも出来ている。琵琶湖テラス・・・はじめて足を踏み入れたが、朝の誰もいない時間であるにも拘らず、妙な居心地の悪さを感じずにはいられない。どうも私のような者が足を踏み入れるところではないようだ。
比良岳を登るべくまずはゲレンデを下る。ゲレンデの下から木戸峠に向かう段になって、比良岳に登るのであれば南尾根を辿ることを思いつき、汁谷に下ることにする。しまった、打見山に寄り道することなく蓬莱山から汁谷に直接下ればよかったのだ。
ゲレンデの下部から汁谷にかけては右手の斜面に多くのシャクナゲが見られる。いずれも花盛りだ。沢沿いには多くのクリンソウの葉が見られるが、花にはまだまだ早いようだ。
右手の比良岳から流れてくる沢と合流すると薄い踏み跡を辿って沢沿いに進む。ホッケ山で日の出を迎えてからというもの新緑の樹林の中を始めて歩く。左手のなだらかな谷から比良岳の南尾根へと入る。尾根の下のあたりでは樹高の高い山毛欅の樹が目立ち、芽吹いて間もない若緑が美しい。
- 日の出
小さなピークを過ぎると忽然と林の中に開けた広場に飛び出す。振り返ると正面には黄色い水仙畑を擁した蓬莱山を大きく望む。
比良岳からは北に進むか西に進むか、山毛欅の林に誘われてまずは西峰への吊尾根を辿ることにする。ここでも尾根の北斜面には満開のシャクナゲがチラホラと散見する。西峰からは尾根は北西と南西方向に伸びている。北西尾根を辿ると夫婦滝へ下り、南西尾根を辿ると?との間に下ることになる。なだらかな尾根と山毛欅の新緑に惹かれて南西への尾根を選ぶのに躊躇はなかった。
この尾根も南尾根の林相とよく似ており、尾根を下るにつれ樹高の高い山毛欅の樹が目につく。尾根下部では隣の尾根との間をゆるやかに下る谷が見えたので、途中から谷に降りる。谷沿いには薄い踏み跡があるようだ。出合いのあたりではバイケイソウが葉を広げていた。
時計をみると丁度8時である。森山岳と長池に寄り道して葛川中村に降りれば京都バスに間に合うだろう。しかし果たしてどこから森山岳に取りついたものだろう。ジャガ谷を奥に入ると送電線巡視路が谷を渡っているようなので、ジャガ谷まで歩くが、谷の左岸尾根が登りやすそうに見えたので尾根に取り付く。尾根上は数多くのシャクナゲが満開である。しかし、ご存知の方も多いと思うがシャクナゲの藪は手強い。最初は登りやすそうにみえた尾根もシャクナゲの群落の中では極端に登るスピードが遅くなる。
- 蓬莱山北斜面より
しかし有り難いことにシャクナゲの群落はほどなく終わり、左手のジャガ谷から登ってくる薄い踏み跡が現われると、途端に歩きやすくなった。樹間から望む隣のジャガ谷右岸の尾根でもシャクナゲの群落が花盛りのようだ。尾根の上部では樹のない低木帯となり、辿ってきた比良岳が正面に大きく望むことが出来る。
尾根上の少ピークca990m峰を過ぎると送電線巡視路に出合う。送電線巡視路を北に辿り展望のよい鉄塔広場に辿り着くと、ここからは森山岳から北東に伸びるなだらかな尾根を山頂に向けて登る。改めてこのあたりの山毛欅林の魅力に浸りながら快適に森山岳の北西尾根を登る。
山頂近くの展望地に飛び出すと比良の山々の壮大な展望が広がる。ここは蓬莱山から武奈ヶ岳にかけての山々を一望のもとに見晴らすという点において比良の中でも随一の展望台ではないかと思う。折しもプーという音が聞こえ、蓬莱山のリフトが動き始めたようだ。時計を見ると丁度8時半であった。自分がいる場所の山深さと至近にある蓬莱山のスキー場の人工物とのギャップが妙な非現実感をもたらす。
- 森山岳北東尾根の展望地より
なだらかに尾根を辿って森山岳のピークを踏むと、今度は西峰を訪れる。西峰の北斜面から再度、武奈ヶ岳の眺望を堪能する。ここからは幾度となく歩いたところ。複雑な地形ではあるが、頭の中に地図を覚えつつあり、GPSを取り出さなくても歩くことが出来る。長池の手前で二つの池を訪ねる。まずはこの山域で最も南にある池を訪れる。池を取り巻く樹々の新緑が水面に映える。
- 南の池
次は少し北側に辿り、もう一つの池を巡る。いつもここから北東の方向に小さな池を過ぎると長池の南に出る。しかし、長池を取り巻く斜面の上か池を俯瞰して驚いた。池の南半分が干上がっているのだ。昨年も4月と6月にこの長池を訪れているが、いずれの時期にも水を湛えているのだった。今年の冬の降雪量が少なかったからだろうか。今年は降雪の少なさのために周辺の山々から琵琶湖に流れ込む冷たい水が少なく、そのために琵琶湖の湖底に酸素を含む水が循環しないという新聞の記事を思い出す。
時計を見ると9時10分。ここからは通り慣れた道であり、40分あればなんとか中村まで下ることが出来るかと思うがおそらくギリギリになるだろう。鉄塔尾根の左手の植林に入ると倒木の通過に時間を要するので、鉄塔尾根の斜面を一気に下る。最後の鉄塔まで下らずに、その手前から右手の谷に降りる。小さな滝を沢の右岸から下り、滝の下で渡渉を繰り返して植林の中を下る送電線巡視路に合流する。最後は伐採地をジグザグと下り、R367に出たのはとバスの通過予定時刻の3分前であった。
バス停の方向に歩くと、国道脇でバスを待っている男性がおられる。登山者のようであるが、こんな時間に下山するとはどのようなコースなのだろう。先方も同様に思われたようだ。男性は東京在住であるが、かつての同志社の山岳会の方らしい。昔、八丁平に同志社の山小屋があったらしいのだが、京都市が小屋の撤去を命じられてしまったとのこと。往時を偲んでかつての小屋の跡地を訪ねるつもりだったらしいが、午後の便で京都市内に戻られる予定で昨年まで土日のみ朝夕に二往復していた京都バスは残念ながら今年の4月以来、夕方の便の運転を取りやめている。私もつい最近、天ヶ森の山頂で遭った登山者にそのことを教えて頂いたところだ。致し方ないので江賀谷を少し歩いたところで引き返し、この午前の折返し便で京都まで戻られるとのこと。
一緒にバスに乗り込むと一葉の写真を見せて下さる。大切なアルバムから取り出してきたのではなかろうか、40年以上前のものにしては状態な綺麗な写真には冬の山小屋の前で微笑む若い美男美女が写っていた。還暦を迎えるあたり、自伝を記すためにもどうしてもこの場所を訪れたかったとのことであった。写真からはなぜか切なくも甘美な思い出が立ち昇るように思われた。私が車を停めた平にまでバスがあっという間についてしまったのが残念であった。