出合いと絆~ゴロ谷から御池岳西南斜面捜索・そしてそれから~
情報オンチの私は、ネット情報を探すのが苦手である。ネットに向かっていると、とても疲れる。しかし、遭難対策本部より、赤いオーバーグローブが見つかったとの連絡とともに、御池岳西南面捜索の連絡をいただく。
四回の捜索の後、体調不良と毎週日曜日にある父のお参りで、捜索に参加させていただけない週が続いたが、西南斜面捜索となれば、今回は、なんとしても参加させていただきたいと思った。この日は土曜日で、参加させていただくことが可能であったことが、ありがたかった。
そして、この日は、捜索本部も、それに参加するメンバーも、「今日こそは。」という思いでいっぱいだった。
レポを読ませてもらった印象からすると、雪庇の踏み抜きなどは、考えがたく慎重な人である。又、迷い込むにはテーブルランド直下の斜面は急で可能性は低いと思われた。しかし、どんなタイミングで、どんなハプニングが起こるかは、誰にも分からない。
山域【鈴鹿】
御池岳
2012年(平成24年)4月28日
御池橋(8:55)~アザミ谷分岐(9:12)~三の沢出合(9:40)~(12:30)ボタンブチ(13:46)~ (14:24)四の沢枝尾根(15:30 )~四の沢枝尾根の一本西の枝尾根(五尾根)~四ノ沢~ゴロ谷出合~ゴロ谷4尾根出合~アザミ谷出合(17:08) ~御池橋(17:25)
お天気・・・晴れ
メンバー・・三重県山岳連盟他捜索十数名(内、K隊長チーム・・・Uさん・Tさん・とっちゃん(都津茶女)の四人グループ)

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ゴロ谷は、私にとっては親しみのある谷である。
近江に住んでいながら、それまで入ったことがなかったが、十年一昔、御池岳にアケボノソウが咲く頃、滋賀県側からバリエーションを歩く山仲間であるshigekiさんに、ゴロ谷から1尾根を登り・2尾根を下るルートを案内してもらって歩いたことがある。
そして、御池岳で詠った短歌が、HP「鈴鹿樹林の回廊」で、ハリマオさん・杣人さんと三人での、短歌を介して心の共鳴の時を与えてくれた。
また、数年前には山日和さんの案内で、残雪期に2尾根を登り第1尾根を下ったことがあった。3月下旬であったが、その年、すでに御池橋まで除雪されていたのだと、今になって、あらためて振り返る。
私が単独で入れる3尾根(無雪期)は、風池の杣人さんに会いにいく時の定番ルートである。
ハリマオさんの御池岳のハチマキ山行までとは行かないけれど、かつてSハイのリーダーをされていたI氏の個人山行で、3尾根からT字尾根までトラバースをしたことがあった。山抜けの所があったり、場所によっては上部でカラカラと自然発生の落石の音が響いたことを思い出す。
嘗ては沢登りで入ったアザミ谷はその後だいぶ埋まってしまったという。秋狸さんのボタン鍋オフ会に、ゴロ谷本流を沢仲間のたろーさんと源流付近まで沢装備で入った。しかし、尾根の間にある谷はというと、上部に大きなガレを持つ二ノ沢を途中まで登り、早々に3尾根に逃げたその1回きりだ。
今回の捜索は、尾根と尾根の間にあるそれぞれの谷を、班分けして登り、谷が斜面に吸収される高度まで登ったら、そこからは等間隔でトラバースして捜索、テーブルランドに登り、尾根を下るというものである。
御池林道、一人車を走らせる。
長瀬橋の袂にあるヤマザクラが、沢の流れと相まってなんとも美しい。思わず車をとめて桜を愛でる。春の象徴とも言えるヤマザクラの季節であることが、なぜかいつも以上に胸に染み入る今日である。

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ノタノ坂への登山口分岐から御池橋までの林道は、落石が多い道である。今日の道の状況が心配であった。落石の尖った石を踏まないようにしながら、慎重に車を走らせる。しかし、運転の苦手な私は、避けているつもりが、石に乗ってしまうこと、たびたび。以前、山仲間のタイヤがパンクした思い出があり、ヒヤヒヤしながら御池橋駐車場に到着した。
本部の到着がまだなので、後続の車の駐車スペースが足りないのではないかと思い、次の橋まで車を走らせて駐車場所の下見をする。もどって駐車。2台の車がすでに停まっていたが、その内の1台は、今回の、捜索の方であった。
しばらくして、三重県側で集合してから来られた本部と捜索の方々が到着。今日の捜索の地図をいただき、説明を受ける。今日は、西南斜面の中でも確立の高いと思われる、二ノ沢から源流の間を主に捜索するとのことである。
できるだけ、四人以上の班構成をするようにとのこと、また、通常の山行以上に安全に注意し、メンバーの一人でも危険と感じたら下山することと、二次遭難だけは、絶対起こしてはいけないとの指示があった。
その後、斑分けとロープ・シュリンゲ・カラビナなどの装備の確認をして、出発となる。
ゴロ谷は、渡し返しがけっこうあるので、沢装備で入れば、その分スピーディかと思い、そのつもりで準備して来たが、他のメンバーは登山靴である。同じ装備が歩調を合わせやすいので、登山靴にすることにした。
K隊長・Uさん・Tさん・私の四人のメンバーで、三ノ沢を担当することになった。たろーさん・Bちゃん・Eちゃんは、三人で二ノ沢である。そして、山岳連盟を中心としたメンバーで、四ノ沢とゴロ谷源流を担当されることになり、四班に分かれての捜索である。
ご家族は御池橋で待機、本部のIさん・無線の中継をしてくださるKさんも待機され、無線交信による連絡や指示をされることになった。また、頂上支援隊の方々が、三重県側から登って、西南斜面への落石などを避けるため捜索をサポートしてくださる計画であった。
今日は、各班とも、沢の出合には、沢名と捜索中であることを書いたプレートを吊るし、下山時に回収することになった。アザミ谷出合いで休憩をとり、この先は、それぞれのチームで、谷ごとに順次分かれていくことになる。3尾根を通り過ぎ、4尾根との間にある、三ノ沢を確認し、プレートを枝に吊るして、出発。
今日は、とても暑い日だ。同行のTさんも、沢登りをされるので、水が恋しい沢日和だと話すが、今日は登山靴。足元を気にしながらも、谷を登りながら、下山時の尾根からは見つけにくい両岸の斜面の確認も怠らないようにする。ネコノメソウが咲く。
やがて右手に15m位の滝が落ちていた。T君が念のために滝壺を確認に行ってくれる。この滝は、一見、支谷だと思えたが右又の出会いであった。そのまま三ノ沢を進むと再び滝が正面に現れた。これは、右又の滝より見ごたえのある滝で、地図上からも、これが左又であることが確認できた。その中間尾根にとりついていたK隊長とUさんは、右又の滝を巻いた状態で、ここからそのまま右又に入り、この先を捜索することになる。

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ここから先は、無線を持っている、K隊長と私が、右又と左又に別れての二人づつの二班編成となって谷を詰めることにした。
私とT君も、一旦、中間尾根に上がり滝を巻いてから、左又に下り捜索。沢登りの対象とならない谷であっても、谷は谷。こうした滝があるのだ。道を間違えた場合は、谷を下らないという鉄則を、自分自身でも再確認した。
左又は、その先、大きな滝は出てこなかったので、クライマーで沢登りもするT君、そして私も、困難なく登って行く事ができた。若いT君は、元気いっぱいだが、私は、約一ケ月半ほど、山を休んでいたので、途中、休憩をお願いして水分補給をした。
水が切れて、谷が斜面に吸収されていく頃、右又から四尾根に吸収されるように登ってきたK隊長と合流し、この先の斜面の捜索について打ち合わせを兼ねて休憩をとった。このあたりは、以前に来たことがあり、見覚えがあった。ここまで登ってくる間にも、炭焼き窯跡があり、昔の人々の生活の苦労が偲ばれた。現在、山では、シカが食べない有毒の植物しか残っていないが、ここも、ご多聞にもれず、一面のバイケイソウの緑が目を引く二次林である。
捜索範囲を決めるため、K隊長が、二の沢隊と四ノ沢隊に無線で連絡を入れる。二の沢隊は、上部のガレ場辺りで奮闘しているのか、交信ができない。四ノ沢隊は、谷のとりつきから苦労しているようで、いきなりの滝場の巻きから始まり、かなり下で苦戦をしているようだ。
第4尾根と三尾根の間を、等間隔でトラバースしながら高度を上げ、四人それぞれが見える範囲で移動して捜索をすることになった。
手袋が飛ばされたとしたら、風はどちらから吹いたのだろうか。これから核心部だと、K隊長の捜索の目もより真剣になる。四尾根側をK隊長・その隣をUさん、そして私、三尾根側をT君が担当する。傾斜のある斜面であるが、見通しはよく利くので、両側を見落とし無いように注意しながら、また、落石をしないように気使いながら、高度を上げる。
途中、今まで知らなかった福寿草の咲く場所があり、咲き残りの数株以外はもう実になっていた。
小さなキバナアマナの花が、一輪。
杣人さんに会いに第三尾根から登ってくる時は、途中から右に振って行くと風池。それに近いルートをテーブルランドに登りつく寸前、四ノ沢捜索隊からストックが見つかったとの報告が無線から聞こえた。続いて、テントの袋が見つかる。見つかった場所からも、この時点で、ほぼ、遭難された方の持ち物と想像された。
捜索に入っている者は、その情報に確信に近い気持ちになったが、本部から、まだ確実な確認がとれた分けではないので、自分の持ち場の捜索は、怠り無く続行との指示が出た。また、その後の状況によっては、他の隊もそちらの隊に合流も考えられた。 一番近い位置にいた本流隊は、四ノ沢隊に合流すべく向かったようであるが。
K隊長は、天狗の鼻直下までトラバースしながら捜索を続け、私達は風池付近から少し高度を下げて、再びトラバースし、その後ボタンブチに集合した。ボタンブチに着くと「とっちゃんですね。」と声をかけてくださる方があった。K隊長が、まだ登ってきていないので、それが気になり落ち着かない。やがて天狗の鼻に姿が見えた。先ほど、声をかけてくださった方が、頂上支援隊でボタンブチから落石などがないようにサポートしてくださっていたのを知り、あらためてご挨拶をする。
待機の時間を使って簡単にお昼ご飯とする。やがて、あらかじめ決められていた言葉が無線から流れ、遭難された方が見つかったことが、捜索メンバーに分かった。御池橋の本部との交信が急に忙しくなり、携帯電話の通じる鈴北岳にて、連絡を担当してくださる方がそちらに走り、その他の頂上支援隊の方々はボタンブチに集合し待機 した。
RINちゃんとTOORUさんも頂上支援隊として参加していいたとのことで、ここで出会うことができた。たろーさん・Bちゃん・Eちゃんの二の沢隊もテーブルランドに到着して食事をすませており、やがてボタンブチに集合。無線で緯度・経度が本部へ報告される。それを、コピーし、K隊長たちと、発見地点を地図で確認する。左又が更に分岐しその谷を分けている尾根のようである。ボタンブチから、その尾根を確認する。

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RINちゃん&TOORUさんが持ってきてくれていた、お線香を岩のそばに手向ける。
そして、手を合わす。
その隣に、一輪のアズマイチゲと、ニリンソウがボタンブチの喧騒の中、物言わずひっそりと咲いている。
ボタンブチから見下ろす尾根には、白いタムシバの花。
1時間ほど待機した後、二ノ沢・三ノ沢隊も現地サポートのため、発見場所まで降りることになった。天狗岩とボタンブチの間をまっすぐ降りたあたりが現場となるが、風池方面に少し戻り天狗の鼻の西側から回り込んで下降をする。落石に注意しながらの下降となるが、浮き石と、ズルズルの土で、ラクー!!の声が飛ぶ。お互いにできるだけ直下を歩かないようにしながら、四尾根方面にトラバース気味に下降し、尾根状の所から浅い谷に向かって斜面を下るが、現場が、谷の対岸の支尾根と分かり、さらにトラバース。近づくと枝尾根に白っぽいテントが見え始めた。そして、四ノ沢・本流隊と合流した。
両側を谷に挟まれ、尾根の先は谷に落ちていくような狭い尾根。そのわずかに傾斜のゆるい場所にテントを張られたのだろう。その頃あった雪は、今は全く無い。見つかったテントで眠っていてくださった事が、せめてもの救いのように感じた。それぞれに、手を合わせた。
捜索の間、Bちゃんが持っていたという線香も折れて短くなっている。季節の移ろいと歳月が感じた。線香に火をつけ、岳連の方が用意してきてくださっていた御経の流れる中、皆で集まって手を合わし冥福を祈った。
見つかってから、私達が到着するまでの間に、岳連中心のメンバーで、周囲の木々の何本かを、すでに伐採してくださっていた。ヘリが来るまで待機してくださる方々と、今から下山する者に分かれ、私達女性陣3人は、2人の男性の方々と先に下山することになった。当初、四尾根を下る予定であったが、なにかおかしいと感じていたら、一つ目の支尾根から四ノ沢に下ってしまった。途中、ヘリが上空を何回か旋回して飛んだ。ピックアップが可能なのかが、気がかりで空を見上げた。
登ってくるにも、難儀されていた四ノ沢であるが、メンバー的には特に問題はなく慎重に下降した。しかし最下部の滝は、巻くことになった。男性の方がトップでザイルを貼ってくださり、私、Bちゃん、Eちゃんが続き、ビレイしてくださっていた男性が登ってこられた。
1ピッチ目を登っている途中に、本部のIさんから現在地確認の無線が入る。中間支点のところで、往信をする。
2ピッチ、3ピッチとザイルを貼って、安全確保をしていただくが浮石が多く落石が起こる。先に下った者は、落石の当らない場所に身を寄せたことを確認し、次の者が下る。そして、4ピッチ目は、ザイルなしでも下れるとの判断で、慎重にゴロ谷に降りた。
4時まで、現場で待機していた隊も、今日は、ヘリでのピックアップは不可能とのことで、全員、下山の指示で四尾根を下降。三ノ沢出合い付近で、時間がかかってしまった私達を待っていてくださると、本部から無線が入った。急ぎ足でゴロ谷を下り、皆さんと合流。水分補給の休憩をさせてもらって、ゴロ谷の流れとともに、足早に下って行った。
御池橋では、ご家族の皆様と本部として待機してくださっていた方々が出迎えてくださり、言葉少なに、でも、お互い固い握手を交わした。
翌29日、日曜日は、残念ながら父のお参りと重なり、山から下られるお手伝いには行かせていただくことが叶わなかった。思っていた以上に時間がかかっているようで心配になり、本部のIさん、K隊長に何度か連絡を入れるが、通信不能。やっと携帯が通じ連絡がついたのは、夕方六時頃だった。無事に終わったことを知り安堵する。
父の葬儀の時、心から、よせてくださるお気持ちが、とてもありがたかった。そんな経験をしたばかり。捜索に参加させていただいたご縁もあり、本部から連絡をいただいき、同じ山を愛する一人として、素直な気持ちで本部の方と一緒に、お通夜に参列させていただき、お見送りをさせていただいた。
日常の生活に、ある日突然終止符が打たれる現実。山が大好きで、そのための努力をおしまなかったというご主人を、送り出された奥様の挨拶。捜索が始まってから、父を亡くした私もまた喪主としての挨拶をしたが、そんな中で、家族の中心となって気丈にふるまわなければならないお立場である。
また、5月19日・20日と残る遺品の捜索と献花の山行が計画されていたが、私事と父のお参りで参加させていただくことが出来なかった。20日は、サポート隊と一緒に、ご家族も現場と、T字尾根に分かれてお花を手向けお参りをされたと聞いた。
青空の下、シャクナゲの花が、その道中の尾根に満開に咲いていたそうです。
長きに渡る捜索活動の指揮をしてくださったIさんはじめ捜索本部の方々に頭が下がる思いとともに、山を愛する沢山の皆様が、それぞれのスタンスで参加されていたこと、そのすべての方々の行動に心うたれる日々でした。
また、捜索を通して、多くの方々のお心にふれ、その間、心温まる絆の輪の中に、この身を置かせていただいていたことに、心から感謝いたします。ほんとうにご苦労様でした。そして、ありがとうございました。そして、いつも、ご家族のお気持ちを大事にしてこられた捜索本部の方々のお心を、感じておりました。
命が絶えても、心に、その人が住んでいるということを、杣人さんの死で思いました。
そして、父の死、遭難された方の死と、二つの死と向き合うことになった、この春でした。
人生には、何がしかの原因によって引き裂かれる絆もあれば、捜索で生まれた絆のように、何をご縁で繋がるかもしれない絆もある。人間万事塞翁が馬。これから先、ご家族の方々に幸多かれとお祈りします。
「御池岳」
風渡る 霧渡る そして人渡る
来るも 去りしも 受け止めて
御池は 今日も ただそこに有り
~杣人さんの御池岳に関わる最後の自費出版、小さな写真集である「御池岳 憧」最後のページに掲載していただいた詩です。~
☆そして やさしい風が吹く・・・とっちゃん(都津茶女)~☆
※現場は、危険な場所です。
通信手段の大事さを、捜索させてもらった者は痛感しました。