この上谷山に関して、やぶメンの方々にはいまさら説明は不要とは思うが、江越国境の最奥部に盟主たるべく大きな山容を誇る山でありながら、この山に至る登山ルートはなく、猛烈な藪漕ぎを覚悟するのでなければ、登山は積雪期に限られる。しかも、近江百山に数えられる山であるにも関わらず、滋賀県側からのアプローチは豪雪のために県道が冬期通行止めとなり、通常は福井県側からアプローチする他ない。この山は私の憧れの山の筆頭であったのだが、今回、期せずして滋賀県側からこの山に登れたのは、異常としか言いようがないような寡雪に加えて山中におけるとあるやぶメンとの偶然の出遭いの賜物であった。そもそも、出遭いそのものが、このやぶネットのお陰なのだが。
【 日 付 】2019年1月13日(日曜日)
【 山 域 】江越国境(湖北)
【メンバー】山猫、わしたかさん(上谷山まで)
【 天 候 】快晴
【 ルート 】針川9:37~石留山 11:13~13:25上谷山14:10~15:42尾根上の送電線鉄塔~15:48 滝ヶ谷~16:30鉄塔尾根の鉄塔~17:07林道出合~17:18渡渉地点17:31~針川17:47
この日、広範囲に好天の予報であり、こういう日こそ普段は曇天の下に江越国境の山を訪れる恰好の機会である。数日前から余呉トレイルの地図と首っ引きで山行計画を考える。この日の山行における大きな制約は、家内と次男が出かける予定があるので車を使うことが出来ないのである。横山岳の西尾根~東尾根の縦走、妙理山~大黒山の縦走も候補に考えられたが、最終的に木之本始発の余呉バスで中河内へ向かい下谷山から音波山を縦走し、最後は余呉国際スキー場からタクシーで帰還するという計画に落ち着いた。
残念ながら公共交通機関により京都駅からの東海道線の始発には間に合わないので、米原まで始発の新幹線でショートカットする。米原からすぐに敦賀行きの始発に乗り継ぐと、伊吹山の東の空が急速に明るくなり、間もなく朝陽が顔をだす。
中河内行きのバスに乗りこむと案の定、乗客は私一人である。バスとはいえ、その車両はMKのシャトルバスと同じ大型のバンである。車が木ノ本を出て早々、まず驚いたのは大黒山に向かうべく同じバスに乗った一週間前との車窓風景の変わりようである。前回はあたり一面の雪景色がいまやすっかり消失し、わずかに日陰に雪を散見する程度である。果たして季節が進みすぎたのか、あるいは巻き戻されたのか。
椿坂を越えて少しは雪の量が増えたものの、終着の中河内に着いても雪は少ないままである。運転手の話によるとこの一週間、雪は全く降っていないとのことだ。時間は8時過ぎ、早速にも菅並に向かう県道265号線に入り、車輪の轍の上を歩き始める。先週は到底、進入は困難と思われたこの県道の雪もかなり少なくなっており、雪の下のアスファルトが顔を出す箇所も散見する。
すぐにも県道を向こうから走ってくる車がある。轍の上を歩いているので、勿論のこと道端に避けなければならない。擦れ違う際、通りすがりに運転席の窓が開く。「お早うございます」と挨拶すると先方も同様に挨拶を返してくれる。
「どちらからいらしたんですか?」
「向こうの入り口、菅並からや」
「雪は大丈夫だったんですか?」
「雪があるのはここら辺だけや。あっちの方は楽勝、ルンルンやで」
この会話が後に重要な意味を帯びるとは全く予期しなかった。再び轍の上を歩きだすと、中河内で折り返してきたのだろう、先程の車が再び後ろから迫ってくる。下谷山の登山口のあたりまで運んで欲しいものだと思ったが、先日の大黒山のような有り難いご提案はなかった。
まもなく先週、取り付いた大黒山の北尾根のあたりに差し掛かるが、やはり雪がなくなっている。斜面には露出した地面が目立ち、先週とはまるで光景が異なる。北尾根の曲がると道路脇の駐車適地と一台の四駆が停められ、運転席では地図を見ている男性がおられる。遠目に見る限り、薄茶色の大きな地図は余呉トレイルの地図に見受けられる。
車に近づくと丁度、男性も車から降りてこられた。一見、私と世代が近いように思われる。「おはようとございます」と挨拶をすると、早速、笑顔で挨拶を返して下さる。爽やかな笑顔の人の良さそうな方に見受けられる。運動靴に普段着という出で立ちではあったが、直感が質問を発した。
「これから登山でしょうか」
「ええ、これから大黒山に登ろうと思って」
(大黒山に登るのにわざわざこの北尾根を選ぶとはマニアックな方もいるもんだ)
「実は丁度、一週間前に私もこの北尾根から大黒山に登ったばかりでして・・・」
云い終わらないうちに相手の笑顔がひときわ輝いたかと思うと、
「もしかして、山猫さんでしょうか?」
これには絶句である。二言目でいきなり個人を特定されるとは!目の前の人物は少なくとも超能力者や霊能者には見えない。なんとなくやぶメンには見えてきた。
「わたしはわしたかといいます。やぶこぎネットで先週の山猫さんの大黒山のレポをみて、北尾根いいな~と思ってここに来たところです。向こうから歩いてくる人が見えたので、絶対やぶメンと思いましたが、まさか山猫さんとは!」
先方も相当に驚いたご様子。鈴鹿の雨乞岳のような山は別として、普段の山行では滅多に人と出遭わないので、人と出遭うこと自体が驚きである。鈴鹿、台高などのメジャーな山以外で最後に人と出遭ったのを思い返すと庄部谷山・・・誰に出遭ったかというと皆さんが最もよくご存知のお方。どうやらこのようなドがつくほどのマイナーな山で人と出遭ったらまずはやぶメンの可能性を疑ってかかるべきなのだろう。
わしたかさんは昨日のスノー衆の後で北小松のあたりで車中泊して、今朝こちらに移動して来られたとのこと。登山前だというのに時間の経つのを忘れて話し込む。話に花が咲くなんてものではない。ガスコンロにライターを近づけたようなものである。わしたかさんはこの山域の山行経験が非常に豊富で驚くばかりだ。
袖触れ合うも他生の縁とはこのような出遭いのことを云うのだろう。折角なのでご一緒しましょうという有り難いご提案を頂く。当初、私のコース取りにお付き合いして下さることも考えられただが、先程の車の運転手の情報をお伝えする。
「それなら県道を奥に入って別の山に登るということも考えられますね」と提案すると
「そうですね。1人だとさすがにこの道を入ろうという気にはならないのですが、二人だと万が一、車がスタックしてもなんとかなるでしょう」
「そうなれば、喜んで車を押しますよ」
田戸から左千方という選択も候補にあがったが、針川からこの江越国境の盟主、上谷山のピストン往復は如何でしょうかと提案させて頂くと、「草川啓三さんからこの尾根上には素晴らしい山毛欅の樹があると聞いて、気になっていたのです」と同意を頂く。地図上には途中の尾根上のピーク1041峰までは黒い破線がついているが、その先は線も何もない。この時期、滋賀県側から上谷山に登るなどという機会、この県道の尋常ならざる寡雪に好天という条件があってのことだ。勿論、わしたかさんとご同行させて頂けるからというのが大前提だ。
二人して余呉トレイルの地図を広げてみると、お互いの表紙のカラーが違うことに気がつく。わしたかさんのそれは高島トレイルと同じ深緑色なのだが、私のものは水色だ。地図をよく見比べるとほとんど同じであるのだが、一箇所だけ、滝の谷から送電線の鉄塔尾根を下るルートがわしたかさんの地図では赤い実線で記されていたのが、私の版では赤線が消えて、上谷山への尾根と同じ、黒の破線に格下げされていることに気がつく。
山行先が決まったところで、わしたかさんが準備を整えられるのを待っていざ出発である。県道を奥へと進むと、確かに情報のとおり、さらに雪の量が減る。車の轍の上には大きめの石が転がっているので、早速にも私が降りて石を除去する。先程の車が通過してから落ちてきたものだろうか。
登山口のある針川に辿り着いたのは9時半前。下谷川に沿った林道の入り口に車を停めるが、どうやら近い過去に車を停めた形跡がある。そこから林道の奥には、往還する一対の踏み跡があった。
鹿の足跡を追って尾根に取り付く。最初は地面が露出している箇所も少なくないが、登るにつれて雪がつながるようになり、スノーシューを装着。尾根上には意外と倒木が多い。余程の深雪でない限りラッセルが苦になることは少ないので、先頭を行かせて頂く。最後の雪から時間が経っているためだろう。湿ってはいるが締まった雪にスノーシューの沈み込みは少ない。
尾根が緩やかになると、山毛欅の美林がはじまる。尾根を振り返ると、山毛欅の樹間から大黒山が大きく見える。稜線を視線で辿ると左手の妙理山へと連なってゆく。
ふと後ろをみるとわしたかさんは高級そうな双眼鏡を取り出して、こちらの方をみている。勿論、私を見ている訳ではない。
「今、鳥が飛んだので・・・」(私は全く気が付かなかったが)
「あの鳴き声はゴジュウガラだ」そういえば一瞬、鳥の声が聞こえた。
「シジュウカラでなく、ゴジュウガラっているんですね」
「街中にはいませんが、こういう山の中にくると時折みかける鳥です」
さすがは野鳥観察会の支部リーダーを務めておられるわしたかさんである。
やがて平らで広い台地に出ると山毛欅の林は一層、壮麗さを増す。樹高の高い山毛欅の中にはひときわ大きく枝を広げる巨樹が散見する。広い尾根は倒木も少なく、二人で並んで歓談しながらスノーシューを進めるのに不自由しない。山毛欅の林は延々と続くように思われるが、尾根は徐々に狭くなり、細尾根となる。いつしか石留山を過ぎたことをわしたかさんが教えてくれる。
- 1041m峰ピークの冠雪した大岩より上谷山を望む
標高点848mを越えたあたりで休憩していると、わしたかさん曰く、昨日のスノー衆は二ヶ月ぶりの山行であり、急登になるとスピードが出ないとのこと。自分のペースで行くと、上谷山までの到達を諦めざるを得ない可能性があるので、どうぞ先に行って下さいと、親切なご提案を頂く。もしも登ってこられない場合には自分のトレースを辿って降りてくるので、確実に再び出遭えるだろう。申し訳ないが、お言葉に甘えて一人で先行させて頂く。
1041m峰にかけて山毛欅林の斜面を登る。いつしか雪は柔らかく、スノーシューの沈み込みも深くなる。西隣の大黒山のあたりとは標高はわずかしか違わないが、そのわずかな違いは雪質に如実に顕れるのだろう。
広くなだらかな台地状の山頂部にさしかかると山毛欅林は終わり、正面には上谷山がその大きな姿を顕す。しかし、まもなくあたりは一面、ヒメシャラの藪となる。ところどころにテープがつけられてはいるが、夏道の形跡はない。ヒメシャラの藪の中に入るとこれから進むべき尾根の方向すらおぼつかない。私が間違った方向に進むと後か来られるわしたかさんもこのトレースを辿ってこられる可能性が高いので、ここは責任重大だ。
藪の中にはところどころに野兎の足跡がついているが、野兎の足跡はヒメシャラの藪の中の歩きやすいところを選んで通っていることが多い。足跡の方向を見定めながら藪をうまく切り抜けられそうな場所を探してゆく。1041m峰のピークの東端では雪が大きく盛り上がっている場所がある。どうやら大きな岩の上らしい。雪の上に登ってみるとヒメシャラの藪の上から上谷山に至る尾根が目に入る。
- 山毛欅の林をゆくわしたかさん
ヒメシャラの藪の斜面を抜けるとようやく広い雪原の鞍部に出る。正面に上谷山への長い雪原の稜線が目に飛び込んでくる。
- 上谷山への稜線
雪の下は笹薮なのであろう。笹薮をすっかり覆い尽くした雪原にはシュカブラが刻み込まれている。南側には安蔵山から谷山を経て左千方に至る長い稜線、その向こうには大きな山容を広げる横山岳、右手に視線を移すと銀盤のような琵琶湖が眩しい光を放っているのだった。
- 上谷山への登りから稜線上のわしたかさんを
上谷山の斜面から振り返ると、わしたかさんが1041m峰のピークを越えて、ヒメシャラの斜面を下ってこられるのが目に入る。わしたかさんからもこちらが目に入ったようだ。ここまで20分ほどだろうか。このあたりからは急に電波が入るようになる。教えていただいた携帯の番号に「ヒメシャラの藪を越えるとパラダイスが待っています」と送信する。届くとよいのだが。
- 鞍部から光り輝く琵琶湖と横山岳のシルエット
上谷山の山頂にかけて尾根は左手に大きく方向を変える。再び尾根上にはヒメシャラの樹が出現するも、先程の1041m峰の山頂部のような密生とはならず、樹を避けながら歩くのにさほど難儀はしない。好展望の中を緩やかに登り、山頂に達する。山頂からは360度のパノラマであるが、三周ヶ岳、美濃俣丸といった三国岳以遠の越美国境に連なる山々を初めて目にする感動を味わう。
- 上谷山から越美国境の山々
山頂でのんびりと待つうちにわしたかさんが到着された。まだ14時である。
「この時間なら鉄塔尾根を周回出来るかもしれませんね」と云うと、
「やぶこぎの流儀で長いランチ休憩を愉しむつもりですので、山猫さんはどうぞ鉄塔尾根行かれて結構ですよ。車のところで待っていますから。」
わしたかさんも自分のペースで愉しまれる方のようなので、私のペースを気にせず下山される方が気楽かもしれない。滝が谷を周回しても登山口の針川には遅くとも3時間半、暗くなる前には帰り着けるだろうと踏んで、再びご厚意に甘えさせて頂くことに。
上谷山を後に斜面を下り初めると間もなく、先程の1041m峰のようなヒメシャラの藪が始まった。しかし先程のような短い距離ではない。延々と藪は続く。しかも緩やかではあるが、アップダウンを繰り返しながら。登りはよいのだが、下りに差し掛かると広くなだらかな尾根は次の鞍部へと進むべき方向がしばしわかり難い。ヒメシャラの樹が傾いている方向も頼りにしながら、進路を探る。幸いにも好天に恵まれているからよいものの、雲の中であればルート・ファインディングに苦慮することだろう。
- 上谷山から江越国境稜線を望む
左手には下山予定の鉄塔尾根
広い台地状のピーク1082m峰は尾根芯はヒメシャラの群生がきついと踏んで、南側の斜面をトラバースすることになる。ピークを過ぎたあたりで尾根に戻ると、その先は山毛欅の樹林が目に入る。山毛欅林に入れば少しはこのヒメシャラの藪はマシになるかと期待したが、その期待はすぐに裏切られることになる。山毛欅の林の中でもヒメシャラは容赦なく追ってくる上に、山毛欅の林も長くは続かない。やがて右手の斜面から杉の植林地が這い上がり、尾根芯を避けて北斜面の植林地との境界を歩くことが出来るようになるとしばし藪漕ぎからは開放される。丁度、余呉トレイルの尾根の北側に植林地と書き込まれたあたりだ。しかし、今度はラッセルの深さがゲイターの上を越えるようになると歩きやすいとは到底云い難い。
植林地も長く続くわけではない。植林地の境界を辿るうち主尾根を外れて、北向きの支尾根に入りかけるところであった。再びヒメシャラの藪の生える主尾根を追いかける。急速に傾きつつある西陽がヒメシャラの雪に垂れ下がる多数の氷柱に光があたり、クリスタルのペンダントのようにプリズムを放つ。呑気に氷柱に感心している場合ではない。ようやく尾根上の送電線鉄塔が見えてくるとあともう少しと自分を励ます。
結局、尾根上の最初の鉄塔広場に辿り着いたのは山頂を出発してから1時間半ほどを要したのだが、自分としては想定の範囲内の時間で来れたのは上出来だったのではないかと思う。この送電線鉄塔からは期待したものに巡り合うことが出来た。雪に埋もれた送電線巡視路である。余呉トレイルの地図においても、ここから鉄塔尾根の分岐に至るまで、尾根上にここだけ赤の実線が引かれているが、送電線巡視路で道が切り開かれているためと読んでいた。
いままでの迷路のような藪こぎルートが嘘のような快適な道となり、高速道路のように思われる。この日の好天の暖かさのせいだろう、陽当りの良い斜面になると緩んだ雪のせいで多少の踏み抜きはあるものの、直線的に進むことが出来る道の快適さに比べたら、多少の踏み抜きは最早、苦にならない。
主尾根から分岐する鉄塔尾根に入ると、尾根上は切り開かれており、ここも期待に違わぬ好展望の尾根である。尾根に落ちる樹々の青いシルエットと樹間から洩れる西陽の黄金色が雪の上で縞模様を織りなす。その波打つ綾の上を快速に進んで行くのは勿体無いくらいだ。
- 鉄塔尾根に西陽がおとす黄金色の光と蒼いシルエット
尾根上の南端の鉄塔にたどり着くと、ここからは送電線に沿って右手の急斜面を下ることになる。正面の林の中にピンクのテープが見えたので、つられて尾根を行き過ぎるが斜面をトラバースして次の鉄塔に向かうと、鉄塔の左から尾根を下ってゆく巡視路を見出すことが出来た。ほぼ平行に走る二本の尾根のうち左側の尾根の上を巡視路は下っていくようだ。
雪に埋もれた巡視路を辿らなければ、下降は簡単ではないだろう。頻繁についているテープにも助けられて尾根を下ってゆくが、突然、テープが見当たらなくなった。右手の尾根にむかってトラバースしてゆくのは果たして本来の巡視路か単なる鹿道か?・・・直感的にますます斜度を増してゆくこの尾根を下ってはいけないという気がして、尾根を乗り換えることにした。隣の尾根に移ると尾根上は雪に埋もれた道が続いているように思われる。やがて尾根の下に下谷川が見えてくると、再び左手の斜面へとトラバースする道を見出し、小さな沢を渡って斜面を辿るとついに林道に降り立った。ほっと一安心。時刻は17時を少し周ったところだ。これでわしたかさんの車のところまでは明るいうちに帰り着けるだろう・・・と思ったのは大間違い。しかし、まさかその先に悪夢のような難関が待ち受けているとはどうして予想が出来ただろうか。
林道を歩くと忽然と林道が崩落しており、下には下谷川が流れている。渡渉出来そうなところは全く見当たらない。それでも左の足をわずかに水に浸した程度でなんとか渡り終える。問題はそこから先であった。林道そのものが流されており、間伐材などが散乱しており、わずかな距離でも途端に進みにくくなる。そして再び渡渉であるが、対岸の林道跡までの間に大きな杉の倒木が川の上を塞いでいる。再び苦労して少し上流に戻り、両足を水に浸すのを覚悟して渡渉する。しかし、勢いの早い川とヌルヌルと滑りやすい川底に足を掬われ、前のめりに上体までを水に浸すことになった。濡れたのは私だけではない。なんと私の一眼レフとズボンのポケットに入れていたコンデジ、二台のカメラを同時に水没させる羽目になった。このオリンパスの一眼レフは昨年の6月に京都は北山の足尾谷で水没させて、修理不能となり、二台目なのである。いずれも保証期間内であるが、残念ながら水没による故障は保証もきかない。
これで終わりかと思いきや、まだまだである。今度は上谷山から流れてくる沢の上で、やはり林道の橋は崩落。三度目の渡渉。そして、二つの川が合流した直後、針川を渡り返す。流石に水量が多く、腰まで水に浸かることになるが、もう既に濡れた身体である。どうやらこの橋の崩落地点、わずかに100m程の距離を進むのに20分近くを要したようである。
この鉄塔尾根と送電線巡視路を辿るルートが余呉トレイルの地図上で赤の実線から黒の破線へと格下げになった理由が、ここまで全く理解出来ながったのだが、ここに来て身をもって理解するのであった。そういえば、ヤマレコ上で余呉トレイルの関係者が「上谷山~下谷山を整備するのは林道が再開するのを待って・・・」との書きこまれた記事を読んだことがあったのだが、この林道の橋の崩落地点が再び通れるようになるのを待って、という意味だったのだろう。
そろそろヘッデンをつける頃合いなのかもしれないが、林道を正面から上弦の月が照らし始めた。すっかり塞いだ気分になって林道を辿る。林道上には往還する一組の足跡がある。先程、車を停めた場所から続いてきたものだろう。あの林道の崩落地点を目にして引き返されたのではないだろうか。やがて、林道の向こうでヘッデンの明かりが車の影から出て来たかと思うと、車の後ろでパンパンとスノーシューを重ねあわせて、雪を払っているわしたかさんの姿が目に入る。
山頂でゆっくりされた後、山毛欅の巨樹を堪能しながらゆっくりと下山されたところとのこと。どうやら長時間、お待たせすることにならずに済んでよかった。
「どうでした?」とご興味を示して頂く。あの素晴らしいswalowsky製の双眼鏡で上谷山からの尾根から私が鉄塔尾根を下ってゆくのが見えていたとのことであった。
「山猫さんのトレースを辿って、来週にでももういちど行ってみようかな」と仰るので、
「残念ながら、到底それはお薦めできません」
まず、私がびしょ濡れになった状況と顛末をご説明する。
早速、わしたかさんの車に乗り込むと車内の暖房が車とカメラを乾かしてくれる。もしも徒歩で、長い道のりを中河内まで戻るような計画を立てていたらと思うと、考えるだけでもそら恐ろしい。県道を車で戻ると午前中よりも明らかに雪の量が減っている。轍の上にはところどころに新たな石が出現しており、どうやら落石も頻繁に生じる道のようだ。
わしたかさんに木ノ本駅まで送って頂き、次の新快速に乗り込むが、残念ながら車内は暖かいと云い難い。米原ではすぐに新幹線に乗り継ぐことがわかったので、京都まで新幹線に乗る。車内のトイレで靴下を絞ると大量の水が滴り落ちるのだった。たまたま若い女性の客室乗務員が通りがかり、どうぞと大量のペーパータオルを下さる。京都までの短時間でもびしょ濡れの靴の水を吸わせると、ようやく足元の不快感は和らぐのだった。
どうやらこの無謀な山行の代償は非常に高くつくことになった。しかし思いがけぬ人との貴重な出合い、そしてそう簡単には実現しないであろう上谷山への山行の何にも替えがたい思い出であった。下谷川林道が再び整備されること切に願うが、崩落した複数の橋がすべて復旧するのは果たしていつになることだろうか。
この上谷山に関して、やぶメンの方々にはいまさら説明は不要とは思うが、江越国境の最奥部に盟主たるべく大きな山容を誇る山でありながら、この山に至る登山ルートはなく、猛烈な藪漕ぎを覚悟するのでなければ、登山は積雪期に限られる。しかも、近江百山に数えられる山であるにも関わらず、滋賀県側からのアプローチは豪雪のために県道が冬期通行止めとなり、通常は福井県側からアプローチする他ない。この山は私の憧れの山の筆頭であったのだが、今回、期せずして滋賀県側からこの山に登れたのは、異常としか言いようがないような寡雪に加えて山中におけるとあるやぶメンとの偶然の出遭いの賜物であった。そもそも、出遭いそのものが、このやぶネットのお陰なのだが。
【 日 付 】2019年1月13日(日曜日)
【 山 域 】江越国境(湖北)
【メンバー】山猫、わしたかさん(上谷山まで)
【 天 候 】快晴
【 ルート 】針川9:37~石留山 11:13~13:25上谷山14:10~15:42尾根上の送電線鉄塔~15:48 滝ヶ谷~16:30鉄塔尾根の鉄塔~17:07林道出合~17:18渡渉地点17:31~針川17:47
この日、広範囲に好天の予報であり、こういう日こそ普段は曇天の下に江越国境の山を訪れる恰好の機会である。数日前から余呉トレイルの地図と首っ引きで山行計画を考える。この日の山行における大きな制約は、家内と次男が出かける予定があるので車を使うことが出来ないのである。横山岳の西尾根~東尾根の縦走、妙理山~大黒山の縦走も候補に考えられたが、最終的に木之本始発の余呉バスで中河内へ向かい下谷山から音波山を縦走し、最後は余呉国際スキー場からタクシーで帰還するという計画に落ち着いた。
残念ながら公共交通機関により京都駅からの東海道線の始発には間に合わないので、米原まで始発の新幹線でショートカットする。米原からすぐに敦賀行きの始発に乗り継ぐと、伊吹山の東の空が急速に明るくなり、間もなく朝陽が顔をだす。
中河内行きのバスに乗りこむと案の定、乗客は私一人である。バスとはいえ、その車両はMKのシャトルバスと同じ大型のバンである。車が木ノ本を出て早々、まず驚いたのは大黒山に向かうべく同じバスに乗った一週間前との車窓風景の変わりようである。前回はあたり一面の雪景色がいまやすっかり消失し、わずかに日陰に雪を散見する程度である。果たして季節が進みすぎたのか、あるいは巻き戻されたのか。
椿坂を越えて少しは雪の量が増えたものの、終着の中河内に着いても雪は少ないままである。運転手の話によるとこの一週間、雪は全く降っていないとのことだ。時間は8時過ぎ、早速にも菅並に向かう県道265号線に入り、車輪の轍の上を歩き始める。先週は到底、進入は困難と思われたこの県道の雪もかなり少なくなっており、雪の下のアスファルトが顔を出す箇所も散見する。
すぐにも県道を向こうから走ってくる車がある。轍の上を歩いているので、勿論のこと道端に避けなければならない。擦れ違う際、通りすがりに運転席の窓が開く。「お早うございます」と挨拶すると先方も同様に挨拶を返してくれる。
「どちらからいらしたんですか?」
「向こうの入り口、菅並からや」
「雪は大丈夫だったんですか?」
「雪があるのはここら辺だけや。あっちの方は楽勝、ルンルンやで」
この会話が後に重要な意味を帯びるとは全く予期しなかった。再び轍の上を歩きだすと、中河内で折り返してきたのだろう、先程の車が再び後ろから迫ってくる。下谷山の登山口のあたりまで運んで欲しいものだと思ったが、先日の大黒山のような有り難いご提案はなかった。
まもなく先週、取り付いた大黒山の北尾根のあたりに差し掛かるが、やはり雪がなくなっている。斜面には露出した地面が目立ち、先週とはまるで光景が異なる。北尾根の曲がると道路脇の駐車適地と一台の四駆が停められ、運転席では地図を見ている男性がおられる。遠目に見る限り、薄茶色の大きな地図は余呉トレイルの地図に見受けられる。
車に近づくと丁度、男性も車から降りてこられた。一見、私と世代が近いように思われる。「おはようとございます」と挨拶をすると、早速、笑顔で挨拶を返して下さる。爽やかな笑顔の人の良さそうな方に見受けられる。運動靴に普段着という出で立ちではあったが、直感が質問を発した。
「これから登山でしょうか」
「ええ、これから大黒山に登ろうと思って」
(大黒山に登るのにわざわざこの北尾根を選ぶとはマニアックな方もいるもんだ)
「実は丁度、一週間前に私もこの北尾根から大黒山に登ったばかりでして・・・」
云い終わらないうちに相手の笑顔がひときわ輝いたかと思うと、
「もしかして、山猫さんでしょうか?」
これには絶句である。二言目でいきなり個人を特定されるとは!目の前の人物は少なくとも超能力者や霊能者には見えない。なんとなくやぶメンには見えてきた。
「わたしはわしたかといいます。やぶこぎネットで先週の山猫さんの大黒山のレポをみて、北尾根いいな~と思ってここに来たところです。向こうから歩いてくる人が見えたので、絶対やぶメンと思いましたが、まさか山猫さんとは!」
先方も相当に驚いたご様子。鈴鹿の雨乞岳のような山は別として、普段の山行では滅多に人と出遭わないので、人と出遭うこと自体が驚きである。鈴鹿、台高などのメジャーな山以外で最後に人と出遭ったのを思い返すと庄部谷山・・・誰に出遭ったかというと皆さんが最もよくご存知のお方。どうやらこのようなドがつくほどのマイナーな山で人と出遭ったらまずはやぶメンの可能性を疑ってかかるべきなのだろう。
わしたかさんは昨日のスノー衆の後で北小松のあたりで車中泊して、今朝こちらに移動して来られたとのこと。登山前だというのに時間の経つのを忘れて話し込む。話に花が咲くなんてものではない。ガスコンロにライターを近づけたようなものである。わしたかさんはこの山域の山行経験が非常に豊富で驚くばかりだ。
袖触れ合うも他生の縁とはこのような出遭いのことを云うのだろう。折角なのでご一緒しましょうという有り難いご提案を頂く。当初、私のコース取りにお付き合いして下さることも考えられただが、先程の車の運転手の情報をお伝えする。
「それなら県道を奥に入って別の山に登るということも考えられますね」と提案すると
「そうですね。1人だとさすがにこの道を入ろうという気にはならないのですが、二人だと万が一、車がスタックしてもなんとかなるでしょう」
「そうなれば、喜んで車を押しますよ」
田戸から左千方という選択も候補にあがったが、針川からこの江越国境の盟主、上谷山のピストン往復は如何でしょうかと提案させて頂くと、「草川啓三さんからこの尾根上には素晴らしい山毛欅の樹があると聞いて、気になっていたのです」と同意を頂く。地図上には途中の尾根上のピーク1041峰までは黒い破線がついているが、その先は線も何もない。この時期、滋賀県側から上谷山に登るなどという機会、この県道の尋常ならざる寡雪に好天という条件があってのことだ。勿論、わしたかさんとご同行させて頂けるからというのが大前提だ。
二人して余呉トレイルの地図を広げてみると、お互いの表紙のカラーが違うことに気がつく。わしたかさんのそれは高島トレイルと同じ深緑色なのだが、私のものは水色だ。地図をよく見比べるとほとんど同じであるのだが、一箇所だけ、滝の谷から送電線の鉄塔尾根を下るルートがわしたかさんの地図では赤い実線で記されていたのが、私の版では赤線が消えて、上谷山への尾根と同じ、黒の破線に格下げされていることに気がつく。
山行先が決まったところで、わしたかさんが準備を整えられるのを待っていざ出発である。県道を奥へと進むと、確かに情報のとおり、さらに雪の量が減る。車の轍の上には大きめの石が転がっているので、早速にも私が降りて石を除去する。先程の車が通過してから落ちてきたものだろうか。
登山口のある針川に辿り着いたのは9時半前。下谷川に沿った林道の入り口に車を停めるが、どうやら近い過去に車を停めた形跡がある。そこから林道の奥には、往還する一対の踏み跡があった。
鹿の足跡を追って尾根に取り付く。最初は地面が露出している箇所も少なくないが、登るにつれて雪がつながるようになり、スノーシューを装着。尾根上には意外と倒木が多い。余程の深雪でない限りラッセルが苦になることは少ないので、先頭を行かせて頂く。最後の雪から時間が経っているためだろう。湿ってはいるが締まった雪にスノーシューの沈み込みは少ない。
尾根が緩やかになると、山毛欅の美林がはじまる。尾根を振り返ると、山毛欅の樹間から大黒山が大きく見える。稜線を視線で辿ると左手の妙理山へと連なってゆく。
ふと後ろをみるとわしたかさんは高級そうな双眼鏡を取り出して、こちらの方をみている。勿論、私を見ている訳ではない。
「今、鳥が飛んだので・・・」(私は全く気が付かなかったが)
「あの鳴き声はゴジュウガラだ」そういえば一瞬、鳥の声が聞こえた。
「シジュウカラでなく、ゴジュウガラっているんですね」
「街中にはいませんが、こういう山の中にくると時折みかける鳥です」
さすがは野鳥観察会の支部リーダーを務めておられるわしたかさんである。
やがて平らで広い台地に出ると山毛欅の林は一層、壮麗さを増す。樹高の高い山毛欅の中にはひときわ大きく枝を広げる巨樹が散見する。広い尾根は倒木も少なく、二人で並んで歓談しながらスノーシューを進めるのに不自由しない。山毛欅の林は延々と続くように思われるが、尾根は徐々に狭くなり、細尾根となる。いつしか石留山を過ぎたことをわしたかさんが教えてくれる。
[attachment=7]P1138633ss.jpg[/attachment]
標高点848mを越えたあたりで休憩していると、わしたかさん曰く、昨日のスノー衆は二ヶ月ぶりの山行であり、急登になるとスピードが出ないとのこと。自分のペースで行くと、上谷山までの到達を諦めざるを得ない可能性があるので、どうぞ先に行って下さいと、親切なご提案を頂く。もしも登ってこられない場合には自分のトレースを辿って降りてくるので、確実に再び出遭えるだろう。申し訳ないが、お言葉に甘えて一人で先行させて頂く。
1041m峰にかけて山毛欅林の斜面を登る。いつしか雪は柔らかく、スノーシューの沈み込みも深くなる。西隣の大黒山のあたりとは標高はわずかしか違わないが、そのわずかな違いは雪質に如実に顕れるのだろう。
広くなだらかな台地状の山頂部にさしかかると山毛欅林は終わり、正面には上谷山がその大きな姿を顕す。しかし、まもなくあたりは一面、ヒメシャラの藪となる。ところどころにテープがつけられてはいるが、夏道の形跡はない。ヒメシャラの藪の中に入るとこれから進むべき尾根の方向すらおぼつかない。私が間違った方向に進むと後か来られるわしたかさんもこのトレースを辿ってこられる可能性が高いので、ここは責任重大だ。
藪の中にはところどころに野兎の足跡がついているが、野兎の足跡はヒメシャラの藪の中の歩きやすいところを選んで通っていることが多い。足跡の方向を見定めながら藪をうまく切り抜けられそうな場所を探してゆく。1041m峰のピークの東端では雪が大きく盛り上がっている場所がある。どうやら大きな岩の上らしい。雪の上に登ってみるとヒメシャラの藪の上から上谷山に至る尾根が目に入る。
[attachment=6]P1138653ss.jpg[/attachment]
ヒメシャラの藪の斜面を抜けるとようやく広い雪原の鞍部に出る。正面に上谷山への長い雪原の稜線が目に飛び込んでくる。
[attachment=5]P1138664ss.jpg[/attachment]
雪の下は笹薮なのであろう。笹薮をすっかり覆い尽くした雪原にはシュカブラが刻み込まれている。南側には安蔵山から谷山を経て左千方に至る長い稜線、その向こうには大きな山容を広げる横山岳、右手に視線を移すと銀盤のような琵琶湖が眩しい光を放っているのだった。
[attachment=4]P1138665ss.jpg[/attachment]
上谷山の斜面から振り返ると、わしたかさんが1041m峰のピークを越えて、ヒメシャラの斜面を下ってこられるのが目に入る。わしたかさんからもこちらが目に入ったようだ。ここまで20分ほどだろうか。このあたりからは急に電波が入るようになる。教えていただいた携帯の番号に「ヒメシャラの藪を越えるとパラダイスが待っています」と送信する。届くとよいのだが。
[attachment=3]P1138678ss.jpg[/attachment]
上谷山の山頂にかけて尾根は左手に大きく方向を変える。再び尾根上にはヒメシャラの樹が出現するも、先程の1041m峰の山頂部のような密生とはならず、樹を避けながら歩くのにさほど難儀はしない。好展望の中を緩やかに登り、山頂に達する。山頂からは360度のパノラマであるが、三周ヶ岳、美濃俣丸といった三国岳以遠の越美国境に連なる山々を初めて目にする感動を味わう。
[attachment=2]P1138687ss.jpg[/attachment]
山頂でのんびりと待つうちにわしたかさんが到着された。まだ14時である。
「この時間なら鉄塔尾根を周回出来るかもしれませんね」と云うと、
「やぶこぎの流儀で長いランチ休憩を愉しむつもりですので、山猫さんはどうぞ鉄塔尾根行かれて結構ですよ。車のところで待っていますから。」
わしたかさんも自分のペースで愉しまれる方のようなので、私のペースを気にせず下山される方が気楽かもしれない。滝が谷を周回しても登山口の針川には遅くとも3時間半、暗くなる前には帰り着けるだろうと踏んで、再びご厚意に甘えさせて頂くことに。
上谷山を後に斜面を下り初めると間もなく、先程の1041m峰のようなヒメシャラの藪が始まった。しかし先程のような短い距離ではない。延々と藪は続く。しかも緩やかではあるが、アップダウンを繰り返しながら。登りはよいのだが、下りに差し掛かると広くなだらかな尾根は次の鞍部へと進むべき方向がしばしわかり難い。ヒメシャラの樹が傾いている方向も頼りにしながら、進路を探る。幸いにも好天に恵まれているからよいものの、雲の中であればルート・ファインディングに苦慮することだろう。
[attachment=1]P1138700ss.jpg[/attachment]
広い台地状のピーク1082m峰は尾根芯はヒメシャラの群生がきついと踏んで、南側の斜面をトラバースすることになる。ピークを過ぎたあたりで尾根に戻ると、その先は山毛欅の樹林が目に入る。山毛欅林に入れば少しはこのヒメシャラの藪はマシになるかと期待したが、その期待はすぐに裏切られることになる。山毛欅の林の中でもヒメシャラは容赦なく追ってくる上に、山毛欅の林も長くは続かない。やがて右手の斜面から杉の植林地が這い上がり、尾根芯を避けて北斜面の植林地との境界を歩くことが出来るようになるとしばし藪漕ぎからは開放される。丁度、余呉トレイルの尾根の北側に植林地と書き込まれたあたりだ。しかし、今度はラッセルの深さがゲイターの上を越えるようになると歩きやすいとは到底云い難い。
植林地も長く続くわけではない。植林地の境界を辿るうち主尾根を外れて、北向きの支尾根に入りかけるところであった。再びヒメシャラの藪の生える主尾根を追いかける。急速に傾きつつある西陽がヒメシャラの雪に垂れ下がる多数の氷柱に光があたり、クリスタルのペンダントのようにプリズムを放つ。呑気に氷柱に感心している場合ではない。ようやく尾根上の送電線鉄塔が見えてくるとあともう少しと自分を励ます。
結局、尾根上の最初の鉄塔広場に辿り着いたのは山頂を出発してから1時間半ほどを要したのだが、自分としては想定の範囲内の時間で来れたのは上出来だったのではないかと思う。この送電線鉄塔からは期待したものに巡り合うことが出来た。雪に埋もれた送電線巡視路である。余呉トレイルの地図においても、ここから鉄塔尾根の分岐に至るまで、尾根上にここだけ赤の実線が引かれているが、送電線巡視路で道が切り開かれているためと読んでいた。
いままでの迷路のような藪こぎルートが嘘のような快適な道となり、高速道路のように思われる。この日の好天の暖かさのせいだろう、陽当りの良い斜面になると緩んだ雪のせいで多少の踏み抜きはあるものの、直線的に進むことが出来る道の快適さに比べたら、多少の踏み抜きは最早、苦にならない。
主尾根から分岐する鉄塔尾根に入ると、尾根上は切り開かれており、ここも期待に違わぬ好展望の尾根である。尾根に落ちる樹々の青いシルエットと樹間から洩れる西陽の黄金色が雪の上で縞模様を織りなす。その波打つ綾の上を快速に進んで行くのは勿体無いくらいだ。
[attachment=0]P1138722ss.jpg[/attachment]
尾根上の南端の鉄塔にたどり着くと、ここからは送電線に沿って右手の急斜面を下ることになる。正面の林の中にピンクのテープが見えたので、つられて尾根を行き過ぎるが斜面をトラバースして次の鉄塔に向かうと、鉄塔の左から尾根を下ってゆく巡視路を見出すことが出来た。ほぼ平行に走る二本の尾根のうち左側の尾根の上を巡視路は下っていくようだ。
雪に埋もれた巡視路を辿らなければ、下降は簡単ではないだろう。頻繁についているテープにも助けられて尾根を下ってゆくが、突然、テープが見当たらなくなった。右手の尾根にむかってトラバースしてゆくのは果たして本来の巡視路か単なる鹿道か?・・・直感的にますます斜度を増してゆくこの尾根を下ってはいけないという気がして、尾根を乗り換えることにした。隣の尾根に移ると尾根上は雪に埋もれた道が続いているように思われる。やがて尾根の下に下谷川が見えてくると、再び左手の斜面へとトラバースする道を見出し、小さな沢を渡って斜面を辿るとついに林道に降り立った。ほっと一安心。時刻は17時を少し周ったところだ。これでわしたかさんの車のところまでは明るいうちに帰り着けるだろう・・・と思ったのは大間違い。しかし、まさかその先に悪夢のような難関が待ち受けているとはどうして予想が出来ただろうか。
林道を歩くと忽然と林道が崩落しており、下には下谷川が流れている。渡渉出来そうなところは全く見当たらない。それでも左の足をわずかに水に浸した程度でなんとか渡り終える。問題はそこから先であった。林道そのものが流されており、間伐材などが散乱しており、わずかな距離でも途端に進みにくくなる。そして再び渡渉であるが、対岸の林道跡までの間に大きな杉の倒木が川の上を塞いでいる。再び苦労して少し上流に戻り、両足を水に浸すのを覚悟して渡渉する。しかし、勢いの早い川とヌルヌルと滑りやすい川底に足を掬われ、前のめりに上体までを水に浸すことになった。濡れたのは私だけではない。なんと私の一眼レフとズボンのポケットに入れていたコンデジ、二台のカメラを同時に水没させる羽目になった。このオリンパスの一眼レフは昨年の6月に京都は北山の足尾谷で水没させて、修理不能となり、二台目なのである。いずれも保証期間内であるが、残念ながら水没による故障は保証もきかない。
これで終わりかと思いきや、まだまだである。今度は上谷山から流れてくる沢の上で、やはり林道の橋は崩落。三度目の渡渉。そして、二つの川が合流した直後、針川を渡り返す。流石に水量が多く、腰まで水に浸かることになるが、もう既に濡れた身体である。どうやらこの橋の崩落地点、わずかに100m程の距離を進むのに20分近くを要したようである。
この鉄塔尾根と送電線巡視路を辿るルートが余呉トレイルの地図上で赤の実線から黒の破線へと格下げになった理由が、ここまで全く理解出来ながったのだが、ここに来て身をもって理解するのであった。そういえば、ヤマレコ上で余呉トレイルの関係者が「上谷山~下谷山を整備するのは林道が再開するのを待って・・・」との書きこまれた記事を読んだことがあったのだが、この林道の橋の崩落地点が再び通れるようになるのを待って、という意味だったのだろう。
そろそろヘッデンをつける頃合いなのかもしれないが、林道を正面から上弦の月が照らし始めた。すっかり塞いだ気分になって林道を辿る。林道上には往還する一組の足跡がある。先程、車を停めた場所から続いてきたものだろう。あの林道の崩落地点を目にして引き返されたのではないだろうか。やがて、林道の向こうでヘッデンの明かりが車の影から出て来たかと思うと、車の後ろでパンパンとスノーシューを重ねあわせて、雪を払っているわしたかさんの姿が目に入る。
山頂でゆっくりされた後、山毛欅の巨樹を堪能しながらゆっくりと下山されたところとのこと。どうやら長時間、お待たせすることにならずに済んでよかった。
「どうでした?」とご興味を示して頂く。あの素晴らしいswalowsky製の双眼鏡で上谷山からの尾根から私が鉄塔尾根を下ってゆくのが見えていたとのことであった。
「山猫さんのトレースを辿って、来週にでももういちど行ってみようかな」と仰るので、
「残念ながら、到底それはお薦めできません」
まず、私がびしょ濡れになった状況と顛末をご説明する。
早速、わしたかさんの車に乗り込むと車内の暖房が車とカメラを乾かしてくれる。もしも徒歩で、長い道のりを中河内まで戻るような計画を立てていたらと思うと、考えるだけでもそら恐ろしい。県道を車で戻ると午前中よりも明らかに雪の量が減っている。轍の上にはところどころに新たな石が出現しており、どうやら落石も頻繁に生じる道のようだ。
わしたかさんに木ノ本駅まで送って頂き、次の新快速に乗り込むが、残念ながら車内は暖かいと云い難い。米原ではすぐに新幹線に乗り継ぐことがわかったので、京都まで新幹線に乗る。車内のトイレで靴下を絞ると大量の水が滴り落ちるのだった。たまたま若い女性の客室乗務員が通りがかり、どうぞと大量のペーパータオルを下さる。京都までの短時間でもびしょ濡れの靴の水を吸わせると、ようやく足元の不快感は和らぐのだった。
どうやらこの無謀な山行の代償は非常に高くつくことになった。しかし思いがけぬ人との貴重な出合い、そしてそう簡単には実現しないであろう上谷山への山行の何にも替えがたい思い出であった。下谷川林道が再び整備されること切に願うが、崩落した複数の橋がすべて復旧するのは果たしていつになることだろうか。