大黒山縦走
【 日 付 】2019年1月4日
【 山 域 】湖北
【メンバー】単独行
【 天 候 】晴れ
【 ルート 】中河内12:16~13:53イカ谷~14:53大黒山~15:35鯉谷~16:28国道365
正月の2日~3日と台高でのテン泊山行の後であり、下半身の筋肉が疲労を訴える。さすがにこの日の山行は無理だろうと諦めていはいたのだが、京都市内も朝から快晴の天気だ。冬型の気圧配置が緩まり、湖北のあたりまで日がな晴天が期待出来そうな天気予報である。こんな好天の山日和を逃す手はない。朝の9時過ぎではあったが、10時に京都駅を出る新快速に乗れば、木ノ本から中河内に向かうバスに乗り継ぐことが出来る。
とりあえずスノーシューと最低限の携行品をミニリュックの中に詰め込んで家内に最寄りの地下鉄の駅まで送ってもらう。しかし地下鉄の時間を気にしすぎたせいだろうか、階段を降り始めると、車の中にトレッキング・ポールを忘れたことに気がつくのであった。時既に遅しである。
新快速が琵琶湖の湖東のあたりに差し掛かると、対岸の比良山系は山頂のあたりに雲がかかっているが、霊仙山のあたりはすっかり晴れているようだ。肝心の湖北のあたりはと北に目を向けると低く垂れ込めた雲が目に入る。米原駅では大垣行きに乗り継ぐので、一瞬、霊仙に心が揺らいだが、ここは初志貫徹、雲の合間から晴れ間が覗くことを期待して、湖北に向かうことにする。
木ノ本に到着してバスに乗り込むと乗客は私一人のみである。運転手が怪訝な顔をして「どちらまで乗られるのですか?」と聞かれる。トレッキング・ポールを携行しておらず、スノーシューもケースに収納したままだったので、おそらく登山者には見えなかったのであろう。「中河内まで」と答えると、少なくとも間違ってこのバスに乗り込んだ訳ではないということは納得してくれたようだ。
木ノ本をバスが出発してR365を北上すると、雲の間の青空はますます広がり、空には綿菓子のような雲が浮かぶようになった。椿坂を越えると辺りの積雪の量が増えるようだ。中河内で降りて歩きだすと、帰りはどちらから?と運転手に聞かれる。中河内からはこのバスの折返しが最終だからだ。「16時24分の椿坂発の予定です」と答えると納得してくれた。バスの運転手の慎ましやかな笑顔には乗客の少ない路線を利用したことよりも、むしろこの辺鄙な山を訪れる物好きがいることへの素直な嬉しさが顕れているように思われた。
菅並との間を結ぶ県道265号線に入るが、除雪されているのはバス停の近くの民家の前までである。この県道が積雪で通れなくなってしまう前にと年末に安蔵山を訪ねたのはわずか一週間前のこと。県道には車の轍が刻み込まれてはいるものの案の定、積雪が増えており、4駆でない限り到底、通過出来そうな状態ではないように思われる。
県道が大きく北向きにカーブし、道の右手に広がる平坦地に差し掛かると、その向こうに見える尾根が大黒山の北尾根に目指すイカ谷右岸尾根の末端だ。手頃な枝を一本、手に入れて尾根に取り付く。尾根に上がると、ツボ足では既に膝下まで沈み込む。早速にもスノーシューを装着し、孤独なラッセル山行を開始する。
尾根は細尾根であり、随所に小さな藪があるが、鹿や小動物の足跡を追いながら、右に左に藪を避ける。碧天から降り注ぐ陽射しのせいか、ハードシェルの下はシャツ一枚でも十分に暖かい。ふと、呼び止められるように5m程の長さの枯れ枝に引っかかった。枝から外してみると程よい太さと硬さである。まさかこんな硬い樹が折れることはないだろうと思いながらスノーシューで体重を載せてみると、丁度よい具合に2m程のところでポキンと折れる。先端も程よく尖り、自然と雪の中に沈み込むような適度な重さである。雪の深さはおよそ50~60cmというところだ。
一週間前の安蔵山のモフモフの新雪とも異なる感触である。尾根上には早速にも随所に好展望が広がる。後方の北西の方向で肩に鉄塔を抱いているのは網谷山ではないだろうか。このサイトと出遭って「山登りはこんなにも・・・」を手にすることがなければ知る機会がなかった山だ。高時川を挟んだ北東の対岸に音波山から下谷山、上谷山となだらかに続いていく稜線を目にすると、この長く見知らぬトレイルに対する憧憬の念を強くするばかりである。
- 彼方に下谷山(左)~上谷山(右)への稜線
イカ谷を過ぎると尾根はなだらかになり緩やかに弧を描いて南西に向かう。積雪が深くなり、スノーシューでも膝下まで30cm程は沈みこむ。前日まで歩いていた台高の乾いた雪と比べると、同じ雪とは思えない程の湿り気であり、やはり北陸の雪は重く感じられる。広い尾根の雪の下には藪が広がっているように思われるが、この重い雪のせいだろうか、積雪の深さはそれほど深いわけでもないと思うが、既に十分に覆い尽くしている。
雌鳥越と呼ばれる小さな鞍部に至ると、ここからは西側斜面に杉の植林地が広がるようになる。杉林の合間から遠くに湖のような敦賀湾が垣間見える。
- 樹間より湖のような敦賀湾を垣間見る
時折、雪の斜面に落ちる杉林の影の間からスリット状の光陰が射す。陽光に暖められた杉の樹からは間断なく水滴が滴り落ち、私のスノーシューが発するザクッザクッという音に共鳴して賑やかなリズムを奏でている。杉林を抜けると大黒山の北峰に達し、途端に見事なブナの林が広がる。大黒山の山頂が近づくにつれ、ブナの林は一段と壮麗さが増す。しばらく前のクロオさんによるレポで拝見した山頂の笹原はすっかり雪の下に姿を消し、山名板も直下まで雪が見られる。
- 大黒山山頂
山頂を辞すと、北尾根の細い尾根とは対象的に山頂の南側には広いブナの尾根が広がる。山日和さんによると東峰の先に広がるブナ林がこの山の白眉らしいが、この尾根に踏み込むには残念ながら時間的余裕がない。前半に余裕を見すぎたせいか、バスの時間にギリギリ間に合うかどうかというタイミングのようだ。東尾根を左手に見送り、南尾根へと繋がる急斜面を下る。
ひとしきりブナの林が続いたあとは、急に細尾根となるが、今度は東側の展望に恵まれる。正面に望む安蔵山から左千万だろうか。すぐ南東の方向には妙理山の山容が徐々に大きく迫ってくる。安蔵山と妙理山の間にはひときわ大きな横山岳が見えるのだが、残念ながら今回の山行の最中、ここだけは山頂に被った雲がとれないのであった。
雪に埋もれた夏道は尾根上の藪を避けて西側斜面をトラバースしていくようだが、手に入れた木のストックはしっかりと私の身体を支えてくれて頼もしい。
- 鉄塔広場の手前には木の杖
まもなく広い鉄塔広場に出ると、その先の鯉谷のピークに辿り着く。大黒山の写真を摂っていなかったことに気が付き、北斜面の伐採地に出て、カメラに収める。
- 鯉谷の北斜面より大黒山を振り返る
ピークの西側に出ると、もう一基の鉄塔があり、この日、これまで目にする機会がなかった南西の琵琶湖方面への展望が突如として大きく開ける。大谷山、赤坂山のあたりは勿論のこと、遥か彼方に伊吹、霊仙、比良の山々まで見晴らすことが出来る。最早、のんびりと景色を鑑賞している余裕はないのであるが、景色に見惚れない訳にはいかない。
- 鉄塔より琵琶湖方面の眺望
無雪期であれば多少小走りで何とかなるタイミングであろうが、スノーシューを履いている状態ではそれは不可能だ。鯉谷からは西向きに大きく向きを変え、主尾根の端からは南の尾根を下る。ほどなく妙理山の山容を背景に最後の鉄塔に出る。ここで、この鉄塔から降りるところが一瞬わからず、尾根を登り返してみるがやはりわからない。仕方がない、このまま尾根を下ってみようと鉄塔の下から尾根に沿って下ると、すぐに雪の下から顔を覗かせている見慣れた黒いプラスチック製の階段が見つかった。
最後は小さな沢に架けられた鉄橋を渡り、採石場からの林道を下る。名残惜しかったが、林道脇の農家の納屋に立てかけてある数本の木材の中に木をそっと忍ばせてから、R365に出た時点で時計を見ると、丁度16時24分であった。目前、あと数分も歩けばというところに椿坂の集落が見えるが、丁度バスが出発するところだ。
諦めて、木ノ本からタクシーを呼ぼうかと思ってスマホを取り出し、暗証番号を入力したその瞬間、目の前にすっと車が停まった。親子連れのようだ。後部座席の窓が開き、運転席から声が聞こえた。
「こんなところから、何処に行くん?」
・・・この山には確かに大黒様がいらっしゃるに違いない。
助手席に座っている小学生の男の子が何とも可愛らしい。ご子息のスキーの練習のために長浜から余呉国際スキー場にいらした帰りとのことであった。長浜まで送って下さると仰るが、ご厚意に甘えて木ノ本まで乗せて頂く。颯爽と車が走り始めると当初乗る予定であった余呉行きのバスを快速に追い抜いてゆく。
木ノ本駅で親子連れと別れを告げると、駅前の小さな雑貨店に寄る。店内に立ち込める石油ストーヴの匂いが店の昭和風の佇まいによく似合う。まずは目当ての菊水飴、富田酒造の七本槍を手に入れる。それからもう一つ、どうしても欲しいかったものはすぐには見当たらなかったが、店の冷蔵庫の片隅で見つけることが出来た。缶ビールである。既にスノーシューをケースに収納したせいか、私はやはり登山客には見えないらしい。
「観光ですか?」
「いいえ、登山です」・・・内心、聞き返しそうになった。(一体、何処へ?)
「呉枯の峰ですか?」
「いいえ、大黒山です」
「聞いたこと無いな~」
(・・・そんなマイナーな山やったんか~)
駅のホームで早速、入手したビールを開ける。美しいブナ林の景色、人の温情と相俟って賤ヶ岳の向こうで美しいローズピンク染まる夕焼け雲が殊の外、美しく感じられるのだった。